2-1 食卓百景(2)
■穂群原学園 生徒会室
「―――ふう」
衛宮士郎はニ杯目のお茶を飲み干して一息ついた。
生徒会室の良いところはいくつもある。
まずはポットと湯飲みと急須という三種の神器が常備されているということがあげられるだろう。いつでも緑茶が飲めるということであり、極めて気分が落ち着く。
第二点に、そもそもここは一般の生徒が足しげく通う場所ではないので静かだ。これもまた落ち着く。
そして第三であり最大の利点なのだが―――ここには赤いあくまも、黒いさくらも、キ○ガイ神父もサーヴァント達もいないのだ。これ以上落ち着く場所があるだろうか? いや、ない。
確かに、凛のことは好きだ。いろいろひっくるめてやっぱり好きだ。桜も同じで大切な家族だと思っている。日本一の妹と思っています、といったところか。
出会ったばかりのサーヴァント達とだって、それぞれの個性が出っ張りがちな所も込みでこれから仲良くしていきたいと願う。それは嘘じゃない。
しかし。
駄菓子菓子。
彼女たちとの生活が、なんというか疲れるのもまた事実なのだ。
なにかと疲れる。なんやかんやでべらぼうに疲れる。ついでに肉体的にも大ダメージを負うことが多い。これに関しては何故かどんな大怪我をしてもすぐに治るからいいのだが。
贅沢な悩みと言うなかれ。どんなにおいしい料理でも大量に出てくればその合間に一杯のあっさりとした水が欲しくなるのだ。箸休めを馬鹿にしてはいけない。
そんなこんなで時には静かにすごしたいという願いを満たしてくれるこの生徒会室は士郎にとって隠れ家的憩いの場となっているのである。
「む、どうした衛宮。妙に満たされた顔だが?」
「いや、お茶がうまいなあ、と」
声をかけてきたのは柳洞一成。円蔵山の中腹に立つ山寺、柳洞寺の跡取り息子にしてこの生徒会室の主、ようは生徒会長である。
「ふむ、妙に疲れているようだな。幸い茶葉ならたくさんある。心ゆくまで飲むがいい・・・と言いたいところなのだが」
そこまで言って一成はちらりと壁の時計を見る。
「残念ながら昼休みというのは有限でな、そろそろ食べ始めないといかんだろう?」
「ああ、そうだね」
士郎は頷いて弁当箱の包みを解く。現れた彩りも豊かな二段重ね弁当に一成はほうと感嘆の声を漏らした。
「今日はまた一段と豪華だな。羨ましい限りだ」
「あ、欲しいのがあったら言ってくれ。今日のは量も多いし遠慮なく持ってっちゃっていいから」
一成は自分の弁当―――ご飯の白さがやけに目立つ質素なものだ―――を見下ろし、片手で拝むようにして頭を下げる。
「それはありがたい。どうにも俺の弁当は単色で困る」
「そうだな・・・親父さんの言いつけなんだっけ?」
うむと頷き一成はから揚げとコロッケと生春巻きをひとつずつ自分の弁当箱へ移した。
「しかし、雑多だな。貰っておいてなんではあるが、節操のない取り合わせだ」
不思議そうな表情に士郎は苦笑した。
雑多なのも無理はない。この弁当、実は三人による合作である。士郎自身が作っていた弁当に桜と凛がこれもこれもと突っ込んでいった結果、量も多く各自の趣味が反映された奇妙な三色弁当が出来上がってしまったのだ。
「まあ・・・船頭多くすれば船も山登るよな」
ちなみに、一成が取っていったおかずは士郎、桜、凛の作ったおかずをそれぞれ一品ずつ持って行っていた。やるな一成の無意識。
「? よくわからんが、いただくとしよう」
一成が不思議顔で箸を手に取ったときだった。
コンコン、と静かにドアが打ち鳴らされ、音もなく戸を開けてスーツ姿の男が入ってくる。
「失礼。柳洞は居るか・・・?」
男の名は葛木宗一郎。その極端な真面目さ故に、方向性こそ正反対ながら知名度で藤ねえこと藤村大河と並ぶ有名教師である。一説には腹時計で時報に勝ったとか。何に勝ったというのか。
葛木は立ち上がろうとした一成を手で制して傍らに立った。そのままふと気づいたかのような仕草で士郎の方に目をやる。
「衛宮、食事中すまないが少しここで話をしていても構わないだろうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
助かる、と礼を言って葛木は一成と何やら事務的な話をしだした。
「提案のあった予算配分の件だが・・・」
とか。
「はい。ですがただでさえ文化系は活動発表の場が少なく」
などと話しているのを横目に士郎は海苔を中に巻き込んだ玉子焼きをはむっと口にする。
葛木教師。真面目で堅物。万事において正確で精密なものを好み、常に岩のような堅く厳しい表情をした男。
「ん・・・?」
その無表情な顔に別の無表情を思い出して士郎は思わず唸った。
やっぱり、この人も実体は極度の変態だったりするんだろうか・・・? あのキ○ガイ神父と同じように一皮向けば中身は何をしでかすかわからないサイコロを振るような言動の人だったり?
そこまで考えて士郎はぶんぶんと首を振った。
いや。
いやいや。ここは学校だ。聖杯戦争とは関係ない平和の象徴だ。
さすがにこんなとこまで狂ってたりはしないだろう。というか、まともであって欲しい。我が学び舎に平穏あれ。切実に願う。
首を何度か横に振ってから視線を葛木に戻すと、教師は表情を僅かに緩めたところだった。
「ところで柳洞。昨夜は激しかったな」
「うほっ! いい教師っ!」
反射的に叫んで飛びのいた士郎をよそに葛木はなおも言葉を続ける。
「柳洞があんなに積極的になるとは珍しい・・・」
「そ、宗兄ぃ! こんなとこでそんな事言わないでください!衛宮だって居るんですから!」
「一成まで・・・腐ってやがる。早すぎたんだ・・・」
心地よかった空間で唐突に発生した多重性欲屈折現象に士郎は死んだ魚のような濁った目になり沈み込む。
「ん? どうした衛宮」
「気分でも悪いのか?」
途端こっちを向いた二人組の表情はいつもどおり。あまりにもいつも通り。
世に一点の引け目なし。世界に吼えよ男色の嵐とばかりに、平然としている。
士郎は、色々な何かを失った気分でゆっくりと頷いた。
「・・・一成。まず言っておくことがある。俺はおまえをいい友人だと思っている」
「? ふむ。よくわからんが礼を言おう」
きょとんとしている一成に士郎はびしっと指を突きつけた。
「しかし! 俺はノーマルだ! 女の子にしか興味ない! それは覚えといてくれ!」
「!? ・・・そ、それはそうだろう。おまえに男色の気が無いのは知っている。女人にあまりうつつを抜かすのもどうかと思うが。喝」
うむうむと頷く姿に少し安心する。やはり一成はいい奴だった。とりあえずいきなり背後から襲われたりはしないのならば、あとは趣味の問題だ。口出しするようなことじゃあない。
「よかった。うん、それならいいんだ。後は葛木先生と心ゆくまで愛し合ってくれ」
その言葉に一成はピタリと動きを止めた。
腕を組んで考え込み。沈黙すること数十秒。
そして。
「ば、馬鹿者! 先程の会話はそういうのではない!」
堅物と言われる生徒会長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「いや、いいんだ。個人の趣向は尊重すべきだってことくらいわかってる。相手が、その、教師だってのはどうかと思うけど」
「だから違うと言っておろうが!宗兄・・・葛木先生は3年前からうちの寺に滞在しておる客人なのだ! 武術に優れているのでたまに教えを請うていて、昨晩も少々思うところがあり一手指南願っただけだ!」
眼鏡をずり落として叫ぶ一成を横目に葛木もうむと頷く。
「私と柳洞がそんな関係になるわけあるまい」
援護射撃に一成は顔を綻ばせ、
「柳洞が愛しているのは衛宮だろう?」
「宗兄ぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
横合いから致命傷を叩き込まれて悶絶した。
「一成、わるいけど今度から俺の背後には立たないでもらえるか・・・?」
「違うと言っているであろうがっ!」
「昨日の手合わせはそういうことか。愛する者を守るため強くなろうという心がけは良いことだ。優しくと手荒く、どちらが好みだ?」
「不審な女が寺の周りに出没すると言ったのは宗兄でしょうがぁっ! 警戒してるんですっ!」
その後、一成が機嫌を直す為に士郎の弁当が半分近く消費されることになった。
彼が追加で強奪したおかずが自分の作を狙い撃っていた辺り、何かうすら寒いものを感じたが、士郎は努力してそれを忘れる。
忘れた方が、たぶん幸せ。
2-2 遠坂先生の魔術講座(新弟子検査編)
■穂群原学園 2−B教室
「きりーつ、れーい」
「「「あじゃじゃしたー」」」
日直のやる気の無い声と共に一日の授業は全て終わり、士郎はぐっと伸びをした。
「さて、今日はどうしようかな・・・」
呟き、今日の行動方針を模索する。
衛宮士郎の放課後といえば、普段なら
1.生徒会の手伝いをしよう
2.アルバイトに行こう
といった感じの二択なのだが、何しろ今は家に放っておくと何をしでかすかわからない連中が大量に生息している。家で何をしているのか気になるし、行方のわからない残りのサーヴァントについて他の魔術師に聞きに行くのもよさそうだ。
そうなると、今日の選択肢は・・・
1.セイバー達の様子を見にさっさと帰る
2.凛に弄ばれにとっとと行く
3.桜まつり
といったところか。
「ここはひとつ3―――」
士郎がしばし考え込んでからマウスを握った瞬間。
「衛宮殿、衛宮殿。しばし待たれよ」
通りすがりの後藤君が肩をぽんっと叩いた。
どうやら昨晩見ていたのはわかりやすい時代劇だったようだ。
「なに? 後はクリックするだけなんだけど」
「横文字は良くわからんでござるが、その前に廊下を見た方が良いと思うでござるよ? では、拙者はこれで・・・」
さかさかと去っていく背を見送り士郎は廊下のほうへ視線を投げる。
そこに。
「・・・何やってんだ?あいつ」
腕を組み、口をへの字にした遠坂凛が立っていた。
その風格はまさに侠客立ちとも呼べる堂々たるものだが、本職が見れば「切れてねぇ」と文句を言うかもしれない。
「なああれ、遠坂さんだよな」
「ああ。でも機嫌悪そうだぜ? 珍しい・・・っていうかはじめて見たよ俺」
「おい、声かけてみようか?」
「やめとけよ。身分が違うって」
口々に言いながら去っていくクラスメートをぼうっと眺めながら士郎は放課後の選択肢が決定したのを感じていた。
凛が何をしているのかはわからないが、今現在に限って言えば聖杯戦争に関わっているという共通項のおかげで合法的に声をかけられるのだ。このチャンスを逃がす手は無いだろう。
「・・・よし」
あっちは遠坂凛でこっちは所詮衛宮士郎に過ぎない。分不相応だがまあ、声をかけた程度で抹殺されるわけでも・・・わけでも・・・無いと思いたい。
昨日のことを考えるとやや自信が無いが。
そそくさと机の中身をカバンにおしこんで準備完了。躊躇っててもしょうがないので早足で廊下に出ると凛はむっ・・・とこちらに目を向けてきた。
「何やってんだ? 遠坂」
「・・・待ってたのよ。あなたを。しかも10分近く」
早く気づけよおい、とその目が告げている。
どうやら士郎が思っていたよりも大分長く考えこんでいたようだ。
「えっと、なんか用か?」
「・・・帰るわよ」
はぁとため息をついて凛は首を振った。
「別に用とかじゃなくてただ一緒に帰ろうと思っただけなんだけど、そういうのじゃ駄目なわけ?」
「え?」
予想外の台詞に戸惑う士郎にふん、とそっぽを向き、そのまま歩き出す。
「あ、ちょ、待って。いい、いいに決まってるだろ」
