ベツレヘムのディヘイシャ難民キャンプからの報告です。
(岡田剛士さんが訳されたものを転載させていただきました)


何が起こっているのか? どんな地獄が出現しているのか? 自由を求める!
ベツレヘム、2001年10月21日 午後2時

ベツレヘムが再占領されて3日目です。私は朝の9時に起きて、葬式に行くための着替えをしました。昨日死んだ4人の殉死者のための葬式のためでした。私たちがこの4人の埋葬を済ませた後に、さらに2人の殉死者が死者のリストに付け加えられました。

砲爆撃は絶え間なく続いており、戦車部隊がベツレヘム市の全域を攻略するために侵入してきています。戦略的に重要な地域の全ては、すでにイスラエル軍の支配下におかれているのです。つまり、イスラエル軍は、ベツレヘムを囲む丘や小高い場所の全て、高いビルの一切の上に駐留しているのです。

アイダとアル=アッザの両難民キャンプは、今もイスラエル軍の占領下にあるにもかかわらず、イスラエル軍の兵士たちは両キャンプに向けて発砲を続けており、多数の犠牲者が出ています。さらに複数のヘリコプターが、パレスチナ暫定自治当局の警察署施設への銃撃を開始しました。

戦車部隊が、こちらに向かって非常にゆっくりと進んできています。

イスラエル軍は、ベイト・ジャーラと2つの難民キャンプ(アイダとアル=アッザ)、そしてベツレヘムの市庁舎を完全に占領したのに続いて、アル=フセイン病院にまで到達しました。軍は、どの救急車も病院に入ることを禁止しています。それで救急車は負傷者を乗せたまま別の病院に向かわざるを得ません。アル=ハデル村にある病院に向かうのですが、この病院は小さくて、すでに手当が必要な負傷者たちで満員 の状態にあります。これ以上の負傷者を収容することは不可能です。

これから何が起こるでしょうか?
あらゆる場所が砲撃を受けています。
そんな中で、私たちは、どうやって殉死者を埋葬できるでしょう?
これらのことを考えている最中に、いまさっき1人が殺されたという知らせが入ってきました!

「ああ、なんてことが!」

彼は26歳。障害をもって、アッザ難民キャンプに生まれました。彼は耳が聞こえず、話すこともできませんでした。彼は、家族のためにパンを買おうとキャンプの家から外出し、兵士たちが彼を見つけて発砲したというのです。兵士たちは、こっちに来てIDカードを見せろと、彼に怒鳴ったのですが、彼はそれを聞くことはできませんでした。彼は歩き続けてゆき、兵士たちが発砲。彼は、兵士たちの怒鳴り声も銃声も聞くことはできなかったのです。その彼の背中に銃弾が命中しました。彼は倒れ、息絶えました。もちろん彼は一言も発することはできなかったのですが、でも彼の脳裏には、明らかに彼が語りたかった多数の言葉が浮かんでいたでしょう。その中で一番重要な言葉は「自由を!」というものだったはずです。

私たちは、こうした状況の下で生きることを望みません。私たちは、父親たちの時代よりも、より良い将来を望みます。

自由の下で生きたいのです。

好きな場所を選んで住む自由、家族全員が集って一緒に食事を楽しむ自由、毎日を普通に生きる自由−−検問所も砲撃もなく、銃撃を受けることもなく、殉死者も葬式もなく、そしてデモをする必要もなく−−。

兵士たちに捕らわれるかもしれないという恐怖なしに生きる自由、パレスチナ人だから、あるは「難民」だからという理由だけで銃撃されるかもしれないという恐怖なしに生きる自由、爆撃や砲撃の音ではなく音楽を聴く自由、「衝突」の最中に友人たちが殺されることのない自由、まるで巨大な監獄の中に居るように感じることのない自由、誰にも生活を支配されない自由、自分自身の国に居るのだから−−今日も明日も−−自分と家族が安全に過ごせるだろうと疑わずに居られる自由。

私たちは、私たち自身の自由を手にするその日まで闘いを続けるでしょう。

なぜならば自由こそが、これら全ての暗黒を終わらせる希望の光だからです。

(ディヘイシャ難民キャンプ、ベツレヘム、パレスチナ)

 

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