3-1 BeautifulDays
「ふふん、んんん〜ふふ〜ん」
毎朝変わらぬ騒がしさで士郎達が学校へ行き、朝食に使った大量の食器洗いも済んだ頃。佐々木は鼻歌交じりに掃除機をかけていた。
その昔愛用していた箒やハタキにも未練はあるが、ここへ召喚されてから出会ったこの道具はそれを上回る魔術じみた魅力で佐々木を捕らえて離さない。
「らくちんらくちん、ですねぇ」
上機嫌だ。長い髪は掃除の邪魔なので三角巾で結い上げてすいすいと食器棚の隙間のゴミを吸い取っていく。特長ノズルの発明は値千金の価値がありますねえと過去の発明者に個人的表彰。
「この後は廊下を拭いて、お昼ご飯を作って・・・ふふ、充実です」
最初は暇を潰す為に始めたこととはいえ、記憶にかすかに残る立ちんぼな門番生活と比べればなんと自由で創意工夫のし甲斐がある作業か。努力の果ておいおいそこまで行くことはないだろとつっこまれるレベルへ剣技を発展させた鍛錬マニアとしては、今やこれこそが人生の楽しみといえなくも無い。やることが多いと自然に機嫌も良くなるというものだ。
「ササキ殿。掃除ですか?」
台所の掃除が終わり、ふと気になったテレビのスピーカを掃除しようと小物用のノズルを探していた佐々木は、背後からかけられた声にくるりと振り返った。
「はい・・・あら、セイバーさま。ランサーさま。お二人で鍛錬していたのですか?」
入ってきたのはセイバーとランサーだ。二人ともTシャツにジャージという軽装で軽くかいた汗を拭っている。
「鍛錬ってより暇つぶしの運動って感じだけどな。そうだ、ササキもやらねぇか? 純粋な剣技ならあんたが一番強そうだって見てるんだけどな。オレは」
ランサーの言葉に佐々木はくすりと笑みを漏らす。
「わたくしの剣は邪剣ゆえ、あまりお見せできるようなものではございませんよ? どちらかと言えば大道芸とかに近いです」
「いや、邪道正道等というのは第三者が決めることだと私は思う。貴方の剣は鍛錬の果てに辿り着いた結論であるという点で、何も恥じることは無い。堂々とすべきだ」
「そうそう、誰だって一度は考えるけど無理だって捨てちまう『必殺技』ってアイデアを本当に実現しちまうってだけでも並みのことじゃねぇって」
二人がかりで誉められて佐々木は恥ずかしげに袂で口元を隠した。
「ふふ、わたくしをそんなに持ち上げても何も出ませんよ?」
「オレ達が苦手な家事を引き受けてもらってる時点で十分過ぎるくらい出てるけどな。・・・っと、そういや用件忘れてた。風呂、空いてるか?」
問われ、ふむと佐々木は住人達の動向を思い出す。
「旦那様方は学校へ、バーサーカーさまは庭の鯉に餌を。ギルガメシュさまはまだご就寝中、アーチャーさまは土蔵を見物するとか、イスカンダルさまはあんりさまとまゆさまを連れてお散歩・・・はい、誰も使っておりませんね」
「・・・あんた、よく見てるなぁ」
感心するランサーに佐々木は穏やかに微笑む。
「簡単な心がけひとつ、ですね・・・沸かしますか? お風呂」
「いえ、シャワーで十分です。ランサー、先に入りますか?」
「おう、わりぃな・・・一緒に入るか?」
言いながら抱きついてきたランサーにセイバーは目を白黒させながら跳びずさった。
「ば、馬鹿なことを・・・! わ、私は・・・!」
「はは、わかってるって。少年としか一緒に入らないんだろ?」
「それこそあり得ません!」
がぁっ! と吼える姿にランサーと佐々木は同時にくすっと小さく笑う。
「意識していないように見えて、これでなかなか・・・」
「ええ、やっぱり女の子、ですね」
「・・・何を笑っている」
ぷるぷると震える拳にランサーは笑いを喉の奥に収めて身を翻した。
「なんでもねぇよっと・・・じゃあ先にもらうぜ」
「待ちなさいランサー!」
「を? やっぱり一緒に入んのかい?」
「違いますっ!」
賑やかに去っていく二人を見送り、佐々木は再び掃除機のノズル探しに戻る。
「善哉善哉、平和が一番です・・・」
「起立っ、礼」
「さようなら〜!」
号令と共に本日の拘束時間はようやくに終了した。土曜日は半ドンでありいつもの半分だけだとはいえ、気になることがある身には少々長いのも事実。
「さて、さっさと追いかけなくちゃいけないわね」
凛は呟いて今日の分の教科書やノートを鞄に収めた。勿論机の中は空っぽだ。横着して置きっぱなしにした事など一度たりともない。
「あ、遠坂さんさようなら!」
「ええ、さようなら」
挨拶されればあくまで上品に挨拶を返す。理想の優等生、遠坂凛というブランドはいまだ有効である。二重人格とも言われる器用さでもって演じるそのキャラクターに、今は多少虚しさも感じるのだが。
(まあ、一応家訓だしね。優雅たれってのも)
心の中で肩をすくめた凛は廊下へ出て左右を見渡す。そう遠くないところに、目的の背中を発見。
「先生」
追いかけるときもあくまで早足。走るなんてはしたない真似はしない。どこぞの女学院にいけば余裕で薔薇の名前を貰えると自負している。色? 聞くまでも無いだろう。
「・・・遠坂か」
追いついた相手は彼女の担任教師であるところの葛木宗一郎だ。常に変わらぬ鉄面皮が、ゆったりとこちらを見下ろす。
「あの、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが・・・?」
「ふむ。ここでいいのか?」
尋ねられ、辺りをうかがう。廊下のど真ん中で話すにはやや物騒な話をしようとしているのだが・・・
「ええ、すぐ済みますから」
凛はあえて場所を変えはしなかった。これから聞く内容そのものは聞かれても構わない類のものだし、凛の想定する最悪のケースだった場合は人目があること自体が抑止力になるかもしれない。
「衛宮君から聞いたんですけど、柳洞寺の周りに不審な人が出るってほんとですか?」
つまり、聞きたいこととはそれだった。昨日の騒動の中でどうにも事実と繋がらなかった情報。
「ああ。私自身、昨日も見た」
葛木は淡々と言い、軽く頷く。凛はやや緊張を高めながら更に追求しようとし−−−
「こ、この気配・・・」
慣れ親しんだ・・・いや、慣れてしまった気配を感じて硬直した。階段の方からなにやらざわざわと騒いでいる声もする。
「・・・なんだ?」
「・・・コメント、できません」
凛の力ない呟きと共に、廊下を歩いていた生徒達が一斉に道を開けた。出来あがったた空間を無表情に歩いてくるのは、予想通り黒衣の男であった。
