Challenge No.78(2003年3-4月号)
IDF(イスラエル国防軍)の兵役拒否運動つぶし

ミハル・フリードマン著・西尾ゆう子さん訳


 

2002年のイスラエルでは、良心的兵役拒否見込み者(兵役を拒否する意思を明言した人)の数が1080名に達した。召集を受けた人々のうち、200名以上が軍事刑務所に収容された。

予備役兵の中で拒否運動がうまれたのは、1982年のレバノン戦争の時だった。第一次インティファーダ(1987〜92年)、第二次インティファーダでもこの運動が高まった。2002年になると拒否運動は、徴収兵からはじまって正規軍兵士の間にも広がっていった。左派を自認する18歳以上のイスラエル人すべてにとって、兵役拒否が大きな問題となったわけだ。

年齢を別にすると、拒否者は二グループに大別できる。境界線のこちら側では喜んで軍務に服するが、西岸地区とガザ地区での軍務は拒否するというのが一つ。もう一つは、軍務一切を拒否するグループだ。このような「完全拒否」はごくまれなのだが、このところ、目につくようになってきた。最初は徴収された新兵の間で動きがおこり、すでに軍務に服している人々の間にも広まっていった。一例を挙げると、20歳のShachar Ben Harはすでに軍務に服していたが、政治的理由から兵役を拒否する決心をした。彼はすでに二度にわたる禁固を経験している。情報部隊には、占領地域での国防軍の行為に嫌悪を感じている人が多い。1月末には情報部に属する一将校(名前は未公表)が、空軍のヘリコプターに対する攻撃目標の情報提示を拒否した。彼は、この攻撃は市民を殺傷する危険があったと述べている。当の将校はポストを解任されたが所属部隊が彼を支持したため、この一件が明るみに出た(Ha’aretz紙 1月28日)。

若者たちの間では、2001年8月に新しい動きがあり、60名の12年生がアリエル・シャロン首相あてに兵役拒否の意思を宣言する手紙を出した(最終的に署名者の数は245名になった)。この手紙は、共同で新しい考えを実行しようとする若者が育ってきたことを示している。彼らの多くは占領政策に反対するだけではなく、シオニズムの根本思想に深い疑いの念をいだくようになった。オスロ合意が崩壊し、イスラエルはパレスチナを再占領してしまった。このような状況下での若者たちの反対運動は、左派にとっての願ってもない援軍になると思われた。

最初の署名者たちが軍務を拒否して禁固刑に処せられると、拒否運動は盛り上がりを見せた。最初に禁固刑になった三人の刑期は短く、「不適格者*」という形で兵役を免除された。拒否者が増えるにしたがって一定のパターンが生まれてはきたが、問題となったのは個人ごとの事情だった。最初の拒否者らは、自分たちが新運動の先鋒を務めているとは思っていなかった。

だが軍部は、このような状況におそれをいだくようになった。この運動が中流上層部の若者たちの間にも広まっていったからだ。拒否者の弁護士を務めているMicha’el Sefaradは、社会的な影響についてこう述べている。「徴集兵全体から比べると数の上ではわずかだが、軍部はひどく気をもんでいて、天の底が抜けて空が落ちてくるんじゃないかくらいに受け止めている……これらの若い兵士たちの両親は、上級将校と同じ社会階層に属しているからだ。こういった若者たちは聖職者ではなくて一般家庭の出身だし、家柄も立派、教育も受けている。つまり彼らは、国防軍上層部と同じ階級の出身で将来の国防軍指導部をになうべき人々なのだ。軍事指導者らは、自分たちと同じバックグラウンドからこの動きが出てきたことを警戒している」(Ha’aretz紙3月5日より引用)

このような警戒心は軍隊の態度を硬化させた。最初は規律審問という形で対処し、軍の士官が兵士に最長35日間の営倉入りを命じる。そしてこの方法を次々と延長していく。拒否者が最初の規定日数を終えると同じ命令を出し、二度、三度と拒否者の自由を奪っていく。軍部は締めつけをゆるめていない。ここ半年、拒否者全員に対してこの方策を適用してきた。Yonatan Ben Artzi、Dror Baeumel、Uri Yakobi、Yoni Yehezkel、Haggai Matarらは全員、今までに100日を越える刑期を務めている。

