*2004年6月に早尾がパレスチナ・フォーラムMLに投稿した文章の一部抜粋です。

 

変わりゆく風景1(ヘブロン)

先日、エルサレムとラマッラーのあいだのチェックポイントのフェンスが本物のコンクリート壁になり、様変わりしていたと書きましたが、他の街も時間を空けて訪問をすると、大きな変化に驚かされることがあります。

ヘブロンは、イブラーヒーム・モスクとそれをはさむ二つのユダヤ人入植地群のために、もっとも封鎖が厳しかった街の一つです。とりわけモスクに接する旧市街の一画を、乗っ取り占拠をする形で入植地があるために、旧市街に対する封鎖は厳しさを極め、事実上丸二年間は商業活動を禁じられていました。訪れるたびに、人気のしないシャッター街の中で人びとはどのようにして生きているのかと不思議でしたが、すでに親戚を頼って他の街に移ってしまった家も少なくはないとのことです。

旧市街の外側に展開する広大な屋台市場も、大都市ヘブロンの特徴の一つでしたが、一頃はイスラエル軍がブルドーザーで一掃してしまったこともあります。今年に入っても、そうした状況は基本的には変わりがありませんでした。

それが、先日訪れたときには、ヘブロンはその頃からは想像ができないほどに活況を呈していました。セルビス(乗り合いタクシー)は、すでに新市街に入ってからは渋滞で進むことができなくなり、降ろされた地点から旧市街の入り口に至るまでの一帯は、(1kmぐらいはあったでしょうか)延々と屋台市場が繰り広げられていました。肉野菜や衣服の日用生活品から、電化製品やペット、そして工業都市ヘブロンらしく工具や機械部品までが、ところせましと並んでいました。

そしてまた驚いたのは、旧市街の内部でも、まだ一割には満たない数ですが、閉じられていた鉄扉が開けられて、お店が開いていたのです。ああ、生きていたのか!っていうくらいの感慨がありました。外出禁止令・封鎖令はいまは出ていないとのこと。しかし、逆に言えば、それでも開けられないでいるお店の9割はどうしたのか。先にも書きましたが、すでにそこを離れたのか、あるいはまだ商売にならないから開けないのか。いくつかのお店が開いたということの嬉しさと、しかしまだまだ占領の影が濃いことの再確認と、そういうものが入り交じった感覚です。

モスクも訪れ、さらにモスクと巨大入植地キルヤット・アルバアのあいだの「回廊計画地帯」を見てから、旧市街を通って戻ろうとすると、一人の少年とその後を追うように寄り添う小さな子羊。首に鈴がついていて、カランコロンと音を鳴らして。茶色と白のツートンカラーがかわいらしさを増しています。見た瞬間に、駆け寄って撫で回してしまいました。人懐っこく、子犬のようにじゃれてきます。すると少年がにこやかに「来月には食べるんだ」と一言。「ええー、ペットじゃないの?」と声をあげると、「羊は小さいほうがおいしい」と。うーむ、それはそうだけど、しかし食べる子羊に鈴までつけて散歩なんかするかなぁ。冗談を言っているのではないか。

ヘブロンと言えば、荒んだイメージばかりでしたが、こういう心和む風景もあり、パレスチナ社会の強さもまた見ることができたように思います。

変わりゆく風景2(ジェニーン)

先日、ジェニーンに行ったときの感想です。破壊された後の難民キャンプを見るのは久しぶりのことでした。今回は、「建築ラッシュ」を目の前にして、その復興ぶりに驚かされました。

一帯が瓦礫の山と化し、その後きれいさっぱりに撤去され整地もされ、何もない広大な更地になりました。その「何もない」空間というのが、それでもかつての破壊活動の存在を示しているように思われましたが、いまその場所にビッシリと家屋が建ち並びつつあります。一望できていた衝撃的な破壊の風景の激変ぶりに、実感がなかなか伴いません。

いまでこそ、その一帯のほとんどがまだ建築途中で、あまりに一斉に広大な地域で建設が進んでいるので、独特の雰囲気を漂わせていますが、これからすべての建物が完成し、人びとが戻ってきて住み始めたら、もしかすると、外から見たら、虐殺と破壊の痕跡は表面上は消え去ってしまうのかもしれません。もちろん当人たちが忘れるということはありえないとしてもです。

長く住み慣れた家というのはおそらく、家具やその配置や、壁の傷や落書きや、臭いなどに至るまで、全体の雰囲気が場所をなしていくのでしょう。「殺された人は戻らないけれども、家は何度でも建て直せる」としばしば言われますが、しかし、さまざまな思い出の詰まった家を破壊するということは、途方もない暴力であるということを、一帯の建築ラッシュは、改めて思い起こさせます。

以前、知り合いの家が家屋破壊に遭いましたが、とりあえず一階部分が再建されて引っ越しをするまでのあいだ、そこの子どものうちの一人が、再建中の家に近づこうとしなかったことを思い出します。避難滞在先からせいぜい200mも離れていませんでしたが、見に行きたくないと言うのです。以前の元の家への想いが感じられました。

ジェニーン難民キャンプの場合は、そうしたことが数百という単位で存在しているわけで、もちろん僕らがその一つ一つを知ることができるわけではありませんが、急速に変容していくその景色を見ていると、破壊の規模というだけでなく、それが一人一人にもたらす精神的な影響は、想像を絶するほどのものであろうと思います。

変わりゆく風景3(アッラーム/カランディア)

先日、カランディアのチェックポイントのフェンスが本物の壁に変わったと書きましたが、いまその壁は、そこからエルサレムに向かう道路の上に立とうとしています。昨年から何度も抗議活動がなされてきましたが、傍若無人なイスラエルと、それを許す国際社会の中で、アパルトヘイトの壁は、止まる気配すら見せることなく、そして誰憚ることなく、増殖していっています。

二週間前には、壁を立てるための土台の整備が進んでいるなぁと思って見ていましたが、一週間前からは、そこに並べて立てるための壁が次々と大型トレーラーで運び込まれては、地面に横たえられていきました。一昨日に通ったときには、それが延々と続いており、運び込みが完了するや、明日にでも壁が立ち始めそうな勢いです。実際、一週間後に見るであろうアッラームからカランディアに至る道路の風景は、目を疑うようなものに一変しているはずです。そして、それが分かっていながら止めることができないということが、不条理さを増していきます。

おそらく、このような風景の激変は、これまで壁が作られてきた他のあらゆる地域で起きたことでしょう。