「・・・ああ、やっぱり・・・」
ぐったりと肩を落とした凛の前で立ち止まったのは、言うまでもなくがっちりとしたロンゲのもじゃ男。我等が言峰綺礼その人であった。
「どうした凛。その姿勢だと元気がないように見えてしまうぞ」
親しげな声に周囲の生徒達が一斉にざわめく。
「凛!? 凛っていったかこの野郎!?」
「し、親しげに・・・! ちょっといい男だからって!」
「だ、誰だ!? 誰なんだあいつは!」
「父親だ」
シン・・・と静寂。
「むしろ母親かもしれん」
「わけわからんわ!」
凛は叫びざま鋭い左フックでテンプルを狙った。綺礼はふわりとしたダッキングでそれを回避。
「―――Float
like a butterfly, sting like a
bee」
その流れに葛木は感心したような顔で呟きを漏らす。何か感じ入るところがあったようだ。
「お、おい今遠坂さん・・・」
「い、いや、見間違いだろ」
「で、でも今ブンッて凄い音したぞ?」
ギャラリーがざわめく。背後に書き文字で『ざわ・・・ざわ・・・』と書かれそうなほどに。
「ふむ、凛、この無表情な男は何者だ」
「あんたが言うかあんたが・・・この人は葛木先生。わたしの担任よ」
説明に綺礼は一瞬だけ鋭い目つきになる。その眼光に葛木もまた一瞬だけ気配を変え元に戻った。
「・・・血の匂いがするようだが」
「・・・お互いにな」
二人は他には聞こえぬ低い声で言葉を交わし、数十センチの間隔をとって向かい合う。
「ちょ、ちょっと綺礼! 先生!」
その間に漂う濃密な殺気に凛は思わず声をあげた。さっきまではざわめいていた生徒達も本能でそれを感じたのか誰一人口を開かない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無駄な恫喝などはしない。互いにプロだ。その余分な一瞬が死を招くことを、その身で知っている。二人はただ静かに互いの気配を読み合い・・・
「「!」」
同時に、二人の手が閃く!
「「じゃんけんぽん」」
「「あっちむいてホイ!」」
「「じゃんけんぽん」」
「「あっちむいてホイ!」」
葛木の蛇のようにのたうつ手が紫電の如きフェイントをかけて指差せば綺礼は魔術行使すらしないまま、肉体に備わった反射神経のみでそれを回避しそっぽを向く。
「「じゃんけんぽん」」
綺礼が全身の捻りから繰り出した馬蹄崩拳(グー)を葛木の掌底(パー)が迎え撃った。
視線の交差、葛木の腕がしなり、大きく弧を描いて視界の外から突き出される。
(上・・・否、右!)
綺礼は一瞬だけ捉えた腕の振りから瞬時にその軌道を計算、コンマ1秒単位のタイムロスさえ許さず首を全力で左へ・・・
「!?」
だが! ただモノを殺すというその行為の為だけに鍛え上げらた拳は更にそれを凌駕する! アドレナリンで加速された視界の中、ゆっくりと映し出された拳は確かに右を向いている。だがその指先は点を穿つが如く綺礼のこめかみを・・・『左』を指しているのだ!
掠れるような葛木の声と共に勝負が決したかに見えた。
しかし・・・!
ガッ
時は20分ほど遡る。
「では一緒に歌ってみようっ!」
イスカンダルは散歩の途中、元気がだだ洩れの声でそう叫んだ。右手を繋いだあんりと左手を繋いだまゆもYeahと元気に叫び返す。
「今日の一曲目! 『大家さんを称える歌』!」
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大家さんを称える歌 作詞 あなたのイスカ 作曲 らぶりーイスカ
1番
大家さんはねっ はーれむるーとだほんとはねっ
だけど小心者だから 結局いまでも一人身だっ
もったいないねっ 大家さんっ
2番
大家さんはねっ 不死身のぼでぃだほんとはねっ
だけどそれをいいことに まいにちふっとばされているんだねっ
悲しいねっ 大家さんっ
(台詞)
明けの明星が輝く頃、一つの光が宇宙に帰っていく。
それが僕なんだよ・・・
モロ○シ ダン
3番
大家さんはねっ ■■■■■が■■■いんだほんとはねっ
だけど■■ないから どのルートでも■■■されてしまうんだねっ
■■だねっ 大家さんっ
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フルコーラスで歌いきってからあんりとまゆはくいっと首をかしげた。
「イスカ姉ちゃん、3番の歌詞、全然意味がわかんないよ?」
「大人になったらわかるんだねっ!」
「イスカ姉さま? そもそもこの曲のメロディーは某童謡なのでは?」
「大人の事情ってやつなんだねっ! 追及すると怖い人たちにお金を払わなくちゃいけないのさっ」
言って、イスカンダルはすたっと足を止める。
「到着! 柳洞寺なんだねっ! この階段を登るよっ!」
「うわ、長いよ〜」
「うふふ、あんりちゃんは食べすぎですから〜、これくらいは運動しなくちゃ駄目ですよ〜?」
まゆにくすくすと笑われあんりはむっと唇を尖らせた。
「なんだよ〜! まゆだって同じだけ食べてるじゃないか〜!」
「あらあら、そうでしたっけ?」
「喧嘩はよくないんだねっ! それと、頑張ったらちゃんとご褒美があるんだねっ」
イスカンダルの言葉にちびっこズは顔を見合わせる。
「ご褒美ですか〜?」
「何!? 何!?」
押しくら饅頭のようにつめよってくる二人にイスカンダルはぴんっと人差し指を立ててウィンクしてみせる。
「ここの住職さん、ちっちゃいこが境内で遊んでるとお菓子とジュースをくれるんだねっ! ただし女の子限定!」
「いぇーい! お菓子ー! ろりこーん!」
「わーい、ジュースです〜! ペドフィリアです〜!」
寺の評判を著しく傷つけそうな歓声と共に二人はペタペタと靴を鳴らして山門に続く階段を駆け上り始めた。微笑ましげな表情でイスカンダルもその後に続く。
冬とはいえ暖かな日差しの中、三人は笑いながら林の中を駆け上がり。
「・・・!」
イスカンダルの表情が消えた。同時にだんっ・・・! と強烈な踏み込みんで数段まとめて階段を登り、その中間地点であんりとまゆを両脇にキャッチ。
「わ、何!?」
「なんです〜?」
「ごめん、口閉じて! 舌を噛む!」
そして着地と同時に再度石段を蹴って後方へと身を投げる。今度は大きく、数十段下の地上へと一気に。
ゴウッ!
