横浜旅行(2001年3月31日〜4月2日)

 

掲示板などで書いたが、私と弟は、横浜の親戚の家に遊びに行ってきた。

この親戚とは電話などで話す機会もあったのだが、先日「遊びに行くわ」と言って、

その後私の居ない間に、横浜行きが決定した、いわばはずみで生まれた横浜旅行なのである。

しかし、親戚家族はみんなやさしかったし、旅行も心から楽しめた。

ここでは、3日間の旅行を、私情をたっぷりはさんだ記録を、日記形式で載せたいと思う。

 

3月31日(土)

午前5時50分。私たち兄弟は二度寝をすることもなく、一発で目覚めた。

旅行当日の朝はこんなもんよ。

飛行機で食べなさい、と母がおにぎりをつくってくれていたのでそれを持っていった。

朝早いから空港の売店が開いていないだろう、とのことだった。

そして、父に送ってもらい空港入り。金属探知機にひっかかった弟を尻目に搭乗口へ。

売店は母の心配を裏切るごとく、しっかり開いていた。私たちはそこでコーヒーを購入。

そして飛行機に乗った。私は5年ぶりに飛行機に乗ったので、

思い浮かぶことといえば、ニアミスやらハイジャックやら、どうもマイナス思考のことばかり。

もちろんそのどちらも起こらなかったが。

機内ではイヤホンでラジオを聞いていたが、トイレに立ち上がるととたんに耳が痛くなる。

だから飛行機は嫌いだ。

 

9時半すぎに羽田空港着。10時20分発新横浜行きのバスに乗る。

そして11時過ぎに新横浜着。私たちは親戚の叔母とその娘(仮にTeちゃんとしよう)と、崎陽軒というシューマイ屋で待ち合わせ。

ところが2人ともなかなか来ない。しかしまさか、新横浜駅に崎陽軒は2つあるとは思わなかった

そんなこんなで二人と対面。Teちゃんは、さすが都会の娘、と言いたくなるほどに垢抜けていた。

その後は叔母さんと娘に案内してもらい、初日は渋谷・原宿へ。

こういう日に限って、東京・横浜は今年一番の寒さだという。

雨はもちろん雪まで降る始末。これじゃ北海道と大して変わらん。むしろ北海道のほうが暖かいかも知れん。

そんな中私たち4人は、服を買うべくいろいろ歩きまわった。明治通り沿いの店から、原宿までいろいろ回った。

メンズを扱う店という店に入り、私と弟は内心必死に服を探していた。

せっかく東京に来たのだから、というセンチな感情からではない。1日分の服装しか持っていかなかったからだ。

そうでもしないと私などは服を買わない、という母の策略に見事はまったわけだ。

そうなると3日間同じ服装は寒すぎる。そりゃあ必死にならざるを得ない。

しかしこれがよかったのか、私も弟もズボンやシャツなど一式を買いそろえることができた。

私もここで好みが変わった。今までよりタイトめの服を選ぶようになったのだから。

横にポケットがついている、黒いズボンを試着したところ、サイズも長さもちょうどいい。迷わず購入!

その後イエローのシャツを買う。これとTシャツを買い、この時点で3万近く使ってしまった。

そして向かった喫茶店。おなか一杯の私たちはケーキを残してしまった。

しかし、ここで叔母が「このケーキを箱詰めしてくれ」という。残ったお菓子などはこうしてテイクアウトするのが習慣らしい。

北海道ではまずこんなことはしない、と話すと「もったいないじゃん」と驚かれてしまった。

 

買い物を済ませた私たちは、横浜の親戚の家に向かった。

そこで家族のみんなと対面。長らく「おいで」といわれていたせいか、私たちは歓迎して迎えられた。

その後、夕食を食べ、夜の横浜を見せてあげる、とTeちゃんに誘われ、夜のドライブへ。

運転させてもらおうかと思ったが、あまりの道の狭さ&坂の多さに圧倒され、そうは言えなかった。

本当、あれを観たら、北海道の道路事情は恵まれてるよ、と言いたくなった。

しかし、車道の上をトンネルのごとく覆う桜の木はきれいだった。北海道じゃ桜の開花は5月だ。

帰りの車の中では、東京を歩き疲れたせいか、私も弟も車内で寝てしまった。

 

こうして初日が過ぎた。

 

4月1日(日)

しかしまさかエイプリルフールを横浜で迎えるとは思わなかった。

今回の横浜行き・・・はずみで決まったようなものなのに。

さて、この日は9時半に起床。朝食を食べ、今日は横浜市内を回ることになっていた。

Teちゃんの車で山下公園下の駐車場へ車をとめ、その後中華街へ向かった。

中華街は、ある意味今回の旅行のメインスポットだ。

何しろ私たち兄弟は、小さい頃「中華街に行きた〜い」とばかり言っていたらしいのだ。

もちろん当の本人は覚えちゃいない。

中華街はおもったよりも狭いところだ、という印象だった。狸小路の方が広々としているかもしれない。

とはいえ通りに中華の店がずらりと並んでいるのは圧巻だった。「これが横浜よ」私は勝手に感動していた。

そして私たちは、叔母が予約をしてくれたらしい店に入る。

その店の名は「満珍楼」まんちんろー、と読む)