否応無く注目を引きながら士郎はその背を追いかけた。三歩で追いつきスピードをあわせる。
「・・・・・・」
ちらりと横目でこちらを眺めて凛は表情を緩めた。何かおもしろいことでも見つけたのか、どことなく上機嫌になったような気がする。
「いや、遠坂が俺を訪ねてくるなんてこと想像もしてなかったからさ」
「なんで? わたしってそんなに引きこもってそうに見えるの?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
自分が学園のアイドルという希少価値の高い立場に居るという事実を完璧に無視した台詞に士郎は苦笑するしかなかった。
まあ、そのアイドルと初めて二人きりで下校する男子生徒という更に希少価値の高い立場に自分が居るという事実にまったく気付いてないので、お互い様ではあるのだが。
■穂群原学園 校門前
嫉妬と奇異の視線を一身に浴びながら学園を出る。
「衛宮君。今更なんだけど確認していいかしら?」
しばらく無言で歩いていた凛は周囲の生徒達がまばらになってきたのを確認して口を開いた。
「ん?何を」
凛はうんと頷いて真面目な表情で士郎の目を見つめる。
「本当は最初の日に確認しておくべきだったんだけど・・・あなた、どんな魔術師なの?」
「む・・・」
口ごもる。確かに教えておかなければならないだろうが、ちょっと躊躇。
何しろ彼に使えるのはたった二種類の魔術のみ。しかも片方は意味が無いから使うなとと師から教えられたので今では気晴らし程度にしか使わないものなのだ。
実質、極めて初級の一つだけが衛宮士郎の魔術と言うことになる。
「・・・強化。それしか使えない」
しかし、思い切って告白したその台詞に凛はむーっと半眼になった。
「遠坂?」
問われ、そのまま目を閉じそっぽを向いて僅かに唇を尖らせる。
「まあ、そうよね。用心深いのはいいことだし、こっちの情報を開示してないから魔術師としての等価交換の原則にも反するし」
「え? ・・・ぅえ!? い、いや、別に誤魔化してるとか隠してるとかじゃなくて」
「・・・いいのよ。それくらい用心深い方が一応チームを組んでる身としては心強いし」
凛はうんと頷き、思わず最後に付け加えてしまった。
「ちょっと、思い上がってただけ。反省しなくちゃ・・・」
言ってからしまったと顔をしかめる。こんな場で本音を語るとはなんたる未熟。魔術師としても、女としても。
「待った! 違うんだ遠坂。隠し事なんかする気は無い! 俺は遠坂を全面的に信用しているぞ。この二日間、遠坂は無茶こそ言ってもいつも意見自体は正しかったし」
「う・・・ありがと」
照れている自分を感じながら気を取り直し追及を続ける。
「ともかく! 使えるのが強化だけってのは嘘でしょ? 最低限、治癒は出来る筈じゃない」
「? なんでさ」
心底不思議そうな顔で言われて凛は逆に戸惑った。
「あのねえ・・・昨日、一昨日とエクスカリバー喰らって平気な顔してるのは誰? まあ見た感じあれの本体って斬撃そのものだから実際に当ってるのは余波の熱と衝撃なわけだけど、それだって強化程度で防げるものじゃないわよ? 自動回復(リカバリー)とかしたんでしょ?」
「む・・・でも昨日は遠坂も一緒に吹っ飛ばされてたじゃないか。平気でその後動いてなかったか?」
サーヴァント達と桜も一緒に。
「わたしは自力で防御壁つくったもの。そうね、先に教えておくと遠坂は流動の魔術を使うわ。得意なのは宝石に魔術を込めて限定礼装を作ることで、昨日使ったのもそれ。ちなみに個人としての属性はアベレージワン」
「五大属性統一!?」
一般的な魔術師は自然界をつかさどる元素のうちどれか一つを自らの属性として持つ。これは魔術回路の数同様に先天的な素質であり、たとえば凛の父である時臣は努力家で知られ優秀な魔術師と讃えられていたが、属性は『火』の一つきりだ。
複数属性持ちというのはそれだけで異能に属するものであり、稀有な才である。稀代の天才として謳われたエルメロイの先代や魔術師殺しとして闇を駆けたと
ある殺し屋がそれぞれ「水と風」「火と土」の多重属性持ちとして知られ、どちらも並の魔術師では手の届かない特殊な魔術を行使したと言われているが、それ
でも二重だ。
凛の五大属性統一という属性は、単純に五つの属性を持つということではない。属性が五つに分類されるから五大というだけで、つまりは『全部』という意味
である。世界を構成する要素全てに属するという異質。血に眠る素質の全てを目覚めさせるという禅城の血が為した遠坂一族の完成形。それが凛なの
だ。
まあ、ようするに超レアだ。
「驚いたな・・・遠坂、本当に天才なんだな」
「否定はしないわ。それに恥じないだけの努力もしてきたつもりだしね」
才能に溺れて努力を欠かし、結果として凡人以下になった者はあまりも無様だ。常に優雅たれという家訓を重んじる凛には、それは耐えられない。
話のずれを軽く咳払いして仕切りなおし、指を一本ぴっと立てる」
「爆発が起きたとき、無防備だった桜をサーヴァント達が守ってたのは見たわ。でも、衛宮君は昨日も一昨日もノーガードで受けていたようにしか見えなかったのよ。それなのに吹っ飛ばされてしばらくしたら普通に立ってくるってのは異常よ。どんな仕組みなわけ?」
「・・・う〜ん、正直なところ・・・俺にもよくわからないんだよな」
数秒悩み、士郎は正直にそう答えた。凛は『?』と目を丸くして首をかしげる。
「いや、ほんとに俺がまともに使えるのは強化だけなんだ。しかも成功率は低いし吹っ飛ばされるときにはそれも使ってない。でも光熱波の直撃受けて無傷なのも不思議だし」
「セイバーが手加減でもしてるのかしらね・・・でも、そういう器用なことが出来る宝具ではなさそうなんだけど。あれは・・・」
唇に指を当てて考え込んでいた凛はしばらくして首を横に振る。
「駄目ね。今度本人にも聞いてみるわ。それよりも重要なのは、衛宮君が強化しか使えないって事の方」
「? ・・・重要か? それって」
邪心無く聞き返してくるのにはぁとため息。
「重要に決まってるでしょ? つまり、戦力としてはほぼ人数外ってことなんだから」
「む。そりゃあ強いとは言えないけど・・・」
「人数外なの!いい?サーヴァントっていうのは生きてるうちからその道を極めた英雄だった奴が、世界のバックアップを受けて更に強化された存在なのよ?
衛宮君が鍛えているのは見ればわかる。殴り合っても相当強いってのもね。でも、例えばセイバーやランサーと近接戦闘して勝てる?」
言われ思い出すのは昨日の晩。
ギルガメッシュの打ち出した無数の刃・・・それも一つ一つが強力な魔力を宿す宝具をことごとく回避し、打ち落として見せた槍の英雄。
そして記憶の奥、見惚れるほどの剣技を閃かせる剣の英雄。
「いや、無理だな。どう考えても」
「でしょ? 私達魔術師はサーヴァントのバックアップをするのが仕事なの。そりゃあ接近戦で不意打ちするのもいいけどそれは敵マスターを攻撃するときに限
定よ。強化の魔術じゃ自分の身を守るぐらいしかできないわ。相手がサーヴァントだったらそれすらも無駄と考えた方がいいわね」
しばし、沈黙。
ただただひたすらに足を動かし家路を進む。
「・・・ショックだった?」
数分して、凛はそう言って士郎の顔を覗き込んだ。
「ん? いや、力不足はもとから知ってることだし。なんとかするよ。今だけじゃなく、これからも戦っていくつもりなんだから」
やや不安なまま目にしたその表情は決意。
届かなくても、報われなくとも手を伸ばす揺ぎ無い意志。あの日、赤い校庭で見た眩しいもの。
「そっか」
「そうだよ」
短く言い合って二人は目を前に向けた。見えてきたのは衛宮邸。二人の帰るべき場所。
「・・・それじゃあ、鍛えるしかないわね。よかったらだけど、わたしが教えようか? 魔術」
「!?」
その言葉に士郎は目を丸くした。想像もしていなかったような、そうあるのが自然なような気持ちを抱えて。
「い、いいのか? 俺、ほんとに未熟だぞ?」
「わかってるわよ。でもしょうがないじゃない。バーサーカーはああいう人だったからいいとして、これから先に敵対するサーヴァントが居るかもしれないわけだし」
そこまでは建前。
「それに・・・わたしさ、努力してるのにそれが報われないのって、嫌いなのよ」
士郎は、もっと報われていい。
その支払ったものの大きさに値する成果を得ていいはずなのだ。そう感じるのが本音。
どこから来るのかわからない、赤い丘のイメージと共に感じるもどかしさ。
「報われないってわけじゃないけどな。俺の才能と努力が足りないだけで。でも、教えてもらえると助かるよ。親父が死んでからこっち新しいことは何も学べてないから」
「? ・・・なに? 衛宮君の師匠ってなにも資料残してくれなかったの?」
「ああ。もともと親父は俺に魔術を教える気は無かったみたいだから。そういうわけで俺は衛宮士郎だけど衛宮の魔術はこれっぽっちもついでないんだ」
言いながら玄関をくぐった士郎にふむと頷き、ふと凛は脚を止めた。
「どうした? 遠坂」
「衛宮・・・士郎」
ぽそりと呟き、ふむふむ頷く。どことなく、顔が赤い。
「? なにさ」
「士郎」
「ん?」
「士郎」
「士郎だけど?」
「士郎」
「それがどうした?」
延々と呼びつづけるあくまさんに士郎は首を傾げるが。
「・・・なんでもない」
凛は赤い顔のままぷぃっとそっぽを向いて靴を脱ぎちらかして家にあがった。
(―――違和感無いわけね。・・・わたしが名前で呼んでも)
くすぐったいような、つまらないような。
「・・・なんなんだか」
乙女ハート発動中の紅い背中に首をかしげて士郎も家に上がり、自分と凛の靴をきっちり踵をそろえて置きなおす。
「・・・細かいわね」
「・・・女の子なんだし、もう少し気をつけたほうがいいんじゃないか?」
むぅと唸る凛と共に士郎は歩き出す。
「そうだ。弟子入りの話だけど、なんにしろ実力を測るとこからはじめないといけないし、後で道具とか取ってくるわ」
「ん。夕飯は?」
「ステーキで」
「無理」
そして、他愛の無い話をしながら居間へ入った二人は。
「おかえり。邪魔してるぞ娘と義理息子候補」
―――そろってカバンを取り落とした。
「土産がある。後で見ておくといい」
居間のテーブルに座り――何故か似合わない正座で―――湯飲みを傾けていた神父はそう言いながらバサッと本の束をテーブルに載せた。
『ゼ○シィ 〜春の式場大特集〜』
『た○ご倶楽部 〜出産直前に慌てない為に〜』
『K県ラ○ホテルマップ 〜これが勝利の鍵だ〜』
凛は無言でコートの袖に仕込んであった宝石を取り出しテーブルに叩きつけた。沸騰する光の奔流が紙のカタマリと神の使徒を等しく壁まで吹き飛ばす。
「ふむ、合格」
すっ飛びながら言峰綺礼は空中で華麗に回転して着地した。嫌な光景である。
「あんた、本当に殺すわよ・・・!?」
「照れなくても良いでは・・・待て、凛。その威力だとこの部屋が吹き飛ぶぞ」
無表情に言われて凛はぐっと奥歯を噛み締めた。目を閉じ冷静になれ冷静になれと自分に働きかける。
こいつの相手をまじめにしても無駄だ。真っ黒な墨汁に一滴ミルクをたらしても白くはならないのだから。こんちくしょう。
「で、言峰・・・なんで俺の家に居るんだよ」
「む」
まだ慣れていない分呆然とする時間が長かった士郎の言葉に綺礼は軽く眉をしかめる。
「貴様のようなどこの馬の骨ともわからん奴にお義父さんなどと呼ばれる筋合いは無い」
「言ってねぇよ!」
ゼロセコンドで突っ込む士郎の姿に赤い外套の英霊を少し重ね合わせながら凛はため息をつく。
