Challenge No.91(2005年5-6月号)
貧困-イスラエルのユダヤ女性とアラブ女性の出会いの場-

ミハル・シュワルツ著、明城和子訳


(訳註:ここで「アラブ人」というのはイスラエル内のパレスチナ人のことです)

テルアビブ(訳註:ユダヤの町)の女性とナザレ(訳註:アラブの町)の女性とでは、女性は両極端に位置しているように見える。テルアビブの女性の服装は男性の目をひきつける。数多くの分野で学び、働いている。明け方まで町を出歩く。要するに、自由化しているように見える。反対に、ナザレの女性(特に既婚者)は頭を覆い、伝統的な服装をしている。家の外で働く者は少ない。大学に行く者はさらに少ない。彼女たちの生活範囲は、家庭と隣近所に限られている。

だが、見かけが違っているから実態も異なっているかというと、そうとも言えない。イスラエル政府は「福祉国家」を掘り崩す、つまり社会保障水準を引き下げる政策をとりはじめ、この影響はまず最初にユダヤ・アラブ両方の女性を直撃することになった。ユダヤ側では、なんとか中流の暮らしを維持してきた者の多くが社会の隅に追いやられた。彼女たちの生活を支えてきた収入手当はひと払いに切り捨てられてしまった。同じ措置によって、ただでさえ苦しいアラブ女性はさらなる苦境に陥った。

アラブ・ユダヤ双方の低所得層全体が生活水準の低下に、似たような理由から苦しんでいるにも関わらず、民族間の対話は全くない。どちらも自分の殻にこもって、自分の側の方が優れていると信じているのだ。ユダヤ女性は自分自身と自分たちの社会が近代的で民主化されていると考え、アラブ女性を「原始的」と決め付ける。アラブ女性はといえば、西洋のライフスタイルがユダヤ女性を性的虐待の危険にさらしていると確信している。自分たちの方が守られていて、倫理的に上だと感じているのだ。

どちらの側も、相手の欠点を見つけるのには余念がないが、自分の側の欠点にはなかなか気づけない。福祉国家であることをやめようとしている、イスラエルのグローバリゼーション主義者に対する強力な反対運動をおこそうとすると、この民族間の溝が足かせになってしまう。アリエル・シャロン、ベンヤミン・ネタニヤフ、シモン・ペレスの現政権にとって、この溝は願ってもいない恩恵となっている。

ユダヤ・アラブ両女性のおかれた状況は、一種の階級制度だ。理解するため、双方の歴史的背景を見てみよう。

余りもの

1990年代まで、ユダヤ社会は工業化が進み、女性の就業(軍隊を含み)は追い風を受けていた。シオニスト運動によって、「ユダヤ女性は開拓者であり戦士である」という考え方が広まった。運動は、「労働の征服」を柱のひとつとしていて、ユダヤ人は太古のように再び生産的な人種となるべきであり、女性はその一翼を担うものと考えられていたのだった。国は託児所を整備し、女性が家の外で働ける環境を整備した。アラブの国々から移住した「ミズラヒー」(訳註:中東系ユダヤ人)の女性たちさえ、適応期間の後には教育、行動の自由、経済的自立を自由化の前提条件として受け入れた。これに反対するミズラヒー男性は、社会の風潮に合わないものとして片付けられた。

イスラエルのアラブ女性は、異なる歴史を歩んだ。1948年まで、彼女たちは農耕社会の一員だった。彼女たちが果たすべき機能は、女性をはるか昔から縛っていた仕事、つまり農地の働き手を生み出すことが中心だった。家事労働でも彼女たちの手は必要不可欠だった。(料理、掃除、粉引き、パン作り、裁縫、チーズ作り、石鹸作り・・・)だが1948年以後、農耕社会に欠かせない要素が消えてしまった。イスラエルがアラブ人の土地のほとんどを没収してしまったのだ。残ったわずかな耕地では、ユダヤ共同体の科学を駆使した農業(農地のほとんどは没収した土地)に対抗することはできなかった。

