10-8 ワクワク昼食ランド

「いただきます」
「いただきます」
 士郎とセイバーはベンチに腰掛けたまま向かい合い、ぱんっと手を合わせた。二人がやってきたのは駅前の緑地公園だ。
 あの中央公園ほどではないがそれなりの規模があり、お昼時となれば近くのオフィスビルのサラリーマンたちが昼食と軽い運動の為に訪れる場所なのだが、午後1時を過ぎ昼休みが終わったせいか今は人の姿がない。
「ふむ、香ばしい…」
 最初に買ったせいか気になっていたらしいタンドリーチキンに真っ先に手を伸ばしたセイバーを眺めながら士郎はベンチをテーブル代わりにして並べた料理の数々を眺めた。しばし迷ってから紙製の取り皿に目に付いたサラダを取る。
「シーザースサラダ。ブルータスお前もか…」
 ぶつぶつと謎の台詞を呟く士郎をよそにセイバーは二品目を求めて視線を動かし。
「…シロウ、これは…なんですか…」
 その目が大きく見開かれた。蒼い瞳が捉えているのはひとつのプラスチックパック。大きく口をあけたそこに盛られたのは豆板醤で赤く染め上げられた豆腐。
 その名を、麻婆。
「なにってバゼットさんから貰ったマ―――」
 言葉が途切れた。瞳孔が開くのを感じる。息が荒い。動悸が激しくなるのを止められない。
 その麻婆豆腐は、赤を通り越し、黒い。
「こ、こちらがバゼット殿から頂いたものなのですが…」
 セイバーが震える手で取り上げたまともな麻婆と目の前の不吉なそれを士郎は汗を流しながら見比べ。
「見なかった。セイバー、俺たちは何も見ていない。『同調開始(トレースオン)』!」
 笑顔でパックの蓋を閉めてビニール袋に戻した。厳重に口を縛り、不得意な『強化』まで使って厳重に封印する。
「ところでセイバー、麻婆豆腐はどこかな」
「…ええ、ここに」
 あからさまになかった事にする姿にセイバーはやや名残惜しそうにビニール袋を眺めてからまともな方の麻婆を差し出す。
「ありがとう…うぉ!? これ美味い…!」
 受け取ったそれを一口食べて目を剥き、士郎は感心したように何度も頷いた。
「遠坂も中華料理だし…魔術の腕と中華料理は関連があったりするのか?」
 火加減が決め手である。
「ほう…確かに。良い味です」
 セイバーは士郎から受け取ったパックから麻婆豆腐を口に運び満足の笑みを浮かべた。禁断の味であろうもう一つのそれへの未練を振り払い、他の料理に目を向ける。
「しかし、少々御飯物が少ないですね。炒飯とパエジャくらいしかありません」
 何故に原語読み。
「ああ、それはわざと。ご飯はあるよ。ここにあるよ」
 士郎はよくぞ言ってくれましたと笑い、背負ってきたリュック―――これだけ服装から浮いてる―――からアルミホイルに包まれた物体を取り出す。
「それは?」
 首をかしげるセイバーの前で広げれば、中から出てきたのは炊いた白米を握り、海苔で装飾したもの…問答無用のおむすびさんであった。
「! いつの間に…」
「前に桜が作ってるの見かけてから毎朝作ってるんだ。鍛錬の後とか腹がすくから」
 実際には誰かさんが腹が減ったと暴れだした時の為の非常食なのだが、沈黙は金。
「お弁当とかつくってこれればよかったんだけど…なにしろ急だったんで今日は時間がなかったから。ごめん」
「いえ、とんでもない!」
 片手で拝むような仕草をする士郎にセイバーは慌てて首を振り、ベンチに置かれた宝物に手を伸ばした。
「いただきます…」
 もう一度呟いておにぎりを手にとり、小さな口でかぶりつく。
「あぁ…」
 途端、声が洩れた。最高の味というわけではない。ありあわせのもので作ったものだし具の昆布こそ絶妙な味付けだがそれ以外にたいした工夫があるわけでもない。だが、どんなに贅を尽くそうとも得られない満足感がそこにあった。
なにしろ、このおにぎりは―――
「シロウの味がします…」
「!?」
 うっとりした表情で呟かれた言葉に士郎は照れくささとむずがゆさに少しのけぞった。
(いつも嬉しそうに炊飯ジャーを眺めてるから外食じゃ手に入りにくい『やわらかな白米』があれば喜ぶかなって思っただけなんだけど)
 いとおしむようにゆっくりとおにぎりを頬張る姿に士郎は気恥ずかしさを隠すように頬をかいて目をそらし。
 ガサリ。
「?」
 視線の先で揺れた茂みに首を傾げた。何かあるのかと凝視するが、静かなものだ。
