奇跡の詩人?について

 

日木流奈(ひき・るな)君という少年をご存知だろうか?

生まれつきの病気を治すために、生まれてすぐ3度の手術をした結果、

そのストレスで脳に水がたまり、その水が脳を圧迫したために、脳障害を起こしてしまった子である。

それだけなら大して騒がれもしないのだが、この子がなぜ騒がれるようになったかというと、

脳に重い障害をもっているはずなのに、言葉を巧みに使うといわれているからである。

最近、彼は本を出した。「ひとに否定されないルール」という本である。今ならどこの本屋にもあるのではないか。

私もちらっと読んでみたが、大人もたじたじの文章である。言いたいことがはっきりわかる。

文章として、質の高いように思われる(恐らく今の中高生ならかなわないのでは?)。そんな感想だ。

また、彼についてのドキュメントをNHKが製作・放送し、「すばらしい」「感動した」という賛辞もあれば

「ウソっぽい」「やらせじゃないの?」といった批判(というか中傷に近い)も起きた。

とにかく、大きな反響を呼んだのは確かである。

(私はそのドキュメントを見なかったので、今は激しく後悔している)

 

・・・とまぁこんな感じで流奈君の話を色々見たり聞いたりしていて、私はどう思ったか、というと、

どちらかといえば、信じられない、という方である。

ただ、ここでは、とりあえず彼が実際に本を書いた、として、私が興味を持っていることを書いてみたいと思う。

 

言語学を学び始めた私が、彼に対して興味をもったのは、「どうやってそんなに大量の言語を獲得したか」である。

彼は、海外に渡り特別なトレーニングを受け、毎日大量の文字・文章(2,3文程度からなる)カードを見せられたという。

もちろんカードの文字・文章を全て覚えただけでは、あんな文章は書けないはずだから、

やはり彼の脳では、言語を使う部分が機能していると考えるのが自然であろう。

でも、ご存知の通り、彼は脳に障害をもっている。言語を扱う部分(言語野という部分)も障害を受けているはずなのだ。

ではなぜあんな文章を・・・と考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。

(だから、「ウソっぽい」とかいう感想もよくわかる)

 

一つ考えたのは、右脳が奇跡的に無事だったのでは、ということだ。

人間の脳には、左脳と右脳がある。

大ざっぱに言うと、左脳はおもに思考や言語を保存し、右脳は音楽や美術などのイメージを扱う。

だから我々が、受験生時代に必死に単語を覚えただろうが、それらはほとんど左脳に入っており、

右脳はほとんど使われていない。

ところが、これはうろ覚えだが、右脳は左脳の百万倍の容量があると言われている。

たとえると、左脳よりも右脳のハードディスクの容量が百万倍、と考えると良い。

じゃあ右脳に単語を入れてしまえば、単語だってもっとたくさん覚えられるじゃないか、と思うだろうが、

全くその通りで、実際、文字を絵のように覚える、とかいった方法をとって、右脳に語彙を入れる方法も開発されている。

繰り返すが、言語を扱うのは左脳だ。流奈君は左脳に障害があり、たまたま右脳には障害がなく

トレーニングを通して、右脳にたくさんの語彙や文章を入れた。そうして本をかくまでの言語能力を得た、と考えることができる。

 

ただ、自分でこう考えておいてなんだが、この考えには疑問が残る。

じゃあどうやってその言語を使えるようになったのか、という問題が解決されていないのだ。

我々が言葉を使えるようになるのは、言葉や文法を覚えるだけじゃ不十分で、

話すなど、言葉を使ったコミュニケーションをとらなければならないのだ(手話も、言語のコミュニケーションとみなす)。

ところが、何度もいうが、流奈君は脳障害をもっている。正常にコミュニケーションを取れないはずなのだ。

キーボードみたいなのを使って、コミュニケーションをはかっているらしいが、

果たして、本を書いたりするほど、上手に言語を使えるまでになれるのだろうか。

言い忘れていたが、彼は薬の副作用で白内障を患っている。かすかにものが見える程度だ。

だから文字を目で見ることは不可能だ。聞くことで言語には触れているのかもしれないが、

聞いて、ことばが脳に届いても、障害のある脳は上手く機能しないはずだ。

(耳の聞こえない人が手話を使うのは、目で手話を見れるからで、目の見えない人が会話できるのは、

結局耳が聞こえることで言語に触れられるからである)

 

こう考えると、流奈君の存在自体が、ミステリアスと言える。

言葉を使えるという部分が、根本的に不思議である。

どんな原理を使って、彼の言語活動を説明できるのか、いまだに納得のいく話を聞かないからである。

今のところ、彼について出された本は、

先にあげた「ひとに否定されないルール」と、彼のドキュメントを批判的に書いた本の2冊のみである。

NHKは、ぜひ放送したドキュメントを、文字にして出版して欲しい。もし出たら、私はすぐに買おう。

ミステリアスであると同時に、彼が本当に自分でこんなにも巧みにことばを使っていることが証明されたら、

それは、脳に障害を抱える人たちにとって、大きな朗報となろう。

どのような方法であれ、自分たちが言葉をつかって生活できるかもしれない、という希望が生まれるからだ。

同時に、言語習得の研究者や、脳の研究者にとっても、大きな研究課題となる。

 

私自身、今は疑うことが多いが、流奈君の言語活動の解明は、きっと世界を動かすはずだ。

とりあえずはそれを期待したいと思う。

 

(おまけ)

「流奈」という名前だが、正真正銘男の子である。

イタリア語で「ルナ」とは「月」を意味するので、それが由来なのかもしれないが

字も読み方も、あまりに女の子っぽい名前ではないか。

私が親なら、男の子に「流奈」とは名づけないな、としょうもないことを考えてみた。

 

(2002年7月6日)

 

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