壊すこと、作り直すこと
私の近所の人が家を建て替えるために、今日(2000年5月25日)その取り壊しがされた。
その家は、聞いたところ築30年である。
30年という時間を壊すのにわずか数時間の時間があれば十分なのだ。
しかし立て直すのに、数時間では明らかに足りない。数ヶ月はかかるのだろう。
時間だけではない。お金もかかる。
「壊す」のは本当に簡単だ。逆に「作り直す」のは難しい。
それは何も形あるものだけに言える事でもない。
私はかつて、とても仲の良かった友人と、私の一言が原因で仲がこじれてしまったことがある。
その事自体、人付き合いをしていればよくあることだし、その時もその程度の認識しかしていなかった。
しかしこのときは違った。相手と打ち解けることができない。
時間が解決するだろう、というが、このときはそうは行かなかった。
そうしてその人とはいつのまにか口を聞かないことに慣れてしまっていた。
仲の良かった時は、その人と口を聞かない日など無かったくらいだったのに、である。
それを考えると、あっという間に、その人との関係は壊れてしまったのだ。
それから時間が経って、偶然その人と鉢合わせしてしまった。
その人は私に、緊張した面持ちで「こんにちは」と挨拶した。
「やあ」とか気軽に挨拶するでもなく、かといって無視するわけでもなく
ただ「こんにちは」という挨拶だった。
まるで初めて口を聞くかのようなリアクションだった。
私はこのとき「リセット」されたような気がした。
「リセット」とは「作り直す」機会だ。それは分かっていた。
しかし、結局今もその人との関係は作り直されていない。
たぶんこれからも修復されることはないであろう。もうその気もない。
その時の私には「作り直す」勇気がなかったのだろう。
「壊す」ことにはもちろん、壊したものを「作り直す」ことにもリスクが伴う。
私はそんな勇気が欲しい。
壊されて行く家を見ながら、こんなことを考えた。