(前提知識がないとちょっと難しい文章です)

Challennge 2001年5-6月号より

ガリラヤの「ユダヤ化」!
アサフ・アディブ


2000年10月初めに、イスラエル内のアラブ人がインティファーダをどんなに支持したかを見て以来、政府は、アラブ人に対するアプローチを変えてきた。共存と相互発展の約束は古いスローガンに道を譲った。「ガリラヤをユダヤ化せよ!」 アリエル・シャロンの右派体制に直面して、地元のアラブ指導者は無気力に見える。(アラブ指導者の)労働党との協力の失敗が体制に新しいアプローチの計画へと導いた。そのかわり、アラブ指導者はシャロンの中に積極的な質を探す。


2000年10月の第1週の間、イスラエル内のアラブ人はインティファーダに加わった。お返しに、イスラエル政府(体制)はその古い道へ戻った。「出る(アウト)」のは、アラブ人とユダヤ人の共同プロジェクト、共存と相互発展の呼びかけ。「入る(イン)」のは、アラブ住民の多い地域でユダヤ人のプレゼンス(存在)を強化する計画だ。

1976年3月30日のデモ以来、「土地の日」はアラブ住民の生活の中で、中心的な政治行事だった。今年、この日が近付くと、シャロンは、アラブ指導者と何回もの友好的な集まりを設けて、彼らの不満を考慮すると約束した。これは、予想されるアラブの抵抗を無化する企てだった。

しかしながら、ここ数カ月、シャロンのアラブ市民に対する姿勢の本当の形が表れ始めた。その変化は、公式決定の中にはない。リクードは労働党のしっかりとした古い方法を学んだようだ。「やることを話すな! やれ!」 にもかかわらず、新聞諸紙はガリラヤの「ユダヤ化」を主旨とする計画やプロジェクトを報告する。つまり、イスラエルは1976年3月30日、土地の日に噴火を引き起こした政策とまさに同じ政策に戻ったのだ。

ヘブライ語の日刊紙Yediot Aharonot(3月13日)の記事が真実の一部を暴露した。筆者Ofer Petersburgによれば、アル・アクサ・インティファーダは、ガリラヤに住む「見張り人」と呼ばれる少数のユダヤ人入植者に深くショックを与えた。新鮮な空気と生活の質で知られた小さな共同体から、彼らはすぐに、包囲攻撃下の前哨基地となった。驚くべき経験によって、結論が引き出された。Petersburgは、「数日内にガリラヤにユダヤ入植地を広げ始める政策がとられるだろう」と書いた。

ガリラヤのユダヤ都市(Nazareth Ilit、カルミエール、アッカ、Migdal Ha-Emak)の市長たちは50万人のユダヤ人をこの地域につれてくる必要性を述べた文書を用意していた。地方紙Kol Ha-Emekv' Hagalil (2月23日)によれば、その文書は内閣事務局の助言で準備された。Nazareth Ilitやカルミエールといった、ここ40年のユダヤ化の中心地は、それぞれ現状の4万人から10万人に人口を増加させるべきだとこの文書は規定している。

ハーレツ紙(4月29日)の不動産付録が報じたところによると、住宅省は、現在の用地の発展をさせ、ネゲブ、Gilboa地域(ガリラヤの南端)、ハイファ近郊に新しい街を建設すると計画している。拡大される場所の中に、ウンム・アル・ファヘム(訳註:アラブの村)の南に位置するHarishがある。もともとは、90年代のシャロンのセブンスター計画の一つの街であるHarishは、2万の居住ユニットの超正統派の中心地となる予定である。住宅大臣のNatan Sharanskyはまた、Tefen地域(上ガリラヤ、マジダ・ル・クルム村の北)に新しい都市を建設することを提案した。

先頭:ミスガブ

過去と同様に、ミスガブ地方議会がユダヤ化キャンペーンの先頭に立っている。その移住地の拡大は、アラブの村々の抵抗に対する政府の挑戦的な応答だ。アラーべ村やサフニーン村では、10月の警察との衝突で4人の子どもを失った。ハーレツ紙(4月15日)の不動産付録によると、政府の承認した計画では、見張り所の一つであるEshkhar(サフニーンの北)を70家族から600家族へと拡大することになっている。入札に勝った、Y.D.ミレニアムという会社が、3部屋の庭付き住宅を13万ドルという魅力的な価格、で提供するだろう。その目的は、ユダヤ人のハイテク従事者、独立専門家を惹き付けることだ。新聞は、二つの先端イスラエル・ハイテク企業が、ミスガブ入植地に、研究センターと生産センターを開設することを計画していると報じた。

