Challenge No.83(2004年1-2月号)
袋小路の突き当たりの壁

ミハル・シュワルツ著


エルサレムに行く時、アル=アイザリーアやアブー・ディース、サワーヘレの十万人の住民たちはエルサレム-エリコ街道に接続するアル=アイザリーアの本街道を通れば、ものの数分で目的地に着くことができた−ごく最近までは。それは過去の出来事になってしまった。地図

今日、アル=アイザリーアの街道は、突然現れる2メートルの有刺鉄線つきの壁で行き止まりとなっている。かつて交通の大動脈であったところが、今ではセルビス(乗り合いタクシー)乗り場になっている。エルサレムに行く時には、ここで方向転換して東へ走り、マアレー・アドゥミーム入植地の検問所を通り、また方向転換して北西のアッ=ザイム検問所に向かい、さらにフレンチ・ヒルに向かい・・・そしてようやく東エルサレムにたどり着く。この長旅は1時間以上にも及ぶ。

しかし、パレスチナ人はこの方法をとってさえエルサレムへ1時間で着けるとは限らず、他の要素に左右される。まず、検問所:イスラエル兵がいつもパレスチナ人を通してくれるとは限らない。次に、エルサレムに入るには例外なく青い身分証明書(エルサレム住民)が必要となる。緑の身分証明書(ヨルダン川西岸地区住民)では入れない。この規則のため、東サワーヘレの住民の半分、そしてアブー・ディースに住む人のほとんどが、エルサレムに入れなくなる。これらの人々はめったに認められない特別な許可を得たときしか、エルサレムに入れない。

現在の2メートルの壁であれば、飛び越えることができる。この点、エルサレム住民は有利だ。パレスチナ人がエルサレムから西岸側に壁を飛び越えて兵隊につかまった時、青い身分証明書を持っていれば首がつながる。だが、身分証明書が緑なら、どちらからどちらへ飛び越えた場合でも、次の行き先は現在監獄に使われているアブー・ディースのクリフ・ホテルとなる。

どのみち、このような侵入方法は一時的にしか通用しない。イスラエルは、2メートルの壁を8メートルのものと置き換える予定でいる。さらに、3つの村を東からも封じ込める壁を作ろうと計画している。計画が実行されれば、村は南以外の全ての面から遮断される。それは、もともと3つの村が属しているエルサレム都市圏から切り離されるだけでなく、他の東の地域(ジェリコ、死海、ヨルダン)からも切り離されてしまうことになる。特別な許可があれば別だが、この許可がどのような場合に下りるのかはまだ不明だ。イスラエルが南の出口まで閉ざさなければ、外界とのつながりは、迂回して砂漠の縁を通る(同じく壁の向こうになってしまった)ベツレヘムに到る裏街道ただ1つとなる。現在、アッ=ザイムとマアレー・アドゥミームの検問所があるだけで、十万人の住民たちはもう施設に収容されたように感じている。

 

安全?

壁は、安全確保のためにあるかのように見える。壁は両わきの地帯を含めると50ヤード(訳註:約45メートル)の幅であり、有刺鉄線、車両防御用の溝、足跡を残しておくための泥道、通電柵(壁)、壁の反対側にアスファルト道路(訳註:イスラエル軍用車が警備に使用する)を挟んで両側に泥道、その外側の有刺鉄線から成る。市街地では、壁の高さは8メートルになる。

しかし壁は、安全確保を目的としているにしては非常に奇妙なルートをとっている。ユダヤ人とアラブ人を分けることも、アラブ人と入植地を分けることもしない。アラブ人とアラブ人を分けている。壁の内側には、エルサレム住民ではない西岸のパレスチナ人が6万人ほど住んでいる。一方、西岸のパレスチナ人でエルサレム住民の23万人中、壁の外に置かれる2万6千人は、イスラエルのどこへでも行く権利がある。その人たちの手で、いくつかの爆発事件がおきている。アラブ人のエルサレム住民が壁の内側にいる限り、壁がいったいどれほどの違いをもたらせるかは疑わしい。アラブ人側の苦しさを増やすことで、おそらく攻撃は増えるだろう。さらに、近郊の(入植地)ギロに向けて撃っていることを考えれば、パレスチナ人が壁越しに撃ってくることを泊めることはできない。

安全確保が目的でないのなら、いったい何が目的なのだろう?

市の境界をこえた部分をあちこちからはぎ取ることで、壁は1967年に始まった併合政策を継続している。その年の6月戦争(訳註:第3次中東戦争)まで、アラブ側のエルサレムは旧市街とその近郊を含む、せいぜい6千ドナム(1500エーカー)の広さの町だった。戦争の最後の日、クネセット(訳註:イスラエル国会)はもう6万4千ドナムを併合することに決めた。方針は以下の通り:できるだけ多くの土地、できるだけ少ないアラブ人。イスラエルはショファートの難民キャンプ、ジャバル・ムカービル、アル=アイザリーアの一部、アブー・ディースの一部、ベイト・ハニーナーの一部、その他いくつもの西岸の村の一部を併合した(ちなみにショファート難民キャンプは新しい壁の内側に含まれていない)。拡張された「エルサレム」は、ベツレヘムの縁からラーマッラーの縁に及ぶ。そして、拡大エルサレムは、ヨルダン川西岸地区を南北に分断してしまった。

1967年に併合されたかどうかにかかわらず、エルサレムはつねに周辺に住む村人たちの生活に欠かせない役割を担ってきた。商店街があり、病院・大学・政府機関があり、そしてもちろん聖地がある。物やサービスだけでなく、仕事の60%をも提供してきた。

