Challenge No.94(2005年11-12月号)
ワファ・タイヤーラ 仕事に行く

アスマ・アグバリーエ著、明城和子訳


(訳註:ここで「アラブ人」というのはイスラエル内のパレスチナ人のことです)

静かな自信、強い精神力、重みのある言葉−これがワファ・タヤラの印象だ。彼女は32歳で、コフル・カラアに住んでいる。マアン(ワーカーズ・アドバイス・センター=WAC)にアラブ人女性として初めて参加し、女性たちへ組織化された仕事の門戸を開いたひとりだ。

私が最初にワファに出会ったのは2004年3月、彼女が夫のヌールと共にウンム・ル・ファヘムにあるWACの事務所を訪ねてきたときだった。彼女たちは農作業の仕事を探していた。ヌールは2年半の間、WACの「A Job To Win」プログラムを利用して建築現場で働いていたが、背中を痛め、1年の治療期間の間働けなくなってしまった。

当時、ワファはほとんどのアラブ女性同様、主婦業に専念していた。(家の外に仕事を持つアラブ女性は17%しかいない。ユダヤ人女性は50%が仕事を持つ。)ヌールの病気のため、彼女は1年半前に労働市場に加わった。これが彼女の人生の転機になった。彼女は、リーダーの素質と組織を作る才能を持っていることを発見することになる。

19歳で結婚したとき、ワファは学業を続けたいという強い志を持っていた。しかし、多くのアラブ女性と同じように、子供たち−ムハンマド(13歳)、ワーシム(12歳)、イスラーム(4歳)、カリーム(2歳)−が生まれると家事・育児で手一杯になってしまった。とりあえずの対策として、彼女は独学により自分自身を高めることにした。彼女の本棚には、小説、医学百科事典、それにアメリカに関する本が並ぶ。「アメリカを理解すれば、世界を理解できるから」と彼女は言う。彼女は人生からもっと何かを引き出そうとした。「何かをやりたかったけれども、何をしたらいいのかわからなかったのです。」

収入があるのはヌール1人で、月収は5500シェケル(訳註:13万7千5百円)だった。「どうやって生計を立てていくか?」彼が背中を痛めたとき、この当然の問題に即座に解決策を探さねばならなかった。ワファが探し当てた最初の人材派遣会社に行くと、農業の仕事を紹介された。1990年代以降(繊維工場がもっと人件費が安い国々に移ってしまってから)、現実問題として、アラブの村の女性が働けるのは農業分野だけだった。

仕事を得るまでの困難

どう考えても必要なものだったにもかかわらず、ヌールは最初ワファが働こうと決めたことに反対した。次にはヌールの家族から怒りの抗議が寄せられた。「妻に外で働かせるなんて!」ヌールの病状が悪化し、彼が足を引きずって歩き回るようになっても、彼の家族は意見を変えようとしなかった。一方、ワファの家族は彼女に同情した。彼女自身の表現によれば、いつも「甘やかされて」いた子供だったからだ。

友人たちの反応はどうだっただろう?意見は分かれた。ワファが働くことに反対し、ヌールの家族が一家を養うべきだという意見もあった。離婚を勧める人までいたが、ワファは「私が寝たきりになったとして、夫に離婚されてうれしいと思う?」と取り合わなかった。ほかの友人たちは、まず一家の生計を立てることが一番だと、彼女を励ました。

結局議論に決着をつけたのは、仕事のない1年間に積もり積もった請求書だった。

家庭から農場へ

最初に働き出したときから、ワファの生活は一変した。家庭の主婦だったとき、彼女はいつも時間を持て余していた。「友人たちと同じように、子供を学校へ送り出した後はもう一度ベッドにもぐりこみます。それから家事をして、夫の家族の手伝いに行くか、種々雑多の社会行事や訪問に顔を出していました。何もすることのない時間をどうやってすごしたらいいものか、頭を悩ましていたものです」

「今はまったく違います。時間の意味合いがすっかり変わったのです。農場の仕事は朝5時に始まります。買い物は仕事が終わった後、料理やアイロンかけは前日の夜に終わらせます。優先順位のリストを作って活用しています。家事はとても疲れるので、家族全員が協力してやることになりました。息子のワーシムが洗濯物を干すのを手伝ってくれます。初めは全部くしゃくしゃでしたが、ずいぶん上達しました。」近くに座っていたヌールもこう明かした。「私も洗濯物を干すのを手伝っています。でも他の家には秘密です。近所の誰かがうちのほうを見たら隠れます。」また、「前は一度も子供たちの世話をしたことがありませんでしたが、病気だった1年間はカリームのおむつを変えていました。」

今では、ワファとヌールは一緒にWACの農業チームの中で働いているので、どちらも子供たちを学校へ送り出すことができない。これは一番上のムハンマドの仕事になっている。洗顔・着替え・食事をさせ、カリームを地元自治体の保育所へ連れて行き、イスラームを私立の保育所へ連れて行き、それからワーシムと小学校へ向かう。

農業労働をめぐる議論

ワファが働こうとしたときの争点のひとつは、きつい肉体労働で、屋外作業という農業労働の性質そのものだった。「私たちは、立派な仕事イコール清潔なオフィスでの頭脳労働だと教えられてきました。」彼女は言う。「賢く、成功した人はそういう職場にいるものだと。肉体労働は敗者の象徴だったのです。」

