Challenge No. 71 (2002年1-2月号)
62人のイスラエルの若者が一人のパレスチナ人に与えた希望
サマー・ジャブルからの手紙


 

*サマー・ジャバルは内科医で、生まれ育ちはエルサレム。この手紙はロンドンのPalestinian Timesにも掲載されました。

2001年8月19日、62人のイスラエルの高校生が首相宛に兵役を拒否する手紙を書きました。もちろん彼らは、軍隊に加わることが、自分たちの自由を政府が使うために差し出すことであり、必要であれば生命をも犠牲にするために差し出すことであるの同時に、自分たちが人殺しをすることを合法化することを意味すると理解していました。生徒たちは、政府の政策協議に、とりわけ私たちパレスチナ人の扱いに反対しています。私たちはイスラエル政府と急進的シオニストが取得したがっている土地にたまたま生まれたというだけなのだから。

生徒たちが手紙を書くには、勇気と、私たちパレスチナ人とここでともに生きてきた経験から得た理解が必要でした。それは倫理的な成熟を反映しています。つまり、私たちつまりキリスト教徒とムスリムのセム系アラブ人に対する民族主義的で古典的な偏見に異議を唱えているのです。イスラエル人のあいだで飛び抜けているこの若者たちは、先駆けとなる大きな潜在的可能性を持っています。彼らは私に希望を与えてくれました。地球全体が人類にとって神聖な贈り物であるのであって、地上のいかなる部分もある一つのグループのためだけに与えられた神からの特別な贈り物として取り置かれているのではないということを、彼らが言っていると考えてよいでしょうか?

私と同様、62人の若者たちもこの地の政治的紛争という子宮から生まれました。彼らは、迫害からの逃げ場を求めて私たちの土地に移民してきた人々の子どもたちです。不幸なことに、この移民たちは、自分たちが(ヨーロッパで)されてきたのと同じことを私たちパレスチナ人にせよと言うシオニスト指導者の指令に従いました。修正主義シオニストは、今度は自分たちが他者であるパレスチナ人に対し、抑圧や殺人、強奪、信じがたい侮蔑をおこなう番であると感じたのです。さらに彼らは全世界に対して、私たちパレスチナ人は存在しないとまで言うに至りました。

だが、手紙を書いた生徒たちは、親や祖先たちとは違っていました。彼/彼女たちは自分自身で独立した人間なのです。私たちの今日持っている知識、世界全体についての知識が私たちを後押しして、相手を破壊しそこに取って代わろうという粗野な衝動を乗り越えさせるのだということを、彼ら一人ひとりは私と同様に気づいているのです。

もちろん私たちパレスチナ人は、ソロモン(ダビデの後継者)が子どもを授かることにおびえる必要はもうありません。むしろ良い物語だと思います。もし私たちがこの聖なる土地を半分に分割するか、またはどちらの側も本質的な譲歩をしないのであれば、私たちは愛するこの土地を完全に破壊してしまうことになるでしょう。これは、私たちの上の世代が将来を閉ざしてしまう前に、イスラエルとパレスチナ双方の現代の若者が解決しなければならない問題です。

私は、誰でも自分が生まれた場所に暮らすものだとずっと信じてきました。だがほとんどのアメリカ人はこの信念の強固さを理解していないということを知りました。ほとんどのアメリカ人は、イスラエル人と同様に、移民出身です。しかし、私たちパレスチナ人にとっては、財産(土地・家)を守ることは、たんに権利であるだけでなく義務でもあるのです。移動するよりもそこに留まることの方がときには苦しい選択であることもあります。でも、パレスチナ人にとって家族をつくって維持し、自分たちの土地を保全することは、アメリカ人にとっての場所を移動する自由とまったく同じように、集団的特性の大きな部分をなすのです。私の遺伝子によってなのか環境的遺産によってなのかは分かりませんが、私はこの土地から追放されたり他の誰かに置き換えられることには抵抗せざるをえません。

もちろん歴史上では、追放や乗っ取りはしばしば起こってきました。修正主義シオニストであるヤボティンスキーも1923年にそう言っていました。私たちを迫害する権利を、勝者が総取りする懲罰的概念を近代化して、ここで生きていることだけが唯一の罪である先住民を離散させる権利をイスラエルは得たというのでしょうか? シオニストはいまだに自分の立場に強くこだわっているから、たとえその意味するものが私たち全員の死だとしても、ただ「力が正義だ」という原則だけに基づいて行動ができるとでもいうのでしょうか? ここに住んでいる私たちはみな、母親の言うことの前ではどうしようもない赤ん坊同然であるとでもいうのでしょうか?

