教採ドキュメント

 

9月8日、夜7時。私は岩見沢に到着した。

私は教員採用試験の2次試験を受検するために、ここ岩見沢に来たのだ。

まず宿であるH旅館に荷物を置こうとしたが、先日電話で聞いたとおりに行っても看板が見えてこない。

駅を背にして、一つ目の信号を左に曲がって一丁半…たしかに旅館の人はそういったはずだ。

そこでグルグル市内を回った後、旅館に電話。すると…

「駅を背にして一つ目の信号を右に曲がって、一丁半歩いてください」

…右かい…(管理人注:電話で聞いて撮ったメモにはと書いていた)。

何とか旅館に辿り着き、女将さんの「ようこそおいで頂きました。お疲れでしょう?」

…ああ、疲れたさ。

旅館自体は可もなく不可もなく、といった雰囲気だったが、一人部屋のためくつろげた。

…さて、私の心の焦りは部屋で寛ぎ始めた頃から、すでに始まっていたのかもしれない。

それは、受験票を確認していた時だった。

何気なく裏面を見ると、「検査当日には、実施要領8に掲げる物を必ず持参してください」

…!! チェックしてなかった。

しかも別の本には「当日持っていくものは、筆記用具、受験票、作文・個人調査票などの提出物…」

…明日この提出物が必要だったら終わりだ。

忘れ物をしたら焦るが、何を忘れたかも分からないのはもっと焦る。

私の焦りは極限状態に来ていた。すぐにの○に電話して、確認することにした。

彼なら実施要領を持っているはずだ。私は期待したが、

折りしも彼は大学にいて、手元に実施要領はないとのこと。

それでも私はすがる思いで

「なぁ、北海道の2次試験って何も提出するもんないよなぁ?」

(管理人注:この時点で、私は提出物は無いと決め込んでいた

普通なら「提出物あったっけ?」という聞き方をするはずだが…)

の○によると、確か無かったはずだ、とのことなので、とりあえず平静を取り戻しながら、40分ほど話していた。

電話を切った時間は0時20分過ぎ。翌日は6時半に起きねばならなかったため、

私はそれ以上深く考えず、寝ることにした(管理人注:このときの睡眠は現実逃避の手段だった)

 

 

…9月9日。午前6時30分。携帯のアラーム機能で目を覚ます。寝覚めは良かった。

「体調は心配ないな…」忘れ物は心配だが。

私はおもむろに洗面し、朝食をとり、スーツに着替えた。

この日宿泊したのは私を含めて6人。みなこの日の受験生である。

NHKのニュースをBGMとし、無言のまま食事をとった。

そして宿を出て、私は試験会場へ…ではなくコンビニへ向かった。

結果通知用封筒に切手を貼れといわれていたのだが忘れていたためである。

全くオレは…。

 

そして試験会場に到着。案内の通り教室に入る。

午前中は適性検査が2つ、そして論文検査だ。

1つ目の適性検査は「内田クレペリン検査」というヤツだ。

検査は簡単。単純に足し算を繰り返すだけだ。私は少なくともこの時点ではそうたかをくくっていた。

…しかし、始まってみるとその単純行動がなかなかつらい。集中力が必要というのは言うまでもなく、右手が痛い。

最後の方は、腱鞘炎とか右半身マヒとかを本気で心配したものだ。

隣をチラッとみると、妙に速そうに見えるし…。

2つ目の適性検査は、おなじみ性格検査である。

ところが質問が矢継ぎ早にされる。一つ質問をされたら5秒おかずに次の質問である。

何をそんなに慌てているんだろう?…詮索してしまう。

質問は例えば、「最近人を疑ってしまう」「人をなかなか信用できない」・・・暗い。

他に「人に積極的に話し掛ける」「気が短い方だ」などなど。

ちなみに私の性格は、たぶん優柔不断と出るだろう。

最後に論文検査。60分で800文字以内の論文である。

お題は「教師に必要な資質・能力を踏まえてどんな教師になりたいかを述べなさい」というものだった。

・・・それはともかく、普段パソコンで文書を書き、いくらでも好きなように修正をかける

という習慣が身についてしまった私にとって、論文検査はある意味きつい。(たぶん他にもいるだろう)

…が、何とか書き上げる。中身は…それは試験の合否でわかるだろう。

 

その後昼食、私は朝コンビニで買ってきたおにぎりをほおばる。

私は不覚にも、缶入りの飲み物を買ってしまい、昼食時まで開けられず(普通ペットボトルを買うよな…)。

 

昼食後間髪入れず、面接検査。しかも2つ。

まず一つ目。個人面接。受験生一人に対して面接官二人。

入室後、面接官の一人が「ま、リラックスして面接に臨んで下さい」

…気休めにもなりゃしない。

口の中がやたらと乾く。おまけに「声が小さいですよ」と注意されるし…。隣の受験生はやたらと声が大きいし…。

(管理人注:個人面接は、一つの教室を二つに分けて実施された。ただし仕切りはなし)

志望動機や、今起こっている教育問題など、いろいろ突っ込まれて、隣の人よりも早く私の個人面接は終わった。

その後待つこと1時間半。二つ目の個人面接。

今度は受験生6人が与えられた議題を討論するものだ。それを3人の面接官が検査するものだ。

議題は「偏差値にたよらない教育のあり方について」6人がめいめいに意見を出し合った。

討論としてはまずまず形になっていたと思う。

しかし討論をすると、一人で全部しゃべりたがる人もいるものだ。司会の提供する議題を飛び越えて意見するのだ。

私が発展させようとひらめいても、その人がすでに結論まで言ってしまっていた。

このように活発に意見する人、ポイントを押えて意見する人、大人しめの人など…

集団面接は人間関係の縮図である。

 

2次試験の全日程が終了し、

私は岩見沢には遊ぶところがないという理由で、さっさと岩見沢を後にした。

 

大学院が本命の私には、今回の合否はどうでもいいことかもしれない。

しかし、現時点の私が教師になるものとして認められるのか、ということで、合否は気になる。

発表は11月頭。とりあえず結果待ちである。

 

その2ヵ月後、教育委員会から郵便が来た。

その中には、不合格と書かれた通知が入っていたのだった。

まぁ、次受けるときに合格するよう勉強し続けるしかないかぁ・・・

 

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