Challenge No.78(2003年3-4月号)
ビデオ'48からの2作
「私の庭ではないところで」がテレビに登場、そして「仕事を勝ち取る」を発表

明城和子さん訳


 

「私の庭ではないところで」がメディアの賛辞を浴びている。

「Not in My Garden 私の庭ではないところで」は、2003年1月6日、製作後2年以上たってイスラエルのテレビに初登場した。これはオルタナティヴ映像製作団体「ビデオ'48」によるドキュメンタリーで、ケーブル会社が科学・文化系の8チャンネルで放映した。誰もが関心をもたずにはいられない。賞賛の嵐を送ったテレビ評論家たちも、タイトルのせりふ「Not in My Garden 私の庭ではないところで」をはいたカルミエール市長のアディ・エルダーも。そして放送許可を出したケーブル・衛星メディア審議会と対立した情報省大臣ルビ・リヴリンも。

イディオット・アハロノート紙(イスラエルで最も読まれている日刊紙)のテレビ評論家、ラアナーン・シャケッドは番組の感想を以下のように語った。「1991年、カルミエール市はラーミアの村民に追放の通知を出した。カルミエール市を拡張するから、村民自身と、子供たちと、家畜をつれて、すぐに村を出て行くように、と。たったそれだけだった。簡潔極まりない。謝罪もせず、騒ぎもせず、ただ静かに『アラブ人、そこをどけ』というわけだ。当時カルミエール市長でけちな植民地主義者だったアディ・エルダーは村の放牧地を幾ばくか手中に収めることに成功した。そして家畜の群れが当の市街地に侵入し、『公の土地の景観に多大な損害を与えている』と文句をつけたのだ。何ということか! このフィルムは双方の立場を代弁しているわけではないのは確かだ。そんなことに文句をつけるわけにはいかない。たとえそうだとしても、イスラエル側の主張は薄っぺらで中身がないのだ。」(イディオット・アハロノート紙、1月7日)

ハーレツ紙のルタ・クッファーは1月6日の試写会を観て語った。「私の庭ではないところで」でもっとも印象に残るのは、ユダヤ人とベドウィンの女性が2人でぶどうの葉を詰めているシーンだろう。扇動的なシーンだ。ユダヤ人女性は威圧的で粗野。ベドウィン女性は繊細で明朗。まったくパロディのような場面だが、これはみじんも脚色などではなく、純然たる事実なのだ。恥ずかしくて穴に入りたくなる・・・番組はアブラモビッチ(ユダヤ人女性)がベドウィンのロバに嫌悪感をあらわにするところでクライマックスを迎える。「全く、行くところどこへでも糞をしていくんだから。」しかし2人がしゃべっている間、彼女の犬は当然のように、準備中の食事のすぐ近く、後ろのソファーに座っているのだ。アフラム(アラブ人女性)が何か母語で言うと、犬の飼い主はこう言って彼女にかみつく。「アフラム、ヘブライ語を話しなさいったら!あんたのことだから、私に呪いをかけているのかもしれないじゃないか」

ヘブライ語のサイト「ナアナア」では、ヨアンナ・ゴーネンが試写会を観て、1月6日にこう評している。「ビデオ'48は、イスラエルの現実を破壊的な映画で変えようとしている芸術家の集まりだ。彼らのすることは政治的だ。彼らも喜んでそれを認めるだろう。その名前が示しているとおり、彼らはイスラエルのパレスチナ人、すなわちグリーン・ライン内に住むパレスチナ人が抱えている問題を扱っている。そして、この団体は寄付金で運営されている。国からの分配金を拒否しているのだ。何かを批判しようとする時、財政面で依存していることは直感力をそぐ。そして批判は、ビデオ'48の中核をなすモチーフだ。」

「特に、番組に登場するユダヤ人には驚いた。その振る舞いを見て、恥ずかしく感じずにいられるだろうか?カルミエールの中のラビン地区に住むユダヤ人居住者たちは、ラーミアの村人たちに屈辱的な言葉の数々や鈍りきった分別でもって威張りちらしている。これは権力意識がモラルの腐敗を助長した結果だ。今月のテレビ番組で、『私の庭ではないところで』はベストだ。他では決して聞けないことを、ここで知ることができる。自分たち自身をより理解することができる。沈黙と黙殺の壁を突き破ることができるのだ。」

8チャンネルで初めて番組が放映されると、エラン・ハダスはイディオット・アハロノート紙にこう書いた。「報道省では、カルミエールの町について8チャンネルで放映することをめぐって、議論の嵐が巻き起こった。ここ数日間の流れでは、報道省大臣のルビ・リヴリンが、ケーブル・衛星メディア審議会と対立している。大臣は審議会に、なぜカルミエール市長のアディ・エルダーが『私の庭ではないところで』に対して反論をする機会を与えられなかったのか、調査することを求めている。報道省は、番組製作の背後いるビデオ'48はラディカルな左派組織として知られていると非難している。審議会のメンバーはこれを『報道省による、放映内容に対する著明で露骨な干渉』としている。」(イディオット・アハロノート紙、1月12日)

8チャンネルでは、「私の庭ではないところで」が予定された通り放映されている。

ビデオ'48の2本目の本格ドキュメンタリー「仕事を勝ち取る」

1995年以来、3万5千人のイスラエル・アラブ人の建設労働者が職を失った。二度にわたる出来事の犠牲になってしまったのだ。最初のものは政治的な出来事だった。1992年以降、ラビン政権は占領地を封鎖してしまった。西岸やガザの労働者は、職場へ行きようがなくなった。その結果は、彼らにとっても彼らの家族にとっても破滅的なものだった。イスラエルでは、最初は建設労働者が枯渇した。そして2番目の流れが始まった。政府が建築業者に、外国人労働者を使う許可を出したのだ。

最初のうち、外国人労働者は締め出されたパレスチナ人にとって代わったに過ぎなかった。だが、食べれば食べるほど食欲は増していく。外国人はイスラエルで働く特権を得るために、前もって何千ドルもの袖の下を払う。また、こうした外国人労働者は安価で、組織化されておらず、搾取しやすい労働力だった。建設労働者の大多数を占めていたイスラエル・アラブ人は、対抗することができなかった。建築業者は彼らを放り捨て、ルーマニア、ポーランド、中国といった国々からさらに人を入れていった。

数年もすると、地元の労働者は外国人労働者に完全に取って代わられてしまった。今日の混迷する労働市場のただ中で、建設業界を動かす要因をビデオ'48が明らかにしていく。カメラは労働省長官を、建設業者組織の代表を、雇用サービス幹事を、建設現場の監督たちを、そして何より職のない労働者たちを追う。

もう1つのテーマは労働者相談センター(Workers Advice Center = WAC−アラビア語ではMa'an)。カメラはWACの「仕事を勝ち取る」というキャンペーンの最初の段階を追う。番組撮影時点で、WACはあらゆる障害を乗り越えて400人のアラブ人建設労働者を復職させた。現在ではその数は550人に膨らみ、何百人もが組織化されて自分たちの順番を待っている。

 

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