野球は会議室でやっているんじゃなく球場でやっているんだ!

第17編

先週は「21世紀枠」特集と題して、その選考基準や選考方法について数々の問題点を列挙してみました。しかし、私のような市井の一凡人がいくら吼えたところで大勢に影響はないのですよね。日蓮上人のように高野連批判の辻説法でもしてみようかな。そしたら佐渡に島流しにあうかも。冗談はさておき。冷静に考えてみれば、選抜は毎日新聞という私企業が主催する「冠大会」。だから、大会方式など運営面において毎日新聞の要望や意向が反映されるのは当然です。仮にその要望や意向が世間のニーズと乖離していたとしても、毎日新聞の「冠大会」だから、われわれ部外者が批判してもしょうがないのですよね。スポンサーの意向や要望が反映されるなんて、芸能界の映画や歌の賞レースみたいですね。「なんでこいつがエントリーされるの」とか「なんでこいつがこの賞なの」とか不条理・不可思議・不可解といった表現がぴったりの選考が横行しています。もし、歌唱賞に田原の俊ちゃんやスマップの中居君がエントリーされたら笑ってしまいますけどね。それはさておき、選考方法や選考結果に関してはスポンサーの意向に適うものであればいいわけで、万人が納得するようなものでなくてもいいのでしょう。今回の「21世紀枠」に関しても、毎日新聞というスポンサーの意向に適ったのでしょう。誰が発案者なのかは分かりませんが。センバツは毎日新聞という冠のついた大会なのだから、「21世紀枠」という大愚策もありなのかなと諦観の域に達した今日この頃です。結局は「毎日新聞による毎日新聞のための毎日新聞の大会」なんですね。認めたくはありませんが、悲しい現実です・・・。
建国記念日の2月11日、ラグビー日本選手権の準々決勝が行われました。社会人と大学の上位各4チームずつが参加するトーナメント方式の大会です。準々決勝の結果はといえば、社会人チームが大学チームに大差で圧勝。予想された結果だとはいえ、社会人と大学のチーム力の差は年々拡大する一方ですね。かつては、平尾や大八木がいた頃の同志社が社会人に勝ち日本一になったこともあったのですが、今はもう昔といった感がします。その頃の大会方式は、社会人と大学の優勝チームが対戦するという極めて単純なものでしたが、今では大会方式も前述したようなトーナメント方式に変わりました。一部には、社会人と大学のチーム力に差がありすぎるので、日本選手権を廃止すべしという意見もあると聞きます。廃止という極論には私も賛成しかねますが、大会方式の変更はやむなしといったところです。日本ラグビー協会も日本選手権の大会方式に関しては試行錯誤を続けていますが、方向性自体は間違っていないような気がします。高野連の「21世紀枠」と比べれば上策です。大会を盛り上げるのも盛り下げるのも、結局は大会方式次第なのですよね。いくらマスコミが大々的に大会を宣伝しても、大会方式が下策であればそれなりの結果しか得られないような気がします。大会方式のベストは、やっぱりサッカーの天皇杯でしょう。町の草サッカーチームとJリーグのプロチームとが対戦できる可能性があるのですから。あくまでも可能性ですけどね。野球もサッカー同様、インターフェデレーションの大会方式を採用して欲しいものです。よく冗談で「阪神とPL学園が対戦したらPLが勝つんちゃうか」という人がいますが、本当にこういう対戦を見てみたいですね。PLがほんとに勝ったら洒落になりませんが・・・。
今ではキンキキッズや篠原などとテレビに出てはしゃいでいる吉田拓郎ですが、昔はテレビに出演することをひたすら拒んでいました。「テレビという媒体では、自分自身を表現できないから」というのが出演拒否理由。それが今ではあんな軟派な番組に出ています。「昔のあの頑な自己主張は何だったんだ」と思ってしまう私です。豹変してしまいましたね。拓郎さんを始めとして、井上陽水さん・泉谷さん・松山のチー様も。彼らの昔の頑な態度は、結局は自分の信念によるものではなく、自分を差別化するための演出だったのですね。時代が変われば、自分も変える。カメレオン的で世渡り上手なのかもしれない。それでは当選したら態度を一変させる政治家と変わらないと思いますが。昔と変わらずテレビ出演を拒否しひたすらライブにこだわり続けているのは、我らが浜省こと浜田省吾だけじゃないですか。彼は時代が変わろうとも、音楽性同様自分のスタイルを貫いています。彼は音楽的には天才ではないし、世渡りでいえば不器用な人間だと思う。例えれば、ロック界の高倉健さんといったところでしょうか。私は、彼の音楽性も好きだし、時代が変わろうと自分のスタイルを貫くそんな頑固なところが大好きです。時代に流されぬ絶対的信念の持ち主のことを「カリスマ」と呼ぶのだと思います。私もサイト界の浜省を目指します。周囲・全体に流されず自分のスタイルを貫く不器用なサイトになりたいです。ホームページのアドレスに「rojiura」という単語を挿入したのは、浜田省吾のソロデビュー曲が「路地裏の少年」だからです。彼のように頑な信念に基づくHPを作りたかったから、「rojiura」とつけました。しかし、HPの現状は路地裏を迷走中といったところでしょうか。未だに路地裏を抜け出しメインストリートに出ることさえできません。私と同様に、路地裏を迷走中といえば高野連。少しは浜省の頑固さを見習って下さい。時代錯誤的な頑迷さを後生大事と堅持する一方で、商業化・人気取りに奔走している。「太陽がいっぱい」ならぬ「矛盾がいっぱい」の訳の分からない組織ですね。「頑迷」と「頑固」はちゃいますよ。偉いじい様達に対して、釈迦に説法かもしれんけど。なんかよく分からない締めとなってしまいました。(陳謝)
