「アパルトヘイト・ウォール」

署名:ギデオン・レヴィ
出典:ハアレツマガジン(2003年4月23日付)


イスラエル人にとっては「分断フェンス」だが、パレスチナ人からすれば「アパルトヘイト・ウォール」だ。イスラエル人にとっては理想的なものなのだろうが、パレスチナ人からすれば現実にある脅威だ。たいていのイスラエル人にとっては、テロリズムの恐怖に対する魔法の解決策だが、パレスチナ人からしてみれば、深刻な懸案である。またしても、双方が相手を理解していない、二つの民族がお互いの心配事の意味を把握していないのだ。

分断フェンス、防衛壁、安全、テロとの戦争。だが、イスラエル人たちは、パレスチナ人らの犠牲についてはまったく見当もつかないのだ。入植地、前哨基地、バイパス[入植者用の]、没収[土地や建物などの]、封鎖、包囲、失業、外出禁止令。こうしたものの後で、いまや壁の問題がその[建設]エリアに住む数千もの人々の頭上にのしかかっているのである。そこの人々は、自分たちにはまったく落ち度がないにもかかわらず、またもや被害者になろうとしているのだ。畑を没収された農家らや、ブドウ園を踏みにじられたワイン業者、牧場を奪われた羊飼い、土地と井戸を壁の向こう側に取られた農家、生活の糧を得る最後の手段を破壊された失業者たち、そして生活手段から切り離された村々。

イスラエル人の生命を守るために設計されたフェンスは、「彼ら」の縮減されつつある土地に位置する。イスラエル人の土地の上にでは断じてない。実のところ、なぜそうなっているのか? なぜイスラエルの土地の上ではないのか? 誰も「彼ら」には頼まなかったし、誰も「彼ら」とは何らかの協調をしなかった。「彼ら」に許可を得ることのできる可能性については、議論することさえも無駄なのだ。結局のところ、この「彼ら」とはそもそも誰なのだ?

ハンマーの音が遠くから聞こえる。西岸地区の北部ではいたるところで、鉄を切って基礎を造る騒音が聞こえる。それは、谷や岡から響くおどろおどろしい轟音となっている。トラックとブルドーザーの大隊が山々を根こそぎにし、あちこちを動き回っている。その光景は驚くばかりだ。トゥルカレム-ジェニン-カルキリヤのあいだの地帯では、大地が切り裂かれその傷跡を残している。それはあたかも、西岸北部の全長に渡って切り裂かれた、大手術の後の広範な傷のようだ。巡回道路と保安路と、コンクリートのインフラつまり巨大な傷跡だ。

パレスチナの環境団体によって発行された薄緑の表紙のパンフレット『アパルトヘイト・ウォール・キャンペーン』がその数値データを明らかにした。まず西岸地区の2パーセントの土地が第一段階で没収される。つまり、少なくとも30の村がその土地の一部を失い、15の村がフェンスとグリーンライン[停戦ライン]の間に閉じこめられ、16万〜18万ドナム(4万〜4万5千エーカー)が没収され、30の井戸がその所有者から切り離されるのだ。だが、これは第一段階にすぎない。西岸地区北部だけのことなのだ。

破滅に直面する

土盛りとゴミでできたロード・ブロック[道路を遮断するバリケード]が、今週、イズベット・タビーブ村への入り口に出現した。カルキリヤからナブルスにつながるハイウェイ(それはユダヤ人だけが使うことができる)のわきにある小さな村だが、その村に対する包囲をいっそう強化するためのものである。ゴミとガラクタを使うというこれほどに卑しいことを考えつくのは、占領のための装置だけだろう。ゴミ・ガラクタをリサイクルし、巨大で残酷で醜いロード・ブロックに変えるのだ。そのロード・ブロックを避ける泥道の迂回路で、その村の議会長が車から手を振っている。「昨日、軍隊がやって来て、地面を掘り起こして土を積み上げロード・ブロックを築いていった。そしてついでに、村の水道系も破壊した。いま、住民は水が手に入らないでいる。」