「綺礼、無駄口を叩かず答えなさい。みんなはどこ? それとあんた、数日は帰らないんじゃなかったの?」
「そうだよ。確か魔術協会と連絡取るとかで」
「・・・それについては私から説明しましょう」
二人の問いに答えたのは台所から現れた人物だった。スーツに割烹着、三角巾という何かを著しく間違っている服装の女性。中性的でクールな容貌が目を引く。
「えっと、あなたバゼットさん・・・でしたっけ。ランサーさんのマスターの」
士郎の言葉に頷きバゼットは三角巾を外しながら居間に入ってきた。
綺礼の横を通り過ぎる際に二人の間でパンッ・・・という音がしたような気がするし何故か綺礼が無表情に鼻血をたらしたりしているがとりあえず無視。
「サーヴァント達ですが、セイバーとランサーは鍛錬だと言って道場に。ギルガメッシュは客間で寝ているようです。奴はよく寝るし寝起きも良くない。正体不
明の子供サーヴァント二人も同じく昼寝、バーサーカーは庭で雑草を抜いていましたね。イスカンダルは散歩と称してその辺をさ迷っているしアーチャーに関し
ては・・・」
そこで含み笑いをもらしたバゼットに凛はむっと顔をしかめる。
「アーチャーがなによ」
「いや、マメで律儀な子だと思っただけです。彼女はこの頭上、屋根の上から我々を監視しているようですね。弓兵の名の通り遠距離攻撃が可能であることを考えれば、私か綺礼が遠坂さんに危害を与えようとしたら天井ごと射抜いて殺す気なんでしょうね」
ひとしきり笑ってからバゼットは割烹着を脱いだ。何故だか士郎の心の中に残念な気持ちが広がり、凛から感じた殺気にその考えを慌てて思考の隅へと押し込む。
「そ、それで・・・なんでここに居るかの答えは?」
問われ、バゼットはええと頷いた。
「私と綺礼はそれぞれの所属する組織とコンタクトを取ろうとしていました。数年前まで私は魔術協会の封印指定魔術師の捕獲をやっており、その関係上有事の際の拠点をいくつか知っているのでそこへ向かい車を走らせ―――」
「対する私は、聖堂教会の代行者に会おうとバイクを駆っていたのだが」
綺礼はぴっと鼻血を指でぬぐって無表情に首を振る。
「結果として、二人して失敗した。それぞれ別の方法で街を出ようとした私達は、気づけば二人して教会の中に立っていたのだ」
思いがけない言葉に凛と士郎は顔を見合わせた。
突拍子も無い言葉ではあるが、この場に居るのは全員が全員魔術師だ。結果があればそれを導く原因があることを知っている。
「結界・・・?」
「おそらくは、ですが」
バゼットは窓の外に目をやって苦笑した。
「街外れまでは記憶を保てていますが、いつ、どのように教会に戻されたのかは―――催眠かをかけられて自分の足で戻った可能性を含め、不明です。かなり大
規模で、尚且つ精密なものと判断できるでしょう。少なくともこの街の流通は止まっていないし、人の流れも通常通り。通勤、通学している者たちはいつもどお
り電車に乗ってそれぞれの目的地へ向かい、帰ってきています。昨日一日で調べた限りですが、誰もおかしな現象にはあったという記憶はないそうですね」
「・・・聖杯戦争関係者だけが閉じ込められている、ということかしら。町全体に及ぶ結界なんていったら魔力がどれだけあればいいのかわからないし、わたし達にそれとなく拘束の魔術をかけたっていう方が現実的かも」
凛の意見にバゼットはふふ、と笑い頷く。
「良い判断です。だが問題もある。君や私、綺礼・・・そこの少年とてその辺りには疎いと聞いていますが、魔術師でしょう? レジストどころか気づかせもし
ないような魔術を他のマスターも含めた全員にかけられるなら、そんな面倒なことをしなくてもそいつが聖杯戦争の勝者になっているでしょう。この状態で聖杯
が手に入るかはともかく、ですが」
それもそうかと士郎は頷き、首をかしげる。
「じゃあ結局何が何だかわからないけど街からは出れなかった、と」
「その通りだ衛宮士郎。故に、私達はまずその現象の調査と解除を行うことにした。今日ここへ来たのはそれを伝える為ともう一つ、それの為だ」
言って綺礼が指差したのは、先程凛が吹き飛ばした結婚雑誌やらなにやらの束。
「・・・あんたね」
「いや、遠坂。見てみろ。無事な奴がある。雑誌じゃないぞ?」
士郎の言葉に凛は嫌々ながらテーブルの方に視線を向けた。
粉々になった紙の残骸にまじり、一枚だけ無事なものがある。書いてあるのは数十行にわたる簡潔な報告。曰く、
『巨大な魔力が柳洞寺近辺で感知。キャスターの可能性あり。調査要』
まともだ。
「っていうか、最初からそれだけ伝えてくれればいいのに」
「芸が無いだろう」
凛はとりあえずガンドを綺礼に撃ちこんでから士郎を見た。
「どうしよっか。まだ夕食時まで時間あるし、偵察にいってみる?」
「ん・・・」
士郎は考え込み、ふと思い出して表情を引き締めた。
「そういえば一成が言ってたな。最近寺の周りに不審な女が居るって」
「ビンゴっぽいわね。行ってみる価値はありそう」
「ふむ。では忠告だ」
綺礼はふっと視線をそらし呟いた。
「・・・なんだよ」
「物干し竿には気をつけることだ」
士郎と凛は顔を見合わせる。目で語ること十数秒。
「じゃあ、ちょっと行ってきますバゼットさん」
「さて、アーチャー。降りてきなさい!話は聞いてたでしょ?」
軽く会釈して二人は居間を出た。
無視は時に、何よりも狂気への対応策となる。
「補足トリビア。切嗣には愛人が居た」
「何を補足してんだよそれは!」
無視できないから、キ○ガイなのだが。
2-3 柳洞寺へ
■衛宮邸 門前
「じゃあ、でかけようか」
士郎は私服に着替えて出撃メンバーを確認した。
「問題ありません。いつでも戦闘可能です」
「がぅ」
真っ先に答えたのはセイバーとバーサーカー。
「あんたが来るのって珍しいわね。高いところすきなの?」
「失礼なことを言うな雑種の小娘! 好きで悪いとでも言うのか貴様は!?」
「誰も悪いとは言っていないがな・・・というより、好きだったのか」
凛のからかいに過敏な反応を見せたギルガメッシュにアーチャーが肩をすくめてつっこむ。しかも1台詞で2ツッコミだ。
「留守にしているイスカちゃんはともかく、ランサーさんが来ないのは意外だな」
「ふん、奴はあの寺が嫌いなのだそうだ。理解できんな」
士郎の呟きにギルは首を振る。
ちなみに彼女は声をかけたら起きてきたが、桜の部屋で転がっていたあんりまゆは駄目だった。鍵はかけて外出することにする。
「あ、そうだ。士郎達先に行っててくれる?」
「? ・・・いいけど、どこ行くんだ遠坂?」
別行動が落ち着かないという事実に少し気恥ずかしいものを感じながら士郎が尋ねると凛はうむっと腕を組む。
「ほら、士郎に魔術教えるって決めたでしょ? 色々道具を持ってくるわ。ついでに服とか小物とかもね。荷物はアーチャーに運ばせるから境内で待ち合わせましょ」
そう言って凛はアーチャーを伴って自宅へ向かった。
士郎達もややゆっくりと柳洞寺へ向かう。傾き始めた日に照らされること十数分。
「今度はキャスターか・・・どんな奴かな」
士郎の何気ない呟きに隣を歩いていたセイバーは何故か嫌な顔をした。
「どうした? セイバー」
「あ、いえ。意味も無く平行世界を越えた敵意が・・・」
自分でも戸惑っているようなセイバーをよそにギルガメッシュはふふんと笑う。
「キャスター如き、どうというものでもないぞ。半分近くのクラスが対魔力を持つ以上、出来る事といえばせいぜいが陣地を作る程度であろう」
「おまえの対魔力はEで私より更に低いがな」
「? ・・・どうしたの、アーチャー」
「いや」
遠く遠坂邸に続く坂を登っていたアーチャーがぼそっとつっこんだりもしたがそれはそれ。
「そっか。対魔力Aのセイバーがいる時点で向こうの攻撃はほとんどきかないわけか」
「そうですね。この身に通用する魔術はほぼありません。リンが最大魔力で攻撃してきたとしても、単純な魔力による攻撃ならば相殺できると思います」
セイバーがこともなげに言った台詞に士郎はそこまでの性能かと感嘆する。
「凄いな・・・俺から見たら遠坂って負ける所が想像も出来ないぐらい無敵っぽいんだけどな」
「いえ。今の仮定は純粋に力を比べたら、ということですので。いざとなればリンのことですから何か裏技を考えて勝ちに来るでしょう。スキルの性能の差が戦力の絶対的な差とはいえません」
「・・・でも最終的には、セイバーのサーヴァントは化物かーってことになりそうだな」
遠坂って赤いし、と結論付けて士郎はふと視線を横に向けた。たったった・・・とこちらへ駆けて来る足音を聞き取ったのだ。
「せんぱーい」
学校の方から駆けて来るのは桜だ。どうやら部活帰りらしい。
「桜〜! 部活終わったのか〜?」
大声で聞くと桜は走りながらぶんぶんと頷き。
「ぺぴっ!」
上下動の勢いのまま転倒して斬新な悲鳴をあげた。おそらく、胸部ウェイトによる遠心力が強すぎたのだろう。めり込まんばかりに地面へと叩きつけられた顔面がなんとも痛々しい。
「・・・桜?」
「・・・・・・」
微動だにしない少女に士郎はさぁっと青ざめ、慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫か!?桜!」
「せ・・・せん・・・ぱい・・・」
抱き起こされた桜は弱々しく手を伸ばし士郎の頬に触れる。
「桜・・・」
「ふふ・・・泣かないでくださいせんぱい・・・優しさはときどき残酷だから・・・」
「別に泣いてはいないがな」
どこか遥か遠いところから聞こえるような気がするつっこみは桜の内部で巧妙に無視。
「わたしが・・・わたしが、死んだら・・・」
「いや、死なないって! 転んだだけだから!」
「死んだらッ!」
「あ、はい、死んだら?」
勢いに負けて士郎はガクガクと首を縦に振った。弱い。
「死んだら・・・まず姉さんを疑ってくださいね。ああ・・・先輩、時が・・・見えがくっ」
「えっと。さ、さくらー」
がくり、と崩れ落ちた桜の身体を抱いたまま、とりあえず義務感から叫んでみた。
「ぼくはとんでもないことをしてしまったー」
日が落ちる。赤い光が、太陽の灯火が、命の終焉のように消えていく・・・ような気がしたり。
「・・・それでこの三文芝居は何時まで続くのだ?」
前の前で繰り広げられる謎の寸劇にギルガメッシュはため息をつき隣のセイバーに声をかけ。
「ぅう・・・いい・・・話です・・・」
「今のがか騎士王!?」
「カンドウシタ・・・」
「貴様もか神の仔!」
小柄なセイバーと大柄なバーサーカーが肩を並べてぐすぐすと涙を拭っている姿に思わず王様つっこみを放った。
ひょっとしたら、アーチャーのクラスのスキルにツッコミが含まれるのかもしれない。なかなか様になっている。
「・・・もしかして、我の感性のほうが・・・変?」
これまでの生涯+英霊生活を通じて揺ぎ無かった自己肯定にちょっとだけヒビが入ったらしく後ずさって行くギルガメッシュの愕然とした表情に、士郎は苦笑してそっと首を振った。
「いや、それが普通だよギルガメッシュさん。大丈夫」
「そ、そうか? そ、そうであろう! ふ、ふは、ふははははは! たまには良いことを言うではないか雑種!」
ギルガメッシュ攻略フラグを立てながら士郎は抱きかかえたままの桜をゆさゆさ揺らしてみた。
「おーい桜〜? そろそろ起きてくれないか?」
「・・・・・・」
だが、桜は強固に死んだふりを続ける。
(3話目にしてようやく回ってきたクローズアップされるシーン・・・少しでも、少しでも長く・・・!)
