『ぜいとぅーん』35号(2009.2.6発行)


ガザ、ガザ、ガザ、、、

昨年末2008年12月27日に始まったイスラエル軍によるパレスチナのガザ地区に対する大規模空爆、年を明けた09年1月3日からは地上侵攻。圧倒的な軍事力でもって、18日にイスラエル軍が「一方的停戦」をするまでに1300人以上の死者と5500人を越える負傷者を出し、約4000軒の家を全壊させ、16000軒を部分損壊させています。

「停戦」にはなりました。しかし、封鎖という名の「包囲攻撃」は続いています。また停戦は合意によるものではなく一方的なものであるため、イスラエルはいつでもガザ攻撃を再開できるとし、実際上空にはつねに無人戦闘機を飛ばしています。「停戦」後、数度の空爆がありました。事態は何も変わってはいません。

ガザ地区は、ひじょうに狭い地区(東京23区の2/3)に150万人ものパレスチナ人が生活しています。1948年のイスラエル建国によって、パレスチナの各方面から避難民が押し寄せてきたためです。その後ガザ地区は、67年の第三次中東戦争までは事実上エジプトが管理、そして戦争によって、ヨルダン川西岸地区などとともに、イスラエルの占領下におかれました。それ以降、西岸・ガザ両地区からのパレスチナ人労働者を低賃金労働者としてイスラエル側で働かせてきました。オスロ合意以降は、パレスチナ「自治」を名目に、労働許可を著しく制限し、この時期からガザ地区をフェンスで完全に包囲しました。イスラエルの規制によって占領地の経済発展は妨げられたまま、イスラエル製品だけが市場に溢れ、パレスチナ人の失業率は高まり、両占領地は、自治という美名のもとにイスラエルの「巨大な監獄」へとその地位を下げただけとなりました。

そのオスロ合意によってもたらされた貧困化が不満となって爆発したのが、2000年からの第二次インティファーダであり、それが06年からのハマス政権誕生へとつながりました。他方で、93年、00年、06年と、段階的にガザ地区の封鎖は厳しくなっていく一方でした。ハマス政権発足直後から、すでに食糧と医薬品の不足は始まっていました。そして一年前の08年初めから封鎖は限界を超え、国連の配給さえ止まり、医療崩壊も引き起こしました。 *2008年2月末のガザ空爆のときも、『ぜいとぅーん』32号に「ガザ地区の歴史と近年の状況」「完全封鎖」について書きました。詳しくはご参照ください。

イスラエル軍はなぜガザ攻撃をしたのか?

この軍事作戦を、大手メディアは、ほぼイスラエルの主張通り、失効した停戦期間の延長を拒否したハマスの側が最初にロケット攻撃をおこなったと、いう論調で伝えています。

しかし、実際には、ハマスの支持離れが進まない事態にしびれを切らし、イスラエルは武力でハマス政権の弱体化を狙ったと思われます。年末年始、アメリカの大統領交代、イスラエル総選挙前、このタイミングで計算づくで攻撃に踏み切りました。報復も自衛権も一切関係はありません。

それでもなお、ハマスがロケット攻撃をするからイスラエルに口実を与えるのだという見方をする人もいます。しかし、ハマス政権成立後から、停戦を守っているハマスに対して、空爆と侵攻を続け挑発してきたのがイスラエル側であったこと、今回も停戦期間内だった11月初めにイスラエルが攻撃を仕掛けたことは指摘されなくてはならないし、他方でガザ地区からのロケット弾については、ハマス以外の党派(ファタハ系もある)がハマスへの対抗から撹乱目的で撃つケースや、イスラエルへの内通者がイスラエルの攻撃の呼び水として撃つケースもあることは注意を要します。攻撃の口実はイスラエル側がいくらでもつくることができるのです。

ハマスが問題?

イスラエルは、ハマスがイスラエル国家を承認せず対話を拒んでいるのが問題だと主張し、また日本のテレビ・新聞もハマス政権について必ず「イスラム原理主義組織」か「イスラム過激派」という説明を付し、非合理なハマス側が問題だという認識を広めています。

だが、ハマスが06年の選挙で民主的に選ばれた政権であること、および、その政治主張の核心が「占領の完全終結と引き換えのイスラエル承認」、つまり、占領地(1967年の第三次中東戦争で占領されたヨルダン川西岸地区とガザ地区)の内部からすべてのユダヤ人入植地・分離壁を一つ残らず撤去し、国境管理権と制空権・制海権をパレスチナ側に譲渡し、完全なパレスチナ独立国家を認めるのであれば、ハマスもイスラエルを承認し和平交渉をおこなう、という点にあること。この点が重要です。

ハマスは政権獲得直後から3年間この主張を繰り返してきました。なぜなら、それまでのファタハを中心としたパレスチナ自治政府が、イスラエルとアメリカに支持してもらう形での「体制維持」を優先し、占領を容認してきたという事実があり、ハマスはそれへの批判勢力として民意に選択されたからです。すなわち、ハマスという選択は占領批判という民意による政権交代であったのです。

この問題は、1993年のオスロ合意にさかのぼります。オスロ合意は、イスラエルがファタハを中心とするPLO(パレスチナ解放機構)を代表として認め、PLOもイスラエル国家を承認する、という相互承認以上の内容をもちません。イスラエルは占領地にあるユダヤ人入植地を撤去させないばかりか、これ以降の「和平プロセス」のあいだも入植地を急速に増大させていきました。その他、イスラエルが併合宣言をした東エルサレムの地位や水の配分権やパレスチナ難民の帰還権など、重要な問題はすべて棚上げにされたまま、イスラエルは丸ごと「承認」を得ました。

これが「占領の終結」を求めたハマス政権への、そしてハマスを選択したパレスチナ民衆へのイスラエルの「回答」でした。つまりイスラエルの主張は、占領の継続にほかなりません。ハマスがイスラエルとの対話を拒否しているのではなく、逆にイスラエルがハマスとの対話を拒絶してきました。締め上げて兵糧攻めという集団懲罰を加えれば、ハマスへの支持が離れるとイスラエルは見込んだのです。しかしパレスチナ人は、ハマス自体に共感しているというよりは、自分たちの民意を踏みにじられたことに反発し、かえって頑なにハマスを支持し続けました。

 

いま、世界から復興援助金が集まり始めています。イスラエルは好き放題に破壊した責任を一切とることなく、世界中からの援助金にそれを肩代わりさせることができます。しかも援助物資は、イスラエル市場で調達されるものもあります。ここで「停戦」を喜んでいるだけでは、イスラエルを利する構造は何も変わりません。(早尾)

 

* ガザの状況については「パレスチナ情報センター」などにまとめられています。

* 日本各地の集会情報やメディア情報は「アル・ガド」が有用です。

 

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