瞬間。あんり達が居た場所を光の球が抉った。石段の数段分を削り取ったそれは飛来したのとは逆側の林に飲み込まれ数本の木々にもダメージを与えて消滅。
「今の!」
「魔力弾!」
あんりとまゆが驚きの声をあげる中、イスカンダルは空中でくるりと体を回転させて地面に降り立った。
「・・・今の威力、ちょっと洒落にならないレベルだね。あんりちゃん、まゆちゃん。立って。走れる?」
「う、うん・・・」
「でも今のは一体?」
問われ見上げた柳洞寺を包む林に魔力の高まりを感じてイスカンダルは息を大きく吸い、吐く。
「誰かは、わからないね」
制服のポケットから取り出した携帯を頭上から目を離さぬままに操作し、呼び出すのは衛宮家の仲間。綺礼から携帯電話を支給されているランサー。
「・・・くすくす、でも、あれは敵だよね?」
「・・・ええ。そうですね〜、あんりちゃん」
声にイスカンダルは素早く振り返った。
「駄目! 君達は戦っちゃ駄目!」
「なんで? あれ、敵だよね? 攻撃してきたよ?」
「攻撃してきた奴は、食べちゃっていいんですよ〜?」
先程までと全く変わらぬ無邪気な表情。その笑顔にイスカンダルはぶんぶんと首を振る。
「戦わなくていいんだよ! 君たちはもう、復讐者なんていうクラスでなくていいんだよ! だって・・・だって! ここにはみんないるんだから! あいつとだってまだ、わかりあえるかもしれないんだから!」
叫ぶと同時に電話が繋がった。
『ランサーだ。どした?』
「敵襲!」
まずは一言告げてイスカンダルは不満気にこちらをみあげる二人の背を押した。
「来た! 今はボクの言うことを聞いて!」
刹那撃ち込まれてきた第二撃に三人は走り出した。背後にちらりと見える全身をローブで包んだ人影に鋭い視線を向けてイスカンダルは携帯電話を握り締める。
「さぁ、たった一人じゃ何もできないことを教えてあげよるよ・・・!」
『敵襲!』
自室のベッドでシャワー上がりのビールを楽しんでいたランサーは電話から飛び込んできたその声にバッと飛び起きた。
「今どこだ?相手は?」
『柳洞寺の傍!魔力弾をガンガン撃ってくるローブの奴に追われてる!』
「ちっ・・・おい、あんりとまゆも一緒なのか!?」
『居る! 来た・・・っ』
ゴウッ、という音に舌打ち一つ。
「いいか! そいつらに戦わせるな! その二人からはヤバイ臭いがすんだよ! 絶対やらせんじゃねえぞ!」
『わかってる!』
叫ばれた答えに頷き、ランサーは部屋の隅に投げ捨ててあったジーンズを履き、Gジャンを羽織る。
「寺からどっちに逃げてんだ? ・・・よし。人気のない方に誘導すんのは正解だな。このまま電話は繋いで逃げつづけろ。マスター連中にも連絡してすぐ行く!」
そこまで行って部屋のドアをズガンと蹴り開け、廊下へ飛び出す。
「全員出て来いっ! 戦闘だ!」
瞬間。空気が変わった。
穏から緊へ、日常から戦場へ。
英霊達本来の、空気へ。
「ランサー! どういうことです!」
「凛達に何かあったのか?」
居間に続々と集まってくるサーヴァント達を見回してランサーは唇の端を吊り上げる。
「いや、襲われてるのはイスカンダルとチビどもだ。相手はおそらくキャスター。柳洞寺の近くに潜んでいやがったらしい」
「・・・葛木さまが、不審な人物を見たとおっしゃっていました。わたくし、魔力の感知等はできないので確かめることもできませんでしたが・・・」
悔しげな佐々木にセイバーは首を振る。
「今更後悔したところで意味はない。それに、おそらく敵は何らかの魔力殺しを使って気配を消しているのだろう。我々も昨日気づかなかったのだから同罪だ」
ランサーは頷いてそれに同意し、ポケットに入れた鍵をジャラリと弄ぶ。
「少年達と連絡は取れねぇか?」
「無理だな。衛宮士郎は携帯電話を持っていないし凛は所有こそしているが常時不携帯だ。直接会いに行くしか―――」
りりりりりりりり・・・
アーチャーの言葉を遮りベルの音が鳴り響いた。それは、居間にすえつけられた電話の音。
「! ・・・もしもし! 衛宮だ!」
ランサーは素早く受話器を取り、その向こうの声に耳を傾ける。そして、ニヤリと笑顔。
「いいタイミングだ。嬢ちゃん達だぜ!」
『キャスターが出た! 柳洞寺前の道路を北上中、イスカンダルとチビ共が襲われてるが被害はねぇ!』
電話の向こうから早口で伝えてくる内容に凛は歯噛みした。
「後手に回ったわね・・・しかも、とうとう戦いを選んだサーヴァントが出てきた・・・」
目配せすると士郎は大きく頷いて走り出す。桜を呼びに行ったのだ。
「わかった。わたし達もそっちへ行くわ。いざって時に令呪が有ると無いでは大違いだから」
『それは向こうも同じだよな。キャスターのマスターに心当たりは?』
凛はすっと目を細めた。確証は、ある。
「ええ。ほぼ特定してるわ。唯一キャスターを目撃したっていう人がいる。でも、全く連携できてない現状からして多分まだマスターにはなっていない。今抑えればそれでカタが付くわ」
『よし、対魔力が高い俺とセイバーで先行する。アーチャーをそっちに行かせるから途中で合流してくれ! 万が一だがここの守りはバーサーカーと佐々木。それとギルガメシュでどうだ?』
「ギルガメシュは攻めに回した方がいいとおもうけど他は賛成よ」
『先行できるのが二人までなんだよ! じゃあな!』
最後にそう言って電話は切れた。苛立ち暴れだそうとする心を捻じ伏せて静かにさせ数分待つと桜を連れた士郎が戻ってくる。
「士郎、桜。キャスターが出たわ。暴れてるらしいの。わたしはこれからアーチャーと合流して取り押さえにいくけど二人はどうする?」
威圧するような視線に二人は己が力を考える。
身体的には鍛えられ、基本的な戦闘の素養はあるが魔術において三流以下の士郎。
魔術においてはそれなりの技能と魔力を持つが戦闘技術を全く持たない桜。
共に、魔術師やサーヴァントの戦いに耐え得る実力ではない。
だが。
「行く。足手まといにはならないようにするよ」
「わたしもです。あんりちゃん達を放っておけません!」