大勢にしたがわないというのは、高貴で勇気ある精神だ。自分たちは永遠の被害者だと思っている国民がいて、ホロコーストという免罪符をかかげる軍隊を持つ国にあっては、特にそうだ。拒否者らはこれまで、個人的に抗議するという道を選んできた。各自がそれぞれの宣告を受け、各自がそれぞれに最善をつくしてきた。各自が自分の権利を主張して軍隊に釈放を迫ってきた。制服を着ることを拒む者もいれば、決まりとなっている丸刈りを拒む者もいた。軍は彼らを、問題をおこした兵士用の特別営倉におしこんだ。無期限のハンガーストライキをする者もいた。ハンガーストライキという行為の性格上、これを決行するには外部の支援グループや他の入獄者らの手助けが必要だ。だが、そのような手助けはなく、ハンガーストライキは実を結ばなかった。

世間の目には、このような行為はまるでドンキホーテのように映った。若者らの両親も個人主義的な態度をとった。両親の多くは左派に属する人々だが、彼らは子どもたちの釈放を第一の目的とし、この運動が持つ政治的な可能性に注目したわけではなかった。

このような理由のため、拒否運動はここ数ヶ月のうちに揺らいできた。今後の見通しもなく、強力な集団に属しているわけでもなく、達成できそうもない目的のために半年も獄中で暮らすことになる。拒否者の中には、心理的におちこんでしまう者も出た。拒否者が心理問題担当係官のもとに出向いたとしたら、問題があるのは軍隊ではなくて拒否者本人だと受け取られるだろう。

軍部は拒否運動にひびが生じたのを見てとり、ここ数週間来、攻勢を強めている。軍部は、何度も拒否を繰り返す兵士を規律審問ではなくて、軍事法廷にかけるようになった。軍事法廷の場合は三年の刑期を宣告できる。軍部は、釈放、規律審問、軍事法廷の三つを使い分けて、拒否運動に亀裂を生じさせようとしている。

現在までのところ、四人の良心的兵役拒否者に対して新しい対応策が講じられ、各人が異なった処遇を受けている。Uri Yakobiは五度の刑期を終えた後、軍務不適格という理由で釈放された。Dror Baeumelは自宅にいて「良心委員会」での審問を待っている(ただし、現在までのところ、「良心委員会」での主張が認められたのは女性のみである)。徴兵検査場にいるYoni Ben ArtziとHaggai Matarは、自由は保障されているものの逮捕同然の身であり、軍事法廷にかけられることになっている。四人の中ではMatarだけが、自分は平和主義者ではないと述べている。彼は軍隊それ自体に反対しているわけではなく、占領に反対しているからだ。軍部は、この手の拒否は政治的なものであり、良心委員会にかける問題ではないと考えている。

良心的兵役拒否は有望な運動となり得るが、目下のところは大きな試練に直面している。イスラエル社会を変えようとするのなら、拒否者は団結して共通の目的を設定し、法廷や監獄でどう振舞うかを決めていかねばならない。単に軍務につきたくないから、という理由であれば、軍部はたやすく運動を壊滅させるだろう。

境界線の向こうに耳をすませば、四人の良心的兵役拒否者を支持する多数派の声が聞こえるだろう。彼らの味方は世界中にいる。世界的な反戦の気運は、地方にも浸透するだろう。拒否者らは、大きな声ではっきりと反戦をとなえるための機会を手にしている。目の前の現実に左右されず、一つの集団として手を結び、占領終結という中心課題に取り組むことが必要になるだろう。

 

*軍隊には「適格者判定委員会」がある。その他に「良心委員会」もあり、これの公式名称は「防衛軍の軍役免除問題に関する国防大臣諮問委員会」である。同委員会はイスラエルが批准した国際条約による要請事項を満たすために、良心の自由を保障する目的で設立された。われわれが関知しているかぎりでは現在までのところ、良心に従って兵役を免れたのは女性のみであり、しかも超正統主義に属する人々がその大多数を占めている。理論的には、平和主義者の場合は男性であっても兵役を免れることができる。実際にも何人かがこの理由によって兵役を免れたが、軍部では、彼らは真の平和主義者ではないとしている。

 

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