ぎゅっと固くまぶたを閉じた桜が決意を固めた、その時。
たらり。
「あ、鼻血」
「!?」
先程強烈に打ち付けた鼻から一筋の離脱者が流れ落ちる。
「きゃ、きゃああっ!」
刹那、桜はぶんっと頭を起こしてその勢いのまま体全体を引き起こした。
「うぉ!?」
突然のヘッドスプリング起きにのけぞる士郎を涙目で睨みながら桜はそそくさとハンカチで鼻を抑える。
「ひ、ひぼひ・・・
はらひほはふはいは、ほほひへはんはひへふは)!?」
「いや、別にそんなわけじゃ・・・」
士郎は苦笑をもらして桜に近づいた。自分のハンカチを取り出して恥ずかしさで縮こまっている桜の頬や額についた砂汚れをぬぐってやる。
「はい、綺麗になった」
「・・・わたし、ちっちゃな子供みたいです」
ちょっと拗ねるような声で言って桜は鼻に当てていたハンカチを外した。隠されていた口元には小さな笑顔。
「そりゃ、ね。俺にとっては桜は可愛い妹分なわけだし」
その台詞に嬉しいような、寂しいようなものを感じて桜はふぅと息をついた。血は、もうすっかり止まったようだ。
「今はまだ・・・それでもいいです」
小さな呟きでそれまでの鬱屈を洗い流し、桜はにこっと微笑んだ。
「そういえば先輩、どうしたんですかこんなところで」
「ああ。柳洞寺のあたりにサーヴァントが居るかもしれないって話だから様子を見に行くところ。桜は夕食の準備を頼むな」
「はい、せんぱ・・・あれ、姉さんは一緒じゃないんですか?」
なにか張り合いが無い原因に気付いて桜は首をかしげながら尋ねた。
「ああ、遠坂から魔術習うことになったんで必要なもの取ってくるって。荷物も色々足りないみたいだな。寺の前で待ち合わせたよ」
「行きます」
桜はきっぱりと言い放った。
「は?」
「わたしも、行きますと、いいましたよ? 先輩?」
桜さん、にっこりと微笑。
さいきんだんだんわかってきたのだが、桜と凛はこういう脅し笑いが抜群に怖い点で確かに姉妹だテラー!
「でも・・・いや・・・はい。わかりました・・・」
危ないからと言いかけた士郎は視線一発で意見を翻した。今危ないのは自分だ。危険がヤクイぜ! よろんだぞ!
「ついてきてもいいけど、危なそうだったら俺の後ろに隠れてるように。俺も強くないけど頑丈には出来てるみたいだから」
「・・・はい」
嬉しげに桜が頷くのに頷き返し、士郎はまた歩き出した。サーヴァント達もぞろぞろとその後に続く。
「あ、でも先輩? わたし、こう見えて結構強いですよ?」
「そうなのか?」
正直意外だ、と顔に書いてある士郎に桜はぷぅっと頬を膨らます。
「そうですよ! こう言ってはなんですけど、わたし、魔術師としては先輩より上位です」
ぐさりと来た。
「なんだ? 気付いていなかったのか雑種。その女、こと魔術の技能で比べるならば貴様の数百倍は熟練しておるぞ」
「自分のマスターに対しては言い辛いのですが、現状では最大魔力量も比べ物になりません。流石姉妹というべきか、サクラの魔力はリンに匹敵する」
不思議そうな顔で言ってくる英雄王、気の毒そうな顔で言ってくる騎士王。
いっそ、悪意でもあれば怒れるのに。
「あ、ああ・・・そうなんだ・・・」
士郎、渾身の作り笑い。ああ、子が親を抜いていく時の感慨ってこんな感じかな、等と夢想したりもする。
「がぅ」
故に、ぽんと肩を叩いてくれるバーサーカーさんの心遣いが・・・温かい・・・
せめてそこに凛が居れば、その不自然に気づけたのに。
2-4 少女幻視。
■円蔵山 柳洞寺山門への階段
「がぅ?」
リュードージなる目的地まで後は階段を昇るだけという場所でバーサーカーはふと呟いた。
「どうした? バーサーカー」
「オンナノコ・・・?」
狂戦士というクラス故か、彼女は言語機能が不自由な状態だ。考えた事の一割も伝えられないまま、バーサーカーはすっと手を上げる。
「イタ、フシゼン」
言いながら指差したのは山並みに広がる林。
冬の早い日は落ち、あたりはすっかり暗闇に包まれている。その黒い木々の中にだれかが居たような気がしたのだ。それも、小さな女の子が。
「・・・確かに、この時間にちっちゃい子が山歩きってのもおかしいけど」
きょろきょろと士郎は辺りを見渡している。魔力を通して強化した視力で観察するが、人影らしきものはない。
「みんな、どう? なんか見えるか?」
「がぅ」
満足に喋れない自分の言葉にも真剣に応じてくれることに感謝しながらバーサーカー自身も改めて辺りを見渡してみた。
「・・・・・・」
少女。
かつて、彼女にはマスターが居た。そういう記憶がある。ぼんやりと、だが。
あるいは他のどこかへ召喚された際の記憶の混濁かもしれず、ただの思い違いの可能性もある。
だが、あの時。教会前の広場で何故か召喚された時からずっと、白い髪の少女のことが記憶を引っかいてやまないのだ。寂しがってはいないだろうか? ちゃ
んとご飯は食べているだろうか? お付きの二人に辛く当っていたりはしないだろうか? そんな細々としたことが心配でならない。
「ん・・・見えないな。ごめん」
しばしみんなして辺りを見回した後、士郎はそう言った。
「コチラコソ」
バーサーカーはがぅと頭を下げて少女のイメージを心の隅にしまった。今はその少女と似た匂いのする、目の前の少年をこそ重視しよう。
「よし、じゃあ登ろっか」
士郎の声を合図に一同はいそいそと石段を登り始めた。
「・・・そういえば」
長い階段の途中で呟いたのはギルガメッシュだった。
「地球へ、というアニメがあってな」
「あぁ、あったね。うん。俺も見たことあるよ」
士郎の相槌にセイバーは不思議そうに首を傾げる。
「? ・・・それがどうかしたのですか?ギルガメッシュ」
ギルガメッシュは数十秒間悩んだ。自覚している。寒かったのは自覚しているのだが今更無かったことにするなど英雄王の誇りが許さない。
「む・・・だから、寺へ・・・」
「――――――――――――ふぅ」
セイバーさんは、物凄く失望した顔で息をついた。どうやら駄洒落はお気に召さなかった模様。
「・・・く」
ギルガメッシュはそのリアクションにふんっとそっぽを向いた。それっきり、全員黙々と階段を昇っていく。
「・・・がぅ」
その頭をバーサーカーはぽふっと撫でた。背が低めのギルガメッシュと並ぶとまるっきり大人と子供だったりする。
「む・・・ぐ、愚弄するのか貴様!」
「がぅ」
いえ、そういうわけでもないのですが。と手をパタパタさせるバーサーカーに口をへの字にしたギルガメッシュは足を早める。とりあえず元気にはなったようだ。
「・・・さんきゅ、バーサーカー。フォローご苦労様」
士郎の賛辞にバーサーカーはポッと顔を赤らめた。小さな照れ笑いにたいそう癒される。
「何をしておる雑種ども! 早く行くぞ!」
「がぅ」
山門まで辿り着いたギルガメッシュの声に士郎達は足を早めて階段を登りきり。
瞬間・・・十以上にも昇る黒い影が一斉にバーサーカーに襲い掛かった・・・!
2-5 物干し竿
「にゃー」「にゃー」「にゃう」「にゃぉ」「ふーっ」「にゃー」「なー」「にゃー」「にゃー」「もへ」「にゃー」「にゃー」「にゃー」「なー」「にゃー」「にぃ」「にゃー」「にゃー」「にゃー」「みぃ」「にゃー」「にゃー」「にゃー」「にゃー」
「ほぅ、もてるな神の仔よ」
ギルガメッシュは感心したように呟いた。口元にはこらえ切れぬ笑みが浮かんでいたが。
「が、がぅ」
全身にまとわり付きぶらさがる猫の群れにバーサーカーは戸惑いの声を上げる。
「だ、大丈夫か!? バーサーカー」
「・・・ダイジョウブ」
まあ、どこかの猫好き長身女子高生と違い彼女には『神の試練』がある、噛まれたりしたところでダメージが入るわけでも―――
「! ・・・チョト、イタイ」
―――Aランクの猫が、居たのかもしれない。
「えっと、引き剥がしたほうがいいのかな」
「・・・ですがシロウ。あの猫たちの幸せな表情をあなたは壊せるのですか?」
猫科に甘い女、セイバーここにあり。
「根本的に猫では無いものが声が混じっているような気もするがな」
それに答えたのは皮肉気なつっこみの声。
「む、アーチャー。ってことは」
「・・・遅かったじゃない」
振り返るとそこに、凛が居た。
むーって顔で、頭に猫をのせて。
「あー、えっと・・・遠坂」
さてここからが勝負だ。
あれはわざとか? 追い払っても居なくならないから諦めたのか? まさかとは思うが、気付いていないのか?