そこで62人の生徒たちが自ら発言を始めました。私も彼らに加わりたいと思います。

これまでの闘争の目的をあきらめる見返りとして、私は何を求めるだでしょうか? 私があなた方イスラエルのユダヤ人と、あなた方アメリカにいるシオニスト支援者に望むことは、あなた方が世界の人々に対して自分たちにしてほしいと望んでいることを、私たちに対しても同じようにすることです。もしシオニストがホロコーストで失った権利や土地や資産の補償を要求するのであれば、私も1948年に始まり67年とそれ以降もなお続く破滅(カタストロフ、ナクバ=イスラエル建国によるパレスチナの破壊)によって失われた権利や土地や資産の補償を求めます。

自分たちの祖先の誤りを認めることは困難です。でも、間違いだったと知っていることを繰り返す必要はありません。私は、私よりも少しだけ若いこの62人の生徒たちに言いたい。「私たちのこの土地を、破壊するのではなく、うまくやり繰りをすることを手伝ってほしい。そして、私たちの土地があらゆる人々にとっての安息の地になるように、誤りに反応してほしい。男であれ女であれ、ムスリムであれキリスト教徒であれユダヤ教徒であれ、他の国から来た市民であれ、ここに生まれた私たちであれ、あらゆる人々が、これからすることに対して発言権を持ち、投票権を持ちつような安息の地にするために。私はパレスチナ人がこの地に帰還する自由とすべてのパレスチナ人政治囚の解放を求めます。彼らは人生のうちの何年間をも自由のために犠牲にしてきています。私たちはもう過去を戻すことはできません。でも、いまここにいるあらゆる人々に奉仕する力は持っています。

譲歩の問題については、入植地が拡大しつづけているのに、私たちにだけ妥協を期待するのは不合理です。シオニストがここに来るずっと以前から私たちが住みつづけているこの土地に、自分自身の国家を持つことを私たちに「許可する」などというのは、横柄です。ガザ地区の人々はイスラエルに土地を収奪されたときに生計の手段を失っており、そうした人々が再教育の機会も出世の機会もないままにイスラエルの主人のもとで標準以下の賃金で働くことを期待するのは間違っています。

今日では誰もが耳にしている言葉に再び耳を傾けましょう。でも、さらに今度は私たちパレスチナ人がいかにその言葉を聞いているのかにも耳を澄ませてみましょう。テロリズムといういまでは流行の悪を示す標語は、国家からも個人からも発せられています。あなた方62人のイスラエル人高校生と私たち被占領下のパレスチナ人以上にこのことをよく知っている者がいるでしょうか? 私は将来を恐れていますが、あなたたちの手紙によって浮かび上がった希望を持ち続けています。幸福で生産的な生活を欲している私たちすべてにとって、いまこそ政府や宗教勢力が他者を悪者に見えるように学校教育で教え込んでいる虚偽を拒否すべき時です。どちらの側も完全な善であるとか完全な悪であるということはないと、軍事指導者たちに示すべきなのです。

あなた方62人の若者は、占領を終結することを望んでいるます。私たちパレスチナ人の若者もまたそうです。投石器や戦車による暴力を終わらせられるかどうかはあなた方と私たちにかかっています。終わりのない政治紛争のさなかで生き続けることは不可能です。イスラエル政府とシオニスト狂信者の一派によるあらゆる行動が暴力を日々新たにしあなたを死に至らしめる恐れもあります。アメリカの友人から送られてくる財政支援を阻止してほしいのです。彼らは、「約束の土地」が欲しいと言うが、あなた方と苦しみを共有してともに生活をしにやって来はしません。私たちパレスチナ人はもうこれ以上占領という不自然なくびきに我慢することはできないし、私たちがいかなるものをあきらめようとも私たちのことなど気にもとめない外国に譲歩することにも我慢できません。

あなた方62人は私にとっては始まりです。あなた方は、私や他のパレスチナの若者とともにここの土地で調和を保って生きてくつもりがあるでしょうか? この赤い大地、サボテン、オリーブの樹、オレンジの林のあるこの土地、そしてそう、大量破壊兵器とは無関係になったコンピューターやテクノロジーのあるこの土地で。あなた方は私たちを侵略しようなどという狂信者ではありません。あなた方は私に希望を与えてくれました。いつ私たちはいっしょになれるでしょうか?

(早尾貴紀訳)