1966年まで、アラブ人は軍隊の管理下に置かれ、許可なく村を離れることができなかった。イスラエルは、アラブの地域社会で産業が発達するのを許さなかった。その結果、軍隊による管理が終わったとき、アラブ男性のほとんどは賃金労働者以外の職業選択がなく、ユダヤ人の町に働きに行った。(そしてそこでヘブライ語を学んだ。)アラブ女性は、社会的にも経済的にも重要性を完全に失ってしまった。農業が縮小するにつれそんなにたくさんの子供を生む必要はなくなったし、手作りのチーズやパン、石鹸、衣服は工場製品に取って代わられてしまった。女性は社会的に不必要な存在となってしまったのだ。

イスラエルの法律は4歳から15歳までの義務教育を定めており、12年生まで学費はかからない。それなら若いアラブ女性にも教育の門戸は開かれているはずだと考える人もいるかもしれない。しかしここで、アラブ女性は2つの障害を乗り越えなければならない。ひとつはアラブ人一般に対する差別。これはアラブに、産業、仕事、組織的なインフラ(たとえば託児所)など女性が家の外で働くのに必要な資源がないことがはっきり示している。もうひとつの障害は、女性をすべての面において劣っているとみなすアラブ社会そのものだ。これにはイスラエルも一役買っている。アラブ諸国出身のユダヤ人にしたようにアラブ社会をある面でユダヤ社会に引き込む代わりに、イスラエルは家父長制度を強化させた。ここに差別が2つの社会を作り上げた。ひとつは工業国に属し、もうひとつは低開発で苦しむ2つの社会を。

2つの社会の近さが、絶え間ない自己矛盾にアラブ側を突き落とすことになった。労働者相談センター(WAC)の議長で女性活動家のサーミヤ・ナセルは言う。「アラブ女性が運転免許を取ることに反対する人はいません。しかし取得できても、車に乗って移動するのにいちいち家長(父親だったり兄弟だったり夫だったりしますが)の許可を取らなければなりません。専門職業を学ぶことはできますが、一度結婚してしまえばその仕事につける見込みはほとんどありません。」

それでも、1970年代や80年代には、アラブ女性(特に未婚者)はイスラエル雇用市場の片隅に職を見つけることができた。繊維工場が国の中央部から、がリラヤ地方のユダヤ人の町に移ってきたからだった。しかしオスロ合意が交わされた90年代以降、多くの繊維業者は拠点をエジプトやヨルダン、東アジアに移した。そこでの賃金はイスラエルの法定最低賃金(時給4ドル)に比べたらほんのわずか、大抵10分の1程度ですんだ。何千人ものアラブ女性が失業した。(この動きは、Challenge40号、48号、60号、66号で取り上げている。)

90年代半ばまで、キブツでの農業、清掃業、障害者福祉サービスの分野で働くアラブ女性も多かった。しかしここにもグローバリゼーションの波が押し寄せ、仕事は海外からの出稼ぎ労働者に取って代わられた。(12ページの記事参照)

この構図の例外は、高学歴で家族の理解があって、特定の分野(教育や福祉など)の公務員になったり、地方自治体で教師や福祉関係の職や事務員になったりしたごく少数のアラブ女性だけだった。また、1990年代にはアラブ社会に多数のNGO団体が作られ、少数の大卒のアラブ女性はそこで職を見つけることができた。だが、アラブ女性の大半は高い教育を受けることもなく、将来の見通しがたたないまま生きている。

共通の敵

ユダヤとアラブ女性の間に大きな文化の溝があることは確かだが、貧困問題をテーマにすれば2つの社会は連携することができる。一時は(ユダヤ人にとっての)平等主義の憧れだったユダヤ国家は、もっとも原型に近く冷酷な形でグローバリゼーションを取り入れてしまった。純粋な資本主義の論理に適応の例外はない。ガリラヤのアラブ女性でおきたのと同じことが、南部の市街地のユダヤ女性でも起きた。繊維工場がヨルダンやエジプト、中国へ移っていってしまったのだ。

伝統的な産業は消えてしまったが、ハイテク産業の勃興が90年代の経済成長を支えた。このため、政府はグローバリゼーションの犠牲者にある程度の収入手当を出して補償することができた。補助に緩衝され、彼女たちは迫る危険になかなか気づくことができなかった。この時点では、パートの仕事に就いているユダヤ女性はまだ中の下程度の生活水準を維持することができていたのだ。しかし2000年3月にナスダックの株価が急落し、さらに6ヶ月後に第2次インティファーダが始まると景気は後退していった。

2003年初め、新しい財務省長官となったベンヤミン・ネタニヤフは破滅がすぐそこまで来ていると主張した。彼の対策は、イスラエルをもっと富裕者に魅力的な国にすることだった。彼は、国の支出が限度額を超えているという意見を持っていた。解決策は、賃金を引き下げ福祉分野の支出を切りつめること。貧乏人は、金持ちの投資からこぼれ落ちる仕事にありついていればいい!

