Challenge No.108(2008年3-4月号)
イスラエルのアラブ人女性 ―― 解放への障壁 ――

ミハイル・シュワルツ、アスマ・アグバリーエ・ザハルカ著 西尾ゆう子訳

原文


(訳註:ここで「アラブ人」というのはイスラエル内のパレスチナ人のことです)

カイザリアとジスル・アル=ザルカーは数ヤードしか離れていない。ジスル・アル=ザルカーはイスラエル最貧の村のひとつ。カイザリアに暮らしているのはエリート層。数ヤードの距離――そして六年前に作られた壁。カイザリアに暮らす金持ちが、隣人を見かけなくてもすむように作られた壁だ。テルアビブとヤーファの間にもこれとよく似ているが目に見えない壁がある。ユダヤ人が暮らすメ・アミとアラブ人が暮らすウンム・ル=ファヘム、ナザレ・イリットとナザレ、カルミエールと周辺の村の間にも見えない壁がある。要するにユダヤ人とアラブ人が隣り合って暮らしている場所すべてに、このような壁があるというわけだ。髪の毛一本ほどの空間が二つの世界を分かっている。

ジスル・アル=ザルカーには、他のアラブ人の村とは大きく異なっている点がある。この村では女性が主な稼ぎ手となっているのだ。村議会の資料によれば、男性の75パーセントは職についていない。つまりここでは女性の30パーセントが家計を支えているということになる。ちなみにイスラエル内に居住するアラブ人女性の就業率は18.6パーセントにすぎない(原註)。ジスル・アル=ザルカーは、その生活基盤を女性の労働に頼っている。だが彼女たちの労働は、生活を支えるだけの収入と満足感をもたらしているのだろうか? そのどちらもがまったく不足している。骨の折れる単純作業だし、賃金も不当に安い。沿岸部のクリーニング業者にしてみれば、彼女たちは都合のいい未熟練労働者だ。非力で切羽詰まっていて、安く雇うことができる。彼女たちはテルアビブで清掃業に従事しており、大学、病院、老人ホーム、宴会場でその姿を見かけることができるだろう。大多数は1日に8時間働きながら、法定最低賃金の3700シェケル(1028ドル)に満たない月給しかもらっておらず、最低賃金の給料を手にできたとしても、生活費をまかなうことはできない。

毎朝5時半、人口12,000人の村から900人ほどの女性がライトバンに乗りこんでいく。既婚者もいれば未婚者もいるし、子どもがいる女性もいればそうでない女性もいる。夕方5時にはほとんどが帰村するが、10時まで戻ってこない人もいる。仕事での昼間の清掃作業が終ると、彼女たちは自宅の掃除にとりかかり、一日の半分を路上ですごしていた子どもたちの面倒を見る。

ジスル・アル=ザルカーの娘たちは17歳、あるいはそれより若い年齢で結婚する。彼女たちは家長制度のもとで暮らしており、生活費を稼いでいる場合でも事情は変わらない。養うべき家族の数は多く、拡大家族(訳註1)が居住する数階建ての家屋の一室で生活していることも多い。平均すると一室で7人が暮らしている。彼らと隣人のユダヤ人の間に横たわる社会的経済的なギャップは、年ごとに広がっている。

貧しいアラブ、貧しい女性

ジスル・アル=ザルカーは、イスラエル内で暮らすアラブ人の姿を極端な形で反映している。人口比でいうとわずかに15パーセントだが(東エルサレムとゴラン高原は除く)、イスラエル貧困層の半分以上はアラブ人だ。アラブ人家庭のほとんどは、貧困ライン以下の暮らしをしており、子どもたちの60パーセントもここに含まれる。

アラブ家庭のほぼ半数では生活費を稼げる家族が一人しかいないことも、アラブ人が貧困である理由のひとつとなっている。すでに述べたように、15歳以上のアラブ人女性で労働力となるのは、ユダヤ人女性の56パーセント(イスラエル中央統計局、表1.2および8.1、2006年)に対して18.6パーセントにとどまっている。

アラブ人女性の平均賃金はユダヤ女性よりも47パーセントも低い。半数以上が最低賃金もしくはそれ以下の賃金しかもらっておらず、ユダヤ人女性の賃金の3分の1にとどまっている(資料:「2006年アラブ人女性雇用状況」参照)。

