記事タイトル:ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフ 


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お名前: 管理人   
もりおくんに返事を書いてて思い出した。
ど〜して私が我が道を行く人になったのか・・・。
もちろん「生まれつき」は在る。が・・中学生位まではおかーさんに反抗した
事はなかった・・(多少、自信はないけど・・)あっ!嘘かも・・蘇る反抗の
記憶の数々・・。ん〜。が・・しかし、とりあえず大人の言う事は聞くもんだ
と言う理解はあった。常識は従うもの・・。ところが、ある日・・
ブームタウン・ラッツの「アイ・ドント・ライク・マンデイ」を聞いた。
パンクと色分けされていたね。
「私は月曜日に機関銃を学校で乱射した・・だって月曜日が嫌いだから・・」
あ〜れ〜。カルチャー・ショック!!!私は倫理教育は死ぬ程されていた。
しかも父親は警察官。「銃の乱射なんていけないに決まってる」
えっ!でも世の中には是非はともかく、それを歌にしてる人が居る。
しかも「それって、とっても、いけない事だよね」って結論はつけてない。
聞く人に判断をゆだねてる。しかも理由は「月曜が嫌い」ええっ〜!
そんなの、あり〜?
誤解を招くといけない理由なき無差別テロの乱射はいけない。もちろん。当然。
この歌は、それを決して肯定はしていない。
しかし、そんな絶対いけない事でさえ「否定」でくくりきれない部分がある。
私は、そう受け取った。ボブ・ゲルドフは否定でくくらなかった。
聞く人に判断をゆだねた。それは「人生の答えはひとつじゃない」
「大人の話だけが正論じゃない」「君の感じるままを受け入れてくれる世界はある」
そんな気がしたんだ。・・感じすぎとも思えるが・・。まあ多感な時期だから。
その辺からかなあ・・「世間」をあまり気にしなくなったのは・・。
自分が真実と感じる事を重視する様になった。
ボブ・ゲルドフの目はやさしそうで悲しそうで
「追い詰められた者への許容」を秘めてる。
後年、戦争難民の為のチャリティ・ライブの発起人になったボブ・ゲルドフ
アメリカの「ウィ−・アー・ザ・ワールド」の前年だった。
やっぱり・・と思った。彼なら、やりそうな事だ。
ボブ・ゲルドフは最悪の事態も冷静に自分で判断しようとする奴。
他人の判断基準は・・いまいち意味がないと思う奴
と・・・勝手に中学生の自分は考えたんだな・・。思い込みだな〜。
[2001年8月13日 22時6分33秒]

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