*2002年11月29日に早尾がパレスチナ・フォーラムMLに投稿した文章の一部抜粋です。

 

ヘブライ大より21:入獄準備(兵役拒否)

いま僕がいっしょに住んでいるフラットメイトの一人は、いわゆるドルーズ教徒です。イスラエル国内のドルーズ教徒は、フル・シチズンシップを持っています。兵役義務も含めて。ゴラン高原のドルーズは、兵役がないほか、いくらか市民権に制約があるそうです。そもそもゴランのドルーズはイスラエル人という自己認識を持っていないでしょうし。

イスラエル国内のドルーズは、アラブでありながら、非ムスリムとして、イスラエルからは「逆差別」的に兵役を課されています。ムスリムは兵役がない(銃など持たせられない)。「分断と支配」の政策で、ドルーズは兵役につかせられ、警備などとしてパレスチナ人に対峙する位置に立たせられます。そうして政府はアラブの中に分断を持ち込むのです。反作用的に、「ドルーズはイスラエルに対する愛国心が強い」などと言われる。パレスチナ人の弾圧に荷担することがイスラエルに対する「忠誠の証明」になってしまうような構造がある。

彼はそういう分断政策そのものを拒否するために、兵役を拒否して、かつ自分が「パレスチナ人である」ということを宣言する。「自分はパレスチナ人だ」と言うこと自体が、政治的な意思表示になるのです。彼はパレスチナ人が5つに分断されてしまったことを強調します。西岸、ガザ、東エルサレム、イスラエル内、国外の難民。そしてその中にもさまざまな分断をイスラエルは持ち込もうとしているわけです。彼が「自分はパレスチナ人だ」と明言することは、そういう分断に抵抗をすること、そしてパレスチナ人主体を作り出しそれを支えるという大切な意味を持ちます。

さて、彼はこうして兵役を拒否しましたが、そのことで4ヶ月投獄されました。彼は三人兄弟で兄弟全員拒否者です。彼は二番目で、お兄さんは丸1年投獄されたそうです。この期間は何によって変わるのかぜんぜん分からないのだそうです。知り合いで3ヶ月で出られた人もいると言っていました。

そして彼の弟は、今年高校を卒業しました。こちらでは10月からの新年度になりますので、もう兵役に就く人は徴集されていますが、この弟氏はやはり拒否の意思を伝えました。で、「弟さんはいま獄中?」と訊くと、彼は「まだ。いま入獄準備中。新年度に入学準備じゃないんだな(笑)」と笑い飛ばすのです。

彼の冗談好きは、かなりポリティカルに皮肉が利いていて、前に「爆発音の後に悲鳴があがるか歓声があがるかで、銃撃かラマダーンかが分かる」と言ったのも彼でした。いっしょに出かける前に彼は入念にヒゲを剃っていて、「きれいに剃っておかないと、兵士に呼び止められてうるさいから」と言ったのを、僕は本気に信じて「へぇー」と言ったら、「冗談だ、笑え!」。(アラブはヒゲを生やしている人が多いと言われるので。そうじゃない人もいっぱいいるけど。)

兵役拒否に関する傑作ジョークがもう一つあります。「イェッシュ・グヴール」というイスラエルの平和運動団体も兵役拒否運動を支えているのですが、基本的にはその名前に示されているように、占領地内での軍務拒否に焦点を当てています。ヘブライ語で「イェッシュ」は「there is」にあたり、「〜がある」。「グヴール」は「limit/border」つまり「限界/境界」。つまり、「もう限界だ!」という叫びと、「(軍務には越えてはならない)境界線があるだろ!」という訴えが掛け合わされているわけです。

でも、このドルーズのルームメイトは、「自分らの兵役拒否は、イェッシュ・グヴールのものとは性質が違う。あれでは不十分だ。自分が問題にしているのは、この国のシオニズム的・人種差別的姿勢そのもの。占領地から引け、ということではない。このヘブライ大の教官の中にもイェッシュ・グヴールの支持者がいるけれど、彼らの頭がイェッシュ・グヴールだと言っておきたい(笑)」。もちろん彼らの運動が広がることも当面は大事だと思う、と付け加えていましたが。

みんな笑っちゃいけないだろうと思いつつ、彼が真顔でジョークとも本気ともつかないことを言ったあと、ニッといたずらっぽく笑うと、こちらも笑いをこらえられない。こういうジョークがジョークとして成り立ってしまうそういう文脈が厳しい現実の中にあるからこそ、言う側も受ける側も笑いのポイントが共有されているのだなぁと思いました。(11月28日)