「ガリラヤのシンディアナ」ニュース

「ガリラヤのシンディアナ」の事務所と倉庫が手狭になり、マジダ・ル・クルム村からコフル・カナ村に引っ越しました。シンディアナの関連団体であり、ナザレにある、アル・バカー・センター(女性や子どもたちの活動を行う)とマアン(イスラエル内のパレスチナ人労働者のための団体=WAC)の事務所から車で15分と近くなります。

石けん工場が念願の新工場へ!!

これまでも通信でもお伝えしてきましたが、今まではずっと間借りの小さなスペースで石けんを作っていました。石けん工場をナーブルス近郊のベイト・フリークに2000年に作ったのに、一度も操業しないままアル・アクサ・インティファーダが始まり、イスラエルの武力攻撃が激化して、工場のある地域がイスラエルの軍事封鎖地域になり、行くこともできなくなってしまったからです。そのときには、5年間も放置することになるとは思わなかったでしょう。マジュタバさんは、「いつかは、、、」と夢を話し、その工場の配置図まで私たちに書いて見せてくれました。

その念願の工場に2ヶ月前にようやく移って操業を始めたのです!! ナーブルスとベイト・フリーク間にある検問所が通れる日が多くなったからです。

石けんの販売が厳しい状況は変わっていないそうですが、これからいい方向に進むことを願っています。

一緒に石けん工場で働いていた弟たちは、ドバイに出稼ぎに行ったままです。マジュタバさんは「いつか状況が良くなって、弟たちがナーブルスに戻ってきて欲しい」と言っていました。

「ナーブルスで検問所の他に良くなったことは?」と尋ねると「イスラエル軍の侵攻が減った。暗殺したり逮捕したりが、1週間か2週間に1回になった」とマジュタバさんが答えました。思わず「それって減ったの??」と聞き返してしまいました。「もちろん!以前は、毎日毎晩だったから」 1週間に1回だけ、という言葉はナーブルスの人々の置かれている状況を改めて考えさせられました。

ちょっと固い石けんに変わりました

前号で、緑色でちょっと柔らかい石けんのご説明をしましたが、今度は、十分乾燥した、緑がかったグレーの石けんが届きました。表面が白っぽいものが一部ありますが、これは、乾かすときに風が当たって表面が急速に乾いたからで、使い心地に変わりはありません

 

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