『ぜいとぅーん』29号(2007.6.7発行)


日本政府の「平和と繁栄の回廊」構想は「パレスチナ支援」なのか

1、 概要

日本が主催し、政府開発援助ODAを用いて、パレスチナ・イスラエル・ヨルダン・日本の4者による協力関係を構築し、ヨルダン渓谷西岸部(パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の北東部)に「農業団地」を設置する。(地図はこちらを参照ください。)

昨年7月、小泉首相(当時)は、レバノン侵攻開始直後のイスラエルを訪れた際(イスラエルの自衛権行使の支持を表明)、盛大に発表されたのが、「平和と繁栄の回廊」構想(以下、「回廊」構想)と名づけられた、「パレスチナ支援」プロジェクトでした。当時の外務省の報道発表によると、「平和の配当」によって「当事者間の信頼醸成」を促進し、イスラエルとパレスチナの「共存共栄」に向けた取り組みをしていく、というものです。

実施にあたるのは、国際協力機構(JICA)で、その前年からすでに下請けのコンサルタント会社が現地調査に入っていました。

こうした形式だけを耳にすれば、どれだけの成果が具体的に得られるかは未知数だとしても、けっして悪い話ではないのではないか、という意見もあるでしょう。紛争の直接当事者ではない「第三者」が、仲裁役を演じつつ、「非政治的」に経済ベースでの援助を行なうことで、平和創造に寄与をする、というわけですから、ひじょうに聞こえはいい。

2、ヨルダン渓谷地帯の現状

西岸地区全土がイスラエル軍の占領下にあるなかでもパレスチナ人の居住・通行さえ著しく制限されているのがヨルダン渓谷地帯です。パレスチナ自治政府の権限はなく、ユダヤ人の入植者所有の農業プランテーションが広がっています。しかし、「回廊」構想はこの占領・入植地問題に一言も触れていないのです。パレスチナ自治区が「貧困」なのは、イスラエルによる占領と入植によって土地が収奪され、水資源が奪われ(水の配分権はイスラエル側)、工場や農場の開発が禁止され、検問所によって物流が止められているからです。その意味では、たしかにイスラエル政府を巻き込まないとできないプロジェクトです。しかし、占領・入植地の問題を不問にするとはどういうことでしょうか。

3、占領の構図の強化

たしかに現状では、ユダヤ人の入植地の工場や農場で地元のパレスチナ人が安く雇用され、そのことで貴重な現金収入がある、という構造はあります。しかし、そのことで入植地は潤い、パレスチナ人労働者の賃金がイスラエル製品を購入するのに使われ、資本がイスラエルに還流し、パレスチナ経済の従属的地位は深まる(自立が遠のく)、という占領ビジネス特有の支配構造になっているのです。「回廊」構想は、この構図を批判するどころか、それを前提としてむしろ強化する方向になっているように思われます。イスラエル側は、この農業団地で作られた生産物を「(パレスチナ産ではなく)入植地の生産物になる」という発言もあると聞きます。

一部識者のなかには、この占領の構図が容易には変わらない以上は、そこに支援を出すことで少なからずの現金がパレスチナ人労働者に届くのであれば、それでいいのではないか、という肯定論も出されていますが、私自身は本末転倒した議論でひじょうに危険な考え方だと思っています。

パレスチナ自治政府はこのプロジェクトに歓迎の意向を示し、四者協議に参加していますが、地元NGOからは反対の声も挙がっています。当局と住民の意見が異なる(住民には知らされてもいない)のは、開発援助の典型でしょうか。

4、プロセスへの疑問

莫大な税金が投入されてきた/今後も投入されるこの「回廊」構想が、考案・採用されたプロセスにも疑問があります。

先に触れた下請けのコンサル会社は、パレスチナ問題に関してなんら経験や蓄積があるところではありません。海外での開発・公共事業については歴史が(それこそ戦前の日本の植民地政策から関わる歴史が)ある会社なのですが、イスラエル政府・ユダヤ人入植者・パレスチナ自治政府とうまく利害調整をすることで事業を成功させるということと、占領の終焉なしには語りえない真の和平や独立・自立といったこととは、まったく別の事柄です。本質的かつ意味のある支援の形を探るには、長くパレスチナに関わってきた研究者やNGOらの関与は不可欠なはずです。

しかし、この「回廊」構想をも含む日本の中東政策を支える政・財・官・学の人的ネットワークを見ると(日経新聞4月23日)、そこにはパレスチナ関係の専門家が不在なのがわかります。湾岸地域を中心とした中東地域への政治的・経済的・軍事的な関与を深めようというなかで、日本の存在感を高めようという意図ばかりが感じられます。

こうした安易な「仲裁者」ヅラをした援助は、結果的には占領に加担をしてしまうだけでなく、構想そのものが破綻をしたときに(破綻はすでに不可避なように見えます)、パレスチナの側からの落胆と反発を買う、ということにもなりかねません。

5、援助をめぐる問題をさらに考えるために

ロニー・ブローマン『人道援助、そのジレンマ 国境なき医師団の経験から』(高橋武智訳、産業図書、2000年)

第二次大戦中に赤十字社が、ナチズムそのものへの批判をせずに(追放・弾圧を容認し)ユダヤ人収容所への人道援助を行なったという歴史的過ちに始まり、現在も世界中で人道の名のもとに行なわれている援助が(意図しなくても)既存の政治を利していることを根本から批判します。

一方で緊急支援に現地当局の協力が必要なことを認めながら、他方で、とくに国家が他国の領土で援助活動することの危険を指摘し、国家は諸団体や国際組織の援助活動を間接的に支援すべきだと言います。

「国家がそこに現存することにより数々の疑惑が呼び起こされ、現地当局との関係が政治的取引の次元であると解されてしまうのです。こうして、国家との間で重点の置き方が異なり、目的に混乱が生ずることから、NGOの行動は一層困難に、いやずばり言って危険にさえなるわけです」

村井吉敬編『徹底検証ニッポンのODA』(コモンズ、2006年)

国益至上主義、経済主義に走ってきた日本のODA政策の半世紀を各論者が多面的に批判しながら、援助を受ける側から見て差別の解消と平和のためにあるべきODAのあり方を探ります。(早尾・皆川)

 

参照:パレスチナ情報センター『平和と繁栄の回廊』構想特集

 

通信目次へ