Challenge No.75(2002年9-10月号)
「新築の家を壊された――これで二度目」

サーミヤ・ナーセル著
西尾ゆう子さん訳


【背景】1948年以後、イスラエル内でのアラブ人口は7倍に増えたが、居住地は84パーセントも削られた。アラブ人口は、今後の20年間で倍増するだろう。居住地が減ったため、住民はぎゅうぎゅづめの状態で劣悪な暮らしを強いられている。シオニストの政策は、アラブ人がユダヤ人の町に移住することを禁止している。このため、アラブ人は自分たちの村の中だけで住宅問題を解決しなくてはならない。どうあっても建築許可を手にいれなくてはならないのだが、イスラエル政府がこれを与えることはめったにない。当局はガリラヤだけで住宅12,000戸の取り壊しを命じている。(『チャレンジ』57号「イスラエルのアラブ人:危機的な住宅問題」よりhttp://www.hanitzotz.com/challenge/57/Arab_housing.htm)


マジダ・ル=クルーム村に暮らすアリー・サラーメの家が最初に壊されたのは、6月の初めだった。

人口9,500人のマジダ・ル=クルームは上ガリラヤと下ガリラヤの間に位置している。北部は傾斜地となって山につらなっているため、土地の開拓はむずかしい。家屋の不足は20年前から深刻な状況にあったが、当時イスラエル政府は、隣接地に若年夫婦むけの集合住宅を建設すると明言していた。この約束はいまだに実行されていない。

マジダ・ル=クルーム村の南境には、サファドとアッカを結ぶ街道が東西に通っていた。だが、村民の住宅地が必要になったため、村の農地を通っていた街道の向かい側に新しい土地を確保した。3年前のことだ。この土地はデイル・アル=マシルよばれている。アリー・サラーメはここに家を建てた。

デイル・アル=マシルには20戸の住宅がある。そのうち4戸の家主は許可証を持っている。いずれも1965年以前に与えられたものだ(1965年以降、許可証は発行されていない)。12戸は取り壊し通達を受け取っている。その中にはアリー・サラーメの家もはいっている。

サラーメが家族といっしょに新居への引越しを計画していた数日前、ブルドーザーがやって来た。ブルドーザーが到着したのは真夜中だった。警察と国境警備隊の一団までいた。彼らは石一つ残さずに家を破壊した。だが、村人は抵抗した。翌日までに新しい家を建て始め、二週間後には入居ができるほどになった。またしてもブルドーザーがやって来て家を押しつぶした。

アリーには妻と3人の子どもがいる。彼はサミーフ・サラーメの長男だ。アリーとその家族は今も両親の家で暮らしている。結婚した兄やその家族も一緒だ。そのほか、未婚の兄弟と未婚の姉妹がそれぞれ二人いる。サミーフ・サラーメは23年間、近くの石切り場で働き、子どもたちのために家を建てた。その家はアリーと兄の二家族が住むように設計されていたから、親世帯の住居には空き部屋ができて、未婚の兄弟が新しい家族を迎えられるはずだった。だが、イスラエル内務省の組織である地方計画局の指示でブルドーザーが出動し、二度にわたって彼らの望みを打ち砕いた。

2度目の破壊の後でアリー・サラーメにインタビューした。「最初の家を建てるのに3年かかった。もちろん、計画局に行って許可証を求めたさ。地図と設計図も提出した。担当者は、登録料金の5分の1を支払うように言った。これは変だと思った。Dil al-M’silの新築家屋はすべて許可証なしで建てられたんだ。当局が許可を出さないからね。このあたりを無人にして土地をカルミエール[記者注:発展中のユダヤ人都市]の管轄下に置くつもりかも知れない。あそこの建築物は域外にはみ出してきているからね。我々は許可料の3000シェケル(600米ドル相当)を支払った。それなのに、受け取ったのは家屋の取り壊し通達だったのさ」

家族は法廷に訴え、通達の取り下げを求めた。何事もないままに1年と半年が過ぎた。だが、今年の5月、デイル・アル=アシルにある12戸の家屋が取り壊し予定家屋のリストに載った。6月3日の午前3時にブルドーザーがやって来てアリーの家をぶち壊した。アリーによると、「モスクからの呼びかけで村のみんなが目を覚ました」。そして「壊されている家に駆けつけてマジダ・ル=クルームを守り、自分の土地に家を建てて暮らす権利を守れと呼びかけていた」

「自分たちはその家まで走っていった。照明がすごく明るくて昼間みたいだった。驚いたことにそこにはイスラエル軍がいたんだ。それもシリアかイラクを征服できそうなほどの大軍だった」  アリーの母親イブティハーッジ・サミーハは、「家が壊されて一日のうちに新しい家の基礎ができた。村人のおかげよ」と語った。「村の人たちが自発的に動いてくれた。みなが力をあわせ、金や資材や労働力を出し合った。私たちは家のそばにテントを張って抗議したんです。アリー一家が入居するまで、てこでも動かないと決めたのよ」

 

裁判所の強行姿勢

6月6日、新しい家が完成しようとしていた。アリーの出廷なしにアッカの調停裁判所(Court of Peace)は、再度家を取り壊すよう警察に指示した。10日後、アリーのもとに非公式の知らせが入り、その日の午前1時にブルドーザーがやって来ることがわかった。アリー・サラーメは「取り壊しを延期してもらうようにすぐさま裁判所に訴えた。だが、Tzemach判事の答えにはあきれてしまった。私たちが家を再建して彼の顔に泥を塗ったと言うんだ。だから、最初の取り壊し令を取り下げることは出来ないってね。その上、時間外に法廷を開かせたという理由で、20,000シェケル(4,000米ドル)を支払うように言ってきた」

