Challenge No.85(2004年5-6月号)
愛国的軍務拒否者


「拒否する勇気」は、50人の将校と兵士が始めた運動である。2002年1月、彼らは西岸とガザ地区で任務につくことを拒否すると文章を発表したのだ。中心となったのは、エリート部隊に所属するダヴィッド・ゾンシャイン中尉とヤニヴ・イツコウィッツ中尉だった。 ガザ地区での予備役の間、彼らは占領がイスラエルの安全を脅かすことに気付いた。彼らは、再び占領地(その地域で)任務につくことを拒否し、その手紙を起草したのだった。今のところ、601人の将校と正規兵が署名している。このうち半分ほどが、拒否したことで軍の刑務所で服役した。(「拒否する勇気」のホームページの情報に基づく。)

ニール・ネーダーによる、アリク・ディアマントへのインタビュー
[]内の記述はニル・ニダルによる補足である。()は訳註。

運動の事務所は、テルアビブはべン・エフダ通りにある、二部屋半からなるアパートだった。壁にはイスラエルの大きな国旗と、「私たちが拒否しなければ終わらない」というスローガンが掲げられている。

私は、イスラエルによるガザでのアフメド・ヤーシン師暗殺の4時間後に「拒否する勇気」代表のアリク・ディアマントに会った。事務所の電話はひっきりなしに鳴りつづけた。誰もが最新情報を知りたがっていたのだ。私たちが話し始める前に、ディアマントは運動の中心メンバーに一斉にメールを送り、問い合わせにどう答えるべきか会議を開こうと呼びかけた。セージの茶を準備している間、ディアマントはイスラエルの暗殺作戦に対する懸念を説明した。

「今度は何が起きるだろう?世界中のシナゴーグで、ユダヤ人がいるところの全てで・・・この民族(ユダヤ人)をあらゆる場所で守ることは不可能だ!」予備役から戻ってきたばかりの友人から電話が入り、ディアマントはたずねた。「どうすることになったんだ?ガザを閉鎖するのか?」

ディアマンとは私(ニーダー)に言った。「あなたの後ろにある旗が、私たちのガイドラインです。私たちの第一の目的は、左派シオニストの人たちを軍務拒否に巻き込むことです。このため、私たちはイスラエルの独立宣言とIDF(イスラエル国防軍)の倫理規定に根拠を置いているのです。私たちにとって、独立宣言は『正義の戦争』が何なのかを明確化するためのものです。私たちは、軍隊を必要とする現実を受け入れてはいますが、同時に、軍隊は倫理的なものでなければならないと考えています。軍隊とは、防衛のためのものでなくてはならないのです。」

「シャロン首相の、ガザからの一方的撤退の計画についてどう考えていますか?」

原則として、私たちは占領地からの撤退を支持しています。しかし、ニュースに流れているどの計画にも賛成の立場を取っているわけではありません。10年前、私たちはオスロ合意(パレスチナ・イスラエル暫定自治合意)について話していました。次にミッシェル・プランとテネット・プランが持ち上がり、サウジアラビ主導の計画、(アメリカ主導による)「ロードマップ」が続きました。これらはどれも長続きせず、分離案もまた問題解決の努力を提示することによってイスラエル及び国際世論をなだめるためのものに過ぎません。私たちは、1967年以後に建設された全ての入植地からの撤退に賛成しています。[ガザの入植地と]西岸のたった4つの入植地を撤去しただけでは意味がありません。本当の分離が 始まったら、おそらく、私たちはその計画を支持するでしょう。

「シャロンが分離案の実施開始に踏み切った裏に、軍務拒否者の影響があったと考えていますか?」

ジュネーブ・キャンペーンは、航空兵の書状が公表された後に始まりました(*)。[副首相 イェフード]オルメルトによる「一方的撤退」の概念がイディオット・アハロノートによって報じられたのも、書状公開の後でした。そうですね、私たちの運動が、政治の動きにいくらか影響を与えていると言えると思います。私たちの意見は、2つの社会的グループに働きかけます。1つが左派のリベラル派グループです。彼らは教育を受け、社会意識が高い。私たちは、そのグループの人たちの多くがかかえる深刻な概念の矛盾、すなわち、「シオニスト、ユダヤ人、イスラエル人、軍人でありながら、占領に反対するにはどうしたらいいのか」という問題に、「軍務を拒否する」という解決策を提示したのです。もう1つのグループは、占領地で何がなされているか自分の目で見てきた人、話に聞いた人、日々攻撃が続く現実に嫌気がさした人、を含んでいます。彼らにとって兵役を拒否することは、「こんなことはもう嫌だ」と表明する一種の反逆なのです。