私たちは、隣村にたどり着くために、まるで岩を登るかのように上下に揺られながら、松林を車で通り抜けていった。イスラ村の外れからは、すでに道路の右側にフェンスが突き立てられているのが見える。アズーン村では、ジュネーブから来ている巨大なトラックが、白い小麦粉の袋を降ろしている。国際赤十字からの贈りものである。その街の失業者らが、 小麦粉が降ろされているところを何気なく見ている。ここはバグダードでもカブールでもない。街の端で、黄色いタクシー[パレスチナ側の]が群がっている。彼らにはただ一本の短いルートがあるだけだ、次のロード・ブロックまでの。そして彼らもまた失業者なのだ。

ジャユース村では、改装された村議会の建物の中のアブドゥル・アターフ・ハーレッドのオフィスの壁に「アパルトヘイト・ウォール」の地図が掛けられている。パレスチナの水文(すいもん)学グループのオフィスだ。地図上でグリーンラインの東側[パレスチナ側]に、紫色の大きなパッチで印がつけられている。

「私たちは破滅に直面している。」と水文学者のハーレッドが言った。彼は壁建設に反対する闘争の地元の活動家でもある。「昨年の7月、ある日、丸一日の外出禁止令が村に敷かれた。そして軍隊がブルドーザーを伴ってやって来て、村の土地に標識を立てていった。 住民たちはその意味をまったく理解できなかった。誰も何が起こりつつあるのか思いつきもしなかったのだ。いまにして思えば、あれは計画期間だったのだ。」そう彼は語った。

9月の第一週目に、農家の人々は、自分たちの畑に書類がまき散らされているのを見つけた。それらは「没収命令書」だったのだ。地図もまたそこに含まれていた。ハーレッドが言うには、その書類と地図から、フェンスの幅は55-58メートルで、それが4.1キロにも渡り、292ドナム(約75エーカー)の土地がその村から没収されるということがわかった。さらに、「のちには、6キロにも渡り、600ドナムもの土地が強制収用されるということになった。」

その次の週、ハーレッドと他の村人らはイスラエル軍から「おまえたちは、行政府から来たラーミと会って、この地域の視察に出かけることになる。」と言われた。「実際、住民たちはその視察にショックを受けた。」と、代表のハーレッド。「『私たち農家だ』と彼らは言い、そして尋ねた。『壁の向こう側の自分たちの土地で働くことはできますか?』。行政官のラーミは『できる』と答えた。『簡単に?』、『もちろん』。そう彼は約束した。だが、農家らはラーミのことを信用しなかった。」

最後の手段

ジャユース村には、550家族、3200人が住んでいる。ハーレッドによると、そのうちのおよそ300家族が自分の土地を耕すことで自活しており、およそ200家族がかつてはイスラエルでの仕事(もはや存在しないが)をすることで生計を立てていた。これらの家庭でさえも、最後の手段として、土地に働きに出ようとしていた。宅地も含めてこの村の地域を構成する全体で12,500ドナム(約3,120エーカー)のうち8,600ドナム(2,150エーカー)が、この壁の向こう側に位置することになる。

「ここは不毛の荒地ではない。耕作地だ。」そう彼は強調した。120もの温室があり、そのそれぞれが35トンのトマトとキュウリを毎年生産している。7つの井戸を住民らが共有しており、それらも壁の向こう側に取り残されてしまう。700ドナム(175エーカー)の果樹園と、500ドナム(125エーカー)の野菜畑と、3,000ドナム(750エーカー)のオリーブ畑があり、残りは牧草地だ。

水文学者の説明によると、「このコミュニティ(ジャユース)全体で65,000労働日が、壁の向こう側に取られてしまうことになる。」そして、井戸水が壁の向こう側に取られてしまった人々の身に、今年の夏はどんなことが起きるのだろうか?、そう彼は尋ねた。

「もし畑に灌漑ができなければ、農業環境は破滅的になるだろう。いずれにせよ、村の畑に通じる7本中6本の道が、すでにイスラエル軍によってブロックされている。しかもフェンスが出現する以前にだ。いまでさえどの方向のどこの地区に行くにしても2時間はかかり、畑に行って帰ってくるのに丸一日が無駄に費やされてしまうのだ。土地を耕すことは、家族の仕事だ。もし壁を越えて向こう側に行くのに税金が課されたらどうなってしまう? 農家が家族とともに自分の畑にたどり着くのに50シェケル[約1300円]払うことになるのだろうか?」

