Challenge No. 74 (2002年7-8月号)
自爆をめぐるパレスチナ人たちの議論

ロニ・ベン・エフラート


 

パレスチナ人たちの一団が、イスラエル市民を標的とした自爆行動への反対を、初めて公言した。アラビア語日刊紙『アル=クドゥス』(6月19日付)の1頁全面で55人の知識人と著名人たちが、自らの反対意見を表明したのだ。そして、この声明は4日間に渡って掲載されて、毎回賛同人が増え、その数は最終的に500人となった。

この声明のイニシアチブは、サリ・ヌセイベ博士の努力によるものだ。彼は、パレスチナ〔暫定自治〕当局のエルサレム担当大臣としての地位を、故ファイサル・フセイニーから受け継いでいた。この声明の最初の賛同人たちの中には、ハナーン・アシュラーウィーやハンナ・シニオラ、学者のサラーハ・アブド・アル=ジャワド、リーマ・ハマーミー、さらにパレスチナのNGOの代表的な人物であるイヤード・アル=サッラージュ博士(ガザ精神的健康プロジェクトの代表)やハーデル・シキラート(LAW)などが含まれていた。声明のタイトルは「自爆を止めるための緊急アピール」。その最後は、以下のように締め括られている。

「これらの行動〔注:自爆のこと〕を再評価する必要があります。なぜならば、この聖なる地を、そこに生きる2つの人々の間での生存をかけた戦争に向けて押しやることは、この地域全体の破壊を導くだろうからです。私たちは、この結末について、論理的に、また人道的、政治的にも正当化することはできません。」

この議論が、賛同者たちの範囲を超えて、公衆の話題の一部となったのかどうかは明確ではない。しかし声明は、パレスチナの政治諸組織の間での論争を引き起こした。結果的に第二次インティファーダは、「ファタハ」〔PLO内の最大組織である「パレスチナ解放運動」〕自らをもイスラエル市民に対する自爆攻撃へと引きずり込んだ。〔そのファタハの指導者たる〕アラファートさえもが、「ムカータア」〔大統領府〕の中から声を発して、「シャヒーダン! シャヒーダン! シャヒーダン!」(殉難者に! 殉難者に! 殉難者に!)という、自らの欲求を公言した。この冒険的な言説から退却することは簡単なことではないだろう。

声明は、次のような論争を引き起こした。一つの、多分最も過激な反応は、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の軍事組織である「殉難者アブー・アリー・ムスタファー旅団」【原注】からのものだ。その、6月23日に発表された対抗声明は、最初の声明の賛同人たちへの軽蔑に満ちていた。この対抗声明は、パレスチナ人の知識人たちが一体どのような権利があって、占領に抗するために選択された手段を批判するのか?と問うているのだ。「何ヶ月もの間、パレスチナ人たちの抵抗行動は、マス・メディアによって、また現場においても、そうしたパレスチナのレジスタンス全体を、そしてとりわけ自らが殉難者となって行う作戦を停止させようとする、猛烈な攻撃に晒されてきた。この攻撃には複数の要素が加わり続けているが、その最新のものは、小さくなる一方の自らのポケットに援助国グループから資金流入の道を開くことの他には何もしない『洗練された知識人たち』のカクテルだ。」

この対抗声明を書いた人々は、同時に、イスラーム主義の諸グループとの「民族的統一」という、彼らの同盟関係に強く固執している。「我々は、レジスタンスの諸形態と行動のタイミングを決定することは……我がパレスチナの人民大衆の圧倒的多数の利益からすれば、愛国主義的なレジスタンスの諸勢力とイスラームを基盤にしたレジスタンスの諸勢力の特権であるということを、ここに断言する。」