二人は、躊躇無くそう答えた。凛は不敵な笑みと共に頷いてそれに答える
「いいわ。でも約束して。絶対に前へは出ない、無理しない。わかってるみたいだけど二人は戦力としては0に近いんだから。いいわね?」
「ああ」
「わかってます」
力強い答えに凛は頷き、コートに仕込んだ宝石の位置を確認した。十分とはいえないが、一戦するには問題無い。意思を集中させればこちらに向かうアーチャーの位置も感じ取れる。
「いいわ。じゃあ行きましょう!」
「次は右!」
イスカンダルの声にあわせてあんりとまゆは右へと進路を変えた。背後から撃ちこまれた魔力弾がすれすれに通過していく。
「今のはあぶなかったよー!」
「狙いが正確になってきてますねぇ」
楽しげに言い合う二人を急かしながらイスカンダルは思考を編み上げる。
(補正しながらの5発。まだ遊ばれている。仕留める気ならとっくにやられてる筈。あと数分は引っ張れるけどあまり遠ざかるとみんなと合流できない。いっそ一人で・・・いや、今の対魔力はD程度。相性が悪―――思考中断!)
「止まって二人とも!」
「え?」
「きゃぅん!」
指示に従い転びかけながら止まった二人の目の前に弧を描いて飛来した魔力弾が数発連続して着弾。
「GO!」
「わかりましたー」
「つかれるなー」
再度加速してちらりと背後をうかがうと、ローブの影は最初と全く変わらぬ距離でそこに居る。
そして。
「・・・・・・」
ローブに隠れた口元が、確かに笑うのを、イスカンダルは見た。
(来る! 本命!)
イスカンダルは心中で叫び加速する。先行するする二人を抱きかかえて最後の一跳びをしつつ空中でキャスターに向き直り・・・
「な・・・大きい!」
キャスターの手に作られた乗用車ほどの大きさの魔力弾に声を漏らす。
「・・・・・・」
魔術師の英霊はそのまま無造作な動きでそれを撃ち出した。大きさ、速度、タイミング、全てにおいて回避できるレベルではないそれに、思わずイスカンダルの表情が変わる。
―――勝利の笑みへと。
「凄い魔術だけど、残念ながらタイム・アップだね」
言葉と同時に鋭い叫びと1062
ccの排気量が叩き出す轟音を引き連れて黒い影がイスカンダル達の前へ飛び込んだ。
「よっしゃああああああああっ! 間に合ったっ!」
それはバイク。ゼファー1100。ランサーに操られたそれは180キロオーバーのハイスピードのまま歩道へと飛び込みフルブレーキ。地面に円形のタイヤの後をつけながら数回転のスピンターンを敢行する。
「はっ・・・!」
そのタンデムシートから2回転目で金の髪の少女が飛び降りた。慣性をその身に受け、砲弾のように宙を突き進みながら魔力弾へと突っ込んで行く。
「たぁあああああああああっ!」
瞬斬、セイバーは勢いのままに両手で握った見えない刃を魔力の塊へと叩き込んだ。龍の血の生み出す最強の対魔力を纏った一刀は家一件を吹き飛ばす程の破壊力を正面から叩き潰し、無力な風へと散華させる!
「!?」
予想外の展開にキャスターは声にならない悲鳴と共に身を翻した。ローブのすそをはためかせながらセイバー達とは逆方向に逃走を始めるその見切りの速さは見事。しかし。
「撃ちなさい! アーチャー!」
鋭い声と共にその足元でスタタタタタタンと軽快な音がした。驚愕と共に足を止めて見下ろせばそこにはコンクリートを抉り突き立てられた六連の鉄矢。
「・・・逃げたいなら逃げていいわ。でもそこから動いたら今度は心臓を射抜くわよ。そんなチャチなものじゃない矢でね」
悠然と姿をあらわしたのは凛だ。広げた片手をキャスターに向け、背後に士郎と桜を従えて近づいてくる。
「っ・・・!」
あきらかにチェックメイトのその状況に、しかしキャスターは諦めていなかった。舌打ちと共に魔力を練り上げ不可思議な単音の声を発し、瞬間、そのローブ姿がすっと透明になり始める。
「空間転移!? そんなものまで出来るの!?」
「させない・・・!」
驚愕する凛の声と共にダンッ! とセイバーは地を蹴った。まさに烈風の如く距離を詰め、キャスターのローブの中央やや下、腹の辺りへと風王結界の一撃を叩き込む。
「ぁ・・・!」
転移しかけていたキャスターの体はセイバーの対魔力と干渉して一気に実体化した。そして、その胴体を見えない刃が貫通し。
「え・・・」
「おわ・・・!?」
戸惑いの声と共に、ローブ姿の魔術師は真っ二つに千切れて地に伏した。
そのまま、動かない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙の中、ゆっくりと口を開いたのはバイクから降りたランサーだった。
「えっとな、セイバー・・・もしかして、殺っちまった?」
「い、いえ! 今のは剣の平の方で叩いただけです! 真空による切断作用はありますが英霊の体を両断するほどの威力は・・・!」
慌てて首を振るセイバーにランサーは微妙な笑顔で肩を叩く。
「まあ、実際真っ二つだしな。こんなこともあるだろ」
「そ、そんな筈は無いのですが・・・」
戸惑いと後悔の表情を浮かべてセイバーは足元に横たわるキャスターのローブを眺める。静寂に満ちたその場にひゅるりと風が吹き。
「あ」
誰かが、呟いた。あるいはそれは全員だったかもしれない。突風に煽られたローブ、その下半身のほうの半分が風に乗ってどこかへ飛んでいってしまったのだ。
「・・・ひょっとして、今の・・・中身は空っぽ?」
士郎の呟きに凛は眉をしかめて地面に落ちたままのローブ(上半身)に近づいた、よく見ると、僅かに動いている。
「・・そぅれ!」
そして凛は容赦なくローブのフードを掴んでそれを引っぺがし。
そこに。
「な、なにするのよ!」
推定年齢9歳から12歳。
あんりたちにも負けない幼女が座っていた。
キャスターの、それが正体。どうやらさっきまではさりげなく浮いていたようだ。首元に魔具らしきペンダントが光っている。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙、そして凛は深々と息をついた。
