「僕はね、魔法使いなんだよ」
懐かしい言葉。当時の自分はそれになんと答えたのだったか。記憶は磨耗し、よくは覚えていない。
「親父。それ、ウルトラセ○ンの最終回みたいだな」
士郎はため息をついてそう言ってみた。衛宮切嗣は既に死んでいる。ならば、今自分が居るのは夢の中だろう。これくらいのおちゃめは構うまい。
「ははは。士郎、さすがにネタが古すぎないかい?」
切嗣はそう言って歩き出す。気付けば辺りの風景はあの病院では無くなっていた。彼らが居るのはだだっ広く、空虚で、自然が溢れながら不自然に堕した場所。
「公園…」
「そう。僕が士郎と出会った場所だね」
切嗣はそう言って静かに笑った。コートのポケットに手を入れ、空を見上げる。
「本当はね、少し心配していたんだ」
「? なにをさ」
士郎はその姿をぼぅっと見つめていた。彼の中の切嗣は子供っぽい笑みを浮かべた着物姿の印象が強い。頑丈そうなコートにブーツを履いた今の格好に違和感を感じる。
「士郎はずっと童○なんじゃないかって…」
「…どんな夢だよこれ」
9回裏、ツーアウトツーストライクから逆転ホームランを打たれたピッチャーの如く地面に崩れ落ちた士郎の肩を切嗣は笑顔で叩いた。OTZ
「ちなみに風俗はカウント外だよね。やっぱ」
「・・・・・・」
士郎は無言で立ち上がり、鋭い右フックを放った。切嗣はコートのすそを翻してそれを回避。
「それで、どの子が本命なのかな?やっぱり遠坂のところの娘さんかい?僕としては老後の世話まできっちり見てくれる佐々木くんがいいなあ」
「老後って…親父もう死んでるだろうが」
士郎のつっこみに切嗣はちっちっちと指を振った。
「仏壇の掃除が丁寧だよ?彼女は」
「それはもう老後とかのレベルじゃないっ!」
一声吼えてから士郎は笑みを漏らした。
昔。今も子供な自分が更に幼かった頃。二人はいつだってこんなコミニュケーションを交わしていたのだ。
「ったく…もう俺もガキじゃないぞ親父。そんな微妙なギャグを言ってもらわなくても、ちゃんと笑えるようになったんだ」
10年前、数え切れない助けの声を踏みにじって生き延びた自分が、何故に1人だけ笑っていられるだろうかと思っていた頃。
その凍りついた心を解きほぐしてくれたのが、切嗣だった。追い詰められた表情で立ち尽くす少年の手を引き、くだらない冗句で呆れさせ、料理の腕のひどさを見せつけて後にまで続く彼の趣味を目覚めさせ、獰猛な虎をけしかけて生存本能を復活させた。
「そうか。士郎ももう大人か」
切嗣はそう呟いて視線を士郎の顔からつつっと下腹部に降ろし。
「…ふっ」
「うわっ! 無茶苦茶むかつくなぁその笑いッ!」
優しげな笑みで頷いて見せた。喉をかきむしるようにして叫ぶ士郎にパタパタと手を横に振ってみせる。
「うそうそ。立派になったよ、士郎。もう僕なんて追い抜いちゃったみたいだね」
「…もっとまともなことにたいして言ってほしかったよその台詞は…わりと切実に…」
士郎は肩を落とし、しばらく落ち込んでから顔をあげた。ふっきれたのか再度笑顔だ。
「まあ、なんだかんだ言っても親父とまたこうやって馬鹿話ができて嬉しいよ。たとえ、夢でもね」
「そう言って貰えると出てきたかいがあったね。これなら本題に移れそうだ」
そして切嗣はすっと表情を消す。
「士郎。君はまだ、正義の味方を目指しているのかい?」
その言葉に士郎は静かに頷いた。
「うん。目指してるよ。たぶん、ずっとね」
「その願いが、叶うことの無い幻だとしても?」
理想と仰ぐその人の口からその事実を告げられるのは重く、そして辛い。だが。
「…そんなことはない。そんなことはないよ、親父」
士郎はやや躊躇いながらもそう言いきった。まっすぐに切嗣を見つめ返す。
「君は、自分がなれるって思っているのかい?誰も犠牲にせず、みんなを守るヒーローに」
「言っただろ?俺ももう子供じゃない。それが夢物語だってのはわかってるよ」
それでも、と士郎は思う。
「夢でも、幻でも…俺はみんなを助けられるようになりたい。届かないから憧れて…でも、それは絶対じゃないと思うんだ、親父。だって―――」
今の時代では絶対に叶えられない筈の願いを実現したものが、この世界には4人も居る。そして10年前に聴いた言葉。
「俺は、魔法使いの息子…だろ?」
切嗣はきょとんと目を見開き。
「はは…はははははは…」
愉快そうに、笑った。満足げに頷き士郎を見つめる。
「そうだね。最後の魔法こそ『みんなを幸せにすること』…そう、言われてるからね。うん、それを聞いて安心したよ。なら、僕がすべきことはひとつだけだ」
「え…?」
首をかしげる士郎の方へと、切嗣はすっと手を伸ばし。
「士郎。その誓いを、僕に示してくれ」
刹那、冗談のような唐突さで彼の手に拳銃が握られていた。既にその銃口は正確に士郎の心臓に向けられている。
「…さすが夢。展開がいきなりだな」
士郎は苦笑を漏らした。一度だけ大きく息を吸い、吐き。
「投影、開始」
静かに呪文を呟く。一瞬おいて右手の中に現れたのは黒く塗られた小さな短剣。投擲用のそれはダークと呼ばれる。
「準備は出来てるようだね。じゃあ、おいで。正義の味方…!」
そして士郎は銃を握っていない方の手で手招きする切嗣の言葉に右手を素早く振り上げ…
「行くぞッ!親父…!」
読み込んだ使い手…ハサンの技術でもって、ダークを投擲した!
「む…」
切嗣は呟きながらサイドステップしてそれを回避し。
「……」
刹那、その表情が変わった。冷ややかな目と感情を表さない口元に士郎は冷たいものが背筋を滑り落ちるのを感じた。
「投影(トレース)―――」
「制御(トレース)―――」
放たれたのは同一の音。異なるのはそこに込められた意思!
「ッ!」
眉間を焼くような危機感に襲われた士郎は呪文を中断してその場に身を投げた。魔術回路を回して得た魔力を視力強化に全て回し、動体視力を限界まで高めて銃撃に備える。
だが。
「―――開始(オン)」
切嗣の声が、響いた瞬間。チッ…という微かな音が頬で弾けた。
「な…!?」
急ぎおさえた頬につたう一筋の血。飛来する銃弾程度発射されてからでも視認出来るはずの士郎の目には何も映らぬまま与えられた傷がそこにある。
「不可視化された銃弾か!?」
「……」
切嗣はその叫びに目を細め、再度魔術回路を起動した。
「制御開始(トレースオン)」
低く呟かれた呪文に士郎が再度飛びずさろうとした瞬間。
「え…」
切嗣の姿はかき消すように士郎の視界から消えた。呆然と呟くその背後で、カチリと撃鉄の上がる音がする。
「……」
呆然と振り返れば、そこにあるのは冷徹な輝きを放つ銃口。切嗣は無言のままであっさりと引き金を引いた。
パンッ!
火薬の弾ける乾いた音。だがそれよりもほんの僅かだけ早く頭を後ろへそらしていた士郎は紙一重で銃弾を回避していた。無様にその場へ倒れ込んだ少年を見もせず、切嗣はゆっくりと間合いを取る。
「違う…不可視じゃない。体ごと消せるのだとしても移動距離は誤魔化せない。あるとすれば転移か加速…」
士郎はこの数日で凛やキャスターから叩き込まれた魔術知識を必死で思い出し、目の前の状況と照らし合わせる。答えは、すぐに出た。
「…極めて特殊な技法。全ての物体が持つ、『その物固有の時間の流れ』を操る…魔法の域に達しようという魔術」
呟き、立ち上がる。切嗣は冷たい瞳でそれを見守った。
「固有時制御…!それがあんたの魔術か!親父!」
気圧されぬよう大声で叫び、士郎は戦慄を振り払う。切嗣の礼装は銃だ。概念化されていたり弾頭が法儀式を受けている可能性はあるが、サーヴァントをそれで倒すことは不可能に近いだろう。破壊力が、足りない。
だが。
魔術師相手ならば。
魔術は魔術で対抗できる。物理攻撃を魔術で迎撃することも出来る。だが、魔術師とて肉体そのものは常人と同じ仕組みで出来ている。ただの一発、頭蓋を貫けばそれで全てが終わるのだ。
故に、彼の二つ名は"魔術師殺し"。実質、魔術に頼るものの天敵と呼べる男―――
(こんな化け物だったのか!親父は!)
セイバーや綺礼からその容赦なさと強さは聞いていたが、実際に向かい合ってみるとそれが実態の半分も伝えていなかったことがよくわかる。
隙など一分たりとも無い…これが、聖杯戦争を勝ち抜いた魔術師!
「それでも…負けるもんかよ! 投影開始(トレースオン)!」
叫びざま魔力を展開する。最近気づいたことだが、一度投影した剣は次の投影からは八節を踏む必要が無い。心の中から引き抜くようなイメージで創りあげてやれば、瞬時に投影は完了する。
「たぁあああっ!」
気合の声と共に現れたのは8本ものダーク。両手でそれを掴み、士郎はばら撒くようにそれを投擲した。
「…っ」
切嗣は小さく声を漏らした。一見無造作なように見えて飛来する投げナイフの軌道は彼の回避ルートを巧妙に塞いでいたのだ。正しく神技と呼べる正確さで。
ヒュィン!と風を切って迫るナイフを前に、しかし切嗣は眉一つ動かさなかった。いかな英霊の技術のコピーと言えど、それを為したは人間の手に過ぎない。ハサン自身のものと比べてその威力はあまりも弱い。
「……」
キンッ!キンッ!キンッ!
刹那、響き渡ったのは甲高い金属音。それは、切嗣が無造作に振るった拳銃の銃身が直撃軌道を取っていたナイフを叩き落したときのもの。
そのまま切嗣は銃口を士郎の方へ向け…
「投影開始ッ!」
防御に要した一瞬の隙に間合いを詰めてきた士郎が真下から振り上げた黒い短刀に、その銃を打ち据えられた。
「く…」
腕ごと天を向いた右腕を降ろすよりも早く、士郎は無防備な切嗣の腹に左手の短刀を突きたてようと繰り出し―――
(!? …まずい!)
相手の目が冷静にこちらを見据えていること、そして右腕を降ろそうとする気配が無いことに気づき慌てて身を横に投げ出した
パンッ…!
瞬間、銃声が響く。銃弾は一瞬前まで士郎の頭があった場所を通過してどこかへ飛び去った。
それを為したのは、切嗣の左手に忽然と現れた拳銃。無造作に降ろした右腕に携えたものと共に倒れた士郎に銃口が向けられ。
パパンッ!
ほとんど一つに聞こえる連続した銃声がそこから放たれた。一瞬早く地面を転がった士郎を追うがごとく、二つ1セットの小さな穴が公園の地面に穿たれてゆく。
「くっ!」
数メートル転がった士郎はその勢いのまま飛び起き、地面を蹴った。魔力で強化された脚力に任せて数メートルを一跳びで稼ぐ。
「……」
切嗣は無言で拳銃を振った。カシャリと音を立てて飛び出した弾倉から空薬莢が零れ落ち、地面にはねる。
一秒の遅延も無くスピードローダーで左右の拳銃に弾を込めていく切嗣を睨みながら士郎は必死に対策を考えていた。
(固有時制御を使われたらいつ負けてもおかしくない。なんとか使わせないようにしなければ…)
焦る間に切嗣は弾込めを終えた。二つの銃口が士郎を睨み、そして。
パンッ!
容赦なく撃ちだされた銃弾を、士郎はギリギリで避けた。地面にチュンっと穴が開く。
「間合いを詰める…!」
「……」
発射の隙をついて士郎は前に出るが、切嗣はそれよりも早く動いていた。両の指を連続して動かし銃弾を放ちながら鋭い歩法で間合いを離す。
士郎を中心にした円を描くようにステップを踏みながらの銃撃がパンッ!パンッ!パンッ!と咆哮をあげ、士郎は逆転の糸口を探すべく何とかその射線から逃れて銃弾をかわす。
そんなやりとりが十と数秒続き。
「……」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
ようやく止んだ銃撃に、士郎は息も絶え絶えになりながら動きを止めた。
元より未熟な彼には銃弾を回避する等という荒技は不可能だ。今、それを為しているのは投影したアーチャーの剣から引き出した経験によるものであり、体がついていかないその機動が士郎の体力を容赦なく奪って行く。後何度同じことが出来るのかは自分でもわからない。
その様子を見据えて切嗣は両手の人差し指を引き―――
「……」
カチリ、カチリ、と。切嗣の両手で拳銃は固い音を立てた。
(来た!弾切れだ!)
それを待ちわびていた士郎はこれが最後のチャンスと地を蹴った。
だが。
「え…」
瞬間的に感じた危険信号のまま、足を地面に突き立てるようにしてその場に留まる。視線を辿れば、そこに在るのは一発の銃弾。
「なんだよこれ…」
そう、それは銃弾だ。地上1メートルと少しの高さに浮かび、ゆっくり、ゆっくりと前進を続けており、その様子はビデオをスローで流しているかのようであり。
「!?」
士郎はその不自然な物体の意味に気づき、慌ててあたりを見渡した。
先ほどから切嗣は両手の拳銃を二丁同時に撃っていた。しかし、士郎が聞いた限り銃声は一つずつしかあがっていない。飛んできた弾も同様、一発ずつ来たからこそ士郎もそれをよけられたのだ。
ならば同時に発射されたもう片方の弾はどこにあるのか。
「―――固有時制御が、加速専門だとでも思っていたのか?」
切嗣は戦闘を開始してから初めて士郎に話しかけた。振り出した弾倉からバラバラと空薬莢を落として呟く。
「…制御終了(フリーズアウト)。全弾一斉開放(フルバレルオープン)」
そして。
パンッ…!!
士郎を包囲するように配置された6発の弾丸は、完全に同一のタイミングで通常時間へと戻ってきた。それすら遅延されていた銃声を響かせるその弾道はどうよけてもどれかは当たるよう巧妙に配置されていて。
「ぉ…おおおおおおおおおっ!」
瞬間、士郎は短刀を投げ捨てて走り出していた。何の工夫も無く、ただ速く、直線的に。目指すは、切嗣の元…そして。
「投影開始(トレースオン!)」
呪文と共に士郎はそれを体の前にかざした。頑丈な岩で作られた無骨な剣…彼の体を隠す盾となり得る、バーサーカーの斧剣を!
キィィィィィィン…!
その表面に着弾した銃弾は金属を引っかくような異音を立てて斧剣を抉った。瞬間、岩の質感を持っていたそれは魔力へと戻り消え去る。
「くっ…! やっぱ法儀礼済みの対魔術弾頭か!」
士郎は叫び、しかし足を止めない。斧剣に衝突した際に弾道は計算済みだ。あたらないのはわかっている。必要なのは…
「前に出ることだ!投影開始!」
そして、つきかけた魔力を注ぎ込み、再度夫婦刀を創りあげる。背後から飛来する銃弾は忘れ、目の前に迫った切嗣にそれを叩きつけた…!
「だぁあああっ!」
「…!」
重く鋭い一撃を受け止めた右の銃が二つに折れた。弾切れだったからよかったものの、残っていたらそれが爆発して指を失っていたかもしれない。
「っ…」
「逃がすかッ!」
開いた右手をコートのポケットに入れてバッグステップする切嗣に士郎は再度踏み込んでもう一撃を叩き込んだ。今度は左の拳銃が砕け散る。
それを見ながら切嗣はゆっくりとポケットから右手を出し。
「え?」
士郎は、思わず呟いていた。現れた手には、予想とは違い拳銃は握られていなかった。代わりに握られていたのは丸い何。球状のボディから突き出したピンを親指ではじいて外し、切嗣はそれを士郎の目の前に投げ上げた。
刹那。
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンン!
鼓膜を突き破るような轟音と共に純白の閃光が士郎の網膜を焼いた!
「うわあぁああああっ!」
視力と聴力を同時に失った士郎はバランスを崩し、もんどりうって地面に倒れた。その後頭部へと―――
「終わりだ」
切嗣は左のポケットから抜いた新しい銃を突きつけていた。デリンジャー…単発式の護身銃だが、この状況ならばそれで十分だ。
「…くっ」
士郎は呻きながら逆転の一手を模索して身をよじり。
「はい、ぱんっと」
明るい声で呟いた切嗣に抱き起こされた。
「え…?」
「いやいや、やるもんだね士郎も。これ以上やったら本当に殺してしまいそうだ。夢の中とはいえそれは嫌だからね」
ガンガンと耳鳴りがしてよく聞こえないが、声の調子は士郎の知っている切嗣のものだ。全身の力がぐたっと抜ける。
「おいおい、重いよ」
切嗣はそう言って笑った。
「重く、なったね。あの小さな士郎がこんなに逞しくなって、僕と戦えるようにまでなったんだ。なんだか、嬉しいな」
「親父…」
士郎は呟き、足を踏ん張った。三半規管が多少おかしいが無理やりに立つ。
「でも、負けたよ…」
「あたりまえじゃないか。これでも僕はそれなりに知られた魔術師なんだからね」
肩をすくめて切嗣は煙草をくわえた。デリンジャーを口元に寄せるとその銃口からポッと小さな炎が吹き出て煙草に火をつける。
「―――ちなみにこれ、ライターだよ。多分僕の部屋の机に入ってるから目覚めたら探してみると言い」
その言葉と共に、世界が白くなってきた。
「これ…目が、覚めるのかな」
「うん、そうだろうね」
短い問いに切嗣は短く答えて紫煙を吐き出す。
「士郎、まだ未熟な君が何故僕とまともに戦えたのかを忘れないでおくことだ。誰が仕組んだのかはわからないけど、こうやって擬似的な僕が生まれたのにも、意味があるのだろうからね」
「え? ど、どういうことだよ親父!」
目を見開いて叫ぶ士郎に切嗣は首を振った。なんでもかんでも聞くな、謎は自分で解かねば意味が無い、と。
「ああ、そうそう」
そして代わりに気楽な表情で肩をすくめた。
「僕の遺産が、あの屋敷には残してある。本物の僕はそれを伝えられなかったようだからここで伝えておくよ。士郎の部屋、机近くの畳をはがしてごらん。そこに大事なものを隠しておいたんだ」
「…ひょっとして、固有時制御の使い方とか!?」
士郎は目を見開いて叫んだ。切嗣は笑顔のまま、ゆっくりと首を振る。
「秘蔵のエロ本。全て無修正―――」
「阿呆か親父ぃぃぃぃぃ!」
絶叫しながらぱぁんっ!と綺麗な裏拳つっこみを入れる士郎に切嗣は意外そうな顔で首をかしげた。
「いらないのかい? それはいけないな。男としてそれは生きてる価値が無い」
「いや、いるけど! そうじゃなくて遺産っていうならもうちょっとまともな…」
周囲は完全に白に包まれた。切嗣の姿もまた白の中に飲まれてゆく。
「まともな遺産ってのはね、君自身だよ」
「え…」
最後に、そう聞こえた。
「君の全てが僕の遺産だ。僕が生きてきた意味の全てを君が受け継いでくれたんだからね」
穏やかな声。
自分を殺し、全てを救いたいと願いながらそれを果たせなかった男の、最後にみせた本当の笑顔。
全て、消えていく…
「誰が否定しても、僕は君を信じるよ。君と、君を支えるあの娘達なら僕達の夢見た理想を果たせるって。親馬鹿かもしれないけど、本気でそう思うんだ」
「親父っ!」
士郎は消えゆく父に手を伸ばし…
「じゃあね、士郎…ありがとう」
そこで、目が覚めた。
「親父っ!」
布団を跳ね上げるようにして士郎の右手は父を求めて伸ばされ。
「きゃっ」
むに。
そして、柔らかく暖かなものを思いっきり掴んでいた。
…空気が、凝固する。チュンチュンと窓の向こうから聞こえる雀の声、そして爽やかな朝の光に照らされた長い髪の少女。
「せ、先輩、そんな朝からなんて…」
「え…」
もやのかかっていた頭が一気に通常モードへ、そして緊急モードへ切り替わる。
はっきりしてきた目に映ったのは寝ている自分の顔を覗き込む桜、そしてその胸を鷲掴みにしている自分の右手。
―――ちち違いだ―――
「あ、あの、先輩。決して嫌じゃないっていうか、むしろ嬉しいんですけど、その、もうちょっと優しく揉んでくれると嬉しいんですけど…」
恥ずかしげに桜が呟き。
「うわぁああああああああああああぇぉあぉああああああっ!?」
今朝も衛宮家には元気の良い声が響き渡る―――
「はぁ…」
士郎はため息をつきながらフライパンを振った。慣れ親しんだそれを握っている右手にまだ残っているふにふにした感触がどうにも居心地悪い。
「ふふ、ふふふ…」
その感触をもたらした柔らかい凶器を二つも装備した妹分が上機嫌で味噌汁をかき混ぜてたりするのだから、もはや人類に逃げ場無し。この星の明日の為にスクランブルだ衛宮士郎。
「もう、先輩ったら先輩ったら先輩ったら…」
桜はくすくす笑いながらプチプチ呟いて身悶える。
「まだ朝ですよ?それなのにあんなに情熱的に…」
「いや、寝ぼけただけだし」
士郎はむぅとつっこんで焼いた豚肉でゆがいたアスパラガスやら短冊にしたキュウリやらを巻いていく。昨晩はあっさりしたものを作ろうと決意していたが、一晩たてばこんなものだ。若い。
「あ、でも先輩?ふわふわ飛ぶのはきちんと大人になってからですよ?」
桜はお玉をふりふりお姉さんぶった表情で虚空に話し掛ける。怖い。
「いや、そこんとこをわかってるなら俺としては安心なんだが…」
「ええ、そうですよね先輩。わたし達もう大人ですよね―――」
「わかってねぇ!」
んふふ、と鼻にかかった笑いを浮かべる桜に士郎はぞわりと背筋を撫で上げられるような色っぽさを感じる。
危険だ。激しく危険だ。自慢ではないがこの手の危険に対する感知能力は予知の如き精度を誇る。
衛宮士郎。スキル エロ直感(A)所持―――
警戒しながら見守る士郎の前で桜はびくんっと震えて熱い吐息を吐き出した。
「あ…そんな、先輩、もっと優しくしてください…」
「優しく? 何をさ!?」
「主砲斉射三連…」
「本気で何のことだ桜提督!?」
ガクガクと肩を揺すられて桜ははっ!と我に返った。知らず下のほうへ伸びていた手を引き戻し、にっこり笑う。
「ごめんなさい先輩、途中でしたね」
「あ、ああ。ほら、みんな起きてくるまであんまり時間無いし…」
何とか本筋に戻ってきたらしい話に士郎はほっと胸を撫で下ろした。が。
「はい。時間無いですから、さっさと脱いじゃいます」
桜は頬を上気させ、スカートの裾を両手つまんで持ち上げた。純白のすっげぇいいもんが惜しげも無く士郎の目に飛び込んでくる。
「なんか見たことある構図だぁあっ!」
士郎が目を見開いたまま絶叫したその時だった。
「なにやってんのよあんたらはぁあっ!」
絶叫と共に飛来した光弾が桜を吹き飛ばした。
「きゃん」
案外余裕のありそうな悲鳴と共に吹っ飛んだ桜は器用に食器や料理を避けて床に倒れる。
「桜…!? はっ!」
唐突に宙を舞った妹分を抱き起こそうと士郎は一度そっちに顔を向けたが、背筋に海栗を山ほど叩きつけられたような悪寒にギシリと動きを止めた。
「・・・・・・」
そう。この殺気は知っている。毎日喰らっている。ま ち が い な い。
「と、とおさか…」
「人が、珍しく、早起きしてあさごはんを手伝おうとおもっていたら…」
ゆっくり振り向けば、やはりそこにはあくまさまがご起床なされていた。拳をプルプルと震わせて歯軋りをしている。
「ちょ、ちょっと待った!今のは―――」
「問答無用ッ!」
弁解の言葉を遮って凛は動いた。近くに置いてあったテレビのリモコンを引っ掴み、NOMO並のトルネード投法で持ってそれを投擲する!
「ツインテールが揺れるのが可愛いな…とか言ってる場合じゃない!」
150キロぐらいは出てるのではないかというそのリモコンに士郎はさっきまで見ていた夢を思い出していた。あの時は迫りくる銃弾を…
「盾になる武器で―――!」
瞬間、思考よりも早く体は反応した。背後へと伸ばされた手は何よりも使い慣れた得物を掴んで攻撃の軌道へと割り込み。
ゴギッ…!
金属のきしむ音が響いた。
拮抗するのは二つの力。豪腕が投じたリモコンと…使い込まれた歴戦のフライパン!
「ぉおおおおおおっ!」
力負けし押しこまれる感触に士郎は戦慄しながら全身の力をフライパンに込めてそれを押し返した。ぐぐっと圧力がかかるのを堪えて腕を突き出した。瞬間。
べきん。
「折れたぁっ!」
年老いたフライパンは本体と柄の接合部分から真っ二つにへし折れた。円盤状になった本体部分はくるくると回転しながら真横に吹っ飛び…
ぼこん。
「きゅっ!?」
倒れていた桜の即頭部に直撃した。少女の体はびくんと痙攣したきり動かなくなる。
「あ…」
「あ…」
こちらも衝撃に負けて粉々になったリモコンがあたりに散らばる中、凛と士郎は顔を見合わせた。無言のまま見つめあい、うんと頷いて口を開く。
「「おお、さくら。しんでしまうとはなさけない」」
「もう、先輩も姉さんも…人が気絶してるっていうのに…ひどいです」
「いや、その…ごめん」
「ごめんね、桜」
数十分後。起きてきたサーヴァント達と朝食を食べながら桜は唇を尖らせた。
「せっかくいいところだったのに…」
「…へぇ?」
ギロリ、と睨まれて士郎は視線を明後日の方向へ投げる。下手に抵抗すれば惨殺だ。反論など出来たものではない。
「と、ところでさ!今日、変な夢を見たんだよ!」
だから、その代わりに新たな話題を提供してみた。
「夢っ?どんなのかなっ?」
その意図を読んでか読まずか、イスカンダルはお茶碗片手に聞いてくる。
「うん。俺の父親の夢。懐かしかったよ」
その一言に、イスカンダルは複雑な顔をした。そのままセイバーの方にすっと視線を向ける。
「キリツグですか…」
「うん。なんか親父と戦う夢。でも俺、親父がどんな魔術使うかとかしらないからなぁ。あれも適当だったのかも」
タクアンを齧りながらそう言った士郎の言葉に凛はくいっと首をかしげた。
「そう言えば前も資料が無いとか言ってたけど…魔術刻印はどうしたの?」
「魔術刻印って基本的に肉親じゃないと引き継げないんだろ?俺、養子だから」
事も無げに言われた言葉に凛と桜は同時に身を振るわせる。その理由は、違うものではあったが。
「…そっか。じゃあ、士郎には…家族いないんだ」
「血がつながった家族は、だよ。親父が死んでからも藤ねえはここに入り浸ってたし、最近は桜も居たわけだしね…な、桜」
話を振られた桜はびくっと飛び跳ねた。あわあわと箸を振りまわしてガクガクと頷く。
「は、はいっ!ままままままま魔術刻印なんてもってませんっ!」
「は?」
「え?」
凛と士郎にステレオで聞き返され桜はあぅ…と呟いて下を向いた。そのままシオシオと俯いてしまう。
(そっか。桜も魔術刻印は継げないものね。士郎とおそろいって思ったのかしら?)
(蟲を使った人体改造。あの日会ったもう一人の桜はそう言ったっけな…)
二人はそれぞれ異なることを思い、納得した。
その時。
「その夢の中でキリツグはどんな武器を使っていましたか?」
セイバーは茶碗片手にそんな事を聞いてきた。
「拳銃。二挺だったよ」
士郎はそう答えて肉の野菜巻を齧る。アスパラの水気と豚肉の油が相殺しあって丁度いいさっぱり感だ。
「キリツグの礼装は確かに銃でした。魔術師としてそんなに一般的な装備ではないと思うのですが…本当に何も知らないのですか?」
「うん。何も」
味噌汁をずず…と啜りながらセイバーの放った問いに士郎は頷く。
「親父は俺を魔術師にはしたくなかったみたいだから。ただの人間として、普通に幸せになって欲しかったらしい」
「普通に、ね」
ランサーは呟いて苦笑した。現在士郎の置かれている状態とはあまりに隔たりの在るその言葉に。
「でも、夢の中で会った親父は出来るって言ってくれたんだよ。みんなと一緒なら、きっとなれるって。俺と親父が目指した『正義の味方』って理想に届くって…だから、もしあれが幽霊とかそういうので、本物だったら…嬉しいんだけどな」
そう言って士郎が笑ったその時。
「……」
アーチャーは無意識のままガタン、と音を立てて立ち上がっていた。
「アーチャー? どうしたのよ。まだ食べ終わってないじゃない」
「なにか口に合わない料理でもあったか?」
不思議そうな顔で見上げてくる凛と士郎に苛立たしげな一瞥をくわえ、そのまま足早に居間から去って行く。
「どうしたんだろ…?」
「あいつにも色々あるんだろ。ま、ほっといてやれよ」
アーチャーの座っていた場所を見つめて首を振ったランサーは呟いた。あの『影』と戦った日に知ったいくつかの事実をつなぎ合わせれば何故彼女が苛立つのかは想像がつくが、それはまだ話すべきことではないだろう。
「それにしても…」
そんなランサーに気づかず士郎は首をかしげた。魔術師として切嗣は徹底的に非情な戦いぶりをしていたというのは既に聞いたが、戦っていない時はどうだったのだろうか?
