分離壁の両側

前号の『ぜいとぅーん』で書いたように、ガリラヤ地方とヨルダン川西岸地区の間の人々の行き来は日常的にありました。イスラエルよりヨルダン川西岸地区の方が少し物価が安いため、グリーンライン(1949年、1967年の停戦ライン)沿いの村や町の商店はいつもにぎわっていました。また村の人々はイスラエルに働きに行っていました。しかし、分離壁の建設で人々の行き来が無くなりました。

今回は、シンディアナに同行してバーカ・ル・ガラビーヤ村のアブー・トーメさんを訪ねました。村と言っても人口2万5千人の町です。彼は、山羊や羊を飼いチーズをつくって村の中で売っています。村の外に販売するには許可が必要なのです。彼には、西岸地区のカッフィーン村に親戚がいます。その農家のオリーブオイルをシンディアナに納入しています。バカー村からカッフィーン村までは、5分ほどの距離です。ところが、分離壁が建設されたため(まだ壁の完成していない)エルサレム周辺を回って10時間もかけてオリーブオイルが運ばれました。

また、イスラエルで働く許可はわずかな人数にしか出ないため、多くの西岸の労働者が危険を冒して不法にイスラエル側に出て働いています。実際、窮状に陥っている親戚の面倒をみるという意味合いもあり、アブー・トーメさんもカッフィーン村の親戚の二人を雇っていました。ところが、それがイスラエル政府に見つかってしまい、一人あたり5000シェケル(約12,500円)ずつ罰金を取られたそうですが、その後また雇っていました。その働いている人は、カッフィーン村には3ヶ月帰っていないと言いました。本当は5分の距離なのに、危険を冒した10時間の旅を何度もするわけにはいかないのです。

カッフィーン村は分離壁によって農地が分断され、オリーブ林の60%が壁の向こう側(イスラエル側)になってしまいました。カッフィーン村の住民は壁にある検問所を通る許可証あるのになかなか入れません。(そして住民以外は通れません) 私たちは、アブー・トーメさんに案内してもらいましたが、イスラエル側になってしまったカッフィーン村のオリーブ林は荒れ果てていました。彼は、壁の付近にはイスラエル軍や国境警備隊が多く、人権侵害が日常的に行なわれているので壁には近づかない、と言っていました。実際、案内してくれたときにも彼は車から降りませんでした。

別の日、私たちはジェニーン近郊の女性組合からのザータルを受け取りに出かけました。シンディアナはもともとこの団体からザータルを買い入れていたのですが、壁の建設により難しくなったのでここ数年はナザレ近郊の農家からザータルを買っていました。ところが、イタリアでのスローフードの集まりで一緒になったアブー・アベッドさんが検問所を通って運べる、というので今回試みることになりました。

バルター検問所で土曜日の朝10時に待ち合わせ。土曜日はユダヤ教の安息日で一般的に検問所の通過も緩いことが多いからです。ところが、バルター検問所は地元のパレスチナ人だけが通れイスラエル市民であるハダスさんは通れませんでした。アブー・アベッドさんが通るにも、手荷物は5袋までで大量のザータルを持っては通れないというのです。最近できた、最新式の設備を備えた荷物用のジャラーメ検問所を通らなければならない。やっとたどり着くと金・土休みで事前申し込みが必要だという。検問所の反対側にアブー・アベッドさんもいましたが会うことはできませんでした。この日は3時間走り回っただけでした。

後日、あちらこちらの役所に電話しても、誰も責任者を知らない。最終的に、ザータルを出荷するにはパレスチナ農業省からの許可が必要で、イスラエル側の許可は必要ないことがわかりました。しかし、荷物の受け渡しを検問所でしても、アブー・アベッドさんとは検問所の事務所でガラスを挟んで対話することしかできなかったそうです。つまり、この検問所はイスラエル人が入植地と商品をやり取りするのにもっぱら使われ、パレスチナの産品を出荷することが想定されていないのです。(ヨルダン川西岸地区には約200の入植地に約40万人のイスラエル人が住んでいます)