4-1 GoodMorningStar

 衛宮士郎の朝は早い。台所番長職を長く続けていたが故のその習慣は桜、佐々木と朝食戦力が増強された今も抜けることなく、そして日曜だからといって気が抜けることも無い。
「ん・・・」
 目覚ましに頼らず自然に覚醒した士郎はやや朦朧とした意識のまま軽くうめいて片目を開けた。ぼんやりとした視界に映った天井がだんだんと鮮明になってゆく。
「あれ・・・俺、寝てたっけ?」
 土蔵ではなく自室での目覚めに、士郎は昨晩の記憶を引きずり出してみた。キャスターを連れて帰って、凛が決闘に勝って、いつものように吹っ飛ばされて―――
「あー、大事をとって休んどけーとか言って鍛錬を禁止されたんだっけ」
 その後こっそりと土蔵に向かおうとしているところをアーチャーに見つかり部屋に放り込まれたのだ。どうやらそのまま寝ていたらしい。
「よし、起きるか」
 状況さえ把握してしまえばゴロゴロしている意味は無い。あくびを噛み殺しながら布団に手をついて上体を起こし。

 ふに。

「へ?」
 ついた手に、至福の柔らかさを感じて士郎は硬直した。
 それは押し込んだ指先を押し返す弾力、自在に形を変える柔軟性。手のひらから溢れるほどの暖かな『何か』。
「・・・・・・」
 体が金属と化したかのような不自然な動きで士郎はギシギシと首を回す。ゆっくりと目をやった手の先に。
「・・・えっち」
 Yシャツにつつまれた豊かな乳がありましたとさ。
「なぁあああぉぁっ!?」
 瞬間、士郎はその場から飛ぶように離脱!
(胸!?/生乳!/誰の!?/ふにって/ランサーさん!?/なんでこんなところに/誰かに見られたら/柔らか/死/握っちゃった/朝顔/凄い/でか/隣の部屋にセイ)
 乱れ狂う思考の中。
「シロウ! どうかしましたか!?」
 バンッ! とふすまが叩き開けられ、セイバーが部屋に飛び込んできた。青い軍装に銀の鎧という完全装備だ。
「い、いや、セイバー! これは違うんだ!」
「え?」
 部屋の隅で叫ぶ士郎の無事を確認したセイバーは少しほっとした表情で異常が無いか部屋の中を見渡す。そこに。
「よう、おはよ」
 悪戯な笑みを浮かべたランサーが居た。のそっと起き上がったその体を包んでいるのは大き目の白いYシャツ。
 だけ。
「はだY!?」
 予想を上回る攻撃にのけぞった士郎にセイバーはガッシャガッシャと鎧を鳴らして詰め寄る。
「シロウ! こ、これは一体どのような状況なのですか! 私はサーヴァントとして説明を求めます!」
「むしろ俺が説明してほしいっ!」
 絶叫する二人にランサーは立ち上がり、ぐっと伸びをした。腕が上がるのに引っ張られてYシャツのすそも上がりすっげぇいいものがチラリと見えそうになる。
「少年が寝たか確認しに来たんだよ」
「ええ、凛と桜も何度か来てましたね。三回目に部屋の前ではちあわせした後は打撃音が聞こえて静かになりましたが」
「だから添い寝」
「話が繋がってない!」
 士郎はつっこみ、頭を抱える。
「勘弁してくださいよランサーさん・・・」
「欲情したか? 少年」
 ウィンクなどしてランサーは肩をすくめる。
「ま、実際には最低一晩は安静にさせとけってアーチャーの奴に言われたんで監視してたんだけどな」
「私が隣に寝ているのです。その必要はないでしょう」
 サーヴァントとしての存在に関わる不審にセイバーの表情が厳しくなる。
「オレが居たのに気づかなかっただろ? おまえはやっぱ王様なんだよ。周りに家来が居て当然だから敵意が無い相手なら傍に寄っても起きない。オレの場合、基本がサバイバルだからな。ちょっとでも動きがあればすぐ起きるんでこういうのに向いてんのよ」
「む・・・」
 何を言ったところで、進入されたのは事実だ。戦闘以外のスキルが低いのは自分でも気にしているし。
「・・・仕方ありませんね」
 セイバーは呟き、やれやれと首を振って武装を解除した。淡い光と共に魔力で編まれた軍装と鎧が魔力に還り消え去り、残ったのは。
「・・・・・・」
「お」
 残ったのは、セイバーの真っ白な裸身だけだった。障子越しに差し込む光に照らされて滑らかな腰のくびれが、控えめな曲線を描く胸が、芸術的な造型の美尻が士郎の前に惜しげもなく公開される。

 セイバーは、寝るときに、裸です(公式)。

「・・・・・・」
 士郎は無言だった。体の各部は正常に稼動し、特に一部は積極的な活動を見せているが、肝心の脳が微動だ似せず、なんのリアクションも返せない。
「あー、驚きってさ、一定値を越えると頭ン中真っ白にしてくれるよなセイバー」
「はい? どういうことですかランサー?」
 硬直した士郎に不審そうな目を向けているセイバーにランサーは愉快げに笑う。
「ははは、とりあえず自分の腹でも見てみろよ」
「?」
 セイバーはキョトンとした表情で視線を降ろし。
「・・・え?」
 騎士王は、そこにある滑らかなお腹を眺め、ランサーに目をやり。そして最後に、
「はは、ははは・・・」
 引きつった笑い声を上げる彼女のマスターと視線が―――
「なっ・・・!し 、シロウ!」
「ご、ごめん!」
 その場にしゃがみ自分の体を抱えるようにまるまったセイバーに士郎は慌てて後ろを向いた。
「なんだ少年、知らなかったのか? 俺たちくらいの時代だったら別に珍しくもねぇんだけどな。水浴びとかも男女混じってとか普通だったし。セイバーが寝てるとこ見たこと無いのか?」
「俺が見たときはいつも姿勢よく布団かぶってたから・・・」
「じゃあその下はマッパだったわけだ。損したな少年」
 カラカラと笑われ士郎は顔が破裂しそうなほどに血が上るのを感じていた。もはや待った無し。死して屍拾うもの無し。
「しっかしセイバーよ。オレは嬉しいぜ。そこで堂々と仁王立ちにでもなられたらどうしようかと思ったぜ」
「堂々となど・・・貴方ならともかくこんなゴツゴツした体で・・・」
 しょんぼりした顔で目を伏せた金髪の英霊にランサーと士郎は同時にのけぞった。
「少年・・・セイバーの体見てどう思うよ?」
「綺礼だよ・・・違った。綺麗だよ」
 一瞬とんでもないものを思い浮かべた士郎はブンブンと頭を振ってから言い直す。聞いてる方からはわからないのだが。
「ったく、自分の体に自信が無いのはいかん。まったくもって駄目だぜセイバー。ここはひとつしっかりと少年に鑑賞してもらって確認を」
「ランサーさん! 無茶苦茶言わないでくださいよ! 殺す気ですか!」
 叫んだところでバンッ! と鋭い音を立ててふすまが開いた。
「士郎! さっきからうるさいわよ!? こんな時間から騒ぎたてる・・・なん・・・て―――」
 現れたのは猫柄パジャマも凛々しく寝癖頭を振り乱した凛である。
「―――なんて、卑猥」
「え!? ・・・ち、違う! 違うんだ遠坂! 自分でもこの状況じゃ無理かなーとか爽やかな笑顔で思ったりもするけど話を聞いてくれ!」
「ん? わたし自身、それは無理にきまってるでしょと鮮やかな笑顔で思ったりもするけど何かしらー?」
 裸にYシャツでGood! と親指を立ててウィンクするランサー。全裸でしゃがみこむセイバー。そしてしきりにシャドーボクシングする凛。
「・・・えっと」
 その情景に士郎は冷や汗を全身に浮かべて覚悟を決めた。
「遠坂の今の格好も、だいぶ刺激的だ」
「っ!」
 凛は慌てて襖のかげに隠れて第3ボタンまで外れていた寝巻きの乱れを直し、寝癖をざっと手で梳いて部屋に戻る。
 そして。
「何を逃げようとしてるのかしら? 衛宮君?」
 障子を開けて窓枠に足をかけた士郎は冷たい声にビクリと震えた。ゆっくりと障子を戻し振り返ると、凛はどこからか取り出した本を片手ににっこりと笑っている。
「あ、ちょっと待ってね? 今『七夜名言録』から台詞選んでるから」
「七夜!?」
「ああ、これがいいな」
 凛はパタリと本を閉じてニッコリと宝石を振り上げる。
「斬刑に処す」

 士郎は朝から閃光に包まれた。


4-2 食卓百景(3)

「いやあ、朝から眼福眼福」
「・・・親父くさいわよランサー」
 朝食の席で満足げに笑うランサーに凛はジト目になった。目玉焼きの付け合せのボテトをフォークで刺して口に運びつつ横に目を向ける。
「・・・・・・」
 隣に座っているのはいつも通り士郎だ。ギシギシとぎこちない動きで牛乳パックに手を伸ばし。
「・・・あ」
「あ・・・」
 ちょうど同時に手を伸ばしていたセイバーの手と軽く交差して二人して素早く引き戻す。
「せ、セイバー。先使いなよ」
「いえ、シ、シロウこそ先に・・・」
 ごにょごにょ言い合う二人に食卓全体が緊張感のある空気で満たされた。
「・・・先輩、セイバーさんと何かあったんですか?」
 笑顔。非の打ち所の無い微笑みで桜が問う。今朝から金属製のものに交換した箸が手の中でミシミシ言ってなければもっといい。
「ふふふ、桜さま。無粋なことを言ってはなりませんよ? お二人とも若いのですから毎日でも、いえ・・・朝昼晩と三回くらいは余裕でしょうし」
「佐々木さん!何のこと言ってるんですか!」
「鍛錬ですが? 旦那様。ふふ、何か違うものでも想像しましたか?」
 口元に手を当てて笑う佐々木に士郎はややぐったりとして視線をそらした。我関せずとばかりに黙々とトーストを食べているアーチャー、膝にあんりとまゆを乗せてその世話をしつつ3つ目の目玉焼きを食べているバーサーカーを通過してその隣でマグカップを抱え込むようにして黙り込んでいる少女に目を向ける。
「メディアちゃん、食べないの?」
「う・・・」
 少女の前に供された目玉焼きもポテトもベーコンも半分に切ったトーストも全く手をつけられていない。手にしたマグカップのホットミルクもほとんど減っていないようだ。
「お腹、減ってないのですか?」
 佐々木に問われ、キャスターはびくっと震えてからブンブンと首を振った。
「べ、別にびっくりなんかしてないもん!」
「はい?」
 噛み合わない答えに佐々木ははんなりと首をかしげる。
「びっくり、ですか?」
「し、してないもん! たくさん人がいたってへいきだもん! 喋ることがみつからないんじゃなくて喋らないだけだもん」
 グレイブディガー。それは墓穴掘り。
「そっか。召還されてからは林の中に隠れてたって言ってたっけ。そりゃいきなりこんな賑やかだったらびっくりするよな」
「うふふ・・・じゃあ、わたくしとお話してくれますか? メディアさま」
 穏やかな笑みに、キャスターは数秒間マグカップの中の白い水面を見ていたが。
「・・・うん!」
 こっくりと、元気よく頷いた。
「では、メディアさまは直刃と乱刃、どちらの焼きの方が好みですか?」
「いきなりマニアックすぎるぞ・・・」
 アーチャーはボソリとつっこんでコーヒーを喉に流し込んだ。
 とりあえず、今朝は何事もなし。平和平和・・・


