英文法の話
第1回「数えられる名詞・数えられない名詞」
さて、今回から第II部「英文法の話」をしていきます。
目標としては、学校で勉強することを少し深く突っ込んだ話をわかりやすく、というものです。
(受験生にとっては受験にも役立つように注意を払う予定です)
さてその第1回の話題は、「数えられる名詞・数えられない名詞」です。
英語の名詞(ものの名前を表す。主語・目的語・補語になれるもの)には、数えられるものと数えられないものとがあります。
例えばappleやorangeは数えられますが、juiceやwaterは数えられません。
だからtwo applesやtwo orangesとはいえますが、two juicesやtwo watersとは普通いえません。
・・・という事実は、割と教えてもらえますが、これがなぜなのか、という原因までを教える時間には、学校にはあまりありません。
そこで、この場でその原因を考えて見ましょう。そしてその事実を知っていると面白く見える現象があるのでそれも触れます。
まず、数えられる名詞には、はっきりとした形があって、個別に区切ることができる、とみなします。
リンゴもみかんも、しっかり形がありますし、1個1個のリンゴを区切ることができますね。
ところが、数えられない名詞には、はっきりとした形があって、個別に区切ることができない、とみなします。
例えばジュースや水は、コップに入れると形があるようにみなせないこともないですが、
コップ10杯の水をバケツ1つに入れてしまうとどうなるでしょうか?・・・水の形はバケツに合わせて変わりますよね。
このように水やジュースを個別に区切ることは不可能です。物によって区切り方は変わるからです。
数えるときは、two cups of waterのように言います。コップなら個別に区切ることが可能ですね。
リンゴを10個バケツに入れようが、鍋にいれようが、リンゴそれぞれの形は変わりませんよね。
入れ物に限らず区切り方は同じなのです。
数えられるものと数えられないものには、大まかに言ってこのような区別があります。
ちなみに、上で挙げたjuiceやwaterは、物質名詞という名前がついています。数えることはできません。
他にmoneyもそうです。これは、区切り方がそのときそのときで違うからです。
日本なら「円」という単位で区切るし、アメリカなら「ドル」、イギリスなら「ポンド」で区切ります。
同じ理由で、rice(米)、meat(肉)なんかもそうです。米は計る入れ物によって区切り方が変わるし
肉も切り方によって、区切り方が変わります。ひき肉にもぶつ切りにもスライスにもできます。
bread(パン)も同じで、薄く切ることもできるし、厚く切ることもできます。一定の形がなく、区切り方も変化するのです。
数えられない名詞とは、物質名詞の他に何があるでしょうか。
例えば抽象名詞というのがあります。これは概念として頭の中で考えられるだけで、具体的な形をもたないものを表します。
具体例は、love(愛)、kindness(親切心)がありますが、いずれも形はありません。形がないということで、個別に区切るのもムリです。
それから固有名詞もそうです。固有名詞が指すものは、原則一つしかないからです。
Panasonicというメーカーは一つだけですし、Nissanというメーカーもそうです。Tokyoという地名も一つしかありません。
それじゃあ数えられない名詞というのは、どうあがいても数えられないのか、と思うかもしれません。
ところが、場合にもよりますが、数えられない名詞といわれるものでも、数えられる名詞のように扱うことができるのです。
(場合による、というのは、実際に使われる度合いによる、ということです。だから規則というよりは習慣の問題になります)
例えば、colaは上のjuiceと同じく物質名詞です。区切り方がいれ物によって変わるからです。
しかし、例えばアメリカのマクドナルドでtwo colasと言ったら通じるでしょうか・・・ちゃんと通じるのです。
正確にはtwo glasses of colaと言うのですが、two colasで十分です。
なぜでしょうか。それは、私たちの頭の中で「コーラ2つ」といわれたら、自然に何かグラスに入っているコーラを思い浮かべ、
これまた自然にグラス2つが思い浮かぶようにできているからです。
つまり、私たちの頭の中で、コーラを2つのグラスで区切っているのです。
さらに、ファーストフードの店ならば、そりゃどう考えたってグラスで飲み物を区切るのが常識です。
いちいち「グラスにしますか?それともペットボトルのままでいいですか?」なんて聞く店はありませんから。
次に、ある店の人が"We have four meats."と言いました。これは正しい英語でしょうか・・・これも正しいのです。
おう、さっきmeatは区切り方が違うから数えられないと言ったじゃないか、と叱られそうですね。
正しいのは正しいのですが、意味が少し変わります。上の英文は「4種類肉がある」という意味です。
恐らく肉屋さんのセリフでしょうが、例えば牛肉や豚肉、鶏肉、羊肉があるよ、といいたいのです。
このように数えられない名詞を数えられるようにすると、種類を表すことがあります。
牛の肉、ブタの肉、鶏の肉、羊の肉・・・というように、動物の名前で区切ることができます。だから数えられるのです。
さらに、抽象名詞であるkindnessも、実は数えられる名詞扱いができます。
She showed us many kindnesses. 「彼女は私たちにいろいろ親切な行為をしてくれた」となりますが、
ここでkindnessが複数形になっていることに気をつけてください。複数形にできるのは数えられる名詞扱いされている証拠です。
では、このような「行為」「出来事」は区切ることができるのでしょうか・・・できると考えるのです。
なぜか。出来事には、始まりと終わりがあります。こうやって区切ります。
抽象名詞を数えられる名詞扱いにするときは、このように具体的な行為を表すことがあります。
もう一つだけ、固有名詞もも数えられる名詞扱いにできます。
My father drives a Nissan.
別の機会にいいますが、a(冠詞)をつけられるのは、数えられる名詞扱いしているからです。
Nissanという企業を区切る方法は何でしょう?・・・それはNissanが作った製品という見方で区切ります。
製品なら形もありますし、個別に区切ることが可能です。
だから上の例文は、「父は日産の車(=製品)に乗っている」となります。
同じ記号をもつ名詞でも、数えられたり数えられなかったりするのはなぜでしょうか。
それは、私たちがその名詞をどのように見るか次第で変わります。
kindnessを抽象的な概念とみなせば数えられなくなるし、具体的な出来事とみなせば数えられるようになります。
上に黄色い文字で強調した箇所に、「〜とみなす」という書き方をしたのは、こういう理由があるからなのです。
・・・と、上で散々講釈をたれといてなんですが、上の話だけできっちり説明できたとは到底いえません。
この「数えられる・数えられない」という問題は、今でも研究者の間で議論が盛んなのです。
ここでは、おおざっぱに「こんな感じのことが考えられますぜ」という話をするだけになります
(今後の話もそういう方向性になります)。
さて、次回は冠詞の話をします。
冠詞の使い方と、今回のテーマ「数えられるかどうか」は、実は密接な関係があります。
(2004年4月29日)