「私の近所に、土地を一区画買うために三年間少しずつ貯金をしていた人がいる。彼女は家族一人一人のために8本のオリーブの樹を買った。彼女は、壁がまさにそのオリーブ樹の真上にやって来るなんてことを信じられなかった。樹に付けられた赤いサインにショックを受けた。それはまさにそこに壁が造られるということを示すものだ。もうすでにすべてが引き抜かれてしまった。彼女にとっては、その8本のオリーブが人生だった。その8本を根こそぎにした人は、その樹の背後にある物語を知らない。私たちの中には、オリーブの樹を子どもと同じように想っている人たちがいるのだ。」

「ここの人々は、自分たちが難民になりつつある、と言う。壁が完成し門が閉ざされたら、どうなってしまうのか? 村の状況はもうすでに困難になっている。今年、私たちは45人の子どもたちを幼稚園から出してしまった。両親らが一ヶ月35シェケル[約900円]の保育料を払うことができなかったからだ。 60家庭が電気を止められてしまった。地方議会に借金を支払えなかったからだ。壁ができた後にはどうなってしまうのか?」

目の前でフェンスが造られているいま、彼らは何を望むのか?

ハーレッド:「三つある。一つは、自分たちの畑へのアクセスを簡便にしてほしい。二つ目は、土地の所有権を維持すること。三つ目は、平和のうちに暮らし、コハヴ・ヤーイルやツール・イガール[カルキリヤのすぐ北のグリーンラインに沿った位置にあるユダヤ人の町]などのユダヤ人隣人らとよい関係でありたい。」

村の外では、十代の若者らが集まっていた。彼らはすで別のものを望んでいた。「お前ら[ユダヤ人]にヨーロッパに帰ってほしい。」

私たちの質問に対して、行政府はこう答えた。「フェンスの建設のために物理的に取り上げられた土地に対しては、その土地の所有者の所有権についての証拠に基づいて、土地使用料と補償として金銭を受け取ることができるようになる。フェンスの西側[イスラエル側]に取り残された土地に対しては、その土地の所有者ないし代理人が耕作のために入ることが許されるだろう。フェンスのルートに沿って設けられた門を通過して入ることになる。保安設備によって、住民が自分たちの土地に行くことことは解決されるものと想う。」

「物理的に損害を受けた土地の所有者のみが、補償を受けることができる。あらゆる財産の接収に対して、適切な命令が下される。その命令はアラビア語にも翻訳される。さらに、こうした通知は、イスラエル国防省の当該司令部のDCO/DCL[District Coordinating OfficeとDistrict Civil Liaison Office、これは本来はその名の通り、パレスチナ自治区の管理事務をパレスチナ・イスラエル共同で行なうオフィスでしたが、現在では一方的にイスラエル側がパレスチナ人に許認可を出す場所のようになっています。]が没収された財産に対して発行し、そしてその通知はパレスチナ側のDCO/DCLに送付されるのだ。土地所有者のための地域視察は、この命令が出された数日後に行なわれ、それと同時に、これからなされる財産の差し押さえについての説明もあった。」

パレスチナのインデペンデント紙『アル・クドゥス』が報じたところでは、フェンスの向こう側に畑を取られた農家らは、自分の農地に行くたびに一人当たり10シェケル[約250円]の通行税が徴収されることになる。イスラエル行政府はこれを否定した。もしそれが本当だとしたら、今週私が会った農家の人々は喜ぶだろうに。だが結局のところ、そしてすでにそうなっているのだが、フェンスがまだ完成していないにもかかわらず、彼らは自分たちの畑に行くことを許されていないのだ。

ジャユース村出身の農家アベッド・ハーレッドは、8人の子どもの父親であり、15年間イスラエル国内で働いていたことがあるが、他の人と同様に失業した[イスラエル領へ出稼ぎできなくなった]。彼はいまでは、自分の土地までも失い、最後の生活手段を奪われたのだ。「仕事もないし、土地もない。人生は終わりだ。」そう彼は語った。

(早尾貴紀訳)

 

ニュース・トップに戻る