アラブ人女性を貧困におとしいれている間接的な原因としては、彼女たちの教育水準が低いことも挙げられる。高校を卒業していないユダヤ人女性は10パーセントだが、アラブ人女性ではほぼ50パーセントとなっている。雇用率は学歴に左右される。小学校を終えていないアラブ人女性の雇用率は3.6パーセントだが、高卒以上の学歴を持つ女性の場合には64.8パーセントになっている(同上資料)。貧困には別の理由もある。アラブ人女性の大多数は低賃金労働についている。ユダヤ人被雇用者の不足分を補う形で雇われ、同じ労働をしても少ない賃金しか支払われない。

このため、アラブ人女性の多くが求職を断念してしまう。職探しを辞めた比率は、ユダヤ女性1パーセントに対し、アラブ人女性では12パーセントに達している(同上資料)。

2月、国民保険機構は、全体的な経済成長にもかかわらず、イスラエルでは貧困が深刻化しているという報告書を公表した。経済成長は弱者層、とりわけアラブ人を素通りしていく。貧困は世代から世代へと受け継がれていく。イスラエル社会で信仰心の欠如が受け継がれていくのと同じような展開だ。イスラエルの最貧であるアラブ・コミュニティーでは、このような社会の空気が緊迫して、2000年10月にインティファーダを引き起こした。この結果、アラブ人とユダヤ人の間では不信感が増大し、双方が相手に心を閉ざしてしまった。

どうして働かないのか?

女性が働かないのはアラブ文化のせいだと言って非難する声もある。実際われわれが目にしたところでも、ここ数年来、村々ではイスラーム運動が盛んになり、女性は家にいて出産と育児に専念するものだという考え方が強くなってきた。

だが、アラブの一般市民の中で保守的な傾向が高まってきたことは、低い就業率の原因というよりはむしろ結果だと言えるだろう。これの原因は、あらゆる職種でアラブ人が差別され、排除されていることにある。加えて1990年代中期以後、新自由主義経済とグローバリゼーションがこの問題に追い討ちをかけることになった。新しいイスラエル経済では株取引とハイテク産業に重点が置かれ、「旧経済」――そしてアラブ人女性の労働――は片隅へと追いやられている。従来の労働分野であった縫製工場、農業、介護などの労働は消滅しつつある。

グローバリゼーションによって縫製工場は、エジプト、ヨルダン、ルーマニア、中国などの賃金の低い国々へと移転していき、介護労働ではフィリピン人が雇用されるようになった。

農業はどうだろうか? この分野では専門技術を持たないアラブ人女性が働いていた。1948年のイスラエル建国以前にはアラブ人の90パーセントが農業で生計を立てていたが、現在では4パーセントまで減少している。現在のイスラエルにおける農場労働者のうち、27パーセントはタイからの出稼ぎだ。彼らは多額の借金を背負って入国し、よるべき組織も持たないため、法定最低賃金以下の労働を続けている(ずさんな記録管理の結果だ)。タイ人労働者は社会保険給付を受けることもできず、労働現場で寝起きしている。結局のところ、彼らは形を変えた補助金なのだ。ヨーロッパでもアメリカでも農業には補助金が出るが、それらの補助金は直接的な財政援助であって農業分野全体に投入されるため、農場主も被雇用者もともに恩恵を受けることができる。だがイスラエルでは補助金は人間の形をとり、農場主のみが恩恵を受けている。

農場で働くアラブ人女性は、どのような雇用形態にあるのか? アラブ人の村には多くの地元下請業者がいて女性たちを作業場まで運んでいる。労賃は彼らを通して支払われる仕組みだが、労賃のほぼ40パーセントが下請業者のもとにいってしまう。給与明細が入っていることは少なく、社会保険についての記載はまったくない。結局のところ、8時間労働に対して80ないし100シェケル(20〜25ドル)が支払われるにすぎず、この金額は法定最低賃金の160シェケルにも満たない。

熟練技術を身につけていないアラブ人既婚女性がこのような条件の仕事でも探さざるを得ないのは、深刻な貧困と選択肢の欠如がその理由となっている。一般的に言うと女性労働者のほとんどは、持参金を増やそうとする娘たちだ。彼女たちの稼ぎが拡大家族の生活費に消えてしまうことも多い。娘たちを狭い家から出すために、低賃金労働につかせる家もあるだろう。借金の返済、兄たちの勉学費、兄が所帯を持ったときに備えて家の上階を建て増す費用に彼女たちの収入をあてることもあるだろう。これらの状況を考えれば女性たちが、労働とは重荷であり、できるだけはやく退職しようと思うのも無理はない。