最初に出された自爆反対の声明は、新聞への掲載料を欧州連合(EU)が支払っていたということゆえの批判も受けている。海外からの――しかもパレスチナ暫定自治当局を改革せよというブッシュの要求に賛成しているヨーロッパ側からの――資金調達は、賛同者たちが明確で自立的な話し合いを基にして行動しているのではなく、海外の援助国グループやNGO諸組織からの圧力が理由なのだ、という印象をもたらすだろう。DFLP(パレスチナ解放民主戦線)のハーニー・イッサーウィーは、「〔最初の声明の〕賛同者たちの大部分は、パレスチナ暫定自治当局の内部に、あるいはヨーロッパの投資者との間に利権を持っている人々なのです」という。DFLPはイスラエル国内のイスラエル人市民を殺すことには基本的に反対だが、この自爆反対声明のタイミングは間違っていると、イッサーウィーは語った。「こうした声明の発表はイスラエルを大いに利するものであり、それゆえに占領に奉仕するものだ、というのが現状における一般的な感情です。それは、イスラエルが犠牲者であり、自らを防衛しようとしているだけなのだ、という観念を強めるでしょう。こうした見方か らすれば、この声明は反感を生み出しこそすれ、民衆の気持ちを表現するものではない、のです。」

賛同者の一人、ジャミール・ヒラール博士は、『Challenge』誌に、こう語った。

「私も含む賛同者の多くは、この声明が欧州連合から資金提供を受けていた、ということを後で知りました。私は、このことが声明の意味合いを小さなものとしてしまうだろうと思います。それで良いと、私は全く思いません。」

こうした理由からヒラールは、追加的な第二次声明にも自らの名前を掲載した。この第二次声明はアラビア語紙『アル=アイヤーム』に掲載されたが、明らかに賛同者たち自身からの資金提供によるものだった。これは、多分「人民党」(かつての「共産党」)のイニシアチブによるものだが、イスラエル市民に対する自爆攻撃を非難するだけの限定された主張ではなく、そのような自爆という現象を生じさせている主要な要素としての〔イスラエルによる軍事〕占領にも言及している。「私が思うには」と、ヒラールは語る。「この第二次声明の方が、バランスが取れています。こうした現象が拡大している、その理由についても考慮しているからです。要するに、若者たちが自爆者として生まれるということは、ないのです。具体的な状況ゆえに彼らは自爆者となるのです。」

ビール・ゼイト大学の哲学文化科の主任、ムーダル・カシース博士は、外出禁止令が出されている状況の下で私のインタビューに応えてくれた。彼もまた、これら2つの主張の違いを強調して次のように述べた。「サリ・ヌセイベの立場は、イスラエルが何を行っているのかに関わりなく、自爆攻撃を非難するという一つの戦略的な立場をパレスチナ人たちが取るべきだ、と主張するものです。この方向性に従えば、私たちの現在の闘争形態が、私たちが手にするであろう解放の性質を決定するのだ、ということになります。逆に第二次声明は、自爆攻撃が行われるようになってきた、それは何故なのかという事情を考慮することなしに、この問題を取り扱うことは不可能だ、と主張しているのです。この立場からすれば、これらの自爆攻撃が現在までのようにエスカレートしてきたのは何故なのかという、その理由を無視するのは合理的ではない、ということです。」

私はカシースに、声明には賛同したのですか、と訊ねた。「いいえ」と彼は言う。

「実際には賛同の要請がなかったのです。要請が来なくて良かった、と私は思っています。私は、何年も前から主張していた事柄を今一度宣言するという必要性はない、と思うからです。自爆攻撃に反対する明確かつ公然たる立場というものは、もっとずっと前から存在してしかるべきだったのです。」

アル=クドゥス大学で政治学を教えるムーサ・ブデイリー博士は、最初の声明の言い回しが気に入らなかったけれども、それに賛同した。これに先立つ2001年12月に、彼はリーマ・ハマーミー博士と共に、自爆攻撃を非難する文章を公表していた。彼は留保を付けながらも、この最初の声明が重要だという立場を持ち続けている。「こうした立場は、すぐ明日の朝にでも実を結ぶというようなものではありません。けれど、それは、自爆攻撃に反対する全ての人々が、そのような意見を公的に表明するのを助けるのです。」