新インティファーダに先行する年月、ミスガブ地方議会は、その戦略を変えていた。80年代、ミスガブは、反アラブ宣伝に満ちた、恐ろしいキャンペーンを指揮した。サフニーン、アラーべ、デイル・ハンナ村に対して(これら3つの町は、1976年の土地の日に中心的な役割を担ったので、「鉄のトライアングル」と呼ばれた)。しかし、オスロ合意後、議会は協力、共存という言葉を多く口にするようになった。新しい戦略はアラブ指導者の耳に快く響いた。彼らは、対立よりもシステムとの合併政策を好んだ。ミスガブ議会は、スプリング・フェスティバルや観光施設の発展、さらには見張りの入植地にユダヤ・アラブ学校を作るなどの共同プロジェクトを始めた。

観光プロジェクトにおいて、多くのアラブ人家族が、イスラエル・ユダヤ人の客を期待して客室を作った。短い、幸せな間、アラブの村はエキゾチックな場所で、旅行者に昔からの本物の味、薫り、風景を提供した。しかしいまや、イスラエル・ユダヤ人の目には、それらは以前のように戻った。憎しみと極端主義。客室は空きのままだ。2001年4月のスプリング・フェスティバルにはアラブの参加はなかった。

政府の政策変更は、失業を増加させ、アラブの地元経済を転落させた。(→「観光地図からのナザレの欠落」)

Herzilia文書:新しい一致に向けて

3月、Herzliaの学際センターで、学術、治安の主要メンバー300人が会合し、新しいアプローチを作定した。メンバーの中には、予備軍大将Shlomo Gazit(前イスラエル郡情報長官)がいた。Gazitは5、6年間、アラビア語新聞紙al-Sunaraに定期的にコラムを書き、オスロ合意への支持を説いていた。しかし、3月26日のインタヴューで、イスラエルに独裁を打ち立てアラブ住民と距離を取る時期が来たという意見を表明した。彼の考えでは、イスラエルが直面する戦略的な危険は、イランやイラクから来るのではなく、グリーンライン(訳注:1948年停戦ライン)の両側のパレスチナ人口の自然増加から来るというのだ。

会議の提案は、Gazitの考えとそう違わない。彼らは、いまのところ、公の政策を代表しているわけではないが、彼らを気の狂った右翼の一派だと考えるのは間違いだろう。参加者リストを見ると、会議組織者Dr.Uzi Arad(ベンヤミン・ネタニヤフのかつてのアドバイザー)が「ここにいなかった者は誰であれ、かつてのようにイスラエルの上層部の一員であるとはみなされないだろう」意見を述べた。さらに、参加者の人口予測が正しいとしたら、彼らが薦めた政策を取らない限り、どのようにユダヤ的、シオニズム的性格を維持するのか考えるのは確かに困難だ。イスラエル人投票者の62.5%がシャロンを選んだと言うことも思い出す必要がある。彼の内閣には、長年、アラブの「移動」を主張してきたRechavam Ze'evi が含まれている。

シャロンに言い寄るアラブ・リーダーシップ

2000年10月、イスラエル内のアラブ人がパレスチナ抗議運動に参加したとき、体制は過激な方法をとった。警察は、デモ隊に実弾を撃ち、13人を殺した。政府は流血行動に戻り、その後、きちんとした調査を避けようとした。その結果、アラブ有権者のうち、18%しか2月の首相選挙に参加しなかった(1999年は70%)。その他の人は、「より悪くない人」を支持する誘惑に抵抗した。90年代を通じて、リーダーたちが主張し成功していたようにはいかなかった。

これらの事態の発展に直面して、人々はアラブ指導者たちが結論を出すことを望んだ。

しかし、彼らはそうしなかった。その代わりに、シャロン当選後、少しずつ彼に会い始めた。「新」シャロンをまず発見したのは、ハダッシュ(民主平和戦線:共産党に含まれる)のイサーム・マフールだった。Tamar Gozansky(ハダッシュ)によると、彼はシャロンとアラファトの間でメッセージを運びはじめた。3月26日、シャロンとの会合の後でマフールはいい意味で驚いたと言った。「新首相は、アラブ住民の問題に理解を示した」 翌日、SMC(アラブ住民の高等諮問委員会)議長のムハンマド・ゼイダーン率いるアラブ地方議会議長たちも、シャロンと会合を持った。彼らは楽観的な意見で立ち去った。彼らは、クネセトの前で3月28日に差別に抗議してデモを行う予定だったが、シャロンの約束の観点から、彼らはそれを取り止めることに決めた。そして、彼らは抑制した「責任ある」隊列をなした。

土地の日に、ある一つのアラブの町にステージを組み、すべてのアラブ政党の代表者がスピーチをするのが習慣となっている。今年は、10月の事件と、警察へのアラブ人たちの抗議に対して政府が見せたまったくの軽蔑のために、スピーチの立会人はこの怒りを大きなショーの形で表わそうとした。そして、最初のうちはそうなるかに見えた。サフニーン村での土地の日のデモには、2万5千人が参加し、リーダーたちの声を熱心に聞こうとした。しかし、彼らは、誰もステージを組んでいないことに驚いた。サフニーンの市長が5分間だけスピーチをして、そしてデモ参加者たちは帰らされた。この同じ日に、占領地でイスラエルは5人のパレスチナ人を殺したのだった。

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