「なあセイバー。昔の親父ってどんな奴だったんだ?その、戦っていないときはさ」
興味深げに尋ねられ、しかしセイバーは困った顔をした。
「すいません。シロウ。前回の聖杯戦争時ですが、私はキリツグと3つの言葉しか交わしていませんので…あまり話せることはないのです」
「3つ…? つまり令呪を使うとき以外喋らなかったってこと?」
それは冷たいなあと士郎が顔をしかめると、僅かに顔を赤らめて首を振る。
「いえ。そういうのは別です。3つというのは彼が私に教えようとしていたことで…」
「教える? どんなことをさ?」
そし、てセイバーはごほんと咳払いをし、士郎を見上げた。
「それは…『おすわり』、『お手』、『ちん』―――」
言いかけ、顔がぼひゅっと真っ赤に燃える。
「つ、つまり、その、そういうことです。繰り返しキリツグは私にそういうコミュニケーションを求めてきたと言うことで…」
「あ…ああ、そうなんだ…」
セイバーが言い終わるより早く士郎は呟いて立ち上がっていた。頭を抱え、血走った目で居間の隅においてあったバットを手に取る。
「ちょ、ちょっと士郎! どうしたのよ!」
「…ああ、気にしないでくれ遠坂…ちょっと仏壇の前で素振りをしたくなっただけだから」
「珍しく少年が怒っているな…」
「かわいらしい嫉妬なんだねっ! 正直萌えるよっ!」
面白そうに観察するランサー達をよそに、セイバーは慌てて立ち上がり士郎の袖を引っ張った。
「…待ってください。シロウ」
「ん? どうしたんだセイバー」
突発的な衝動を押さえ込んでバットを片付けた士郎に問われ、セイバーは真剣な顔で頷く。
「あ、あの…やってみたくなったりは、しませんか? キリツグはこれも理想の一つだと言っていたのですが」
「え? 何のこ…と…」
士郎は聞き返し、瞬時に気がついた。だが本当に?誇り高いセイバーがやるのか?
「じゃあセイバー…」
「はい」
気合の入った表情で頷くセイバーとよくわかっていない表情で見守るサーヴァントと魔術師を眺めながら士郎は決断した。
(まあ、間違ってたらいつも通り吹っ飛ばされるだけだし)
慣れは、怖い。
「セイバー! おすわり!」
「わん!」
刹那、セイバーはその場にすとんっと正座した。
「お手!」
「わ、わん!」
士郎もしゃがんで手を差し出すと、そこにぽてっとセイバーは丸めた右手を載せてくる。上気し、やや暖かい手が気持ちいい。
「おかわり!」
「!?」
セイバーは反射的に自分の茶碗を見てからそれは違うとブルブル首を振る。一国の王として軍事や政務を処理してきた明晰な頭脳でもって未修得のその技の正体を看破!
「くぅん!」
士郎の差し出した手に乗せた右手を素早く引っ込めてセイバーは左手をそこに載せる!
「おおおおおおっ! 凄いぜセイバー!」
「よく出来たんだねっ!」
パチパチと拍手して喜ぶランサーとイスカンダルの絶叫に近い叫びにセイバーは目を閉じ、自分の小さな胸に手を当ててこそばゆそうな表情をする。その様子を台詞で表すとするならば…
『どうですシロウ。ちゃんと出来ましたよ?』
と言ったところだろうか。尻尾がパタパタ揺れているような幻視すら見える。
「せ、セイバー、偉いな」
士郎は取り合えず目の前の小さな頭を撫でてみた。
「ぬ、ぬおっ!?」
「っ! ごめん! つい…」
途端に物凄い声でのけぞられ、慌ててその手を引っ込めるとセイバーはしまった!と後悔の表情になる。
「い、いえ。今のはあまりに唐突なので驚いただけで…その…」
「セイバー?」
真っ赤になってうつむき、プチプチ呟くセイバーに士郎はきょとんと声をかけた。
「むしろもっとしてほしいといいますかなんといいますか。いえ、べつだんそのあれというわけではなくむしろきりつぐはもっとすごいごほうびをおしえてくれたわけでってちがいますよ?きりつぐにはこんなことしていませんしろうだけ…」
「ごめん、よく聞こえないんだけど」
早口に小声とあって言葉の意味まで聞き取れず首をかしげる少年の姿に―――
「せ、先輩ッ!」
すっかり今朝の話題からは放り出されてしまった。魔術師は立ち上がり拳を握った。
「さ、桜?」
「め、牝犬ならわたしだってできますっ!むしろマキリの すごい えっちでご奉仕しちゃいます!目を覚ましてください!」
「あんたが目を覚ませ!」
凛は閃光のように立ち上がり、その勢いのまま桜の顎に拳を叩き込み宙を舞う。
「おお、昇龍拳」
「手が燃えてるからマスターズ式だねっ!」
食後のお茶をすすりながら観戦する二人をよそに凛は肩で息をしながらギョロリと士郎を睨んだ。
「士郎…」
「ひっ! な、なんだよ遠坂」
そのまま神話に伝わればライダーと同じような能力を手に入れそうなその視線に怯えながら尋ねると凛は顔を赤くしてふんっとそっぽを向いた。
「い、いい加減にするにゃん…」
「対抗したぁああっ!」
「む。ボクだって三枝っちと同じような戦いを繰り広げたにょ」
「それは猫っぽいが猫ではない」
「あれ? アーチャー戻ってきたのか? ん? 何で涙ぐんでるんだ?」
ランサーに首を傾げられ、アーチャーは何でもないと涙を拭う。彼女の中のセイバー像はどんどん汚れていく…
「遠坂…?」
「な、なによ!」
後悔の表情でむーっと睨んでくる凛に士郎はちょっと照れながら頷いた。
「今の、可愛かった」
「っ!」
平和だ…
「いえむしろのぞむところというかああどきどきしますわたしはどんどん…」
「しっかし見事に折れちゃったなあこれ」
後片付けを終えた食卓で士郎はため息をついた。アッパーキャンセルで昇竜拳を叩き込まれた顎をさすって呟く。
「遠坂、これ直せる?」
「…ごめん」
バツの悪そうな顔でそう言った凛に士郎はパタパタと手を振って苦笑した
「ああ、そういうことじゃなくて…俺は物理的にしか物を直せないから。遠坂に直せないようだったら買い換えようかなって思っただけ」
「でも…それ、ずっと使ってたんでしょ? 愛着あるんじゃないの?」
問われ、食卓の上に置かれた『フライパンだったもの』を眺める。今では金属製の皿とプラスチック製の棒にすぎないが。
「まあ、ね。俺が料理始めた頃から使ってたものだし…でもさこいつを捨てたところで、鍛えてもらった料理の腕が無くなるわけじゃないから。だから、構わないよ」
「…うう、いい話だぜ」
優しい笑顔でフライパンを撫でる士郎にランサーはぐすっと鼻をならした。
「おいアーチャー。おまえ、コレ直せねぇの?」
「…バーナーを持って来い。溶接してやる」
アーチャーはそっけなく言って新聞を広げる。表情が、僅かだが常より優しい。
「ちっ…ガイアンツは連敗か。パは…レールウェイズとフーズフーズが首位争い?地味な…」
「…アーチャーってさりげなく現代生活に適応しきってるわね」
凛は呟いて肩をすくめ、士郎に向き直った。
「とにかく、新しいのを買うならわたしがお金出すわ」
「え…い、いいよそれくらい。こいつで防御なんてこと考えたのは俺だし」
「でもわたしが投げたリモコンが原因でしょ?」
「よけるなりなんなり他に方法もあったんだから俺のせいだって」
「そうやって何でもかんでも自分のせいみたいに言うの良くないわよ? そういうのは責任感じゃなくて自虐的っていうのよ」
「む。なんだよそれ。遠坂だってどんな失敗も自分ひとりで挽回しようって強がってばっかじゃないか。たまには俺にも背負わせろよ」
凛と士郎は同時に顔をしかめてにらみ合った。むっとした表情のまま二人が再度口を開きかけた瞬間。
「はいはいはい、ごちそうさま。二人が互いのことよーく理解してんのはわかったからよ、少しは建設的な話をしねぇか?」
ランサーはニヤニヤしながらそれを遮った。
「な、なによそれ。わたしは別に…士郎なんてイレギュラーの塊理解不能よ…」
「遠坂みたいな規格外のこと俺にわかるわけないじゃないか…」
途端に赤くなる二人に若いねぇと呟きランサーは肩をすくめる。
「フライパンくらい昨日オレ達が稼いできた金で買っとけよ。んで嬢ちゃん、はじめてのプレゼントはもうちっと色気のあるもんにしとけって。男ってのはそういうもんを見てニヤニヤする生きもんなんだからよ。フライパン見てニヤニヤされても気持ち悪いだろ?」
「な、何言ってんのよあんた! わたしは、その…」
「フライパンを見てにやつく男が好みか?」
ぼそっとつっこんだアーチャーに凛がティッシュの箱を投げつけて黙らせた、そのとき。
「きゃははははは!」
「あらあらあら〜!」
楽しげな声と共にふすまがスパンッ!と開いた。
「士郎にーちゃん!」
「おにーさまー!」
そこから入ってきたのはあんりとまゆ。それ自体はいつものことだが―――
「ぶっ…!」
その服装は普通ではなかった。と、いうよりも。
「あんた達なんで服着てないのよ!」
そう、服そのものが、ない。二人は起伏というものがまったくない体を惜しげもなくさらして駆け回る。一言で言ってしまえば全裸だ。
「安全地帯発見したよまゆ!」
「うふふ、退避〜」
あんりとまゆは口々に叫びながら褐色の肌もまぶしく士郎に飛びついた。瞬間、士郎の頭の中で猫のような人のような吸血鬼のような何かがしえるいんどーなどと叫びながら駆け回る。
「こ、こら! あんりちゃん! まゆちゃん!お部屋を出ちゃ駄目って言ったでしょ!?」
続いて入ってきた桜―――残念なことにこっちはきちんと服を着ている―――の言葉にあんりはべーっと舌を出した。
「だってお部屋に居ても退屈なんだもん!」
「まゆは別にいいんですけどね〜」
「あ、あわ、おぅ…」
両の腕にぺとっとくっつく小さな体に、ピヨリ状態のまま士郎は呻いた。成人女性とは明らかに異なる固さと柔らかさを兼ね備えた感触が気持ちいい。
「…これはこれは、士郎のストライクゾーンって際限なく広いのね」
「ぅえ!? い、いや違うぞ遠坂! これはびっくりしてだな!?」
心底軽蔑しきった声に士郎は慌てて反論するが、両腕に全裸の幼女をぶら下げた姿ではまったくのこと説得力などない。
「…先輩ってそういう趣味だったんですね」
「さ、桜まで…っていうか、なんであんりちゃんたち裸なんだよ桜!」
ぞわぞわと影を蠢かせながら冷たく呟いた桜は士郎のつっこみを受けて我に返りあんり達に駆け寄った。
「メディアちゃんが調合してたエリキシルをこの子達がこぼしちゃって…着てた服が解け始めたんで脱がしたのですけど…他の服はみんなお洗濯しちゃってたんです」
桜は二人を捕まえようと手を伸ばすが幼女達は士郎の体をするすると這い回ってそれを交わしてしまう。
「もう! 先輩から離れなさい!」
「やだよーだ!」
「士郎にいさまにぴとっとしたいのはまゆたちの本能ですから〜」
硬直した士郎の太ももにまたがって笑う二人を。
「あらあら、そこまでにしときましょうね?」
「あ、あの。いたずらはよくないですぅ…」
二本の腕がひょいっと抱えあげた。気配遮断を使って忍び寄ってきた佐々木とハサンだ。佐々木の方のスキルはおまけ程度だが本人の動きが異常にすばやい。
「わっ! つかまった!」
「あらあら〜」
じたばたする二人をバスタオルで包み、桜はふぅとため息をついた。
「でも、困りましたね。あんりちゃん達の服ってあまり枚数も無いのに」
それを聞いたランサーはみかんを剥きながらウムウムと頷く。
「そういえばバーサーカーの奴とかの服もあんまねぇよな。ハサンだって2〜3枚の服で着まわしてるんだろ?」
「え?あ、はいですぅ。凛さまから貰った服は胸の辺りがきつくて着れませんから―――ひ!」
ハサンは何気なく答えてびくっと震えた。そろそろと視線をずらすと…
「ふふふふふふふふふふふ腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐」
「ひぃいいいいいっっっっ! ご、ごめんなさいぃぃぃぃっ!」
宝石を構える修羅が一人!
「待て嬢ちゃん! 少年相手じゃねぇんだから手加減しろ! 殺しちまうぞ!」
「…普通、サーヴァントの方が頑丈なのだがな」
アーチャーはぼそっとつっこみ新聞をめくる。
「ほう、またリコール隠しか…腐ってるな」
「うーん、そう考えると足りないものも多い、か」
士郎は呟いてテレビの隣に置いてある小物入れに目を向けた。その中には、昨日サーヴァント達が稼いできた金が入っている。焼肉屋でだいぶ使ったがまだ30万近くある筈だ。
「よし、決めた。その辺も含めて今日は買出しに行こう」
「結局みんなの為に使うわけか。まあ、その方が少年らしけどね…なあ、アーチャー?」
言いながらランサーはアーチャーの方へ視線を向けてニヤリと笑う。
「ふん…」
アーチャーは新聞で表情を隠して不機嫌そうに肩を揺らした。それを見たランサーは笑みを深くして士郎に向き直る。
「そうときまりゃあ人数は多い方がいい。よし少年、セイバー達も呼んで来いよ」
「そうですね…じゃあ俺、みんなに声かけてきますからランサーさん達は準備して玄関で待っててください」
そう言って立ち上がった士郎にランサーはぴんっと指を立てて真面目な表情を作る。
「いいか少年。リミットは30分。1箇所ごとに3分経過するから10回しかチャンスは無い。メイン以外のイベントをこなす気なら効率よくな」
「なんのゲームですかコレは…」
…ノベルです。
「さて…どこから探そうかな」
廊下で呟いた士郎はこれじゃあほんとにどこぞのADVだと苦笑した。優しい鯉は好きですよ?
「ま、とりあえず居場所のわかってる奴からだな」
横道にそれる思考を脳内のゴミ箱に放り込んで士郎は歩き出した。縁側からサンダルをつっかけて中庭に降り、道場に向かう。
「セイバー、居るか?」
「おや…?」
一礼してから道場の中へ入ると、正座して物思いにふけっていたセイバーは意外そうな表情で顔をあげた。こうやって静謐な空気の中に居る彼女はあまりにも美しい。先程の犬ちっく少女と同一人物とは思えない程だ。
「シロウですか。桜かと思ったのですが…」
「なんでさ。桜が来る予定でもあったのか?」
食いしん坊友の会第二十六回総会in道場―――そんな埒も無いことを考えながら尋ねるとセイバーはくすりと微笑んで立ち上がった。
「シロウとの稽古は夕の予定でしたので朝は桜との稽古にあてるつもりだったのです」
「桜と、稽古?」
アンバランスな取り合わせに聞き返すと、ええとセイバーは頷く。
「例の『影』のことがあってから思うところがあったのでしょう。体術を学びたいと私に言ってきました。それから何度か見ています」
「体術って…桜が? なんか、物凄く意外だな」
想像してみるが、機敏に敵を打ち倒す様などとても思い浮かばない。踏み込んだところでスカートの裾を踏んで転ぶくらいのイメージがせいぜいだ。
「あれでいてリンの妹ですよ?才覚はなかなかのものです。もっとも、成長期に鍛錬を積んでいなかったのでそれなり以上のものはありませんが」
「そっか…あ、忘れてた。今日はみんなで買い物に行くことになったよ。セイバーも来て欲しいんだけど、どうかな?」
くいと首をかしげ、セイバーはこくりと頷く。
「わかりました…見事護衛を勤めて見せましょう!」
「いや、別にそんなのはいらないんだけどね。じゃあ外に出る準備をして玄関で待ってて」
いそいそと玄関に向かったセイバーと別れ、士郎は客間へと向かった。
「客間って言い方も…なんか違うかもな。もう」
なんとなく呟きながらまずノックしたのはギルガメッシュの部屋だ。
「ギルガメッシュさん、起きてますか?」
「うむ。入るがよい」
返答を聞いた士郎はカラカラとふすまを開けて入室し―――
「のわっ!」
思わず叫んで後ずさった。
「なんだ、藪から棒に」
不満そうに言ってきたギルガメッシュに士郎はあわあわと指を向ける。
「なんで完全武装なんですか!」
「む?」
呟いてギルガメッシュは自分の体を見下ろした。その小柄な体は、久しぶりに身に着けた黄金の鎧が包んでいる。
「ああ、これか。なに、部屋着が少なくてな。今後どうするか悩んでいるうちに寒くなっただけだ…外着はまだ大丈夫なのだが、少し教会の部屋から持ってくる必要があるかもしれぬな。これは」
「ああ、ならちょうどいいですね。みんなで買い物に行くんですけど一緒に来ませんか…ってまだ朝御飯食べてないんでしたっけ」
じゃあ駄目かなと呟く士郎にギルガメッシュは笑顔で首を振った。
「いや、構わん。元より我は朝食を食べない生活習慣だったのでな。一日くらい昔に戻るのもよかろう」
「わかりました。じゃあ俺は他の人にも声をかけてきますんで、玄関で待っててくださいね」
うむと頷き、ギルガメッシュは武装を解除した。宝具と一対となる『英霊の象徴』であるところの鎧はその主の意思に従い魔力へと戻って消えうせ…
「のわっ!」
後に残ったのは、下着だけ。着る服を選んでいたのだから当たり前だ。
「何を驚いて・・・なっ!」
うっかり王、いまだ健在―――
大騒ぎになったギルガメッシュの部屋を辞した士郎は次の部屋をノックし、返事が無いのを確認してドアをゆっくりと開け…
「あれ?」
と呟き首をかしげた。凛の部屋と並び工房化が進んでいるその部屋に、主が居なかったのだ。
「がぅ?」
立ち尽くしている士郎に、隣の部屋から顔を出したバーサーカーは声をかける。
「ドウシタノ?」
「ああ、メディアちゃんを探してたんだけど…どこ行ったか知らないか?」
バーサーカーはうんと頷き、外を指差す。
「オドッテル」
「踊って…なんでさ」
よくわからない台詞に首をかしげながら、士郎はまあいいかと思い直した。
「あのさ、これからみんなと買い物に行こうと思ってるんだけどバーサーカーも行く?」
「カイモノ」
バーサーカーはうんと頷く。
「チカラモチ」
「いや、別に荷物持ちってわけじゃないよ…じゃあ玄関で待っててね」
「がぅ」
勝手口から外に出た士郎はまたもサンダルをつっかけて裏の方へと回った。中庭と比べると遥かにこじんまりした裏庭へと向かうと…
「マナ体操第一〜」
やけっぱちのような声が、聞こえてくる。
「あたーらしいっ、マナが来った〜! きぼ〜うのっマ〜ナ〜だ! よろこーびに胸をひーらけっ!おおぞーらあーおーげー!」
「…なんでさ」
なんだか夏休みの朝には毎朝公園で聞いていたような気がするメロディーに士郎は首をひねって足を速めた。
「マナーっの、こぅえにー、すぅこやーかなっ、むーねをー!」
そして。たどり着いた裏庭で、キャスターはいつぞやのマジカルステッキを振り回して踊り狂っていた。
「このたっかーいそっらーにひらっけよー! そーれいっち、にぃ、さ〜ん!」
「……」
士郎が呆然と見守っていると、動きを止めたメディアの周囲にぶんっ…と低い唸りをあげて魔法陣が浮かび上がった。魔力がそこに集中し、吸い込まれて消えていく。
「ふう、今日のお勤め、これで終わりだもん」
額ににじんだ汗を拭ってキャスターは呟き。
「はぇ?」
なんともいえない表情でこちらを見つめている士郎に気づいてさぁっと青ざめた。
「お、お兄ちゃん!? ななな何でここに居るの!?」
「いや、みんなで買い物に行くから一緒に来ないか聞きに来ただけなんだけど…なに? 今の」
問われ、キャスターはあうあうと後ずさり、頬を朱に染める。
「…陣地、作ってたんだもん」
「陣地? なにそれ」
不思議そうな顔で問う士郎にキャスターはぺちぺちと頬を叩きながら地面を指差した。
「マナを貯蔵できる拠点のことだよ。その他にも色々お得な機能もついてるの。ほんとはもう1レベル上の神殿が作りたかったんだけど、そんなことしたら大変なことになりそうだからやめといたの」
「…さっきのが…その、マナを貯蔵する儀式…なのかな」
キャスターは恥ずかしそうに俯く。
「う、うん…ちょっと趣味でアレンジしたけど」
「趣味…」
士郎は再度微妙な表情になって首を振り、苦笑気味に笑った。
「ま、まあともかく。買い物なんだけど…行くかな?」
「うん。ちょうといい憂さ晴らしになりそうだもん」
キャスターは素直に頷いてひょいっと手を振った。握っていたステッキはポンッと煙を発して消滅する。
「憂さ晴らし、ね。そう言えばさっきの歌も何か荒れ気味だったけどどうかしたの?」
「…く…くく…」
何気なく質問した瞬間、キャスターはしゃっくりのような笑いを漏らした。はっきりと怖い。
「…あの、お子様達…人が必死でかき集めた材料で作ったエリクシルを…ひ、ひっくり、ひっくり返して…」
肩を落としプルプルと震えるキャスターに士郎は今度こそはっきりと苦笑して彼女の肩を叩いた。
「まあ、その、なんだ。なにか買ってあげるからさ、そこのところは忘れとこうよ」
元気を取り戻したキャスターを玄関まで送り、士郎は客間通路へと戻ってきた。
「後はイスカちゃんとライダーか。二人ともどこにいるかわからないんだよな…」
呟き、士郎は二人の部屋を覗いてみるが、どちらも空。
「ふぅむ。本当にゲームじみてきたぞ。せめてマップに居場所が表示されればいいのになぁ」
首をひねり、考える。ライダーの行きそうなところと言えば桜のところなのだが、今はその桜が玄関にいる。それ以外となると時折ふらりと姿を消してしまうのでまったくの謎だ。イスカンダルの方にいたっては趣味が散歩なので居場所は完全にランダムである。
「こりゃもう、突発イベント狙いで彷徨うか」
呟き、廊下にかけてある時計を見上げたときだった。
カポンと、音が聞こえて士郎は動きを止める。独特のエコーに聞き覚えがある。そも、音が聞こえてきた廊下の突き当たりは…
「風呂、か…」
刹那、士郎は歩き出していた。
「いや、別にそういうのではなくだね、なんていうか、誰が居るか確認する為に…」
ぶつぶつ言いながら、慎重に脱衣所に近づく。
「……」
しまっている戸を軽く叩いてみるが答えはない。だが中からは確かに水音が聞こえる。
「…駄目だ。誰か居るのは間違いないんだからここで引き返そう」
士郎は呟き、脱衣所の戸に手をかけた。
「って何故に!?」
あうあうと呟くうちに音も立てず脱衣所の戸は開く。
「か、体が勝手に…」
言いながら士郎隊長はふらふらと中へと足を踏み入れた。そこに…
「ウェルカムなんだねっ!」
不気味な人形を胸の前で構えたイスカンダルが立っていた。
残念。着衣だ。
「見えそうで見えないところがそそるんだねっ! ここでゲージを溜めて本番では獣になるといいよっ!」
「なにがさ…」
ぐったりとした士郎はふと気づいてイスカンダルの手に握られた人形に目を向けた。
「それ、ギルガメッシュさんのとこの倉庫で見た人形繰りの宝具じゃないか! うわ! しっかり俺の髪の毛仕込んであるし!」
「てへへ。バレたっ? 借りてきたんだよっ」
イスカンダルがてへっと舌を出した時。
「誰と話しているのですかイスカンダル―――?」
カラリ、と。浴室の扉が開いた。
「え?」
「あはっ」
そこから姿を現したのは、腰まで届いた長く美しい髪と神にすら嫉妬される完璧な肢体を兼ね備えた美女―――ライダーだった。タオルを片手にぶらさげ、一糸纏わぬ姿に眼鏡だけをかけたアンバランスな姿できょとんと二人を眺めている。
「…なんでっていうか、そういえばここでなにしてたの?イスカちゃん」
「覗きだよっ!」
「元気に言わないでください! あなたといいランサーといい何故に人の入浴を邪魔するのですか!」
ライダーは顔を真っ赤にして叫び、眼鏡に手をかける。
「返答によっては、容赦しませんよ!?」
「返答は楽しいから、なんだけど―――」
イスカンダルは笑顔で片目をつぶり、舌を出す。
「とりあえず、体隠した方がいいんじゃないかなっ?」
「な―――」
ライダーはイスカンダルを見た。自分の裸体を見下ろし、最後に顔を引きつらせて立ち尽くす士郎を見つめた。
まじまじと見つめ。
「っ…!」
さっと眼鏡をはずす!
「おっと危ないんだねっ!」
刹那。イスカンダルは士郎に飛びついてその頭を抱きかかえ、勢いのまま脱衣所の外へとその体を押し出した。
「ま、待ちなさい!」
「ごちそうさまだねっ!」
飛び出すことも出来ずあわあわと服を着込むライダーを尻目にイスカンダルは士郎の手を引き走り出した。
「ほら、逃げようね大家さんっ!」
「ああ、まちなさい! ってズボンに手を通してどうするのですか私は! っと、シャツが、シャツが裏返って!」
背後から聞こえる声にクスクス笑いながら走るイスカンダルと共に逃走すること数分。
「逃げ切ったんだねっ!」
土蔵の中に逃げ込んだイスカンダルは士郎にぶいっと指を突き出した。
「…はぁ。何でこうどたばたするかな」
「Fateだねっ! その日運命に出会ったんだよっ!」
元気な声に士郎は深々とため息をつく。
「そんな運命出会いたくないよ俺は」
「…ほんとに?」
いたずらっぽく上目遣いで見上げられて士郎はむむ、と考え込んだ。吹き飛ばされたり吹き飛ばされたり吹き飛ばされたり吹き飛ばされる光景を思い出してその表情が暗くなり。
「いや、やっぱりみんなと出会えてよかったかな」
それを含めて、これまでに過ごした日々の暖かさに微笑んだ。
「うんうん、そうだよねっ! 今日もいいもん見れたしっ!」
「……」
士郎はついさっき見たばかりの純白の裸身を思い出し、反射的に鼻を押さえた。念の為首の後ろをトントンと叩いておく。
「ところで、大家さんは何をしてたのかなっ?」
「あ、忘れてた。みんなで買い物行くんだけどイスカちゃんはどうする?」
んー、と首をかしげ、イスカンダルは笑みを見せた。
「みんなでお出かけなら絶対に行くよっ!」
「そう?」
何気なく相槌をうつ士郎にぶんぶんと何度も何度も頷く。
「一人よりみんながいいよっ! 絶対に、その方がいいんだよっ! ボクは…そう思うよっ!」
言いながらその場でくるりと回り、スカートの端を摘んでぺこんとお辞儀する。丈が短いスカートなので相当にきわどい。
「ではでは、ご一緒させてもらうんだねっ! あ、メデュちゃんには?」
「めでゅ…あ、ライダーのことか。あんな状況だったから当然伝えてない…っていうか、今顔合わせたら殺されるかも」
うー、と震える士郎にイスカンダルはピッと敬礼のような仕草をした。
「じゃあ、ボクがメデュちゃんには言っとくよっ!」
「…じゃあ、お願い。待ち合わせは玄関前。もうみんな居る筈だから」
OKだねっ!と言って走り去るイスカンダルを見送り、ふと士郎は土蔵の中を見渡した。
「こんなにたくさん居るとさ、出かけるだけでも大変だよ。親父―――」
記憶が、蘇る。その昔、まだこの家に衛宮が二人居た頃。ここで遊んでいる士郎のもとへ切嗣がやってきて、二人して買い物に出かけていく。そんな記憶。
もう少し年月が進むとそれが三人になり。
そして、また二人に戻った。
「…何を似合わない感傷に浸ってんだろうな、俺」
この場所は切嗣の記憶よりも士郎自身の生活、そして鍛錬の記憶の方が多い。むしろ切嗣にまつわる思い出など数えるほどしかない場所なのだが。
「なんか、親父に物凄い助けられた場所のような気がするんだよな。よくわかんないけど」
苦笑して士郎は土蔵を出て歩き出した。今度は十六人で、出かけるために。
その床に刻まれた全ての始まりになった召還陣に、見送られて。
大規模な買い物となれば、やはりやってくるのは新都となる。バス代ももったいないということで士郎達は今日も徒歩で駅前へやってきていた。
「つぅかさ、せっかく金あんだしバスでもタクシーでも使えばいいじゃねぇかよ」
「甘いッ!」
普段の移動手段がバイクのランサーがぶつぶつ文句を言うと、凛は刺すような鋭い声でびしっとそれを遮った。
「いい? そういう浪費の積み重ねが家計を危うくするのよ!このわたしの目が黒いうちは…っていうか緑? …えっと、とにかく色がついてるうちはそんなことさせないわよ! 根本的に貴方達はやんなるくらい健康なんだから歩く!」
「ふふふ、そうですわね。旦那様とお散歩していると思えば楽しいですね」
佐々木の言葉にランサーはむむむ、と唸る。
「そういうもんかね。アーチャー」
「そこで何故、私に振る」
アーチャーは顔をしかめて凛に目を向けた。
「この馬鹿のことは放っておいて…まずはどこに行くのだ。フライパンと服ならデパート…ベェルデか?」
「いや、それだと数をそろえると結構な額になっちゃうから」
答えたのは士郎だった。その言葉を聞いたアーチャーはふんと頷く。
「では、古着屋か。確かこの近くに大規模なものが一軒在った筈だが」
「さっすが! 以心伝心だな、アーチャー」
嬉しげなランサーに舌打ちしてそっぽを向いてしまったアーチャーを不思議そうに眺め、士郎は不思議そうに首をかしげた。
「以心伝心っていうか…まあ、結構気は合うと思うんだけどな。アーチャーとは」
「っ…そ、そんなことは無い! むしろおまえとは不倶戴天の関係の筈だ!」
ぎょっとした表情で睨んできたアーチャーにきょとんとして目をしばたかせる。
「そうかな。献立とか困ってるときに相談するとすぐに考えまとまるし雨ぱらついたときとか俺より早く洗濯物とりこんどいてくれたりするしお茶菓子買ってきてもらったときも何買ってきて欲しいのか言わなかったのにちゃんと江戸前屋のどら焼きだったし」
「む…ぐ、偶然だ。私とおまえは合わない。すこぶる合わない。合わないだろう!?」
あくまで言い張る英霊に凛はむーっと首をかしげた。
「そういえば…こないだレモン・ストロベリー・ミルクの3通り味があるキャンディーを一袋買ったのよ。それで好きなのを1個あげるって言ったら士郎とアーチャーは迷わず同じミルク味取ったわね」
「コンビニのビニール袋が放ってあると二人して丁寧に畳んでるんだねっ!」
「ミカン剥くときにぽっちのついてる方から剥くよな。少年もアーチャーも」
「ふむ。そうわれてみれば、道場へ入ってくるときに二人とも同じ角度で礼をしますね」
「くすくす。士郎にーちゃんとアーチャーねーちゃんは同じにおいするしねーっ!」
「ふふふふ、肌を舐めると同じ味がしますから〜」
次々とあげられていく共通項にアーチャーは思わず後ずさった。特に最後、いつ舐めた。
「…前々から思っておったんだがの」
そんな騒ぎを一歩離れて眺めていたギルガメッシュはふと眉を寄せ、アーチャーと士郎を交互に見つめる。
「貴様ら、ひょっとすると…」
意味ありげな間に、アーチャーは戦慄した。ランサーが秘密を漏らしたとは思わないが、仮にも皆英霊。洞察力においても優れている(筈の)面々だ。
「ひょ、ひょっとすると何だと言うのだ…?」
額に汗を浮かべて問うアーチャーをギルガメッシュはびしっと指差した。
「生き別れの兄妹であろう!」
「召還されて先日現れたばかりのサーヴァントに何故血縁値がつく!」
顔色を変えて絶叫した赤の英霊に士郎はふらりとよろめいてみせる。
「…そ、そうか…アーチャーは俺の妹だったのか! …マイシスターに設定しなくては…」
「最低限、私の方が年上だ! 阿呆なことを言うな!」
縦横無尽につっこみまくるアーチャーにイスカンダルは嬉しそうに指を鳴らす。
「それじゃあお姉さんだねっ! 愛称はあちねえ?」
「3乗しそうなあだ名をつけるな風俗王!」
きゅぼっ…!と音を立てて音速の域に達したアーチャーの裏拳にイスカンダルはくるくると回転しながら吹き飛んだ。ひらりと着地してパチリとウィンクをする。
「ちゃんとしようねっ?」
「姉ネタはもういい!」
「あー、そだな。時間もずいぶんとくっちまったし」
吼えるようにつっこみ肩で息するアーチャーにランサーは頷き、凛の方に手を振る。
「おーい、アーチャーからかうのはこれくらいにしてそろそろ行こうぜ。古着屋だっけ?」
「そうね、もう満足したわ。こっちよ」
凛が合図するとサーヴァント達は一斉に頷いてぞろぞろと歩き出した。後に残されたのはつっこみつかれてうずくまるアーチャーと―――
「あー、なんていうか…おつかれさま」
その肩を優しく叩く士郎のみ。
「く…おまえに慰められる日が来るとは…この身も墜ちたものだ」
「んー、そりゃあ俺なんかじゃ小物過ぎるかもしれないけどね」
容赦ない台詞に苦笑する士郎にアーチャーは顔をしかめて立ち上がった。
「小物とかそういう問題ではない。おまえと私がそのような形で関わるということ、それ自体が在り得べからぬ問題なのだ。私はおまえを憎んでいるしおまえも私に苛立ちのようなものを感じている筈だろう?」
吐き捨てるように言われ、士郎はきょとんと首を傾げる。
「ああ、そういえば最初の頃は結構ぶつかってたよな」
呟き、苦笑ひとつ。
「んー、でも今はそうでもなくてさ。…なんていうか放っとけないんだよ。アーチャーって。なんかひとごとじゃないって感じでさ」
「っ!」
アーチャーは口をへの字に曲げて士郎を睨んだ。
「おまえに心配されるなどお断りだ! 繰り返すが私はおまえの存在が気に食わない」
そう。これはチャンス―――理想に裏切られ、信じていたものを失った自分が陥った永遠に続く苦行を断ち切れるかもしれない、奇跡の如き機会。
ただの八つ当たりに過ぎないとしても価値がある。そう思うほどに、かつての自分が…衛宮士郎のことが、アーチャーは嫌いだった筈なのに。
(何故にこんなにも苛立つのだ。このお人よしが足掻く姿に。こんなさまで…私は、本当にこいつを殺せるのだろか?)
