Challenge No.80(2003年7-8月号)
職業紹介所の恐怖を乗り越える

アスマ・アグバリーエ、ミシェル・フリードマン著
明城和子訳


 

第1部(2003年7月8日執筆)

2003年5月に、私たちは2度、西エルサレムのコレシュ通りにあるパレスチナ人専用職業紹介所を訪ねた。状況は実にひどいものだった。

空調のきいた待合室は空だった。職を求めてきた数百人の中には老人や病人もいたにもかかわらず、利用者は日をさえぎるものもないところで長時間立ち続けることを強制されていた。トイレや水飲み場を使うこともできない。一方で、他の職業紹介所では、来た人たちは中で座って待ち、トイレなどの設備を使うことができ、待ち時間も何時間といったものではなく、分単位で測れる程度に短い。

コレシュの紹介所の状況は、順番が来た人を呼ぶために控えている2人の警備員によってさらにひどいものになっている。彼らはあらゆる機会に挑発行為を加える。まず、人々を一列に並ばせ、「秩序を保つために」、ラインを越えることを禁止する。こうした上で、彼らは怒鳴り、脅す。規律を乱したものは誰であれ、列の最後に並ばせられる。これは、待ち時間が数時間延びることを意味する。また、順番が来たときも名前を低い声で呼ぶ 。呼び出しを聞き逃した人は、いないものとして扱われる。つまり、列の最後に送られる。

2度目の訪問のとき、太陽の照る中何時間も立ちどうしだった人が2人、入口近くの木を囲む柵に寄りかかっていた。すると、寄りかかるのをやめるよう、警備員が怒鳴りだした。直射日光の中で何時間も待ちつづけることの苦痛を一人が訴えると、警備員は何時間も日光の中で立ち続けることこそが、国から資金をもらうために必要な、彼の仕事なのだと答えた。「こっちだって日なたに立っているんだ、こっちが文句を言わないんだから、おまえも文句を言わずにまっすぐ立っていろ。でないと紹介所に入れないぞ」紹介所に入るチャンスを逃がすことを恐れ、2人はそれ以上何も言わずに従った。

こういった侮辱行為は、2000年10月のインティファーダ開始以来続いており、3000人ものパレスチナ人に加えられている。インティファーダ開始当時、東エルサレムの職業紹介所が放火された。集団的懲罰として、政府は紹介所を閉鎖したままにし、何ヶ月もの間職を求める何百人ものパレスチナ人は雇用サービスを利用できなかった。

WACが政府の雇用サービス部に、東エルサレムの失業者への対応を再開するように圧力をかけた後、西エルサレムにアラブ人専用のコレシュ紹介所が作られた。これまで見てきたように、ここは侮辱を加え、恥をかかせ、罰を与えるための紹介所として機能している。

紹介所に来る人のほとんどは、彼らが紹介所に来るのをあきらめさせること、そして彼らがそこから受けるサービスを否定し、経費を削減することがこの侮辱の目的なのだと感じている。

第2部(2003年7月29日執筆)

7月4日、WACは東エルサレムのメンバーに関して緊急会議を開き、2つの要求を出すことを決めた。

  1. 東エルサレムの職業紹介所を再開させること
  2. 紹介所が通常どおりのサービス下に運営されること

緊急の対応策として、7月11日にコレシュ紹介所で抗議のために監視を行うことを決めた。紹介所の状況を監視する委員会も設立された。

予定日が近づいてきたとき、私たちはイスラエルのメディアに監視のことを知らせた。これで雇用サービス部にも、監視のことが伝わることになる。その日、私たちがエルサレムに向かって車を走らせていると、監視委員会の一人から電話が入った。「外で待っている人は誰もいないよ。紹介所は、メディアが誰の写真も取れないように、来た人にすばやく対応しているよ」ついに現場に到着したとき、驚くべき光景が広がっていた。2ヶ月の間、まったく同じ時間に、何百人もの人が日が強かろうと雨が降ろうとぎゅうぎゅう詰めにされていたれていた場所に、誰もいなかった。中に入っても、かつて見られた侮辱的な対応はまったく見られなかった。1チャンネルからのジャーナリストが到着すると、彼女もすっかり驚き、こうすることがなぜ可能になったのか、職員に尋ねていた。この一件は、紹介所がその気になりさえすれば、本来のサービスを提供できることの決定的な証拠になった。これまでの対応の遅れは、利用者が多すぎて職員が少なすぎるためではなく、明らかに侮辱を加えるためだったわけである。

監視とメディアを効果的に使った今回の行動で、職を求める人々は組織行動の力に気づいた。集会が終わると、委員会のメンバー全員がWACの事務所に集まってこれからどう対応していくかについて話し合った。ナフラ・ゴーシェはその一人だった。彼女は言う。「私たちは、初めて紹介所に対する利用者の恐怖を覆すことに成功した。初めて、私たちに屈辱を味わわせてきた警備員の前に、まっすぐ立つことができた。彼らは、私たちを対等な立場で扱わざるをえなかった。彼らの前に立つ人々は、過去2ヶ月間彼らが侮辱してきた人々から突然ちがうものになったようだった」

圧力をかけることは成功した。7月11日以降、紹介所はまずまずのペースで機能していると報告されている。組織化された数十人の行動の成果が、何千人にも及ぶことになった。しかし、圧力が弱まればこの成果は維持できない。監視委員会は次の目標を目指し、定期的な集まりを続けている。すなわち、東エルサレムの職業紹介所の再開を。

 

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