*2003年9月に27名の予備役・従軍中の航空兵から提出された書状で、市街地での空襲に参加することを拒否している。

「この運動がはじまったきっかけ、そしてなぜあなたが関わり始めたのかを教えてください。」

私はいま30歳です。1994年から95年まで、通常はナーブルスで任務についていました[オスロ合意発行後初期の時代]。私は若い兵士で、私たちがそこにいることに「賛成」していませんでした。しかし、隊では他の兵士から「見てみろ、私たちはパレスチナ人と一緒に(共同で)パトロールしている。もうすぐここからいなくなるに決まっている」と言われていました。彼らはいつも、間近に迫った撤退とその方法について話していました。私たちは撤退するために配備されているように感じていたのです。ラビン(元首相)が暗殺された後、この流れは止まってしまったかのようでした。そして、イスラエル人であることと占領者であることの間に不協和音が生じたのです。除隊後、私は何年かイスラエルを離れました。軍務拒否の考えが頭に浮かんだのは、(第2次)インティファーダが始まって1年ほど経ったころでした。占領という現実の前でイスラエル人でい続けるためにはどうすればいいのか、私は自問しました。恥じることなくイスラエル人と名乗るには、どうすればいいのだろう、と。この点から考えると、軍務を拒否することによって、私は個人的な問題をも解決することができたのです。

「しかし、占領が始まったのは運動が始まずっと前ですし、インティファーダが始まってからあなた方兵士の意識が『成熟する』まで1年間かかったわけです。その間に、どんなことがあったのですか?」

インティファーダが始まったとき私たちはみな、参謀長官であり諜報機関のトップでもあったイェフード・バラクを信じていたのです。彼は[2000年7月、キャンプデービッドから]帰ってきて、「私たちは彼らに全てを提供したが、彼らはそれを拒否した。」と言ったのです。私たちはパレスチナ人に苛立ちました。一体なぜ、差し出されたものを受け取らないのだろうか、と。しかしながら、バラクが表で和平交渉をしている間、占領地で行われていたことに対して、私たちが無知だったわけではありません。私たちは山を崩し続け、トレーラーを並べた仮説入植地あるいは本格的な入植地を建設していたのです。今振り返れば、37年も占領下におかれたパレスチナ人が、私たちがたんに手を差し出したからといって、その手を取らないことは無理からぬことだと思います。私は、ラヴィヴ・ドルッカーの「ハラキリ」という本から、キャンプデービットで何が起きたのか、多くのことを知りました。アラファトの問題は合意しようとしなかったことではなく、彼が代表しているはずの人々から全く支持されていなかったことにあると理解できたのです。

「現在、運動の存在は軍に対してどんな影響をもっていますか?」

運動は強い影響力をもっています。2つ例をあげましょう。最近、運動に参加しているメンバーが西岸での任務につくように言われ、それを拒否すると宣言しました。数日後、隊の指揮官に呼ばれ、あまりに多くの兵士が予備役の招聘に応じないと宣言したために連隊の任務が変更になったことを知らされました。個人的に、私は正規兵だったときに所属していた落下傘部隊に戻りたかったのですが、所属を決める係員に「その部隊にはすでに拒否者がいるし、あなたのことも必要としていない」と言われました。つまり、任務の拒否がしばしば起きるようになってきたので、レバノン(侵攻)のときと同じように軍は予備役兵の比重を小さくし、ほとんどの仕事を正規兵にさせるようになってきています。これは、私たちの成功であると考えています。