ホントかよ?と思ったが、店の前には確かにこの名前の看板があった。

そして店に入り、小部屋に案内され、コース料理が入ってきた。

焼きビーフン、スープ、いかのいためもの、えびのマヨネーズ和え、チャーハン(別に頼んだ)、ココナッツ団子、杏仁豆腐・・・

順不同だが、さすが本場の中華、美味しかった。とくにイカのいためもの、最高であった。

あんなやわらかいイカは、北海道でも食べたことがない。

満腹の私たちは、引き続き中華街を歩き回る。途中まんじゅうを食べないか、とすすめられたが

おなか一杯だ、食えるわけがない。私たちは丁重にお断りした。

しかも向こうの饅頭はかなりのボリュームだ。コンビニの饅頭の3倍はあるだろう。

ここで祖母に土産ということで、月餅(げっぺい、と読む)を買った。

この月餅はなかなかのくせもので、3個買ったのだが、重さは1キロはあるだろう

その後、チャイナスクエアというデパートに入り、中華街を出る。

そして私たちは元町や外人墓地の方へ歩いた。ここは桜が満開で、写真もとってきた。

いわゆる横浜の観光地を回ったのが、二日目のこの日である。

その後、山下公園を観て回る。港に近いせいか船が近くにみえ、さすが横浜ならではの場所だ、と思った。

そうしてまわっていると、私たちはホームレスに遭遇。とりあえず早く帰ろう、ということになった。

そして車を出し、私たちは横浜駅周辺のデパートに向かう。クインズスクエアというデパートである。

私たちはめいめいに服を見て回った後、ここでteちゃんの姉(仮にToちゃんとしよう)と喫茶店で待ち合わせ。

その後回転寿司を食べに行く。

回転寿司は私がリクエストしたものだ。別に高いものを、と思っていったわけではない。

今までの観光ルートは、全部叔母たちが決めてくれたものなのだ。

「何食べたい?」「何でもいい」これじゃそろそろ失礼かな、と思ったわけで、私からリクエストしたのだ。

まぁ寿司を食べたくないといえばうそになるが・・・。

 

そして夜になり、家に戻る。

私はここで、北海道から持ってきたチョコレートのお土産を差し出す。

六花亭で売っている、苺をホワイトチョコレートで包んだもので、私たちのお勧めである。

するとToちゃんはほいほい食べる。なんでもチョコレートフェチらしく、毎日食べて、買い置きまでしているらしい。

ちなみにこのチョコレート、次の日にはほとんどなくなっており、どうしたのか聞いたら

叔父が一晩でほとんど食べてしまったらしい。

 

こうして2日目が過ぎた。

次の日はいよいよ最終日である。3日間は短い。弟はそうもらしていた。

しかしあまり私たちが長居しては、親戚がいくらお金があっても足りない。

実は横浜を回るときの交通費や食事は、すべて親戚が出してくれているのだ。

それを考えると、3日でちょうどいいのだ、と私は思った。

 

4月2日(月)

いよいよ最終日。この日Teちゃんは仕事のため、ここでお別れとなった。

今日は叔母とToちゃんが私たちを案内してくれることになった。

今日の目的は「お土産を買うこと」とした。

そして私たちは家を出て、家に一番近い中山駅に向かう。

一番近いといっても、歩いて20分かかる。そして道が細い上に複雑である。

駅から一人で親戚の家に来い、といわれても絶対無理だ、そう思いながら歩いていた。

そして横浜駅に着いた私たちは、荷物が多いので、とりあえずコインロッカーに荷物を預けることにした。

身軽になった私たちは、みなとみらいのある桜木町へ、シーバスという観光船に乗った。

この日は風が強かったものの、天気もよく景色も良かった。

Toちゃんはこのシーバスがお気に入りで、身を乗り出していた。

これじゃ私たち以上に観光客である。

そこでワールドポーターズという店に向かう。Toちゃんによると「横浜に来たら必ず行かないとねぇ」という。

というわけで行ったのだが、実際店の名前の通り、いろんな国の商品がたくさん売っていて面白い。

また、さすが横浜、チャイナドレスもたくさん売っていた。別に買う必要はないから買わなかったが・・・。

そしてここで昼食をとり、諸々のお土産を買った。

昼食をとって2時間後、私たちは喫茶店に入った。

どうもこの3日間、毎日コーヒーを飲んでいた気がする。

こうして買い物をすませ、私たちは横浜駅のバスターミナルへ向かい、羽田行きのバスが来る前に

余ったフィルムを使い果たすべく、みんなで写真をとりまくる。

しかしバスがやってきた。これでみんなともお別れだ。

いつ再会できるかわからないが、私たちは、また必ず横浜に行こう、と思いながら、親戚たちと別れた。

横浜はきれいな街だ。東京よりもきれいな街だ。親戚たちにも親切にされちゃ、もう少し居たいものだ、と私たちは思った。

しかし上にも書いたとおり、3日がちょうどいいのだ。親戚に「こんどは北海道にも来てください」と本心で話した。

 

そして羽田で夕食をとり、本屋などで時間をつぶし、飛行機へ乗った。

私は飛行機にのって耳が痛くなるのがいやなので、ずっとイヤホンをしていた。

離陸前から着陸後までずっと、である。そこまで神経質にならんでも・・・と後で思った。

 

私たちが到着したとき、千歳は雨だった。

東京を回ったときも雨、3日目の横浜は強風。もう少し天気も私たちに親切にしてほしい、と思った。

 

こうして3日間の旅行は終わった。

次の日(4月3日)はバイト、その次の日(4日)は入学式(入院式とは言わない)。

休むまもなく、私たちは日常生活に戻らされるのであった。

 

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