Challenge No. 74 (2002年7-8月号)
「兵役拒否は権利ではありません。義務なのです」

ロテム・アブガル


 

ロテム・アブガルはギブ・アタイムの11年生。「良心的兵役拒否者支援フォーラム」のメンバーだ。6月6日、映画大学院「カメラ・オブスクラ」で開かれた拒否者支援集会で、ロテムは次のように語った。

ずっと前から軍務にたいする疑問をいだいていました。考えれば考えるほど、これまで踏みしめてきた地面が砂のように崩れていくのを感じたのです。やがて、自分は軍務には服さないと確信するようになりました。

イスラエルは、教育システムの失敗のせいで兵役拒否者が出てきたのだと考えています。わたしたちが喜んで軍服を着ようとはしないことに、社会は大きなショックを受けています。わたしたちにとって、人生最高の一日とは入隊の当日ではないし、ベレー帽をかぶせてもらった瞬間でもありません。

わたしも大きなショックを受けています。はつらつとした若者たちは、「防衛」戦争の実体を見抜くことができません。「防衛」戦争の実体は、殺戮兵器と抑圧と破壊です。多くの若者たちが古い考え方にしばられています。理想に燃える年齢なのに、良心の声に耳を傾けようとはしないのです。

わたしの周囲にいる人々は、パレスチナ人の命がそれほど大切だとは思っていません。パレスチナの文化は遅れていると思っています。今ではパレスチナ人を「テロリスト」の名で呼んでいます。オスロ会議のころ、パレスチナ人は使用人並みだと思われていました。下層階級に属する人々だと思われていました。自爆テロが続き、イスラエル人はそれまでの甘い夢から覚めて、茫然自失しました。どうして自分たちがこのような目にあうのか、わからなかったのです。「やつらをやっつけろ!」という声があがりました。イスラエル人は若いころに着た軍服を着こみました。髪が薄くなり、腹の出てきた人々が軍務に復帰していきました。「やつらを追っ払い」、必要とあれば、「祖国に命をささげる」ためです。

わたしたち兵役拒否者は、こういった人々にショックを与えました。彼らは舌打ちし、首を横にふり、ため息をもらします。次の飛行機で国外に出てはどうかとおだやかに勧める人もいます。海に飛びこんではどうか、何なら後ろから押してあげようと言う人もいます。「わたしの息子/娘は、あなたがたを守るために軍務につくのですよ」と、ひとりよがりなことを言う人もいます。

わたしが「良心委員会」に行くときになっても、父母はいい顔をしてくれないと思います。顔を見合わせて、「こんなことになったのは、誰の責任だ」と言うのではないでしょうか。

わたしたちの闘いは、拒否運動の外部的な展開とともにあるのではありません。拒否運動は内部に向けた闘いです。イスラエルでは、これはとても大切な点です。この国では軍隊とは単なる組織ではなくて、生活そのものだからです。

わたしのことを裏切り者だという人もいます。しかし、わたしが本当の裏切り者になるのは、軍隊に入って、訓練の最終日に国旗の前で忠誠を誓った時です。そんなことをしたら、自分自身と自分の信念を裏切ることになります。この社会と身近な人々を裏切ることになります。

兵役拒否は権利ではありません。義務なのです。

(西尾ゆう子さん翻訳)

 

ニュース・トップに戻る