「どうしました? シロウ」
「…いや、なんでもない」
 気を取り直してなんとなく見上げた空にはくるりと大きな輪を描いて飛ぶ鳥。何かこう、固そうに見えるのだが石で出来た鳥などあるわけもない。
「さて、改めて食べようかな…」
 士郎はわざとらしく呟いて気分を変え、手近にあったパックへ箸をつけた。
「ケイジャンチキン…て辛っ。結構辛いなこれ…」
「? そうですか? 私にはちょうどいいのですが」
 セイバーは自分も同じ料理を口に運んで首を傾げる。
「セイバーは辛いのに強いのか…やっぱり竜だからかな」
「…あまり関係無いと思いますが…別段火も噴きませんし」
 苦笑するセイバーにこちらも苦笑を返し、士郎はヒリヒリする舌を気遣いながらテーブル代わりのベンチを隅から隅まで眺め回した。そのままむむっと顔をしかめる。
「しまった。飲み物が無い…」
「液状のものは…『タピオカミルク』と『どろり濃厚』というのがありますが?」
 指差された物体二つを眺めて首を横に振る。
「一つ目はデザートだし、二つ目は飲み物とは言えないだろ。しょうがないな、ちょっとお茶買ってくる。セイバーはここを頼む。食べながら待ってて」
「いえ、ちゃんと番をしています。お気をつけて。シロウ」
 凛々しい表情でこちらを見つめるセイバーに士郎は十秒ばかり迷い、結局自分の唇を指差してぽそりと呟いた。
「セイバー、よだれ…」
「っ!」
 慌てて口の周りをぬぐう姿にほのぼのしながら士郎は自動販売機を探して歩み去った。
「……」
 残されたセイバーは遠ざかる背中から目をそらし、反省のポーズなのか靴を脱いでのそのそとベンチの上に正座した。そのままがっくりと肩を落とす。
「こんな事でどうするのですかアルトリア…私は騎士でありサーヴァント…シロウの為の剣であるというのに…もっと、もっとこう…」
 頭上のアンテナ毛をペタンと倒してしょんぼりと思い浮かべたイメージ映像は、何故か男になっているランサーを斬り倒したりこちらも男のアーチャーを斬り 倒したりライダーを斬り倒して軟弱そうなマスターを追っ払ったり桜の分まで容赦なくドラ焼きを食べ尽くそうとしている自分の姿。
「そう、それですよアルトリア…」
 自らの勇姿を思い浮かべてセイバーはうんうんと頷く、が。
「ぁぅ…」
 想像の中で元気良く戦うセイバーは謎の黒いどろどろに飲み込まれてしまい、再度しょぼんと肩を落とす。
「想像の中でまでこの体たらく…情けない…これも心の緩みか…」
 はぁとため息をついてセイバーは背筋を伸ばした。ほうっておくと際限なく落ち込みそうな気分をなんとか鼓舞しようと試みる。
「思えば召喚されてからこちらシロウに甘えてばかり。食べるという娯楽も覚えてしまい生活も堕落する一方ですし。もっとしっかりしなくては…しっかり…」
 セイバーは呟きながら静かに視線を落とし。
 くぅ。
「……」
 ベンチの上に並べられた料理を目にして、その細いお腹を可愛らしく鳴らした。
「……」
 泣きそうな目でセイバーは自分の頭をポカポカと叩いた。空ろな視線を空に投げ、冬の高い空をぼうっと眺める。
「…空が…青い…」
 呟き、頭を空っぽにして視線を戻せば目の前に並べられた世界各国の料理。
「…タコス」
 ふらふらと伸びた左手をセイバーは右手でガッ!と押さえた。ギリギリと元の位置に手を戻し、ぶんぶんと頭を振る。
「…少しです。少しだけの辛抱です。たいしたことではありません」
 眼をぎゅっとつぶりセイバーは何度も何度も同じ台詞を繰り返した。
「大丈夫。少し待つだけです。シロウを待つだけです…」
 令呪の強制をも退ける士郎への想いを武器に、剣の英霊は今、最強の敵に挑む…
「少しくらい食べて…駄目ですっ! シロウと一緒に食べるのですから駄目です! 絶対…ぜった…い…」


 セイバーの元を離れた士郎は自動販売機を求めて歩いていた。
「…セイバーのことだし、俺が帰るまで待ってたりするかもしんないしなぁ。早く帰ってあげないと可哀想だ」
 おあずけにプルプルしながら待つ姿を思い浮かべて足を速めた瞬間だった。
「?」
 視界の隅を見慣れた何かが横切ったような気がして士郎は首をかしげる。黒く揺れるそれは、思わず目で追ってしまう魅力を放つ―――
「遠坂のツインテール!?」