わからない。今、確かなことといえば―――
「? どうしたのアーチャー。難しい顔をして」
「…なんでもない。行くぞ」
このお人よしと自分が同一人物だと思えなくなってきていることぐらいか。
(まったく、私は一体どうなってしまったというのだ。…私は、衛宮士郎だろう? いかな体が女のそれになったといえその本質が変わるはずは無いと思うのだが)
はぁとため息をつくアーチャーの顔を士郎は心配そうに覗き込む。
「なんだかよくわからないけど、悩みがあったら言ってほしい。なにか手伝えることがあるかもしれないし」
「…ふん。その気遣いだけ受け取っておこう」
そっけなく言って歩き出したアーチャーの隣に並び、士郎は邪気の無い笑みを浮かべた。
「遠慮はしなくていいからな? 女の子には優しくが衛宮家の家訓だし」
「切嗣の教え、だろう? 別段衛宮家に代々伝わるわけでも―――」
ふっと懐かしさに笑ったアーチャーは一瞬遅れて士郎の言葉の意味に気づき、たらりと一筋冷や汗を流す。
「…待て、訂正だ。私を女の子と称すな」
「? なんでさ」
きょとんと首を傾げる姿にアーチャーは眉をしかめる。
「なんででもだ! 私は断じて女の子ではないっ!」
「?」
士郎はしばらく考え込んでから笑みを漏らした。その笑いが何かを可愛いなあと思っているときのそれだということをよく知っているアーチャーの表情が、面白いほどに引きつっていく。
「大丈夫だよ、アーチャー。人間だった頃が何歳だったのかは知らないけど今は俺とたいして変わらない年に見えるし、話しててもそんな感じだからね。十分『可愛い』で通用するよ。凛々しい顔立ちだし色黒だから『かっこいい』とか『美人』とかの方がいいかもしんないけど」
「ば、馬鹿かおまえは! そういう問題ではないッ!」
がぁっと叫ぶ弓の英霊に士郎は首をかしげ、
「なるほど」
得心が行ったというような顔で頷いた。
「…賭けてもいいが、おまえの思いついたことは的外れだ…」
「ん? そんなことないとおもうけどな。要するに、自分が女の子っぽくないから気にしてるんだろ?」
おしい。正解は女の子ではない筈だから、でした。
「でも大丈夫。アーチャーは十分女の子らしいから」
「なんでさ! っていうかどこがさ!」
アーチャーは目を剥いて叫び、そのまま自分の頬を両手でパチンと張る。
「むしろ何でいちいち赤くなるのだ私はッ!」
「いやあ、自分にまでつっこみは入れられるんだね…」
感心したように呟き、士郎は肩をすくめた。
「前も言ったと思うけどアーチャーは十分可愛いし家庭的だし」
「かていてき…」
人間であった頃にはよく言われた台詞ではあるが、こうなってから言われると何とも具合が悪い。
「何かと気も回るし、つっこみは早いし、わがままもいわないし、何よりも人をすっごい攻撃で吹っ飛ばしたりしないし」
「それをする女というのは本来ごく少数派なのだが…」
半眼になって呟くアーチャーに苦笑して士郎は頷いた。
「うん。俺に言わせて貰えば理想的なんじゃないかな。女の子としては。自信もちなよ」
「…衛宮士郎。いずれその台詞の一つ一つで悶絶することになるだろうから覚悟しておけ」
「?」
きょとんとした表情を眺めてアーチャーは深く息をつく。
「まったく…私に不気味なお世辞を言っている暇があるのなら凛なり桜なりを褒めておけばいいものを。彼女達が最後まで一緒にいてくれればきっと…」
きっと、なんだというのか。アーチャーは舌打ちをして顔をしかめた。
「いや、遠坂とかを正面から褒めるのってなんか照れるんだよ…アーチャーは話しやすいからすらっと言えたのかもな。他のみんなとも打ち解けたつもりだしランサーさんとかとはヤバめの話したりするけど―――」
「…個人的にその件は激しく興味がある」
なんだかんだ言って最近はいつも一緒にいる蒼の英霊の姿を思い出してアーチャーは唸る。一体何をふきこまれているやら。
「やっぱりなんかこう、身内みたいな安心感があるんだよな。アーチャーって。だからさっき冗談で言ってた妹ってのも実はそれなりに本気だったんだよ。しっかりものの妹みたいな感じは前からしてたから」
「だから! 私の方が年上だと言っているだろうがっ!」
きしゃーっ!と叫ぶアーチャーに士郎は首をかしげた。
「じゃあさ、俺に『アーチャーお姉ちゃん!』とか呼んで欲しいの?」
「ぐ…それはご免だが…では私が『士郎お兄ちゃん☆』とでも呼べば満足するのか―――」
アーチャーはがくっとその場に崩れ落ちる。
「って何を言っているのだ私はっ! ☆までつけて!」
「だ、大丈夫か? あちゃねえ」
「二度ネタは禁止だ…抑止力がはたらくぞ」
気力を振り絞りアーチャーは立ち上がった。幾度と無く傷つき、全てを失いそれでも立ち上がり戦い続けた根性は伊達じゃない。
「ともかくだ。おまえに妹属性があるのはキャスターやあんり達の件でわかっていたが姉属性まであったのか」
「いや、別にそんなわけでもないんだけどな。アーチャーママ先生」
アーチャーは無言で拳を固めた。魔術回路を起動しかけて必死で自己を抑制する。
「おまえ、本当に衛宮士郎か? だんだんわからなくなってきた」
「衛宮士郎だよ。なんでそんな事言うのかわからないけど。まあ、自己ってやつが最近ちょっと変わってきてるなってのは自覚してるけどさ。こんだけ凄い奴らに囲まれてたら、少しくらい変わるのも当然じゃないか?」
そう言って笑い、士郎は前へと目を向けた。
「士郎っ! なにぐずぐずしてるのよ! 早く来ないと時間なくなるわよ! どうせ行く先々でドタバタして時間食うんだから!」
「わかった! すぐ行く!」
かなり先を行っていた凛が叫んでくるのに答え、士郎は隣のアーチャーに目を向けた。考え込むような表情で俯いている少女の手を取って、力強く走り出す。
「な…! お、おまえ何をいきなりっ!」
「ん? ただ急ぐだけだけど?」
本気で何も考えていなさそうな表情にアーチャーは頭の中が真っ白になって行くのを感じた。繋いだ手が大きいなあ等という感想を首を振り回して追い払う。
「待て! 待てというにッ! こればっかりは立ててはならんフラグだろうが! 抑止力が許してもソフ倫が許さないぞ!?」
「? よくわかんないけどさ。まずは行くべきとこまで行ってから考えないか?」
それだけ言って真っ直ぐに前を向き走る姿に、アーチャーは舌打ちをした。
「この私が…おまえの背を見て走るなど」
気に食わない。だが、かつての自分とここに居る衛宮士郎が別人のように見えるならば、逆にアーチャーと呼ばれる自分自身も、衛宮士郎とは別人であってもいいのかも、しれない。
昨日聞いたその話が脳裏に蘇るのにもう一つ舌打ち。そして、一気に足を速める。
「ついてこれるか!? おまえに!」
「なろ、魔力使うのは反則だろ!?」
とりあえず今だけは、自分が誰であるかを忘れて。繋いだ手を、力いっぱい引っ張って。
「んー、これは地味だし。こっちは縫製が気に食わないし…」
凛は戦いの最中のような鋭い視線で呟いた。
「あのさ、遠坂。俺は自分で選ぶから…」
「士郎、センス、地味」
単語3つで反論を断ち切って凛は次々に士郎の体へと服を当てていく。
「これは合格。こっちは白すぎ。これデザイン最悪。高すぎ。安いけど生地が悪い。これは保留」
「取り込み中悪いんだけどさ、遠坂」
「なによ。今忙しいんだから重要なこと以外聞かないわよ?」
士郎の間延びした台詞に凛は不機嫌そうに顔を上げた。
「うん、わりと重要。遠坂が合格にした服…どれもサイズが合わないと思うぞ?」
「え"…」
凛は一声呻き、合格を出した服を士郎の体に合わせ直しサイズを目算する。
「…ギリギリ合いそうじゃない」
「いや、肩周りと胸周りが入らないと思う」
その言葉に凛は士郎の胸を人差し指でつついてみた。しっかりとした筋肉が確かな弾力で持って押し返してくる。
「ん…確かにこれじゃあ入らないわね。前から思ってたけど士郎ってわりと着やせするタイプ? 二の腕とか凄いわね」
「ちょ、ちょっと待った!」
呟きながらペタペタと胸やら腕やらを押したり引っ張ったりしている凛に士郎は慌てて声をかけた。
「ん? 何よ…ってうわ!凄い後背筋!、ぶっちゃけありえないわよ!?」
脇の下から手を回して背中の筋肉をペタペタやりながら凛が顔を上げると、息を感じるほどの至近距離に士郎の顔があった。
視線を合わせ、数秒の沈黙。
「…もうわかったと思うけど、凄い姿勢だから。今」
率直に言って、抱き合ってるようにしか見えない。
「きゃぁっ!」
刹那、凛は物凄い悲鳴と共に飛び退いた。展示してあった服の山に突っ込んでしゅばっと士郎を指差す。
「こうもやすやすとわたしの間合いに踏み込むなんて…やるわね!」
「踏み込んだのは君の方だろう、凛…」
照れ隠しの言葉につっこみを入れ、アーチャーは凛を助け起こした。
「まったく、何をやっているんだ君は…」
「そりゃおまえ、照れ隠しに決まってるだろう?」
一方でランサーは士郎に背後から抱きついてニヤニヤと笑った。
「あれだよな。触れた男の身体が思ったより大きく感じたらもうおしまいだよな。惚れてる惚れてる」
「!?」
「!?」
同時にびくっとした凛とアーチャーにランサーはニヤリと笑みを大きくし、滑らかな動きで士郎の腕に自分の腕を絡める。
「うわっ! ランサーさん、あたってる、胸あたってる!」
「押し付けてんだよ。ほれアーチャー。少年捕獲したし行こうぜ?」
「? 何処へだ。打ち合わせでもしていたかのように語るな」
不機嫌そうに言われたランサーは士郎の腕を胸と二の腕でガッチリキープしてずりずりと引き摺り、もう片方の腕でアーチャーの腕をも絡み取った。
「嬢ちゃん、少年借りるけどいいか?」
「な、わ、わたしに許可とってどうすんのよ!」
顔を真っ赤にして叫んでそっぽを向く凛に可愛いねえと笑い、ランサーは頷く。
「OK、と。じゃ行こうか二人とも」
「「どこへさ」」
ハモって聞いてくる二人をまとめて引っ張りながらランサー(筋力B)はうむと頷いた。
「オレ達の分の服を見てもらおうって感じ。いいか少年。健全なハーレム運営は構成員全員にちゃんと目をかけるところからだ」
「いや、俺は別にそういう…」
引き摺られながらぼやいて士郎はため息をついた。
「ごめん遠坂! 続きは後で!」
「あ…」
古人曰く、一番早く素直に笑った者勝ち。
「それで? 二人はどんな服を買うんです?」
ジーンズの山を掘り返しているランサーを眺めて士郎はそう声をかけた。
「見りゃわかるだろ。いつもの外着を2〜3枚追加しようってだけだ…お、アーチャーこれどうだ? 色落ちがいい感じだぞ?」
「ふん、悪くは無いな…」
受け取ったジーンズをまじまじと見つめるアーチャーに士郎は小さく笑みを漏らす。
(なんだかんだ言ってこの二人は仲いいよなぁ)
人間関係―――英霊関係か?―――が順調に構築されている事実に士郎は満足げに頷き、あたりを見渡す。あまり見慣れない女物のコーナーを物珍しげに眺め…
「む」
その目が、一点で止まった。
「……」
鋭い視線でそれを見つめ、士郎は意識を集中させる。創造の理念を鑑定し、基本となる骨子を想定し、成長に至る経験に共感。そして。
「…いいかも」
大きく頷く。
そこにあったのは、タイトスカートのコーナーだった。士郎ヴィジョンによれば丈は32センチ。これは階段で下からのぞけないギリギリのラインの筈。逆に言えばギリギリのサイズというわけだ。
「ん? どした少年」
無闇に真剣な顔で一転を見つめる士郎にランサーは振り返って声をかけた。
「…ランサーさん。ああいうのは履かないんですか?」
「あん? どれだ」
聞かれ、士郎はぴしっとタイトスカートが集められている一角を指差す。途端ランサーの笑顔がピキッと引きつった。
「あ、あれか? あの、短い奴…」
「ええ。ランサーさんもアーチャーも足長いから似合うと思うんですけど」
ランサーは戸惑いの顔でアーチャーに目を向ける。
「ど、どうだ? アーチャー…」
「む…わ、私はああいうのは趣味ではない…!」
「オレもなあ…ズボン派なんだよなぁ」
歯切れの悪い二人に士郎はきょとんと首をかしげる。
「ちょっと意外ですね。アーチャーはともかくランサーさんはノリノリでこういうの着そうだと思ってたのに」
その台詞にアーチャーは余裕を取り戻してニヤリと笑った。
「ふっ…この手の服はお気に召しませんかな? 姫」
「んだと奥様は女子高生っ!」
ランサーは一声吼えて舌打ちした。
「よぉし。そこまで言うなら受けて立つぜ弓女ッ! 死なば諸共、それ持って来い! 赤いのと青いの一つずつだ少年! サイズは目算出来るだろ?」
「出来てもするな! 私はそんなもの着ないぞ!」
アーチャーの抗議にまあまあと笑って士郎はハンガーにかけてあるタイトスカートを解析し、二人のサイズに合うものを抜き出す。
「これとこれですね」
「よし!」
「よくないッ!」
あくまで拒むアーチャーを無視してランサーはスカートを二つまとめて受け取った。素早くあたりを見渡し試着室を目で探す。
「おし、あった。行くぜアーチャー! 少年にオレ達の艶姿を見せつけてやるっ!」
「勝手にしろ! だが私を巻き込むな!」
腕を引くランサーに抵抗しようとするが悲しいかな筋力にはかなりの差がある。ずるずると引きずられていくアーチャーを士郎は微笑ましい気分で見送った。
「ほんと、仲いいなぁ」
そういう問題だろうか?
「ええい、離せッ!」
「離してもいいが…逃げたらばら撒くぞ?」
「何をだ!」
不吉な予感に声を上げたアーチャーにランサーはニヤリと笑ってジーンズのポケットからカメラ付き携帯を引き抜いた。片手でペコッと操作して画像を呼び出して見せる。
「…う」
瞬間、アーチャーの手から力が抜けた。そこに映っていたのはついさっきの場面。誰も見ていないと思って士郎の手をしっかりと握り笑う自分の姿がある。
「どこから撮ったのだこれは…」
「秘密だ。いつも言ってんだろ? 偵察専門サーヴァントを舐めんな」
ニヤリと笑ってランサーは試着コーナーを見回した。色とりどりの試着ボックスが並んでいる。
「せっかくだからオレはこの赤の試着室をえらぶぜ」
「やめろデス様は…」
すっかり大人しくなってしまったアーチャーにふむとランサーは考え込み、カチャリと試着室のドアを開ける。
「じゃ、一緒に入るか」
「何がどう『じゃ』なんだ唐突に!?」
ランサーは驚愕に後ずさるアーチャーの手を思いっきり引っ張り試着室の中に放り込んだ。
「気にすんな! 裸の付き合いって奴だなぁ」
「馬鹿者! おま、おいっ! 私は、その…」
ジタバタと暴れる銀髪の英霊を体で押し込んでドアを閉める。
「さぁ、覚悟しましょーねぇ? ハァハァ」
「やめんか! おい! 狭っ、お、あ、何故上まで脱がすッ!」
鏡にアーチャーを押し付けてランサーは楽しげに少女の服を剥いていく。赤いシャツを引っ剥がすように脱がすと…
「うぉっ! やっぱ今日もノーブラかよ!」
張りのある胸がポロリとまろびでた。アーチャーは全力でランサーの手を振りほどき、かき抱くようにそれを隠す。
「悪いか! どうしても…女物の下着を着る気にはなれんのだ…」
「悪いっつうの! 形崩れたらどうすんだおまえは」
はぁとため息をついてランサーは自分のシャツの胸下をぐいっと引っ張って見せた。隙間から豊かな胸を包む青い下着がチラリと見える。
「ほれ、オレだってちゃんとしてるんだぜ? そもそも英霊なんていい加減なもんになっちまった時点で性別やら年齢やらは忘れろよ。今の体が女なんだから元なんて気にすんなって」
「…そういうわけにもいかん」
顔を真っ赤にして目をそらすアーチャーにランサーはむ? と首をかしげ、やがてニンマリと笑みを浮かべた。
「この前からなんとなくおかしいと思ってたんだけどよ。おまえ、まだ女の裸見んのに慣れてねぇな?プールの更衣室で妙にうろたえてると思ったぜ」
「な…わ、悪いかっ!?」
「いやいや、わるくないでちゅよー?」
ぐぐぐ、と歯ぎしるアーチャーの頭をランサーはニマニマと撫でる。
「そうならそうと早く言えよな?このランサー姐さんが女体の神秘を教え込んでやるからさ。ほれ、その調子じゃ自家発電もしてねぇんだろ?」
「!? そ、そんな教えはいらん!」
茹で上がったように真っ赤な弓兵にパチリとウィンクひとつ。
「さて、と。その辺は今夜に回すとして今はこれ着てみようぜ。オレもこういうのは初めてだしドキドキするぜ」
「く…本当に私も着るのか…?」
やるせなさそうな表情のアーチャーにあったりまえだろと頷きランサーはジーンズを脱ぎ去った。長く白い足をひょいっとあげてスカートを履く。
「と、と…うぉお、なんか足がスースーする…」
「く…ここまで無防備になるものなのか…」
二人は押し合いへしあいしながらホックを留めて戸惑いの声をあげた。
「まあ、とりあえずおかしいとこもねぇし、少年に見せてみるか」
「み、見せるのか!?」
「あたりまえだろが」
ランサーはあっさりと頷いて更衣室のドアを開けた。
「おーい少年! ちょっと来てみ?」
「ま、待―――」
アーチャーの制止も虚しく勢い良く開いたドアの向こうに。
「わっ! かっこいいんだねっ!」
「ふむ、ライダーと似たような感じになるのだな」
「アシ、ナガイ」
「大人の色気だよ! まゆ!」
「あらあら、もう少し足を閉じないと見えてしまいますよ?ランサーさま」
サーヴァントと魔術師が、大集合していた。
「なっ! なんでおまえら集合してんだよおい!?」
さすがに取り乱して叫ぶランサーに士郎はすまなそうな表情で頭をかく。
「ご、ごめんランサーさん。アーチャー。俺は静かに待ってたんだけど通りかかったイスカちゃんがみんなを呼んできちゃって…」
「その昔、偉い人が言ったんだねっ! 特別な時には特別な服っ! 逆に言えば特別な服を着る時っていうのは記念すべき瞬間なんだねっ! 制服王として放ってはおけないよっ!」
「…放っておいてくれ…頼むから…」
ぐったりと呟くアーチャーに士郎は苦笑しながら近づいた。
「うん、でも似合うよアーチャー」
「…もう、好きにしてくれ」
諦めの表情で立ち尽くす弓兵をよそにランサーはクルリとその場でまわって見せた。
「どうだ? 少年」
「格好いいですよ。やっぱりそういうの、はまりますね」
「まあこれだとうまく動けねぇからいつもってわけにはいかねぇが…シロウがそう言うなら、買ってみるかな、これ…」
ははっと照れ笑いを浮かべるランサーにセイバーはむっと顔をしかめる。直感スキルがライバルを感知したのかもしれない。凛も微妙に危機感を表情に表してそっぽを向いた。
「ところでアーチャー」
そんな微妙な空気の中、ランサーはふと思い出してアーチャーに囁く。
「…なんだ。これ以上私に何をしろというのだ…」
「いや、っうかさ」
肩をぽんっと叩き、苦笑を浮かべる。
「ブリーフはよせ。見えたらウルトラマニアックだぞ?」
アーチャーは、面白いほどに赤面した。
シャツよりも真っ赤になったアーチャーがランサーとイスカンダルによって下着売り場へ連行されていくのに首をかしげながら士郎は凛を探して辺りを見渡す。
「…って、みんなあっというまに散り散りだし」
さっきまで勢ぞろいしていたサーヴァントも魔術師もそれぞれ興味のある場所へ去ってしまったらしい。
「とりあえずここに居ても仕方ない、か」
一般の客しか見当たらないので士郎はとりあえず適当な方向へ歩き始める。
「まあ、みんな目立つからなあ。すぐ見つかるか」
ついでによさげなトレーナーでもないかとキョロキョロしながら歩いていると、さっそく見慣れた長身が目に飛び込んできた。いまどき珍しい着物姿のその背は―――
「佐々木さ〜ん」
「あら? 旦那様」
「お兄ちゃん?」
剣士、佐々木小鹿のものだった。振り向いた佐々木の向こう側からぴょこんとキャスターも顔を出す。二人して子供服を見ていたらしい。
「ふふふ…旦那様、メディアちゃんになにかプレゼントしてあげると聞きましたよ? お優しいんですね」
「ええ、まあ。一応服代は全部俺持ちのつもりですけどそれ以外にもなんかあげようかなとは思ってます」
にこっと上品に微笑む佐々木に士郎はコリコリと頬をかく。キャスターはその言葉に目をきらきらさせて頬を上気させた。
「えへへ〜何にしようかな〜。今研究してるのはリンと共同研究の宝石礼装と独自ラインのホムンクルスとアクア・ウィタエだし、やっぱり純水銀とか…あ、遠心分離機とかの機材の方がいいかも。カゴとか樽とか。特にた〜る!」
うきうきとまくし立てる姿に佐々木はまあと口元をおさえ、やんわりと否定の意をあらわした。
「あんまりお金がかかるものは駄目ですよ? 旦那様を困らせたくはないでしょう?」
「う…確かにそうだもん…お金のかからないもの…」
キャスターは考えながらなんとなく士郎を見つめ。
「あ」
その下半身に目を留めて硬直した。
「どうしたの? メディアちゃん。俺がどうかした?」
「ちちちちちちちちち違うもん違うもん違うもん! メディア別に、ホムンクルスの材料ならただでもらえるなあとか思ってないもん!」
思わず口走ってからキャスターはうっと口を抑えてチャックを閉める仕草をする。
「材料がただ? なんなんだそれ。俺に出来ることなら協力するけど」
「…ほんとに?」
やや色っぽい目になって聞き返すちびっこ魔術師に士郎は嫌な予感を感じながら恐る恐る頷く。スキル、エロ直感再度発動。
「い、一応。内容によるけど」
「…ふふ、今はいいや。でもそのうちお願いするかもしれないね?」
キャスターはくすりと笑い、士郎の腕にぴょんと抱きつく。
「お兄ちゃんラヴ〜」
「あらあら…ではわたくしも」
逆側から佐々木にも抱きつかれ、士郎の頭に素早く血液が集中した。何時までたっても慣れる事のない刺激に硬直していると。
「あ! キャスターが抜け駆けしてるよまゆっ!」
「うふふ〜? これはおしおきがひつようですね? あんりちゃん?」
ハンガーの森の影からぴょいんっと小さな影が飛び出してきた。正面と背後にわかれて勢いのまま士郎に抱きついていく。女の子ツリーの完成だ。
「ああ、あんりちゃん、まゆちゃん。走らないでほしいですぅ〜ってきゃぁ!」
一瞬遅れて現れたハサンは体中に女の子をぶらさげた士郎に驚きの声をあげる。
「は、ハサンの抱きつく所がありませんですぅ」
「そういう驚きかよ!」
キャスターをしがみつかせたままぺちんっと裏拳でつっこまれてハサンはびくっと身を震わせた。
「お、お仕置きですか…!?」
「いやいやいや、そんなことしないって!」
うさぎかチワワの如くぷるぷる震えるハサンに士郎は苦笑した。ようやく落ち着いてきたので慎重にキャスターやらあんりまゆやらを引き剥がしていく。
「うー、あんりたちあいされてない〜」
「くすくす…そんなことないですよあんりちゃん〜」
抱きつきを解除されて口を尖らせるあんりにまゆは優しく笑みを浮かべる。
「これは放置プレイという愛の形ですから〜」
「それも違うっ!」
しゅばっとつっこみをいれる士郎に佐々木は笑みを漏らした。
「それであんりちゃん、まゆちゃん? 何か気に入った服はありましたか?」
「うん! でも…」
「サイズが合わなかったんですよね〜」
顔を見合わせてくやしいです〜などとぴょこぴょこ飛び跳ねる二人を眺めて佐々木は頬に手を当てる。
「それは困りましたねえ…ちょっと店員さまに聞いてみましょうか。もし…」
呼び止められた女性店員は紬姿の和風美人に少し驚いた顔をしたがすぐに営業スマイルになった。
「はい。いかがなされましたか?」
「ええ、この子達が気に入った服があるのですがサイズが合わないのですが…」
「古着ですし同じもののサイズ違いは難しいと思いますけど似たようなものでもありませんか?」
補足した士郎とわくわくした表情で見上げるあんり&まゆ、エルフ耳こそ魔術でごまかしているが明らかに西洋人のキャスター、そして和装の佐々木を順繰りに眺めた店員は首を傾げて口を開く。
「あの、こちらの方々はお二人の娘さんですか?」
日本人にしか見えない二人と明らかに海外発祥の幼女達は互いに顔を見合わせて一斉に首を傾げた。考え込むこと3秒。
「いや、ちが―――」
「連れ子だもんねー!」
「前のお父さんは国にかえっちゃったんですよー」
士郎が否定しかけるのをあんりとまゆは元気のよい声で遮っていた。
「では、再婚なさったのですか?」
「そうじゃな―――」
「うふふ…それはまだなんですよ」
再度否定するのを今度は佐々木がブロック。口元を隠して笑いながらそっと流し目を士郎に送ってポッと頬を朱に染める。
「ちょ、佐々木さ…」
「お客様ッ!」
不穏な空気に声を上げかけた士郎をついには店員までが遮った。弱い。圧倒的な弱さだ。
「ちょっとこちらへいらっしゃってくださいっ!」
「え? ぅぉえ!?」
店員は士郎の腕を掴み佐々木達から程離れた場所まで引きずっていく。
「ちょっとあなた! なにが不満なんですか!」
「はい!?」
キッと睨まれて士郎は顔を引きつらせた。
「あんな美人相手に…あれですか!? 子持ちが駄目ですか! カレイもシシャモも悪ですか! ろりぽてすらも否定するのですかこの非萌人!」
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなこと考えたことも無いっていうかなんですかろりぽてって!」
小声で叱責してきた店員に士郎は声を抑えて叫び返してチラリと佐々木を盗み見た。
「?」
佐々木はきょとんとした顔で首を傾げたがすぐに笑顔になり、胸の前で小さく手を振ってくる。
「あ…」
士郎はなんとなく照れて手を振り返した。その光景を眺めて店員はほうと頷く。
「成程。好きあっている、と。見ればあなたは学生のようですし…卒業したらとかそういうわけですね?」
「いやいやいや! 俺達は別にそういう関係じゃ…そりゃ親しいし一緒に住んでるけど」
「同棲ッ! 子連れで同棲ッ!」
途端鼻を押さえてのけぞった店員に士郎はげっそりとした顔でため息をついた。
「…遠坂の言ってたとおりだな。まともな店員なんか居やしない」
「何を言ってるんですか。変なのはお客様の方です!」
呟いた言葉に呆れた声で返されて士郎はむ…とたじろぐ。
「い、いや。そんなことはないんじゃないかなぁ…と思うんだけど…多分…」
はっきりまともと言い切れない自分がやるせない。
「いいえ。自分を好いてくれる和風美人と一つ屋根の下っ! しかも未亡人で管理人さんできっと犬に死んだ夫の名前とか付けてるんですっ! ああ! ああ! あなたもう保父さんにでもなるしかありませんよ!?」
「やっぱり変なのはあんただ! それと未亡人なんて言ってないしそもそもその設定はどっかで聞いたことが! ああもうつっこみきれないっ!」
どこか遠くで未熟者めと言われたような気がしながら士郎は髪をかきむしる。
「ともかく! 変な事言わないでください。さっきのアレは冗談なんですから…好いてるとか何とか、佐々木さんに失礼です!」
その言葉に店員は眉をひそめた。
「はい? どこをどう見てもあの方、あなたに惚れてるではないですか」
「へ!?」
ぎょっとした表情でのけぞる士郎を店員は哀れみのような蔑みのような微妙な目でみつめてため息をつく。
「まあ、いいです。ともかくあなた、既に一度や二度は夜這ってるんでしょうね?」
「なッ! そ、そんなわけないでしょうがッ!」
「何故です! 亀ですかあなたはっ!」
ぐわっと目を見開いて叫ぶ店員に士郎はずりずりと後ずさって顔を引きつらせた。
「ご、ごめんなさい…って何を謝るんだ俺は…」
「ちょっと待ってなさいあなた!」
厳しい顔で言い捨てて店員はすばらしいダッシュでどこかに姿を消し、数分してその場に戻ってきた。
「コレよ! あなたはコレを買うといいですッ! っていうかむしろ買え!」
「……」
士郎は無言のまま、押し付けられたその小さな衣類を指で広げてみた。テカテカと光沢のある、真っ黒な…ブリーフ。普通のものと違いギリギリしかその部分を隠さない布地の少ない中央部には白抜きで蝶が描かれている。
