Challenge No.81(2003年9-10月号)
民族を抑圧する壁

ハダス・ラハーヴ著


 

イスラエルはつい先ごろ、「分離フェンス」と呼んでいるものの第一区間の完成を発表した。サーレム[グリーンラインの北西部に接しイスラエル側に位置するパレスチナ人の村]から南へ、カルキリヤ近くのユダヤ人入植地エルカナに達するまで。その壁のルートは国際社会でも議論になった。アメリカ国務省でも国連でも、外交関係者らはヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の生活に対する破壊的な影響について議論を行なった。

だが、この防御壁というのは本気で分離を意図しているものでもなければ、ましてや国境などでもない。イスラエル国防軍IDFが、その壁の《両側を》支配するのだから。この壁の曖昧な性格が、すでにイスラエルの政治勢力のあいだで、ある方向転換を生み出している。2003年の選挙キャンペーンの期間中に労働党の主たる切り札だったものは、すでにアリエル・シャロンに取り入れられてしまった。彼は国民的合意の中で自分の立場を守るためにそうしたのだ。

この「フェンス」ないし「壁」は、現場においては、それぞれ異なる場所で異なる防御設備によって構成されている。電流フェンス、カメラ網とセンサー網、足跡を取るための砂地、溝にはめられた有刺鉄線、そして8メートルにも達するコンクリートの壁。その経路の第一区間が占めるのは14,680ドナム(4ドナム=1エーカー)で、51の村から没収されたものだ。すでに10万本の樹が引き抜かれたが、その大半がオリーブだ。そしてその多くが、イスラエルの公園や庭園を新たに飾るのに使われる。(「オリーブを喰うフェンス」『チャレンジ77号』参照。)

しかし、土地の損失は、壁の《経路》の部分には限らない。というのも、壁はグリーンライン(49年と67年の休戦ライン)から外れて、その第一区間では約6キロも西岸地区に切り込み、パレスチナ人農家はすでに10万ドナム以上の土地と50もの井戸へのアクセスを妨げられている。ジェニンとトゥルカレムとカルキリヤの包囲網とグリーンラインのあいだに封じ込められた土地には、12,000人のパレスチナ人がいる。(PENGON, The Wall in Palestineによる)

壁の《東側》でしかしグリーンラインに近い場所では、そこから壁で切り離された西岸地区の残りの地域とのあいだの相互の往来を、イスラエルはコントロールしようとしている。だからこそイスラエルは、トゥルカレムとカルキリヤ(それぞれ人口4万人超)と他の数十もの村を、あらゆる方面から囲い込もうとしているのだ。

これから見ていくように、イスラエルの目的は、たんに西岸へのコントロールを強化することでもなければ、彼らにとって好ましくない人びとの西への(イスラエル側への)移動をたんに妨げることでもない。農業地域と水源をイスラエルに併合することが目的なのだ。「壁の経路は一貫して、より多くの土地とより少ない人びと、というロジックに従っている。」(PENGON, The Wall, 58ページ)そこには、入植地のイスラエルへの併合とそのさらなる拡大という観点もともなっている。

 

8月9日に、私は西岸地区の北西部に位置するバカー・アッシャルキーヤ村を訪れた。そこではイスラエルがグリーンラインから東へ3キロの場所に障壁を設置し、村(すべての家屋と多くの農地、4200ドナム)を西岸地区から切り離している。これ以降、3500人の住民全員が村の敷地から離れるのに軍の許可を得なければならなくなる。イスラエルはすでに、村の東側(西岸本体)とのあいだで出入りする人びとを規制するために電流の通った鉄製の門を二つ設置している。

バカー・アッシャルキーヤの前村長であり、今は家具商人をしているジャマール・マジュダッラー氏が、憂うつな苦笑いを浮かべて説明してくれた。「一年前にこの村は、壁建設について通告を受けた。イスラエル軍が農家らを説明会に呼びだして、壁の経路を伝えた。もちろん人びとはショックを受けた。誰も、村議会議員でさえも、何が起ころうとしていたのかを把握することができなかった。まさに今日この日までも、われわれは自分たちの置かれている状況がどうなるのかを知らないのだ。われわれは、パレスチナ自治政府の管轄下にもはや入っていないが、しかしイスラエル市民にもなれない。天と地のあいだで宙づりに置かれているようなものだ。」

3200本のオリーブの樹が育つ250ドナムの土地が、バカー・アッシャルキーヤに壁をつくるために犠牲にされた。数十もの家族らがその東側に切り離された農地へのアクセスを失ってしまった。だが、その農業の損害だけでなく、経済的な損害がそれ以上に深刻だ。マジュダッラー氏がさらに説明をしてくれた。「(第二次)インティファーダ以前には、バカー・アッシャルキーヤは、西岸のシンガポールとして考えられていた。1967年以降、この村は北部地域全体の商業と産業の中心となってきたのだ。グリーンラインに近接していること、イスラエル市場へのアクセスのしやすさが、西岸とイスラエルの両方の投資家らを惹きつけていた。最盛期で、500もの商店・会社と、40の石切工場、18の大工工場、5つの繊維工場、2つのセメント・ブロック工場、1つのコンクリート工場があった。」

