アメリカのテロ事件
9月11日、日本時間午後10時ごろ。
それは本当に映画を見ているようだった。
1機目が世界貿易センターの片方のビルに激突したのを臨時ニュースで見たときは、飛行機事故かとしか思っていなかった。
しかしその後30分しないうちに、2機目がもう片方のビルに激突したときは、「テロじゃないか?」という気がしていた。
2機目の激突は、実は中継を私は生で見てしまい、ショックは大きい。
飛行機がビルに激突する光景は、アングルを変えたりスローモーションにしたり、と手を変え品を変え何度も見せられ
目に焼きついてしまった。
ビルから助けを求めている人々の姿も見た。彼らは恐らく命を落としてしまったのだろう・・・
ビルから飛び降りて逃げようとした人々、泣き叫び逃げる人々。当分忘れることはないだろう。
その後、いろいろな情報が飛び交う。
「死者は数千人にのぼる」とか、「イスラム勢力によるテロ」だとか、「ブッシュ大統領が標的だった」とか・・・
同時に、世界貿易センターに入居していた日経企業の人々の安否も気遣われている。
全員無事の企業も多いようだが、そうでないところもある。飛行機がもろに激突したフロアに入居していた企業もあるのだから。
ブッシュ大統領もテレビ演説をし、テロを起こした犯人に対し、強い怒りと復讐の意思を明確にした。
この「復讐」という言葉を聞くたびに、今回のテロの複雑さを感じずにはいられない。
イスラム勢力がアメリカに対し不満をためていた、というのがテロの動機、という見方があり
それに対してアメリカはどんな誠意のある対応をとってきたのだろうか、と考える。全ては結果論でしかないのだが。
一方、そのような動機で、関係のない市民を大勢巻き込んだことに対する憤りも禁じえない。
またその一方で、今回のテロを喜ぶパレスチナの人々の映像も、私は忘れることができない。
このように、憤りの念をどこに向けるべきか、ということだけでも複雑である今回のテロを
ブッシュ大統領は「復讐」という言葉、行為だけで片付けようとしているように思えてならないのだ。
大統領を始め、全世界の怒り・悲しみは理解できる。私もその一人ではある。
しかし、怒り・悲しみは私たちが感じているものとは別のものもある、
つまりアメリカに対する不満がある、という事実があることを認識しておく必要はあると思う。
小泉総理も、今回のテロに対し「できることはなんでもする」「ブッシュ大統領の復讐計画を支持する」という考えを明確にした。
アメリカに協力するという姿勢は不可欠だ。
しかし「なんでもする」といって、具体的に何をするのか、また議論を呼び起こすことになるだろう。
政府与党内では、テロ対策・協力のために有事法改正案も飛び出しているという。
改正されたらどうなるかというのは今はわからない。自衛隊がアメリカに駆り出されることも考えられる。
また、「復讐を支持する」と明確にしたことにより、日本がテロの標的になると懸念されることも、ニュースで聞いた。
総理の言葉は、このようなことを認識した上でのものなのか、ということを私は疑っているところだ。
今回のテロで、全世界の人々で、人々を不安に陥れている。
テロの次の日(12日)、私はバイトで中1社会の授業があった。
奇しくも今やっている単元は「アメリカ合衆国」。子供たちも、テロが気になるようで、
「戦争になっちゃうのかな」と言っている女子生徒もいた。
私個人の話が続くが、実は私の中学時代の親友も、今アメリカに留学しているところなのだ。
彼の留学先は、エディンボロという小さな街。ただし場所はペンシルバニア州にある。
飛行機が墜落したピッツバーグもペンシルバニア州。地図を見ればお気づきかと思うが、ニューヨークに近い。
テロが起きてすぐ、私は彼に電子メールを送った。その夜はなかなか寝付けなかった。
ちなみに、翌日彼からメールが来ており、「アメリカ全土はパニック状態ですが、僕は生きてます」というメッセージがあった。
これからどうなるのだろうか。
戦争は本当に起こるのだろうか。そうなると日本はどう対応するのか。
自衛隊を派遣するのか。極端な話、徴兵するのだろうか・・・などなど、悪い憶測ばかりが飛び交う。
希望は見えない。それは瓦礫と化した世界貿易センターが雄弁に物語る。
今後の情報も、それを裏付けるものとなるだろう。
テロが起きた日、私はもちろん日本にいたが、
ニュースを見るたび、平穏無事な日々のありがたみを感じるのだ。