「・・・遠坂なら案外3番かも」
「2番よ」
「心読むなよ遠坂!」
あんなことやそんなことを読み取られる恐怖に代わって前に出たのは桜だ。
「ずるいです姉さん! ただでさえ属性多いのにそんなオプションでなごみ属性までつける気ですか! 癒し系はわたしのスキルなのに!」
「にゃー」「にゃー」「みゃー」
猫達は、一斉に前足を左右に振った。
「ひ、ひどい・・・」
「だ、大丈夫だぞ桜!俺は癒されてるから! 癒され・・・多分・・・」
「無茶苦茶自信なさげじゃないですか!うぅ・・・もういいです」
境内の隅で『の』の字を書き始めた桜とその傍で動くに動けずおろおろするバーサーカーを眺めて凛はふっとニヒルに笑った。
「早くも二人脱落・・・この寺には魔が住んでいる・・・」
「みー」
頭上の猫が宿主と一緒にちっちっち、とニヒルに肉球を揺らすのを眺めながら士郎はため息をついた。
「まあ、害があるわけでもないだろうしほっとこう・・・それより遠坂、早かったな。まさか先に来てるとは思わなかったよ」
「こっちも来たばっかりなのよ。一度荷物を家に置かせてたから。アーチャーに自転車を飛ばさせて二人乗りでね」
「・・・前が見え無くなるほどの荷物を抱えてな」
先程から彼女のつっこみにややキレがない理由を悟って士郎は気の毒そうに頷いた。
「おつかれさま。帰ったらなんか疲労回復にいいもの作ってやるからな」
「・・・ふん」
そっぽを向くアーチャーにはあまり構わず、士郎は凛に向き直った。
「じゃあとりあえず寺の中を見て回ろう。俺は結界とかの痕跡に注意するから遠坂は魔力を感知してってくれ」
「いいわよ。じゃあセイバーとギルガメッシュは不意打ちに気をつけといて。アーチャーもね」
「わかりました」
「ふん、我に命ずるなど1万年と2千年は早いわ。8000年を過ぎたあたりからやり直すがいい」
「了解した」
それぞれやや緊張感を取り戻した表情でサーヴァントたちは頷き。
「む? ・・・そこに居るのは衛宮か?」
門の方からかけられた新たな声に、揃って視線をそちらに向けた。
「あ、一成」
「やはり衛宮か、こんな時間に訪れるとは奇特なことだ・・・と、遠坂っ!」
石段を登って現れたのはこの寺の後とり息子、柳洞一成だった。ランニング途中なのか、『説破』と背中にでかでかとプリントされたトレーナー姿だ。
「あら柳洞くん。生徒会長自ら見回りかしら? ごくろうさま」
「そんなわけがあるか! 体力増強だ! 見てわからんのか!」
顔を真っ赤にして叫ぶ一斉に凛はあらと意外そうな顔をした。
「冗談にきまってるじゃない。聞いてわからないの?」
「ぐ、ぐぐぐぐ・・・え、衛宮! 周囲の少女達もさることながら、そもそもが何故におまえがこの毒婦と一緒なのだ! 穢れるぞ!」
「あ、いや、その・・・色々と事情らしきものはあるんだが、なんていうか・・・」
魔術関連の話をするわけにもいかず口篭もると、凛はにこぉっと微笑んだ。瞬間、士郎の背筋にぞくりと寒気が走る。
「待て遠坂!」
その顔は知っている。よぉく知っている! この顔は! 明らかに何かを企んでいる顔だ!
「簡単よ柳洞くん。わたし達、結婚するの。仏前結婚よ」
「何ィィィィィィ!?」
「なんですってぇええええええ!?」
「・・・なんで桜まで驚くかな」
士郎はぐったりと頭を抱える。
「どどどどどどどういうことだ遠坂! 事と次第によっては・・・」
「そうです! 許しませんよ姉さんっ!」
「そんなこといわれてもねぇ、わたしと士郎は湖のほとりの小さな赤い家で・・・」
「殺戮を繰り返すんだな」
「そうそう、金属バットでガッツンやったりおはぎに針入れたり最後ははナタでごつって嘘だッ!」
アーチャーの一言で路線の変わった内容に凛はがぁっと吼え猛る。
「凛。いいノリツッコミだ」
「姉さん! そんな祟りだかなんだかわからない行為に先輩を巻き込ませるわけにはいきませんっ!」
「その通りだ! 衛宮は・・・衛宮は、貴様なぞには渡さん!」
桜の追求にぶんぶんと頷き、一成が決意の声をあげた、瞬間。
「ほぅ」
「へぇ?」
「わぁ」
女性陣がそれぞれ単音の声をあげて黙り込み、静寂が辺りを支配した。凛の頭上で猫がみゃーと驚きの声をあげる。
「・・・姉さん、この方は」
「ええ。生徒会長。そして士郎とよく一緒にお昼を食べたり放課後に語らったり朝の時間を共にしたりしている奴よ・・・」
「あ、朝の時間を共に!?」
その説明に桜は何か汚いものを見るような目で一成を睨んだ。
「待て、今の説明は何か著しい悪意を感じるぞ!?」
「問答無用ですっ! いくらなんでも男子に先輩を取られるなんて許せませんっ!」
「桜、手伝うわ」
「みぃ」
ぐわっと燃え上がる炎をバックに盛り上がる桜とあからさまに楽しんでる笑いでそれを煽る凛。客観的に見て、それは・・・
「地獄だな」
「・・・そうだな。アーチャー」
士郎は深くため息をつき、傍らのセイバーに目を向けた。
「セイバー、ギルガメッシュさん。行こう・・・あっちは放っておいて」
「は、はい。いいのですか?」
言われ、ふっと遠くを見る。
「セイバー、エンジンがかかった凛を止める方法があるのか?」
「・・・いえ、ありませんね」
王様は、切り替えが早かった。
「よし。では行くぞ雑種。セイバー。あんなヤ○イ話に付き合うこともない」
「ど、どこまで! どこまで進んでるんですか!?」
「あ、それはわたしも聞きたいなー」
「どこまでも何もあるかっ! おい、衛宮 !この仏敵達をなんとか、おい!? 衛宮! どこへ行く!? 去るな! 微妙な笑みを浮かべて行くなぁぁああっ!」
アリーヴェ・デルチ。一成。
■柳洞寺 境内
山門前の喧騒がやや小さくなった頃、夕日の最後の一欠けらが姿を消した柳洞寺は完全に夜の世界へと埋没した。
士郎達は建物につけられた常夜灯を頼りにあちこちを見て回る。
「・・・駄目だな。物凄い魔力がこの山全体を包んでいて、痕跡とかがよくわからない」
士郎の呟きにセイバーはこくりと頷いた。
「そうですね。ここには強力な結界が張られています。正面以外からでしたら私達は入ってこれなかったであろう強力なものです」
「キャスターの仕業かな?」
問いに答えたのはギルガメッシュだ。
「いや、10年前にもこの結界は存在していた。この寺自体に何か有るのかもしれぬな・・・それよりもセイバー、気付いておったか?」
「ええ・・・ですが何か違うような感じもします」
ギルガメッシュとセイバーは互いに目配せして周囲を見渡す。
「どうしたんだ? 二人とも」
「・・・シロウ。サーヴァントらしき気配を感じます」
「!」
言われ、士郎は素早く周囲をうかがった。少し先の建物の影から何かが歩き回っている音が聞こえる。
「・・・あれか?」
「おそらく。しかし・・・どこかおかしい。本当にサーヴァントなのかどうかはっきりしません」
「ふん、行ってみればわかることだ。ついてくることを許す」
ギルガメッシュは言うが早いかさっさと歩き出した。
うっかりさんではあるがそこは英雄王とまで言われる存在。無造作に見えて既に『王の財宝』はいつでも使えるよう召喚されている。
そのまま三人して静かに角を曲がり・・・そこに。
「―――物干し竿」
それが、あった。士郎は顔を引きつらせ、その長くて細い物体を見つめる。
『忠告する。物干し竿には気をつけることだ』
嫌な奴では有るが、言峰綺礼の忠告はいつだって正鵠を射る。その助言者としての優秀さは士郎だって認めざるをえないところだ。
しかし。こんなもん当てられてどうする?
「あらあら・・・すっかり暗くなってしまいましたね。困りました」
幾つも幾つも設置された物干し。そこには干されているたくさんの作務衣やタオルと、それを取り込む紬を着た女性が居る。
士郎以上、ランサー以下の中々の長身、上品な顔立ちとポニーテールにした黒髪からのぞく白いうなじが印象的。
「・・・あの人が?」
「うむ・・・そうだと、思うのだが・・・この我をして断言させぬなど・・・なんと傲慢な」
「・・・ギルガメッシュがその台詞を吐くことにも、あちらの彼女にも違和感があるのですシロウ」
半眼で告げるセイバーの言葉にふむと頷き、士郎は建物の影から顔を出してその女性を眺めた。
とりあえず見た目に英霊らしさはないのだが、それを言い出すと今衛宮邸にいるサーヴァントも全員そうなのでとりあえず様子を見る。
「さて、これで最後の一竿・・・」
遠くから眺める3人組に気付いていないのか、女性はテキパキと洗濯物の取り込みを続けた。作務衣をまとめて籠に入れ、干してあったタオルに手を伸ばし。瞬間。
「あら?」
急に吹き付けた風が二枚のタオルを宙に吹き飛ばした。咄嗟に士郎はそれをキャッチしようと一歩踏み出したが。
「えい、ですね」
ノンビリした声と共に、何かが空中を薙ぎ払った。刹那、二枚同時にタオルが消える。もちろん実際に消えたわけではない。それは今、和装の女性の支配下にあった。
とっさに彼女が振るった、物干し竿に引っ掛けられて。
「い、今・・・目の錯覚かもしれないけど・・・物干し竿、二本無かった?」
士郎の問いにセイバーが緊張の面持ちで頷く。
「多重次元屈折現象・・・信じがたいことですが、シロウの感じたことは事実です。あの瞬間、この世界に物干し竿は二本存在しました・・・!」
「・・・でも宝具とかを使ったらいくら俺でも感知できる。今の流れでは一切魔力は動いていないぞ? そんな魔法まがいなことをどうやって」
「それは―――」
「単純なことなのですよ?」
口篭もるセイバーに代わり、涼やかな声がした。
「あ・・・」
タオルを獲ろうと踏み出した士郎は隠れていた建物の影から大きくはみ出てしまっていた。女性とばっちり目が合ってしまう。
「暇だったので燕さんを斬ろうと思ったんです。でも燕さんは太刀風に反応して避けてしまうのでどんなに早く振っても当りません。そこで一刀目でわざと逃げさせてそこを斬ろうって試してみましたの。そうしたら・・・」
「・・・そうしたら?」
女性は、てへと小さく舌を出した。
「次元、歪んじゃいました」
「ました、じゃないわよっ!」
「あ、遠坂」
物凄いスピードで駆け込んできたのは凛だった。頭にしがみついた猫が涙目でその恐怖を訴える。
「う、うちの師父の秘法をなんとなく出来ちゃいましたって何よそれ!?」
遠坂家の魔術は魔道元帥、宝石のゼルリッチの直伝であり、その最秘奥はゼルリッチの残した宝石剣。平行次元を運営する第二魔法を継承する為の道標である。
凛本人もいずれは自分の手でそれを解析して魔法使いになってやろうという野望を燃やしていたりしたのだ。野望の王国なのだ。誇大妄想と笑うがいい! 信じるのは己の知力と体力と魔力のみだ!
