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Micro Computer の時代

小学校高学年〜中学校の時代は主にラジオを作って聞いて、そしてなんか高性能な受信機やアンテナを作ったりしたいなぁと思いつつ挫折する (そのうえアマチュア無線の免許も取らなかった) といった時代でした。知識が増えたからいいか…でも UHF 帯以上の、分布定数回路や増幅器、発振器は理解不能でした、いや今でも理解不能です。

高校に入る少し前くらいでしょうか?NEC から TK-80 が出たのは。今まで高価だったコンピュータが八万八千円で買えるということで話題になったのですが“変身!サイボーグ一号”も買えなかった子供に TK-80 なんぞ買えるはずもなく、またコンピューター問うものが何かも分からない、といった状態でした。ところが、高校のときに入ったサークルでは、ナショナルセミコンダクタの SC/MP (スキャンプ) や RCA (Radio Coorporation of America) の COSMAC (コスマック) といった CPU を使ってマイクロコンピューターを作ろうとした、あるいは作った人たちがいました。このころの自作 PC は、スタティックメモリにトグルスイッチで命令を直接書き込み、リセットをかけて始動・実行させる、といったものでした。それにしても…COSMAC は内部レジスタが 16 個もあるけど、アキュームレータを通さないとデータを書き込めず、結構な手間でした。

同級生で東芝の EX-80 + 増設メモリボード (2114 を 64 個で 32kB フル実装というお金持ちな構成) + BASIC ROM を手に入れ人やら…一気にではなく順番に、ではありますけど…、MZ-80K (当時 16kB もメモリーが載っていたキット) を買った人やらがいます。

この項続く

自作に挑戦、の時代 (注:ことごとく失敗)

 自作といってもユニバーサル基板にソケットを乗せて、ピン一本一本を半田づけする、というアレです。ROM も自分で焼こうとして 6821 (うろ覚え) を使った ROM ライタも作りました。6821? は二つのポートしかないながらも、B ポートはオープンドレイン + プルアップという形式なので双方向ポートとして使えたのでした。CPU は最初 64180 を考え、次に 68000 で以行こうと考え、途中まで配線しましたけど…挫折しました。

X68000 の時代

 SHARP から X68000 が出たときは歓喜して何とかお金を工面し、購入しました。768 x 512 という画面は AT 互換機を買うまでは非常に広大で、気に入ってました。添付のツールや純正の C Compiler は出来が悪かったのですが、有志による改良・TwentyOne (ファイル名の識別に 21 文字利用できるようにするユーティリティ)・GNU C Compiler や TEX/LATEX の移植が進んだので工夫して使えば PC9801 シリーズとも十分張り合えるような状態になりました。そういったツールを使っっていたので GPL などにも早くから触れる機会がありました

 反面、いくつか不満な点がありました。

  1. X68000 の BIOS (ROM) のコーディングは、アドレス空間が 24bit 分しかないことを前提にしたような書き方だった。ベクタテーブル上の未定義部分に書きこんであるデータは LSB 24bit 分がジャンプ先のアドレスで、MSB 8bit 分をベクタ番号に対応させていた。こういうコーディングはしないでほしかった
  2. ビデオメモリのスクロール機能がビデオ周りの回路に非常に依存していて、今あるもの以上の改良ができないんじゃないかと感じた
  3. 純正の増設メモリボードは高くて買えなかった
  4. 640kB の壁がネックになっていないような部分では、当時の PC9801 シリーズには勝てなかった。コプロセッサを取り付けられなかったのは悲しかった

 速度に関しては、次のように CPU のクロックアップをかなり考えました。

  1. 市販の 16MHz の 68000 を購入し、載せかえる (これは実際にやった)
  2. 基板から 20MHz のクロックを引っ張り出して CPU に流す
  3. マニュアルのタイミング表を参考に外から見たら 10MHz で動いているように見えるように DTACK のタイミングを調整するロジックを組む。通常のメモリサイクル (4clock/cycle) で処理される命令はほとんど速くならないが、乗除算・インデックスレジスタの計算・割り込み処理といった、内部演算時間がそれなりにある処理に対しては効果があるだろうと考えた

ところが、68000 の動作マージンはかなりわかりにくく、さらにこの方式でクロックアップすると、データの取り込みなどが半クロック分ずれてくることがわかりました。クロックがずれても動くかどうかを確かめるために通常入力されている CPU クロックと極性が逆の信号を入力してみたら動きませんでした。このあたりでクロックアップへの意欲が失われてきて、CPU を代えながら 10MHz 駆動のまま使っていました。