「先生・・・若いって、若すぎでしょこれ」
「にゃー」
どうやってかついてきた猫の慰めの声で、戦いは・・・そしてシリアスの時間は終了したのだった。
「はい、どうぞ」
「ぁ、ありがとぅ・・・」
佐々木にオレンジジュースのコップを差し出されてキャスターはゴモゴモと呟いてそれを受け取った。数秒間の逡巡の後にぐっと飲み干す。
「おいしい・・・!」
「ふふ、おかわり持ってきますね?」
見る間に空になったコップを受け取り佐々木は台所へ消える。
あれから数十分。へたり込んだキャスターからありとあらゆるアイテムを没収した上で一同は衛宮邸に帰ってきていた。
「・・・それで? なんか申し開きはあるの?」
目を細めて凛はキャスターを睨む。行われているのは、言わば尋問。
「・・・ふん、だ」
「なんであの子達を襲ったのか、柳洞寺で何をしていたのか。それを答えろって言っているの」
「ぷい!」
キャスターは口をつぐみそっぽを向く。先ほどからずっとこの繰り返しだ。佐々木が口を挟んだり飲み物を出したりしたときだけ反応するが他は全て無視。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
凛とキャスターはテーブルを挟んでにらみ合う。士郎たちが見守る中、均衡を破ったのはキャスターだった。
「へぼまじゅつし」
「・・・!?」
ぼそりと呟かれた一言に士郎達はバッと立ち上がった。
「待て遠坂! 落ち着け!」
「姉さん駄目です! 相手は子供ですよ!?」
「嬢ちゃん、顔はよしとけ。ボディーにしなボディーに」
「リン、まずは深呼吸です!」
「あのね・・・」
一斉に自分の体を掴む一同に凛は半眼になり周囲を見渡す。
「落ち着いてるわよ。放しなさいって」
「・・・あれ?」
呆れ声で言われ、士郎は呆然と手を放した。確かに凛の顔に怒りはない。ため息などつきつつこちらを見ている。
「まったく・・・そりゃあキャスターのサーヴァントからみたらヘボでしょうよ。わたしだって」
あまりに意外な言葉にその場の全員が硬直した。バーサーカーの膝に登っていた猫がどさっと畳に落下する。
「ふ、ふん・・・案外身の程をしってるじゃない」
「ええ、よく知ってるわよ? 技能で劣ることも、でも戦えばわたしが勝つことも。あ、ちょっと違うか。あんたが負けることを、知ってるわ」
そして、凛はあっさりと言い放って笑った。ふふんと、心底見下した顔で。
「な・・・」
キャスターは目の前が怒りで真っ白になるのを感じた。自分に。魔術師の英霊たる者に、たかだか人間の魔術師が戦って勝つと?
「なに? 不服? 馬鹿じゃないの今更。こうやって掴まってる時点で負け決定じゃない」
「あ、あなたに負けたわけじゃないもん!」
ぺちんとテーブルを叩いて怒るキャスターに凛はケケケと悪魔のような笑い声を出す。
「じゃあいいわ。試してみる? わたしと一対一の勝負。あんたが勝ったらここから解放して、ついでにあんたの奴隷になってあげるわ。その代わり負けたらちゃんとわたしの言うことを聞く。どう?」
「!?」
警戒し口を閉ざす少女に赤いあくまは大きくため息をつく。
「前言撤回かなぁ。やっぱこの子、ただの魔術遊びしてる子供だわ。技能面でもへぼいかも」
「な、な・・・! ふざけないで! め、メディア、負けないもん!」
「へぇ、あなたメディアっていうんだ。じゃ、ギリシャ出身ね」
「!!」
キャスターはびくっと震えてから憤然と立ち上がった。
「いいわ、勝負してあげるわよこの時代の魔術師! メディアが、かくのちがいをおしえてあげるもん!」
「・・・OK」
凛もまたニヤリと笑って立ち上がる。
「見せてもらおうかしら? 神代の魔術師の力ってのをね」
「ルールを説明するわよ? お子様にもわかるよう単純にしたから覚えなさい?」
「ぅぅ・・・! 早く言って! ギタンギタンにしてやるもん!」
中庭に出た士郎たちが輪になって見守る中央、凛とキャスターは2メートルほどの間を空けて向かい合う。
「まずはお互いに防壁を張る。で、合図と同時に攻撃を始めて先に相手の防壁を破ったほうが勝ち。簡単でしょ?」
「ふふん、だ。そんなのでいいの?」
キャスターは余裕の笑みとともに頷く。凛はどうでもよさげに髪をかきあげ息をつく。
「あの、先輩・・・」
それを眺め、桜は心配げに傍らの士郎に声をかけた。
「だ、大丈夫なんでしょうか? キャスターちゃんの魔力、姉さんより強いですよね・・・?」
「ん。本人も言ってたけど魔術師としての能力ならどう考えたってキャスターの方が上だよ。なにせ向こうは英霊なわけだしね」
その言葉に桜はさっと青ざめた。
「止めましょう! 危険すぎます!」
「なんでさ。遠坂ならちゃんと手加減するよ。きっと」
「え?」
桜はきょとんと士郎を見上げた。その表情に士郎はああと苦笑する。
「能力にどう差があったところで遠坂は勝つよ。最初からこの展開に向けて話を進めてた以上、勝つ方法があるんだと思う。基本的に勝ちが見えない戦いはしない主義だからさ」
「そんな・・・」
一分たりとも疑いの無い笑顔に桜は八割の安心と二割の嫉妬を胸に凛たちへ視線を移す。
「じゃあ、合図はランサーに頼もうかしら。いい?」
「ああ、まかしとけ」
ランサーはわくわくしているのを隠さず二人の中心に立つ。
「じゃあ二人とも防壁をはれ」
合図とともに二人は呪文を唱えた。数節に渡る言葉が宙に溶け、ぅん・・・と互いの周囲に不可視の幕が出来上がる。
「・・・泣いたって許してあげないんだから」
ふふんと鼻で笑うキャスターに凛はにぃっと笑みを見せる。
「安心しなさい。わたしは優しいからあんたが泣いたら許してあげる」
キャスターにはわかりようの無いことではあるが。
その表情は、いつも士郎をからかうときのそれ―――
「準備はいいな?」
ランサーは一歩下がり、片手をすっと頭上に上げる。そして。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人の魔術師の視線が合った瞬間、その腕が勢い良く振り下ろされた!