壁はそれら全てを切り裂いてしまう。アラバッ・サワーヘレの一族の例で見てみよう。何人かは、エルサレムに併合され新しい壁の内側になるジャバル・ムカービルに住んでいる。しかし、その他の人々は、併合を受けず壁の外側になる東サワーヘレとシェイフ・サアドに住んでいる。壁がないころは一族の誰もが、妨害されることなく互いを訪ねることができた。結婚、友情、商売、人間の生活を作っている人間関係の全てがあった。婚姻の結果、一族の半分は青い身分証明書、もう半分は緑の証明書を持つことになる。そこに壁が作られ、青(の身分証を持っている人)と緑を片側に、別な青と緑をもう片側に分け、店と顧客、農家と農地、子供たちと学校、病人と病院、死人と墓地との間に立ちふさがっていく。

東サワーヘレ壁反対委員会メンバーのナセル・アビダト(緑の身分証明書)が、自分のおかれた状況を説明してくれた。「私の家族は全員ジャバル・ムカービルに住んでいて、壁が作られてから一度も会えていない。私には、身長も体重も私より多い20歳の息子がいる。あるとき、彼が東エルサレムにあるムカーセッド病院(訳註:オリーブ山の上)で緊急の医療処置が必要になった。私は病院に着くまで、彼を背負って何時間も獣道を歩かねばならなかった。お金がある人は、検問所を通り抜けるのに、350シェケルで救急車を雇える。お産のとき、裕福な女性は誰でも救急車を呼ぶ。それだけの費用を捻出できない女性については、運を天に任せるしかない。」

イスラエル軍の設置した検問所と検問所の間で人々を運ぶセルビス(乗り合いタクシー)は、壁の拡大につれてどんどん増えている。運転手の教育レベルも一緒に上がっていく。今では、ほとんどの人が大学卒業の資格を持つ。

労働組合連盟エルサレム支部の秘書の一人で、サワーヘレに住むジャマール・ジャアフェルは、かつてサワーヘレとジャバル・ムカービルを結んでいた道に軍隊が作った検問所を指してこう話す。「死んでからさえ、壁に邪魔される。私達は壁の西側のジャバル・ムカービルで葬儀をするから、誰かが死ぬと、検問所まで死体を車で運び、検問所の向こう側まで徒歩で運び、さらにもう一台の車に乗せて最後の休み場まで運んでいく。」

彼は続ける。「子供たち約380人が毎日この「ビア・ドロローサ」(訳註:キリストが十字架を背負って歩いた道)を通らなければならない。サワーヘレに住んでいるが、ジャバル・ムカービルの学校に通っているから。バスで検問所まで行き、250メートルを歩き、もう一台のバスに乗る。冬はどうすればいいのあdろうかと、誰もが心配している(訳註:雨で道がぬかるむから)」

エルサレムに入ることが許可されない人たちにとっては、ワディ・ナールと呼ばれる曲がりくねった危険な砂漠の道が、ここ10年間西岸地区の南北を結んできた。だが、このところの村の封じ込めで、ワディ・ナールも閉鎖された。今日、壁の外側の地域のどこに行っても、歩いているパレスチナ人に出会う。赤ん坊を抱えた女性、職を探す人、学校に行こうとしている子供、全員で着飾り、結婚式や葬式に向かう家族連れ・・・彼らは皆、検問所を避け、獣道をたどり丘を越えていく。

 

盲目の政策

現在主張されている「安全保障」は口実に過ぎない。壁はエルサレムの新しい境界を作る。その目的は、周辺のパレスチナ人の村を互いに遮断して孤立させ、イスラエルの入植地を強化し継続させるところにある。このことによって、エルサレムをパレスチナの首都にするのを防げる。アブー・ディースを分断することで、この村をエルサレムの一部として扱い、パレスチナの首都にする、というかつて浮かんだ構想をもつぶすことができる。

さらに大きな目的は、正常なパレスチナ国家の成立の可能性を、言い換えればパレスチナ人が普通の生活を送ることを防ぐことにある。国土全体で、壁はイスラエルに広大な土地を取り込んでいる。壁は、パレスチナ人のための飛び地つきの「より大きなイスラエル(訳註:パレスチナ全土をイスラエルとしようとする「大イスラエル主義」)」の境界を描いている。パレスチナの人々が壁を「3つ目のナクバ、破滅」と呼ぶのもただの偶然ではない(1948年と1967年の後)。(訳註:ナクバは、イスラエル建国に伴う、パレスチナ人の村の破壊と人々の離散を指す。)

加えて壁は、アリエル・シャロン首相の最近の脅威の重要な地位を占めている。つまり、首相が恒久化しようとしている、国境までのイスラエルの一方的・計画的撤退である。これが実行されれば、パレスチナ人には西岸の40%しか残らない。このことによって壁は、交渉によって合意に達しようとする努力の停止を象徴しているといえる。

南アフリカのアパルトヘイト政権が黒人をバンツースタン(訳註:小さな黒人居住区)に閉じ込めた時、世界は政権が崩壊するまで制裁をかけた。イスラエルは人種主義で決めた境界に沿って地図を描き、パレスチナ人をゲットー(訳註:東欧にあったユダヤ人居住区)に閉じ込めるのに壁を使っている。世界は抗議しているが、西側、特にアメリカが、中東で最もあてにできる足がかりに制裁をかけるようになるのはいつのことだろうか。

イスラエルが作り出している非人間的な状況は、さらに反感を生む。それは占領の信頼性を蝕む−世界でだけでなく、ユダヤ人国家それ自体の中でも。占領開始から36年がたち、イスラエルは袋小路に入り込んでいる。そして、そこで壁を作り上げている。

(明城和子訳、皆川万葉訳註)

 

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