今月17日、両国国技館でチャンピオン畑山とリック吉村のプロボクシングWBA世界ライト級タイトルマッチが行われました。結果は、ジャッジの採点が3者3様のものとなり結局引き分けで畑山が辛くも防衛しました。私はボクシングに関しては門外漢なのでまったく分からないのですが、チャンピオンの畑山は終始劣勢だったような気がしました。プロの目でみれば、私たちには「有効打」と映るものが無効であったり、またその逆の場合もあるのでしょう。だから、私たちのような素人が判定に口出しすること自体僭越なことなのかもしれません。しかし、今回の試合の場合、3人のジャッジのうち一人が畑山、一人がリック吉村、一人が引き分けと3者3様の判定を下しました。判定のプロが見ても、評価が分かれるほどの試合だったのでしょうね。しかし、実況アナウンサーと解説者の会話からは「リック吉村優勢・畑山劣勢」というニュアンスが感じられました。でも、結果は引き分けで畑山の防衛成功。スポーツ界には、「ホームタウンデシジョン」というものがありますが、今回の場合なにかそれくさい匂いがします。ボクシングの勝ち負けは、審判の主観による採点で決まるのですから、万人が納得するような結果が出るはずはありません。「世紀の誤審」といわれたシドニー五輪柔道の篠原選手の判定など典型的な例です。「誤審」であろうと「ホームタウンデシジョン」であろうと、審判が下した判定は主観によるものとはいえ絶対なのですよね。いくら抗議しても判定は覆りません。今回のタイトルマッチで私の目に焼き付いている印象的なシーンは、試合中の壮絶な打ち合いなどではなく、判定後のリック吉村選手の呆然とした表情です。テレビにアップで映し出されていました。「判定に不服」というよりも「状況がわからない」という表情でした。呆然とした表情が、徐々に憂いと悲しみと虚脱に満ちた表情に変わっていくのが手にとるように分かりました。リック吉村選手のこの表情、シドニー五輪での篠原選手の表情と酷似していましたね。この表情を見て、私は切なさで胸を締めつけられる思いがしました。判定(あるいは採点)競技の場合、きわどい判定で負けた選手の試合直後の表情を見るのはほんとに切ないですね。ボクシング・柔道・フィギュアスケート・シンクロナイズドスイミングなどなど。こう考えれば、陸上や水泳などのように数字で優劣が決まるスポーツの方が、見る立場としては気が楽ですね。感傷的にならずにすむから・・・。リック吉村選手の呆然とした表情が今でも忘れられません。
日韓共催サッカー・ワールドカップのチケットのインターネットでの申し込みが直前になって、コンピューターシステムの故障により延期されたものの、郵便局にはチケット申し込み用紙を求めて長蛇の列ができたとか。1年後に迫ったワールドカップ人気は高まるばかりですね。私などJリーグはおろかサッカー自体に興味のない者にとっては、なんでこんな寒空の中朝早くから並んでまで入手したいのか理解できないところ。しかも、長時間並んで手に入れたものは、入場券ではなくただの申し込み券(後日抽選)なのですからさらにさらに分からない。そこまでするのですから相当熱狂的なサッカーファンなのでしょう。しかし、ワールドカップ入場券の申し込みにはサッカーファンなる人々が殺到するのに、Jリーグの試合にはどうしてサッカーファンは殺到しないのでしょう。Jリーグの観客動員数は年々減少の一途をたどっているというのに。不思議ですよね。ワールドカップとJリーグは別物だとでもいうのでしょうか。規模やレベルこそ違え、同じサッカーですよね。それにしても、Jリーグ発足時の熱狂ぶりは一体何だったのでしょう。猫も杓子もマスコミもJリーグでした。多くの観客がスタジアムに詰め掛け、Jリーグのチケットはプラチナチケットでした。それが今では、タダ券を貰ってもスタジアムに行かないという人も多いのでは。スタジアムは、一部のチームを除いて閑古鳥の飼育場となっています。あの熱狂的だったサッカーファンは一体どこに行ってしまったのでしょう。行方不明です。川渕チェアマンがワイドショーに出演して、カメラに向かい「サッカーファン帰ってきてくれ!子供も待ってるぞ!」と行方不明のサッカーファンに訴えかけなければならないほどJリーグは末期的状況です。それが今回の日韓共催ワールドカップでは、今まで行方不明だったサッカーファンが何処からかやって来て、入場券欲しさに行列をなしています。この人たち、本当のサッカーファンなのでしょうか。Jリーグ発足時のような「にわかファン」でなければいいのですが。ワールドカップが終わったら、「はい、さよなら」とまた何処へと去っていく行方不明のサッカーファンであったならば前回と同じです。この異常ともいえる盛り上がりを今回こそはJリーグ人気の復活に結び付けて欲しいものです。私が思うに、本当のサッカーファンならJリーグの試合を見に足繁くスタジアムに通っている筈。華々しい大会のときだけ観戦に行く人は「本当のファン」ではなく、単なる「物見遊山の観光客」のようなもの。高校野球もサッカーと同様な現象があります。甲子園大会にはすごく興味を持っているが、地方大会はまったく眼中にないという人、結構多いような気がします。私のように「地方大会あっての甲子園大会である」という考えの持ち主にとってはさびしい限りです。高校野球でさびしいといえば、甲子園大会で注目のチーム同士が対戦する試合には多くの観客が詰め掛けますが、その試合が終わった途端帰路につく人が多いこと。スタンドががらがらになっていく様がテレビで分かります。これもさびしい現実ですね。

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