パピ・ヨン。
「ななななななんですかコレ! こ、これでいったい何をどうしろって言うんですか!させたいんですか!」
「私の経験上際どい角度のブリーフを履いてる男性は魅力が攻撃力が3%アップ、オサレ度が15%アップ以下略、といった感じの効果があります」
「…あなた、多分趣味とかそういうの見直した方がいいですよ」
げっそりとした表情の士郎に構わず店員は腕組みをしてウンウンと頷いた。
「これで家庭は安泰。あの子達にも弟や妹がざくざくできるでしょう…」
「おーい…かえってこーい」
もはや士郎の声も聞こえてないのか店員は満足げに笑いながら歩き出した。そのままどこかへ去っていく。
「あー」
がくっと肩を落として士郎は佐々木達のもとへ戻った。
「どうしたのですか? 何かもめていたようですが」
「…いや、今の店員はなにかこう、人生に忙しいだけだと思うよ…」
佐々木はそうですかと首をかしげながら頷き、あんり達の方へと向き直る。
「ごめんなさいね? あんりちゃん、まゆちゃん。店員さんは忙しいみたいですのでわたくしが代わりに探しますが…それでもいいですか?」
「うん! ありがと!」
「あらあら、お手数かけますね〜」
元気に纏わりついてくる二人の頭を撫でながら佐々木は士郎の方に顔をむけた。
「それでは旦那様、わたくしはあんりちゃん達とメディアちゃんをつれて子供服を見ておりますので…なにか御用がありましたらお声をおかけくださいましね?」
「うん、わかった。何か買うものがあったらとりあえずこれで払っといて」
士郎はポケットから財布を出して1万円を数枚差し出した。がまぐちにそれをしまって佐々木は幼女達ににこっと微笑んでみせる。
「では、参りましょうか」
「うん! じゃあ士郎にーちゃんまた後でねー!」
「くすくす、また後でです〜」
「一緒に行きたいけど…わがまま言っちゃ駄目だよね。また後でね、お兄ちゃん」
てけてけと子供組が歩き出すのを見送って、佐々木はそっと士郎の耳元に唇を寄せた。
「夜這い、いついらっしゃってもけっこうですよ?」
「!?」
びくっと身を震わせる士郎の耳たぶにそっと口付けて佐々木はとんっと軽やかに身を翻す。
「ふふふ、ではわたくしも行きます。また後でお会いしましょう」
涼やかな声を残して佐々木が去れば、後に残されたのは男一匹立ち尽くす。
「……」
沈黙。呆然。赤面。
「…とりあえず」
士郎は、手の中に目を向けた。
「このブリーフどうしろってんだ…」
しばし悩み、頷く。
「一応買っとくか」
買うんかい。
あたりをキョロキョロと見てサーヴァント達がいないのを確認して士郎は手近なレジで会計を済まし、次のポイントへと向かった。
「誰も、気づいてくれないですぅ…」
一人しゃがみこんで床にのの字を書く影の薄い少女を残して…
ブリーフの入った紙袋を抱えた士郎は知った顔を求めて歩き続ける。なんだかんだ言っても次は誰に会うかと楽しくなってきているのは事実だ。
「お、発見」
早速見つけた二つの背中に士郎は声を漏らした。簡単に見つかったのも当然、片方は2メートルに届こうかという男だったとしても稀な長身、もう片方も170センチを越えるというわかりやすいコンビだったからだ。
「バーサーカー、ライダー。なに見てるんだ?」
なにやら一点を見つめる二人に声をかけると、その背中がびくっと震えた。
「■■■!?」
「な、なんですかいきなり声をかけるなどと不躾な!」
あからさまに動揺する姿に士郎は訝しげに首を傾げる。
「なに慌ててるんだよ」
「べ、別に何もありません。私は至極冷静です」
「が、がぅ」
カクカクと頷く姿を眺めてしばし考えこみ、士郎はひょいっと体をそらして二人の向こうへ視線を投げた。そこに。
「ギルガメッシュさん?」
男物の服を楽しげに眺めて回る英雄王の姿があった。
「む? 衛宮か?」
耳ざとくその呟きを聞きつけたギルガメッシュは振り返り、立ちすくむバーサーカーとライダーに目をしばたかせる。
「…何をしているのだ? おまえ達は」
首をひねって近づいてきたギルガメッシュは士郎の傍に立ち、ライダーを見上げて顔をしかめる。逆に見下ろす形になったライダーも眼鏡の下の表情がやや険しい。
「……」
「……」
不機嫌そうに睨みあう二人の雰囲気に士郎は一歩後ずさり、バーサーカーの袖をツンツク引いてみた。
「がぅ?」
「どうしたんだろ? 二人とも」
問われたバーサーカーはちょっと困った顔をしてからギルガメッシュを眺め、しょんぼりと大きな背を丸める。
「ギルガメッシュ、チッチャイ、ウラヤマシイ」
「っ…!」
瞬間、ギルガメッシュの白磁の如き肌が真っ赤に染まった。照れによるかわいらしい赤面ではない。ひさびさに見せる激怒の紅だ。
「貴様ッ! この我を愚弄するとはいい度胸だ!」
「わぁああっ! ストップ! ギルガメッシュさんちょっと待った!」
叫びざま『王の財宝』を召還しかけたギルガメッシュの手を士郎は慌てて掴みとめる。
「む…な、何をするのだ衛宮! お、王の手を勝手に握るなど無礼な…」
「あ、ごめん…」
慌てて離された手をやや残念そうな目で追いかけてからギルガメッシュはキッとバーサーカーを睨みつけた。
「ふん、衛宮に感謝することだな…我が侮蔑の言葉を許すなど万に一つも無いことだぞ」
「?」
バーサーカーは戸惑いがちにギルガメッシュを見下ろし、悲しげに呟く。
「チイサイ、カワイイ。オオキイ、カワイクナイ…」
それを聞いたギルガメッシュはむっと顔をしかめた。
「何を言っておるか貴様らは。何事につけ多い、大きい、高いにこしたことがあるか!」
「なんていうか…実にギルガメッシュさんだね…」
その王様発言に士郎が苦笑した時だった。
「それはどうでしょう」
ライダーが決然とした表情で会話に割り込んできた。
「女の背が高いことに何の意味がありますか。例えばこうして士郎と並んだ時にも違和感ばかりが目立つ」
士郎の傍らに素早く寄り添うライダーにギルガメッシュは再度怒りの表情を浮かべた。
「っ…! この、愚か者どもが!」
二人に一喝し、とりあえず士郎を押してライダーから遠のけながら更に視線を鋭くする。
「よいか? 服というものはすべからく背の高い方が映えるように出来ておるのだ! それだけでも小さいということがどれだけもどかしいかわかるであるが!」
「服の全てが? ありえません。たとえばわたしみたいな大女が貴方の今着てるようなフリルのついた服を着たらどうなります? 似合うに会わぬ以前にただの罰ゲームにしか見えません。女らしさのかけらもないではないですか」
即座に眼鏡を光らせるライダーにギルガメッシュはハン、と胸をそらした。
「浅はかな! 我が貴様の着ているようなスーツを着たところを想像してみるが良い! まるで学生ではないか! 我とて着てみたいのだぞ!?」
互いの服を睨んで歯軋りし合うライダーとギルガメッシュを眺め、士郎は頭の中で二人の服を交換してみた。
上品な絹のドレスのゆったりとしたスカート。だが上背のあるライダーが着ればその裾はミニスカートに等しい筈。胸もはち切れんばかり盛り上がり、恥ずかしげな表情で『あ、あまり見ないでいただきたいのですが、士郎…』などと言っていた日にはもう。
一方でギルガメッシュのほうはどうなるのか。純白のシャツにタイトスカート。そのまま着ればおそらくぶかぶかだ。きっとギルガメッシュはあまった袖をぷらぷらさせながら、『あ、あまりジロジロと見るではない衛宮! 無礼であろう!』などと顔を真っ赤にして叫ぶのだ。
「……」
士郎は大きく頷いた。力強く拳を握り、満足げに呟く。
「どっちも、いい。とても、いい…!」
「!?」
「!?」
急に目を血走らせた士郎の姿にギルガメッシュとライダーはにらみ合うのをやめて振り返った。バーサーカーはくいっと首を傾げて三人を順繰りに眺め―――
「がぅ…ナラ、ドッチガスキ?」
そんなことを言い出した。
「ど、どっちがだと!?」
「な、何を言い出すのだ神の仔よ!」
あからさまに動揺する二人をよそにバーサーカーは訥々と言葉を続ける。
「オオキイノト、チイサイノ」
「む…」
「そういう意味ですか」
ほっとした半分。がっかり半分といった二人とは裏腹に士郎はどぎまぎとバーサーカーを見上げた。
「な、なんで俺にそんなこと聞くのさ!?」
「オトコノコダカラ」
簡潔な答えにギルガメッシュとライダーは一瞬だけ視線をあわせ、同時にふいっと反対を向く。
「…え、衛宮の意見か。本来なら雑種の言葉など聞き入れるに値せんが、まあ特別に聞いてやらんこともないなどと思うぞ。うむ」
「別段意見を聞いてどうこうしようというわけではありませんが士郎が考えを発表するというのでしたら聞かないでもありません」
「がぅ」
三者三様の視線に士郎は思わずたじろぎ。曖昧な笑みを浮かべてごまかしを図った。
「ほ、ほら、そういうのってさ、やっぱりくら―――」
「比べるものじゃないなどというつまらん意見はいらぬぞ」
「まさか。そんな幼児でも答えられるような意見など士郎が言う筈はありません」
しかし、二人がかりで遮られ口を閉じてしまう。
「ぐ…」
追い詰められた士郎は顔の構図を乱して三人を見つめる。
『我の意見に相違ないな? 小柄な女など魅力あるまい』
『自分より背の高い女にあなたは魅力を感じるとでも言うのですか?』
『がぅ』
もはや物理的な圧迫感すら感じる視線を一身に受け、士郎はひくひくと唇を震わせながらゆっくりと口を開き、
「ど…」
その喉からかすれた声が響いた。
「「ど!?」」
鋭く聞き返してくるギル&ライダー、あわせてギルライダーの声に覚悟を決め、頭の中に浮かんだ言葉を力いっぱい吐き出してみる!
「どっちも好きだぁっ!」
「って答えになっておらんわ衛宮!」
「そうです。そのような日和見、見損ないましたよ士郎」
おぉっとミスキックだ! こぼれだまをギルライダーがキャッチ!
「まあよい。ならば更に問うてやろう。長身のライダーと矮躯の我、どっちの方が『より』好きなのだ?」
ギルガメッシュの言葉に残りの三人は一様に目を見開く。
「ぬ…ち、違うぞ! 個人的な感情をどう抱いておるかではなくだな、その…」
自分が何を言ったかに気づきおたつくうっかり王に構わず、ライダーは深く頷いた。
「そうですね。別段興味はありませんが、参考のためということでなら聞かないでもありません」
視線をバチっとあわせ、二人は士郎にずずずと迫る。
「さあ、さっさと答えるが良い。言えぬというのならば少々素直になれる薬でも飲むか? 衛宮!」
「ああ、それと逃げようとしても無駄です。石になりたくなければ早々に吐くのが良いでしょう」
「あ、いや、ちょっと…」
そもそも、互いに自分の特徴をけなしているのではいかな士郎といえども仲裁のしようがない。しかもなんだか質問の方向性が違うところへいっているような気がする。ここで安易な発言をするとまた凛が怒るか悲しむかするような気がしてならない。
「さぁ、白黒はっきりさせようではないか衛宮!」
「別段はっきりさせたところでどうというでもありませんが、速やかな回答を期待します」
ずりずりと上下から詰め寄ってくる二人に士郎は顔を引きつらせたまま後ずさる、が。
「痛っ…」
すぐにマネキンに背が当る。硬い胸に背中をえぐられ、まさに絶体絶命のその時…!
「ゴメンナサイ。シロウ」
すまなそうな声と共にギルガメッシュとライダーの身体が宙に浮いた。
「ぬぉ!? なにごとだ!」
喉に喰いこむ襟首に耐えながら後ろを向くと…
「シロウニメイワクカケル、ダメ」
爛々と赤光を放つ瞳が目に入った。はっきりいって、怖い。声が妙に穏やかなのも覚悟を感じさせられて怖い。生まれてこの方誰かに怯えたことなどありはしないギルガメッシュだが、さすがに相手が悪い。怖くは無いが安易には動けない。
「ば、バーサーカー?」
士郎がおそるおそる尋ねると狂戦士の英霊は決然とした表情でこくりと頷いた。
「ゴメンナサイ、シロウ。ヘンナコトイッタ」
そして、それだけを言い残して踵を返す。
…当然、ギルガメッシュとライダーを両手でぶらさげたままで。
「こ、こら! 貴人の襟を掴むなど万死に値するぞ! 疾くやめんか!」
「わ、わたしが吊り下げられている…」
否応無く集めてしまう視線に声を荒げるギルガメッシュと小さい扱いされてちょっと嬉しそうなライダーの声を残し、ずしんずしんとバーサーカーは去って行く。
「…あー」
士郎は呟き、合掌した。
「救世主(メシア)…」
「ねーねーイリヤぁ」
「……」
「イリヤってばー」
放っておけば延々と騒ぎ立てそうなリズの声にイリヤは顔をしかめて目を開けた。意識野が魔術的視点から肉眼に戻り、何の変哲も無い古着屋の景色が見えてくる。
「もう、うるさいよリズ。集中してるから話し掛けないでっていったでしょ?」
「うん。でも面白い人が居たから」
主の不機嫌などお構いなしの能天気な台詞にイリヤはぱぁっと顔を輝かせた。
「どんなの? どんなの? わたしも見に行く!」
「…イリヤスフィール様。探知はどうなさったのですか」
ため息混じりに呟いたセラにイリヤはん〜?と首を傾げてみせる。
「似た感じの反応はあるけど…なんか違うの。もうほとんど諦め気味」
「だからといって…」
顔をしかめて苦言を続ける相棒にリズは首をかしげ、その正面に立った。にこっと笑い両の手を合掌の形にして高々と天に掲げ…
「リーゼリット? 何を―――」
「もんごりあーん!」
その両肩に鋭いチョップを叩き込む。ずどんっ! という鈍い音と共にセラの体は床に沈んだ。それきり、ピクリとも動かない。
「―――リーゼリットは、つよいね」
「がぅー!」
一声叫んでケラケラ笑い、リズはずいっとイリヤに詰め寄る。
「ってバーサーカーさんの真似してる場合じゃなかった! 聞いてよイリヤ〜」
「はいはい。それでどんな人が居たの?」
しょうがないなぁと滅多に発動できないお姉さんスキルを使いながら尋ねるとリズは右の手のひらをひょいひょいと上にあげてジャンプして見せた。
「なんかね、こーれくらいある女の人がおっきい女の人とちっちゃい女の人をぶらさげて歩いてた! しかも三人とも美人!」
イリヤはその光景を想像してみたがどうにもイメージがまとまらない。特に『こーれくらい』がどう見ても2メートル近いところがネックだ。
「むー…」
しばし唸ってからうむっとイリヤは頷いた。
「よくわかんないから見にいこ! リズ!」
「おーっ!」
元気よく手を振り上げて二人は走り出し―――
「…待ちなさい」
がしっ。
静かに燃え盛るような声とともに足首を掴まれた。
「……」
ゆっくり視線を落とすと、床に倒れたまま無表情にこちらを見上げるセラと目が合った。
その瞳に宿る激情、伝説に聞くかの麻婆豆腐(ランクA)の如し!
「地獄の毒毒セラだぁっ! 危険だよイリヤ!」
「セラの盆踊りだ〜! 獰猛だよリズ!」
「なんですかそれは。特にイリヤスフィール様」
セラは無表情な顔に青筋だけ浮かべて立ち上がった。
「食われる〜」
「襲われる〜」
「剥かれる〜」
「犯される〜」
楽しげに叫ぶメイド…と呼ぶにもやや奇妙な服装の巨乳娘をセラはすわった目で見据え。
「……」
ぐわしっ! とその顔面を鷲掴みにした。
「ぃいいたたたたたたっ! 痛い痛い痛い!割れる! 割れるよセラ!」
「すごーい。ギシギシ音してる〜! セラ! もっともっと!」
興味深げに覗きこむイリヤにセラはギロリと目を向けた。
「次はお嬢様の番です」
「暴力は良くないよ? セラ」
視線の圧力に思わずイリヤは後ずさり…
「きゃっ」
「ア…」
どん、とその背中が何かにぶつかった。振り返った視界に入ってきたのはすらっとした足。そのまま視線を上げていくと、ほぼ真上を見上げるところまでいってようやくその人物の顔を見ることが出来た。
「ダイジョウブ?」
気遣わしげに尋ねてきた女性の片言の言葉にイリヤは頬が熱くなるのを感じて戸惑う
「う、うん…大丈夫」
何とかそう答えると女性はキョトンとした顔でイリヤの顔を見つめて首を傾げた。数十秒にわたり考え込んだがやがて首を振り、にこりと微笑む。
「ヨカッタ」
そう言ってぽふっとイリヤの頭を撫で、女性は軽く会釈して去っていった。後に残されたのは真っ赤になって立ち尽くすイリヤとそれを見守るメイドが二人。
女性の背が見えなくなってもぼんやりと立ち尽くしている主人の姿にリズはちょっと心配そうにイリヤの顔を覗き込む。
「どしたの? イリヤ。大丈夫?」
「ん? な、なんでもない。なんだか懐かしい感じがしただけ」
あわてて笑顔を作ってそう言ったイリヤにセラは目を細め、厳しい表情で問いを投げた。
「…今の女性…あれはバーサーカーではないのですか? 私の能力では判断出来ませんが」
確信を突く問いにしかしイリヤはキョトンとした顔で目をしばたかせる。
「何言ってるのセラ。わたしのバーサーカーは男の子だよ?」
「そうだよ〜。それにバーサーカーさんはがおーっと吼えるだけだし。今の人、ちゃんと喋ってたじゃない」
馬鹿だなあと笑うリズにセラはピシリと額に青筋を立てたが静かに気を静める。
「…喋らないのは狂化していたからです。それが証拠にはなりません」
「でもゴツゴツしてもいなかったよ。肘に角もついてなかったし」
イリヤはメイド達の言い合いをよそに女性が去っていった方に再度目をむけた。
「でも、優しそうだったなぁ…そこだけは本物といっしょ」
やがてぽつりと呟かれた言葉にリズとセラは口を閉じる。しばし逡巡してからおそるおそる声をかけたのはリズのほうだった。
「…寂しい? イリヤ」
元気の無い声にイリヤは大きく目を見開き、二人のメイドを見上げる。翳っていた瞳は、途端にいつも通りのキラキラした光を取り戻した。
「べっつに! ほら! ついでだから買物してこ! 二人ともその服ばっかじゃつまらないでしょ? たまにはお洒落しなきゃ!」
くるっと回って微笑んだイリヤにセラは表情を緩めた。
「これはアインツベルンの正式な―――」
「あ! わたしぱんつほしい! かわいいの!」
しかし、言いかけた言葉を遮った台詞にその頬が僅かに朱に染まる。
「り、リズ! 何を大声で破廉恥な!」
「え〜? だって今履いてるのってずろーすじゃん〜! これかわいくない〜っ!」
「ちなみにわたしはお洒落なの履いてるよ? ガーター付きで」
ぷーっと膨れたリズと意地の悪い含み笑いをもらすイリヤが口々に言ってくる言葉にセラの目が動揺で揺れた。
「お嬢様までっ! その、慎みにかけますよ!」
囃し立てられ、落ち着けと心の中で繰り返すが頬はどんどん赤みを増していく。戸惑うその表情がまた可愛らしく、リズとイリヤは顔を見合わせてにんまり笑う。
「おやおや〜? セラ、照れてる〜?」
「そうなの? ふふ、セラかわいい〜」
「な! ば、馬鹿なことを! わ、わた、私がたかだか下穿き程度の話題で、その…」
口篭ってしまえばもう終わりだ。真っ赤になって俯いたセラにリズはぺちぺちと手をたたきながら楽しげに歌いだす。
「ぱんつぅ〜ぱんつ、ぱんつぅ〜ぱんつっ☆」
「あれ〜? どうしたのセラ。顔が真っ赤だよ〜? ふふふ」
セラはプルプルと震えながらゆっくりと俯き、そして―――
ブチン。
「あ」
「あ」
何かが切れるような音にイリヤとリズは慌てて口を閉ざした。だが遅い。
「キョギィィイイィイイィィィイィィィ!!!」
セラの口から怪鳥の如き絶叫が放たれた。顔はいつも通りの無表情なのがより怖い。
「セラが壊れた〜! うきゃん!?」
瞬間、ぼひゅんっと唸りをあげて放たれた拳がリズの鳩尾を突き上げた。子犬のような悲鳴と共にリズの体が浮く。
「凄い! 鉄拳による人体飛行の完成だね!」
綺麗な放物線を描いて吹っ飛び数メートルを滑空して落下したリズの姿にイリヤは楽しげな声を上げたが…
「イリヤスフィール様…」
「え? …え!?」
地獄の底から響くような声にピクリと震えたが、セラは静かに笑みを浮かべてそれに答える。
「先程の言動、少々苛立ちはしましたが…主といえばメイドにとっては王も同じ」
「そ、そうだよね? 王様殴ったりはしないよね?」
ほっとした表情に大きく頷いてセラは喋り続けた。
「ですが…この国には良い言葉があります」
そして、くわっと目を見開き拳を握る!
「王様の中には首を切られた奴も居るとッ!」
「うわっ! そんなハンマーみたいな手で殴られたらわたし死ぬんじゃないの!?」
「うわーい! 逃げるよイリヤ〜」
セラが拳を振り上げた瞬間、捻じくれた人形のようになって倒れていたリズがぴょんっと立ち上がりイリヤに駆け寄った。その小さな手をとって走り出す。
「もう回復したの!? リズって頑丈だね…」
「待ちなさいッ! お館様から教育役として許されている権限にはお仕置きも含まれていますッ!」
鬼の形相で追いかけてくるセラに、古着屋を飛び出した二人は顔を見合わせた。
「気をつけなきゃ駄目だよイリヤ? セラのお仕置きはお尻丸出しだからね〜?」
「叩かれるの?」
震え上がったイリヤにリズは走りながらが首を振る。
「指差し込まれる」
「!?」
『今日、イリヤは新しい感覚に目覚めた。でもわたしは謝らない。 〜リズ日記より抜粋〜』
真実は、闇の中だ。
古着屋での買い物を済ませた士郎達はその足でホームセンターへやってきていた。日用雑貨や補修用具などを選び終えた後、当初の目標であるところのフライパンを見繕う。
「…よし、これだな」
「もっと高いのとかじゃなくていいの?」
士郎が選んだフライパンを横から眺めて凛は尋ねてみた。彼女の脳内家計簿は士郎の選択が妥当だと告げているが、感情的にはもうちょっと高いものを買ってあげたい。
「帰ったら自力で強化するからその辺は大丈夫。投影程は上手くいかないけど強化だって失敗すること少なくなってきたから」
「お、そう言えばアーチャーはその手の技術は得意だぞ。手伝ってもらったらどうだ?」
ニヤリと笑って口を挟んだランサーにアーチャーは余計なことを言うなと舌打ちする。
「仮に出来たとしても、余計な力を使うつもりはない。私はサーヴァントなのだからな」
「んー…まあ、茶坊主代わりに呼ばれるもんではないのは確かね」
凛はそう言って肩をすくめた。
「いいわ。そのときはわたしも手伝う。そうね、火の無いところでも目玉焼きくらいは焼けるように出来るわよ?」
「…微妙だな、それ」
魔術回路内臓式フライパンの設計図を頭の中で描きながら士郎は苦笑した。フライパンを買い物カゴにつっこみ、用意したメモとカゴの中身を照らし合わせる。
「ん。買い忘れもないな…会計済ませてくるから、みんなは外で待っててくれるか?」
言い置いてレジに向かった士郎を見送って凛達は出口へと歩き出した。その途中。
「…バーサーカーさま? どうかなさいましたか?」
「エ…?」
何かを考え込んでいるバーサーカーに佐々木は気遣わしげな声で話しかけた。
「先程の古着屋からずっと考え込んでいらっしゃるようですが…」
「…ウン」
問われ、バーサーカーは軽く俯く。
「サッキノトコロ、マスターイタ、カモ」
「なんですって!?」
凛はその発言に慌てて振り返った。受肉しているとはいえ彼女達にはサーヴァントシステムの影響がまだ残っているのだ。現に凛自身もアーチャーとラインは通っているし、そうであるならばおそらく令呪も効くだろう。
「で!? そいつはどこ!? どんな奴だったわけ!?」
故に、そこが問題となる。バーサーカーが穏やかな気性なのは既にわかっているとはいえ、その意思を覆して行動させることの出来る令呪がある以上はそれに操られて暴れだす可能性は否定できない。
「シロイオンナノコ…」
バーサーカーは記憶に残る少女のイメージと先程ぶつかった少女の姿を重ねてみる。
確かに全体の印象は同じように思えたのだが、記憶の中の少女は自分の膝ぐらいまでしか背丈がなかったような気がした。表情もあんなに豊かではなくもっと平坦だったように感じがするし魔力のパスも通っているのかよくはわからなかった。
確証がもてない以上、消極的なバーサーカーとしては波風を立てたくもない。
「タブン、ベツジン。ゴメンナサイ」
「べ、別に謝らなくてもいいけど」
ぺこりと頭を下げるバーサーカーに気にしないでと手を振って見せながら凛は外に出た。念の為チェックしに戻るべきかと考えながら士郎を待つ。
「おまたせ…なにかあったのか?」
しばらくして買い物袋をぶら下げてホームセンターから出てきた士郎は微妙な雰囲気に顔を引き締めてそう言った。
「ん…」
凛は一瞬だけ考えてから肩をすくめる。
今はまだいい。この少年にまで疑心暗鬼にさせる必要はない。
「別になんでもないわ。それより次はどうするの?」
「そうだな…とりあえず必要なものは揃ったし、ご飯にでもしようか」
「!」
その台詞にセイバーはぴんっと背筋を伸ばしたが、数秒してしょぼんっと背を丸める。
「…外食、ですよね」
「…まあね」
既に時刻は12時を回っている。わざわざ帰って食事を作っていては昼食とは言えない時間になるだろう。
「……」
セイバーは空を見上げて何かをぶつぶつと呟き始めた。首を傾げてそれを見守っていると、士郎の耳元でも小さく何かが聞こえる。
「?」
そちらに目を向けると、肩にちょこなんと腰掛けたちびせいばーが涙目でそらを見上げていた。ちなみに、例のプール以降彼女の基本装備に『Cap
of Gravel』改良版、『CatEar of
Gravel』が加わった。ようは、一般人からは見えなくなる効果の付与された猫耳だ。
―――当然、デザインド バイ メディアである。
「…れ、…あ」
「??」
とりあえず耳を澄ましてみると、小さな呟きが聞こえてくる。
「がんばれ、あるとりあ。おなかなんてすいてません、あるとりあ。おうとしてのいげんをいまこそしめすのです、あるとりあ…」
「じ、自己暗示…」
ちょっと目の焦点が合っていないようなセイバー二人に士郎は苦笑し、とりあえず大きい方のセイバーの背を押してみた。ちょっとよろめくがちゃんと歩く。
「…よし、行こう遠坂」
「い、いいの? ソレ」
壊れたレコードのようにブツブツと呟き続ける虚ろな目をした少女をこわごわと指差す凛にランサーは楽しげな笑い声を上げた。
「大丈夫だろ。増えるわかめと一緒でご飯さえ食べさせれば元に戻るって。きっと」
「さりげなく毒吐くなぁランサーさんも」
苦笑しながら言ってセイバーの背を押しながら士郎は歩き出した。凛達もそれを合図にぞろぞろとついてくる。
「しっかしセイバーはどうにも燃費が悪くていけねぇな」
「ふん、特に何もせずふらついているおまえに言われたくは無いだろうがな」
「それ言ったらボク以外みんなそうだけどねっ」
「ちなみに、わたくしは先日正式に衛宮家管理人に昇格しました」
「お母さん、さりげなくお給料をもらってるんですぅ」
「それ、士郎の小遣いから出てるわね…まったくあいつったら甘いんだから…」
凛はくすりと笑い、脳内家計簿に新しい支出項目を追加した。
「…姉さん、やっぱり先輩には甘い」
不機嫌そうな桜の声に反論しようと凛は振り返り…
「あれ?」
見覚えのある人影を見つけて足を止めた。
「どうした? 遠坂」
素早くそれに反応して立ち止まった士郎はそのままどこかへ歩いていこうとするセイバーを掴みとめて振り返り。
「あ、三枝さん?」
思わずそう、呟いた。視線の先、ホームセンターの入り口辺りに立っていたのは最近何かと出くわすことの多い凛のクラスメート、三枝由紀香だった。
「気づかなかったけど三枝さんもあそこで買い物していたのね」
「っていうか、どうしてあんなに荷物持ってるんだ?」
士郎は言って首を傾げる。三枝は両腕に大きなビニール袋をさげ、肩からは小さなバッグをぶらさげてふらふらしていた。どちらかというと重心はビニール袋のほうにあるのか、風が吹いただけでも左右に揺れる。
「多分、あの量ならいつもの二人の分も一緒なんじゃないかなっ! おーいっ!さえ―――」
イスカンダルがぶんぶんっと手を振って叫びかけたその時!