それを。ああそれを。
「そう言われましても、なんとなく出来てしまいましたので。ほら」
ひょいっと振られた何の変哲も魔力もない物干し竿が一瞬ぶれて二本になる。残像ではないのは鍛えられた者の目には明らかだ。
「・・・遠坂家の・・・歴史って・・・」
がっくりとうな垂れてorzな姿を見せる凛にセイバーは困り顔で士郎に耳打ちする。
「シロウ、慰めたほうがいいのでは?」
「いや、そう思うんだけどね。流石に言葉が」
気の毒げな言葉に凛は乱暴な仕草で涙を拭った。
立ち止まるな。弱音を吐くな。夢を諦めるな、である。数え切れない光だって瞬いているのだ。
「ふ、ふん・・・心配されるようなことじゃないわよ。見方を変えればいい研究素材が見つかったってことだし!」
「あら、解剖とかされちゃうんでしょうか? ふふ、怖いです」
口元に手を当てて笑う女性に凛はむぅと顔をしかめた。頭上に仁王立ちした猫も腕組みしてにゃうと鳴く。
「それで・・・あなたはサーヴァントなんですか?」
士郎は殺気を放つあくまはとりあえずスルーして女性に尋ねた。この数日でスルーとつっこみに関してはやけに上手くなってきた彼である。
赤い衣の英霊の姿を無意識に真似ていることを、今はまだ、気付いていないとしても。
「はい」
問われ、女性は上品な笑みを浮かべた。すっと着物のすそを正し、一礼する。
「あさしんのさーばんと、名を佐々木小次郎と申します・・・ようやくお会いできましたね。旦那様」
「佐々木小次郎ってあの!?」
「旦那様ってどういうことよ士郎!」
「シロウ。私もそれが気になる。どういうことか説明を求めます!」
「ふ、ふん・・・我にはどうでも良いが・・・聞いてやらんでもないぞ雑種!」
ただの一言で沸騰した3人に詰め寄られる士郎に女性―――佐々木はくすくすと笑う。
「あらあら、おもてになられるんですね。旦那様」
「そ、そういう意味じゃないわよ・・・別に・・・その・・・」
「わ、私はただサーヴァントとしてマスターの人間関係を把握しておく必要が、その・・・」
「ざ、雑種如きに興味などないわ! な、なんだその含み笑いは!」
ふんっとそっぽを向く赤面娘達にきょとんとした顔をしていた鈍少年は首をかしげながら佐々木への疑問を優先した。
「佐々木小次郎っていうと・・・巌流島の?」
「はい。そういうことになっていますね」
その微妙な言い回しに引っかかることを感じながら次の質問。
「じゃあ、さっきの動きが『燕返し』なんだ! うぉ、なんか凄いもの見た・・・!」
「本気の燕返しだともう一振り加えて三重ではありますがその通りです、旦那様」
そっかーとしきりに感心する士郎を凛はぐいっと押しのけた。ツカツカと佐々木へと詰めより指を突きつける。
「だから!その『旦那様』ってのはなんなのよ!」
「にゃぁ!」
ぴしっと自分を指す人差し指と前足に微笑んで佐々木はくいっと首を傾げる。
「皆様風に言うと『ますたぁ』でございますが?」
「それはありえない。シロウのサーヴァントは私だ!」
存在意義に関わる問題にセイバーはがぁっと吼えた。ギルガメッシュはその辺は興味がないのか縦ロールをくにくにと指先でいじくって遊んでいる。
「一人のますたぁに対して一人の妻、もといさーばんとというわけでもありませんでしょう? ならばわたくしの旦那様がこちらの・・・ええと、お名前は?」
「あぁ、俺は衛宮士郎」
「宜しくお願い致しますね? ・・・士郎様が旦那様でもおかしくはありません」
ね? と首を傾げる仕草も上品に佐々木は微笑む。
「そんな筈はないわ。そもそも召喚自体できない士郎にサーヴァントがつくなんてのは究極の偶然だもの。二回も起きるとは思えない。ぶっちゃけありえないわ」
「・・・ふふ、やはり誤魔化せませんか」
凛の追求に佐々木はそう言って頬に手を当てる。
「でも嘘というわけでもありませんよ? わたくし、ますたぁと呼べる方がおりませんので」
「居ない? どういうこと?」
凛は腕組みをして問う。今回のイレギュラー召還の性質に対する仮設が覆るかもしれないのだ。その表情は険しい。
「もちろん、教会のお庭で呼ばれたのですからあの凛々しい女性が召還者だとは思うのですが、わたくしの思い出の中にたしかにあるのです。本当のますたぁはここにあると」
「居るんじゃないの。誰よ」
「いえ、『居る』のではなく『ある』のです。何しろ、このお寺の山門がわたくしのますたぁですので」
沈黙。総員一斉に首をかしげる。
「にゃぁ」
「もちろん誰か呼ぶという行為をした人は別にいると思うのですけど・・・わたくしがこの世界にいる由来とでもいいましょうか、そういったものがこの『場所』なのですね。だから、何をしていいやらと思い雑用など手伝わせていただいておりましたが」
佐々木はにこっと笑顔で士郎の手をとった。
「この度、ますたぁの資格を持つ方がわたくしを訪ねてきてくださいました。これはもうわたくしの貞操でも捧げるしか」
「捧げんでいいっ! っていうか何故でしょうみたいな顔で首傾げない!」
凛はひとしきりつっこんでからはぁと息をついた。
「疲れる・・・こういうときに限ってなんであのつっこみ魔は出てこないのよ」
「にゃぁ」
ぺたぺたと髪を叩いて慰める頭上の猫にありがとと返し、尋問再開。
「言っとくけどわたしもマスターよ? さっきの話なら、わたしが『旦那様』ってのでもいいわけよね?」
「システム上はそうかもしれません。ですが大きな問題がひとつ」
「何よ」
佐々木は、真剣な目できっぱりと言い切った。
「わたくし、殿方しか愛せませんから」
「いや、それは別の問題だ」
唐突につっこみが入る。莫大な戦闘経験に裏打ちされた熟練のつっこみ。時に冷徹ですらあるそれは、明確にアーチャーの来訪を意味していた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
和装の暗殺者と赤いスタジャンの弓兵は一度目を合わせて意思を交換する。
(このわたくしに、つっこみきれますか・・・?)
(ふん、いいだろう、ボケてみせろ・・・!)
そして、接敵!
「大丈夫ですよ。愛があれば多少の年の差なんて」
「生年から数えておまえは何歳だ。多少かそれは」
「貴方も若い殿方のほうが犯る気になりませんか?」
「根本的に『や』の字が不穏だ」
「そう言えばあなた、手を見た限りニ刀流ですね」
「誰が両刀使いだ」
「いえ、二本挿しが好きなのかなぁと」
「それはあまりにも卑猥ではないか!? ついでに私はノーマルだ!」
「うふふ・・・あつはなついですねえ?」
「ふん・・・それを言うならなつはあついだ!」
数合の打ち合いを経て二人は刃を納め―――
「よろしく頼む」
「こちらこそです」
二人はがしっと握手を交わした。何かが・・・魂の何かが共鳴したようである。
「あ、アーチャー! 篭絡されてどうするのよ!」
「忘れがちかもしれんが私は女だ」
「あら、わたくしだって昔から旦那様一筋ですよ?」
「今、会ったばかりだろうが」
佐々木ぼければアーチャーつっこむ。見事なタイミングに士郎はパチパチと拍手を送った。セイバーもつられてペチペチと手を打ち合わせる。
「遠坂、とりあえず細かい所は置いといて話を進めないか? 時間も遅くなっちゃうし」
「・・・わ、わかってるわよ」
凛は不満気に呟き、対照的にどこか満ち足りた表情でたたずむアーチャーを後ろに押しのけ佐々木に向き直る。
「で? 今はここに住んでるわけ?」
「はい。旅の途中財布を落として難儀していると住職様に言いましたら、雑用を引き受ける代わりにここに泊めてやる、と」
「・・・妙に生活力のある奴よ」
ギルガメッシュは呟き、我が身を振り返る。
こう見えて10年前は大変だったのだ。とりあえず受肉したものの戸籍も無ければ手に職があるわけでもない。宝具で年齢を弄くったら妙に受けがよかったがこんどは働き口が無い。
言峰の支援とカリスマスキルが無ければまともに生活出来るようになるまでどれだけかかっただろうか。
「ってことは、佐々木さんはここに定住してるってことかな?」
柄にもなく物思いにふけり遠い目をする金ぴか娘をよそに、士郎はふむふむと頷いたが。
「少しお待ちを。他のサーヴァントの皆様は今?」
それならこれで問題無しかと士郎が完結しかけるのを佐々木は静かに制止した。
「私達はシロウの家に住まわせて貰っていますが」
律儀に答えるセイバーに佐々木はふわっと微笑んだ。
「では、出来ればなのですが・・・わたくしも旦那様のおうちに置いていただけませんでしょうか?」
「っ! あんたやっぱり!」
目を吊り上げた凛と毛を逆立たせた猫の威嚇にふるふると首を振る。
「それも否定はしませんが―――」
「しないのか」
アーチャーのつっこみも、今回は小声だ。
「ふふ、わたくしはただ・・・あの山門の外の世界が、見てみたいのです」
視線が、遠い。それは渇望。ありえないと思っていた遠き夢への。
それを否定することは、士郎にはできない。
出来る筈が、ない。
「・・・わかった。うちに来るといいよ」
「士郎・・・まったく、ほんと甘いんだから」
凛はふうとため息をついた。
「その割には嬉しそうだな。凛」
「あれで放っとくような奴だったら、それこそ見捨てるわよ」
アーチャーの言葉に凛は苦笑する。
ああいう馬鹿だからこそ、みんなこいつと一緒に居るのだ。
人を助けるのに理由が要らない、愛すべき大馬鹿だからこそ。
■柳洞寺 宿坊玄関
「それでは、お世話になりました」
「いやいや、こちらこそこの2日間助かりましたぞ」
深々と頭を下げる佐々木に柳洞寺住職・・・つまり一成の父は呵々と笑う。
「しかし佐々木殿が衛宮の知り合いだったとは・・・」
「正確に言えば親父の知り合い。俺とは今日初めて会った。他のみんなも同じ」
一成の言葉に士郎は凛と打ち合わせておいた誤魔化しを口にした。
何をしていた人物かよくわからず世界中を放浪していたことと女の子にだだ甘だったことのみ妙に有名な切嗣の名はこういう時に役に立つ。
「残念でしたのう。衛宮が亡くなっておって」
「はい・・・ですが、息子様にはお会いできましたので、わたくしは幸せです。これでご恩返しもできます故」
「うむ。明日にでも士郎坊主と共に墓参りにでも来るが良い」
「ええ、是非」
流石は日本出身の英霊だと完璧な受け答えに感心していた士郎に一成はうむと頷いた。
「衛宮、悪いことは言わん。父の縁がどうだかとかは知らんが、佐々木殿にしておけ」
「? なにがさ」
不思議そうな表情に一成はくわっと目を見開く。
「あの毒婦のことだ!いっそ向こうで控えている欧米人でも良いとは思うが、やはり佐々木殿を押す! 遠坂とはこれを期にきっぱりと縁を切るのだ」
「ははは、考えとくよ」
士郎は笑って誤魔化した。というより、それの他にすることがなかった。
凛についても親同士に親交があった事にしてある。実際前回の聖杯戦争で会ったことがあるそうだからあながち嘘でもない。
多分その『付き合い』は『突き合い』であり『殺し合い』だったのだろうが。
「では、わたくしはこれで失礼いたします」
「うむ、達者でな」
そうこう言っている間に挨拶はすんだらしい。佐々木は士郎の方を向いて微笑んだ。
「それでは衛宮様、まいりましょうか」
「ええ。じゃあな、一成」
「いいか、奴は魔女だ! 気をつけるんだぞ!?」
それ、当りだよと苦笑しながら士郎は佐々木と共に一成の家を出た。外で待っていた凛達と共に歩き出す。
「さて、じゃあ帰ろうか。そういえば桜、夕食の食材は・・・?」
「あ、昨日の晩があれだったんで藤村先生の家の方に頼んで午前中に買いだめしてきてもらいました」
「運び込まれるのは私が確認しています。小山の如き、雄雄しき光景でした」
セイバーはえっへんと胸を張った。何を誇っているのかはよくわからない。留守番ができたことについてか?
