『ぜいとぅーん』26号(2006.9.13発行)


レバノン侵攻の背景

レバノン南部で大きな勢力となっているヒズブッラーが、7月12日に国境沿いに展開しているイスラエル軍を急襲し、イスラエル兵士2人を「捕虜」とした事件をきっかけに、イスラエル軍が兵士の「奪還作戦」を大義名分として、大規模な軍事攻撃に踏み切りました。8月14日に停戦が成立するまでの約一ヶ月間の戦闘行為で、レバノン側では市民1000人以上が死亡し、生活基盤も徹底的に破壊されました。

一般的な報道では、ヒズブッラー側が仕掛けた「奇襲」こそがイスラエルの「報復攻撃」の原因だとされていますが、この戦闘は奇襲によって始まったのでは決してありません。

そもそもパレスチナ人の生活空間に唐突にユダヤ人国家イスラエルを1948年に建国したことが根本的な問題です。その際の武力侵攻によって大量のパレスチナ人が難民となりヨルダンやレバノンに事実上追放されました。イスラエルに対するパレスチナ人抵抗運動(PLO主流派のファタハなど)は最も難民の多かったヨルダンで組織化が進められましたが、70年頃にヨルダン政府から排除され、レバノン南部に拠点を移しました。イスラエル軍による大規模なレバノン攻撃はこれとともに始まります。

78年にイスラエル軍は大規模に陸軍を侵攻させ、国境沿いのレバノン側を「安全保障地帯」として占領し、82年にはベイルートまで大規模に総攻撃を仕掛け、PLOをレバノンから排除しました。このとき、パレスチナ難民キャンプでの虐殺も起きています。

この82年にヒズブッラーが組織として創られ、PLO撤退後の南部レバノンでイスラエルへの抵抗運動を引き継ぐ形となり、以降イスラエル軍による占領および空爆、ヒズブッラーによるロケット攻撃は現在に至るまで断続的になされています。

次に、今回の事件の背景には、イスラエルの「一方的措置」があります。昨年イスラエルはパレスチナのガザ地区から「一方的撤退」を宣言しましたが、「一方的」というのは「和平合意なし」という意味であり、敵対組織への武力攻撃の可能性を保持します。相互的な信頼や和平を求めない姿勢は、敵愾心と抵抗を生み、イスラエル側はそれを潰すために攻撃を強めるという、暴力のエスカレーションを引き起こします。案の定、ガザ地区は「一方的撤退」以降も日常的にイスラエル軍の空爆を受け、今年の7月からは再度イスラエル軍が大規模に陸上侵攻をするという事態を迎えています。

レバノン南部もまた、イスラエルが「一方的撤退」をした地域です。90年代に入ってもイスラエル軍による占領・弾圧と、それに抵抗するヒズブッラーのロケット攻撃は続き、96年には再度イスラエル軍が大規模な軍事作戦を展開、数百人のレバノン人死者を出し、2000年にイスラエル軍はレバノン南部から「撤退」しました。たんに駐留コストと効果との計算による撤退であり、和平合意はありませんでした。

それ以降、レバノンとイスラエルとの国境地帯では、小規模な奇襲や「拉致」や空爆・ロケット攻撃がイスラエル軍とヒズブッラー双方から継続されており、今回発端とされた7月12日のヒズブッラーによる奇襲はその流れにある出来事の一つにすぎませんでした。つまり、今回のレバノン侵攻は、イスラエル側が主張するような「自衛」ではなく、むしろイスラエル側の準備周到な攻撃をうかがわせます。迅速かつ広範な空爆によるインフラ破壊と、大規模な陸上部隊の展開は、捕虜兵士の奪還では説明がつきません。また、アメリカからイスラエルへの武器輸出量が03年から04年に倍増、05年にさらに倍増していることも、軍事作戦の準備を裏づけています。

 

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