「始めッ!」
「行くわよ!」
「・・・・・・」
キャスターは合図と同時に全ての思考を感情から切り離した。雑多な全てを追い出し、『敵』を見る。『敵』は魔術回路のスイッチを入れ、すばやくそこに魔力を通したところだ。スピード、流動量共にまず一流。このまま修行を積めばキャスターと同位の魔術師になりうるかもしれないし、この時点でもキャスターの張った防壁を破るだけの実力は備えている。
(・・・わざと、だけどね)
キャスターは笑った。加速された思考の中、凛の観察を続ける。彼女が準備した防壁は凛の全力でなら突破できるレベルのものだ。実は全力で張ったならば、もっと強固なものは作りうる。にもかかわらずそうしなかったのは・・・
(この思い上がった魔術師に身の程を教えてあげるわ)
ただその一点のために。
(この魔術師は優秀だから防壁を破れることに気づいたはず。勝てると思って全力で破りにくる。大喜びで。でも)
キャスターは片手を挙げた。広げた手のひらを凛に向ける。
(それは夢で終わる。だってそれより早く自分の防壁を破られるんだから)
スピード。それがキャスターの用意した策の中心だ。いくら凛が優秀でも、ひとつだけどうしようもない差がキャスターとの間には横たわっているのだ。
スキル『高速神言』・・・それは呪文や魔術回路を使用せずとも自然界のマナに直接干渉し魔術を編み上げる力。その魔術、その言葉そのものが神秘である神代の魔術師にのみ許された能力。
凛が魔術回路を起動し、魔力を通し、呪文を唱えて初めて発動させる魔術をキャスターはたった一言で行える。5〜6小節の呪文を持ってしか破れない防壁を互いに張った状態での早撃ちにおいて、それはもはや、勝負にならない差と言えるだろう。凛が呪文を唱え始めた後にキャスターは悠々と相手の防壁を破ればいい。
(馬鹿な魔術師。その力に自滅なさい)
キャスターは嘲笑と共に凛が口を開くのを見つめ―――
「馬鹿な魔術師。その力に自滅すれば?」
凛の言葉に、目を見張った。
(!? 呪文をとなえない? 勝負を捨てたの!?)
混乱するキャスターの目に映るのは、言葉と共に凛の投げつけてきた宝石。それは、遠坂の魔術の本質たる限定礼装。
「Abzug!」
一言。ただの一言で、それは魔術として発動する!
「きゃ・・・!」
知らず、悲鳴が漏れた。宝石は閃光と共に膨大な魔力を放出、一つの魔術として結実し。
パリン・・・!
キャスターが張り巡らした防壁は、澄んだ音と共に粉々に打ち砕かれた。 「勝負あり! 嬢ちゃんの勝ちだ!」 (ずるい) キャスターの心に闇が広がる。 (あの女は、ずるい) どこかから語りかける声に導かれるように、右の手が挙がった。広げた手のひらが、賛辞をあびる凛の方へ向く。 追記。
「あ・・・」
声を漏らし、キャスターはぺたりと地面に座り込んだ。
負けだった。一工程・・・自らが設定した勝利へのルートを、逆に支配されての完敗。これ以上も無いほどの惨敗だ。
槍の英雄の合図を待つ必要も無い。
キャスターは、自らの技術を過信して敗退したのだった。
「す、すごい・・・姉さん、凄いです!」
「流石ですね、リン」
「ふっ・・・まあ、私のマスターなのだからこれくらいはしてもらわなければな」
賞賛を一身に受ける魔術師の姿。防壁を解き、どうだとこっちにウィンクなどしている。
数メートル離れた場所に座り込み、キャスターは呆然とそれを見つめていた。
負けた。
どこから負けていた?
絶対に自分の方が早いと相手が呪文を唱えるのを待っていたときから? 防壁をぎりぎり相手が破れるレベルに設定したときから?
違う。
最初からだ。
この勝負と決まったときから、こうなることは決まっていた。最初の挑発から最後の一撃まで、全てあの魔術師の・・・遠坂凛の支配下にあったのだから。
長い歴史の中で溜まってきた心の澱がじくりと染み出してくる。
そして。
「Й」
意思よりも早く、呪文が口をついていた。瞬間、大気に満ちていたマナが凝縮され、魔力の槍となって撃ち出される。
「え?」
「あ・・・」
「何?」
全てが終わったと、みなが思っていた。察知すべき何の気配も存在しなかった。
ただ偶然のように放たれた一撃が凛に、その心臓へと真っ直ぐに迫る。
「っ! 危ない! リン!」
真っ先に動いたのは少し離れたところで見守っていたセイバーだった。直感的に危機を察知し飛び出す。
「いけません!」
「■■■■■■■ッ!」
次いで、佐々木とバーサーカーが凛を突き飛ばそうと踏み出す。
「っ・・・!」
そして、アーチャーが全速で魔術回路を起動する。しかしどれも遅い! 既に放たれた一撃を止めるにはサーヴァント達の居た位置は遠すぎる!