現在、アラブ人女性の労働力構成は逆三角形になっている。仕事についている少数派のうち、ほぼ70パーセントが教育、保健医療、福祉関係の専門職についており、残る30パーセントの大部分が製造業、農業、清掃業などに従事する非専門職だ。

低学歴のアラブ人女性は三重の苦難を背負っている。ユダヤ人国家に暮らすアラブ人であること、家父長制的なアラブ社会に生きる女性であること、新自由主義経済にくみこまれた未熟練労働者であること、この三つだ。

家父長制家族

アラブの村では家父長的な家族制度が存続している。近親者との結婚は普通に見られ(訳註3)、ネゲブ砂漠で暮らすベドウィンの間では、一夫多妻が一般的だ。アラブ人の出生率はユダヤ人のものよりも高い。平均的なアラブ人家族の構成員は4.9人だが、ユダヤ人家族では3.1人となっている。アラブ人女性にとって離婚とは自分の両親のもとに戻ることであり、子どもを婚家に置いてくる場合も多い。離婚歴のある女性は、スティグマ(不名誉)を抱える。彼女が単身で暮らすことは認められず、普通は家を借りることもできない。「家族の名誉」を保つための殺人行為もいまだに存続している(訳註4)。このような状況は、女性による政治的社会的な行動にはほとんど結びつかない。

イスラエル政府は、アラブ人家庭における強力な家父長制度をうまく利用してきた。当局はこの制度を使ってアラブ人を支配し、低い開発レベルに押しとどめてきた。アラブの家父長制度が存続してきた主な理由は、ユダヤ人とアラブ人の地理的な分離、つまり一種のゆるやかなアパルトヘイトにある。イスラエル内に暮らすアラブ人の92パーセントは、孤立した村に居住している。このため、都市化の波が村に入りこむことがない。近代化が妨げられ、拡大家族の解体も進展しにくい。さらにイスラエルでは民事婚の制度もない。結婚をとりしきるのは宗教裁判所だ。この事実も両者の分離を助長している。

だがそれだけではない。イスラエル政府は、アラブ人の村を対象とする社会サービスをほとんど実施してこなかった。この結果、アラブ人市民のよりどころは拡大家族だけになってしまった。土地を搾取された(イスラエルによる政策)ため、若い新婚カップルは、村内でアパートを借りることもできないのが普通だ。ユダヤ人が暮らす都市部に転居しようとするなら、差別的政策と高い生活費に直面することになる。拡大家族が暮らす建物の上階に暮らすしか、選択の余地が残っていないのだ。そこでは家父長制にしたがうしかない。

高学歴は社会的な流動性を高めるが、アラブ人の大多数は困難な状況に邪魔されてそのような状態に到達することができない。アラブ人が通う公立学校はもっとも低いレベルにあり、ほとんどの私立学校は学費が高すぎる。

家父長制度のもとで暮らすアラブ人家庭が女性たちに保守的なノルマを課しており、彼女たちの労働を妨げていることは否定できない。だがそれは、組織化されず、不当な低賃金で働かされる場合の話だ。すべての農場労働者と産業労働者が法定最低賃金の月額3700NIS(訳註:約11万円)と社会保険給付を手にしていたとすれば、働く女性に対する態度は変化するだろう。

アラブ人女性の4パーセントが暮らしているテルアビブ-ヤーファ、ハイファ、ラムレ、ロッド(リッダ)、アッカなどの都市部では、働く女性に対する見方は非常に異なっている。どの都市でも住民は分離されているが、これらの地域では自宅の近辺で働けるさまざまなチャンスがある。これらの都市に暮らすアラブ人女性のほぼ半数が仕事についている。

アラブ人が村以外の場所、つまり都市やモシャブやキブツなどどこでも自由に暮らすことができれば――要するに国民的統合が現実だったとしたら――都市化と近代化の波が社会的後退と分離を圧倒していただろう。

マアン(ワーカーズアドバイスセンター=WAC)の役割

保守的な社会で暮らす女性の役割は、価値観どおりに行動することによって、その価値観を次の世代に伝えていくことだ。だが社会が大きく揺らぐときには、女性の力が変革をうながす場合もある。