ネタニヤフは保証最低収入や児童手当、老人手当、片親家庭の補助金、失業手当を引き下げた。これらの保証を受けている人の65%は女性だった。ネタニヤフは彼女たちを「補助に依存して生活しており、必要性でなく慈善によって給付を受け続けている」と片づけてしまったが、決してそうではなかった。給付を受けている人の大半が働いていたが、賃金があまりに安くてその月の支出をやりくりするには補助金が不可欠だったのだ。ネタニヤフの主な被害者となったのは彼女たちだった。

たとえば、財政再建計画実施前には月収3000NIS(約680ドル)の家庭は1700NISの収入手当に加え、2000NISの児童手当(子供が4人と仮定)を受け取ることができた。合計すれば6700NISとなる。計画実施で収入手当は700NISに、児童手当は1000NISに減らされた。

ネタニヤフはまた、公共サービスでの雇用も削減した。この分野、特に地方自治体や社会福祉事業、教育分野では女性が65%を占めていた。

結局どうなったかというと、人材派遣会社の社員のほとんどは女性となった。紹介された職場で、派遣社員はより低い賃金、より不安定な雇用、より少ない社会保障のもとに働く。また、パート労働者のほとんどは女性で、しばしば最低賃金以下しか受け取っていない。

ヴィッキー・クナーフォの物語

今日、イスラエルには片親家庭が12万世帯(全体の10分の1)あり、その90%は母親だけの家庭となっている。(イェディオット・アハロノート・オンライン版、ミリ・ハッソン、2005年3月8日)

80年代と90年代には、シングルマザーの70%はフルタイムまたはパートで働くことができた。パート労働者は収入手当を受けた。政府の手当と減税措置、家賃手当、交付金のおかげで、シングルマザーでも家庭を支え、中流に近い生活水準を維持することができた。

2度の大きな景気後退とネタニヤフの財政再建計画によって、彼女たちと家族はいっきに貧困ライン以下まで落とされてしまった。2003年7月2日、砂漠の町ミツペ・ラモンに住む43歳のシングルマザー、ヴィッキー・クナーフォはネタニヤフに会うことを要求し、徒歩でエルサレムに向かった。クナーフォはすぐ、社会情勢と戦うイスラエル女性のシンボルとなった。彼女が通った町では、近年例を見ない規模の女性の抵抗運動が起きた。数多くのシングルマザーが徒歩で出発し、エルサレムの財務省前にあるナッフォの野営地に加わった。この動きは、ヒスタドルート(労働総同盟)や既存の女性団体とは関係なくおきたものだった。

その圧力下で、ネタニヤフは仕事を広げることができた母親への補助、仕事を作り出した雇用主への補助、雇用情報ラインの創設を打ち出した。クナーフォは、これらの提案の効果があがるかどうか試すことにした。彼女は9月にテントをたたみ、ミツペ・ラモンへ帰っていった。

だが効果は出なかった。グローバリゼーション下ではいつもそうだったように。ネタニヤフの政策は一時的なものでしかなく、その政策によって創出された少数の雇用(そのほとんどはパートの仕事だった)もまた長続きしなかった。クナーフォはさまざまな組織の後ろ盾で何度かテレビに出演した。たとえば、彼女はヨッシー・ベイリンとヤセル・アベッド・ラボーのジュネーブ合意締結宣言に際してジュネーブに招かれた。2004年9月、テントをたたんで1年後、彼女はイスラエルのポルノサイトである「バタフライ・ワン」に1回30NISの料金でヌード姿で現れた。背中には「政府は私を陵辱した」胸には「お前は私を搾取した」という文字が書かれていた。別のイスラエルのウェブサイトであるワラの9月14日のインタビューで、彼女は「私は人々の心に直接訴えて、私や私と同じ境遇の女性が感じている痛みを感じてほしいのです」と語っている。(www.walla.co.il)