4-3 Guidepost for a promised Crimson Hill

 セイバー達との朝食が済み片付けと皿洗いを終わらせた士郎は昼前まで起きてこないギルガメッシュとイスカンダルの為に軽めの朝食をラップでつつんで冷蔵庫に入れて土蔵へ向かった。
「昨日の分、取戻しとかないと」
 士郎のような鍛錬好きにはよくあることなのだが、一日でも鍛錬を欠かすとそれまで鍛えた分が全て無くなってしまうような気がするのだ。頭ではそんな筈ないとわかっていてもどうにも落ち着かない。
「ん?」
 そうしてやってきた土蔵に足を踏み入れた士郎は思わず声を漏らした。昼でも薄暗いそこに、先客が居たのだ。
「アーチャー? 何やってんだこんなところで」
 問われ、銀髪の少女はゆっくりと振り向いた。
「・・・おまえを待っていた。ここに来ることはわかっていたからな」
「? 気まぐれみたいなもんなんだけどな」
 士郎は首をひねりながらもアーチャーと向かい合う。
「で、何か用か?」
「衛宮士郎。おまえはそのままで強くなれるとでも思っているのか?」
 問いに帰ってきたのは更なる問い。それも臓腑を抉るような鋭いものだ。
「どういう意味だ?」
「凛に魔術を習い、セイバーに剣術を習う。それで強くなれると思っているのか? おまえの目指す『正義の味方』とやらに届くと考えているのか?」
 それは、いつだって考えていること。あの日、あの縁側で交わした父と呼べる人との最後の約束。
「わからない。でも今はやれることを―――」
 なんとか紡ぎ始めた言葉にアーチャーは首を振った。
「おまえにはその種の才能というものは無い」
 曖昧な誤魔化しなど許さぬとその目は厳しく告げている。
「セイバーを模した所でセイバーにはなれん。凛に師事したところで凛にはなれん。おまえはどこにも辿り着けることはないだろう」
 そう。
 セイバーにしろ凛にしろ、それぞれの技術に対する『天からの恵み(ギフト)』を持ち、それを開花すべく磨いた末の実力だ。それを持たぬ身では、真似た所で身につくはずもない。
 だが。それこそ初めからわかっていたこと。
「それでも・・・強くなりたいんだ」
「正義の味方になる為にか?」
 確認され、士郎は頷く。どんなに無理矢理にでも、そうあろうと願ったのだ。引けない。引くことなど出来ない。
「ああ。その為にだ」
 だから頷いた。
「・・・そうか」
 予想通りの答えにアーチャーは唇を歪めて嘲笑い、かつての記憶通りの台詞を口にした。
「ふん、理想に溺れて―――」
「それと」
 しかし、士郎の言葉は続く。
「みんなが居る今が、なんていうか・・・楽しいんだ」 
 それは士郎の中で芽吹いた錆びつきかけていた感情。あの炎の街で燃え尽きた筈の。
「遠坂にあきれられて、桜を困らせて、セイバーはいつもおなかをすかせていて、ランサーさんにからかわれて、ギルガメッシュさんが威張っていて、あんりちゃんとまゆちゃんが騒いでいて、イスカちゃんが一緒になって騒いで、バーサーカーさんがその面倒をみて、佐々木さんとお茶を飲んだり、メディアちゃんがだんだん慣れていくのを見守ったり、アーチャーにつっこまれたり。この今を守る為に力が欲しいんだ。いずれなりたい正義の味方って夢とは別に、昨日そう思った」
「な・・・」
 アーチャーの中で、用意していた全ての言葉が抜け落ちた。有り得ない、彼女の知らない答えに呆然と首を振る。ようやく組み上げたただ一つの台詞は。
「とりあえず、私の価値はつっこみだけか」
 結局の所つっこみだけだったりして更に混乱が加速する。
「い、いや! そんなことはないぞ! うん、さりげなくみんなのフォローしてくれたりするし、料理も上手いみたいだし何より可愛いし」
「か、可愛い!?」
 バタバタ手を振りながら士郎が言ってきた台詞にアーチャーは思わず数歩後ずさった。
「うん。俺からすると佐々木さん以外では唯一の日本人顔だから親しみやすいしね」
「そ、それは親しみやすいだろう。親しみやすいというか親しみやす過ぎるというか・・・」
 予想だにしなかった台詞にアーチャーは面白いほど簡単に動揺した。
「いいか、衛宮士郎。もう一度考えろ。悪いことはいわない。再認識しろ。私の容姿を見ての感想だ、もう一度言ってみろ」
 妙に慌てて言って来るアーチャーに士郎は首をかしげて考え込み、ポンと手を打った。
「ああ・・・」
「何だ!?」
「言われ慣れてないから照れてるのか。いや、照れなくてもいいと思うぞ。ホントに可愛いから」
「照れとらんわぁあああっ!」
 邪気のない笑顔で言ってきた士郎にアーチャーは召喚されてから初めて絶叫した。昔はよく叫んでたよなあ等と前世の記憶じみたことを思い出したりもする。
「衛宮士郎・・・考え直せ。これじゃあ変態だぞ」
 専門用語ではナルシズムと言う。
「なんでさ。自信持っていいと思うよ?」
「・・・言えば言うほど捻れた台詞になっているのだが・・・わからんのか。わからんだろうな・・・」
 深々とため息をついてからアーチャーはあることに気付き素早く後ろを向いた。
「どうした? アーチャー」
「要点だけ伝える・・・おまえの足元に転がっているガラクタを凛に見せろ」
 その言葉に士郎は足元に目を向けた。そこにはいつも強化の魔術を練習した後に気晴らしで使う魔術の結果がある。
「これはただの・・・」
「失敗作でも何でもかまわん。そこからだ。おまえに才能は無かった。あるのは異能。無駄の積み重ねが成し遂げた、ありえざる道。佐々木の剣と同じだ。ほかにやることが無いのならそれを突き詰めてみろ」
 言うだけ言ってアーチャーは足早に土蔵を後にした。
「ありえん・・・何故私が赤くなどなっているのだ!」
 小声でブツブツと繰り返しながら。
「・・・これ、を?」
 そして士郎は足元のそれを手に取った。
 それは、士郎が初めて行使した魔術の―――