「そっか。じゃあ早く帰って料理しよう・・・ん?」
喋っているうちに近づいてきた山門の下に人影を見つけて士郎は反射的に身を引き締めた。
「・・・・・・」
英霊達も口をつぐみ視線を鋭くする。闇にぼぅと浮かぶ長身のその影は、それだけの威圧感を放っていたのだ。
「誰だ・・・?」
士郎は呟いて視力を魔力で強化し―――
「って先生!?」
「・・・衛宮か」
一気に気合が霧散した。そこに立っていたのは葛木教師だった。振り向いた瞬間、威圧感も綺麗に消え去る。
「な、何をしてたんですか? 先生」
「遠坂も一緒か。別段何をしていたわけでもない」
淡々と答え、葛木は佐々木を見た。
「・・・行くのか」
「ええ。お世話になりました」
ぺこりと頭を下げる佐々木に会釈して答え、葛木はまた明日学校でなと言って去っていく。
「・・・あの方とも、一度手合わせしたかったのですが」
その背を見送り佐々木はほぅと息をついた。
「手合わせって、葛木先生と?」
士郎の問いに佐々木はええと頷く。
「あの方はわたくしと同類と見えますので」
「同類って・・・先生は人間だよ?」
当然の疑問に口元を隠して悪戯な笑み。
「ふふ、いずれお話することもあると思います。今は早く帰るべきですよ、旦那様。セイバー様の目がうつろになってきておりますから」
首をひねりながらも士郎は頷いて歩き出した。確かにそろそろ急がないと食べるのが深夜になってしまう。それでは少女ぞろいの衛宮家居候軍団の美容に悪い。
「よし、みんなちょっと急ごう!」
「ええ。早く、一刻も早く帰りましょう。いえ、別段私がどうというのではなくシロウが言うからで・・・」
言い訳とも付かぬ言葉と共に皆を急かし階段を降り始めるセイバーに苦笑しながら凛は腕を組み、葛木が見ていた方を眺めてみた。
「・・・・・・」
そこは林。柳洞寺を包む。
「・・・魔力を、感知か」
「にぃ」
魔術師の表情で考え込む凛に、頭上の猫が心配げに声をかけた。
まだ居たのか。
2-6 包丁達人BladeMaster
■衛宮邸 台所
「桜! そっちの鍋見てくれない!?」
「え、え!? わたしも手を離せないんです! 先輩どうですか!?」
「ちょっと待て! 微塵切り中だから集中が!」
衛宮家の厨房は戦場である。
何しろ人外の食欲を誇るメンバーを相手の調理であり、それでいて料理人のプライドと某英霊の機嫌の為にクオリティもさげられない。
幸い家の構造上広々としたキッチンであり和・洋・中をそれぞれ得意とする三人の料理人が同時にそこに立ってもまだ余裕があるほどなのだが・・・
「よし、終わりって鍋吹いてる!」
「先輩! ご飯炊けました! おひつに移して二回目行きますっ!」
「ああもう! いつまで下ごしらえ続くのよ!」
物理的な作業量が、どうしたって追いつかなかったり。
「・・・タイヘン」
縁側に座ってそれを見ていたバーサーカーはポツリと呟いた。その膝でごろごろしていたあんりが『そうだねー』と興味なさげに相槌を打つ。
「手伝えればとも思うのですが、あいにく私にはその手の技能がありません」
セイバーのしみじみ呟いた台詞に一同は一斉にうんと頷く。残念なことに王様や神の仔にその手の生活に密着したスキルは無い。
「肉の丸焼きなら・・・」
「いえ、そういう雑なのは結構です」
言いかけたところでセイバーにきっぱりと否定されてランサーはふくれっつらで部屋の隅に移動する。体育座りだ。
「・・・ふふ、それでは、わたくしの出番ですね」
そんな中、佐々木はすっと立ち上がた。
「ん? 新入りの姉ちゃん、料理できんのか?」
拗ね損ねたランサーの問いに佐々木はふふと笑う。
「ええ。現代のお料理とはやや違いますが、下ごしらえのお手伝い程度なら問題ないと思いますので」
言いつつ台所に入った佐々木は近くに置きっぱなしだった忘れ物の割烹着を装着して士郎達のもとへ向かった。
―――そういえば、バゼットはこれで何をしていたのか。
むしろ、何も出来なかったのか。
「旦那様、お手伝いさせていただきますね」
「ぇ・・・佐々木さん、料理は・・・?」
「味付けや細かい技術に関しましてはこれから覚えさせて頂きます。ですが下ごしらえの包丁技に関しましては生前時間が有り余っていたのでそれなりの修練を」
佐々木は出しっぱなしだった水道で手を洗い、士郎が途中で止めていたジャガイモと包丁を手にとる。
「これは、短冊切りでよろしいのでしょうか?」
「あ、ああ。そうだけど」
答えると佐々木はとんっとそれをまな板に置き、瞬間。
すっ・・・と包丁が分裂した。
「きしゅあ・ぜるりっち! ・・・でしたっけ?」
桜の驚きの声と共にジャガイモはすっぱりと綺麗な断面でスティック状に切り分けられた。所要時間、僅かに数秒。
例えるならば、まさに魔包丁。この女性は己の修練だけで包丁を神秘の域にまで押し上げたのだ。包丁と並べられる魔法というのもなんだかなぁだが。
「・・・うちの宝箱をそのまま投げ捨てたい気分」
凛は深くため息をついて剥きかけのニンジンを佐々木のほうへ押しやった。
「これ、皮剥いて輪切り、4本お願いね。その間にオーブン見てるから」
「はい、かしこまりました」
「佐々木さん、大根の桂剥きってできます?」
「お任せください。向こう側が見える薄さにできますよ?」
「いや、そこまでやらなくてもいいけど・・・」
ともあれ、下ごしらえ専門の調理者が置かれたというのは大きかった。佐々木自身の腕が良いというのも助かる。どうも和食専門のようだが、教えれば大概のことは一度で覚えてくれた。
「・・・なんだか、初めて従者の居るありがたみがわかった気がする」
「・・・正しいサーヴァントの使い方じゃないけどね」
凛とそんなやりとりをしつつ、士郎は隣で魚の小骨を抜いている佐々木に視線を向けた。三角巾で髪が纏められている為に白い首筋が無防備にそこにある。
(・・・うなじが、なんか無性に色っぽい)
「衛宮君?」
瞬間、逆サイドに立った凛から穏やかな声が放たれた。
「・・・はひ」
士郎はギシギシと音を立てて振り返る。
「どこ、見てるのかなぁ?」
笑顔。満面の笑顔。
笑顔なんだから・・・包丁の先をこちらに向けるのはやめてくれないか? しかも刃が上向いてるじゃないか。
「・・・さあ、張り切って料理しよう! 俺には食材しか見えない!」
「・・・ふん、だ」
そんな二人に。佐々木は、くすりと微笑むのだった。
「わたし、やっぱり影薄い・・・」
デミグラスソースを地味に煮込む少女をよそに。
■衛宮邸 居間
「みんなご苦労様。いただきます!」
「頂きます(×10)」
土蔵にしまってあった追加のテーブルも引っ張り出して並べた膨大な量の料理を前に、魔術師とサーヴァント達はいっせいに箸を持った。幾人かはフォークだが。
「しっかし作ればできるものね。士郎の目算聞いた時はそんな作れるかーって思ったけど」
凛は自作の肉餃子をはむはむと噛んでそう言った。続いて士郎の肉団子を食べて軽く舌打ちする。
「・・・これは負け」
「? ・・・まあ、佐々木さんが手伝ってくれた分楽だったかな。多分俺が一番手伝ってもらっちゃったし」
言っている間に凛は自分と士郎の炒め物を食べ比べてニヤリと笑う。
「これは勝ち」
「にゃー」
小さなガッツポーズ。
「ふふ、この時代は便利なものが多いですね」
言いながら佐々木はとんっと自分の前に白い陶器を置いた。
「徳利?」
「ええ。住職様から餞別にと良いお酒をいただきまして」
とくとくと猪口に注ぎ、一息にあおる。
「・・・染み渡ります」
「・・・・・・」
「衛宮君? もう一回聞くんだけど・・・なに見てるのかしら?」
「先輩、年上に弱かったなんて知りませんでした」
「シロウ、おかわりです」
「あ、ああ! まかせとけセイバー!」
両サイドからのプレッシャーに冷や汗を流しながら、士郎は快活な笑みでセイバーのお茶碗を受け取った。山盛りにご飯を盛って返す。
「ほぅらホカホカだぞう・・・! で、何の話だったかな! 遠坂! 桜!」
「・・・逃げたか」
ぼそっと呟いたアーチャーの台詞は当然に聞こえないふり。
「がぅ」
「ああ、バーサーカーもおかわりね・・・はい、どうぞ」
「アリガトウ」
ぺこりとお辞儀をするバーサーカーに士郎はうむうむと頷く。
新人二人は礼儀正しい良い人達だと喜ぶ士郎ではあったが、そんなことを口にしたら『礼儀正しくない連中』に制裁されそうだ。主に赤い征裁を。
「うふふ、ポカポカしてきました・・・」
だから、まあ。
いろんな衝動は、とりあえず我慢我慢。
2-7 名付けられざるものもの
■衛宮邸 縁側
改めて言うまでも無いが、現在の衛宮家は女の子で埋め尽くされている。
それは当然に生活ラインが増えるということであり、各施設の使用待ちなども多く発生するわけだ。
幸いなことに衛宮邸はもともと多人数での生活を想定していて洗面所とトイレは2箇所ずつ合ったりするのでまだいいが、そうでもなければ毎朝聖杯戦争が発生するのは避けられなかったであろう。己の最強を証明せよ!
「あーいい湯だったなっと」
そんな中、残念なことに一つしかない施設が風呂である。広いのはいいが、数は一つ。必然的に順番は厳格に決められていたりする。
まず一番手はランサー。何かと速さにこだわり、かつ江戸っ子気質の彼女は一番風呂を極めて好む。食事前に入る派の中でもひときわ早く5時ごろには入浴して後は軽装でぶらぶらしている。入浴後の牛乳はもはや神聖な義務といえるだろう。
二番手はあんり&まゆ。遊びながらの入浴なのでやや長く、お湯の減りが激しい。桜が商店街の薬屋で貰ってきたプラスチック製玩具―――ようはアヒル隊長
も大事なパートナーとして同行。いざという時は大事なところを隠して法律対策もばっちりだ。不自然な湯気など逃げに過ぎないッ・・・!