「む…!」
ぼうっとしていたセイバーの目が急に正気を取り戻した。
「シロウ! 彼女が危ない!」
「え?」
士郎はその声に戸惑ってセイバーの方に目をやり―――
「きゃぁっ!」
瞬間、三枝の悲鳴が響き渡る。慌てて視線を向けると帽子を目深にかぶった男が三枝とぶつかったところだった。
「騒ぐんじゃねぇ!」
男は素早くバッグの肩紐を掴み、ポケットから取り出したナイフでそれを切断する。
「っ!」
「あの野郎ッ!」
真っ先に動いたのは士郎とランサーだった。雑多な荷物をばら撒いて倒れる三枝を士郎が抱きとめ、バッグをひったくって逃げる男にランサーが手を伸ばす。
「くそっ!」
だが、距離がありすぎた。本気を出せば捕まえるのは容易だが人目があってはそうもいかない。
「待ちやがれてめぇっ!」
「チッ…!」
男は追いかけてくる長身の女の姿に舌打ちを一つし、そのまま車道に飛び出した。間髪を入れず傍らにワンボックスカーが急停止し、男がその中に飛び込むと同時にタイヤを軋ませながら急発進する。
「クソッ! 手馴れてやがる!」
走り去る車を悔しげに見送ってランサーは叫んだ。見る見るうちに小さくなる車影に地面を蹴りつける。
「…人目を考えなければいくらでも追いつけますが?」
「やめとけよ。目立つのはよせ」
駆け寄ってきて囁くライダーに首を振り、ランサーは士郎の方に目を向けた。
「大丈夫か! 三枝さん!」
士郎は呆然とした三枝の体を揺らして呼びかける。数秒のタイムラグを挟んでその目に光が戻ってきた。
「あ…衛宮くん…?」
三枝は呟き、しばらくしてから慌ててあたりを見渡した。
「たいへんだ」
呟いて、散らばった荷物を拾い集める。落ちたのは小物や衣類が中心で割れ物が内容なのは不幸中の幸いか。
「おい! 何があったんだよ!」
「む、衛宮家の一同」
その時、騒ぎを聞きつけてホームセンターからぞろぞろと出てきた客の中から二人の少女が飛び出してきた。
「あ、蒔ちゃん。鐘ちゃん…」
「大丈夫か!? 怪我はないか!? あ、あたしがトイレなんかいったから!」
「おまえが慌ててどうするのだ。蒔…我々が落ち着かねば仕方があるまい」
抱きつくようにしてまくし立てる蒔寺と口とは裏腹に焦りの表情で体中を撫で回してくる氷室の背を三枝はぽんぽんと叩いて笑う。
「えへへ、たいしたことないよ。ほら、みんなの荷物は大丈夫」
いつも通りの笑みを浮かべて『ね?』と両手のビニール袋を示す三枝に蒔寺はくしゃっと顔をゆがめた。
「大丈夫じゃないだろ! あんたのバッグないじゃん!」
「あ、うん…でも、おさいふとハンカチと手帳ぐらいだから。おさいふにもあんまりお金は入ってなかったし」
その言葉に氷室は顔をしかめて舌打ちする。
「午前中に銀行で生活費を下ろしたといっていただろう。あれの封筒も入っていたのではないか?」
「…うん」
しばし躊躇った後三枝がこくっと頷くと蒔寺は憤怒の形相で立ち上がった。
「あんたら! その引ったくり、どっちへ逃げた!」
「…あっち、だけどよ」
見守っていたランサーは車の走り去った方を指差してニヤリと笑った。
「追いかける気かい?」
「あたりまえだ!」
叫びざま走り出そうとするその肩を―――
「…やめておけ。お前達では怪我するだけだ」
アーチャーは静かな呟きと共に掴みとめた。
「なんだと!?」
「見たところ足は速いようだがそれで車に追いつくつもりか? それに、追いついたとしてどうする? あいつらを殴り倒して取り返すとでも?」
まくし立てられた蒔寺はぐっと言葉に詰まってアーチャーを睨み返す。
「だからって放っておけるかよ!」
「……」
アーチャーはその視線を受け止め、軽く舌打ちをした。横目で確認してみれば、士郎は既に車の走り去った方を睨んで考え事をしている。その表情はあきらかに追いかける気で一杯だ。ひとごとだとか、どうやって探すのだとか、そんな事は考えてもいないだろう。
彼がそういう男であることを…誰よりもアーチャーが、よく知っているのだ。
「…おまえは、ここで待っていろ」
だから、アーチャーは蒔寺にそう言った。何か言い返そうとする少女を強い視線で睨みつける。
「その鞄は取り返してやる。だから無用に事を大きくするな。うっとおしい」
「え…?」
意外そうな蒔寺にもう一度舌打ちしてからアーチャーは辺りを見渡し、背の高いビルを見つけて一つ頷く。
「取り返す。すぐに、な」
その頃。
「なんだよ。あんなに荷物持ってやがったのに財布の中は寒ぃなぁおい!」
引ったくりの男はバッグの中を漁って悪態をついた。ホームセンターからだいぶ離れた路地裏に車を止めて獲物のチェック中だ。
「買ったから少ねぇんだろ? カードねぇのかカード」
「ぜんぜん。郵便貯金一枚だけ…おっ、手帳があるぜ」
その言葉に興味を引かれたのか運転手の男は振り返って身を乗り出す。
「なんかおもろそうなことかいてあるか?」
「たいしたことはねぇな…っと、写真はさんであるぜ。男だ」
二人が覗き込んだそこには赤みのかかった髪の少年の笑顔があった。見覚えのあるその顔に引ったくりの男はぴしっと写真をはじいた。
「こいつさっき居たぞ」
「彼氏か? なんかさえねぇ奴…あん?」
言いながら何気なくそれをひっくり返すと、そこに短い文章がある。赤いマジックでたった一言。
『正義の味方!』
「あははははっ! なに? なにこれ! ギャグ?」
「うわぁ、頭、緩ぅ。やべーでしょ、これ」
男達は下品な笑い声をあげてその写真をビリビリと破った。粉々になったその残骸を撒き散らして踏みにじる。
「僕達はぁ〜、社会的弱者を〜、救いたいと思いまーすってか!?」
「あー、笑った。こいつはハズレだな。次行こうぜ次!」
運転手の男がそう言ってハンドルを握りなおしたときだった。
コンコン、と運転席の窓が叩かれ、軽やかな音をたてる。
「あん?」
不審げに見やれば、セーラー服姿の少女がそこで笑っていた。
「そのバッグ、返して欲しいんだねっ」
その少女が言った言葉を理解した瞬間。
「ちっ!」
運転手の男はギアをドライブに入れてアクセルを踏み込んでいた。キィイイッ!とタイヤを軋ませて急発進する。
「…一応、警告はしたからね」
そして少女は冷ややかな目でそれを見送り、携帯電話を取り出した―――
「…説得の余地なし、か」
とあるビルの屋上に佇み、ランサーは携帯電話が伝えた報告に唇を歪めた。片手にはゲイボルクを携えており、正面に伸ばしたその穂先に糸で5円玉を吊るしている。
「こんなもんにルーンを刻む日が来るとは思わなかったぜ…おい、アーチャー、ちゃんと見えてるか?」
「弓兵に確認することではないな。当然だ」
力強い視線を眼下に送り、アーチャーは頷いた。千里眼と称される彼女の視力とランサーの探査のルーンの組み合わせは瞬時に目標の車を視界に納める。
「よし。予想通りのコースだ。配置は?」
「少年達は指示したとおりの場所で待機してるってよ。佐々木達は荷物持って三枝達と留守番だ。あの元気がいい子を抑えるのが大変だとよ」
携帯を駆使して把握した状況を報告してランサーはつまらなそうに槍先を眺める。
「っうか、オレも前線に出てぇんだけどなあ」
ぼやく槍兵にアーチャーはふんと肩をすくめた。
「我慢しろ…私だってそうだ」
「ん?」
聞き返されてぷいっと背を向ける。
「…なんでもない」
「ははっ、そうかい」
一瞬だけ見えたその頬の赤さにランサーはにんまり笑い、今度は楽しげに眼下に目をやった。
「さって、少年達はうまくやってくれるかねえ?」
「なんだよさっきのは!」
「知るかよ! さっきの餓鬼の仲間だろ!?」
「なんでオレ達の居場所がわかったんだよ!?」
「だから知るかっての!」
男達はののしりあいながら車をとばす。彼らはこの手口でひったくりを続けている、いわばプロだ。冬木町の地形は知り抜いてるし逃走用の人目につかないルートも多数用意してある。
だが、人目につかない…それが今回ばかりは彼らにとって致命傷になった。
「投影、開始(トレース・オン)」
呪文と共に士郎は意識を集中した。魔術回路を起動し、八節を踏んで展開したイメージに魔力を流し込む。
「投影…完了(トレース・アウト)」
いつもより僅かに時間をかけた投影によってイメージは魔力で構成された実体を得てゴトリとその場に出現する。
「…やれば出来るものね」
凛は出来上がった投影物をペタペタと触りながら呟いた。
「いや、武器以外はやっぱり駄目みたいだ。例の目覚し時計と一緒でこれも外見だけで中身は空だし外見も再現しきれなかった」
「あ、本当ですね。ベロが出てますよ、先輩」
桜の指摘に士郎は苦笑する。
「他のとイメージが混ざったみたいだ。ほんと未熟だな、俺は…基礎も甘いから強い衝撃受けたらイメージが負けて消えると思うし。放っておいてもあまり長持ちはしないかな」
「そう…でも今回の用途ならそれで十分よ。むしろこの方がいいくらいじゃない?」
凛は肩をすくめてそう言い、ふと考え込んだ。
「…アーチャーの奴、それを知っててこの作戦たてたのかしら…だとすると本当に何者よアイツ…」
ぶつぶつ言いながら考え込んだ凛に首をかしげながら士郎は拾ってきた新聞紙をバサバサと広げる。
「桜、アーチャーからの連絡は?」
「後数十秒で目標はここを通過するそうです。あと、周囲にそれ以外の車は居ないそうです」
ギルガメッシュから借りた携帯電話に耳を傾けた桜の報告に士郎はわかったと頷き、凛とセイバーに目を向ける。
「二人とも、準備はいいか?」
「はい。問題ありません」
「OKよ」
二人はそれぞれ頷き、桜は邪魔にならないよう引っ込む。
「よし…来た!」
「おい、なんか追っかけてくるか!?」
「いや…大丈夫だ」
仲間の報告に運転手の男はふぅと息をついた。アクセルは緩めず、細い裏道を通って郊外へ向かう。
「このまま隣町まで行くぜ。念の為だ」
「ああ。ったく、金はねぇしわけわかんねえガキが追いかけてくるし…むかつくぜ」
引ったくりの男は舌打ちして足元に転がっていた三枝のバッグを蹴飛ばした。
「ったく、とんだ貧乏くじだったぜ」
「ああ。ついてねぇよな」
口々に不満を漏らす男たちを乗せた車は相変わらず人気のない路地を曲がり―――
「セイバー!」
数十メートル先の角を曲がり車が姿を見せた瞬間、士郎はセイバーの名を叫んだ。間髪入れず、抱えていた新聞紙の束を勢い良く放り投げる。
「ええ、いきます!」
刹那、セイバーの召喚した風王結界から風が吹き出した。刀身を見えなくするために圧縮されていた空気を一部解放しただけだがその勢いたるや十分に烈風と呼べるものだ。指向性をもった豪風は宙を舞った新聞紙を巻き込み、それを勢い良く吹き飛ばしてゆく。
今まさに姿を見せた、犯人の乗った車に向けて…!
「うわぁああっ!」
角を曲がった途端フロントガラスにはりついた新聞紙に視界を奪われ、運転手の男は悲鳴を上げてアクセルから足を離した。ブレーキを踏み込んだ瞬間、慣性に負けた新聞紙は後方に吹き飛ばされて視界が開ける。
「あ、あっぶねぇ…」
背筋が寒くなるのを感じながら運転手は呟き。
「な!?」
その目が大きく見開かれた。
「どうした!」
引ったくりの男は叫びながらシートの間から身を乗り出しい…
「人ぉおおおっ!?」
そして思わず悲鳴をあげた。目に入ったのは白い人影。ほんの数メートルという至近距離にでっぷり太った老人が何かを差し出すかのようなポーズで横たわっているのが見えたのだ。
「止めろ! あ、いやよけろっ!」
「無理言うんじゃねぇええっ!」
「うわぁあっ! 轢く!」
悲鳴が車内に響き渡り、そして…ゴリッ、と。鈍い音と共にタイヤが何かに乗り上げ、通過する。
「やべぇ!」
一瞬置いて停止した車のドアを叩き開けて男達は飛び出した。殺人を犯したかもしれないという恐怖に慌てふためいて車の下を覗き込もうとし―――
「う…」
と一声呻き、猛烈な寒気と倦怠感を感じてバタバタと地に伏す。
(なんか…見たことあった…今のおっさん…)
そして視界が暗転し…男達は為す術もなくその場に昏倒した。
そして。
「うまくいったわね。これにて一件コンプリート、ってところかしら」
凛は魔術回路をオフにして士郎に笑いかけた。
「…ガンドって、まともに喰らうと一撃なんだな」
士郎は視線の先で昏倒している男たちを眺めて苦笑した。明日は我が身だ。
「あれでも最大限手加減はしたわよ。相手は魔術回路もない一般人なんだし。ほら、行きましょ」
「ああ」
士郎と凛はエンジンがかかったままの車に歩み寄り、倒れている男たちを起こして様子を見る。二人とも体力を失って気絶しているだけのようだ。
「これならしばらくは起きてこないわね。士郎、人形の方は?」
「大丈夫…っていうのもなんだけど、イメージが負けたらしい。魔力に戻ってるから残骸も無い。やっぱり、未熟だなぁ…俺の投影」
反省しきりの見習い魔術師に凛はくすりと笑みを漏らした。
「ちびせいばーみたいにならなかっただけいいわよ。実は生で出てきたらどうしようかって不安だったんだから」
冗談まじりで言ってきた凛の言葉に士郎は思わず想像をめぐらせた。モチーフにした白服の老人は日本中に知らぬものは居ないほどの有名人だ。ありえないとも言い切れない。
真名、カー○ル・サンダース。宝具は『秘伝なる香辛料(シークレットスパイス)』かはたまた『祝福する鶏の樽(パーティーバーレル)』か。元軍人であることを考えれば案外強いかもしれない。サ○ダース軍曹としても有名な人なのだ。
「…う、士郎?」
「ぅえ?」
妄想にふけっていた士郎は眉をしかめて呼びかける凛の声に我に返る。
「ごめん。なに?」
「聞いてなかったの? こいつらはいいから鞄探しといて?」
「ああ、わかった」
士郎は頷き、車の中に顔を突っ込んで眺め回した。座席の下に落ちていたバッグを見つけてそれを拾う。
「ひどいな…踏まれてる」
「…こいつらも踏んどく? 等価交換で」
加害者には容赦ない凛の言葉に士郎は苦笑して首を振った。
「警察に突き出せばそれでいいじゃないか。俺達がなにかするまでもないよ」
「でも先輩。このバッグ取り返しちゃったら証拠がないですよ?」
「それに、サーヴァント抱えてる魔術師が警察に関わるのは危険ね」
凛はそう言ってぴんっと指を立てる。
「なんなら、自白しないと血を吐く感じのギアスでもかけとく?」
「いや、それにはおよばねぇよ」
本気とも冗談ともつかない台詞に答えたのは息を切らしながら現れたランサーだった。
「め、目立たないぐらいのスピードで走り続けるのは疲れる…」
「そこまでして出番をふやすなんて…わたしに足りないのはこの根性?」
拳を握って打ち震える桜は無視してランサーは士郎にしなだれかかった。
「疲れたよー少年〜、ご褒美〜」
「疲れたもなにも勝手に走ってきたんでしょうが! ほら! 士郎から離れてしゃんと立ちなさい! みっともない」
凛は不機嫌そうに言ってランサーにしっしと手を振る。
「はっはっは、実力行使で引き剥がしてみな…とかいいたいとこだが、今は他にやることあるしな」
「そういえば、それには及ばないってどういうことですか? ランサーさん」
離れてくれたランサーにほっと息をつき、士郎は男達を見下ろして尋ねた。
「ああ。どうせこいつら常習犯だからな。警察に捕まれば余罪もぞろぞろ出てくるだろうよ。ようは捕まえる為の一犯があればいいんだ」
「その一犯をどうするかが問題なんでしょうが」
呆れたように言ってきた凛にランサーは笑う。
「まかせとけって。再起不能にしてやるからよ」
数十分後。
「あ…?」
男達は周囲の喧騒に意識を取り戻した。
「な、なんだ!?」
戸惑い周囲を見渡すと、ぐるりと取り囲み騒ぎ立てる群衆をかき分けて制服警官が近づいてくるのが見えた。
「おい!」
「ああ、逃げるぞ!」
男達は慌てて声を掛け合い立ち上がり―――
ぶらり。
「は?」
「え?」
今まで味わったことのない圧倒的な涼しさに間抜けな声を漏らした。
「大人しくしろ変態め!」
「へ、変態!?」
怒号に見下ろせば、頼りなく揺れるモノが目に入る。縮こまり、たいそう貧相だ。
「なぁああああっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! お、俺じゃない!」
「じゃあ誰かが脱がせたとでもいうのか!? だいたい何故おまえ達はこんなところで寝てるんだ!」
警官に詰問され男達はうっ!と言葉に詰まる。
「それは、その…」
誰かを轢いたような気がしてなど、言えるはずも無い。その前の事を聞かれたところでやっていたことは引ったくりだ。
「う…」
「巡査、挙動不審だな」
「ええ。おまえ達、とりあえず署の方に来てもらうぞ。話はその後ゆっくり聞いてやる」
警官達はがしっと男達の腕を掴みパトカーの方へ引っ張っていく。
「待て! 待ってくれよ! 俺達何もしてないって!」
「そういうことはその粗末なものを隠してから言え」
「なら隠すものをくれええええええええっ!」
12時58分…わいせつ物陳列罪で男性二名を逮捕―――
「あ、衛宮くんだ」
ホームセンターの傍でサーヴァント達と待っていた三枝は遠くに見える赤みのかかった髪にほにゃっと笑顔を浮かべた。
「衛宮くーん!」
つまさき立ちになって手を振る三枝に佐々木はふふふと口元を隠して微笑む。
「まだあんなに遠いのに…これは遠坂さまも油断できませんね? ハサンちゃん」
「わ、わたしに振られてもこまるですぅ」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」
のんきなサーヴァント達とは打って変わって焦りを前面に押し出した蒔寺は三枝に駆けよりその視線を追う。
「居た!」
そこに、凛とランサーを先頭に歩いてくる集団を見つけて蒔寺は大きく息を吸い込んだ。
「おいッ! バッグはどうなった!?」
「わ。声大きいよ蒔ちゃん…」
びっくり顔で耳をおさえる三枝に蒔寺は深くため息をつく。
「由紀っち〜…自分の鞄と金なんだしさ…もうちょっとこう緊迫感をさ」
「え? これでもドキドキしてるよ?」
「どこがだ。三の字」
氷室と蒔寺はのんびり言い返してくる三枝に苦笑をもらした。心の中にわだかまっていたイライラがどんどん消えていくのを感じる。
「よーぅ、待たせたな」
ややまったりとした三人娘のもとにたどり着いたランサーはひょいっと手をあげて挨拶した。
「バッグは!?」
「おう、少年?」
促された士郎はひとつ頷き、携えていたバッグを三枝に差し出した。
「わ…ありがとうございます! お怪我とか、ないですか?」
「ああ、大丈夫。俺はほとんど何もやってないしね。それより、ごめん。ここの所に足跡が…」
すまなげな表情に三枝はにこっと笑みをみせた。
「構わないです。戻ってきてくれただけで嬉しいですから。本当にありがとうございます」
「悪ぃけど中は改めさせてもらったぜ。金の入った封筒も無事だし犯人の車の中にもこれ以外無かったから大丈夫だと思うけど一応無くなったもんがねぇか調べてもらえるか?」
「あ、はい」
頷いてごそごそとバッグをかきまぜる三枝を横目に蒔寺はむぅっと顔をしかめる。
「犯人はどうなったんだ? あの野郎…!」
「あー」
ランサーは指をくるくる回して上手い表現を探してみた。
「例えるなら…《峰打ちでござる。ただし両刃》みたいなっ…ってとこか?」
「は?」
よくわからんと顔中で表現する蒔寺の肩をべしべしと叩いてランサーは笑う。
「ま、詳しいことはうら若い乙女達には伏せとくが肉体的にはノーダメージで、社会的には大打撃って感じだな」
その説明に蒔寺と氷室が首を傾げたその時。
「あ」
バッグの中身を確認していた三枝は僅かに悲しげな声をあげた。手帳をさかさまにしてパサパサと振りながら。
「手帳? …あ! あたしがあげたあのしゃし―――」
「蒔!」
ぽんっと手を打って叫びかけた台詞を氷室は鋭い一喝で遮った。視線で士郎の方を指すと蒔寺は冷や汗をかいてさんきゅと返す。
「? どうかした?」
「あ、いえ、なんでもないです…」
気遣わしげに聞いてくる士郎に慌てて笑顔を作って見せる三枝にランサーはふと思いついて上着のポケットをおさえた。
そこにあるのは細切れになった写真。ひったくり犯の車に散らばっていたものを、なんとなく気になって拾ったものだった。
(なんでシロウの写真がって思ってたんだが…この子のか)
目を細め、ランサーは笑う。
「よし。少年、ちょっとこっちへ来な」
「はい?」
何の疑いもなく近づいてきた士郎にうむっと頷きランサーはぴしっと三枝を指差した。
「ほれ! あっち向く!」
「はい?」
聞き返しながら三枝の方を向いた士郎の背をぽんぽんと叩いてランサーはもう一度声を張り上げる。
「んで、そっちの少女もむこう向く!」
「え? こうですか?」
こちらも素直に背を向ける三枝に素直な奴だなあと感心し、仕上げ実行。
「よし、じゃあイって来い!」
「はぃ!?」
ランサーは言うが早いか士郎の背を押し出した。
―――当然、三枝の背中へと。
「なぁああっ!?」
サーヴァントの剛力でもって突き飛ばされた士郎は半ば吹き飛ぶようにして三枝にぶつかった。衝撃でよろめいた少女の体を慌てて抱きとめる。
「よぅしそのまま!」
瞬間、ランサーは駆け出していた。サーヴァント最速と目されるその足を一瞬だけ全開にし、士郎たちが体勢を立て直すより早く正面に回りこみ、ポケットに手を突っ込む。
「ハンドポケットっ!?」
目ざとくそれを見逃さなかったイスカンダルの叫びとピーッ!という電子音が重なった。
「…貰ったぜ」
ランサーは限りなくニヒルな表情で呟く。その手には既に撮影を終えたデジタルカメラがあった。この間、わずか3秒。まさしく神速の一撃である。
「そんな、あの一瞬で…」
あまりにも素早いその撮影に士郎は呆然と呟いた。それを見たイスカンダルは訳知り顔で指を一本立てる。
「今のは、居合いだねっ!」
「知っているのか雷で…もといイスカちゃん」
古式ゆかしい問いかけにイスカンダルは大きく頷く。
「腰の回転でもって加速した手を振り出し、ポケットから手を抜くんじゃなくて手からポケットを抜く…刀術の居合い抜きと同じ原理の拳術なんだねっ!」
「凄い…凄いけど、そんな凄い技術をわざわざカメラに使わんでも」
ゆっくり抜くのがスマートとかつっこみが入りそうだ。
「このチャンス、逃せるもんかよ。ま、いーからもう一枚な」
ランサーは再度シャッターを切りピーッ!と撮影完了の電子音が鳴る。
「ところで、いつまで抱きついてんだ? 少年」
「なっ!」
指摘された士郎は後ろから抱きとめたままだった三枝の体を慌てて放した。そのまま大きく飛びずさる。
「ご、ごめん! 三枝さん!」
「あ、その、わたしはべつに…」
三枝は顔をまっかにしてごにょごにょと呟いた。恥ずかしげにてへへと微笑む。
「どうよ少年、やーらかかったか?」
「!? あ、あの、わたし、遠坂さんみたいにプロポーションよくないから、柔らかくないしつまらないと思います…」
ランサーの言葉にごめんなさいと呟いて縮こまった三枝に士郎は慌てて首を振った。
「そ、そんな事はなかったぞ!? 十分柔らかくて気持ちい―――」
フォローの言葉が途中で途切れる。
「気持ち、なんですか? 衛宮君?」
「ええ、遠慮無く言って下さって結構ですよ? シロウ」
背後から聞こえる二つの声に士郎の顔にびっしりと汗が浮かんだ。それでも、士郎の心は揺るがない。ボコられるのはいつもの事…それならば目の前の少女に自信を与えることの方が有益!
「十分女の子らしくて柔らかい身体だったぞ! 自信持て三枝うわぁあああああああっ!?」
言い終えた瞬間、背後から襟首を掴まれた士郎は凛とセイバーに引き摺られて路地裏に消えた。
「ぐはっ! ちょ、それ反則! うひゃぁっ!?」
「た、大変だ…」
途端に聞こえてきた悲鳴に三枝はあわあわとそちらに走り出そうとし、素早くランサーに止められる。
「あれはたんなるじゃれあいだから気にすんな」
「じゃ、じゃれあいですか?」
本気なら光線技出すからなぁと思いながら頷き、ランサーは真面目な顔で三枝の目を覗き込む。
「おまえの写真は破られちまってた。間に合わなくてすまねぇ」
「あ…」
途端しょぼんとした肩をぺしっと叩いて笑顔。
「代わりに今撮った写真あげるからよ。まあ二日ほどは我慢してくれよ」
「あ…」
三枝は思いがけぬ言葉にびっくり顔になった。そのままぺこりと頭を下げ、ほにゃっと微笑む。
「ありがとうございます…かばんを取り返して貰っただけでも十二分ですのに」
「ははは、気にすんなよ。バッグのことはあいつの手柄だし…」
指差され、アーチャーは口をへの字にして背中を向ける。
「それに、写真に関してはオレからの礼みたいなもんだからよ」
「お礼ですか?」
不思議そうに首を傾げる三枝にランサーはパチリと片目を閉じた。
「ああ。オレはさ、敵が多けりゃ多いほど燃える性質だからな」
「え?」
きょとんと目を見開いて一秒、二秒、三秒、四秒。三枝の頬がこれまでになく真っ赤に染まる。
「わ、わ、敵なんてその、わたしなんて、あの、地味ですし…」
「いやいや、あの嬢ちゃんをして自分の世界に引き込むそのキャラクターはあなどれねぇぜ? 少年の言葉じゃねぇけど自信持てって」
「そうなんだねっ!」
ペチペチと肩を叩いて笑うランサーの隣にひょこっと飛び出しイスカンダルは力強く拳を握った。
「その技とハートをたたえて、キミにライダー四号の名を送るよっ!」
「?」
「いや、貴様とは関係ない」
瞬間ピクリと反応したライダーにギルガメッシュはそっけなく首を振った。腕時計を眺めて軽く唸る。
「あれですよね?」
そんなサーヴァント達をよそに三枝は首を傾げて微笑んだ。
「片方の腕だけ改造されてるひとです」
「桐生さんがどうかしたのか?」
蒔寺の問いに三枝はくいっと首を傾げる。どうやら友人間の知識にはだいぶ世代差があるようだ。
「問題が解決されたのならそろそろ食事にせんか? 我は朝食を摂っていない」
さりげなく力のこもっているギルガメッシュの言葉にランサーはそだな、と頷いた。
「どうだ? おまえらも一緒に来るか?」
「誘ってもらえるのは嬉しいですけど、わたしたちもうご飯食べちゃってるんです」
残念そうな三枝にそっかと笑い、ランサーは他のサーヴァント達に目を向ける。
「んじゃ、少年達を回収して飯にすっか」
「バイバイだねっ!」
口々に別れの言葉を放ってサーヴァント達が去っていく中。
「あ、あの!」
一人無言で踵を返したアーチャーを三枝は呼び止めた。
「……」
口を閉ざしたまま首だけ振り返る銀髪の少女に勢い良く頭を下げる。
「あの、ありがとうございました。かばんのこと…」
「…別に」
アーチャーは短く言い捨てて再度歩き出した。そのまま立ち去ろうとし―――
「…大事なのは自己防衛だ。大荷物を持っている時は壁を背にするなどの対策をとれ。道のど真ん中で立ち尽くすのはよすことだ。三枝さん」
「え?」
思わずそう告げていた。しまったと舌打ちして足早に三枝から遠ざかる。
「気をつけます!」
「……」
もう一度頭を下げる少女に今度こそ振り返らずアーチャーはサーヴァント達の後を追って姿を消した。
「…なんか不思議な連中だなぁ」
ぞろぞろと去っていった少女達を見送り、蒔寺は思わず呟く。
「そうだな。現実感の無い面々なのは、確かだ」
氷室の相槌にそうだろ?と答えて二人は同時に首をひねった。
「ほんと、何者なんだろうなあいつら」
「当人達の言葉を信じるなら善意の暇人集団ということになるのだが」
友人達の身もふたも無い発言に三枝はくすりと微笑み、バッグを抱きしめる。
「蒔ちゃん、鐘ちゃん。衛宮くんたちが何かって言うなら、ぴったりの言葉があるよ?」
「? なんだよ」
ただ、助けたいから。それだけの事で動く、その者の事を―――
「いらっしゃいま―――せ。ダニーズへようこそ」
笑顔で頭をさげかけたウェイトレスはぞろぞろと入ってきた客の人数に一瞬顔をひきつらせたがすぐに笑顔を作り直して頭を下げる。
「プロなんだねっ! こうでなくちゃいけないよっ!」
「ふん、どこぞのねずみの国ではハンバーガー屋にハンバーガー30個、コーラ30個、ポテト30個頼んでも笑顔で処理するそうだからな」
現界組の王様二人はそう言って満足げに頷いた。ちなみに、チーズバーガーのチーズ抜きだって笑顔で承ります。
「お席が3つにわかれてしまいますがよろしいでしょうか?」
「ええ、こんな大人数ですもの。構いませんよ」
おそるおそるといった様子で聞いてくるウェイトレスに凛が優等生スマイルで答えると、おそらくはまだ女子高生と思われるウェイトレスは途端にほわんとした表情になってガクガクと頷く。
「やるな嬢ちゃん。家の中とはまるで別人」
感心の表情で呟くランサーに悪い?と視線を投げるのには気付かず、ウェイトレスは頬を上気させたままメニューを大量に抱える。
「では、お席にご案内いたしますお姉さま…」
「おね…?」
凛は呟きながらアーチャーの方を見た。
「そのネタはもういい…」
「冗談よ」
げっそりとした表情のアーチャーにくすりと笑って士郎達に行きましょうと声をかける。
「……」
凛を先頭にぞろぞろと歩く美少女(一部美女&美幼女)軍団に奇異の目が集まる中、桜はむぅと考え込んでいた。
(ランサーさんは押しの強さとマメさで先輩の傍のポジションをげっとしてる…わたしに足りないのは、自発的に動く気力?)
