涙の渇いた人間のエッセー
私はそうめったに涙を流さない人間である。
感動的な映画を見たり、そういう場面に出会ったときも、涙腺を刺激こそされるものの涙が出るには至らない。
そう言う意味では私はドライな人間なのか、と考えることがある。
私は「男はすぐにめそめそ涙を流すもんじゃない」という、現代では時代遅れの考えをもっている。
いや、他人が涙を流すのが良くない、というわけじゃない。ただ、私はそうそう涙を流すもんじゃないな、と思うだけだ。
だから、涙もろいという男性の方は、これを見て私の掲示板やメールで、
「おまえはけしからん」とか「男が泣いて何が悪い!」とかいう抗議はしないで下さい。
しかし、人間の体とは妙にバランスのとれたもので、涙を流さずためたままの状態だと後で必ずどっと涙を流すものだ。
その点、私も例外じゃない。
私の場合、たいてい夢を見て、その中で涙を流し、目を覚ますと本当に涙を流しているというパターンだ。
そしてその夢の内容も、なぜかは知らないが、わりと鮮明に覚えていることが多い。
感動して流した涙はほとんどない。悲しいいやな思いをして流した涙がほとんどだ。
最近の例でいうと、前触れもなく、弟から「兄貴なんて要らない」と直に言われてしまい
理由も知らず、自分が情けなくなって泣いてしまったものだ。(私たち兄弟は、わりかし仲のよいほうだと思ってるので)
または、とても仲の良い友達とけんかして、絶縁を突きつけられて悲しい思いをしたとか。
こうして振り返ると、人との縁を切られる状況に追い込まれて、悲しくて涙を流す、という夢がほとんどだ。
今思えば、なんでこんな夢を見たんだろう、とか、なんでこんなんで泣いちまったんだろう、とか
でも現実じゃなくて良かった、とか、複雑な思いをして目を覚ますのだ。
そして、夜中一人で何の前触れもなく涙を流しているかと思えば、不意に泣き声をあげてはいやしないか、と不安に思う。
最高にシュールな光景であろう。他人に見られてなくて良かった、と思う。
しかし、夢の中で一気に涙を流した後、ふいに思うことがある。
「私は涙を流すほど、本気で生きているのだろうか」と。
涙を流すのは、心から悲しいとか感動したとか、とにかくうわべだけの感情じゃ涙を流せない、と私は思っている。
(あくびで涙を流す、というのはここでは無視してください)
例えば恋人と別れたりとか、大事な人が亡くなったりとか、または親しい友達が結婚したりして感動したりとか。
とにかく、喜怒哀楽に関わらず、自分が強く心を突き動かされたときに、涙は流れるものだと思う。
それを考えると、最近の私は、涙を流すほど強く心を突き動かされる体験が不足してや居ないかと思う。
その不足の原因は、まだまだ人との本気のコミュニケーションが足りないのか、と考えている。
本気でけんかしたり、言い争いをしたり、本気で人と関わるから感動して涙を流すのかもしれない。
だから、涙もろいという人は、本気で感動できる人間なんだな、それを素直に表せる人間なんだな、と
ある意味うらやましく思う(うそ泣きは別だが)。
昔小学生時代のときは、ある特定のヤツとけんかばっかりして、悔しくて泣いたこともあれば
部活動で先輩にいつも怒鳴られ、悔しくて泣いたこともあった(私の場合、悔し涙が圧倒的に多い)
ま、こうやっていうと、本気ってなんですか?という複雑な問題にさしかかるから、これくらいにしときたい。
でも、少なくとも涙を流さず、涙腺すらも刺激されないてきとーな人生だけは送りたくないな、と思う。
・・・なんだか、涙から離れてしまったが、
生きるうえにおいて、涙を流すというのも不可欠なんだな、というのが結論である。
余談だが、涙を流した朝は、なぜか肉体的にはとてもすっきりしている。
何かの本で、「泣くことは一種のストレス解消法」だと聞いたが、それは本当かもしれない。