マジュダッラー氏が続ける。「2000年9月に始まったインティファーダは、この好景気に終止符を打った。そして、村の収入源も干上がらせてしまった。たかだか100程度の商店が困難ながらも維持できているだけで、ほとんどの工場は閉じてしまった。顧客については、9割がイスラエルから来ていたが、もう彼らは現れなくなってしまった。そしていまは壁がある。壁とグリーンラインのあいだに閉じこめられたことで、バカー・アッシャルキーヤは、不可避的に没落せざるを得ないだろう。」

現在の村長であるムアイヤッド・フセイン氏によると、教育にも影響が出ている。「バカー村には四つの学校がある。教師のうちの8割が村の外から来てる。彼らは壁のせいで、学校の時間に間に合うように来られない。来年度からは何とか地元の労働力で教員を間に合わせるしかないだろう。また保健面に関しても、この村はいかなるサービスも受けられない状態に置かれるだろう。壁のせいで住民は、この地区でただ一つしかないトルカレムの病院に行くことさえ阻まれているのだ。妊婦が出産に間に合うようにその病院にたどり着くこともできない。医師や救急車を呼ぶことさえも困難だ。昨日も一人が心臓発作になり救急車が呼ばれた。何とか着くことができたが、15分後に患者を運び出そうとしたときには、村の門が閉められてしまった。カギを持っているイスラエル兵は友人らとコーヒーを飲みに出かけてしまったというのだ。二時間にもわたって救急車はサイレンを鳴らし続けたにもかかわらず、誰も門を開けにはこなかった。」

フセインはもう村は無力だと言う。「予算もなければ、どこと協議することもできない。ただいくつかのプロジェクトに寄付があるだけだ。インティファーダ以降、IDFとの協調もない。彼らはただやってきて好き放題に何でもやっていく。不満を訴えることのできる場所は国連と赤三日月社だけだが、彼らはわれわれの苦情を先送りするだけだ。」

ユーセフ・ブアクナーは、バカー・アッシャルキーヤ村議会の土地鑑定官であり、また「壁建設を阻止する国民委員会」のメンバーでもある。彼の見解では、イスラエルは以前からずっと村の水井戸に目をつけていた。だからこそイスラエルは1967年以降現在にいたるまで、村に水道を敷くことを認めなかったのだ。「聞けばいつでも、『メコロット(イスラエル国営水道会社の名前であり、「泉/水源」という意味)から水を取れ』と言われてきた。」

バカー・アッシャルキーヤの井戸は、かつては2万ドナムの土地に水を供給していた。フェンスの東側に位置する近隣の村(カッフィーン、ゼイタ、アッティール)の井戸では必要な量を満たすことができない。イスラエルの作った新しい壁は、バカーからこれらの村への水供給パイプの壊滅をもたらし、損害は3万7千立方メートルにも達する。この水なしでは、現在の農業水準を維持することはできない。貧困と失業が深刻化していく。だが他方で、こうして遮断された水は無駄になるわけではない。イスラエルの海岸部平野に広がる、水を大量に吸収するバナナや綿花のプランテーションへと流れるのである。[下記「水の横領」参照]

 

バカー・アッシャルキーヤから人びとが西側(イスラエル方面)へと忍び込まないようにと、イスラエルはグリーンライン自体の上にもう一つの補助壁を作ろうとしている。これで、この村とその西に位置するもう一つの村ナズラット・イーサがゲットー化されることになる。バカー・ル・ガルビーヤ(イスラエル側に位置する大きなアラブ人の町)へ行くには、かつてはほんの数分しかかからなかった。今では、軍によるチェックポイントのために、数時間を要してしまう。

このもう一つの壁のための敷地を確保するために、IDFは今年の2月にナズラット・イーサの63の商店を破壊した。それらはこの地域の住民がみな何年も利用してきたものだ。多くの村が今日では見捨てられた難民キャンプの様相を呈してきている。

アサド家は、ナズラット・イーサ村の西端、グリーンラインに沿った七つの石造りの家に住んでいる。一族らはいまだに新しい補助壁がどこに作られるのかを知らない。自分たちが、バカー・アッシャルキーヤの側に残るのか、あるいはイスラエル側に併合されてしまうのか。8月初めに数人の(イスラエルの)測量士が来て、家屋に入り、質問をして写真を撮っていった。家族らは、自分らの運命について相談のできる人が誰もいない。座して待つのみである。