凛を、ランサーを横目で見つめて拳を握る。
(先輩っ! 桜はやります! 徹底抗戦です!)
眼光鋭く決意を固めた桜はとりあえず最も身近で最も強大な敵を視認した。
「?」
「こちらのお席になります」
視線に気付いた凛が無防備な顔で振り向いたりしている間にウェイトレスが手で示したのは隣り合った4人がけのテーブルが3つだった。片側に椅子、逆側は繋がったソファーになっており、詰めれば3人座ることも可能だろう。
「さて」
士郎がテーブルを見渡して呟いた瞬間、微妙な緊張感があたりを支配した。彼がどこに座るのか?そして誰が隣に座るのか?
家で食べる際にはほぼ固定化されている席順ではあるが、外食ならばそんなもの関係が無い。下克上上等、もとより戦うためのサーヴァントだ。
「……」
そして一歩。士郎は真ん中のテーブルのソファーに座ろうと歩き出した、その刹那。
「…もらったっ!」
ランサーは機敏な動きで立ち並ぶサーヴァント達とウェイトレスの間をすり抜けた。そのまま流れるような動きで士郎が座ろうとしたソファー席に滑り込み…
「させませんっ!」
「なにっ!?」
その軌道に滑り込んできた桜に驚愕の声をあげた。思わずバランスを崩して端っこのテーブルのソファーに座ってしまう。
そして…彼女が狙っていた位置、士郎が座ろうとしている真中のソファーには、桜がちょこんと腰を降ろしている。
「ちっ…まさかおまえがくるとは…」
苦笑しながらランサーは桜を見つめた。積極的に動くことも予想外なら、案外素早く動いたことも予想外だ。凛や士郎とは比べるべくも無いが一般人よりちょっとだけ上といったところか。
「…なにやってるんだ? 桜、ランサーさん」
いきなりドタバタした桜達に首を捻りながらも士郎は特に深くは考えず予定通りの位置…今となっては桜の隣に座りかけ―――
「あら、ごめんなさい?」
完璧スマイルを輝かせた凛が素早くその進路を遮ぎり桜の隣を占拠した。三人座りのそこは桜、凛、空きに状態が変わる。
「ね、姉さん…」
「ふふ、たまには姉妹で隣り合わせもいいかなって思っただけよ?」
驚愕の表情を浮かべる桜に凛はふふんと笑みを浮かべる。
「流石だぜ嬢ちゃん。強引なだけでなく言い分けもさりげなく混ぜてる」
「ええ。先の先で勝負をかけた桜さまに対し、後の先での見事な返しですね」
戦場の外、第1テーブルでは負けるときには真っ先に負けるランサーと勝負どころ以外ではでしゃばらない佐々木がのほほんと戦況を見守っている。既にアドバンテージを稼いでる彼女達にとっては一度ぐらいの敗戦など余裕である。
「…そもそも、私達にとっては不利すぎる戦いです。落ち込む必要はありません」
「…がぅ」
一方、第三テーブルでは根本的に大柄な為参戦を諦めたライダーとバーサーカーが椅子席で慰めあっていた。乾いた笑みを浮かべ、二人して窓の外へ視線を投げる。空が、青いなあ…
「…なんかあるのか、この席順?」
微妙な強引さと諦観でもって埋まっていく席に士郎は首を傾げながら再度歩き出し―――
「ふん…」
期待を押し隠した目で士郎を見上げる凛の隣に、それよりも一瞬だけ早くアーチャーが腰を降ろした。
「え"…?」
「何か問題でもあるのか?」
喉の奥から奇妙な音を発した凛にアーチャーは不機嫌そうな顔でそっけなく答える。なんとなく状況が不愉快だったので割り込んでみたのではあるが―――凛が士郎と並んで座るのが不愉快なのか、それとも士郎が凛と並んで座るのが不愉快なのかが…彼女自身、わからない。
「む…」
三度にわたって座るのを邪魔された士郎が不審げに呟いてさすがに何かが変だと立ち止まったが…
「シロウ。早く座らないと迷惑ではありませんか? そ、その、おなかもへりましたし…」
瞬間、肩口に座ってもじもじしていたちびせいばーが彼の耳元に切羽詰った口調で囁いた。
「あ、ごめん。そうだよな」
その言葉に頷いて士郎はあっさりと椅子席に腰掛けた。その隣の椅子にすっと優雅な動きでセイバーが腰掛ける。
「……」
「……」
「……」
同じテーブルの三人はそれぞれ微妙な表情でそれを眺めた。ウェイトレスが差し出したおしぼりを受け取り、黙々と手を拭く。
(セイバー…漁夫の利を持ってったわね…うっかりしたわ)
(…何をやっているのだ、私は)
(セイバーさんの逆側に…ら、らいだーが! …ライダーに負けるなんて…)
遠い目をする三人組を横目に他の面々は特に波乱も無く座っていき、ようやく落ち着いた一堂にメニューを手渡してウェイトレスは去っていった。
「あら、ふぁみりぃれすとらんというので洋食ばかりかと警戒しておりましたが、和食もそれなりにあるのですね」
「もちろん、だねっ! ご家族みんなで楽しめるからファミリー、だよっ!」
佐々木の呟きにイスカンダルは嬉しげに何度も頷く。
「いいよねっ! ファミリー! ボク、家族って大好きだよっ!」
「ふん、大陸制覇を望んだ覇王が何を軟弱な。王たる者はただ一人高みに在れば良い。同格の者など不要だ」
メニューから目を離さないままギルガメッシュはふふんと笑って目当てのメニューを探し出す。
「金むつ定食…良い名だ」
「…家族が大切という意見には私も賛成です」
そこに口を挟んだのがライダーであったことに桜は少し驚いた。普段あまり喋る方でない彼女であるだけに。
「私にも姉が居ました。二人とも不死の筈ですので、あるいは今も存在しているかもしれません…もしそうならば、ありがとうと伝えたいものですが…」
ちなみに、ライダー…メデューサの姉ステンノーとエウリュアレは妹が呪いで怪物に変えられたことを抗議したというだけで同じような怪物に変えられてしまったというかなりついてないエピソードをもっている。
ペルセウスによるメデューサ討伐後も敵討ちをしようと追いかけているあたり姉妹仲はかなり良いようだ。
「…ああ、しかしこの世界で会うのは不可能でしたね」
最後に誰にも聞こえないような小声で呟き、らいだーはメニューに目を落とす。
「トマトリゾット。これにします」
「姉妹…」
桜はそんな姿を眺めて複雑な表情をした。姉妹ならば自分にも居る。なんだか遠くから眺めていた頃に想像していたのとは随分と性格が違ったが、客観的に見て世間に自慢できる姉なのは間違いないだろう。
「…その分、わたしの地味さが目立つんですけどね」
「? なんか言った? 桜」
呟きにメニューから顔をあげた凛になんでもありませんと首を振り、桜はクスリと微笑んだ。
「ええ、なんでもありません、姉さん…何を食べますか?」
「わたし? わたしはシーフードパスタにするつもりだけど」
「ふふ、わたしはシーフードドリアです」
姉と自分は違う。それは確かだ。だが、それに劣等感や嫉妬を感じるのはおかしいと、今の桜は理解しかけている。確かに自分には持ち得ないものを凛は持っている。だがその逆もしかり。凛にはなくて桜にはあるものだって、存在するのだ。
とりあえず、豊かなものが二つほど。
「くすくす…ますたー、楽しそうですね、あんりちゃん」
「うん。やっぱり、目から石化光線発してそうな怖い顔よりますたーは笑顔の方がいいよね!」
あんりとまゆは微笑み合い、一つのメニューを二人でのぞきこむ。
「まゆ、なに食べるの?」
「そうですね〜」
まゆはクスクス笑いをもらしながらくいっと首を傾げた。
「ここはひとつ、食べたことの無いものをたのみませんか? あんりちゃん」
「うん、いいとおもうけど…なに頼むの?」
双子の共感で不穏な空気を感じ取ったあんりの問いにまゆはにっこりと微笑んだ。
「にょたい―――」
「わーっ! わーっ! わーっ!」
「うるさいぞ、あんり」
まゆの口…とついでに鼻も塞いで絶叫したあんりにランサーは眉をしかめた。
「他の客もいるんだからよ、もうちっと静かにしろよ…あ、オレはスパイシージャンバラヤにしよう。赤いぞ」
「…何故こっちを見る」
不機嫌そうに呟いたアーチャーに軽く笑い、ランサーはあんりとまゆに視線を戻す。
「とにかくだ。ちっちぇえからって迷惑をかけていいわけじゃねえ」
「う、うん」
しょぼんと肩を落とすあんりにランサーは真剣な顔で小指を差し出した
「だから、オレとの約束だ」
あんりはこっくりと頷いてランサーの小指に自分のゆびをからめる。
「わかった。約束する。もううるさく―――」
「今度、オレが女体盛り作ってやるから」
「そっちを約束かーいっ!」
鋭くつっこんであんりはため息をついた。
「ランサー姉ちゃんがめずらしくまともなこと言ってると思ったのに…いろいろだいなしだよ」
「珍しく…っておい」
「何か異論でもあるのか?」
半眼で呟くランサーとニヤリと笑って皮肉るアーチャーを眺めてまゆはくすくすと笑う。
「あんりちゃん。それじゃあ女体盛りの代わりに親子丼にしましょうか?」
「いいかげんエロばなしからはなれてよ! まゆ〜!」
「ほう?」
耳までまっかにしてぶんぶんと手を振り回すあんりにシャキン! とランサーは顔を寄せた。
「今の発言のどこがエロなんだ? おねーさん、説明してほしーなー?」
「うふふ、そうですね〜。まゆも知りたいです〜」
「え!? え!? えぇっ!?」
突然の切り替えしにあんりは目を真円にしてくちをぱくつかせる。
「エロいな〜。あんりは〜」
「あんりちゃん、エロエロですね〜」
「にゅ!?」
「にゅ…だ?」
二人がかりでつつかれて混乱の極みらしいあんりにボソリと呟いてからアーチャーは視線を正面に移した。
「ん?」
視線に気付いた士郎から目をそらし、気になったことだけを単刀直入に尋ねる。
「既に自分の食べるものは決まっているといった顔だが…ちびせいばーの分をどうするかはきめているのか?」
「あ」
士郎はつぶやいて自分の肩に目をやった。
「……」
にっこり。
ちびせいばーさん、たいそうご立腹の様子。デフコン4!即座に応戦態勢をとれ!
「え、えっと、何が食べたい? 俺はカツとじ膳にしようかと思うんだけど…」
なにしろちびせいばーは一般人に見えないようになっている。定食ものばかりの注文だと人数より多くなり、やや不自然になってしまうのだ。
「バイキングや焼肉ならば気にする必要も無いが、こういう店では気を使え。ただでさえ目立つのだからな」
「そっか…うん、ありがとうアーチャー」
素直な謝辞と共に笑う士郎にアーチャーはなんとなく舌打ちなどして目をそらした。
「…ほほーう」
「・・・…」
そらした先に胡散臭いさわやか笑顔でこちらを眺めているランサーを見つけて逆側を向きなおす。忙しい。
「じゃあ、カツ丼と月見ソバにしよう。半分ずつちびせいばーと分ければバレないだろ。多分」
「は、半分ずつ…」
ちびせいばーは反射的にそう呟いていた。
シロウと、はんぶんこ。
そのフレーズに心が揺れる。年甲斐もなく乙女なというなかれ。なにせ初恋より早くカリバーンを抜いて幾年月。王として過ごす間は男として振舞っていた関係上、女としてのキャリアははっきり言って短い。下手をすればあんりやまゆと勝負できるほど幼いのだ。
「駄目かな?」
「はっ!? い、いえ! それでかまいません!」
我に返ったちびせいばーの勢いにやや引きながらそうかと頷いた士郎はそのままセイバーの方に目を向ける。
「セイバーの方はどう? 決まった?」
「…いえ、それが」
視線を受け、セイバーは困った顔で士郎を見上げる。
「申し訳ありません。どうにも迷ってしまって…」
「…まあ、わかるよ。その気持ちは」
写真入りのメニューだ。どんな料理かは見れば見当がつくだろう。だが、それでも未知は未知だ。本来の食べたい量を満たせないならばせめて質をと考えている今のセイバーにはきつい選択となる。
「直感スキルは使えないの?」
「残念ながら今は使えないようです…」
はらぺこセイバーは常に食欲を抑えている為、直感が鈍っているようだ。
「うーん…ファミレスってのは基本的に質が一定だからどれを食べても大体同じぐらいのレベルなんだよな。後は和食が好きとか肉がいいとかそういうので選ぶしかないな」
「私は食べ物に関しましては好き嫌いはありません。やや気になることといえばシロウのいうところの『質』だけです」
えっへんとこぶりの胸を張るセイバーにあわせて何故かちびせいばーもみにまむな胸を張る。余人には理解できないところで誇りがあるらしい。
「で、好みがはっきりしないから何を選んだらいいか迷うわけか」
「…はい。食事のことでここまで悩むなど、はしたないとは思うのですが」
一転して恥ずかしげに俯くセイバーに士郎は胸の奥が暖まるのを感じながら苦笑した。他のサーヴァント達はもうメニューを決めたようだが少し待ってもらうかと口を開きかけた、その時。
「そういう時は、いい方法があるんだねっ!」
イスカンダルが脇から元気良く割り込んできた。
「良い方法、ですか?」
訝しげなセイバーにえっへんと胸を張る。女子高生平均レベルのボリュームだが大小二極化の進んでいるサーヴァントの中では大きめと称せるだろう。その証拠に凛の視線に野性味が増している。
「いいかなっ? ファミレスのメニューっていうのは大概番号が振ってあるものなんだねっ! 選べないなら、適当な番号を頼んで運を天に任せればいいんだよっ!」
「それではカラオケを使った余興だ…」
ぶいっ!と指を突き出すイスカンダルの言葉にアーチャーは深くため息をついた。ちなみにカラオケロシアンルーレット…カラオケBOXで適当に曲番号を押し、歌えなければ一気飲みというゲームのことである。
「食事にも刺激が欲しいんだねっ!」
「…わかりました。やってみましょう」
「セイバー!?」
「い、いやセイバー! やめといたほうがいいって」
声を合わせて言ってくる士郎とアーチャーにセイバーはむむっと顔をしかめた。
「シロウ、アーチャー。私には食べ物に関しての弱点はないと言ったはずです」
信じられないのですか?と不満げなセイバーに二人はぶるぶると首を振る。
「いや、そうじゃなくて…なあ、アーチャー」
「ああ。もっと根本的な部分でその案には問題が…」
「お、珍しく息があってんな。お二人さん」
なあと頷きあう二人にランサーは楽しげに口を挟んだ。途端、アーチャーの顔がむっとしかめられた。
「誰と誰の息が、いつ、どのように合ったというのだ!?」
「いや、んな小学生みたいな反論するなよ…ちなみにおまえと少年が、1分半ほど前、だいじなセイバーたんを傷つけないように守ろうっていう目的の元にシンクロしてたぞ?」
言ってパチリとウィンクするランサーにアーチャーは思わず言葉に詰まる。その瞬間、セイバーは事もなさげな表情でイスカンダルに頷いていてた。
「貴方の案を実行してみましょう」
「OKだねっ! じゃあウェイトレスさんを呼ぶよっ!」
「あ…」
士郎が呟く間にイスカンダルはテーブル備え付けの呼び出しボタンを連射する。あたふたとやってきた先程のウェイトレスに凛達はそれぞれの注文を矢継ぎ早に押し付け始めた。
「オレ、スパイシージャンバラヤ」
「わたしはシーフードパスタ」
「し、シーフードドリアをお願いします」
「…ホッケ定食」
「地味だな貴様は…金ムツ定食」
「人のこと言えないと思うんだねっ! 55番っ!」
「よ…46番」
「ふふ、旦那様の番号ですね…わたくしは京野菜ランチをお願いしますね?」
「メディア、鍋焼きうどん」
「う、うど、うどん・・・素うどんで結構ですぅ…」
「カツ丼と月見うどん」
「あ、カツ丼は二つにしてください〜、それと親子丼もお願いしていいですか? あんりちゃん」
「…すきにすればいいじゃん」
「後は私達だけですね。では、トマトリゾット」
「がぅ…ザンギ定食」
一番端に座っていたバーサーカーが注文した瞬間、周囲を静寂が包み込んだ。
(ザンギ…)
(ロシア…)
(赤いトランクス…)
注文したのがバーサーカーなだけに狙ったのやら狙ってないのやら。
「…ザンギというのは北の方言で鳥のから揚げのことだ」
「も、もちろん知ってるわよそんなこと!」
一人冷静に解説するアーチャーに凛はむっとした表情でそう答えてウェイトレスに向き直る。
「ともかく、注文は以上です」
「は、はいっ! ちょ、超特急でお持ちしますっ!」
笑顔を作り直してそう言った凛にウェイトレスは首が取れそうな勢いで頭を下げて小走りに去っていった。
「嬢ちゃん、脅すなよ」
「人聞き悪いわねぇ。脅してなんかいないわよ」
心外そうな顔を眺めて士郎とアーチャーは同時に肩をすくめる。
「遠坂は笑顔のときの方が怖いからなぁ…」
「ああ。ここぞというときだからな。あの作り笑いがでるのは…」
「…あら、どういうときなのかしら? わたしに教えてくれないかしら?」
再度にっこりと微笑む凛に二人はさりげなく視線をそらした。息の合ったリアクションにランサーはやっぱ息あってんじゃんと笑う。
「それにしてもこのお品書きはどうしたらよろしいのでしょうか?」
「ぬ? そういえば回収していかんかったな。よほど怯えていたと見える」
佐々木の言葉にギルガメッシュは呟き、自分のテーブルに散らばったメニューを手ずからまとめて端の方に置いた。なんだか最近士郎のまめさがうつりつつある王様である。
「っていうかわたしの笑顔ってそんなに怖いわけ…?」
「おまたせいたしました」
談笑しながら待つこと十と数分。素うどんと月見うどんを先頭に料理が運ばれ始めてきた。
「ハサンちゃん、本当にそれでいいの? 素うどん…こっちの月見と取り替えてもいいぞ?」
「い、いえ。そんなの恐れ多いですぅ…」
そう言ってドンブリを抱えこむようにして隠してハサンは箸を握る。だいぶ慣れてきたようだが、食べているところを見られると恥ずかしいらしい。
「…まあ、しょうがないか」
呟き、士郎は月見うどんを店員達の方から影になる場所にさりげなく置いた。
「先、食べてていいよ。ちびせいばー」
「ああ、シロウ。感謝します」
小声で話しかけられたちびせいばーはこちらも小声になって囁き返す。彼女は魔術効果で『居ないこと』になっているので声を潜める必要はないのだが。
「む…む…」
自分の身体ほどもある箸を両腕で抱え、セイバーは器用にうどんを一本引っ張りあげた。口に余るほどの太いものを上気した頬で一生懸命に頬張る。
「ああ、太い、です…」
「……」
なんとなく気恥ずかしくなって士郎は視線をちびせいばーから外した。逆側へと目を向けると…
「…なにか?」
「いや…」
羨ましげにうどんを眺めるセイバーとばっちり目があってしまった。物欲しげな視線に苦笑しているうちに各人の料理が並べられていき…
「おまたせいたしました。46番…」
セイバーの前にごとりと料理が置かれた。
「幼女らんちです」
「ってなんだそりゃあああっ!」
士郎は脊髄反射でそうつっこんでからはっ!と気づいてアーチャーに目を向ける。
「ごめんアーチャー、出番とった…」
「別段、私の存在価値はそこだけというわけでもない!」
一喝されて冷や汗をかく士郎をよそにランサーは置きっぱなしのメニューを手に取り、ペラペラとめくり始めた。
「43、44、45…46番、幼女ランチ。すげぇな…マジでこんな名前だ」
呻きながらセイバーの前の料理を眺める。どうやら内容はまともなお子様ランチのようだ。おまけとしてついているおもちゃが女の子向けなあたりが名前の由来だろうか?
「見ろよ少年。男の子むけはしょーたろーらんちだってよ。夜の町2ガロンってか?」
「オープニングテーマの方だねっ!」
「―――どんな店なんだっていう点もさることながら、やはりこの手法には欠陥が多い。むしろ欠陥以外がない」
アーチャーの呟きと料理が置かれて以来硬直したままのセイバーの姿にイスカンダルはあは、あははと乾いた笑顔を浮かべる。
「だ、大丈夫なんだねっ! ぼ、ボクのが来たら交換してあげるよっ!」
「おまたせいたしました。55番―――」
瞬間、ごとりと湯飲みがイスカンダルの前に置かれた。
「ウコン茶です」
「って駄目じゃんボクっ!」
頭を抱えて叫んでからふと気づきアーチャーの方に目を向ける。
「ごめんねっ! ボク、自分でつっこみいれちゃったよっ!」
「だからっ! いちいちそれを私に謝るな!」
一声吼えてから赤衣の少女はセイバーに声をかけた。
「どうだ? セイバー。場合によっては私が話をつけに言ってもよいのだが…」
「あんた、ほんとにセイバーには甘いわね…でも言ってることには賛成。馬鹿らしい経緯だけど細部を変えればなんとか誤魔化せると思うけど」
凛もぼやきながら肩をすくめてそう言ったが、セイバーは決然とした表情で首を振る。
「いえ。これも私自身が選択した結果です。どんな結果に終わったとしても、もとより覚悟の上のことです。やり直そうなどと思うのは…過去の自分の否定に過ぎない」
「そんな大層なことなのか? 騎士王よ…」
ギルガメッシュの呟きをよそにセイバーは素早い手つきでスプーンを手に取った。ソーセージや小さなから揚げ、スパゲティなどバラエティにとんだメニューをこじんまりとしたプレートの中に纏め上げた料理を見渡し、とりあえず小山のような形に盛り上げられたチキンピラフにスプーンを突き立てる。
「…では」
食べ始めてしまえば後はいつも通りだ。雑念が消えて行き、一意専心の境地へとたどり着く。
「まあ、あれだよな」
あぐあぐと一心不乱にお子様ランチを食すセイバーを眺めてランサーは呟いた。タバスコをかけたジャンバラヤを頬張り、肩をすくめる。
「凝ったもの食べたいってんなら、確かに凝りまくってるもんなぁあれ。量のこと考えなきゃわりと相性いいのかも」
視線の先、セイバーはピラフにささっていた小さな日本国旗を引き抜き、不思議そうにそれを眺めている。
「紙ですかあなたは」
「そりゃそうだろ」
レストランでの食事の後、商店街で夕食と間食の買物を済ませた一同は衛宮邸へと帰ってきた。
「たぁ〜、疲れた〜! ビール飲みてぇ!」
「ランサーさん…もうちょっと、こう…」
「わーい! おやつおやつー!」
「……」
騒がしく居間へ雪崩れ込んでいくランサー達をよそにアーチャーは無言で自室へ戻る。ドアを後ろ手に閉め、ふぅと息をついてふとあることに気がついた。
「…ここが自室であると認識するのは…おかしいのだがな」
苦笑してから抱えていた紙袋をベッドに放り出し、その傍らに倒れこむ。佐々木がこまめに干してくれるかけ布団の感触が心地よい。
アーチャーの真名は、言うまでもなくエミヤ―――衛宮士郎である。本棟のあの和室こそが記憶に残る本来の『自室』なのだが、召喚されてはや10日…すっかりこの部屋に馴染んだ自分がここに居る。
「…記憶、か」
衛宮士郎としての記憶はだいぶ磨耗して些細な部分では欠落があるが、かなりの量が存在する。英霊エミヤとしての知識もある。魔術も切り札も、全て揃っている。
「そして…衛宮士郎を殺し、自己を消し去るという目的意識だって―――ある」
呟き、寝返りを打つ。
「知識はあっても…それら全て、与えられた情報のように全て曖昧。与えられた服のようにどれも身の丈にあっていながら違和感が残る」
それ故に、昼のような醜態をさらすことになる。どちらとしても曖昧、衛宮士郎としても、エミヤとしても在り得ない自分をどう判断すべきなのか。
「あるいは…私は偽者なのか?」
彼女の知っている限り男であってしかるべきバーサーカーもハサンもここに居るのは女。そして、アーチャーと違いそれに違和感を持っていない。
もとより贋作者、もとより虚ろな理想の終着点。別段、今更自己の真贋如きに惑う必要などないはずなのだが…
「愉快な話では…ない」
苦々しく呟いたところで、ドアが打ち鳴らされた。瞬間、毎夜の如くビール片手に暴れに来る槍師の姿が脳裏に浮かんだがノックの重さが違う。
「開いている」
音も無くドアが開いたドアの向こうに立っているのは凛であった。エプロン―――以前綺礼が使用不可にしたのとはべつのもの―――をつけ、悠然と佇んでいる。
「暇でしょ? 料理手伝って」
「……」
さも当然のごとく放たれた言葉にアーチャーは身体を起こし、深く息をついた。
「サーヴァントは茶坊主でもメイドでもない」
呆れたような声に凛はぴんと人差し指をたててにこっと微笑んでみせる。
「令呪使うわよ?」
「…それが魔術師のすることか? 私には君が召還当初の冷徹さを完全に失い堕落したように見えてならないのだがな」
「当初の…ね」
久々に聞いた皮肉に凛は目を細める。軽く肩をすくめて静かに笑う。
「昔からわたしはこうよ。何も変わらないわ。必要な力が足りなければよそから持ってくるのが魔術師、でしょ?」
「…そういう心構えと一緒くたにして欲しくない問題なのだがな」
アーチャーは呟いて立ち上がった。暇なのは事実だし家事はやはり好きだ。自分から手伝いをさせて貰うよう頼むのはプライドやらなにやらが引っかかるがこういう形でなら問題ない。
「まあいい。こんなことで令呪を使われては聖杯戦争に差し支えるからな」
「…そうね。まあ、このメンバーでやるんなら令呪なんて無くても私達の勝利は揺るがないけど」
事も無げに言って踵を返す凛にアーチャーは満足げに頷いた。
この穏やかな暮らしの中で、彼女のマスターは戦いを忘れていない。サーヴァント達の癖を、性質を理解しその攻略法を考え続けている。
(それでこそ魔術師。それでこそ遠坂凛、だ)
少し気分のよくなったアーチャーは内心で頷いて歩き出した。
「それで私は何をすればいい」
「仕上げの手が足りないのよ。そっちをお願い」
腕まくりなどしながら尋ねると、凛は足を止めずにそう言って廊下の端にある洗面所を指差す。
「とりあえず手を洗って来て。詳しいことはそれから話すわ」
凛の指示に頷き、アーチャーは洗面所へ向かった。水道の水で手をしめらせ、念入りにハンドソープを泡立てる。指の間や爪の隙間、手首などを洗うのも忘れない。
「うむ」
ピピッと水気を切ってタオルで手を拭いアーチャーは居間へと向かった。
「凛、手を洗ってきたが?」
「うん、食卓の上にタネと皮があるでしょ?」
台所で何かを炒めている凛は顔だけ一瞬振り返り、あごで食卓を指し示す。隣では士郎が一心に何かを煮込んでいるようだ。
「……」
眼を向ければ、食卓の上にどんっ!とおかれた大きなガラスボウルに山盛りで詰め込まれた挽肉に各種薬味の刻みを混ぜたものが目に入る。
その隣に置かれた直径10センチ程の強力粉と薄力粉をこねて寝かした円形の皮も。
「…餃子、か?」
「そうよ。キリキリ作ってね」
言うだけ言って調理に戻った凛にアーチャーは肩を落として食卓の前に座る。
「この程度ならば…私でなくともできるだろうに」
「腕を存分にふるいたいっていうんなら食事当番のローテーションに入りなさい」
そっけない返答に唸りながらアーチャーは餃子のタネを右手で一掴み握った。
「このくらいか…?」
記憶の奥底に沈んでいた経験を引っ張り出しながら量を確かめ、左手で皮を一枚取る。
「この皮…手作りだな」
「もちろんよ。桜にも手伝ってもらったわ」
二人して生地をこねている姿を想像してアーチャーは気付かれぬように小さく笑った。どうやら姉妹仲に関しては悪くない環境のようだ。
「ふむ」
程よく丸めたタネを皮の中心に乗せ、あいた右手の指先を小ぶりのボールに入れてある水でしめらせ、皮の外周に軽く塗ってから半円状になるよう閉じる。
「む…」
そのまま一定間隔でひだを作って開かないようにすれば出来上がりだ。中々の出来栄えに満足げに頷いてアーチャーはそれを皿に置き、続けて二個目の製作に取り掛かる。
「ふっ…慣れてきたな」
二つ目、三つ目と仕上げていくと、徐々にだが手先の動きが滑らかになっていくのを感じる。スピードは速く、動作は正確になり皿に置かれた餃子の数はどんどん増える。
「む…?」
しばし餃子作りに熱中していたアーチャーだったが、人の気配を感じてふと顔をあげた。
「……」
いつから居たのだろうか…これから決闘に挑むかのように真剣な表情で、セイバーが正座したままちょっと身を乗り出している。
「……」
異様なプレッシャーを感じながらアーチャーは次のタネを握った。ぽとっと肉を皮に放り込みぴっと水付けてパタンと閉じ、くにくにくにと柔らかな皮を捻ってひだにする。
もはや右手と左手は完全に独立して動き、所要時間は5秒にまで縮まっていた。このあたりは昔取った杵柄、『造る者』とよばれているのは伊達では無い。
「お」
間髪入れずに次の餃子を作りにかかった手元を真円に広げた目で見つめるセイバーの口から小さな声が洩れた。
「……」
構わずアーチャーは作業を続ける。ぽとっ、ぴっ、パタン。くに、くに、くに。
「おぉー…」
感嘆の声だったようだ。
「……」
ぽとっ、ぴっ、パタン。くに、くに、くに。
「素晴らしい…」
「……」
無意識のまま呟かれる賛辞にアーチャーは眉をハの字に下げ、こそばゆい表情で更にスピードアップしてみた。しゅぱっ!しゅぱっ!と全ての動きが一つの流れになり、セイバーからみれば魔法の域に達しているのではと思うような神秘の技でもって皿に餃子が積みあがっていく。
今だ生とはいえそこから漂うタネの芳香、練り上げられた皮のもちもちとした表面、既にしてそれはレベルの高さを感じさせるだけの風格を有していた。
まさに、『約束された美味なる餃子』といったところか。