クナーフォは真実、たくさんの低層階級で生きる人々の代表だった。しかし、彼女は問題のおおもと、つまりグローバリゼーションを認識していなかった。彼女のやり方は、まだ「ユダヤ人の連帯」の時代にいるようだった。いまや、イスラエルは金持ちの、金持ちによる、金持ちのための国家になっていたのだ。クナーフォは、片親家庭の問題に焦点を絞ることでネタニヤフと直接交渉できると考えていた。伝統的にリクードを支持する社会層出身だった彼女は、「民族の一人」というイメージを使ってネタニヤフに政策を撤回させるよう説得できると考えたのだ。これで、彼女がエルサレムに大きなイスラエル国旗を持っていった理由がわかる。しかし、この旗はもはや連帯を意味しない。ネタニヤフの旗にはドルの印が入っている。

青いダビデの星に身を包むことで、クナーフォはアラブ人女性に対しても「私の立場はあなたたちと共にはない」というメッセージを送っていた。彼女はネタニヤフの保守的な経済イデオロギーの帰結による政策には反対したが、イデオロギーそのものと向き合うことを拒んだ。彼女は、損害を受けた他の社会層にいる潜在的な味方を無視した。たとえば、ネタニヤフの福祉切り捨てに拍車をかけた予算の不足の大きな原因を作っているのは、占領にかかる膨大なコスト(イスラエルに対するイメージの悪化、国を常に不安定化させる要因、入植地維持にかかる莫大な資源)だが、占領についてクナーフォの周囲から公式な意見が出されることはなかった。

理由のひとつは、クナーフォを支援していた左翼団体が、右翼的な考えを持つ彼女の支持者たちが離れていかないように気を使ったことだ。これによって、彼女らにネタニヤフの経済方針と政治方針の関係を示す機会を失ってしまった。

労働党とメレツはといえば、これらの団体はクナーフォに提供できるものが何もなかった。グローバリゼーションを支持することで、とうに独自の社会政策を犠牲にしていた。彼らは相続権(政権)を失くし、何も継承していないままである。クナーフォと彼女の支持者たちにとって、これらあてにならない左派の団体は、彼女たちを裏切ったリクードのかわりになりうるものではなかった。政治的には袋小路のままの彼女たちの行動は、いわばティーネイジャーがパパに小遣いをねだるようなものだった。パパにはもっと優先する用事があった。

アラブ女性:自分の家にとらわれた囚人

イスラエルのアラブ女性は、2つの面で差別を受ける。ひとつはアラブ人として、もうひとつは女性として。民族差別はこれらの統計に現れている:イスラエルのアラブ人の14.1%、ユダヤ人の9.3%が公式に失業状態にある。アラブ人家族のうち貧困層にあたる世帯は33%、ユダヤ人家族では15%だ。アラブ人は平均30NISの時給を、ユダヤ人は42NISの時給を受け取る。(シェハデー・マタネス、ハアレツ紙、2004年5月11日)

民族差別に、アラブ社会からの差別が加わる。ユダヤ女性の50%が外で働いているのに対し、アラブ女性で家の外で働いているのは17%にすぎない。(イスラエルの統計大要、2003年)だが、仕事は満足な社会的地位を得る基本となるものだ。83%の女性が仕事についていない状況では、社会、政治、家庭、すべての面で彼女たちは影響力をうばわれる。

さらに、アラブのビジネスマンは彼女たちに開かれた雇用があまりに少ないことを逆手にとって利益を上げている。彼らは、公式な市場のほかに違法な経済市場を作り出している。この問題に対し、1988年からアラブ人権協会の調査が入っているが、私たちが最近ナザレの女性に対して行ったインタビューを見る限り、状況は悪くなったとしか考えられない。協会は、フルタイムで働くアラブ女性の61%は法定最低賃金以下(しばしば半額程度)しか受け取っていないと報告した。28%は契約書も給料明細書ももらわないまま働いていた。(Challenge80号、『ナザレの搾取』参照)

