韓国旅行記
さて、2005年の7月16日(土)〜23日(土)、実に7泊8日のスケジュールで韓国はソウルに行ってきた。
目的は国際学会に参加すること・・・それとソウルを観光すること。
研究発表はしないので気楽なものだ。事前にガイドブックを買い、韓国語は文字を読めるようになるまでは勉強していた。
以下、長くなるが、今回の旅行記を振り返ってみたい。
7月16日(土)
この日の14:05分千歳発、17:00ソウル仁川(インチョン)国際空港着のJALに乗る。
JALと書いたが、実際に乗るのはコリアンエアー(コードシェア便という)。
同行者(指導教官1名。後輩2名)のうち、後輩が「コリアンエアーはこわい」と言う。
私はそんなことを知らなかったので、それを聞いてびっくりしたが、とりあえずチェックイン。
ここで2万円をウォンに両替する。手数料混みで25000円近くかかる。
そして出国審査。ここの審査官は無愛想で面白くない。あっさり出国審査を終え、「海外に行くってこんなに簡単なんだ」と思う。
(海外旅行は今回が初めてなのだ)
時間通り離陸。ここからコリアンエアーの凄さを知る。まず、当たり前だが、乗務員は全員韓国人。
この便は機内食が出るのだが、日本語がさほど堪能でないらしく、
「焼肉にしますか?それともコリにしますか?」とメニューを選択させる(コリ=カレーだった)。
私は「焼肉と何ですか?」と聞いたつもりだったが、乗務員は「焼肉ですね?」と勝手に受け取り、有無を言わさず焼肉が出された。
ただ、焼肉は普通に美味しく感動した(機内食の評判はよくないので)。カレーはまずかったらしい。その後も
「コーラいかがですか?」「ビールいかがですか?」「コーイいかがですか?」(注:コーイ=コーヒーのことだった)
と、10分以内に立て続けに飲み物のサービスをしてくる。
その後は普通に飛んでいて「なんだ全然怖くないじゃん」と思っていたら、朝鮮半島の上空に入ったあたりで突然ゆれだす。
しかも縦ゆれ(エレベーターが急降下する感じ)。正直怖かった。飛行機に乗っていて久々に怖い思いをしたが、
客室乗務員の一人があわてて戻るのだが、
ゆれでバランスをくずし、よろけて、「きゃっ」と声を上げて私にぶつかってきた。
このとき、「客室乗務員は焦りをみせちゃいかん」と思った(このあせりようを見て、ますます怖くなった)。
・・・色々あったが、無事にソウルに到着。預けた荷物がなかなか来ないというアクシデントに出会ったが、
日本同様無愛想な入国審査を済ませ、あっさりと韓国に入る。
そしてソウル市内に向かうため、リムジンバスに乗る。
しかしここでアクシデント発生。バスが何かにぶつかったらしく、フロントの窓にひびが入った。
しかしそれにとどまらず、運転手は一度止まって窓を見たものの、その後何事もなかったかのごとくバスを走らせる。
おい大丈夫かこの国は。と不安になったのは言うまでもない。
何とか無事にソウル市内に入り、ホテルにチェックイン。
このホテルもおかしなホテルで、使える言語によって色々なスタッフがいる。
日本語が使えるが、英語がちょっと苦手なスタッフもいれば、
逆に英語が使えるが、日本語が苦手というスタッフもいる。
困るのは、英語も日本語もだめなスタッフがいること。
韓国語ができない私たちにとって、これは困った状況なのである。
それでもチェックインをすませ、東大門市場に夕食を食べに行くが、予想通り迷子になる。
30分以上歩き、そろそろ空腹も疲れも限界、と言うときに、タッカンマリという鳥の水炊きみたいな鍋料理を食べられる店に入る。
鳥足に野菜などを入れた簡単な鍋料理だが、唐辛子ベースのたれにつけるとこれが美味だった。
いきなり美味い韓国料理を食べ、鍋にうどんを追加注文し、これもまた美味い。鳥足からだしが出たスープもすごく美味い。
終わりよければ全てよし、ということで初日が終わった。
7月17日(日)
学会はこの日から始まる予定だったのだが、この日は夕方に登録をし、レセプションという簡単なパーティーがあるのみ。
言ってしまえば、この日に韓国入りしてもよかったのだが、もう来てしまったのだからしょうがない。
3時近くまでソウル市内を観光。この日は南大門に向かう。
昼食の店を探すが見つからない(後で地図を見たら衣料品店街を歩いていた)。
あきらめかけたとき、大衆食堂のおばちゃんが、日本語で話しかけてくる。