 ちなみに X68000 シリーズの中にはクロックアップできるものもありますが、“初代 X68000”はクロックアップできなかったのです。さらに以下のような出来事が起きて、X68000 はもういいや、という気になってしまいました。

  1. X68000 が発売されて 5 年後に新製品が出るはずだった (と多くの人が信じていた) がそうはならなかったこと。本当はこういう話があった訳ではないようだが
  2. かなり後になって XSimm 10 という増設メモリボードを購入したが、(ボード自体のの問題ではないと思うのだが) ボード上の DRAM (30pin SIMM) がリフレッシュされず、データをその領域に読みこむとどんどん壊れた。しかもその状態を十分理解できないうちに HDD に Refreshg (MS-DOS や Windows でいう Defrag) をかけたために HDD がクラッシュした

AT clone の時代

Yet Another local Bus

VESA Local BUS

PCI-1

PCI-2

Dual P-Pro

 ある時、知人の一人が新しい PC を手に入れた、ということで、前の分 (マザーボードと CPU と Disk Array Card) を格安で譲ってもらいました。

この項目続く

Dual Celeron

 Dual Pentium Pro マシンでそれなりに満足していた頃、NetNews (多分 fj.sys.ibmpc) で Celeron …シングル CPU でしか使えないはずだった…を Dual で使えるようにした人がいるという話が出ました。その URL に飛ぶと、 slot 1 の Celeron の一部の配線をドリルで切断し、ジャンパを飛ばすと Dual 化が可能になる、とのこと。半田づけが楽しめると分かったことが Dual Celeron 時代の始まりだった。

 Celeronは Dual 化するだけでは物足りなかったのでクロックアップも試みましたが、非常に簡単にクロックアップ出来るという世間の風評と違って意外と苦労しました。クロックアップすると途中で起動が停止してばかりでした。Vcore を上げないと動かないものばかりだったようです。そこで

  1. Celeron 300A を普通の規定電圧と規定クロックで使用して Windows NT (Multi Processor Kernel) をインストールした
  2. CPU を一個だけ差し込み FSB を 100MHz に変えて起動させた。
  3. もし、OS が完全に起動できたら取り敢えず OK とする。うまくいかない時は Vcore を徐々に上げて試す

最終的に 6 枚の Celeron 300A を購入し、Vcore 2.0V のままで動いたのは 1 枚。Vcore 2.2V で動いたのは 4 枚。Vcore 2.4V で動いたのが 1 枚という結果になりました。いろいろな PC の雑誌の話と比べても非常に成績が悪いと思います。

 Vcore を上げてようやくクロックアップは出来たものの、次の問題は放熱でした。 “Vcore 不足 (不適切な表現ですが)”による不具合は解消したものの、発熱のために暴走することが起き始めました。かといって今さらクロックアップはやめたくなかったので放熱強化で解決することにしました。あちこちのサイトの掲示板や記事を読んで参考にして検討し、以下のような変遷をたどりました。

使ったもの・やったこと 効果 不満点
1 AVC と書いてあったヒートシンク pentium II like のケースに入れて固定できるのでおしゃれだしリテンションキットを有効に使えた クロックアップしなければ問題は無かったが、クロックアップすると CPU 温度が上昇して確実に暴走した。表面積が小さいから暴走するのだと判断した。
2 Pentium II 用と書いてあったヒートシンクのピンを引き抜いて使用。荷作り用のひもで固定した 放熱効率があがり、CPU 温度が低下した CPU 温度は大分改善して一通り動くようになった (Super πが安定動作するようになった) がまだ不満が残った。
2' ケースにファンを追加した (CPU に風が当たる向きに取りつけ) これが相当に効き、CPU 温度がかなり低下したのでようやくクロックアップした状態で安心して連続動作が出来るようになった  98 年冬から始めた Dual Celeron マシン作成も春になると発熱が更に心配になり、強力な対策が欲しくなっていった。
3 アルファのヒートシンクを購入した 99 年の夏場に向けて安定性が心配になったので秋月電子通商に行く機会があったので、大量に 4cm のブラシレスファンを買ってはヒートシンクに接着剤で張りつけた。 筐体に外から手を触れると暖かく、筐体内からの放熱が十分ではないことが分かった

適当なリテンションキットがなく、既存の Celeron 用のを鋸で加工し、すき間を紙と接着剤で埋めて取りつけた。ちょっと不安定な使い心地になったのは不器用さゆえだと思う
3'  ATX 電源を旧型 (CPU の方に風を吹き込む)から最近の型 (筐体内から風を吸い出す) に買い替えた
 ケースのファンも、それまで吸気向きにつけていたのを排気向きに付け替えた
筐体上部 (特に CPU があるあたり) の熱のこもり具合が解消した 特に無し

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