さらに、人材派遣会社を通して得られる仕事の労働条件はひどく劣悪だった。手当も社会保障もない。給料は微々たるもので、男性は日給100-130シェケル(訳註:100シェケル=2500円)、女性は85シェケルでしかない。(法定最低賃金は144シェケル)

ワファが言う。「女性農業労働者の賃金が安いのは、彼女が働いたことがその程度の価値しかないとみなされているからです。賃金は、働いた人の努力に対する感謝の念を反映します。人材派遣会社から派遣されて働いていたころ、私は仕事に労力を注ぐあまり家庭を放り出しているように感じていましたが、その代償はほんのわずかな賃金でした。私は感謝されていなかったのです。今では、WACの後ろ盾のもとに働いています。最低賃金に加え、手当てもきちんともらえます。適正な賃金を得ることは、労働者の自己イメージを向上につながると確信しています。」

ワファは、息子の一人が学校の授業についていくのに苦労していたときのエピソードを話してくれた。担任の教師が、「何のために学校に来ているんだ?工事現場に働きにいって、父親のような負け犬になってしまえばいい」と叱ったのだ。ヌールが会話に加わり、息子がこれを報告したときの憤慨を教えてくれた。ワファは、村の女性がめったにしないことをやってのけた。彼女は学校に行って抗議し、親と教師とで労働について話し合う会合を開かせたのだった。

イスラエルの経済事情の悪化は激しく、基本的に女性の職場だった農業労働にも男性が雇われ始めた。「人材派遣会社を通して働いていたとき、毎日男性が何人いて女性が何人いるかを申告しなければなりませんでした。たとえば、『今日は男性が5人で女性が5人』というように。男性の方が賃金が高いからです。」とワファは言った。今はWACを通して働いており、法律に基づき同額の賃金が支払われるので、『今日は10人』で十分になりました。」

パレスチナの人々の側で

WACのチームは、WACを通して来ている労働者に最低賃金とすべての社会保障を与える、という合意を農場と結んでいる。この合意は、すぐに農場で働く他の労働者たちとの軋轢を呼んだ。彼らは前述の不当に安い賃金で働き、社会保障もない。この労働者には、人材派遣会社を通して働くガリラヤのコフル・マンダ村とイベリン村から来ている25人ほどの人々がいる。ほぼ同数、被占領地区(訳註:ヨルダン川西岸地区)から来るパレスチナ人がおり、タイの労働者も同じくらいいる。

パレスチナ人は、労働許可の期間に少しでも収益を増やすため、できる限り長く働こうとする。次にいつイスラエルに入る許可が得られるか、全く見当がつかないからだ。ワファは話した。「彼らは、私たちを『甘やかされている』と言います。私たちの持つイスラエルのIDを、途方もない宝と感じているのです。そんな宝を持っているのに、なぜただひとつ残された農業のきつい労働まで取っていくのかと言うのです。私は、私たちは同じ側に立っていて、困難に対してともに立ち向かっていくべきものなのだと伝えようとしています。」

私はさらに尋ねた。「イスラエルのアラブ人には、別な見方をしている人たちもいて、パレスチナ人こそが、自分たちの仕事を取っていっていると考えています。そういう考えの人たちには何と伝えたいですか?」

「こう伝えたい。『あなたの良心はどこに行ったの? 包囲され、フェンスや壁の中に閉じ込められ、食べていく道も閉ざされている人に、いったいどうしろと言うの?』イスラエル内のアラブの友人たちに、私はパレスチナ女性に対してつんけんしないように言っています。イスラエルは、彼女たちに当然のように仕事を与えなければいけないはずです。そうしなければ、爆発してしまうでしょう」

現在のパレスチナ女性の一番の関心事は、検問所と身分証明書と就労許可証だとワファは言う。イスラエルが占領地区を閉鎖すると、オリーブ収穫のため分離壁の反対側にいく必要のある人にしか就労許可証を出さない。こういった人々の多くは、オリーブを手放し、許可証を労働者たちに1000シェケル(訳註:2万5千円)で売る道を選ぶ。

「私たちと一緒に働いている労働者の中に、妊娠しているパレスチナ女性がいます。毎日、彼女は検問所の回転ゲートを通過しようとする人ごみの中を押したり突いたりして進まなければなりません。あまりに混雑がひどくて、鉄格子で怪我をする人も出ます。朝の2時半に家を出て検問所の長蛇の列に並び、それでも遅刻してしまいます。」

「この奴隷のような生活から抜け出すには、私たち自身が立ち向かうしかありません。他の誰も、私たちを自由にしてはくれません。まだ小さな集まりではありますが、私はWACにとても期待しています。ヒスタドルート(イスラエル労働総同盟)は全く当てになりませんでした。ユダヤ人労働者しか尊重されないのですが、健康保険に加入する条件になっていたので、否応なく参加せざるを得ませんでした。WACは参加するかしないか自由に決めることができるので、会員を維持していくため本当の利点を提供してくれるのです。」

 

ニュース・トップに戻る