(この時、Tzemach判事は別の重要な指示をくだしていた。判事は、内務省北部地域担当者Yigal Shacharの訴えを認め、デイル・アル=マシルへの入り口を示す標識をアッカ--サファド・ハイウェイから撤去する許可を与えた[マジダ・ル=クルーム南方向を示す道路標識を指す]。この決定は、マジダ・ル=クルーム周辺を無人地帯にして、この村を山地とハイウェイの間に押しこめてしまおうという政府の方針と合致している)。

法廷から帰宅したアリー一家は、家の再建について争ってもよい結果は得られないだろうというので、村人に抵抗を呼びかけるのをやめてもらうよう、イマーム(モスクで礼拝を指導する人)に頼んだ。警察との衝突を避けたかったからだ。アリーは、「多くの人が殺されたり、傷ついたりするのではないかと心配だった」と言った。その日の深夜1時、今までにない大部隊が村にやって来た。ウマや装甲輸送車に乗って巡回し、道を封鎖していく。彼らは外出中の村人を捕まえては殴りつけた。

二度目の取り壊しが行われる前日の朝、15人の村人が尋問に呼び出された。ジャマール・シャアバーン弁護士が15人を代表して尋問の様子を語った。尋問は数時間におよび、村人から寄付を募ってアリーが家を再建するようにそそのかしたとのではないかと詰問されたという。尋問を受けた村人の中には、村議会のメンバー、政治活動家、若者たちもいた。シャアバーン弁護士は「この尋問は、夜間の取り壊しに抗議する人間を脅すためのものだ」と言う。シャアバーン弁護士は、家を守ったり再建に力を貸すのはやめてほしいというアリー一家の申し出には同意していない。「あの家はアリー・サラーメのものだったが、村中が家の再建に関わるようになった今では、あの家はマジダ・ル=クルーム村のものだ。私たちはあの家を守らなくてはいけない。アリーの家族がノーと言うにしても事情は変わらない」

だが、アリー一家の意向が積極的な意見を抑える形になった。家は再度取り壊され、抵抗する者はいなかった。

 

政府の「申し出」

村人の怒りは、デイル・アル=マシル近辺に対する政府の姿勢を変化させた。2度目の取り壊しから2日後の6月19日、内務省は「マジダ・ル=クルームの住人に関する建築計画」と題した声明文を発表した。この声明文は、マジダ・ル=クルーム村には住居建設のための基本計画もしくは土地が適用されていないという苦情に対する返答だった。内務省は「マジダ・ル=クルーム村を対象とした新規の基本計画が実施されたばかりであり……、建築計画地方審議会(Regional Council for Planning and Building)の担当者であるYigal Sharcharのもとには、マジダ・ル=クルーム村の東方にあるILA(イスラエル土地管理局)の土地に、住宅地を建設するための地図が準備できている。来月、ILAはこの地域での住戸を売り出す予定である」(アル=イッティハード紙6月21日)。だが現時点では、約束の住戸はただの一つも販売されていない。

8月になると内務省は、本当の目的を明らかにした。デイル・アル=マシルの隣接地を接収するというものだ。この計画は、アッ=サバール(『チャレンジ』のアラビア語姉妹誌)が、アリー・サラーメの家が2度にわたって取り壊された件について内務省に質問したさいに明らかになった。アッ=サッバール誌は、マジダ・ル=クルームの村議会が出したクレームについても質問した。1999年8月に地方計画局が、デイル・アル=マシルを認知し、同地に地域全体のスポーツ・スタジアム、公園、アッカとサファドをつなぐ鉄道線路を通すことに同意しているというものだ。

内務省スポークスパーソンTova Elinsonから書状による回答があった。「われわれは、デイル・アル=マシル地区を含むマジダ・ル=クルーム村を対象とした基本計画には一切同意していない」。これによって、デイル・アル=マシルを排除しようという内務省の意図が、初めて公表されることになった。

村議会に籍をおくエンジニアムハンマド・シャアバーンが、これを確認した。彼はアッ=サッバール誌に対し、内務省が非公開セッションで「マジダ・ル=クルーム2020」と銘打った基本計画を承認したと述べた。この計画にはデイル・アル=マシルは含まれておらず、マジダ・ル=クルーム村が東はベアナ村、西はオリーブの林がある地域まで拡がっていくことを示唆している。シャアバーンによると、内務省は建築区画の認可に条件をつけてきたという。最初に村議会が、デイル・アル=マシルの土地に対する要求を取り下げなくてはならないというものだ。つまり政府は、家屋不足を交渉の道具に使っている。シャアバーンによると、「村議会はデイル・アル=マシルがマジダ・ルアークルーム村の管轄地に含められるように要求している」。

Elinsonは、内務省が建築区画認可に前提条件をつけたということを否定している。だが、現時点では建築認可のおりた区画は一つもない。

内務省とイスラエル土地管理局の方針は明らかだ。マジダ・ル=クルーム村に対して20年前の約束どおりに若い夫婦が暮らすための土地を認可し、基本計画を推進する代わりに、デイル・アル=マシルからカルミエールに至る土地を断念させる。村人がこの交換条件を受け入れないかぎり、マジダ・ル=クルーム村で基本計画が実施されることはなく、10以上の家が取り壊されることになる。

 

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