「運動の政治的目標は何でしょう?」

2004年の末には、私たちは5000人から1万人のメンバーをかかえる議会外運動となり、対象を一般市民まで拡大します。正規兵の親、女性、戦線に出ない兵士−その誰もが「拒否する勇気」に参加することができるようになります。兵士の運動であったため、今のところ誰でも運動に参加できるわけではありませんが、新しい方向に向かいつつあるのです。具体的には、クネセトの議員から支持を得るようにします。政党になることは考えていませんが、真実の瞬間に(私たちの正しさが認められたときに)ベイリン(議員)のヤハド党が私たちを支持してくれれば、と考えています。

「ベイリンは、軍務拒否運動とは大きな距離をおいていますが。」

ベイリンが行っていることは、私たちが行っていることよりも重要なことです。私たちが彼のための橋として働くべきなのです。つまり、私たちが彼のために働くことが必要なのであってその逆ではありません。彼は、法律を破るというリスクを犯したくないと考えています。一方、私たちは最悪の事態を防ぐために軍務拒否しているのであって、民主主義に逆らうつもりはありません。革命には興味がないのです。

「占領に対する戦いはとても困難なことですが、多くの非常に献身的な個人や団体がそれを大義として掲げています。あなた方が、他の軍務拒否運動と共同で行動してこなかったのはなぜですか?運動のコンセンサスに対するあなた方の情熱とエネルギーを見ていると、あなた方は軍務拒否運動をまとめることができると感じます。シオニストでも共産主義者でもなく、イデオロギーを含まずに、占領に反対するというシンプルなスローガンを中心に据えられるのですから。現時点から振り返ってみて、拒否運動のリーダーとしての責任を避けてきたように見えませんか?」

あなたが急進的左派のことを指しているなら、私たちは彼らと連携を取るべきだと考えたことはありませんし、今でも考えていません。彼らのような周縁にいるグループは、いずれにしろ私たちを支持してくれていますから。私たちは、もっと広い層から支持を得たいと考えています。立場の違う拒否運動を統合しても政治的目標は達成できないでしょうが、労働党の若い支持者と共に働いていけばもっと多くのものを達成することができるかもしれません。私たちの目標は、2つの集団に属する特定のグループと共に運動を進めることです。1つは潜在的な拒否者である兵士たちです。2つめは、彼らの周りにいる人たちからなる集団、つまり女性、年長者や若者からなる集団です。その2つを除けば、左派の組織は孤立主義に走り、イデオロギー敵に隔絶する傾向があります。私たちが運動を成長させる責任を放棄したというあなたの考えにも同意できません。私たちは成長を続けており、海外にも多くのコンタクトを持っています。私はヨーロッパから帰ってきたばかりです。もうすぐ、私たちは文化的な枠組みを確立します。私たちは、この運動を食料雑貨店ではなくスーパーマーケットとして考えているのです。

「運動を組織した時、政治的な後ろ盾を得ることは考えましたか?メレツを、支持してもらうに足る政党として考えていましたか?」

運動を始めた時、私たちは経験が浅く、それは考えませんでした。しかし、今でもメレツを支持政党として見ていません。メレツの国会(クネセト)議員は、彼らの立場をこう説明してくれました。「あなた方[拒否する勇気]は、メレツから支持者を得ようとするとき、急進的左派には背を向けるでしょう。メレツも同じです。今私たちは労働党の支持を得ようとしているので、あなた方を支援することはできません。」

「最後に、あなた方の目標についてまとめていただけますか?」

占領の終わりを目指すことが私たちの存在理由です。他のイデオロギーは必要ありません。


アリエル・シャロン首相とジョージ・W・ブッシュ大統領の会談のあと、私たちは再びディアマントに会った。彼は疲れ果て、睡眠不足で目が充血していた。彼は言った。「ホワイトハウスのプレス会議の直後、ミーティングを開きました。夜中までかかりました。」「結論はどうなったのですか?」私の質問に彼は答えた。「来週、新しいキャンペーンを始めます。リクード党員による投票の結果、シャロンの分離政策が支持されることになろうとなるまいと、私たちは軍務拒否者として孤立しているのです。」

(明城和子訳、皆川万葉訳註)

 

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