「…む」
しゅぱん、しゅぱんと餃子を作りつづけていたアーチャーの動きが呟きと共に止まった。
「…?」
何事かと見上げてくるセイバーのきょとんとした表情に子犬じみた可愛らしさを感じて数秒躊躇い、しかし思い切って口を開く。
「…セイバー。極めて言い辛いことなのだが…よだれを拭いた方がよくは無いだろうか…」
「!?」
慌ててティッシュをとり口元を拭うセイバーに苦笑してアーチャーは再度餃子を作り始めた。少し飽きたので肉餃子用のタネと皮をどけて水餃子用のものを手元に寄せる。
「これだけ作ってまだ半分に満たない数というのが…ここの状況の異常さを物語るな…」
呟き、皮を手に取る。タネは肉餃子より少なめにして中央に置き、シュウマイと同じような巾着状に皮で包んだ。
「ふむ…このような感じか」
一度手順を確認すれば後は早い。柔らかな皮を破かぬよう気をつけながら作りつづける。
出来上がった水餃子の数が二桁に達した頃、アーチャーはふとあることを思い出してセイバーに目を向けた。
「…セイバー」
「!? ま、まだ何かついていますか!?」
慌ててごしごしと顔を拭うセイバーにもう一度苦笑し、首を振る。
「いや、そうではなく…聞きたいことがある」
「…なんですか?」
真剣な声にセイバーは姿勢をただし、真面目な表情になって問い返した。
「昼のレストランで…自分の過去を否定するのはいけないと言っていたと思うのだが」
「…ええ」
一瞬だけ逡巡を見せてからセイバーはこっくりと頷く。アーチャーはゆっくりと水餃子造りを続けながら問いを続けた。
「あれはおかしいのではないか? おまえは自らの過去を…自国を滅ぼしたことを悔やみ、それを無かったことにするために英霊となったと言っていた筈だろう」
穏やかな声で問われ、セイバーはすっと表情を硬くする。
「…ええ。その通りです。私の願いはただ一つ。あの選定をやり直し、私よりも民を幸せに出来る王を選びなおすこと…それ以外には、何も望みません」
「それは、過去の否定だと…思うのだがな」
その言葉にセイバーは目を伏せた。躊躇い、口を閉ざすかつてのサーヴァントにアーチャーは続けて問いを放つ。
「過去を変えたいという願いを…おまえは放棄したというのか?」
「…わかりません」
しばしの沈黙を経て、セイバーはぽつりと呟いた。
「あれは…考えて語ったことでもありませんから」
「…そうか」
アーチャーの相槌に、やや躊躇いながら言葉を続ける。
「今も私は王であることを忘れてはいません。あの結末から国を救いたい…それ以外の望みなどありません」
言い切ったその言葉に、しかし彼女独特の力強さが無いことにアーチャーは気付いていた。横目で盗み見たセイバーは力ない視線をテーブルの木目に合わせ、自分に言い聞かせるように繰り返す。
「無い…筈なのです。私自身の願いなど…」
「…そうか」
アーチャーは頷いた。己が過去を否定したいという点でセイバーと彼女は同一である。その結果、二人にとって何も得るものがない結末が選択されるであろう事も。
故に、アーチャーにはセイバーが救えない。救うわけにはいかない。
(過去を認めてしまっては、英霊エミヤではありえない…衛宮士郎への憎悪を無くしては…私は本当に…)
自己にそう言い聞かせ、アーチャーは歯噛みする。
不自由だ。あまりにも無力すぎる。英霊だサーヴァントだなぞといったところで、大恩ある少女の心を救うことすら出来ないではないか。
残照がうっすらとした赤に部屋を照らし、二人は沈黙のまま向かいあい―――
「セイバー。私は…」
それでも何かを告げねばとアーチャーが口を開いた瞬間だった。
「ぅおおおっ! なんかうまそーなもん作ってるじゃねぇかおいっ!」
大声で叫びながら居間にやってきたランサーの声に、陰鬱な空気は根こそぎ吹き飛ばされた。その背にぶらさがって遊んでいたらしいあんりとまゆもぴょこんと肩から顔を出して歓声をあげる。
「わーい! ぎょうざー! 中国語でちゃおず〜!」
「うふふ、この先の戦いにはついてこれないんですねー天さん〜!」
騒ぎ立てるランサー達の声が気になったのか、他のサーヴァント達もぞろぞろと居間を訪れて食卓せましと並べられた物体に眼を丸くした。
「何の騒ぎで…こ、この臭いはニンニク…!?」
「吸血鬼でもあるまいに何を躊躇っているのだ騎乗兵」
「吸血種も別にニンニクが弱点じゃないんだもんね。臭いがきになるだけじゃないかなっ!メデュちゃんデリケートだからっ」
どこぞの吸血姫は個人的に苦手にしているようではあるが。
「調子はどう…ってなんか人数増えてる!」
ひと段落着いたのか台所のカウンターごしに居間に眼を向けた凛は黙々と餃子を作り続けるアーチャーと食卓を囲んでそれを見つめるサーヴァント達に絶句した。いつの間にやら全員集合である。
「ああ、ちょうどいいんじゃないか? 遠坂」
士郎は振り返り、居間のほうを伺う凛に声をかけた。
「佐々木さんと桜に手伝ってもらってもこの量は5人じゃ間に合いそうにないし。手は多い方がいい。手伝ってもらおう」
凛は正直微妙といった表情で首をかしげた。魔術にも格闘にも料理にも厳しい彼女としては直ぐには了承しかねる提案である。
「…アーチャー以外は戦力外だと思うけど?」
「うん、まあそうは思うけど…きっと楽しいと思うぞ? みんなで作るのってさ」
「…楽しい?」
ちょっと意外そうな顔で凛は目を丸くした。彼女の見立てでは、衛宮士郎は楽しむという概念を持たない筈である。むしろそれを禁忌としている節すらあった。
「そっか…」
彼がそう思えるようになった理由の中に自分も含まれているだろうかなどと一瞬だけ考え、凛は肩をすくめる。自分の思考が、なんだか少し気恥ずかしい。
「…いいわ。向こうの監督はアーチャーにやらせとけばひどいことにはなんないだろうし」
一度決めれば遠坂凛の行動は迅速だった。手が回らなくて下ごしらえだけで放置していた春巻きのタネと皮を持ち、早足に居間へ移動する。
「ほら、全員きっちり手を洗う! 暇なんだから全員手伝ってもらうわよ!」
どんっと置かれた大量の素材にサーヴァント達は顔を見合わせた。基本的には食べるのが専門の面々だ。戸惑いの表情で躊躇うが…
「おまかせだねっ!」
飛び込むように居間へやってきたイスカンダルが力強くそう宣言した。
「さあさあみんな手を洗うよっ! 料理は清潔が一番先に来るからねっ! 出発っ!」
「おーっ!」
「くすくす、わかりました〜」
Yes! と天に手を突き上げるイスカンダルに答えてあんりとまゆが万歳をすると、他の英霊達もぞろぞろと立ち上がる。もとより好奇心は旺盛な面々なのだ。面白そうなイベントを見逃すはずも無い。
そして―――
「こ、これは、なかなかに…」
セイバーは眉を寄せて餃子の皮をよりあわせる。頭では正確無比に形を思い浮かべられるのだが、それを再現しようにも手は言うことを聞いてくれない。
「く…む…」
より目になって餃子と格闘するセイバーを横目にランサーはどりゃっとタネを丸めて勢い良く餃子のひだを作り上げた。
「どだ? こんな感じで」
「…どうしておまえはそう大雑把なのだランサー…タネがはみでているではないか」
ため息をついてアーチャーはランサー作の餃子を手直しする。
「がぅ」
「おー! バーサーカーねーちゃん、器用…」
一方、バーサーカーの膝にのぼったあんりはタネを頬にくっつけたまま感嘆の声をあげた。大きな手がひらりひらりと舞う度に見事な形の水餃子が皿の上に現れる。
「あらあら、これはまけていられませんね?」
佐々木は微笑み、負けじと右腕を閃かせた。瞬時三閃、タネが一掴み放り上げられ、それを皮が包み込み、ひだがそこに出来上がる。その動き、全てが完全同時―――
「秘技…餃子返し―――」
「神秘の大安売りですね…」
ライダーは半眼で呟いて餃子の皮を手に取る。料理は初めてであるし、さりげなく彼女も怪力だ。破らないように慎重にタネを包む。
「ハサン、水を取ってもらえますか?」
「あ、はいですぅ」
ハサンは頷いて水の入ったボウルを手に取った。えいっと手を伸ばすがテーブルの端に座っているライダーには届かない。
「うー…えいっ!」
焦れたハサンは文字通りの奥の手を使った。包帯をくるくると巻いた右手が一振りすると共にパキリと乾いた音を立てて二倍の長さになる。
「うぉおっ!? なんだそりゃあ!」
「あら〜、今…手が二つに割れました〜」
ランサーとまゆの驚きの声をよそにハサンは伸びた手でボウルを掴みなおし、ひょいっとそれをライダーの前に置いた。
「どうぞですぅ…」
「あ、ありがとう…」
ペキリと音を立てて元に戻る腕に冷や汗をかくライダーの表情を見てハサンはあれ?と顔を引きつらせた。
「あ、あの、いまのおかしいですか?」
「おかしいっつーかグロイ」
隠してもしかたあるめぇとランサーが言い切るとハサンはがーんとわかりやすいショックの表情を浮かべる。
「やっぱり…やっぱりハサンは不細工なんですね…」
「い、いや、そういうことじゃねぇって。ちぃとびびっただけだ…っうか自虐のつもりなんだろーとはおもうけどよ…ベースになってる顔は嬢ちゃんのいもーととおんなじなんだろ? おまえって」
慌ててフォローを入れたランサーの言葉にハサンはゾクリと背筋が凍えるのを感じた。
物質化しているようにすら思える殺気に心の中で遺書をしたためながら暗殺者のサーヴァントはおそるおそる背後をうかがい…
「……」
にっこり。
どこぞで第六法でも求めていそうな笑みで、衛宮家最恐の女がそこに居た―――
「ひぃっ! お許しくださいぃ!?」
「あ、ひさしぶりに降伏ポーズだ」
「…ふん」
ずるずると引き摺られていくハサンを尻目に、ギルガメッシュは不機嫌そうな表情で水餃子のタネを握る。
「…何故に我までこんなことを」
ぶつぶつ言いながらも手を止めないあたり、暇っぷりがわかるというものだ。
「それは王様だからだねっ! 王様である以上餃子を作るのは力の証明っ!」
「そうか、ならば仕方が無いってわけがわからぬわ!」
出来上がった餃子を大皿においてつっこみ、アーチャーの作と見比べて軽く唸る。
「く…贋作者如きの作ったものに我が負けるだと…?」
「でも、いい出来なんだねっ! ちょっと意外だよっ!」
ニコニコしながらタネをねりねりと丸めるイスカンダル自身の手さばきはそこそこというレベルを脱していない。飲食店勤務をしている彼女だが、あいにくと接客担当なので仕方が無い。
「ふん…王を名乗るからには全ての分野において秀でているのは当然だろう」
口では当然のように言ってはいるが、ふふんと張られた胸が得意げだ。
「士郎! 出来た分持ってきて!じゃんじゃん焼くわよ!」
「ああ。春巻きは俺の方で揚げとくよ」
運ばれていく餃子達は、歪つで不ぞろいなものばかりだ。それを凛達が楽しげに焼いていく。
「…ふん」
それを眺め、アーチャーは不機嫌そうな表情を意識して作った。
―――そうでもないと、笑みを浮かべてしまいそうで。
「どした? アーチャー。楽しそうじゃんよ」
「…そんなことは、ない」
そう、楽しいなどということはありえない。
誰かと親しむなどあってはならない。
そんな資格などある筈が無いのだ。英霊エミヤには。
だが―――
「ただ、おまえの餃子があまりにも雑なのでな…」
「なんだと!?」
「む…雑なのはいけません。絶対に、駄目です。ランサー!」
がぉぉっ!と突っ込んでくるセイバーとその剣幕に思わずのけぞるランサーに思わずアーチャーは笑みをもらした。
「あ、くそ。笑いやがったなてめぇ」
「ふっ、笑いたくもなる。見ているがいい…こうするのだ、こう」
もはや、手遅れなのかもしれない。
「おおっ! アーチャーっち、物凄いスピードだよっ!」
「参考にならねぇぞおい…」
今のアーチャーには、在り得ぬはずの仲間が居る―――
「やるわねアーチャー…でも本家本元お家元、このわたしの腕を見てひれ伏しなさいっ!」
「いや、そこまで盛り上がられても困るのだがな、凛」
「よし! 小生意気な弓兵を叩き潰しちまえ! おら、少年も来いって!」
「ちょ、ランサーさん!俺、今揚げ物してて…ぅおっ押し付けないでください!」
多分、居る。
多分。
1時間後。
「いただきます!」
散々横道にそれながら食事の準備を終えて士郎達は食卓に着いた。
「うわ! これなんかもう餃子の形してねぇぞ!?」
「…それ、ハサンのですぅ」
「セイバーのは…これか。うん、おいしい」
「シ、シロウ!? なにも私の稚拙な作を真っ先に口にしないでも…!」
「っていうより、なんで一発で見抜くのよ士郎…」
皆、真っ先に手を伸ばすのはやはり餃子だ。みんなして批評し合いながらこれまでに無い程のハイスピードで箸を進める。
「おっ、これはギルのか…上手いけどアーチャーのに比べると一歩劣るなぁ」
ランサーは水餃子を口の中に入れて呟く。その台詞にギルガメッシュは額に青筋を浮かべて口を歪めた。
「…この我の手料理に文句をつけるとは良い度胸だな、下賎な狗が!」
「い、犬っていうなぁっ!」
睨みあう二人にアーチャーはため息をつき、春巻きをかじって満足げに頷く。
「この春巻き、少々巻きが緩いがいい形をしている…セイバーだな」
「た、確かに私の作った分ですが…」
「あんたもサーチ能力あるわけ…」
凛は呆れ顔で餃子をつまみ、口に入れた。
「あれ? これ士郎が作ったやつだ」
「…自分もサーチしてるじゃないですか姉さん」
ジト目で箸をくわえる桜に綺礼はふっと失笑を漏らす。
「何を言っているのだ間桐桜。その程度は基本能力ではないか…ふむ、これは確かに凛の青椒肉絲」
「そうそう。なんかみんな餃子に気をとられてるけど今日のメインはそっち―――って何当たり前みたいな顔して混じってるのよ綺礼ッ!」
叫びざま投擲された箸を綺礼は首だけそらして回避した。ふすまを貫通して夜闇に消える1,722円(税込)に士郎はああっと悲しげな声をあげる。
「とおさか…」
「ちゃんと後で拾うわよ! …アーチャーが」
「私か!」
つっこみに構わず凛はびしっと綺礼に指を突きつけた。
「ともかく綺礼! あんたいつの間にうちの食卓に紛れ込んでるのよ! ついでに何よその茶碗は!」
「ふむ、例によって2つ目の質問から答えるが―――」
綺礼は頷き、手にしていた『愛娘』と書かれた赤い茶碗に目を落とした。
「ただの嫌がらせだ」
「消えうせなさいッ!」
閃光のような抜き撃ちでもって放たれたガンドは身を捩った綺礼にあっさりとかわされ、背後のふすまに拳大の穴をあけて消えた。
「…いいけどね、別に」
士郎は悲しげな顔でタンスを漁り、スペアの障子紙を探し始める。
「凛、無駄な破壊活動は感心せんな。衛宮士郎の悲壮な表情は私には痛快ではあるが」
「あんたが元凶でしょうが綺礼!」
がぁっ!と吼えた凛は腕組みなどして綺礼を睨む。ちなみにサーヴァント達は何事もないかのように食事中だ。正直慣れてきた。
「まったく…その調子じゃここに来た理由もわたしへの嫌がらせかしら?」
今度は外さないとばかりに宝石を握り締める凛に綺礼はふむと頷いた。水餃子を噛みながらタンスにかかりきりの士郎に眼を向ける。
「たいしたことではない。そろそろここのサーヴァントをどうにか処理すべきではないかと考えただけでな」
「!?」
瞬間、その場に居合わせた全ての存在が動きを止めた。瞬時に静寂に満たされた空間の中、凛は慎重に口を開く。
「どういう、意味かしら? それは」
「期限が近いということだ。魔術師の戦争が始まらなくとも聖杯の召喚は既に始まっている。開始から2週間程が刻限であることを考えれば、もはや通常の聖杯戦争を行うのが不可能であることは明白であろう。報酬たる聖杯が呼び出せんのではな」
凛は目を細め、綺礼の真意を測る。
「…確かにね。でもそれがどうしたっていうの? 今居るマスターで決着をつけようとでもいうのかしら?」
「それも一つの案ではある。だが、刻限以内であろうと素体と連絡がつかない状態では実際に聖杯を出現させられるかどうかはわかったものではない」
素体?と内心で呟く凛をよそに綺礼は笑う。
「私が考えていることは単純だよ、凛。つまり此度の聖杯戦争そのものを無かったことにしてしまうという案だ」
「なかったことにって…どういうことだよ」
綺礼の傍に歩み寄り、士郎は硬い表情で神父を見下ろした。こういう表情をしているとき、この男がどんな類の提案をしてくるかはよく知っている。
「そもそも60年周期の筈の聖杯戦争がただの10年で繰り返されたこと自体が異常だったのかもしれん。ならば、その痕跡を消し去り次の機会を待つことも一つの解決であろう」
表情一つ変えず、言峰綺礼はサーヴァント達を見渡す。
「召喚された全てのサーヴァントを殺してしまえばいい。ただそれだけで全てが元通りとなる」
「っ! 言峰、おまえ…!」
予想していたとはいえ許しがたい台詞に士郎は綺礼に掴みかかった。襟首を掴まれてなお表情を変えず聖杯戦争の監督役は静かに言葉を紡ぐ。
「最も安全な手段がそれだ。サーヴァント…いや、受肉した英霊というものが存在することは、それ自体がリスクを伴う。衛宮士郎、君はそれを管理できると言うのか? 彼女達がもたらすかもしれない被害に責任を持てるとでも?」
「待てよコトミネっ!てめぇオレ達を馬鹿にしてんのか!?」
だんっと机を叩いて激昂するランサーに、しかしアーチャーはふっと暗い笑みを浮かべた。
「至極正当な見解だと思うがな。我々自身がなにかをしでかすというように捉えているようだが、魔術師にとって受肉した英霊というものが垂涎の研究素材であるということを理解することだ」
「…ええ、それについては同意するしかないわね。存在を知られれば、何をしてでも捕獲したいと思う魔術師は後を絶たないでしょうね。この町ひとつくらいは滅ぼしても構わないと思う奴も…多いと思うわ」
凛の言葉に士郎はぐっと奥歯を噛み締め、掴んでいた綺礼を放した。
「それでも…殺す必要なんてないだろう…!?」
「以前にも同じ問答をした記憶が有るが、これが最も確実であるというだけだ。人の世の為を思えば、これは『正義』というものではないかね?」
淡々と喋りつづける綺礼にサーヴァント達は複雑な表情で沈黙する。
「…一つ聞くけどよ、コトミネ。あんた、オレ達を殺せるなんて本気で思っているのか?」
「愚問だ、ランサー。令呪で自害を命じればそれで事足りる。更に、私はギルガメッシュの令呪を所持している。他の英霊を全て始末させるに十分な戦力だろう」
あっさりと言い切る綺礼にギルガメッシュは冷たい目を向けた。
「令呪如きで意思を曲げられるとでも思っているのか?この我を操りたいなどと不遜なことを考えているというのならば、世界そのものを捻じ曲げるつもりで来るがいい」
「そのつもりだ。令呪3つによる多重拘束ですら足りぬかもしれんが…その時は他の手でも考えるだけのこと」
英雄王の冷たい眼差しを正面から受け止めて綺礼は言い放ち、その視線を桜へ向けた。
「間桐桜。君はどう思っている? マスターの一人として、要望を言ってみるがいい」
「わ、わたしは…」
桜はあんりとまゆ、そしてライダーへと順繰りに視線を向け、最後に士郎の表情を上目遣いに伺った。
「その…先輩が、迷惑だと思ってるんだったら…」
だったら、どうすべきなのか。それは思いつかず桜は俯き、ボソボソと言葉を続ける。
「その、やっぱり先輩に、お任せします。先輩の判断なら、全面的に信じられますから…」
それは信頼と呼べるかもしれない。だが、それと同量の…否、あるいは上回る依存心の現れであるとも、とれる。
自らの行動、自らの環境を他者に任せてしまい自ら選ぶことをしない性質…それが間桐桜の欠点であるが故に。
「…そういえば士郎も最初の日には嫌がってたもんね。サーヴァント達をここに置いとく事に関しては」
肩をすくめて呟く凛の言葉に士郎はむむ、と顔をしかめた。確かに、サーヴァントの存在をしったあの日…自分は確かに戸惑い、拒否しようとしていた筈なのだ。
だが、それは…
「知らない人だったから、な」
呟き、サーヴァント達に目を向ける。たったの十日だ。まだ十と数年しか過ごしていない自分にとってすら人生の僅かな時間でしかない、その僅かな時間をしか過ごしていない、この少女達。
だが、しかし―――
「今は違う。俺はみんなのことが好きだよ。みんなが望んでくれるなら、ここで暮らして居たいと思う。それで危険なことがあっても、背負っていける」
発端は巻き込まれたものであっても、選んだのは自分だ。ならば後悔はない。それだけはしない。これまでも、これからも、己に出来るだけのことをやっていく。
「だから、このままでいい。俺は、このままがいい」
士郎は頷いてそう宣言し、刹那―――
「……」
16種類の微妙な沈黙が居間の中を満たした。
「……」
サーヴァントと魔術師はそれぞれ顔を見合わせ、代表として凛がおそるおそる口を開く。
「士郎…恥ずかしくないの? その台詞…」
「し、シリアスな場面なんだからもうちょっとなんかこう!?」
「いや、見事だ衛宮士郎。あの切嗣ですらそのようなこと真顔では言えなかったぞ」
「なんかそういう言われかたすると無茶苦茶腹立つなあ…」
遠い空からいい顔でGJサインを出している親父の姿を幻視して士郎は綺礼をひと睨みする。一方で…
「そんな、先輩、好きだなんて、ぁん、みんなの前で恥ずかしいです…」
「サクラ。残念ながらあなただけのことではないようですが?」
頬を染めて身をよじる桜にライダーは無表情につっこみを入れる。聞いてない。
「ぁあ、ライダー、わたし今日はどんな下着でしたっけ」
「黒のレース、ガーターつきです。正直似合っていないと思います」
辛辣だ。
「…ふむ、覚悟を決めているというのならば、私からは何も言うまい。己が責に押しつぶされないことを祈っておいてやろう」
皮肉気な笑みを唇の端にのせた綺礼の言葉に凛は目つきを鋭くして兄弟子を睨みつける。
「あいにくだけど士郎の師がわたしである限り、あんたが期待してるような未来にはならないわよ。残念だったわね」
「遠坂…」
少し意外そうな顔で見つめてくる士郎に凛は顔を赤くし、ふんっとそっぽをむいてセイバーに声をかけた。
「それに、アレよ。セイバーだっているわけだし。ね、セイバー?」
「ふもっ!?」
急に話を振られ、我慢しきれずこっそり餃子を食べていたセイバーはどこぞのマスコットキャラクターのような音を喉から発してビクリと震える。
「セイバー…」
「い、いえ、違うのです! これは、その!」
額を手で押さえてため息をつく凛にセイバーはあわあわと手を振り回し、餃子を飲み下してから真面目な表情を作った。
「私はシロウの剣であり盾だ。いつかこの身が潰えるその日まで守り続けます」
「…セイバー、口。ニラがついてる」
慌てて猫のように口元を拭うセイバーに苦笑して凛は隣に座る士郎の背を叩く。
「だから、一人で抱え込むなんて身分不相応のこと考えるんじゃないわよ?」
「…ああ、ごめん。それとありがとう」
ぺちんとかぱちんではなくごすっと音のしたその打撃にやや顔をしかめながらもそう言って笑った士郎に綺礼はふむと呟いた。
「時に話は変わるのだがな、衛宮士郎」
「む。なんだよ」
真面目な話は終わったかと食事が再開された食卓をはさみ、二人の男は真っ向から向き合い…
「凛とはもうヤったのか?」
「ぶっ…!」
士郎はゴチンと食卓に頭を打ち付けた。
「ききききききききき綺礼ぃぃぃぃぃぃっ!」
激昂のあまり攻撃することすら忘れて叫ぶ凛にランサーはうむっと腕組みをした。
「オレもそこんとこは気になるなぁ…ここって音ダダ漏れだけどよ、嬢ちゃんなら防音結界くらいつくれるだろうし」
「まだしてるわけないでしょうがっ!」
「まだ?」
「聞いた聞いた? まだ、だって!」
「まだってどういうことですか姉さん!?」
途端箸を止めてつっこんでくるサーヴァント達に凛はうがああああああっと声高らかに吼える。
「ただの言葉のあやよ! 深読みして余計なこと言わないッ!」
「ふむ、では本当にまだ手を出してないということか。衛宮士郎―――」
綺礼は眉をひそめて士郎に視線を向ける。
「な、なんだよ…」
「もしや、立たんのか? その場合薬を処方するが…」
「立つよ! 失礼だな!」
反射的に叫び返した士郎にサーヴァント達は凛への追及をやめて頬を赤らめた。
「そうか、少年…ビンビンなんだな」
「…お兄ちゃん、ホムンクルスの材料…くれるかなあ」
「先輩、言ってくれれば夜のお世話くらい…」
「だああっ! うがぁああっ! ちょ、待てみんな! 何? 何この流れ!?」
ニンニクが精力を増強しているのか、妙にやる気満々な少女達に身の危険を感じて士郎は後ずさって叫び、元凶たる綺礼を睨みつける。
「綺礼! おまえが馬鹿なこと言うから…!」
「馬鹿はおまえだ衛宮士郎」
だが、綺礼はカッと眼を見開いて鋭く士郎を一瞥した。
「同じ屋根の下に凛が転がっているというのに10日にわたり手を出さないとは何事か。 それでも男か? それ以前に女に失礼だとは思わないのかそれで」
「う、ぅえ!?」
心の中を切り開くかのような重々しい声に思わず士郎は言葉に詰まる。
「よいか、凛に限らずこの状況下で誰にも手を出さないなどと阿呆か君は。よし、今宵だ。誰でもいいから押し倒してみるがいい。なに、どうせ遅いか早いかであるし、勝負パンツを購入したのは知っているのだぞ?」
「何で知ってるんだよ! っていうか別に勝負パンツじゃないし!」
こっそり箪笥の奥にしまった黒ブリーフを思い出しながら叫び返すと綺礼はふっと口を歪めて首を振り…
「教会の情報網を甘く見ないことだ…」
「ついでに、このわたしも甘く見ないことね…! 人畜無害な士郎に何をふきこんでるのよ!」
そう告げた瞬間、咆哮と共に赤い閃光が食卓の上を駆け抜ける。
「ぬ…」
綺礼は素早く立ち上がり大きく飛びのいた。瞬間、座っていた辺りにキュボッと音を立てて小さな爆発が起きる。
「ふむ、致命的な魔術を何のためらいもなく使うか。よい判断だ」
「あんたなら当たっても数秒倒れてるだけでしょ。どうせ」
凛は表情をひきつらせて手の中の赤い宝石をもてあそぶ。先ほど投擲したものだ。
「お、おい遠坂…さすがにやりすぎじゃ…」
「!? 誰が犯りすぎよ!」
先ほどからやや狂化ぎみの凛は真っ赤になって拳を振り下ろした。ぼぐんっ!と鈍い音を立てて士郎がタタミに沈む。
「おーい嬢ちゃん、食事中だからさ、肉片とかとびちらねぇようになー」
「大丈夫! 肉片も…残さないからッ!」
サーヴァント達の和やかな食事をバックに行われた処刑遊戯は、アーチャーの電話連絡を受けて急行してきたバゼットが到着するまで延々と続くのだった。
少女は開け放してあった戸をくぐり、ゆっくりとその部屋に入った。
「……」
無言のまま歩みを進め、窓の障子越しに差し込む月明かりに浮かび上がった部屋の主の寝姿を冷たい視線で見つめながらその傍らに立つ。
「手遅れになど…なっていない」
呟くは赤い衣と銀の髪の英霊。少女───アーチャーは眼下に士郎を見下ろして片手をかざした。
「投影…開始(トレース・オン)」
かすれるような声で呪文を放つ。投影されたのは陽剣干将。黒い刀身は月明かりを吸い込み、一切の輝き無くその刃を闇に沈ませる。
ゆっくりと呼吸を整えたアーチャーは寝返り一つしない士郎を見据えてその短刀を振り上げ…
「何をしているのですか、アーチャー」
ふすまが開くカラカラという音と共にかけられた声に動きを止めた。
「…見ればわかると思うがな。この男を、殺すのだ」
吐息と共に言葉を吐き出してアーチャーは視線をあげる。隣室というよりも同室、ただ区切られているだけの向こう半分…今は開けられたふすまの向こうにセイバーが立っている。
「シロウを、ですか?」
冷静な声で繰り返すセイバーの姿は常のブラウスではない。青の鎧下に銀の甲冑という戦闘用の装備を整えている。
「止めるにはいささか遅いと思うがな。いかなおまえと言えど、その位置から踏み込むよりも私が剣を落とす方が早いだろう」
「ええ。ただ剣を止めるだけではなく、あなたの妨害をかいくぐってというのは無理に近いでしょうね」
セイバーは小さく頷き、小さく笑った。
「ですから、止めません」
「何?」
予想外の台詞にアーチャーは眉をよせてセイバーを睨む。
「どうぞ、好きにしてください。この件に関して、私は干渉しません」
「……」
あっさりと言い切る姿に戸惑いが大きくなる。騎士の中の騎士、時に自分の身よりも士郎を優先することすらある彼女の選択としては、あまりに不自然な言葉だ。
「何を考えている…?」
「簡単なことです。あなたはシロウを殺せない」
その台詞にアーチャーは視線を鋭くする。
「…その判断の誤りを後悔するがいい」
囁きざま、士郎の喉目掛けて黒い刀身を振り下ろし―――
「……」
「……」
沈黙が、交差した。月光に照らされ彫像のように立ち尽くす影、二つ。
静かな表情で見守るセイバーと、士郎の喉すれすれで黒い刀身を止めたアーチャー、共に微動だにせず静寂に身をひたす。
「…出来ません。あなたには」
「…直感、か? 私は…本当に、殺すつもりだと…いうのに」