私たちは、オスロ合意の和平プロセスが、イスラエルのアラブ人の期待を持たせた後、結局貧困に拍車をかけ、一方でユダヤ経済が繁栄するのを見てきた。これに対する怒りが爆発したのが2000年のインティファーダで、アラブ人が国の多くの機能を麻痺させた。(そしてイスラエル警察が彼らのうち13人を射殺した。)世俗的(非宗教的)な解決に対する失望が、イスラーム復興をあおった。イスラーム運動で、アラブ社会はより内にこもるようになった。「この世」のものを軽視し空想の世界に希望をつなげる。

女性は、働く許可を家長から得るのが今までになく困難になった。未成年のまま結婚させられる女性の数がどんどん増えている。

ここで、イスラエルのアラブ人でなぜフェミニスト運動がおきないのかという疑問が浮かぶ。第一の理由は、イスラエルの占領に反対という大義は、常に男性と共有していることだ。何年もの間、ハダシュ(共産主義者に率いられたアラブ−ユダヤ政党)にとってもほかのアラブ政党にとっても、一番の目玉は「ユダヤ人とアラブ人の平等」と「占領の終結」だった。民族を挙げての運動の中、女性の地位の問題は脇役にすぎなかった。多くの点で、家族に立ち向かい個人の自由を主張することは、国家的な枠組みの中にある平等を勝ち取る闘いに加わることより困難だ。もしアラブ女性が家族に対して好きな相手と結婚したい、村の外で働きたい、離婚したいなどと主張すれば、社会から追放されてしまう。そんなことになったら、一体どこへ行けばいいというのだろう?敵であり、アラブ人だからと彼女を差別するユダヤ社会へ?

今日、アラブ社会がイスラームに心の平安を求めている状況では、やはりフェミニスト運動がおきることは難しい。そのかわり、少数のNGOが特定の問題で重要な働きをしている。

力の三角形

イスラエル社会は否定の中に生きている。民主的で開かれているように見えるが、その裏には占領、暴力そして搾取があふれている。国内には、そう呼ばれることはないが、アパルトヘイトが存在する。イスラエル国家の政策によって、アラブ社会がかかわるところはどこでも、失業、低開発、差別が運命づけられている。アラブ社会が、こと女性問題に対しては保守的で父権主義的−一言で言えば遅れている−のは間違いないが、その責任はイスラエルが負う部分が非常に大きい。

アラブ社会もまた否定に生きているのも事実だ。アラブ社会は差別に対抗して、伝統的な価値観の中に閉じこもった。どっちみちアラブ女性の雇用は存在しないことを基盤に、女性は家にいるものだという考え方が正当化された。排除は西洋の価値観への嫌悪感に拍車をかけた−女性の権利を認めることといった肯定的なものも含めて。

このようなお寒い状況を改善するには、息の長い対策が必要となる。2つの非営利団体、ガリラヤのシンディアナとワーカーズ・アドバイス・センター(WAC)が、私たちにできることは何か、小規模だが重要な例を示してくれている。オリーブオイルを扱うフェアトレード団体であるシンディアナが設立されたそもそもの目的が、女性の雇用を作り出すことだった。WACはアラブ男性を組織の形にまとめて、過去3年間建設業界を中心に活動してきた。活動の中には女性の権利を強調する重要な教育プログラムも含まれていた。というのも、女性が働けるようになるには男性を説得することが大きな意味を持ってくるからだ。最近では、WACは農業の分野で、女性にも男性にも仕事を見つけだしている。

失業との闘いの行方は、労働階級全体がどう反応するかにかかっている。この階級は、今は組織化されていない。ヒスタドルートが守ってくれるのは、ユダヤ労働者で比較的生活水準が高い層に限られている。どちらの民族でも、生活水準が低い人々は見捨てられてしまった。社会的な反対運動は小さなNGOやヴィッキー・クナーフォのような個人の手にゆだねられたが、イスラエルの資本主義に対抗する長く苦しい闘いに耐えられる見込みは少ない。

状況を変えるには、力の三角形が必要となる。1つはアラブ社会全体の力でなくてはならない。もう1つは女性の力、すなわち政府の政策で苦しめられているユダヤ人アラブ人双方の力。3つ目は、容赦ないグローバリゼーションの餌食となった労働階級の力だ。状況を改善するには、この3つのグループが、占領に対して、性差別に対して、資本主義に対して共通のストラテジーを作り上げなければならない。挑戦は壮大で道のりは長いが、今までの道のりが他に近道がないことを私たちに示している。

 

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