4-4 Impossible Projection

 アーチャーとの会話から十数分後。
「・・・なんであんた達までいるのよ」
 凛は自室・・・正確に言えば自室として割り当てられた客間に集った連中を眺めて呻いた。
 話があると言ってきた本人である士郎は当然だ。キャスターも話の内容が魔術がらみだからいい。だが。
「桜。昼ご飯はどうするのよ。あなた当番でしょ?」
「今日はチャーハンです。今、冷凍ご飯を解凍しているところですから」
「・・・佐々木は?」
「お茶汲みです。気にしないでください」
 それぞれの回答にむぅと唸って凛は最後の一人に目を向ける。
「それで? ランサーはなんなのよ」
「ん? オレ、魔術師だし」
 沈黙が周囲を満たした。
 ランサー=魔術師?
「槍兵なのに?」
 士郎の問いに凛はあちゃーと口に手を当てて顔をしかめた。
「・・・最初に綺礼の奴が言ったのを忘れてたわ。ランサーの真名はクーフーリン。影の国で18のルーンを学んだ一流の魔術師じゃない」
「そ。ちなみに宝具はこいつ、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)』だ。燃費がいいぞ」
「へ、部屋の中で長物を振り回しちゃ駄目なんだもん! ローブのフードがちょっときれちゃったじゃない!」
 ぶんっと振り回された赤い槍を回避し損ねたキャスターの抗議にランサーは豪快に笑い声を上げた。
「いやあ、すまん。でもそんなフードかぶってねぇほうが可愛いぞ? なあ少年」
「ん? ああ、そうだな」
 話を振られて士郎は素直に頷いた。この辺り、無自覚な罪である。
「そ、そうかな・・・えへへ・・・じゃ、じゃあ脱いじゃおうかな」
 キャスターは口元をだらしなく緩めてフードを脱いだ。どうカナ? どうカナ? と上目遣いに士郎の様子を伺う。
「よしよし、これで宝具も構えてたら最高だよな? 士郎?」
「え?」
 唐突な話の振り回しに士郎は戸惑ったが、
『頷け!いいから黙って頷いとけ』
 と目で語りかけてくるランサーの勢いに負けてうむと頷いた。
「そ、そうだな。かっこいい・・・かも?」
「えへ、えへへへへ。おーし!」
 キャスターはもはや満面の笑みで手を胸の前にかざした。
「いくよ? 『破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)!』」
 真名の解放と共に現れたのはジグザグの刀身を持つ歪な短剣。それは明らかに物理的な何か以外のものを与える為の刃。
「ほう、こいつはどんなことが出来るんだ?」
「ふっふっふ・・・なんと! これを突き刺すと宝具以外のありとあらゆる魔術効果をなかったことに出来るんだもん! 凄いでしょ? 令呪だって消せるんだよ?」
 得意満面で言ってしまったキャスターにランサーは満足げな顔で頷いた。
「なるほど。情報提供ありがとよ、キャスター」
「・・・?」
 キャスターは小首をかしげてしばし黙考。そして。
「ず、ずるいっ! 騙した! こいつメディアを騙したよお兄ちゃん!」
「あー、何ていうか・・・」
 泣きついてきたメディアに士郎はなんとなく頭をかいた。
「こうやって神話の中でもコロコロ騙されたんだろうな・・・」
「あらあら、かわいそうですねメディアさま・・・お菓子をさしあげますから、ね?」
 うーうー唸っていたメディアは士郎から佐々木へと泣きつく相手を変え、その膝の上で泣きながら饅頭を齧り始める。
「ランサーさま。子供相手に詐術というのは感心しかねますが・・・」
「・・・ちょっと、オレも罪悪感がわいてきた。一応オレも宝具見せてるんだけどな。あ、ちなみに特性は因果を逆転させて無理矢理心臓に命中したことにする、だ」
 決まり悪そうに情報公開するランサーにため息をつき、凛は改めて士郎に向き直った。
「・・・それで? 結局士郎は何の話があるわけ?」
「ああ、アーチャーにこれを遠坂に見せろって言われて」
 言いながら取り出したのは目覚し時計。いや、目覚し時計らしきもの・・・とでも言うべきか。
「? ・・・なんですかコレ」
 桜はきょとんとそれを見つめる。どこにでもありそうな、円型のボディの上部にベルを乗せたデザイン。だがそれを打ち鳴らす為のハンマーはなく、本体の円型もやや歪。足も片方の角度がおかしい。そして何よりも。
「なんだこりゃ。中身がねぇぞ?」
 手に取ったランサーの言葉どおり、それは肝心の機械部分が入っていないかった。これでは時計と呼べない。
「・・・嘘」
「・・・これって」
 しかし、それを見た凛とキャスターの顔色はコマ落としのような唐突さで変わった。凛は椅子を降りてもぎ取るようにランサーからその時計モドキを奪い取り、キャスターも先ほどまでの不機嫌が嘘のように真剣な顔でそれを覗き込む。
「士郎。まず聞くわ。これはあなたが造った物?」
「あ、ああ。そうだけど・・・?」
 その声の厳しさに士郎は戸惑った。今にも襲い掛かってきそうなほどの怒気が全身を打つ。
「・・・お兄ちゃん。お兄ちゃんは・・・なんなの? 本当に人間?」
 キャスターの声もまた固い。不気味そうに士郎を見上げる。
「そんなこと言われても・・・こんなのただのガラクタじゃないか。気晴らしに作った奴で・・・中身も出来なかったし外見すら完全じゃない」
 きょとんとした顔で説明する士郎に凛とキャスターは同時にはぁと息をついた。苦い顔を見合わせる。
「・・・わかったわ。単刀直入に聞く。これ、投影で作ったのね?」
「ああ。魔力を扱えるようになって最初に使った・・・っていうか、なんとなく出来たのが投影なんだ。その辺の物を設計図に同じようなものを作ってみようって。でも見ての通り中途半端なものばっかでさ、親父にどうしたらいいか聞いたら投影は効率が悪いから強化にしろって。それ以来鍛錬の合間に気晴らしで使うくらいしかやらないな」
 のんきな説明に凛とキャスターは更に唖然として首を振る。
「無茶苦茶ね・・・」
「信じられない。お兄ちゃんの師匠の人が言うことはわかるけど・・・前提条件が狂ってるもん」
「? ・・・どういうことだよ」
 魔術の系統が違う為にいまいち理解できないランサーに凛はキッと視線を向けた。
「これは投影っていう魔術で造られたものよ。投影ってのはその名の通りイメージをこの世界に投影して魔力を流し込み実体化する術よ。理論上はありとあらゆるものが作れる万能に近い魔術」
「ん? その凄ぇ術が少年みたいな未熟者に使えたから驚いてるのか?」
 ランサーの言葉に首を振ったのは士郎本人だった。
「いや、投影って難しくはないぞ? 構造を把握して魔力を通すってのは基本だし、強化と違って魔力を通す相手が自分のイメージだから抵抗もないし」
 のんきな説明にキャスターは目を丸くして首を振る。
「何言ってるのお兄ちゃん!? 逆。それ逆・・・」
「きっちり説明するけど・・・士郎、強化と投影を比べるなら、投影は遥かに難しい魔術よ。粘土をこねて形を変えるのと粘土そのものを作り出すこと。どっちが難しいと思ってるの?」
「え・・・? でも俺は・・・」
「シャラーップ! 士郎の認識はあくまでも士郎の見方を元にしてるから対象外! ああもう、まさか士郎がここまで突き抜けた異能だとは思わなかったわ」
 凛はため息と共に首を振った。
「核心を言うわ。魔力ってのは基本的に自分の体内でしか存在し得ない。その特性をカバーする為にわたしの宝石みたいな入れ物を作って保存する。でもこれってかなり難易度は高いわ。ここまではOK?」
「ああ、なんとか」
 よろしいと頷く凛教授。
「じゃあコレ。この時計は士郎の魔力で作ったんでしょ? それが何故ここにあるの?」
「それは、物質化してるから・・・あれ? そういや昔、魔力は変化させても魔力としての性質は失わないとか聞いたような?」
 士郎は首をかしげて自分の魔術の失敗作を眺める。
「わかった? その異常さが。詳しいことは調べないとわからないけど・・・永続性のある投影なんて、常識じゃ考えられない。キャスター、貴女の時代ならできたりした?」
「無理な筈だよ。物質創造ならいくつか知ってるけど・・・イメージから自在に具現化できて、しかも永続するなんて不可能だもん」
 最新の魔術理論と神代の魔術知識の両方に否定されて士郎はむぅと首を捻る。
「・・・おっかしいなあ」
「おかしいのはあんたよ!」
 即座につっこみ凛はもう数えるのも馬鹿らしくなったため息をついた。
「言っとくけど、わたし以外の魔術師がこれ聞いたら士郎の身が危ないわよ。下手すれば脳髄だけひっこぬかれてホルマリン漬けにされかねないんだから」
「・・・なんでこっちみるのよぅ」
 キャスターの呟きを無視して凛は士郎を睨む。
「とりあえず・・・もしこれが本当ならとんでもないことなわけだし昨日の件も頷けるわ。そうね、現状を把握したいしここで一度やってみてくれる?」
「ああ、いいけど。何を投影しようか」
 気軽に聞いてくる士郎に凛はふむと頷いた。
「そうね・・・どうせなら実戦に繋がるものがいいけどあんまり物騒なもんを中途半端な精度でぶちまけられても困るし。だれかナイフとか持ってない? わたしのだとどれも魔力篭ってるのよ」
 その言葉にぽんと手を打ったのは佐々木だった。
「では、これなどいかがですか?」
 言いつつ手を一振りすれば、どこからともなく現れる小ぶりの果物ナイフ。
「・・・今、どこから出したんですか?」
 きょとんとした顔の桜に佐々木は悪戯に笑う。
「大道芸、です」
「・・・ま、いいわ。おもしろいから今度教えてね」
 凛は言いながらナイフを受け取り、それを士郎に見せる。
「じゃあこれを投影してみて。慎重に、だからね」
「ああ。わかった。やってみるよ」
 士郎はそう言って息を整え・・・
「魔力回路、形成・・・」
 自らの脊髄に貫通させるようなイメージで、魔力回路を作り上げた。
「げ!?」
「な・・・」
「お兄ちゃん!?」
「先輩!?」
「?」
 佐々木以外の全員が等しく驚愕するのを不思議に思いながら士郎は目の前のナイフを解析する。なんて事のない、大量生産のナイフだ。だがその研ぎは凄まじい。もとの刃全てを潰して新たな刃が削りだされている。その鋭さは武器として十分に通用するほどだろう。
「基本骨子解析・・・よし、投影開始。骨子想定完了、材質複製・・・投影、完了」
 そして数十秒の果て、そこにナイフが現れた。凛が持ったものと寸分違わぬフォルムをしたものが。
「・・・・・・」
 沈黙。魔術を使うもの全員の目が士郎に向けられている。
「・・・どうしたんだ?みんな」
 きょとんとした顔で聞いてくる士郎に・・・
「ば、馬鹿? あんた馬鹿なの!? ねえ、頷くでしょ? 正気じゃないわよね!?」
 凛はがあーっと吼え猛った。
「な、たしかに馬鹿は馬鹿かもしれないけど・・・何がさ。いきなり」
「あんた毎晩魔術を練習してるのよね!? まさか毎回毎回今の手順で!?」
「いつもは強化だから細部は違うけどな」
 士郎の回答にメディアはひくひくと頬を引きつらせた。
「それ・・・遠まわしな自殺?」
「は? なんでさ」
「もう・・・段々殺意がわいてきたわよ。あんたの師匠に・・・」
 凛の台詞に珍しく士郎はムッとした顔をした。
「ちょっと待った。俺は確かに馬鹿だし未熟な魔術師だからなに言われてもしょうがないけど・・・切嗣は立派な魔術師だったぞ。そこは訂正してくれ」
 鋭い表情で言ってくる士郎に凛はうっ・・・と言葉につまり、しばらくして素直に頭を下げた。
「・・・ごめん。あなたのお父さまを馬鹿にするつもりはないの。ちょっと興奮して」
 ばつの悪そうな表情にニヤリと笑ってランサーが話を引き継ぐ。
「まあそんな怒るなって。大事な少年の身が危ないんでちょっと血が上っただけなんだからよ?」
「な、何言ってんのよあんた!」
「えっと、あっちの色ボケは無視して話を続けるね? お兄ちゃんは今、魔術回路を作ってたよね? 一つ間違えると肉体を破壊することもあるのに」
 キャスターの指摘に士郎はうんと頷く。
「そうだけど・・・でも魔術使うなら当たり前だろ?」
「クラッカーなわけないでしょ!? 魔術回路って奴は一回作ったら身体に残るもんなのよ! 眠ってるそれを起こすだけで使えるの! だから二度目以降はスイッチを入れるみたいにON/OFFが切り替えられるのよ!」
 初耳なことに士郎は目を丸くする。
「はあ・・・きっとアレね。あなたのお父さんもまさか毎回毎回作ってるなんて思わなかったのね」
「普通、一回魔力を通した時点で身体がスイッチ作りますものね」
 凛どころか桜にまで言われて士郎はタラリと汗をかいた。
「それってひょっとして俺が・・・」
「とんでもなく才能がないってことだな、少年」
 気の毒そうな表情で、しかしキッパリといわれて士郎はしょぼーんと肩を落とした。わかっているつもりでも再認識させられるとチト辛い。
「・・・とりあえず、最初の問題が見えてきたわね。士郎ちょっとこれ飲みなさい」
 凛はそう言って机の引出しから小さな赤い宝石を取り出した。
「それは?」
「特に方向性をつけずに魔力を封じてあるわ。飲み込むと普段より多めに魔力が身体に流れる。さっき言ってたスイッチが入った状態になるからそれを身体に覚えさせれば次からはあんな馬鹿なことしないですむ筈よ」
 士郎は淡々と説明する凛から宝石を受け取り、しばし迷ってからそれを飲み込んだ。途端、体中に熱が満ちるのを感じる。
「うわっ!? なんだこりゃ!」
「ああ、それと」
 凛は腕組みをしながら告げた。
「うまく回路が開かなかった場合、かなりヤバイからよろしく」
「よろしく!? ちょ、遠坂!?」
 途端慌てだした士郎に凛は苦笑して肩をすくめた。
「ま、大丈夫よ。暴走しだしてもこんだけ魔術師が居れば治療できるわ」
「ぼ、防止できるわけじゃないんデスカー!」
「さて、次は投影されたものの鑑定と行きますか」
「無視!? 無視なのか遠坂!?」
 叫びつづける士郎から目をそらし、凛はぼそっと呟いた。
「・・・大丈夫。いざってときはわたしが責任とるから。信じて」
 瞬間、それまでの動揺が嘘のように士郎は頷いて見せる。
「わかった。信じる」
「・・・お兄ちゃん、調子いいね」
 呆れたようなキャスターの呟きに士郎は首を傾げた。
「なんでさ。遠坂が信じろっていうなら多分大丈夫だろって思っただけだよ。こういう時に適当な事言う奴じゃないし」
「・・・ずいぶん姉さんを信用してるんですねっ! 先輩は!」
「な、何故桜が怒る?」
 わけがわかっていないただ一人の男を無視・・・全力で無視して凛は投影された短剣をびしっと指差した。
「どうでもいい横道にそれないっ! 今見るのはこれ!」
「嬢ちゃん、とりあえずその真っ赤な顔をなんとかしたほうがいいぞ?」
「う、うるさいわね! 暑いのよ!」
 背後に虎でも見えそうなほどの勢いで叫ぶ凛にニヤニヤと笑みを浮かべながらランサーは投影ナイフを手に取った。
「ふ〜ん、ちゃんと持てるな。実体はある」
「凄い! 先輩、ちゃんと出来てますよこれ!? 形も歪んでませんし中まで金属ですし!」
「いえ・・・」
 興奮した様子の桜に対して否定の言葉を放ったのは佐々木だった。静かに首を振って続きを口にする。
「それは完全な状態ではありません。たしかに刃物としては再現されておりますが・・・わたくしが手を加えた部分がございませんから」
 その台詞に士郎も頷いた。
「そうだな。なんていうか、物体としては出来たと思うんだけど、存在する根幹とかそう言ったものが欠けてる。多分何かを切ろうとしたら砕けてしまうんじゃないかな」
 ランサーはそれを聞くとナイフの刃で机を軽く叩いてみた。途端。
「を」
 パリン・・・と軽い音を立てて刃が砕けた。仮想は幻想に戻り、欠片も残さずに消えて行く。
「やっぱり。本当に再現するならそれが作られた技術も模倣しなくちゃ駄目か・・・あるいは出来上がるまでの経験や歴史に至るまで共感する必要があるのかも。むしろ八節に分ければいい気も・・・ああ、なんか掴めそうなのに頭がぼぅっとして考えが纏まらないな・・・」
 取り付かれたようにぶつぶつ言い出した士郎に凛は肩をすくめた。
「魔力が過充填されてる影響よそれは。今日一日くらいはそんな感じかしらね」
 言って、キャスターの方に目をやる。
「キャスター、あんたは投影使えるの?」
「トーサカ達とは魔術の区分けが違うけど・・・まあ、似たようなものは使えるよ。でも多分お兄ちゃんの参考にはならない。やり方そのものが違うみたいな気がするんだもん。メディアの投影は核を作ってその周りに魔力を被せる感じだけど、お兄ちゃんのは魔力で骨組みを作ってそこに魔力を張り渡してく感じだよ。本質を表現するっていう魔術理論には反するけど設計図があるわけだから遥かに強固なものは出来るってかんじじゃないかな」
 その説明に桜とランサーはうむと同時に頷いた。
「何を言ってるのかさっぱりだ」
「わからないですね・・・・」
「そもそもの魔術系統が違うランサーはともかく、桜・・・あんたはこれまで何学んでたのよ・・・」
 最後にもう一度息をついて凛は一同に解散を言い渡した。
「わたしも投影魔術は使えないから投影そのものに関しては自分で掴んでもらうしかないみたいだし、とりあえず今はこれだけね。わたしはキャスターと士郎用の薬とか作っとくからこれで解散」
「そうだね。メディア、死んでも生き返れるような治療薬作っとくから・・・」
 厳粛な面持ちで告げる魔術師二人の言葉に、士郎は、とても嫌な顔をした。


