ある私の知り合いの暴言
大学院の研究室に属していれば、色んな人がいるもので、
真面目な人、おちゃらけた人、周りを引っ張るエネルギッシュな人、年配であるけれども学ぶ意欲は若者に引けを取らない人・・・
もちろんそんな良い人たちばかりではない。私の知っている人で一人だけ困った人がいる。
このエッセーでその人が吐いた暴言をまとめるが、
あえてこういう行動に出たのは、
私自身がその暴言に対して感じた「怒り」を整理するのと、
私はそんなことを言うような人間になってはいけない、と自分を戒める、という二つの目的からである。
(どうせその本人及び関係者はこのエッセーを読まないだろう、という読みもある)
なお、ここではその人のことをXさんと呼ぶことにする。その人は私と同じ、博士課程に属している。
その1.「私を指導できる教官はここ(私の大学)にはいない」
・・・どうも自分の考えをわかってもらえないことから、この発言が出たらしい。
しかし、何かを伝える側として、自分の言うことがわかってもらえなかったときは、
まず相手をこき下ろすのではなく、伝える側としての最大限の努力を払うべきだと思う。
(言葉づかいが難しかったか、まだ私自身わかってない部分があるんじゃないか、などのように)
何がおかしいのだろうかと考えをめぐらすことが、結局は自分の研究を進める原動力になる。
そういう努力をしないで相手の批判に終始する人間に、物事をわかりやすく伝えるという力はつかない。
その2.「北大の博士論文がどれくらいのレベルかみてみたい」
・・・こういうセリフを吐いて良いのは、
少なくとも北大以上のレベルの研究機関・大学で、実際に博士号を貰った人のみである。
Xさんは、博士号を貰っていないのはもちろん、博士論文を書く許可ももらっていないはずだ。
それにXさん自身、「私は論文が足りない」(つまり業績としての論文が足りない)と言っていたはずなのだが。
そんな人が冒頭のセリフを吐くなんて非常識以外の何者でもない。
その3.「北で内向的にやっていても学問的交流が極めて少ない」
・・・ちょっと補足をすると、「北」というのは北海道規模で行われる英文系の学会を指す。
もっと全国を意識しろ、というのは大事なことだ。狭い地域で閉じこもるのは確かに良くない。
しかし、北海道規模での学会が「内向的」「交流が少ない」だとはちっとも思わない。いや、思ってはいけない。
そこでも学ぶべきことは、自分が心がけさえすればいくらでも見つかるのだ。
これはXさんが私に書いたメールにあるセリフで、このせりふのあと「もちろんそれはそれで実りはあるんですが」
とフォローしているのだが、この人の本心がどこにあるのかは、もはや書くまでもないだろう。
その4.「博士課程は博士論文を書く場所ではない」
・・・これを暴言と受け取るのは、研究室の中でも今の私くらいかもしれない。
なぜこれを暴言と感じたかというと、
今の私は、何年かかっても博士論文を書き上げてやる、と気合を入れているからだ。
確かに博士論文を書き上げるのは大変なことだ。
しかしだからといって、その意欲をわざわざそぐようなことを言う権利が、Xさんのどこにあるというのか。
以上、4つの暴言をここでは挙げたが、共通しているのは大まかに次の二つであろ。
・自意識過剰
・謙虚さ、自分を磨こうとする意識が欠けている
こんな人間になってはいけない。
最後に、少々過激なことを言うようだが、
このような人間はいずれ消えると思っている(死ぬという意味ではなくて、研究の世界でやっていけない、ということ)。
そんな人間には信用も仕事も金も運も何も寄ってこないだろうし、
強弱の程度はあれ、芯の通っていない人間は、何においても十分な成果はあげられないだろう、という確信があるからだ。
(2004年7月24日)