日本語のメニューもあったので、そこに入ることにし、冷麺を食す。これがまた美味い。日本で700円くらい取られるところが、ここでは5000ウォン。
(注:100ウォンでだいたい10円と換算すればよい)つまり500円。これは安くて多くて美味い。また感動する。
その後は学会会場に向かい、行事を済ませ、ホテルに帰る。
ここで一人先輩と合流し、プルコギの専門店に行く。ちょっと値段が張ったが、美味い。プルコギと、涙が出るほど辛いユッケジャンを食べた。
ここで、少し韓国語を使ってみる。例えば「水を下さい(ムル ジョム ジュセヨ)」「メニューを見せて下さい(メニュパン ジョム ポヨ ジュセヨ)」。
私から話すのは多少できるが、聴き取るのはまだ難しい。でも通じる喜びは英語以上である。
7月18日(月)
この日から本格的に学会がスタートした。
と同時に、この日から、指導教官にモーニングコールをかける係となる。
モーニングコールの設定がわかりにくいので、起こしてくれ、ということになったのだが、
指導教官はこの日発表の司会を行い、翌日は発表。つまり寝坊ができないため、かなりの重要任務を背負ったことになる。
夕食は、ホテル近くの焼肉屋で。厚めの豚肉を豪快に切って焼いた焼肉を食べる
(メニューを読めても何の料理かわからず困っていた私たちに、おばちゃんが持ってきてくれた)。これがまた美味い。
しかしここのおばちゃんは、韓国語のできない日本人の私たちに、容赦なく韓国語で話しかけてくる。
そして一方的に、ややオーバーアクション気味に、食べ方を教える。(サンチュで巻いたり、キムチを乗せたり)
その後「ソージュ?」と繰り返す。私たちは何が何だか分からなかったが、ソージュとは焼酎のこと。
このおばちゃんは実に人間的でよかった。もっとも、もう少し容赦してくれてもよさそうなものだったが、これも韓国の醍醐味なのかもしれない。
その後はチゲ鍋を出してくれて(これは頼んでないのだが、おばちゃんが出してくれた。しかしお金はしっかり取られる)
焼肉とチゲ鍋に、キムチなどの付け合せがつき、焼酎も頼んだので、3,000円くらいかかると思っていたが(肉も美味かったし)
実際は一人900円(!)。ガイドブックに載っていない大衆食堂は穴場だ、と滞在3日目にして気づいた。
その後は、近くのコンビニに行ってミネラルウォーターを調達(韓国の水道水は飲まないほうがいい)、ホテルに戻る。
7月19日(火)
この日も発表。
夕食は大学近くの焼肉でプルコギと冷麺を食べる。
ちょっと値は張るが、やはり美味かった。
7月20日(水)
この日は午前中で終わり、学会で主催する観光ツアーと夕食会がある。
私たちはそれに参加する理由もないので、指導教官が進める「景福宮(キョンボックン)」という王宮と
「昌徳宮(チャンドックン)」という世界遺産に登録された離宮を見学。
見学中、日本語を習っているという韓国人の中学生4人が、私たちに話しかけてきた。
どうやら夏休みの宿題で、日本人に話しかけて、写真を撮って来い、というもの。
紙切れを見ながら、たどたどしくも一生懸命日本語を話している彼らを見て、本心から感動した。
日本の学生はこんなに一生懸命外国語をやるだろうか、と恥ずかしくもなった。
昼食はサムゲタンという、鳥にもち米や朝鮮人参を詰め込んでじっくり煮込んだスープ料理。
白濁した鶏がらスープが美味い。現地では夏のスタミナ料理らしい。
で、帰ろうとしたら、指導教官が
「このチャンドックンの近くにはもう一つ世界遺産があるんですが、時間的に今日は見れない」と言う。
予定では翌日以降も発表が目白押し。あきらめるんだろうと思っていたら
「どこかでサボれる時間帯はありませんかねぇ・・・」とのたまう。
よほど世界遺産を見たいんだ、この人は。
夕食だが、私がガイドブックで見つけたチゲ鍋屋に行こうとしたが、見つからず。
何度も往復したが見つからなかったのであきらめて、ビビンバ専門店に向かう。
なかなか美味い。私はユッケビビンバを食べた。
7月21日(木)
この日からだんだん朝起きれなくなってくる。
しかしそれは指導教官も同じで、モーニングコールをかけて、電話に出る時間が日に日に長くなっていた。
さて、この日はサボれない。魅力的な講師の講義が朝から晩まで入っていたからだ。
しっかり発表を聴き、夕食はソルロンタンという、牛の肉や骨、内臓をじっくり煮込んだ白濁したスープ料理を食す。
好みでご飯やキムチを入れ、塩・こしょうで味付けをするのだが、これまた美味い。