4-5 剣を鍛つ

 士郎は凛の部屋を出た後ふと思いついて道場に向かった。
「お、少年。体動かすのか?」
「あれ、ランサーさんついてきてたんですか?」
 いつの間にか隣に並んでいたランサーにそう言ってから士郎は頷く。
「アーチャーが言ってたんで思いついたんですけど、セイバーに剣の稽古をつけて貰おうと思って。サーヴァント相手ならともかく魔術師同士で戦うなら役に立つだろうから」
「ほうほう、そいつはいいな。オレも混ぜてもらうぜ」
 そんな事を話しながら道場に入るとセイバーは中でじっと正座をしていた。静謐な雰囲気に見とれながら士郎は声をかける。
「セイバー、ちょっといいか?」
「はい? ・・・っ、シロウ」
 目が合った途端朝のことが二人の脳裏に蘇った。互いに赤くなった顔で目をそらし喋れない。
「なんつうか初々しいのはいいんだけどちょっと話が進まねぇな・・・おいセイバー。少年がおまえさんに剣の稽古をつけて欲しいってさ」
「剣を?」
 自らの根幹を成すキーワードにセイバーはすっと平静に戻った。
「シロウ、そうなのですか?」
「ああ。迷惑じゃなければお願いしたいんだ。今の状況にも、これからの俺にも大事なことだと思うから」
 その言葉にセイバーはやや嬉しげに頷いてみせる。
「わかりました。私でよければお相手いたしましょう」
「・・・その稽古とやら、私も混ぜてもらおう」
 そこに第三の声が割り込んだ。道場の戸をくぐってきたのは銀髪の英霊。
「アーチャー、あなたがですか?」
「ああ。弓兵だから接近戦が出来ないなどということは無い」
 アーチャーは悠然と腕を組み不敵に笑う。その表情に、横合いから笑い声がかけられた。
「いいねぇ。そろそろセイバー以外ともやってみたかったところだ」
 ランサーはすっと右手を横に伸ばした。空の手にスッと赤い槍が現れる。
「どうだ? 少年を苛める前にオレと遊んでみねぇか?」
「ランサー! 宝具を出すのはやりすぎではありませんか!?」
 セイバーの静止にランサーはニヤリと笑って魂突きの魔槍を構えた。
「前々から思ってたのさ・・・こいつは俺達の誰と戦っても勝てる自信があるってな。絶対に負けは無いって信じてる顔してやがる。そんな奴とは・・・竹刀とか模擬槍なんかで打ち合ってられねぇからな」
「ふん・・・いいだろう。確かにこの身には」
 アーチャーは鋭い視線で『敵』を見据え、自然な動きで腕をすっと伸ばす。刹那、そこには短刀が握られていた。両の腕に一本ずつ。白と黒、二色の刃がそこにある。
「ただの一度も、敗走は無い」
「はっ! オレもだぜ弓兵! ひとつここは・・・」
 好戦的な笑みがすっと床へ沈む。極端な前傾姿勢をとったランサー、その体が・・・跳ぶ!
「どっちが本当の負け知らずか試してみようじゃねぇか!」
「・・・来い!」
 刹那、ギィンという金属音が響いた。瞬間三合、三度に渡って切り結ばれた槍と短刀のぶつかり合う音はあまりのスピード故にただの一度の如く士郎の耳を打つ。
 打ち込む槍は野性的な鋭さで持って牙の如くアーチャーを刺し穿ち、双刀は堅実にして精緻な技術で持ってそれを全て受け流した。
「凄い・・・!」
 士郎は思わずそう漏らす。
 本気ではないのだろうがサーヴァント同士のぶつかり合いと言うものは想像を更に超える戦いであった。むしろ肉眼で捕らえていることが奇跡とも思える速さと精度でもって二種の凶器が互いの肉体をかすめ、そして通過する。
「ランサーの方はこれまでも何度か手合わせしていたので知っていましたが・・・アーチャーの技術、それに劣る物ではありません」
「互角・・・なのかな。俺にはどちらも遥かに格上としかわからないけど」
 言葉を交わすうちにアーチャーが動いた。左の受け流す動きと同時に右足を大きく踏み出し間合いを詰める。
「ランサーさん危ない!」
 槍の間合いよりも半歩踏み込んだアーチャーの容赦ない突き。ランサーのゲイボルグはその刃先が敵の背後にあり、受けには使えない。
 刃先は。
「たぁあああっ!」
「!」
 瞬間、アーチャーは反射的な動きで身体を後ろへ倒していた。顎の先を赤い何かが通過するのを確認して後方へ離脱する。
「いい動きだぜ。だが槍ってのは・・・」
「柄頭の使い方が重要。知っている」
 流麗な動きで2メートル程の間合いを開けた二人はしばし睨み合い、どちらからともなく武器を下ろした。
「この位だな。これ以上やると殺しちまうかもしれない」
 にっと笑ってランサーはゲイボルグを消す。
「ふん、私はそれでも構わんがな」
 言いながらもアーチャーの手から双剣が消えた。アーチャーはそのまま踵を返し、道場から出ていった。
「・・・せいぜいあがくがいい」
 士郎の方をちらりとだけ眺め、ぼそぼそと口の中で呟きながら。
「くっくっく・・・いやあ、青春だなあ少年。何時の間にフラグを立てたんだ?」
 バシバシ肩を叩かれて「?」という顔をしている士郎にセイバーはとりあえず保留していた問いの答えを返す。
「さっきの続きですが、接近戦限定で考えればランサーに分があると私は見ています。ですが、それはあくまで決め手になる技を封印した状態での話です。宝具の使用は言うまでもないですが、双方隠し技を多数持っているはずですから」
「そだな。そもそもあいつはアーチャーなわけだし弓にしろ何にしろ飛び道具が決め技の筈だぜ。さっき持ってた剣・・・宝具なのかね? あれは。あれだってバランスからして投擲可能だしな」
 ぺとーんと士郎の背中にもたれかかるランサーにぴくりとふるえながらセイバーは竹刀を手に取った。
「・・・シロウ、確かあなたは剣の鍛錬に来たのだと思いましたが?」
「あ、ああ。そう。相手してくれるか?セイバー」
 離れがたい柔らかさを意思の力で振り切って士郎は常備してある竹刀を手に取った。
「では、少々鍛えさせてもらいます。まずは実力を見るという意味で、自由に打ち込んできてください」
「・・・ああ」
 静かに言ってくるセイバーに士郎は頷き、慎重に間合いを測る。が、
「せい」
 瞬間、セイバーの竹刀が士郎の額を強打していた。
「ったぁああ・・・う、打ち込んで来いって・・・」
「ペナルティです。間合いを悠長に計っていて良いのはそれなりに相手の攻撃を防げる場合のみです。事実、シロウは反応すら出来なかったではないですか」
「ちなみに、ここまで実力差が開いてる場合は逆転の手段なんてほぼ無いぜ少年。一番良い手は降参することで二番目は逃げることだ」
 壁際にあぐらをかいて言ってくるランサーの声を背に士郎はもう一度構えを取る。
「ようは、練習だから何も考えずに突っ込んで来いと・・・たぁああああ!」
「だからと言って考え無しでいいというわけでもありません」
 べちっと再度竹刀が額を痛打。
「ぉおおお・・・」
「踏み込みのタイミングは悪くないのですがそんなに無防備では額を叩き割ってくれと言っているようなものです。実戦なら真っ二つですよ?」
 淡々と言ってくるセイバーに士郎は三度竹刀を構えた。
「とにかく先手を・・・!」
 先ほどよりも更に鋭い踏み込みと共に士郎はコンパクトな振りで竹刀を振り上げたが・・・
「考え方は悪くありませんね。ですが」
 あっさりと竹刀を弾かれた。丸腰の士郎の額をセイバーは容赦なくべちんと打つ。
「なんか、痛いのになれてきた」
「よかったな少年。新しい世界の目覚めだぜそれは」
 そして、30分が過ぎ。
「・・・・・・」
「あ、あの、シロウ?」
「・・・っ・・・ぅ」
「あー、なんつうか、ある意味生きてるってのが凄いな」
 途中から混ざり始めたランサーとセイバーに二人がかりでボコボコにされた士郎は物も言えぬ疲労状態で道場の床に倒れ伏していた。
「お、俺、どうなんだろ一体・・・」
「おそらく、今シロウが思っているほどに弱くはありません。むしろ優れた身体能力をしていると言えますね。おしむらくはそれが基礎に留まっており技術力が無い点ですが、それは今後学んでいけば良いことです。満遍なく均等に鍛えられたあなたの体は最良の心鉄のようなもの。これから鍛えていけばいかような剣にでも成長することでしょう」
 賛辞にありがとうと答えて士郎は立ち上がった。散々打たれた身体だが、しばらく寝ているうちに消費した体力と共に痛みも消えて行く。
「よし、とりあえず回復した」
「少年、本当に頑丈だなあ・・・結構本気で殴ったのに」
 感心したように呟くランサーに苦笑して士郎はふと首をかしげた。
「そう言えば、アーチャーは何しに来てたんだろ? さっきの。稽古に混ぜろとか言ってたのにさっさと帰っちゃったし」
「そうですね・・・ランサーとの模擬戦で満足したのでしょうか?」
 二人して首を傾げるマスター&サーヴァントにランサーはニヤニヤと笑みを浮かべて人差し指を立てて見せる。
「そんなもの、理由は一つしかねぇだろ?」
「わかるのですか? ランサー」
 問われ、槍兵は深く頷いた。
「お手本だろ? ありゃあ。なんでかわからねぇけどあいつは自分の動きが少年向きだって見抜いてるんだと思うぜ?」
「アーチャーの動きが俺向き? そうなの?」
 きょとんとする士郎にランサーは肩をすくめた。
「気付いてなかったのか? さっきの打ち合いで少年がいいとこまで行ったときの動き、どれもアーチャーそっくりだったのに」
 ランサーの指摘にセイバーはちょっと不機嫌そうな顔になった。
「・・・そうですか」
「・・・セイバー?」
 不穏な空気に士郎は思わず後ずさる。デンジャーデンジャー! 金色小型低気圧接近中!
「シロウは、アーチャーの方が好みですか」
「は!? な、何言ってるのさセイバー!」
 アラート! 経験則からして脱出を推奨! ただし成功確率は0.0000000001%! 某決戦兵器の起動確率並!
「ああ、そりゃいけないよな少年。セイバーのマッパまで見といて」
「ぅえぉ!? い、いや、そもそもそれは関係無いでしょランサーさん! ロケットで突き抜けますよ!?」
 わけわからん。
「駄目です・・・」
 一方、セイバーはプルプル震えながらそう呟いた。
「う、せ、セイバー。とりあえず落ち着こう。な?」
「し、シロウは私のマスターです! わかっていますか!? それをなんですかデレデレと!」
「をー、なんか妙なプライドつついちまったみたいだなー」
「何を他人事みたいに! つついたのはあなたでしょうが!?」
 心の警報に急かされて士郎は慌てて竹刀を握った。
「・・・ふふふ、そんなに緊張することはありませんよ、シロウ」
 笑み。この家の連中は笑ってる時のほうが怖いのはなんでだろう?
「さあ、練習を続けましょう、シロウ。お昼まであまり時間がありません」
「待てセイバー! なんか怒ってないか!?」
 片手を待ったと伸ばした士郎へと・・・
「怒ってなどいませんッッッ!」
 セイバーは物凄い勢いで竹刀を打ち込んだ。
「けぴ」
 ぱんっっという猛烈な打撃音と共に、一度あがった士郎の手がパタリと落ちる。
「おーい少年〜、ひとつ指摘しとくとだな〜」
 へんじがない。ただのしかばねのようだ。
「怒ってるわけじゃねぇんだよな。コレが」
「シロウ! だらしが無いですよ! まだ時間はあるのですから存分にアーチャーの動きを真似して見せたらいいではないですか!」
 竹刀片手に涙目のセイバーを眺めランサーはくく、と喉で笑った。
「焼き餅っていうんだよ、そいつはな」
「さあ、起きるのですシロウ! シロウ? む・・・? 寝ているのですか?」

