『ぜいとぅーん』35号(2009.2.6発行)


1月5日〜19日に皆川が生産者団体他を訪問しました。12月27日、イスラエル軍によるガザ空爆が始まり、1月3日には地上侵攻。インターネットでは、ガザから悲鳴のような情報がどんどん飛び込んできました。しかし、ガザ以外の地域のことは伝わってきません。年始の訪問は、数ヶ月前から予定していたため、とにかく出発しました。

着いてみると、検問所などは「通常通り」だったので、ほぼ予定通り生産者を訪問しました。ヨルダン川西岸地区(以下、西岸地区)もガリラヤ地方も、一見、日常生活が続いていました。ただ、男性に限らず、女性が頭にはマンディール(スカーフ)をかぶり首にハッタ(クーフィーヤ)を巻いていたり、子どもたちもハッタを首に巻いていたりして、ガザの人々に連帯の気持ちを表していました。

1月7日がギリシャ正教などのクリスマスでエルサレムには飾り付けもあり、そこそこに観光客もいました。ジェリコも「観光客は減ってきた」とは言っていましたが、大型観光バスが数台停まり観光客が来ていましたし、「誘惑の山」に向かう観光用ケーブルカーも動いていました。

西岸地区では、イスラエルのガザ攻撃直後には、抗議行動がありイスラエル軍の発砲で数人亡くなりました。しかし、私が訪問した1月の2、3週目には、イスラエル軍と接触しないように、パレスチナ自治政府が抗議活動を抑えていました。また、意外なことに、エルサレムにいたイスラエル警察や、西岸地区の検問所にいたイスラエル兵に緊張感はありませんでした。

 

西岸地区もガリラヤ地方も、家でも街中のお店でも、テレビニュース(アル・ジャジーラなど)を一日中つけっぱなしでみんなで見ていました。テレビは一日中ガザに関するニュースで、ガザからの現場リポート、遺体やけが人の映像を流し、また、識者の分析、討論なども流していました。サウジやリビアなど海外に搬送された負傷者にインタヴューも多くありました。これらを見て子どもたちが泣いてしまった、ということを、西岸地区でもガリラヤ地方でもお母さんたちから聞きました。子どもまで殺されてしまっていることの衝撃と、自分たちも攻められるかもしれない恐怖の両方のようです。そのため、親がチャンネルを変えたり、また、子ども自身映像に耐えられず、他のチャンネルに変えたり、というのを実際目にしました。

また、世界各地での抗議デモの様子も繰り返し流されていました。街角でニュースを見ながら、「(抗議の報道が全くないが)日本ではどうなんだ?」と問われたりしました。日本の総理について尋ねられ「よくないんだ、、、」と言ったら「私たちの大統領と同じだな」と言われたこともありました。

人々は普段から新聞をよく読みますが、たいていの人が読んでいるのはアル・クドゥス紙。何年か前からアル・アイヤーム紙は政府の広報紙状態、アル・クドゥス紙も一部コントロールされているがまし、という話でした。

どの町でも、中心部にはガザ攻撃に抗議し、人々を悼むテントがあり、金曜日ごとにデモをしていました。

 

9日(金)、ナーブルスでは人通りが少なく、難民キャンプ近くや中心部にパレスチナ警察や機関銃を持ったパレスチナの治安警察(兵士)があふれていました。そして、200人弱の小さなデモ(今までなら数千人〜数万人規模)の後にこん棒を背負った100人の警察官がついていました。デモは町の中心部だけで許可されていて(他の地域でも町や村の中だけ)、検問所などイスラエル兵士のいるところに向かうことは許可されていません。ラマッラーでは、実際、催涙弾やこん棒でデモ参加者がパレスチナ警察に鎮圧されている様子をテレビで見ました(9日は各派の小競り合いがあったようですが、それより前に検問所に行こうとする学生デモをパレスチナ警察が催涙ガスで止めた、という記事を読みました)。ナーブルスのデモでは各派の旗は見られず、パレスチナの旗だけが掲げられ連帯が強調されていました。

ハマスについては人々の意見はいろいろのようでしたが、私が出会った知人、町の人たちは誰1人アッバス大統領のことは支持していませんでした。アラブ各国の首脳については、毅然とした発言が支持を集める一方、それも口だけという非難も浴びていました。南レバノンからイスラエルにミサイルが飛んでくることを期待している人も多くいました。イスラエルによる攻撃は繰り返されていることです。今回の攻撃では(ただでさえ信頼されていないのに)パレスチナのアッバス大統領とエジプトのムバラク大統領が完全に信頼を失っていました(イスラエルの外相がガザ空爆直前にエジプトを訪問しているので、ムバラクは事前に知っていたのではないかと疑われています)。

エルサレム旧市街のダマスカス門前でも小規模のデモがありましたが、ここでは「EUよ、恥を知れ」「世界は私たちのことを知るべきだ」などと呼びかけていました。

 

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