記事タイトル:「連坊・栄町」 |
コメント・ありがと〜〜。 エモーショナルな話には、なかなかコメントが付かなくて・・いやいや。 うれしいです〜〜〜。 そして・・なんか、いい感じのコメントです〜〜。たはは〜。 うん、文章から私の気持ち、理解してもらえたんだ・・何か、うれしいです みいさんは「連坊」に縁が深いんですねー。 私も連坊は発祥の地・・そっか〜〜あそこを通学してたんだ・・。 やっぱり1高生は2女高生と、お付き合いする率が高かったのかなあ〜。 私は目の前の2女高を素通りして1高生と2女高生をかきわけ3女高に 通ったなあ〜〜くく〜〜〜。 でも私は3女高は好きだったんだ。 みんな「大学もいいけど・・お嫁さんもいいよね〜〜」なんて のんびりした所だったよ〜〜。[2001年12月8日 20時38分59秒]
そういった感情って大切にしたほうがいいですよ(^^ ところで、連坊って、通勤路。 高校ん時は片平から一のつく高校までの道のりだったんで、通学路(笑) 私もとても思い入れのある町です。 お寺がたくさんあって、「坊さんが連なる」から連坊なの? そんな話きいたことあったんで(笑)[2001年12月8日 0時57分16秒]
私は今日、連坊に介護保険の調査に行った。 ・・子供の頃、連坊に住んでいた私は喜んで訪問したが、訪問先の家には 駐車場がなく「こちらに止めてください」と案内された契約駐車場は、なんと 私が住んでた家をつぶした所にできた駐車場だった。 「ここで生まれて育ったんだな〜〜」 私は自室のあった場所に立ち、いつも窓から眺めていた方向を見た。 私は「いつも、おかーさんのスカートにしがみついてる子供だった。」 極端な人見知りの為、知らない人と口をきいた事などなかった。 思い出すのは「おつかい」 店の人に「これ、ください」と言えなくて (並み居る、おばちゃん方を押しのけるのも不可能で・・) 店の人が気が付いて「何買うの?」って言うのを ただ、ひたすら「待っていた」・・思えば「ぼんやりした子供」だった。 連坊の空を眺めながら、ちょっとばっかし「涙」なんか出たりした。 泣く理由なんかは何もなかったんだけど ただ・・・・。 「買い物ひとつできない子供」だったけど・・でも、今、自分は、 妥協せず自分が信じた道を世の中と戦っても「進みたい」と思う強さを 身に付ける事ができていると思う。 不器用だから「もっとうまく生きてる人は、世の中にたくさん居る」 だけど「へたくそながらも頑張って人生を真っ直ぐ歩きたい」と思う この自分を捨てる事はなかった・・。 (まあ、そこが、へたくその由縁だったりするんだが・・) 「よく、頑張ってるな〜あんな、声ひとつ出せない子供だったのに・・・」 しかも、今は「人前でライブ」までしちゃってるし・・・。 町並みのすっかり変わった連坊小路。自分の家だった駐車場。 そこに立っていたのは「頑張ってると思える自分」 多分・・私は幸せなんだと思う。 ・・そんな涙だったんだ・・今日のは・・・。[2001年12月7日 21時41分12秒]