 

4-6  挑戦

「う・・・」
 士郎は軽く声をあげて意識を取り戻した。やや曖昧な記憶は迫り来るセイバーの竹刀で終わっている。
「あー、俺気絶してたのか」
 ため息と共にもう一度目を閉じる。どうやら座椅子か何かに寝かされているらしい。上半身がやや起こされた状態になってるようだ。
「はぁ・・・」
 士郎は息を吐いて体の力を抜き、柔らかなそれにもたれかかる。
 落ち着く。なんだか、とてつもなくリラックス状態だ。座椅子の枕の感触が何時に無く気持ち良いのが原因だろう。
 暖かく、柔らかく、なんとなく今朝もこんな感じを味わったような・・・
「ってまずいだろコレ!?」
 その正体に見当がついた士郎は慌てて目を開ける。ぼやけていた視界が焦点を結ぶとそこに・・・
「よっ、お目覚めか王子様」
 ニヤニヤ笑うランサーの顔がドアップで映った。
 近い。無茶苦茶近い。額と唇が触れそうなほどに近い。
「膝枕ってのもお約束過ぎるかなーって思ってな」
 士郎は、床に座ったランサーにもたれかかって居た。大きく広げられた足の間に身体を入れ、背後から抱っこされているような状態になり、頭はその豊かな胸に・・・
「って胸枕ぁああああっ!?」
 士郎は脳の血管が千切れそうな程の絶叫をあげて立ち上がった。そのまま転がるように壁際に退避する。
「なんだ、もういいのか? しばらくくつろいでくれていーのになー?」
「む、無茶言わないでください! その前に死にますよ俺は!」
 再度叫んで士郎は辺りを見渡した。まだ道場かと思いきや、今居るのは士郎の部屋だ。どうやら気絶した後運ばれたらしい。
「いやあ、純情だなぁ少年。可愛い可愛い」
 ランサーはカラカラとひとしきり笑い、ふと真顔になってその場に座りなおした。
「ところでだ少年。おまえの魔術をもう一度見たくてオレは待ってたんだがな」
 真面目な表情に士郎は恐々ランサーに近づきその近くに座る。
「何故です? ランサーさんのことですから何か思惑があるんですよね?」
「ああ。ふと思いついたんで少年が寝てる間ずっと考えてたんだけど、時計と果物ナイフだと完成度が明らかに違ったんだよな。時計の方で感じた無理矢理作った感じがナイフではなかった」
 それは士郎自身感じていたこと。あの投影は何か、自分の中のパーツがガッチリと噛みあうような感触があった。
「で、オレなりにおまえの方向性が見えたんで一つ、そいつを実践してみようと思ったわけだ」
「方向性・・・ですか?」
 そう言えば凛の『五大元素』のような属性判定をしたことが無いなと士郎は首を傾げる。
「そう。おまえ、武器専門なんじゃねえか?」
「武器・・・」
 また一つ、こころのかけらが埋まっていく感触。
「直感だけどな。昨日キャスターの魔術を防いだのも投影だとするとオレのイメージと合うんだ。一瞬しか見えなかったけどあれも剣だった気がするからな。武器か・・・さもなきゃ剣限定、そんなかんじだ」
 言ってランサーは楽しげに笑う。
「だからさ、もう一回武器を投影してみようぜ? 朝のときなんかブツブツ言ってたってことはコツが掴めそうなんだろ? 魔力不足ってのは宝石飲んだ今はねぇだろうし、ひょっとしたら完全なもんができるかもしれないぜ?」
 言われ、士郎は自分の手を見つめる。
 剣。
 剣を、造る。その意思は心に馴染む。ずっと昔からそれだけをやっていたかのように。
「・・・わかった。やってみる」
 だから士郎はその感触を信じた。
「さっきの果物ナイフを投影してみればいいんですか?」
「いや、もっと少年に密接な関係のある剣を一つ」
 ぐっと真面目な顔で・・・不自然な程に真面目ぶった表情でランサーは士郎に迫った。
「密接な、剣?」
 うむと頷き、ランサーは呼吸を感じるほど近くに顔を寄せて真下を指差す。
「ほら、その股間の立派な剣をひとつ」
「下品でかつ親父ですよランサーさん」
 冷たい目で士郎はぼそりと呟いた。
「・・・そんな顔しなくてもいーじゃん。力んでるからちょっとリラックスさせてあげよーとしただけなのによぉ」
 すねて唇を尖らせるランサーに士郎はため息をついた。次いで苦笑がこみ上げる。
「ありがとうございます。ランサーさん。方法はともかくなんか無茶苦茶リラックスはしましたよ」
「おう。どういたしまして、だ。じゃあやってみようか。例のナイフで」
 頷き、士郎は精神を集中させた。魔力は既に身体を巡っている。確かに新しく回路を作るまでも無い。
 ならば。
「投影、開始(トレース・オン)」
 必要なものは手順、そして魔術に負けぬ精神のみ。
 ――創造の理念を鑑定し
 ――ランサーが無意味に踊りだし
 ――基本となる骨子を想定し
 ――ランサーがセクシーポーズをするのを無視し
 ――構成された材質を複製し
 ――Tシャツをめくり上げるランサーから目をそらし
 ――製作に及ぶ技術を模倣し
 ――ジーンズのボタンを外し始めるのを片手で阻止し
 ――成長に至る経験に共感し
 ――ちぇっとむくれるランサーが可愛いかなと思い
 ――蓄積された年月を再現する。
「つぅか邪魔しないでくださいよ投影完了(トレース・アウト)!」
 そして呪文と共に全てが定着した。イメージの中にしかなかったナイフは魔力で作られた血肉を纏い、目の前に確かな形で結実する。
 ・・・ただし、何故か刀身が螺旋に捻れたものが。
「ぉぉ、新しい方向性の開眼?」
「・・・邪魔されたから歪んじゃったじゃないですか」
 士郎はむくれた表情でぼやいた。確かに途中までは出来そうな気がしていたのだが、外界の情報から目をそらそうという意識の働きが余分なイメージを設計図に加えてしまったのだ。
「いや、これはこれでありだろ。そもそもさっきのより完成度は高いぜ。属性そのものに螺旋が組み込まれてるから突き刺したら物凄い勢いで抉るんじゃねぇか?」
 士郎の表情に構わずランサーは螺旋短剣を手に持って何度か振ってみる。
「んー、惜しむらくは基礎がなってねぇ。専門的なことはわかんねぇけどな」
 呟いて机の本を一冊掴むと、それを軽く放り投げて螺旋短剣をそこに突き立ててみる。
 ギュ、と紙の擦れる低い音が響き、わりと分厚い参考書に綺麗な円状の穴が貫通した。同時にナイフも魔力に還り消滅する。
「アレンジになった分基本骨子の形成が甘かったか。そっちに魔力を多く振り分けないと使い捨て同然だなこりゃ。でも何とかしようとしたら魔力が物凄い量必要になりそうだし・・・」
 むぅと首を傾げる剣鍛者にランサーは笑みを浮かべた。満足そうにその肩をバンバン叩く。
「ははっ! ともかくやったじゃねぇか少年! 嬢ちゃんやキャスターにもできねぇことがやれそうだぜ!?」
 言葉と共に士郎はがばちょと抱き寄せられた。引っ張り寄せられた頭が豊かな胸の狭間に押し込まれ目の前がピンク色の闇に閉ざされる。
「ひょ、ひょっひょ、ひゃいふぁーひゃん、ひひふぇふぃふぁい! はっふ! はっふ!」
「あははははは! くすぐってぇじゃないか少年。こいつめ、こいつめー!」
 酸欠を訴える士郎の言葉を欠片も理解せずランサーは抱きしめた頭を拳でグリグリやる。いわゆるウメボシという拷問技術だが、近代日本で生まれたこの技をいつ彼女が身につけたのかは定かでない。
「もご・・・ご・・・」
 ぴったりと密着する幸せな処刑遊具に士郎が本気で覚悟を固めかけた時。
「先輩、お昼ご飯できまし―――」
 ふすまが開いた。
「ふぁふふぁふぁ(桜か)!?」
 その声に助けを求めようした瞬間、ふすまは容赦なく閉じる。
「ぷはっ! 桜!?」
 同時に士郎を楽しませ・・・もとい、苦しめていたやわらかなアレも顔から外れた。荒い息と共に士郎はふすまの方へ目をやり・・・
「うわっ!? なんじゃこりゃああ!?」
 なにやら黒いものが閉じたふすまのその隙間から染み出してくるのを見つけて悲鳴をあげた。
「なんか影が! 影が入ってきた! うぉあ! 絡みつきますよランサーさんっていねぇー!」
 サバイバー、既に脱出済み。
「き、汚いぞランサーさん! うわっ! 桜! 待った! ちょっと待った! そこ駄目! そこ! そこは出すとこ! 入れちゃ駄目! ああ、あぁあああああああ・・・!」
 悲鳴、むせび泣く声、そして静寂。