アラブ人の家庭を周辺の社会から遮断してしまうことはできない。一例を挙げれば、1970年代から80年代にかけて多くの女性が労働力となったころには、女性の平均結婚年齢が高くなって出生率が下った。アラブ人女性も他の人々同様、消費文化と西洋的な価値観にさらされている。彼女たちは、自分の経済的状況と隣人であるユダヤ人の経済的状況が大きく異なっていることも承知しており、大きなストレスを感じているのだが、開発の遅れた村の中に閉じこめられて適当な仕事を見つける機会もない状態ではどうしようもないのだ。前進の可能性が見えない限り、女性たちは平等と社会的進歩という価値観からは目をそむけようとする。手に届かぬ場所にあるブドウは、酸っぱいはずなのだ。

イスラエル政府が差別の存在を認め、現状改善を言明することもある。たとえば10月インティファーダに呼応して発表された2001年内務監査局報告書(Comptroller's Report)、オール調査委員会報告書(Orr Committee Report)中にそのような例を見ることができる。だが報告書で述べられている改善勧告は、紙の上の出来事にとどまっている。財務省にしても、アラブ人社会が貧困にあえいでいるのは、女性の就業機会がないことが原因であると何度も言明している。外国人労働者の流入が現状を継続させていることには、誰もが気づいている。2008年2月、財務省とイスラエル銀行は、100,000人の外国人労働者削減プログラムを発表した。だがプログラムと現実は別の話だ。

簡単に言えばこういうことになる。アラブ女性の生活は、重なりあう力によって抑圧されている。家父長制度、村社会、労働市場、新自由主義経済政策、グローバリゼーション。これらを打破するには、女性のための組織が必要だ。マアンでは、「女性フォーラム」を設置してこのような役割を担っている。私たちは、高所から貧困と失業を見下ろしているのではない。アラブ女性は貧窮のせいで労働に駆り立てられ、権利の保護を必要としている。というよりもむしろ、彼女たちが自分たちの権利を自覚できるようにしなくてはならない。搾取、低賃金、底辺の仕事についたというスティグマ(社会的な汚名)のため、多くのアラブ人主婦は仕事を探そうとしない。私たちは水面下に隠れた女性たち、つまり技術を身につけていない何十万もの人々に標的を絞り、彼女たちの就業を軌道に乗せようとしている。まだまだ不充分ではあるにせよ、これはエンパワーメント(自己啓発)のための基本的な作業だ。農業というのが順当な選択だろう。この分野では何千人もの女性が働ける。

マアンを訪れた主婦は、搾取されることなしにきちんと最低賃金を得られ、労働の権利が守られている仕事を見つけることができる。彼女たちは、女性のエンパワーメントのためのさまざまなクラスに参加している。私たちがめざしているのは、女性労働者が組合の活動家として行動できるようになることだ。そうすれば彼女たちは、経験をいかしてさらに多くの女性を組織に参加させるだろう。こうすれば、村では現状が変わっていくかもしれない。これは、彼女たちの経済的状況と社会的地位、そして彼女たちの自意識と世界観が変わることを意味している。このような変革はもうひとつの変革、つまり男性社会における女性観の変化をひき起こすだろう。そうなれば、無関心なイスラエルのユダヤ人たちにも影響を与えるかもしれない。そして自由主義経済の犠牲者すべて――男、女、アラブ人、ユダヤ人―の結束をうながす可能性もある。さらには、アラブ人とユダヤ人双方のコミュニティー間で誠実な対話ができるようになるかもしれない。

この課題に着手したところ、女性たちは私たちの期待にこたえてくれた。主婦であり、4人もしくはそれ以上の子どもを持つ30代ないし40代の女性たちは、結婚以来仕事についていなかったが、自分たちの人生を大きく変える決断をくだした。就業後も仕事と家事を両立できるのだと彼女たちを説得するのは、容易ではなかった。彼女たちは過去の経験から、マアンを通して法定最低賃金を手にし、雇用条件が保証されるとは思っていなかったのだ。だが何とかしようという決心が彼女たちを動かし、2年前の2006年3月、コフル・カラ村の女性たちが仕事につくことになった。

彼女たちは夜明け前に起床し、子どもたちの学校の準備を整えてから仕事に出かけていく。現場では農場主から指示された作業に従事し、午後に帰宅、自宅の清掃をすませて子どもたちの宿題を見てやり、翌日の食事の支度をして洗濯にとりかかる。どれをとっても簡単にできることではないが、これをやりこなす女性たちが組織化された労働の価値を広めていく。経済状況もよくなっている。子どもたちを放課後のクラブに入れることもできる。歯科医の診察費を払うこともできるしコンピュータを買うこともできる。家を出て知らない女性と会うこともできるし、雇用主とヘブライ語で話しあうこともできる。要するに、自分たちをしばりつけていた力に立ち向かうことができるようになったのだ。今では自分には価値があると感じることができるし、自分に向けられた視線が変わってきたことも実感できる。一週間に一度、仕事が終った後で開かれる夜の学集会に出席し、今までとは異なった視点から自分たちの生活をながめて理解を深めることもできる。