「あ・・・」
凛は思わず呟いていた。
(うっかりしたなー。防壁、そのままにしとけばよかった。こんな致命的なうっかりはやだなぁ。死んだかなこれ。それはまずいって。まだ、何もしてないのに・・・)
どこかのんびりとそんなことを考え、せめて足掻こうと身をよじった、瞬間。
「駄目だッ・・・!」
力強い、声がした。
「―――え?」
視界をふさぐ背中。
パリンという音。
「え?」
もう一度呟いたとき。
その背中は、すとんと低くなった。
衛宮士郎の、背中が。
「き、貴様ッ!!」
ランサーがゲイボルグを召還するのが見えた。
「シロウ! シロウっ!?」
セイバーが悲鳴のような声と共に風王結界を呼ぶのを見た。
でも、目の前で膝をつく士郎が、ぼやけて見えない。見たくない。
自分は無事だ。確かに撃ち込まれたはずの魔術は届いていない。ならば、それがどうなったのかは簡単なこと。
士郎の体がゆらりとゆらぎ、そして・・・
「っ、たぁ・・・」
うめき声と共に、すっくと立ち上がった。
「・・・は?」
「セイバー! ランサーさんストップ! 俺は無事だから!」
立ちざま放った言葉に、紅い魔槍と見えない刃がキャスターを引き裂く寸前で止まる。
「少年。こいつは嬢ちゃんを殺そうとしたんだぜ?」
「それでも、止めるんですか? シロウ」
召還されてからこれまで一度も見せなかった純粋な殺気を放つ二人に、士郎はきっぱりと言い放った。
「止めるよ。その子、そんなに怯えてるじゃないか」
そう。
キャスターは怯え、縮こまっていた。小さな体を尚小さくし、頭を抱え込み。
「大丈夫。今のは何かの事故だし遠坂は無事だった。ならいいじゃないか」
「よくないわよ! 士郎が、士郎が無事じゃないじゃないの!」
凛はようやく我に返り士郎に抱きついた。
「ぅわぁっ!?」
驚きのけぞる士郎の体を素早くまさぐり・・・
「え・・・? 傷が・・・ない!?」
そこに何の傷跡もないことに驚きの声を漏らす。打ち身程度のものはあるが、そんなものかすり傷のようなものだ。
「ど、どういうことよ!? なんか喰らったでしょ!? ギャグキャラだから無傷とか言ったら張り倒すからね!?」
「・・・幸い、そういうことではないようだ」
それに答えたのはアーチャーだった。士郎の足元にしゃがみ込み、何かを拾い上げて立ち上がる。
「魔術だ。そいつ自身も無自覚な中で発動した出来損ないの魔術モドキが今の一撃と相殺したんだろう」
指先で弄るのは金属の破片。しかしそれは数秒を経て砂と化し風に消える。
「この程度のもので打ち消せたのだ。実際にたいしたものではなかったのだろうな。事故であったという判断に関しては私も賛成しよう」
アーチャーの賛同にセイバーとランサーは不承不承といった様子でそれぞれの武器を送還した。
「さて・・・」
士郎は呟いてキャスターに歩み寄った。しゃがみこみ視線を合わせ。
「駄目だろ? あんなことしちゃ」
ぺちり、とその小さな頭をはたく。
「くぅん!」
キャスターは小動物めいた悲鳴をあげて涙目になった。頭を両手で押さえて士郎を見上げる。
「本当に撃とうとはしてなかったんだろ?」
「う・・・うん」
こくんと頷く少女の頭に士郎はポスッと手を載せた。
「じゃあ、謝って許してもらおう」
「あ、あいつに!?」
キャスターは不満そうな表情で凛を指差す。
「人を指差しちゃ駄目。ついでにガンド撃ったらもっと駄目」
士郎の言葉に凛はわるかったわねとそっぽを向いた。
「大丈夫だよ。遠坂は短気だし一度恨みを買ったら末代まで呪われそうだけど」
「・・・呪いましょうか?衛宮君?」
にっこり笑顔に冷や汗を流しながら士郎はキャスターの頭をなでる。
「それでも、ちゃんと謝れば許してくれるよ。いい奴だからさ」
言われ、凛は苦笑をもらした。そんな言い方を、しかも馬鹿みたいにいい奴な士郎に言われてしまえば。
もう、許すしかないではないか。
「さ、キャスターちゃん?」
「・・・うん」
キャスターはこっくり頷いて凛の前に立った。
「あの・・・」
「何よ」
短い返答にやや怯えながらバッと腰を二つ折りにするように深く頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! 本当に撃つ気なんてなかったんだもん! ちょっとだけそんなことも考えたけどそ、本当になかったんだもん!」
「・・・しょうがないわね」
凛はふぅとため息をついた。
「今後気をつけるように! 以上!」
「あ、ありがとう・・・!」
途端満面の笑みになったキャスターに凛はふぅとため息をつく。
「それはそれとして、約束は果たしてもらうわよ。なんで人を襲ったの?」
「人なんて襲ってないよ! 襲おうとしたけど・・・できなかったんだもん」
俯いたキャスターにランサーは『はぁ?』と眉をひそめる。
「襲おうとしたってどういうこった?」
「・・・メディア、悪い人になろうと思ったんだもん」
キャスターは涙ぐんだ。かつての記録、そして召還されてからの孤独な数日間が蘇ってきたのだ。
「むかし、まだ英霊じゃなかった頃。メディア、みんなが大好きだったの。家族も居たし好きな人も居たの。でも、みんなみんなメディアを騙して、利用するだけして、最後は魔女だから悪いことは全部メディアのせいだって」
悔しげに、小さなこぶしを握る。
「だから、みんながそういうならメディアは本当に悪い人になっちゃおうて思って・・・でも、怖くて誰も襲えないまま何日もたっちゃったの。それで、おなかすいたなぁとか喉渇いたなぁとか思って隠れてたらサーヴァントが来たからてっきり殺しに来たのかと」
「・・・それで、イスカンダル達に攻撃してきたわけか」
士郎に言われてキャスターはしょぼんと小さくなる。
「ずっと怖かった分、サーヴァントがちっちゃい子だったんで調子に乗っちゃって・・・ごめんなさい・・・」
「ボクはいいんだねっ! 罪を憎んで人を憎まず!基本だねっ!」
「あんり達、そういうのはよくわかんないや」
「そうですね〜士郎さんがいいって言うならいいですよ〜?」
まったく、みんな甘いわよねと肩をすくめながら凛はふと思い出してキャスターに目を向けた。
「あんた、マスターは? あの寺に住んでる葛木っていう教師だと思うんだけど」