 それは、舞い散る薔薇のように・・・


4-7 ランサー先生のリラックス講座

「投影完了(トレース・オフ)!」
 数十分後、昼食を食べてなんとか心の傷を癒した士郎はランサーに急かされながら一同の前で投影を行った。
 だが。
「・・・駄目じゃない」
 出来上がったのは刃の無い短刀。むしろ朝よりも退化してしまっている。
「おかしいな・・・魔力使い切ったか? 少年」
 ランサーの問いに士郎は手をぐーぱーしてみる。
「そうでもないんだけど・・・なんか集中できなくて」
 首をひねる士郎にランサーはふむふむと考え込んだ。さっきと今で違うことといえば・・・?
「ひょっとしてさっきはオレが邪魔してたんで逆に集中できてたんじゃねぇかな?」
 やがて出た結論に凛は形のいい眉をきゅっとしかめた。
「それって・・・もう一度投影中に邪魔すれば何か掴めるかもしれないってことかしら?」
 問われ、ランサーはひょいっと肩をすくめる。
「その可能性はあるってだけだけどな。外界からの干渉を閉ざそうって内面に埋没したのがよかったんじゃねぇかと」
 その説明に今度は桜がおずおずと手を上げた。
「・・・じゃあ、その。先輩が集中しだしたらこっちでも何かやってみるんですか?」
「そう、ね。なにか気は乗らないけど」
 難しい顔で頷いた凛に士郎はぐったりと嫌な顔をする。
「・・・無茶はよさないか遠坂」
「わたしに言わないでよ。とにかく再現実験は必要よ。みんな、わかったわね?」
 うんと頷く魔術師一同。ちなみに佐々木はお茶菓子が切れたと買物中である。
「はあ・・・じゃ、ま。投影、開始(トレース・オン)」
 何やかんや言って、サーヴァント達に出会う前にやっていた記憶と比べて格段に上達している実感はある。自分でも驚くほどのそれを試してみたい気持ちはあるのだ。士郎は魔術回路を少し苦労しながら開き、本日三度目になる設計図を目の前のテーブルに展開した。
 ――創造の理念を鑑定し
 ――ランサーが薔薇をくわえ
 ――基本となる骨子を想定し
 ――桜が自分の頬を横に伸ばしそれがまたよく伸び
 ――構成された材質を複製し
 ――セイバーがあたふたしながらミカンをまるごと口に入れはしたないぞセイバー
 ――製作に及ぶ技術を模倣し
 ――キャスターが大人モードに変身して「誘惑の目(ルック)」でこちらを見つめ
 ――成長に至る経験に共感し
 ――凛が片手を軽く丸めて手招きするようなポーズをとって「にゃん」と鳴き
 ――蓄積された年月を再現・・・
「できるかぁっ!」
 集まりかけた魔力は一気に霧散した。
「ちぇ、やっぱり嬢ちゃんが一番破壊力あるのか」
「い、今のは姉さんのネタが先輩のツボに入っただけです!別に個人の魅力じゃ・・・」
「ふふん・・・これが姉の実力ってものよ?さくらさん?」
「・・・・・・(恥ずかしい)」
 騒ぎ出した一同に士郎はがくっと肩を落とした。
「やっぱり関係ないよコレ。大体、もしそれで上手く言ったって実質なんの使い道も無い手順じゃないか」
 士郎の指摘に一同は顔を見合わせ。
「「「「「確かに」」」」」
 一斉に頷いてきた。
「・・・・・・」
 はぁと息をつく士郎に凛は気まずげに笑って肩をすくめる。
「まあ、一応出来るようにはなったしスイッチも付いたみたいだから大きな前進じゃない。暴発しないんなら後は繰り返して経験を積むだけよ。そういうの、得意でしょ?」
「・・・そうだな。焦ってもしょうがない。もともと才能無いんだから努力だけは負けないようにしないとな」
 言って士郎はお茶を入れるために立ち上がった。


 しばしの休憩をはさんで凛とキャスターは仮設工房と化している凛の部屋に戻り、セイバーは桜と共に夕飯の買出しに向かった。最近、食に関するお手伝い魂に目覚めている元王様である。
「さて、俺はもう一度土蔵で鍛錬してきます」
 ただ一人その場に残ったランサーに士郎はそう言って席を立ったのだが。
「少年、出かけるぞ」
 その手を素早く握ってランサーはそう言ってきた。
「え? なにかいいアイディアでも?」
「ああ。あるぜ? 部屋に戻って上着取ってきたら玄関に集合!」
 ニヤリと笑ってランサーは親指を立てて見せ、さくさくと去っていく。
「なんだろ。ま、いっか」
 士郎はとりあえず部屋に戻り、地味な色のスタジャンと財布を手に玄関へ向かった。既にランサーの靴が無いのを見てそのまま外へ出ると・・・
「よう、少年。こいつかぶっときな」
 そこには黒い大型バイクに跨ったランサーが居た。いつも通りジーンズにGジャン。ノーヘルだがごっついライダーズゴーグルは身につけている。
「ば、バイク・・・ってそう言えば昨日も乗ってましたね」
 渡されたフルフェイスのヘルメットにも見覚えがある。昨日彼女がかぶっていたものだ。
「おう。コトミネの奴が3台も持ってやがってよ。一番早い奴を貸せっていったらこれを出してきたんだ」
「・・・運転出来るんですか?」
 素朴な疑問にランサーはむっとした顔をする。
「おまえね、オレは敏捷Aだぞ? 生身に走っても自動車くらいスピード出すぞ? この位出来ないでどーするよ」
「・・・まあ、そうですよね。なんか英霊と機械の組み合わせに違和感あるけど」
 それなら騎乗スキルを持ってるセイバーとかも運転上手いのだろうかなどと考えているとランサーはガッとスターターを蹴ってエンジンをかけた。
「よし、乗りな少年」
「はいはい」
 タンデムシートを指差して不敵に笑うランサーに頷いてよいしょと跨る。
「しっかり抱きついてろよ。多分落ちたら死ぬ」
「!?」
 その声のあまりにも平然とした調子が、冗談などではないと告げていた。恥ずかしいとかそういったことは全て捨て去ってしっかりランサーの腰に手を回す。
「メットはつけてんな? じゃあ行くぜ!」
「っあ! そういえば免許は―――」
「偽造だ!」
 高らかに叫んでランサーはスロットルをいきなり全開にした。タイヤが地面を捉えきれずギュルギュルと空転する。一秒に満たない強烈なホイールスピンでタイヤが温まった瞬間・・・
「うひゃぁあっ!」
 ゴゥン・・・! とハンマーで叩かれたような衝撃が士郎の体に走った。それが急発進に伴うGだと気付いたときには衛宮邸の影も形もない。
「は、ひゃ、早すぎますよランサーさん!」
「大丈夫だ! オレを信じろって!」
 人類最強の青色なんて合体フレーズを思い浮かべつつ士郎は目を閉じる。
 ・・・幸い、死を覚悟するのは5回ほどですんだ。


「おつかれ、少年」
「は、はぃ・・・」
 ふらふらになった士郎が降り立ったのは新都の駅前だった。時間貸しをしている駐車場にバイクを停めて戻ってきたライダーは笑顔で一つウィンクしてみせる。
「よし、じゃあデートしようぜ」
「はぁ、デートですか」
 士郎はぐらつく頭を立て直しながら頷き。
「ってデート!? デートってあのでーとですか!?」
「おうよ。いらっしゃーい」
「それは新婚さん○らっしゃいです。パンチ・○・デートとは違います」
 途端冷静になりつっこんできた士郎にランサーはたらりと冷や汗を流す。
「少年、ほんとにアーチャーに似てきたな・・・あと自分で振っといてなんだけど古いぞネタが」
「ほっといてください・・・で、なんだって俺なんかと・・・?」
 意図がつかめぬと首をかしげている士郎にランサーはうむと頷いた。
「のめり込みすぎてねぇかと思ってな」
「? ・・・魔術にですか?」
 周囲を気にして小声になった士郎の肩をパンパン叩く。
「その通り! 真面目なのはいいけどよ気張りすぎはよくねぇぞ? とりあえず頭ん中ゼロに戻して再チャレンジだ! 行くぞ!」
「うわっ手を・・・おわ!引っ張らないでくださいよ!」
 それからはもう、暴風のようであった。


CASE1〜駅前・露店

「変な絵だな」
「変な絵ですね」
「で、なんでオレ達はこんなもの眺めてるんだ?」
「待ち合わせに遅れると待たされた方が売りつけられてしまうっていう都市伝説があるからですね」
「・・・どこの伝説だ?それは」
「・・・聞かないでください」


CASE2〜古着屋

「皮ジャンですか?」
「おう、イメージカラーが青なんでずっとGジャン着てたんだけどな」
 値段を見てランサーはうむと頷く。
「ほら、オレってバイク乗ってるだろ? ライダーっつうと黒レザーじゃないかっていう気が何故かするんだよ」
「・・・そうですね。俺もなんとなくですけどライダーは黒のレザーでなくてはいけない決まりがあるような気がします」
「根拠はないけどな」
「理由はないんですけどね」

 お買い上げ、ありがとうございました―――


CASE3〜眼鏡屋

「・・・似合わねぇなあ、少年」
「しみじみ言わないでくださいよ。自覚してるんですから」
 無理矢理かけさせられたサングラスを乱暴に外してむくれる士郎にランサーはカラカラと笑う。
「いや、でもな? キャスターの奴に聞いたんだが少年って抗魔力が極端に低いらしいぜ? 防御手段ってなりゃあ眼鏡が一番使いやすいわけだからさ、いいデザイン選んどいた方がいいだろ?」
 ランサーはそこで一度区切って真面目な顔になる。
「いいか? これは少年の為を思って言っているんだ」
「? ・・・まあ、防御手段は考えなくちゃいけないですけど、別に既存のものに魔術加工しなくても・・・」
 首をかしげる士郎にランサーはゆっくりと首を振った。
「少年。例えば嬢ちゃんに作らせたとしてだ。あの嬢ちゃんは必ず笑える奴を作るぞ。そりゃあもう、考えうる限りもっとも可愛らしい奴を」
 想像する。出来上がった魔力遮断の眼鏡を士郎にかけさせる凛。周囲の皆が一斉に笑いを噛み殺した表情でプルプル震え・・・
「買いましょう。選びましょう。今すぐに」
「だろ?」

