東京滞在2日目(11月11日)
東京2日目の写真はこちらより。
11月11日(日)、6:30過ぎに目覚ましを合わせたが二度寝をしてしまう。新宿に来てまでなんたるざまだ・・・。
20分ほど寝てしまい、洗顔して着替えて朝食会場へ向かう。
洋食のバイキングである。そういえば、ホテルを渋谷から新宿に変えた理由の一つに「バイキングがある」というのがあったな。
メニューはスクランブルエッグやウィンナー・ベーコンなど、洋朝食の王道を行くものばかりだ。
込んでいて、行列にもまれながら何とか食べ物を取り終える。席を探していたら、窓側のテーブルが空いていたので行こうとすると
「お客様、カウンタの方になります」という気の利かないウェイターの声があった。
レストランはホテルの25階だ。せっかくの良い景色を楽しませずに、朝っぱらからバーに来た気分にさせてどうする。
・・・などと文句をいえない小心ぶりで、朝食をすます。
(ちなみに、8階の私の部屋の窓からは良い景色が見えました。写真13,14)
8:15頃。朝食後片づけを済ませ、チェックアウト。
ところがここで、部屋のカードキーを紛失。ホテルマンに謝ってからチェックアウトをすませ、ホテルを出る。
その後時間があったので、新宿中央公園に行く。新宿のオアシスというだけあって、緑が豊富である(写真15)。
時間が時間だけに、睡眠中のホームレスもたくさんいたが。
今日は、昨日と打って変わって天気は晴れ。適度にひんやりしているのもあって、歩いていて気持ちは良い。
本当は公園全体を散歩してみたかったのだが、時間もなかったので早々に引き上げ、新宿駅に向かって歩く。
駅に着いたのは8:50過ぎ。やはり人の多さに圧倒される(写真16)。札幌とは比べ物にならない。
山手線に乗って渋谷で下車(写真16)。京王井の頭線に乗り換え、東大へ(写真17)。
ここで午前中はシンポジウム、午後は研究発表を聴く。途中何度か睡魔に襲われるところだったが。
15:30に全てのプログラムが終わり、東大を後にした。
渋谷に着いた私は、昨日服を買いそびれたので、渋谷で買物をすることにした。
明治通りにあるエディフィスに行きたかった(前にも来た事があったので)。
しかしここで、明治通りを探すのに時間がかかった。見栄を張ってガイドブックを見なかったから無駄な時間がかかったのだ。
また、渋谷駅の西口から東口(ハチ公のいるところ)に出るのに、また迷子になったし。
どうも今回は迷子になってばかりのような気がする。
何とか明治通りを見つけ、エディフィスにたどり着いた。やはりここは良い。私が欲しいような服がたくさんある。
どうせ持ち金もなくなりかけていたので、クレジットカードで服を買う。
この時時間はすでに17:30近く。私はここで少し焦った。18:30までに羽田空港に入らなければならなかったからだ。
1時間近くあるのになぜ焦るかというと、私の大学の先輩が、空港でのボディチェックで時間がかかり、
飛行機に1本乗り遅れた、ということを聞いたからだ。これもテロの影響である。
出発1時間前に空港入りして遅れたと言うのだから、私は遅くとも90分前に入らないと危ないな、と思ったのである。
焦ったまま、18:00に浜松町へ。東京タワーに寄ろうかと思ったのだが、そんな悠長なことは言ってられない。
急いでモノレールに乗る。しかし空港まで20分以上かかるとのこと。このままじゃギリギリだ。
「あ、土産買い忘れてた。羽田で買うんだった・・・。夕飯も空港で食べようと思ったのにな・・・」
服を選ぶのに渋谷を徘徊してしまった自分が悪いのだが・・・
そして定刻通り空港に着いた。様子を見にJASのカウンターへ向かう。めちゃくちゃ込んでるんだろうなぁ・・・
・・・ところが、JASカウンターの人はまばらだ。何だこりゃ、こんなんでいいのか。JALカウンターは行列ができているというのに。
カウンターの人に聞くと、20分前にゲートに入ってくれれば大丈夫とのこと。この時18:40。飛行機は20:15発。
1時間以上余裕ができた。急ぐんじゃなかった。焦って走り回って汗だくの私は、安心してお土産を買い、夕食を食べたのである。
飛行機に乗る。テロの影響など全く感じさせない。
そして飛行機出発の時間。ところがなかなか動き出さない。まもなく次のアナウンスがあった。
「えー、ただいま、持ち主不明の箱が見つかりました。安全を期して今調査中ですので、もうしばらくお待ちください」
何だおい、炭そ菌でも入ってんじゃねえのか。ちょっと気分はおだやかじゃなかった。
10分後、結局箱の中身は空であることがわかり、15分遅れで離陸。
飛行機の窓から、東京一帯の夜景が見える。東京を離れる寂しさを抱えながら見るこの景色が好きである。
千歳では父と弟が迎えに来てくれていた。
家に着いた後、しばらく東京の余韻に浸りながら、のんびり過ごしていた。
以上、今回の東京行きの目的が学会であることをみじんも感じさせない回想録でした。