自爆についてのこうした論争は、どの程度まで人々の間に広がっているのだろうか? 私がインタビューした4人は共に、議論が起こっていること、そしてそれがまだ終わってなどいないのだということを、確認している。イスラエルがパレスチナ人たちを攻撃し、虐待するがゆえに、自爆は支持を集めるのだ。カシースは言う。「通りを歩いている人が、どう考えているのかということなら、人々の議論には2つの側面があります。一つのレベルとして、人は、自爆攻撃がイスラーム法にてらして良きもの、適法なもの、あるいは容認し得るものなのかどうか、と考えるのです。3人のムフティー〔イスラーム法学の権威者〕が自爆攻撃を容認する判定を出さざるを得なかったという事実は、この問題が簡単に取り扱われ得るようなものでは決してないのだ、ということを示しています。」

「より一般的なレベルでは、人々は、自爆攻撃の結果として何がもたらされるのか、有益なものなのか、と問うているのです。ユダヤ人たちの間でも、そのイスラエルの攻撃に関して、同じような議論が起きているだろうと思います。それは、全く自然なことでしょう。しかし多くの混乱も、同時に存在しています。例えば複数の世論調査によると、パレスチナ人の60%が自爆に賛成だと答え、しかし70%が1967年の境界線の内側に住んで、イスラエルと平和的に共存したい、と答えているのです。大衆レベルでは、ヨルダンから地中海までの場所に一つのイスラーム国家をと主張するハマース〔イスラーム抵抗運動〕のイデオロギーを受け入れている人は、ほとんどいません。そして、そのハマースですら、『アパッチ攻撃ヘリコプターを持っていれば、我々には自爆攻撃をする必要はない』と主張しているのです。」

ジャミール・ヒラールは、人々がイスラエル内での自爆攻撃について常に議論しあっているのは確かだ、と言う。「被占領地で〔イスラエルの〕軍や入植者たちに対して攻撃が行われる場合には、人々の間に意見の一致がある、そう言えると私は思います。他方、イスラエル内での攻撃については人々の意見は分かれます。複数の調査が半々に割れていることを示しています。しかしながら私は、多くの人々の間に存在する自爆攻撃への支持というのは感情的なレベルでのものであって、政治的なレベルでの判断ではないと、確信しています。それは、『我々が感じているのと同じものを、彼らにも感じさせてやれ』というようなものです。誤ったエンパワーメントの感覚だ、と呼ぶこともできるでしょう。」

ムーサ・ブデイリーもまた、民衆レベルでの議論は様々な出来事によって変動するものだ、と考えている。「人々の見解は、ニュースで何を聞いたかによって、あるいは占領ゆえの様々な問題によって、変わるものです。人々は、そうした攻撃が、さらに今後20年もの間、私たちの社会にどんな影響を与えるのかということを、考慮したりはしないのです。」

第二次インティファーダと最近のイスラエルの報復、「防御の盾」作戦および「決意を固めた道」作戦は、パレスチナ人たちをジレンマに追い込んだ。実現可能な未来へと向けて人々を導いてくれるような責任ある支援の手などないのだ、という強い印象が存在する。そうした印象から生まれてくるのは、敵に復讐を行おうとする力だけだ。しかし、そのような復讐は、復讐者の側の破壊をもたらすと同時に、復讐者の評判をおとしめてしまう。これは悪循環であり、血にまみれている。

自爆を公に批判するパレスチナ人たちは、反対意見に遭遇している。私は問いかけた――今こそ民衆レベルでの議論のための絶好の機会なのではないか、と。諸外国からの要求を満たすためにではなく、パレスチナ人たちが現在の状況に立ち至ってしまった理由を理解するためには?