アーチャーは顔を歪めて投影剣を消し、空になった己が手を見つめる。
「衛宮士郎を殺すことだけを願ってきた筈だというのに―――何故、出来ない」
「? 出来るはずがないでしょう」
苦しげなアーチャーにセイバーはきょとんとした顔で首を傾げた。
「あなたは、人を助けるための犠牲は出せても…意味の無い殺戮が出来る人では無い」
「―――」
当然のように言われてアーチャーは絶句し、表情を歪める。
「意味は…ある。おまえが聖杯を求めて時をさすらうように、私は衛宮士郎を殺してこの身を世界から解き放つことだけを願ってきたのだから…」
人々の幸せを、笑顔を夢見て英霊になったあの日から続く無限の年月、限りなく続く戦場。
そこで苦悶を見た。断末魔を見た。無意味な死を見た。不可避な殺戮を見た。泣き叫ぶ子を親が絞殺しその親が無価値に轢断され男が焼き尽くされ女が貪り尽され四方に絶望より他無く打ち捨てられ転がる死。死。死。死。死。
際限なく続く悪夢の中へ投げ出されそれ以上の死が生まれぬように原因を取り除く。方法は常に殺人。命乞いを断ち切り頭蓋へ一撃、心臓へ一撃。
世界の為になどと言ったところで行為が正当化されるわけでもない。全てが済んだ後に残るのは己を見つめる者達の目が語るただ一つの事実。
曰く、我もまた、殺されたモノと変わらぬ殺戮者であると。
「中途半端に力を持ち、しかしそれを支える信念は無く、ただ借り物の思想を頼りに世界と契約を交わした。その過ちの代償がこれだ。私は…」
眼下に眠る少年の安らかな寝顔を睨みつけ、血が滲むほどに拳を握る。
「衛宮士郎は正義の味方になれなかった。その証拠が俺なんだよ。セイバー」
アーチャーは多重に連なる自己を嘲笑し、首を振る。
「俺は衛宮士郎の終着点だ。正義の味方とやらを追い求め、その字面に酔ったあげく、世界と契約を交わしてはじめて現実を知った愚か者の…なれの果てだ」
「…あなたも、シロウであると?」
問われ、肩をすくめる。
「そうだ。英霊となったこの身は幾度の死を迎えようと幾度の戦場を乗り越えようと終焉にはたどり着けない。だがこの男を私自身の手で殺せば…自分殺しのパラドックスにより私自身を消し去ることも叶うかもしれない」
それが、英霊エミヤの持つ唯一の望み。磨耗し、疲れきった守護者の後悔の到達点。
「私は英霊エミヤだ。だから、この男を殺す。殺さねばなら―――」
「重ねて言います」
吐き出すような言葉を断ち切りセイバーは静かにそう言った。
「あなたにはシロウは殺せません。私はそれを確信しています」
「確かに無意味な殺戮は出来ないかもしれない。だが、目的の為の犠牲…しかも自己犠牲ならば、私は躊躇わない」
言い返すが、その言葉に力は無い。
「ただの八つ当たりだということも理解している。こいつを殺すという因を作ったところで既に果としてのつながりが無い私が消滅するというわけでもないだろう。…セイバー、おまえが聖杯を手にして王の選定をやり直したところでここにいるおまえが英霊で無くなるわけではないのと同じように」
訥々と語り、暗い瞳でセイバーを見やる。
「わかるだろう? 無駄とわかっていようが、可能性を提示されればそれに飛びついてしまう。サーヴァントとマスターは似通うというが…衛宮士郎とアルトリアの間にも、それは適応されるということだ」
長い吐露に対し、セイバーの返答は簡潔であった。
「…あなたの主張は理解できました。ですが、私には言い訳にしか思えません」
「…何故だ」
問い返され、静かに視線と言葉を返す。
「先ほどから、あなたは英霊エミヤだからとしか理由を述べていないからです。あなたと同じ記憶を共有できない以上、偉そうに説教をするつもりもありませんが…」
口を閉ざしたアーチャーにセイバーは微笑んだ。
「アーチャー、この地に召喚されたあなたは…ここで出会ったシロウを本当に殺したいと思っているのですか?」
一度言葉を切り、少し恨めしそうに上目遣いになる。
「これまで散々手助けし、今日もあんなに楽しげに手を取り合って走っていたシロウを」
「な、何故それを…奴か!」
想像の中で満面の笑顔を浮かべるランサーにありったけの剣を叩き込んでアーチャーは頭を抱える。セイバーはつんと顔を背けて唇を尖らす。
「まったく、破廉恥な…」
「っ…いいか? セイバー。私はシロウと同一人物だぞ?そのような思考になることがおかしいのだ。特にランサーとこいつはおかしい。かなりおかしい。異常者だ」
まくし立てるアーチャーにセイバーは顔をしかめた。
「そういえば先ほどもシロウは自分なのだからなどと言っていましたが…本気ですか?」
形のいい眉をひそめてセイバーはあっさりと言い放つ。
「そもそも、あなたは女性ではないですか」
「ぅ…」
紅茶が沸かせそうなほどに正論などというフレーズを思い出しながらアーチャーは頬をひくつかせた。
「いや、それはそうなのだが、その…事実として私の真名はエミヤなのだ…記憶もあるし…」
「同じ記憶があったところで私とちびせいばーは別人ですし、エミヤだけでいいのでしたらキリツグもエミヤでした。あなたはさしずめエミヤシロウではなく…女性ですから…」
日本語の名前で女性系ならば?とセイバーは記憶を検索する。
「そうですね。エミヤ…シロ…シロッコでどうですか?」
「そんな往生際の悪そうな名前は嫌だ!」
頭に謎の金属輪をはめている自分を想像してアーチャーは全力でツッコミを入れた。意外と頑固なセイバーだ。下手をすれば本気でそんな名前を広めかねない。
「もう一案あります。エミヤシロミというのはどうでしょう。韻を踏んでて良い感じです」
「…泡立てたらメレンゲになりそうな名前も結構だ」
実際には砂糖も必要だがなと続けてアーチャーはため息をついた。
「ああ、もういい。私はアーチャーだ。他の名は必要無い!」
「…そうですか。他にも数案あったのですが」
残念そうな顔を眺めてアーチャーは肩の力を抜いてみた。ひとつ息をつくと笑いがこみあげてくる。
(まったく、馬鹿げた世界だ…ここは)
だが、軽い。心が、嘘のように軽い。
あの地獄が忘れられるわけでもないし、過去の自分がしでかした愚かな選択が憎い事も変わりはしないが。
(この心地よさも、事実だ。目をそらすわけにもいくまい)
ただ、目の前に居るこの少年を殺すという目的を棚上げにしただけだで…こんなにも楽になるという、事実。
「まったく…シリアスになり辛い環境だ。暗くなっている暇すらない」
知らず笑みを浮かべている自分に肩をすくめながらそんな事を呟いてみる。見下ろせば、相も変わらず平和な寝顔で転がっている士郎の姿。
「まだ寝てるのか。まったく、鈍い奴だな…」
「リンと魔術の鍛錬を行っていたようですが、今日は相当に厳しかったのでしょう。ふらふらと戻ってくるなり物も言わず布団に倒れこんでそのまま寝てしまいました」
覗いてたんかいと心の中でつっこんでからアーチャーはふと気付いて眉をひそめた。
「そういえばセイバー、おまえは完全武装で何をやって居たのだ? 私が来るのを直感で察知して待っていたのか?」
その言葉にセイバーはポンと手を打って表情をひきしめる。
「忘れていました。シロウの警護の為に起きていたのですが、あなただけを警戒していたわけではありません」
「では何を…ん?」
言いかけてアーチャーは耳を澄ました。板張りの廊下がきゅっきゅと鳴る音が聞こえたのだ。
「誰か来たな…」
「アーチャー、早くこちらへ!」
手招きするセイバーに従いアーチャーはセイバーの居る側に移動した。
「お静かにお願いします」
セイバーはそう言って指一本ほどの隙間を残してふすまを閉じる。そこから寝床の士郎を覗いてからハッと気づいて振り返る。
「…一応言っておきますが、普段からこんなことをしているわけではありません。騎士の誇りにかけて誓います」
こほんと咳払いをしながら言ってきた言葉にアーチャーは苦笑した。
「それは信じるが…覗いてみたいとは以前から思っていたのではないか?」
「!?」
冗談のつもりで言った言葉にビクリと震えるセイバーにアーチャーはやや顔を引きつらせて笑う。
「ま、まあそれは置いておくとして…来たようだな」
足音は士郎の部屋の前で止まり、そろそろと廊下側のふすまが開いた。
「……」
「……」
二人が固唾を飲んで見守る中…
「しょーぅねん?」
「……っ!」
入ってきた長身のシルエットが発した台詞にアーチャーは思わずつっこみを入れそうになった。直感でそれを見抜いたセイバーが咄嗟に自分の手のひらで口を塞いだので力強い叫びは放たれずに終わる。
(アーチャー! 不用意ですよ!)
(む。すまん…)
目で語り合い、二人はすみやかに覗きに戻った。
「ふふふ、しょうね〜ん、おねーさんちょっとよっちゃったかも〜?」
言うまでも無く、部屋を訪れたのはランサーだ。Yシャツに短パンという露出度の高い服装で片手にビールらしき缶をぶらさげている。
「暑いから脱いじゃおっかなー」
ランサーは本当に酔っているのか、ケラケラ笑いながらシャツのボタンを外していき…
「じゃぁ〜ん」
下着姿になって胸を強調するように前かがみになった。
「……」
「……」
セイバーとアーチャーは視線をそれぞれの胸部に向け、修羅の表情になる。
「ん〜、案外起きないな。少年…ま、それならそれで」
ランサーは息をあらげ、ぱんっと手を合わせ…
「いただきま―――」
「って普通に襲おうとするな!」
布団に手をかけたところでアーチャーは素早くふすまを開けた。
「ぬわっ…アーチャーとセイバー?」
ランサーはふすまの向こうで仁王立ちしている二人をきょとんとした表情で眺め、寝ている士郎に目を移す。
「…4(ピー)?」
「伏字になっていないっ!」
一喝するアーチャーにセイバーは頭上にはてなマークを浮かべて首をかしげる。
「アーチャー、いまのフォーなんとかというのはどういう意味なのですか?」
純真な少女の表情で問われてアーチャーとランサーは思わず顔を見合わせた。人生の渋みを知り尽くしたものの表情で頷きあい、同時に首を振ってみせる。
「セイバー。おまえはそういうのを知らなくていい。いいんだ…」
「そうそう。おまえにゃ汚れ芸人は似合わないしな」
「は? はぁ…」
妙に温かな微笑と共に肩まで叩かれてセイバーは不審げに二人を見上げる。
「よくわかりませんが…私の予想通りシロウを襲いに来またしたね。ランサー」
「おう。そりゃまあ『みんな好きだよー。特にセクシーでキュートでダイナミックなランサーお姉ちゃんは好き』とか言われたらなぁ?」
「言ってない。そしてダイナミックは誉め言葉か?」
素早くつっこむアーチャーにあははと陽気に笑うのも一瞬、ランサーはすっと表情を鋭くした。
「? どうしましたかランサーーー」
「しっ…足音だ」
口に人差し指を当てて囁くランサーにセイバーとアーチャーも口を閉じて耳を澄ます。
ぎし…ぎし…
「確かに…セイバー、ランサー」
「ええ」
「わかってるって」
アーチャーの目配せに頷いて一同は素早くセイバーの部屋に引っ込んだ。再度ふすまを指一本のすきままで閉じて息を殺す。
(…おい、ランサー。服はどうした?)
(ちゃんと拾ってきた。安心しろって)
(…拾ってきたのに下着姿のままなんですね)
ナズェキナインディスとばかりにジト目で見上げてくるセイバーをよそに、あけっぱなしだった士郎の部屋のふすまに新たな影が現れた。長い髪とメリハリのあるボディーラインが夜闇に浮かぶ。
(…誰だ? ロングでストレートはライダーか? いや、髪をおろせばイスカンダルや佐々木もありうる)
(…どうせ、私は筋肉が付きすぎてゴツゴツしてます)
(上から85/56/87…ってことは)
三者三様の呟きの中、そろそろと部屋に入ってきた影はすぅっと息を吸いゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「先輩…来ちゃいました」
「桜かよっ!」
アーチャーは速攻でつっこんでふすまを開けた。彼女の中の『大人しい後輩』という思い出がボロボロと崩れていく。
「桜…何をやっているのだ君は…」
「え!? え!? アーチャーさん!?」
唐突に現れた銀髪の少女に桜はぱちくりと眼をしばたかせた。
「あ! ランサーさんまで…っていうかなんでランサーさん裸なんですか!」
「ん? 着てるじゃん。今日買ってきたばっかの勝負ぱんつ」
親指を立ててニヤリと笑うランサーにため息をついてセイバーは桜に声をかける。
「シロウの不用意な発言で悪ノリしたサーヴァントが寝床を襲うことは予想していましたが…まさかサクラ、あなたまでとは」
「わ、わたし…」
桜は少し口ごもり、だがぎゅっと拳を握って大きく頷いた。
「わたし、これからは積極的に生きるって決めたんです! 先輩のことも…他のことも!」
強い言葉にランサーはニヤリと笑い桜の肩を叩いた。
「いいぜそういうの。オレは好きだな…ガンガン行っとけ。若いんだしな」
「は、はぁ。どうも…」
下着姿の美女に励まされるという謎の絵面に戸惑いの表情で頭をさげ、はたと本題を思い出す。
「って言ってる場合じゃありません! なんでみなさんこんなところに…」
「そりゃあセイバーの部屋はここだし、オレとアーチャーは言うまでもないだろ? おまえさんと一緒だからな」
笑顔でアーチャーの肩を抱き寄せるランサーに桜はむむっと眉根をよせた。
「つまり、既成事実を作りに来たんですね?」
「ひどく直接的な物言いだな桜…」
今更何が出てきても驚きはしないがな…と額をおさえてアーチャーが呟いた、瞬間。
「ん?」
「む」
「これは」
サーヴァント達は一斉に廊下のほうに顔を向けた。
「え? どうし―――」
「シッ! またまた誰かご登場だぜ」
ウィンクしながら言ってくるランサーに桜はまあと口に手を当てて驚く。
「だ、誰―――」
「声でかいって。ほれ、さっさとセイバーん部屋に行く!」
「あの、もういい加減隠れなくてもいいのでは?」
自分で始めた事ながらだんだん大所帯になっていく状況に頭を抱えるセイバーをふすまの向こうに押し込んでランサーはアーチャーと桜に目配せした。
「ほら、おまえらも」
「はい!」
「…まあ、この際だ。最後まで付き合うが」
やる気満々で頷いた桜と肩をすくめるアーチャーがその後に続くのを見届けてからランサーは寝ている士郎の傍らに添い寝した。
「…やめんか」
瞬間、すとんっ! と音を立てて畳に包丁が突き立った。投影剣だったらしいそれは役目を果たし魔力に還元されて消える。
「次は当てるぞ…」
「わ、わーってるって。よし、それなら少し妥協して二人で添い寝でどうだ!」
「…いいですね、それ」
ふらふらと歩き出そうとする桜にため息をついてアーチャーはもう一度包丁を投影した。
「今度は出刃包丁なのだが…」
「じょ、冗談ですよ…」
途端にたじろぐ桜を横に、セイバーは冷ややかな眼でランサーを睨む。
「シロウのサーヴァントとして、そのような不埒な行為を許すわけにはいきません。どうしてもというのでしたら相手になりますが?」
「サーヴァントとして、ねえ? ま、オレ的にはそのリアクションを引き出しただけで満足だな」
ランサーはその言葉にニヤリと笑って音もなく飛び起きた。廊下から聞こえる足音がすぐ傍に来ているのを聞き取り、セイバーの部屋に飛び込み無音のままクルリと回転して立ち上がる。
「また無駄に敏捷な…」
アーチャーが呟きながらふすまを閉めると同時に廊下から誰かが士郎の部屋へと足を踏み入れた。
「…おかしいですね」
入ってくるなり呟かれた言葉に桜はぴくんと身体を震わせる。彼女にとって聞きなれた声だったのだ。
(ライダー! あなたまで…!)
(おぉ、結構意外だな。あいつってあんな格好してるくせに照れ屋なんだが)
(…まあ、桜が来た時点で私にとっては何でもありだがな)
こそこそと言葉を交わすランサー達をよそにライダーは士郎の部屋を見渡して首をひねる。
「サクラが士郎を襲いに来ているはずなのですが…」
「もごっ(襲うなんて人聞きの悪い)!?」
叫びかけた桜の口をその素早さでもって塞ぎ、ランサーはちぇっと舌打ちした。
(なんだ、連れ戻しに来ただけかよ…)
(ふん…世界の全てがおまえ達の色に染まっていると思うなよランサー)
(あの…おまえ達ってわたしも入っているんですか…?)
(残念ながら確実ではないですか?)
ふすま一枚隔てた場所でそんな会話が交わされているとは知らぬまま、ライダーはくいっと首を傾げた。
「まあいいです。それよりも少々おなかが減りましたね…」
(まったくです)
ぶんぶんと頷くセイバーにアーチャーとランサーはあんなに食ってたのにと戦慄する。
(おなか…)
一方で桜はそっとお腹を押さえていた。くうくう鳴っているのかもしれない。
「ここはひとつ、夜食でも…」
呟き、パンっと士郎にむけて手を合わせる。
「では、いただきま―――」
「ライダーッ!」
刹那、桜は鋭い声でもってライダーの台詞を遮っていた。令呪の浮かんだ腕を見せ付けるようにかざしながらふすまを開ける。
「ああ、サクラ。そちらでしたか」
「でしたかじゃないです! なんですかいただきますって!」
「それは…私の口から直接言えなどと…いくらサクラの命令でも、そんなはしたない」
真顔のまま頬を染めるライダーに桜はキシャーッ!と髪を逆立てた。
「だいたい、夜食ってなんですかライダー! 先輩を間食扱いなんてひどすぎです!」
「そういう問題か? むしろライダーのリアクションがおまえと一緒というのがきになるのだがな。ランサー」
「意味は違うっぽいけどな。喰うと食うで。やるこたかもしれねぇけど」
やる気なさげなアーチャーの呟きを聞き流してランサーは廊下に目を向ける。
「あー、皆の衆。いいかげんワンパターンだが、また誰か来たぞ」
「なんというか、誘蛾灯か何かか? この男は」
アーチャーは舌打ちを一つして素早く右手を前後に振った。瞬間、サーヴァント&桜は素晴らしいスピードでセイバーの部屋に引っ込み息を潜める。
(っうかよ、もう隠れるのも馬鹿らしくないか?)
(いえ、一部の者のみ覗かれるのも不公平というものです。ここは徹底的にやるべきではないでしょうか? いえ、私自身にとってはどうでも良いことなのですが)
(・・・ライダー、怒ってるの?)
コソコソと囁きあうことしばし。
「・・・ごほん」
廊下からわざとらしい咳払いが聞こえた。
(新しいパターンだな。アーチャー)
(知らん。とはいえ・・・誰だ? 今のは)
みんなして隣室から覗いているとは露知らず、声の主は数秒ほど待ってから士郎の部屋に入ってきた。
「その、なんだ。衛宮…いい酒を見つけたのだが、少し付き合うことを許すぞ」
(ギルガメッシュかよ!)
ランサーが小声で漏らした言葉にサーヴァント&桜はむむむと唸る。
(ライダー・・・あれ・・・)
(ええ、勝負に出ていますね・・・)
普段からお洒落さんで服が汚れるのは我慢ならんとか言ってる英雄王様ではあるが、今日の夜着はひときわゴージャスなシルクのネグリジェという気合の入りっぷりだ。所々レースになっていて地肌透けているあたりがセクシーである。
「どうした? 衛宮。まだ寝るには早い時間であろう?」
(もう午前1時を回っているがな)
アーチャーは冷静につっこんで他の面々に視線を向けた。なんだか皆、やけに落ち着いている。
(どうした? もう疲れたのか?)
問われ、セイバーは難しい顔で首をかしげた。
(いえ。そう言うわけではないのですが・・・彼女の場合、私達が何もしなくても自滅しそうな気がしますので)
(そだな。ギルの奴、うっかりスキル持ってるし)
どこかノンビリとした雰囲気の一同が見守る中、ギルガメッシュはそっと寝床の士郎に近づき・・・
「衛み―――」
「あら? どなたか先客がいらっしゃるのですか?」
入り口からかけられた声にビクリと背筋を震わせた。
「な、何奴!?」
「問われて名乗るもおこがましいのですが、佐々木です〜」
にっこりと微笑みながら入室してきた佐々木は硬直しているギルガメッシュの隣に歩み寄り、寝床で微動だにしない士郎の顔を覗き込む。
「あらあら、これは・・・」
「アサシンッ! な、何をしにきたのだ!」
面白いくらい狼狽して叫ぶギルガメッシュに佐々木は口元を袖で隠して微笑んだ。
「うふふ・・・旦那様がなかなか来てくださらないので掟破りの逆夜這いです」
「ふん…さすがはアサシンのサーヴァントよ。忍び込むのは得意、というわけか?」
「あら? それじゃあアーチャーのサーヴァントは飛ばすのがお得意ですか? ちょっとはしたないですね」
微妙な会話にセイバーはきょとんと首を傾げてアーチャーを見上げる。
(飛ばすって、なにをでしょうか?)
(セイバーは知らなくてい―――)
(そりゃ液だろ。液。いろんなところの)
(黙れランサーっ!)
小声で叫んでアーチャーはランサーのわき腹に抜き手を打ち込んだ。素早く身をよじってかわして槍兵はニヤニヤと笑う。
(ほんっとおまえってセイバーに甘いのな。少年もそうなのかね?)
(知るか!)
静かな舌戦をよそに佐々木はピンっと人差し指を立ててみせた。
「それに…ライダーのサーヴァントにいたっては上に乗るのが得意ということに…ふふ、こういう言い方は少し下品でしょうか?」
(そ、そうなの!? ライダー!)
(ノーコメントということで、お願いします…)
(その顔だと図星か?)
サーヴァント達の揉み合うバサバサという衣擦れの音が聞こえるふすまの方をチラリと見やり、佐々木はクスクスと笑う。
「この状況も中々に楽しいですが…そろそろ出てらっしゃったらいかがですか? 皆様」
「何!?」
悪戯な表情で放たれた言葉にギルガメッシュは慌ててふすまの方に顔をむけた。そこには…
「…ばれていましたか。迂闊でした」
「…まあ、あれだけ騒いでいたからな」
ふすまを開けてぞろぞろと出てくるセイバー達の姿があった。
「っうか、あれか? さっきの流れからいうとオレは突くのが得意ってことか? ついてねぇぞ?」
「…限りなく下品だな。ランサー」
アーチャーはぐったりとした表情で呟き、布団にくるまる少年に視線を向けてため息をつく。
「それにしてもこの騒ぎでも起きないとは…鈍いにも程があるぞ衛宮士郎…」
「眠りが深いんですね。ふふふ…これなら自分の部屋に連れ帰っても起きないかもしれませんよ?」
穏やかな笑顔で佐々木がそう言った、瞬間。
「…連れて」
「…帰る?」
空気が、変わった。
「……」
「……」
緊張感溢れるオーラを漂わせてランサーと桜が視線を交わす。互いの瞳に映るのはただの一言。
『早い者勝ち』
そして―――
「貰ったぁっ!」
「ライダー!」
言葉は同時。二人は叫びを上げながら士郎の布団に飛びついた。だが、こと身体能力に関して人間がサーヴァントに勝てる筈もない。ランサーは余裕の表情で桜を追い抜き…
「させません」
「ぬおっ!?」
横合いからライダーの突き出した足につまづいて前のめりにつんのめった。
「先輩はわたしがいただきます!」
「やりやがるじゃねぇかっ!」
その間にアドバンテージをかせいだ桜に咆哮を放ちランサーは畳に手をあて、床を突き飛ばすようにして四つんばいで布団を目指す。
「ふぁ、ふぁいとぉおおおっ!」
「い、いっぱぁあっつ!」
いっぱいに手を伸ばした桜の気合の声に反射的に叫び返してランサーもまた手を伸ばした。二つの手のひらが同時に士郎の肩をとらえ―――
どごんっ…!
瞬間、その身体が腹に響く爆発音と共に粉々に吹き飛んだ。
「爆発したっ!」
「先輩が芸術に!?」
脊髄反射で叫んでランサーと桜は硬直する。爆発音が消えると共に、部屋の中に静寂が訪れる。
「……」
「……」
静かだ。居間から聞こえてくる深夜番組のCMがやけに耳につく。見ているのはイスカンダルあたりだろうか?
誰も動かぬまま3分が経ち…
「あらまあ、大変です」
「いや、そんなのんびりと」
佐々木の呟きにアーチャーが無意識のままつっこむと同時に他の面々も我に返った。
「し、シロウ!? く…ランサー、なんということを!」
真っ青になって詰め寄ってくるセイバーにランサーは同じくらい青くなってオロオロと布団をひっぺがす。
「お、オレじゃないぞ!? っていうかおい!? なんだよコレ!? 何の冗談だよ!? どこ行ったんだよシロウ!? 嘘だろ? なあ。なあ!」
のんきな表情をした赤い髪の少年の姿はどこにもない。力無く手を止め、ランサーは恥も外聞も無く怒鳴り散らす。
「ちょ、ちょっと待てよ!? え…まさか…死―――」
「落ち着けランサー」
その表情が崩れる寸前にアーチャーはその肩に軽く手を乗せた。
「落ち着けっておまえ…!」
「偽物だ」
襟首を締めあげてくる手を振り払い、布団の上に散らばったビニールらしき破片を拾い上げる。
「人型の風船に幻術をかけて誤魔化していたのだろう。セイバーによれば、コレは一言も喋らずふらふらやってきて倒れたというからな。たかが風船にそれだけ複雑な動きをさせるとはずいぶんと出鱈目だが、この家にいる魔術師は随分と規格外だからな」
説明終了とばかりに口を閉ざすアーチャーにランサーはふぅと胸をなでおろした。
「んだよ、びびらせやがって…」
「…ずいぶんと取り乱してましたね、ランサー。貴方にしては珍しい」
不思議そうなセイバーにたらりと冷や汗をたらす。
「そ、そうか? あは、あははははっ!」
馬鹿笑いでごまかす姿を余所に、ギルガメッシュは顔をしかめてからっぽの布団を見下ろした。
「と、いうことは、これだけ騒いでおいて…実は衛宮は留守だったということになるのか?」
「そういうことになりますねえ。今頃どのお部屋に居るのやら」
うふふと微笑んで囁いた佐々木の言葉に、ランサー達の動きが止まる。
「先輩! すれ違ってたんですね!? 桜、いま行きますっ!」
「そうか…ふん、衛宮め。わざわざ我の部屋まで赴くとは可愛いところもあるではないか…」
「…私には関係のないことですが、ここには用がないので自室に戻ります」
「あー、酒がきれたな…帰って飲みなおすか…」
口々に勝手なことを言って去っていく一同を見送り、佐々木はくすりと笑った。
「冗談ですのにね? アーチャーさま」
「…おまえ、意外と性質が悪いな」
ジト目で言われて佐々木は『あら?』と口元を隠す。
「そうですね…年甲斐も無く、少々嫉妬してしまったようです。だらしが無いですね」
照れ笑いのまま頭をさげて去って行く佐々木にため息をつき、アーチャーは一人立ち尽くすセイバーに眼を向けた。
「…そう暗い顔をするな。気づかなかったという点では私が一番の間抜けだ」
「…気遣いは感謝します。ですがこれが本当の敵襲だったらと思うと、忸怩たる想いです」
悔しげな表情にアーチャーは慰めの言葉をかけようと思い…
「寝てしまうことだな。暗い気分で反省したところで嫌な考えばかりがつのるだけだ。明日、陽光の下で改めて考えてみるといい」
結局、そんなことを言って彼女に背を向けた。セイバーを癒すことは、衛宮士郎に与えられた宿題であり、権利だ。
(私の…ただの『アーチャー』のすることではない、からな)
「ええ。そうします。反省は大事ですが後悔に意味はないとキリツグも言っていましたからね」
背後の声にやや力が戻っているのを確認し、アーチャーはぶらぶらと自室へ戻った。
「…しかしそうなると、奴はどこだ?」
そして。
「うくくくくくく…」
ドタバタと廊下をかける音を聞きながらキャスターは抑えきれず笑い声をあげた。
「もう、みんなだらしないんだもん。お兄ちゃんがリンの部屋を出てすぐに手を打ったメディアの勝利! だもんね」
視線を移せばベッドにぐったりと横たわった士郎の姿が映る。
「さて…」
呟き、キャスターは己にかけた幾重もの拘束呪式を開放した。魔力の奔流と共に幼い肢体が大人のそれに変化する。
「約束ですよ? お兄様。ホムンクルスの材料…いただきます」
視線は下半身にロックオン。両手をワキワキさせてキャスターは士郎に迫った。
「そ、それではその、まずは口付けなどを…」
材料の件とは関係無いじゃんというツッコミを入れてくれる者もおらず、魔術師のサーヴァントは目を閉じたまま動かない少年の顔に両手をそえた…瞬間。
ふっ…と感触無くその姿が消えた。
「え…?」
キャスターは呆然と目をしばたかせてベッドを見つめる。ついさっきまでそこに居たはずの少年の姿はどこにもなく、ベッドの上にはころりと転がる小さな宝石が一つ。
「幻術…?」
意識を集中してそこに残っている魔力の残滓を読み取り、キャスターは呆然と呟いた。
「う、うそぉおおおおっ!?」
「…うるさい夜ねえ」
凛は遠くから聞こえてくる悲鳴に読んでいた本から顔をあげた。
「まあ、いい勉強になったでしょ。自分が状況をコントロールしてると思ったときこそ騙されないように目を見張らなきゃね」
「…それはいいんだけどさ」
声は、安楽椅子に座った凛の足元から聞こえる。
「何かしら? 士郎」
楽しげに見下ろしてくる視線に、士郎は…今度こそ本物の士郎は憮然として呟いた。
「なんで俺、縛られて転がされてるんだ?」
「ん…」
凛は軽く首をかしげてしばし考え込み。
「ないしょ」
軽く舌を出して笑みを浮かべた。