 カッと目を見開き士郎は眼を魔力で強化した。数十メートル先、公園を出たところの歩道を凝視すると、二つに束ねた黒髪を揺らし何故か肩に猫を乗せた凛が三人組の男達にしきりに話しかけられながら歩いているのが見えた。
「な、なんで遠坂がこんなとこに…」
 士郎は呟き、とりあえず近くの木陰に身を隠して凛の様子を伺う。やましい事をしているつもりは無いのだが、なんとなく見つかるとろくなことにならない気がする。
「…ナンパか?」
 覗いてみると、男たちは代わる代わる凛に声をかけ、大げさな身振りも交えてなんとか気を引こうとしているようにみえる。
 凛はよそ行きの笑顔でしきりに手を振って拒否を伝えているが、なかなかどうしてしつこいらしく完璧な笑顔を通して僅かな苛立ちが伺える。
「おかしいな…遠坂くらい美人ならナンパの対処なんて慣れっこだろうに」
 不思議そうに呟いて見守っていると。
「!?」
 不意に凛の手が閃いた。振り上げられた裏拳で鼻っ柱を強打されたナンパ男は抗議しようとしたところで殺意の篭った視線で睨まれ仲間とともに公園の中へと逃亡する。
「ど、どうしたんだアイツ…」
 士郎は思わず呟き、視線の先で凛がガンド打ちの姿勢に入ったのを見て慌てて走り出した。今顔を合わせるのは気まずいが、さすがにシャレにならない。
「遠坂!」
 走りながら叫ぶと凛はビクッと身を震わせて魔術を中止した。
「な! …士郎!?」
 ギョッとした顔で振り向き、反対方向にダッシュしかけたところで足をもつれさせてそのままびたんっとその場に倒れる。
「くぱっ!」
「だ、大丈夫か遠坂!?」
 声にならない悲鳴を上げて顔面着地を披露した凛に駆け寄って士郎はその体を抱き起した。
「く…このわたしがこんな三級ラブ米のヒロインみたいなトラブルに…」
 悔しげに呻いて凛は鼻を押さえたまま立ち上がる。完璧超人としてのプライドが傷ついたらしい。
「桜みたいな落ち方したもんなぁ」
「あの子の気持ちがちょっと気持ちが理解できたわ…」
 パンパンと服についた埃を払う姿を眺めながら士郎は首をかしげた。
「それにしても…ナンパされたくらいで手を出すなんて珍しいな」
「う…ちょっと急いでたからイライラして…その…」
 凛は口ごもった。落ち着き無く視線をさ迷わせながらスカートのすそを弄繰り回す。
(…言えるわけ無いじゃない。やっと見つけた士郎に逃げられたくないから急いでました、なんて…言えない。絶対言えない)
「やっと見つけたから嬉しくなって言えな―――」
「…なにを?」
 思考が口に出ていたらしい。不思議そうに聞かれて凛はうぅと唸って頭を抱える。
「と、ともかく! ちょっと機嫌が悪かっただけよ!」
「そうなのか? まあ遠坂のことだからなんか深い理由があるんだろうしあんまり追求しないけど…いいのか? 急いでるのにこんなところでノンビリしてて」
「う…」
 急いでいた理由はここに立っている。これ以上急ぐ理由はどこにもないのだが…
「そ、そうね。でも少しくらい平気よ。うん、平気…」
「ならいいけど。そもそも何してるんだ? こんなところで」
 シークタイムゼロ、脊髄反射で会話の継続を選んでしまった凛に士郎は当然といえば当然の答えを返す。
「散歩よ! 悪い!?」
「悪くないけど…急いで散歩って…」
「ぁぅ…」
 しまった!と凛は硬直した。受けに回ると脆いという弱点がもろに出た形である。
「散歩中に…その、急がなくちゃいけなくなったのよ! 切羽つまって! 急だったんだから仕方ないでしょ!?」
「切羽つまって? 急に?」
 焦りのままにまくし立てた言葉に士郎は首をかしげ、はっと目を見開いて顔を赤くした。
「あ…そ、そっか。ごめん、気がきかなくて…」
「え?」
 思わぬ台詞に凛がきょとんとすると、士郎は赤い顔のまま眼をそらして公園の中を指差す。
「入って右に曲がったらすぐだから…」
「? なにが?」
 首をかしげながら呟いた凛の言葉に眼を閉じ、ぼそりと士郎は告げた。
「トイレ…我慢してるんだろ?」
「!?」
 デリカシーの無い台詞に凛は拳を握り、目の前で顔を赤くするトウヘンボクの鳩尾めがけてそれを放とうとしたが…
(…待った、この言い訳は使えるかも)
 ギリギリでそれを堪えた。ここで頷きさえすれば士郎は納得して去るだろう。見事ピンチ脱出である。
(でも…乙女としてそれってどうなのよ?)
