時が解決する

 

ずっと前に書いたエッセーに、仲のよい人とこじれた話を書いたものがある。

今だから言うがこのエッセー、事情により言葉足らずな書き方をした。

それはこじれた相手の話。

実は仲のよい友達ではなく、私が好きだった同級生だったのである。

そうすると、こじれた原因も、なんとなくわかっていただけるかと思う。

 

失うかもしれない恐怖を乗り越え告白したものの、結局ダメで、

それでも傷ついたのは私も相手もそうだった。

相手の人も、後日大泣きした、ということを友達から聞かされたのである。

 

そして私自身、その人とは口を利けず、しばらくたって、前に書いたようにリセットされた気持ちになって。

さらに時間が経って、その人と友達も交えてお酒飲んだり、というところまでになった。

実はその人、私と同じ博士課程に進んでいる(専攻は違うが)。

学内で会うことも多く、今は昔からの友達みたいな自然な接し方ができる。

 

そういうことか。

 

「時が解決するさ」と少し楽に構えて、

恐怖を乗り越えなければならない場面というのは、これからも多くやってくるだろう。

 

ふっと当時から今に至るまでの変化を整理したくなってこのエッセーを書いたまでである。

 

(2004年2月27日)

 

エッセーのインデックスに戻る