食事前派最後の入浴者はバーサーカー。長身で体格も良いので、アルキメデスがエウレーカした通り彼女が入るとお湯が大量にこぼれてしまう。綺麗好きなのか、入浴時間も長い。
入浴後に「がぅ」とお湯を足してメンバーチェンジ。
食事の後の一番手はギルガメッシュだ。何やら身体にいい入浴剤のマニアらしく彼女の後に入ると日替わりでいろんな湯が楽しめると好評。
二番手はイスカンダル。大声で謎の歌を歌いながら入浴するのですぐにわかる。ちなみに衛宮家では珍しいスポンジ派であり、専用のボディーシャンプーで全
身泡だらけにして入浴を楽しむ。時々フライングしてギルガメッシュが入っている間に『一緒に入るんだねっ!』と侵入することもあり。宝具の一斉射撃を喰
らって逃げ帰ってくることもあるが。
続いて入るのは凛か桜。食器洗いというスキルを身につけたセイバーが一日交代で二人を手伝い、手伝ってもらっている方が先に入る。
凛は案外風呂に入っている時間は短い。どうも魔術の助けを借りて効率のよいボディケアを心がけている模様。ついでに髪に魔力を蓄えるのも日課だそうだ。
桜は逆に長い。放っておくと幾らでも入っているので大概凛が急かしに行く。風呂の後には究極の審判、体重計との戦いが待っており、ほぼいつも憂鬱な顔で出てくることになる。戦わなきゃ。現実と。
次いで風呂に向かうのはセイバー。彼女の風呂は早い。ランサーと同レベル、もしくはそれ以上の早さだ。だからと言って別段雑だとかいうわけではないのだが、やはり無造作な感じは拭えない。そもそもの文化圏の問題でもあるが、今後少女としての覚醒が待たれる。
余談ではあるが、ランサーは自分以外の全てのメンバーの風呂を覗いた経験をもっており、本人曰く
「オレの役割は全員と接敵して生きて帰ることだからな」
とのこと。セイバーの直感スキルに発見されエクスカリバーを喰らいそうになったものの、まだまだ懲りていないようだ。むしろ野望は燃え盛っている模様。
そして、そのランサーに今のところ唯一覗かれていない新入り、佐々木はその後の入浴と決まった。
食器洗い終了後もあちこちの細かい拭き掃除を楽しげにやっているので声をかけられず、気が付いたらの結果だが本人もとりたててこだわりは無い模様。
ただ、風呂道具一式と共にとっくりと猪口を持ち込んでいるのが覗きに挑戦して撃退されたランサーによって報告されている。
そして。
「鍛錬して、寝るか・・・」
もっとも遅く風呂に入るのが、この衛宮士郎だ。
住人中最短の入浴時間でもって風呂を出た士郎は脱衣所で寝巻き代わりのトレーナーとジャージに着替えてぺたんぺたんと廊下を歩く。
「ん?」
土蔵へ行こうと中庭への縁側に来た時だった。そこに座る浴衣の女性を見つけて士郎は足を止める。
「佐々木さん・・・湯涼みですか?」
「ふふ、晩酌の続きです。旦那様もいかがですか?」
佐々木は軽く朱に染まった頬で微笑み、徳利を片手に隣を手で示す。
「えっと、じゃあ少しだけ」
士郎は薦められるままにそこへ座り、空を見上げた。
「まずは一献」
佐々木は自分の使っていた猪口に酒を満たして士郎に差し出す。
「あ、どうも」
士郎はそれを受け取り、一気にそれをあおった。最近でこそ藤ねえの目があって飲むことも少なかったが、かつては切嗣におもしろ半分で飲まされたものだ。
「あ、これはおいしい」
すっきりとした辛口だ。中々に上物かもしれない。
「・・・いいお家、ですね」
佐々木はくすりと微笑んでそう言った。投げた視線は閉じられたふすまに遮られて居間までは届かない。
「いい家になった、というべきかもしれませんけどね」
士郎は頷き、猪口に酒を満たして返す。
「ありがとうございます」
くっと干して熱くなった吐息をひとつ。
「わたくし・・・外の世界は初めてなんです」
「え? ・・・だって佐々木小次郎なんですよね? 中条流の免許持ちで、小倉藩剣術師範の。諸国で修行してた筈では?」
刀剣関係には詳しい士郎の指摘に佐々木は静かに首を振る。
「それは、『佐々木小次郎』の来歴ですね。わたくし個人とは、別なのです」
「?」
きょとんとするその表情にまた一笑み。酒を注いで佐々木は語りだす。
「わたくしに名前はございません。わたくし自身にも詳しいことはわかりませんが、どうやら勢力争いに負けたどこかの藩の大名家の者だったようですね」
酒の水面に映る月を眺めて一息。
「妾腹か何かだったのでしょう。表に出ては面倒なことになるわたくしは幸いにも殺されること無く寺に預けられました」
「! ・・・それが柳洞寺?」
ええと頷く。
「あの山門の内側で、わたくしはすることも無くただただ日々を過ごしておりました。寺にやって来た武芸者の方を真似て剣など振るってみたり、掃除や洗濯、料理などを覚えたりしながら」
思い出す。あの単調な日々を。平和で、何一つ失われること無く、何一つ得る事も無かった彼女の一生。
「燕を斬ろうと思い立ったのも暇にあかせてなのです。どうやら天賦の才というものがあったらしくわたくしは見様見真似でも誰より鋭い剣技を持ってしまいま
したので、難しい課題がほしかったのですよ。それからは毎日毎日、手の皮が擦り千切れるまで剣を振り、癒し、また振り・・・いつしか身についたのがあの技
というわけですね」
それは、どれほどの修練によるものだろうか。
伝説となる魔技。その本質は無限に続く努力の槌に鍛えられた刀だったということになる。
「出来るようになったそれを武芸者の方々に見せると皆様大層驚きになられまして、教えを請われたりもしました。どなたも習得できなかったようですけどね」
それはそうだ。
「そして、その中にいらっしゃったのです。佐々木小次郎殿という剣客の方が。農民出身という割には風流を好む楽しいお方でしたが、おそらくこの方が燕返し
の名を世に広めたのでしょう。その後、彼がどうなったのかは存じませんが、佐々木小次郎殿の名、彼が広めた『燕返し』、それらしい箔をつけるための逸
話・・・中条流やら師範やら・・・の話がくっついていき、宮本武蔵という剣豪の敵役としての『佐々木小次郎』という存在ができあがったわけです。佐々木小
次郎なる剣士は、実は存在していないのですよ」
徳利を傾ける。どうやら空になったようだ。
「でも・・・実際にささ・・・ええと、あなたはここに居るわけですよね?」
「ええ。何故そんなことが行われたのかは呼ばれた身であるわたくしには存知得ませんが、あの地が『佐々木小次郎』縁であると知った誰かが召喚をし、『佐々木小次郎』に近かったわたくしが具現化されたのでしょう」
名を持たぬその女性は月を見上げた。あの寺で、生涯を過ごしたあの場所でいつもそうしていたように。
「名前も借り物、呼ばれたことも間違い。そんなわたくしは、何者なのでしょう? 渇望した外の世界へこうやって出てきた今・・・実は、それに怯えていま
す。実際のところ、今の来歴も矛盾のないところだけお話しましたけど、記憶の中には全く見に覚えのないものがいくつもあるんです。畑を耕していたり、遊女
として働いていたり―――同時代とは思えないものすら。全ては朧気で、曖昧で―――」
その笑顔の儚さに、士郎は強く首を振った。
「何者なのかなんてことは・・・あなたが自分をどうしたいかで決めていいんだと思います」
思い出すのは赤い記憶。
炎の中、命を救ってくれたあの人の、安堵の笑み。
「俺は・・・俺の名も本物じゃないんです。エミヤシロウってのは、親父に拾われてから付けられた名前。その前に何シロウだったのか定かじゃないし、今じゃ本当の親の顔もわからない」
「・・・・・・」
見つめる瞳に、言葉を紡ぐ。
「俺が衛宮を名乗るのは、それが正義の味方の名前だからなんです」
「正義の・・・味方ですか?」
きょとんとした表情に力強く頷く。
「苦しんでいる人を助ける人。犠牲を出さず、みんなを等しく救い上げていく存在。そういうモノの、これは名前。俺はそう思って名乗っています」
セイバーから真実は聞いた。衛宮が、衛宮切嗣がどういう正義の味方だったのかを。
「俺が正義の味方だと思っていた親父は、全てを救ってなんか居なかった。最小限を切り捨てることで最大を助ける。そういうことしかできなかったんだ。全部を助けたいって思っていても」
人は神にはなれない。それは平凡な末路の話。
それでも。
「それが現実だとしても、俺は正義の味方を目指す。一切合財、全部を救える奴になる。借り物でも偽物でも構わない」
それが。そういう事のできる奴が。
「正義の味方のエミヤが、眩しい夢なのは、事実なんだから」
そう。
それは誰もが願う幻想。それは、そうあれかしと願われるからこそ存在する存在。たとえそれがありえないとしても。
それを間違いということは―――それだけはできない。
「あなたが誰かわからなくても、名乗る名前が幻でも、それを名乗っているあなたは確かにここに居ます。『正義の味方を目指す衛宮士郎』と喋っているあなたは、目指している限り『佐々木小次郎』で居ていいんだと、思います。俺自身、まだまだ悟れたわけでもないですけどね」
二人は、もはや伝えることも無く見詰め合う。
そして、数十秒の沈黙の果てに。
「ありがとうございます。旦那様・・・」
名無しの女は穏やかに微笑んだ。飾ることなく、心から。
「い、いえ。どういたしまして・・・」
だから士郎はごにょごにょと呟いて目をそらした。顔が火照る。暑い。猛烈に照れくさい。
「あ、あの! これから、なんて呼べばいいですか!?
わざと大声で聞いてみた。わかりやすい照れ隠しに女はくすりと笑って首を傾げる。
「さて・・・『おい』とでも、『おまえ』とでも」
「い、いやいやいや、そういう呼び方ではなくて! 名前、佐々木小次郎だと男っぽくないですか?」
指摘され、あらと考え数十秒。
「では・・・佐々木・・・こじ・・・小鹿、とでも。ふふ、少々幼げでしょうか?」
「小鹿さん、ですか」
なんだか風味とでも語尾に付きそう風味です。
「ええ。でも、あなた様に嫁いで苗字が変わるまで、しばらくは『佐々木』とお呼びいただきたいのですが、よろしいですか? 旦那様が始めて呼んでくださった名前で・・・」
「・・・うん。じゃあ改めて宜しく。佐々木さん」
「・・・はい。旦那様」
佐々木はすっと正座し、三つ指ついて深々とお辞儀をした。慌てて礼を返す士郎にクスリと笑い、再び縁側に腰掛けなおす。
「よいしょっと」
士郎も改めてその隣に座りなおし空を見上げた。月夜の夕涼み。かつて父としたように、静かに。
「・・・・・・」
その横顔を眺め、背後にちらりと視線を向けてから佐々木は微妙に微笑んだ。くすくすと笑いながら頭をそっと傾ける。
ぽすっ、と。
柔らかな髪の感触。暖かな重み。
「!? ・・・!?!?!?」
士郎の時間は停止した。恐る恐る視線を横に向けると、彼の肩に頭を乗せた佐々木の笑い弓の目と視線が合う。
「な、な・・・」
士郎が硬直のまま何とか口を開いた瞬間。
「なにしてんのよあんたらぁあああああああああっ!」
背後の襖が勢い良く弾けとんだ。
「はっはっは、やるなぁ少年!」
「わぁーい! だねっ!」
「あらあら〜」
「ま、まゆ! 離脱!」
「い、いや、シロウ、これは違うのです!」
「先輩・・・くすくすくす」
「が、がぅ」
「み、見るな! こっちを見るでないぞ雑種!」
そして、雪崩のように倒れこみ折り重なる魔術師&サーヴァント。一山252円消費税総額表示対応済。
「・・・・・・」
硬直。衛宮士郎の処理限界をとうに超えた事象に思考回路ロック、リブート。ただいま再起動中。
「ふふふ・・・」
その光景に佐々木は悪戯な笑みのまま士郎の胸に指を這わせる。
「さぁ、旦那様。そろそろ布団の恋しい時間です。今宵はわたくしが夜伽いたしますね?」
「!? ・・・リン。ヨトギ、とはなんですか?」
直感で不穏な空気を読み取ったセイバーはすぱっと立ち上がって凛に訪ねた。
「要するにね、ごにょごにょにょにょ・・・」
修羅の笑みで立ち上がった凛が耳打ちすると、セイバーの顔はぼんっ!と爆発するように赤くなる。
「し、シロウ! は、破廉恥にも程があります!」
「ぅえ!? お、俺がやれっていったわけじゃないぞ!?」
反論しつつ飛び上がり、士郎は中庭へと走り出す。
逃げられるかどうかが問題ではない。せめて抵抗の意思を・・・
「問答無用!セイバー!砲撃準備!」
「了解です! 約束された―――」
凛はすっと片手をあげ、華麗にそれを振り下ろす!
「砲撃開始!」
「勝利の剣ぁぁぁぁぁ!」
■冬木市 とある公園
「あ、流れ星だ! 遠坂さんと仲良くなれますように、遠坂さんと仲良くなれますように、遠坂さんと仲良くなれますように!」
「・・・いや、流れ星は下から上には飛ばないだろう」
「ってゆーか、あんなびかーって光らないじゃん」
一日もかかさず迸る白光は、なんとなく公園に集っていた女子高生三人組にいい話題を提供したという。
|