しかし実質的にはスープで夕食を終えた私は、当然足りないと思い、ホテル近くの屋台に繰り出す。
韓国風おでんを食べるのだが、スープが辛くて食えたもんじゃない(結局食べたが)。
たまたま入った屋台が美味しくなかったのか、連れて行った後輩の評判はすこぶる悪い。
あきらめて帰ったが、さらに悪いことに、翌日以降、この屋台が原因なのか、腹の調子を崩してしまうことになる。
そういえば、ここの屋台のおばちゃんたちは、私たちが日本人だと知ったとたん、
韓国語ではなく日本語で勧誘する。「お兄さん美味いよ」「こっちおいで」という勧誘の嵐。
流していると別の店では、「お兄さん、ヒロシです」「お兄さん、宮迫です」
と、どこで知ったのか日本のお笑い文句を出して、必死に勧誘する。笑いをこらえて結局入らなかったのは言うまでもない。
7月22日(金)
いよいよ学会も最終日。
私たちは学会会場・・・ではなく、宗廟(チョンミョ)という世界遺産にいた。
そう、本当にサボったのだ。指導教官曰く「もう二度とこれないかもしれないし、見るべきものは見ておこう」
というわけで先生公認でサボり、私たちは水曜に引き続き、ソウル市内を観光した。
このチョンミョという宮殿は、1592年豊臣軍によりほとんど破壊された、いわくつきの宮殿である。
(確かに建物の案内のほとんど全部に、「豊臣軍により破壊された」と書かれていた。
もっともその後火事により、結局何度か立て直す羽目になったらしいのだが)
案内を読むと、日本統治時代、勝手に動植物園にし、地位を格下げした、とある。
何をやってるんだ日本は、となぜか恥ずかしくなる(と同時に、このことを知らなかった私の歴史認識の甘さも知った)。
その後明洞(ミョンドン)でちょっと買い物をし、学会会場に向かい、最終講義を聴いて講義は終わった。
この日まで私たちの腹痛はけっこうなものになっており、この日の夕食は軽くすませたかったのだが、
指導教官の知り合いに、夕食に誘われたため、断りきれず夕食に行く。
しかも行ったのは、火曜日にも行った焼肉の店。
今回はプルコギではなくカルビを頼む。高い割にいまいちかな、まぁそれでも美味しいのに変わりはなかったが。
7月23日(土)
帰国日。この日は地獄だった。
朝。
我々の飛行機は10:10ソウル発、12:45千歳着の飛行機(これもコリアンエアー)に乗ることになっていたが、
まず2時間前には空港でチェックインを済ませておいたほうがいいらしいので、8時には空港にいないといけない。
そしてソウル市内から空港(インチョン空港)まで、バスで2時間近くと聞いていた。従って6時前にはバス停にいないといけない。
さらにそのバス停のあるホテルには、私たちの泊まったホテルから地下鉄で行かないといけない。
そうなると待ち時間を含めて30分は見ておいたほうがいい。ということは、ホテルを5時半前に出ることになる。
ということは、洗顔・歯磨きなど一通りの身支度をするのにだいたい40分ほど見ないとならない。
さて、こうして逆算し、起きる時間はというと、・・・朝の5時前だ。
(しかも指導教官の意向で、4時15分にモーニングコールをかけることになり、結局起きたのは4時15分だ)
私たちは腹痛も疲れもピークに達した中、朝4時台に起きなければならないという苦行を、最終日にして経験することになる。
さらに地下鉄駅にはエレベーターがないため、重いスーツケースを持って階段を上り下りする。
しかも未明からソウルは暑い。ここまで来たら一種の修行である。
それでもなんとか無事に空港に到着し、
お土産を買い、記念にとっておく分を除いた韓国ウォンは使い切った(あとはクレジットカードで買った)。
しかし、朝ごはんを食べに行ったロッテリアで、せっかく日本円で払ったのにおつりがウォンで返ってくる、という困った出来事が起きる。
日本円にして500円ちょっとだから、たいしたものは変えない。かといって円に換えると手数料が取られる。
しかもウォンは日本では使えない。だったら使ったほうがいい。
仕方がないので飲み物など(機内で出るのに)を買い、何とかほとんど使い切った。
そしてコリアンエアーに乗る。
この日の機内食は、チキンとビーフ。まぁまぁ美味い。
ゆれることもほとんどなく、無事に千歳に到着し、このエッセーを更新しているのである。
韓国と日本の違いがいくつかあって、面白いのだが、
長くなりすぎたので、別のエッセーに書くことにしよう。
(2005年7月23日)