ほん  だ   そういちろう
本 田 宗一郎
いぶ   か   まさる
井 深  大
本田宗一郎 井深大
1906年、静岡県、現・天竜市に生まれる。高等小学校卒業後、東京の自動車修理工場アート商会に入社。その後、浜松で独立。修理業に飽き足らなくなりピストンリングの製造に転じて成功。戦後、本田技術研究所を設立。自転車の補助エンジンからはじまり、やがて本格的なオートバイを製造。その後四輪にも進出した。果敢なチャレンジ精神、常に世界を見つめる眼で邁進し、"世界のHONDA"を築き上げた。91年に84歳で死去。 1908年、栃木県、現・日光市に生まれる。父甫は、将来を嘱望される優秀な技術者、母さわは、日本女子大学校(現日本女子大学)に学んだ才媛だった。幼年より好奇心が旺盛で機械いじり熱中、早稲田大学在学中に「走るネオン」を発明。技術開発と時代の先を読んだ製品で、町工場を"世界のSONY"へと成長させた。晩年は、幼児教育に傾倒、心豊かな人間の育成を目指した。97年89歳で死去。