「・・・うん。メディアの記憶だとたぶんそうなんだけど・・・よくわかんない。遠くから何回か見てたんだけどどう考えたってあの人、魔術師じゃないんだもん」
ふうんと頷き考え込んだ凛に構わず、キャスターはひょいっと体ごと士郎に向き直った。
「あの・・・」
「ん? なんだいキャスターちゃん」
呼ばれ、顔を真っ赤にしてもじもじと指先をすりあわせる。凛や桜の顔が、先ほどとは違う殺気に包まれた。
「あのね、メディアのことは、メディアって呼んでほしいの。クラス名じゃなくて」
「? ・・・うん、いいよ。メディアちゃん」
キャスターは花の咲くような表情で大きく頷く。
「ありがとう! お兄ちゃん、大好き!」
「ははは、お兄ちゃんかー」
「お兄ちゃん、見所があるね。メディアの弟子になろうよ! すぐに超一流の魔術師にしてあげるから」
「な、なにを言っているのにくげなるちごが!」
「・・・憎げなる稚児。可愛くない子供め、というような意味だ」
凛の叫びにアーチャーは興味なさげにつっこむと姿を消した。
「ふふ〜ん、確かに負けは負け、リンの方が強いけどそれとこれとは別だもん」
「あなたみたいなお子様に士郎が教えを請うわけが無いでしょうが! 大人になってから出直してきなさい!」
がぁっと吼える凛にキャスターはにやりと不敵に微笑んだ。
「ふっふっふ〜、その言葉、後悔しないようにねぇ?」
「な、何よ・・・」
妙な自信に凛が口ごもるとキャスターはしゅぱっと音をたててローブの袖から何かを取り出した。
「? ・・・杖・・・なのか?」
抱きつかれた姿勢のまま苦笑していた士郎は濃密な魔力を感じてキャスターの握っているそれを見つめた。
ピンク色の棒・・・何度見てもプラスチックにしか思えないその本体に二枚の羽状部品と黄色い星型パーツが付いている。
「・・・どこかで見たことがあるような気がするわ」
「・・・奇遇だな遠坂。俺もだよ」
「・・・多分、士郎が思ってるよりずっと、わたしはアレに嫌な思い出があるけどね・・・」
端的に言って、それは『魔女っ子ステッキ』と呼ばれる一品だ。
「ステキなステッキ〜!」
「まんまかよ!」
士郎のつっこみにニコッと笑い、キャスターはしがみついていた手を離しピシッとファンシーなステッキを構えて呪文を口にする。
「まじかる・めでぃかる・るるるるる〜・ごすろり・しすこん・ひみつのぽえむ!」
なんじゃそりゃとつっこむ隙すら与えずキャスターはくるくると華麗にステッキを指先で回す。呪文とは自らに課す暗示。内容は、あんまり関係ない。
あんまり。
あんまりだが、これは。
「トキメキ気分で変身! ИЩГ!」
「つうか呪文は最後のやつだけなんじゃ!?」
よくわからない発音と共にステッキから溢れるほどの魔力が迸った。外見からは予想も出来ないその高純度な力は輝く光となってキャスターを包み込む。
「眩しっ・・・」
「だ、大丈夫か遠坂・・・」
閃光に思わず目を閉じたその一瞬後。
「うふふふふ・・・」
聞き覚えの無い声と共に、ぷにっとエクセレントな感触が士郎の二の腕に走った。
「はい?」
芽生え始めた心眼(真)スキルのなせる技か、士郎は激しくのたうつ心臓の鼓動と共に目を開けた。
闇が退くその視界に広がるのは女性の顔。くっきりとした鼻梁と涼しげな目元も美しい掛け値なしの美女。顔立ちのよさにかけてはコレまで見てきた美女軍団―――なんだか嫌な表現だ―――の中でも一番かもしれない。そして、決定的なことにその女性はなんだか尖った耳をしていた。
「・・・どうですか?お兄様」
「メディアちゃんディスカーッ!?」
そう。それは間違いなくキャスターであった。いくら推定年齢20代後半に成長していても確かに面影がある。
「って言うか・・・何よその格好・・・」
凛は目も虚ろに呟いた。
「コスチュームよ? 決まってるでしょう?」
頭にはナースキャップ。ごっついピンク色であることを無視すれば全体の印象としてもやや看護婦っぽいが、看護婦さんの服にはあちこちにヒラヒラは付いていないだろう。
「さ、最近は看護士さんと言わないと諸団体が五月蝿いらしいわよ・・・?」
「ふふふ、リン、現実から目を放さないでほしいわね。どこら辺がお子様なのかしらねぇ?」
言いながらキャスターはすりすりと士郎に体をこすり付ける。立派だ。立派にお育ちになられたゴム鞠二つがぷんにゃりぷんにゃり二の腕を揉みしだく。
「ぁぅ」
その心地よさに思わず声を漏らした士郎に凛はにっこりと微笑んだ。片手にはゴリッと音を立てて宝石が握りこまれている。
「!? ちょ、ちょっと待った遠坂!」
「うふふふふ、いいのよ?衛宮君☆」
朗らかな声で凛はそう言った。傍目にもわかるくらい、その声は一つの意思しか伝えない。
「待てって! べ、別に俺は・・・」
「大丈夫ですよお兄様・・・メディアが、護ってさしあげますから」
妖しく微笑むキャスターは脳髄が解かされそうなほど綺麗だが・・・
「ねえ衛宮君?」
危険な嘲笑を浮かべる凛も綺麗だと士郎は思う。まあ、日本刀の刃のような美しさだが。
「・・・なんだい?遠坂」
「遺言とか、聞いとくわよ?」
ヒシヒシと魔力を感じながら士郎はほろ苦く微笑んだ。前のめりに生きよう。どうせ死ぬなら、今まで伝えられなかったことを言っておくべきだ。
天国の親父。俺、今度こそそっち行きそうだよクイックリィ。
たっぷりと考え、今、士郎は胸に秘めた思いを口に出す。
「・・・胸、ちっちゃいのも可愛いと思う」
「極彩と散れ」
刹那、士郎はキャスターを突き飛ばして走り出した。二人が居た辺りを巨大な魔力弾が吹き飛ばす光景にぞっとしながら中庭に飛び出し、強化されたガンド撃ちが追ってくるのを確認してそのまま逃走にうつる。
「ああん・・・メディアが守ってあげるって言ってますのに・・・つれないお方・・・」
「一応正義の味方目指してるからっ! うぎゃひぃ!?」
「ままー、また綺麗な光―」
「そうね、でも今日はいつもと色が違うわねー」
ご近所でも評判のミステリー現象、『衛宮邸から迸る怪光線』は商店街からもちゃんと観測できます。ツアーのお申し込みは■■■−■■■■−■■■■、あいんつべるん観光組合まで・・・
「そっか・・・可愛い、か」
庭の隅で黒焦げになっている士郎が復活するまでの間。
それを見守りながらこっそり呟いた言葉と微笑みは、凛だけの秘密。