 お買い上げ、ありがとうございました―――


CASE4〜ハンバーガーショップ『ヤクドナルド』

「いらっしゃいませなんだねっ!」
「元気いいねってイスカちゃん!?」
 腹が減ったと急かされて入ったハンバーガーショップのカウンターで、イスカンダルは笑顔を販売していた。
「おまえ、なにやってんだ?」
「勿論バイトなんだねっ! ランサーっち。結構前からやってるんだねっ!」
 イスカンダルはそう言って営業スマイルをキメる。
「さあ、遠慮なく注文するといいんだねっ! そうすると、なんと商品が買えるんだねっ!」
「あたりまえだ!」
 珍しいランサーつっこみに士郎は心の中でメモを取りながらメニューを眺めた。
「じゃあ俺、ヤックフライポテトとクラムチャウダー」
「オレは味噌チャーシュー。店内でな」
「1071円なんだねっ!」
 さらりとスルー。
「おい、イスカ? 味噌チャーシューだぞ?」
「1071円なんだねっ!」
「はいイスカちゃん、1100円」
 その間に財布を出していた士郎はさくっと代金を手渡してしまう。
「おつり、29円なんだねっ。少々お待ちください・・・ポテトと味噌チャーシューオーダーワンプリーズ!」
「お、おい・・・」
「オッケーでース!」
 口を挟む余地を与えずバックヤード・・・厨房の方から返答がある。数十秒の間を置いてずいっと差し出されたトレイにはポテトにスープ、そして味噌チャーシューラーメンがひとつ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ありがとうございましたなんだねっ!」
 ランサーは疲れ果てた表情でぼそりと聞いてみた。
「これ、どこから出てきたんだ?」
「乙女の秘密なんだねっ!」
「・・・そうかよ」
 ランサー。初敗北―――


CASE5〜路上

「ん?」
「どうした少年」
 いや、誰かに見られているような気がして・・・
「誰か監視してやがるのか? ・・・いや、少なくともサーヴァントはいねぇな。この辺りには。気配が無い」
「そうですか。じゃあ多分気のせいですね」
 うんうん頷く士郎にランサーはにまぁっと笑い。
「それはあれだぜ少年」
 その腕にするっと自分の腕をからめた。
「のわぁっ! ら、ランサーさん!?」
「オレみたいないい女を連れてるから意識しちゃってんだろ? 可愛いなあ少年」
「二の腕が! 二の腕がぷにって!」
 のけぞる士郎にニヤリと笑顔。
「減るもんでもなし、いいぞ? 好きなだけ味わってくれ」
「そ、そんな、うわ・・・!」
 本日実に3度目となる柔らかな触感に士郎が悶絶していると、ランサーはうん? と首をかしげて前方へと目をやった。
「? ・・・どうしたんですかランサーさん」
「いや、ありゃあギルの奴じゃねぇか?」
 言われて同じ方を眺めると、何やら白い紙袋を抱えた縦ロールのお嬢様が歩いてくる。
「ほんとだ。こんなところで会うなんてめずらし・・・」
「おーい!ギルぅ!」
 珍しいの一言も言わせずランサーは叫んだ。ぶんぶんと手を振るとギルガメッシュは不審そうに顔を上げ、二人の英霊の目が合い。
「!?」
 そして、英雄王は踵を返して一目散に逃げ出した。
「って何故に!?」
「知るか! 追うぞ!」
「それも何故に!?」
 わけなど聞くなそれが狩人の本能(さだめ)―――そんな燃える心を無駄に背中で語りランサーは走り出す。早い。流石はスピードに長けた者のみなれるサーヴァントタイプである。
「待てや縦ロール!」
「!? く、来るな馬鹿者っ!」
 ギルガメッシュも人間の域を越えたスピードで逃げているのだがいかんせん相手が悪い。数十秒も持たずに回り込まれ、足を止めざるを得なくなった。
「く・・・この英雄王の進路を塞ぐとは・・・無礼な」
「あいにくと俺の王はおまえじゃないし、そもそも逃げる奴が悪い」
 睨み付けてくるギルガメッシュにニンマリ笑ってランサーはようやく追いついてきた士郎に目を向ける。
「よう、なんとかついてきたのは偉いがへばりすぎだぞ?」
「に、人間に・・・何を期待してるんです・・・」
 魔力を使って補強したので置いてかれはしなかったものの、疲労度は相当なものだ。
「でも・・・なんで・・・逃げた・・・ぅぇ・・・の? ギルガメッシュさん・・・」
 はひーぜひーと息も絶え絶えな士郎の姿に罪悪感がわいたのか、ギルガメッシュは口をへの字に曲げてずいっと手にした紙袋を突き出した。
「? ・・・少年、なんだこれ」
 覗きこんだランサーはくいっと首を傾げる。そこには分厚い円型をした物体が幾つも入っていた。何か柔らかそうな素材でできており、食欲をそそる匂いがする。
「あ、今川焼きじゃないか。お菓子ですよランサーさん。生地の中にあんことかチーズとか入れた」
 その説明に頷き、ギルガメッシュはふんと顔をそむけた。ちょっと、泣きそうだ。
「笑うがいい! 英雄王が今川焼きだ! 庶民のお菓子だ! 一個90円だ! さあ笑え! 遠慮なく笑え! 笑うことを許す! どうせ似合わん! 悪いかっ!」
 斜め上を向いて喚きたてるギルガメッシュに士郎はゆっくり首を振った。
「・・・おいしいよね。今川焼き。俺は粒あん派だな」
「・・・無理せんでいいのだぞ。金ぴかだの成金だの言われていて自分でも王だ王だと名乗ってる奴が、屋台で買い食いだ」
 その言葉に士郎は苦笑した。
「おいしいものを食べることを、誰も笑ったりしないよ。俺も今川焼きとか好きだし。衛宮家のお茶請けはたい焼きばっかたけど」
 ギルガメッシュはしばし沈黙した。ゆっくり、ゆっくり視線を袋の中に落とし、7つ入っているうちの2つを掴み出して士郎達へ差し出す。
「・・・くれるの?」
「好きなのであろう? いらんのなら引っ込める」
 顔を赤くして早口で言ってくるギルガメッシュに士郎はありがとうと笑いそれを受け取った。ランサーに片方を渡して頬張ると、外はカリッとしていながら中の生地は柔らかく餡子の量も多い。
「ををををっ!? なんだこりゃ!? 無茶苦茶うまいぞギル!」
「うん、いい腕してる」
 初めて口にするそれにランサーは悲鳴のような歓声をあげ、士郎もまた感心したように頷く。
「そ、そうであろう? ここのは絶品なのだ! 江戸前屋にも負けんぞ! はむ・・・」
 ギルガメッシュはやや興奮した口ぶりでそう言って今川焼きにかぶりついた。幸せそうにもぐもぐと口を動かす。
「ははは、ギルガメッシュさん、口に餡子」
 普段の食事とは違いまさに一生懸命という様子で食べているギルガメッシュの口についた餡子を士郎は指先で軽くぬぐった。
「う・・・ぶ、無礼な・・・」
 ギルガメッシュは真っ赤になってそう呟き、あぐともう一度今川焼きにかぶりつくのだった。


4-8 BladeWork

「いやあ、この時代最高。マジ最高」
 ギルガメッシュに教えてもらった屋台で追加の今川焼きを買ったランサーと士郎は、自動販売機で缶のお茶を買って公園へやって来た。
「・・・・・・」
 士郎はわずかに目を伏せる。
 冬木中央公園。
 そこに在る、赤く胸を抉る記憶の痛みに。
「おい・・・どうした?顔色わりぃぞ?」
「・・・いや、なんでもないですよ」
 リセット。心を平均化し、精神を硬質化させ、記憶を退避させる。
「うん、その辺のベンチで食べましょうか」
「いいのか? なんならもう一箇所公園あるみたいだからそっち行ってもいいぜ?」
 勘の鋭いランサーに感謝しながら士郎は首を振った。
「ちょっと色々あった場所ってだけなんで・・・ほら、お茶が冷めちゃいますから」
「ん? ・・・ああ」
 さっさとベンチに座った士郎に習ってランサーも腰を下ろす。
「なんだかんだ言って・・・うまいもんが多いな。この時代は」
「そういえば料理が雑なんでしたっけ。ランサーさん達の時代は」
「その表現、セイバーの奴だな? はは、オレはガサツだからあんま気にしたことは無かったなぁ。元々山とか海で暴れてるのが好きだったし。魚を焼いただけーとかでご馳走だったわけだ」
 まむ、と今川焼きにかぶりつく蒼の英雄に士郎はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「ランサーさん、なんで俺の修行を手伝ってくれたんですか?」
 ランサーは空を仰ぎ、肩をすくめる。
「はは、なんでだろうな。暇つぶしだよきっと」
 口ではそう言い、内心では言えない台詞を噛み砕く。
(言えねえよな。おまえがオレ達の中で抜群に弱いからすこしテコ入れしねえと死にそうだなんて)
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 なんとなく二人して沈黙し遅めのおやつを平らげた時。まず異変に気づいたのはランサーだった。
「おい少年。なんか変じゃねぇか?」
 言われ、士郎はあたりを見渡す。
「何か・・・気持ち悪い。変な魔力が渦巻いてる・・・」
「ああ。だがなんなんだこれは。ただの魔力じゃ・・・あぶねぇぞ少年!」
 言いかけてランサーは士郎を抱いてその場を飛びのいた。一瞬して飛来した黒い何かが直撃した木製ベンチがどろりと腐る。
「な、なんだ!?」
「撃ってきたのは・・・あっちか!」 
 軌道から読み取り目を向けたそこに、黒い影が立っていた。
「・・・テ・・ラ・・・・ダ・・コ・・・・シテ」
 聞き取れない音を口のあるあたりから発してずるり、ずるりと迫る黒い影。人間を模したとおもわれる細めの四肢、男のそれとは一線を画する輪郭と頭上に揺れる双房の髪。
「おい少年、ありゃあ・・・」
「・・・ええ。遠坂の形をしている」
 士郎が呟いた瞬間、影はゆらりと片腕を掲げた。刹那、打ち出される黒い弾丸。
「ガンド!?」
「形は似てるが別もんだ! 当れば死ぬぞ!?」
 ランサーは士郎を突き飛ばしてから自分も飛びのき即座にゲイボルグを召還した。
「ランサーさん!」
「さがってろ。おまえはまだ実戦レベルじゃねぇ。こういうときは・・・」
 すっと息を吸う。体中に魔力と闘志がみなぎってくる。
「プロにまかせときな・・・!」
 叫びざま地を蹴り野獣のごとき速度と荒々しさで進むランサーに撃ちこまれたのは弾丸の5連発、どれも急所狙い。だが。
「んなもんが当たるかよ!」
 実際の銃弾と大差ない高速で飛来した呪詛弾を撃ち落とし、かわし、旋風のように槍がなぎ払われる―――それで、影の首が飛んだ。地面に落ちた頭部はべちゃりと液体になって地面に染み込み消える。
「はン・・・所詮、人形か」
 ランサーは予想外にあっけない結末に肩をすくめて振り返ろうとした、その時。
「ランサーさん! まだだ!」
 シュボッ、と音がした。
「あん?」
 反射的に振り返った視界に、それが映る。立ち尽くした『影』。その首の有った位置が銃撃のような猛烈な勢いで伸び、鋭利な槍と化してこちらの顔面へと迫るのが。
「チィッ!」
 飛びのく。槍で受ける。身をそらしてかすらせる。
 駄目だ。どれにしても間に合わない。
(マジかよ・・・オレが、このオレが槍で死ぬ? 馬鹿な! ここで死んだら誰が少年を・・・)
 奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締めたランサーが即死を避けんと身を捩った、瞬間。
トレース アウト
「投影、完了!」
 叫びが、通り過ぎた。
「え・・・?」
 その踏み込みの鋭さに、ランサーは呆然と呟く。刹那、額に触れた黒い棘が白い刃に薙ぎ払われて背後へ通り過ぎた。それを為した刃は粉々に砕け散り、虚空へと消え去る。
 そういう魔術を、ランサーは知っていた。
「あぁあああああっ!」
 その魔術の唯一の行使者は、士郎は絶叫と共にもう片方の手に握った黒い刃を『影』に叩き付けた。だが『影』がかざした腕に阻まれこちらも砕け散り消滅する。
   トレースオン
「っ! 投影開始!」
 即座に叫んだ呪文。それと同時に口の端から血が流れた。内臓がかき回されるような感覚と共に再投影された剣を掴み士郎は再度『影』に切りかかる。激しく打ち付け、かわし、その剣が砕け散ると血を吐きながら再投影。
「馬鹿! 引っ込んでいろと―――」
 それを呆然と見送りランサーは叫びかけ、しかし口を閉ざし拳を握り締めた。
「馬鹿は・・・オレだ!」
 士郎は戦っている。無様に、しかし誰よりも気高く。
「投影・・・ぐ・・・完了・・・ッ!」
 十回以上にもわたる投影で血を撒き散らしシャツを血に染めながら士郎は今だ一撃をも喰らってはいなかった。
 今、『影』から打ち出されている槍の如き棘の速度は、明らかに彼の反応できる速度ではないというのに。
「そうか・・・おまえは・・・『切り札』の者だったんだな・・・」
 かつて幾つかの戦場で見た存在。最強にも完璧にもなれない異端者だが、けして折れないその信念が、時に最強や完璧をも打ち砕く存在、ジョーカー。
 その素質を、目の前の少年の鋼の如き信念を、既に一度見ているのに。
「オレは・・・おまえを信じてなかった」
 故に、ランサーは再び槍を握りしめた。後悔など塵芥に等しい。
 今為すべき事は、そんなことではない!
「たぁあああああああああああっ!」
 そして槍兵は気合の声と共に地を蹴り、士郎の脇を通り抜けて『影』へと槍を叩き込んだ。
「ランサーさん!?」
「下がれ!」
 鋭い声に士郎は首を振って否定を示す。
「俺も戦えます! 目の前で誰かが戦っているのに・・・!」
「そうじゃねぇさ、少年・・・こいつの槍はオレが防いでやる。おまえはコイツを穿つことだけを考えろって言ってんだ!」
 予想だにしていなかった言葉に士郎は一瞬腕を止めかけ、慌ててその場から飛びのいた。連続して迫り来る棘に対し双剣を盾にしてガード。
「投影だ! 今使ってるみたいな外見だけのちゃちなヤツじゃねぇ。ルールブレイカーだ。 キャスターの奴の宝具をその神秘ごと投影しろ!」
 叫び、ランサーは『影』の心臓へと鋭い一撃を加える。返答は棘による三連の反撃。
「やっぱりだ・・・こいつ、物理的には存在していねぇ! この手の魔力塊なら解呪しちまえば終わりだ!」
「で、でもそんな! 普通のナイフでもうまくいかないのに宝具を神秘ごとなんて・・・」
「できる!」
 ランサーは一度だけ振り向き、にっと笑って見せた。
「大丈夫だ、絶対出来る。出来るってオレは信じる。他の誰が信じなくとも、おまえ自身が認めなくとも・・・」
 そのまま数閃に渡る攻撃を防ぎ、大きく頷く。
「オレだけはおまえを信じてやる! これからは、何があってもな・・・!」
 そして蒼の英雄は前へ、敵へと向き直る。それ以上、なにも伝えるべきことはないと。
「・・・やってみます!」
 背中にかけられた決意の声を胸に、呟く。
「いけるさ。おまえは、いい男だから。ちょっと・・・惚れたかもな」