「女性フォーラム」が主催する学習会の参加者は、全員が労働者だ。ときには、同じ農場で働いている同僚ばかりということもある。このため、参加者どうしの親近感と信頼感が増すことになる。フォーラムは、育児などについての保守主義的な考え方や支配的な先入観などを崩していく場所でもある。

マアンの労働者たちは、これまでとは異なった方法で知らなかった世界に足を踏み入れていく。彼らは海外の農場労働者組合からやって来た代表者らと会い、外国での事情について話しあっている。国際女性デーとメーデーには、テルアビブ当局に要望書を提出し、連帯しているイスラエル人や政府のせいで不利益をこうむっているユダヤ人女性らと顔をあわせた。年一回のアートセールには、ユダヤ人とアラブ人のアーティストからの絵画作品が寄せられており、売上金はマアンを訪れるアラブ人女性農場労働者のために使われる。詩人も彼女たちの村を訪問し、ヘブライ語とアラビア語で詩を朗読する。こうして女性たちは、それまで知らなかったさまざまなアートに接することができる。このようなふれあいを通じ、彼女たちは多様で実際的な行動を積み重ねていく。アーティストや詩人たちにしても、それまではあまり触れる機会がなかったアラブの文化に接することができる。

アラブ人女性労働者の全員が継続的に雇用されるわけではない。農場主たちが、地元の請負業者が調達するタイ人や組合に入っていない女性労働者の方を好んで雇用するからだ。だが数ヶ月のうちに、クフル・カラ村のWAC事務所を訪れる女性労働者は100人に達した。私たちがより多くの仕事を提供できれば、この数はさらに増えるだろう。噂が広まり、女性たちが次々と私たちのもとを訪れている。シャロン平野やガリラヤにあるほかの村でも、主婦たちがWACを通じて仕事を見つけ、生活を変えている。これについては、コフル・マンダ出身のカミーラ・ゼイダーンに関する次の記事を読んでほしい。

本当の変化は、逆三角形の構造が正しい形になるときに訪れる。何千人、いや何万人ものアラブ人女性は家庭の外で仕事に就き、仲間とともに労働組合を組織しなくてはならない。これは貧困と受動という負の循環から家族とコミュニティーを救いだすためだ。マアンの女性労働者たちは、自分への信頼感を身につけ、政治的社会的変化に向けて一歩を踏み出すだろう。アラブ社会内部での解放が進めば連帯の輪がさらに広がり、ユダヤ人とアラブ人、男性と女性が団結して搾取に立ち向かえるようになる。これは充分に実現可能な変化だ。新自由主義経済を採用して以来、イスラエル国家は貧困ユダヤ人への配慮を忘れ、その結果としてシオニストの団結が崩れてきた。

このような状況下にある労働者には、自分たちを代表する政党が必要になるだろう。ユダヤ人とアラブ人、男性と女性の双方を含む広範囲な活動が展開できれば先入観も消え、共通の利害関係が築かれて両者を隔てている憎悪の壁も崩れるだろう。

だが今後の展開は、国際的な局面での進展、中でも世界経済と国際政治に対するアメリカの影響力の弱体化にもかかっている。要するに、常軌を逸した資本主義と原理主義に対する新たな挑戦にかかっているのだ。

そのいずれもが一朝一夕で達成できるわけではないが、マアンに集いはじめた女性たちの姿は、正しい一歩がどうあるべきかを明確に示している。

原註:「2006年、18〜65歳アラブ人女性の雇用状況」。イスラエル産業通商雇用省、調査および経済局 Director for Research and Economics文書、2008年1月29日。

訳註1:パレスチナでは息子家族が両親と同居していることが多く、家を上に建て増ししていく。

訳註2:貧困ラインには「1日1ドルまたは2ドル以下の生活」「収入が生活に必要な最低限の物を購入することができる最低限の収入水準」など複数の定義があるが、ここではおそらく「所得の高い人と低い人を並べた場合に真ん中になる人の所得からみて50%以下の所得」を表していると思われる。

訳註3:いとこ婚が多い。

訳註4:「名誉殺人」のこと。女性の婚前・婚外交渉を「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄兄弟が「家族の名誉」を守るために女性を殺害する風習。

(訳註:皆川)

 

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