「原則的には、その通り」と、左翼活動家のハーニー・イッサーウィーは言う。「しかし、問題はあまりにも入り組んでいます。ハマースやジハードなどの組織は、彼らにとっての『金の卵を産む鵞鳥』を手放すことになるのではないかと恐れています。これなしには自らの大衆受けする魅力を失ってしまうのではないか、というのが彼らの考えていることだからです。他方で声明に賛同した人々は、大衆的な影響力や信頼の念を勝ち得てはいません。人々は、これらの賛同者たちが個人的な利益のために 動いているのではないかと、疑っているのです。」

ムーダル・カシースは、すでに好機が取り逃がされてしまったと考えている。改革のための話し合いは表面的なものに過ぎない、と彼は語る。「私たち自身が自問しなければならない諸問題について深く考察するということが、ないのです。つまり、私たちと暴力との関係は、どのようなものなのか? この地に育ってきた死への崇拝と私たちとの関係は、どのようなものなのか? ハマースと左翼の共闘という目的のためにのみ、こうした問いを避け続けることは、もう止めなければならない時が来てい るのです。」

今や「防御の盾」作戦は、パレスチナ〔暫定自治〕当局を事実上破壊してしまった。イスラエル、ヨーロッパ、そしてアメリカは、オスロ〔和平プロセス〕の指導力を少しだけモデル・チェンジして、パレスチナ人たちに再び押し付けようと目論んでいる。しかしながら、これは、パレスチナ人たちがオスロ一派を受け入れなければならない、ということを意味するものではない。オスロ一派の失敗はあまりにも大きく、それゆえ彼らはアラファートと共にであれ、あるいはアラファートなしでであっても、とにかく〔オスロ合意の枠組みに沿って〕前進せざるを得ないのだ。しかし、西洋の国々の指図を拒否することは、一つの暗黒のイデオロギー――そこでは成功の程度は、死体の数で測られる――の受け入れを必然的に意味するものでも、ない。一方の側には汚職と降伏があり、他方には原理主義者の愚行があるが、そのどちらでもなく、しかも普通の人々、普通の労働者たちの利益を第一の目標に据えた第三の道があり得る。この第三の道が議論の中心に据えられない限りは、パレスチナ人たちは諸外国からの指図とイスラームの絵に描いた餅との間でよろめき続けるだろう。

自爆に反対する声明などの主張が――単にパレスチナ人のエリートたちにのみ限定されるのではなく――重要なインパクトを持つためには、それらが《オスロの支配様式から遠く離れ》、またオスロの《改革》の一部に止まるのでもなく、深い洞察力と共に、民衆に基盤を持った変化の一部分でなければならない。結局のところ、パレスチナ人の若者たちを宗教的な急進主義者たちの武器になるようにと駆り立てている、この政治的真空の責任は一体誰にあるのだろうか? この真空状態を作り出したのはハマースではなく、むしろオスロ一派だ。ハマースは単に、結果として生じた絶望を変形させたのだ。

別のレベルではパレスチナ〔暫定自治〕当局にも、民衆が進むべき方向と希望を見失ってしまったことに対する責任が、イスラエルの軍事占領と同様に、ある。だからこそ、パレスチナ〔暫定自治〕当局に対する批判は《占領の集結》まで控えるべきだ、というのは間違っている。パレスチナ〔暫定自治〕当局は占領と相伴っているのであり、両者は共に終わらなければならない。よって私たちは、一つの立場を以下のように定式化する。

批判は、単にハマースに対して、また自爆に対してで止まってはならない。パレスチナ〔暫定自治〕当局もまた批判されなければならない。そのとき初めて、イスラエルの軍事占領に対する闘いは、その力が発揮されるのである。

【原注】アブー・アリー・ムスタファーは、2001年8月27日にイスラエルが暗殺するまで、被占領パレスチナでPFLPの代表だった。アハマッド・サアダートが彼の後任となり、PFLPはイスラエルの大臣レハヴァム・ゼエヴィを暗殺するという報復を行った。サアダートは、ヤーセル・アラファートが自らの大統領府からの解放のために、イスラエルの〔情報機関〕シン・ベトの長官との間で署名した合意の結果として、今はジェリコの〔パレスチナ暫定自治当局の〕獄中にある。

(岡田剛士さん訳)

 

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