 士郎は双剣を意識からはずした。中途半端な投影で造られた剣は地面に突き立ち消滅する。これでは駄目だ。こんなレベルの投影では宝具などという規格外のバケモノを再現することなど出来はしない。
 何が足りない? 何故届かない? 手順に抜かりは無い。設計図は把握できたしイメージは網膜を灼く程だ。

 ならば。足りぬのは―――

『オレだけはおまえを信じてやる』
 この心そのものか。できぬと知っている無駄な経験か。
 ならば迷いは壊せ。怯えは殺せ。求めよ。求めよ。求めよ。ただ目の前の人を守る為に。
 必要なのは・・・ただひとつの神秘。
『おまえ自身が認めなくとも』
 前方、何度となく致命傷を浴びせ、無数の反撃を回避し続ける蒼の英霊の姿。その背に誓う。信じると、信じてみると。ここにある自分の可能性を。誰かを守る為のなにかになると決めた自分の、その力を。自分に出来ぬ筈が無いと。
 そう、衛宮士郎は誰かの為に戦うことを求めたのだから。
 この身体は、
 きっと、
 剣で―――

「投影開始(トレースオン)・・・!」
 撃鉄が、落ちた。魔術回路が覚醒し魔力が満ちる。
 足りない。自分でも把握している通り、ただ一本の回路では貴き幻想になど遠く届かない。ただの刃ですら投影しきれなかった。
 だが、それだけである筈は無いのだ。この先が無いなどありえない。衛宮士郎が、ランサーが信じてくれたこの身がその程度の筈が無い。
 眠っているならば・・・無理矢理にでも目覚めさせるのみ!
「っ・・・ああああぁっ!」
 イメージする。背骨に平行に貫通する・・・もう一本の魔術回路! まっとうな魔術師ならいざしらず、衛宮士郎にとって魔術回路を新しく造るなど慣れ親しんだ手順。そこに眠っている回路が在るのならば必ず目覚める筈!
 体の中が変わっていく感触に耐え、前を見据える。ランサーに斬られ、突かれ、潰され、ぐちぐちと粘質な音を立てて再生していく彼女の形をした『影』を。
 求める。大切な人の似姿を、これ以上汚させない為の力を。

 ――創造の理念を鑑定し
 ――基本となる骨子を想定し
 ――構成された材質を複製し
 ――製作に及ぶ技術を模倣し
 ――成長に至る経験に共感し
 ――蓄積された年月を再現する。

トレース アウト
「投影・・・完了!」

 瞬間。
 ォンと一声啼いて掌に現れたのはジグザグの刀身を持つ歪な短剣。それは明らかに物理的な何か以外のものを与える為の刃。
 籠められた裏切りの神秘と共に契約破りの護符がそこにある!
「ランサーッッッ!」
 

 呼ぶ声に、ランサーはニヤリと笑った。次々と撃ち出される、今や十を上回る棘の槍を神技と称えられたその槍で悉く弾きかえし。
「来い・・・!」
 叫ぶと共に背後で動き出す気配があった。ならば、こちらも決めにかかろう。
「たぁりゃぁああっ!」
 刺戟一閃。数本の棘を体に掠らせながら放った渾身の一撃が『影』の体を貫通すると同時に、ランサーは不定形のその影を高々と持ち上げた。石突を腰に、右手を前に出し、全身を使ってそれを背後の地面に叩きつける!
「来い!」
 そして、走り込むその名を。ランサーは初めて呼んだ―――
「来い! シロウ・・・!」

 ルール・ブレイカー
『破戒すべき全ての符』

 応えは、刃にて為された。飛び込むようにふるわれた一撃は『影』の中央に突き刺さり、真名の解放と共にその神秘を発揮する。
「ぁ・・・」
 最後に一息だけ原型そのものの吐息を残し。
 黒き『影』は、その痕跡すら残さず消滅した。
「ふう・・・は、やるじゃねぇか少年! 完璧だぜ!」
 ランサーの賛辞に士郎はやや照れた笑い立ち上がり、首を振った。
「完璧、ではないみたいです。このレベルになると基礎がどうしてもイメージしきれないんで使い捨てに近い」
 その手の中で契約破りの短刀は既に形を失いつつあった。
「でも、もうちょっとシンプルな宝具だったら、もっと完璧なのができそうで―――」
 呟き、グラリとその身が揺れる。
「シロウ!?」
「あ、あはは、ちょっと気合入れすぎて・・・体に力が・・・」
 慌てて抱き止めた腕の中で士郎は呟き、意識を失った。
「・・・いいさ。今はゆっくり寝とけよ。シロウ。おつかれさん」
 

「これで、よしと」
 眠ってしまった士郎の体をざっと調べ終わったランサーはうむと頷いて手を止めた。
「なんだかよくわからない回復が始まってるし生命力賦活のルーンいれときゃ大丈夫だろう」
 言って、その体を背負う。長身の美人が男を背負って歩く姿はやたらと目立つが構わず駅を目指す。
「・・・助かったよ。シロウ」
 呟き、横を見れば意識を失ったままの横顔がそこにある。
「・・・・・・」
 ふと足を止め、ランサーは小さな笑みを浮かべた。
「・・・ま、味見くらいならいいよな。オレなんかでも」
 そして横顔に、控えめなキス―――
「さ、帰ろっか。それでもとどーり、だな」


「ただいまーっと」
「ただいまじゃないわよどこ行って・・・な!?」
 士郎を背負ったランサーが衛宮邸の玄関をくぐった途端、そこに仁王立ちになっていた凛の声が出迎えた。
「何があったのよ! ちょ、大丈夫なの士郎!?」
「大丈夫だろ? 中央公園で呪いの塊みたいな奴に襲われただけだし」
 ランサーは簡潔にそれだけ伝えて玄関に士郎を降ろす。
「あそこか・・・そんなものまで出るなんてサーヴァントの強い魔力に惹かれたのかしら」
「さあな。ともかくオレとシロ―――」
 言いかけてランサーは口を閉じた。苦笑して首を振る。
「どうしたの?」
「いや・・・オレと、少年でそいつは始末したからもう問題はねぇぜ」
 その言葉に凛は眉を吊り上げた。
「士郎を戦わせたの!?」
「ああ。一つ言っとくぜ嬢ちゃん。オレ達は誤解してる。こいつは・・・最初から強い。ちゃんと嬢ちゃん達が導いてやればあっというまに一流の力を発揮するだろうよ」
 言って寝つづける士郎を一瞥し、笑う。
「大事にしな。おまえの恋人は最高だ」
「ば、馬鹿! 恋人とか、その、そういうのじゃないわよそりゃもうぜんぜん!」
 がぁっと威嚇してくる凛にランサーは肩をすくめた。
「そうか? ははは、許せ。そう見えただけだ。とりあえず疲れただけだろうが後は頼むぜ?」
 言ってランサーは歩き出した。背後でドタバタはじめた凛と住人達を尻目に自室へと入る。
「・・・そいつを護るときに凄ぇ力を振り絞る男と、姿が見えねぇってんで心配して玄関うろうろしてる女。その組み合わせを指してそういわねぇならどんなのが恋人なのかね」
 そしてもう一度肩をすくめる。
「入る隙間なんてねぇなぁ・・・」
 だからランサーは日常に戻った。
 今晩のビールは、一本多くしとくかと呟きながら。