ハイファ近くのシンディアナ村出身の難民であるアッバース・ブアクナーは、ナズラット・イーサのナッツ店を営んでいるが、彼自身これがこの三年で三つめの店だ。一店めは軍のチェックポイントからわずか5メートルのところにあったが、奇妙な状況で火事となり全焼した。彼は店を再建したが、すぐさまイスラエル軍が取り壊した。測量士は、最後に彼が立て直した三店めのまさに真上に壁が作られるだろうと示唆した。アッバースは絶望してしまっている。彼はいま、残されたわずかな顧客相手におとなしく商売をしている。[下記「その後」参照]

この苦難と経済的な荒廃状況のために、国際的な批判が噴出している。騒がれてしまったために、壁はまだ、イスラエルにとってのもう一つの機能を満たすことができていない。それこそが第一の機能であるということが明らかになるだろう。壁は、パレスチナ側から譲歩を引き出す交渉条件、切り札になる。紛争を終わらせることでしか解決できない本質的な問題に焦点を当てるのではなく、その代わりに、国際社会は目下のところ、壁のルートがどこになるのか、ゲートの数がいくつになるのかという議論にはまり込んでしまっている。だが、パレスチナ人が置かれている包囲攻撃は、いずれにせよ、壁によってもたらされたものではない。壁はむしろ、根源にある悪の一つの徴候である。つまりは、占領と、経済的な締めつけと、パレスチナ側に政治的なオルタナティヴが欠如していることの。


水の横取り

壁の経路を決めている一つの要因が、イスラエルがパレスチナの水を強く欲していることだ。西岸地区の北西部は、帯水層の上に位置しており、ヨルダン川の西側(イスラエル側も含む)にとっての水源になっている。だからこそイスラエルは、1967年の占領の二日目にはすでに、パレスチナ人に対して許可なしに井戸を掘ることを禁止したのである(そして実際にだれ一人として許可を得ることのできた者はいなかった。93年のオスロ合意以後に、例外的にただ一つだけ掘られた)。イスラエル自らは、グリーンラインのイスラエル側つまり「下流」と、そして入植地で、より深い井戸を掘っている。この壁建設によって、イスラエルは長いこと望んでいた帯水層を落とし入れることができ、現在のところでも50もの井戸を、これまでそこから灌漑をしていた土地とそこから水を得ていたパレスチナ人から切り離した。水文学者アブデル・ラフマン・アッ・タミーニはこう書いている。「壁の経路を技術的に辿ってみれば、事実上それは地下水の境界線と一致する。少なくとも壁は、パレスチナ人が帯水層の上流部から取水することを不可能にし、イスラエル側が水の量も質もコントロールすることを確実にするだろう。」(PENGON, The Wall,163ページ)ほとんどの水を失って、罠に落とし入れられたパレスチナ人たちは、農耕を放棄せざるをえなくなり、土地を離れるだろう。「休閑地」、「空き地」は、将来の和平交渉の枠組みの中では、併合対象になりうるのだ。


補足情報「その後」

8月21日の朝の6時、25台のブルドーザーがイスラエル兵とともにナズラット・イーサに到着した。朝8時までには120もの商店と建物を取り壊した。アッバース・ブアクナの三つめのナッツ店も、アサド家の石造りの家三軒も含まれていた。境界線のイスラエル側、バカー・ル・ガルビーヤでも、彼らの仲間であり、イスラエル国籍を持つイヤード・マアルーフ・アルーシュの家が破壊された。

この家屋破壊は、抗議デモを引き起こした。住民らと兵士らとのあいだで衝突が生じたが、兵士側はゴム弾と催涙ガスを使用した。

ズィアード・サーレムは、ナズラット・イーサ村議会の議長であるが、彼がチャレンジ紙に語ったところによると、この最近の軍事行動は、2月の破壊活動の上になされたものであり、村の経済生活に終止符を打ってしまった。電気と水道と電話線がひどい損壊を受けた。「2500人の人口を持つナズラット・イーサは、生活維持手段なしで放置されてしまったのだ。直接的な損害だけでも、1000万ドルにも達する。周囲の市場と作業場はかつては村の生命線だった。それらはイスラエル側での商業と農業と労働によって支えられていたのだ。労働者らはもう仕事を見つけることができない。市場が破壊され、農家らが作物を売る場所が奪われてしまった。ナズラット・イーサは今では呪いのもとで生きている。」

サーレムは、この村が没収命令を最近受け取ったと知らせてきた。その命令は、「ユダヤ・サマリア地区」(西岸地区のイスラエル側の呼称)イスラエル軍司令官によって署名がなされており、16ドナムの土地を没収し、その場所に軍事基地を建設するという軍の計画を通告するものだ。それは、新しい「分離フェンス」を維持管理するための設備の一部である。--筆者(ハダス・ラハーヴ)

(早尾貴紀訳)

 

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