 しかし無意識の領域が凛の心にストップをかけた。女として平然とこのネタに乗るのはまずくなかろうか。よりにもよって、士郎相手に。
(かといって士郎を監視してましたって素直に言うわけにもいかないわよね…うん、それだけは断固拒否しなきゃ)
「あのさ、あんまり無理すると身体に悪いと思うんだけど…」
 プルプル震えながら俯く凛に士郎が追い討ちをかけた。どうやら彼の脳内では既に結論が出ているらしい。
(く…べ、別に生理現象だし恥ずかしいことじゃないわよね)
 凛は決心を決め、用足しに行くと告げるために顔をあげた、が。
「っ!」
 士郎と眼が合った瞬間、猛烈な恥ずかしさに襲われてまた俯いてしまった。
(駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目っ! 絶対駄目ッ!)
 打算やら判断やら理性やらに対し、女の部分が全力で持って拒否反応を起こしたのだ。
「遠坂?」
「わ、わたし…は…」
 心配そうな声をかけられて凛がぴくっと震えた、瞬間。
「シロウ、それは誤解です」
 凛の胸元から苦笑交じりの声が響いた。
「セイバー?」
 慣れ親しんだその声に士郎は思わず周囲を見渡した。あのベンチに置いてきたセイバーが追いかけてきたのかと思ったのだ。
「いえ、こちらですシロウ」
「きゃっ! ちょ、ちびせいばー! そんな激しく動かないで…!」
 冷静な声とともに凛の服、その胸部分が内側から盛り上がった。
「そんな馬鹿な! 遠坂の胸が膨らんで―――」
「ええ、こんなボリュームありえない…ってほっとけバカ!」
 凛は見事なノリつっこみで士郎の後頭部をはたき倒した。その間にも服の膨らみはごそごそと布地をかき分けるようにして移動し、襟からぴょこんとちびせいばーの顔が飛び出した。
「え? ち、ちびせいばー!? なんでそんなところに…」
「はい。姿を隠す道具を忘れてきてしまいましたので、リンの服の中に隠れさせていただきました」
 事も無げに言ってちびせいばーは士郎を見上げる。胸元から人形が飛び出しているようでそれなりに怖い。
「申し訳ありません、シロウ。外の空気が吸いたくなったのでリンに頼んで散歩してもらったのです。私がいる関係上、先ほどの男達にあまりジロジロと見られるわけにはいかず、申し訳ないとは思いましたが強硬手段をとっていただきました」
「そうだったのか…でも遠坂、ガンド撃ち込むのはやりすぎだからやめような…?」
「そ、そうね。あは、あははははは…」
 びっしりと顔に汗を浮かべて凛は頷いた。士郎が単純なことに助けられた形だが、まあいいだろう。とにもかくにも無難な線でおさまった…
「それよりシロウ、何か急いでたのではありませんか?」
「あ、そうだった。遠坂、ちびせいばー。また後でな!」
 ぽんっと手を打ち合わせて士郎は踵を返した。そのまま小走りに去って行く。
「…ふぅ」
 凛は思わず息をついた。安堵に胸を撫で下ろす。
「ぎゅ!? り、リン! 気持ちはわかりますが私が中に入っていることをお忘れなく!」
 

 一方。
「うわ、萌えるなぁおい」
 もじもじと身体を震わせて待つセイバーから離れること数十メートル。茂みの中に潜んだランサーは嬉しげに声をあげた。隣に潜むアーチャーの冷たい視線もなんのそので目を輝かせる。
「見える! 見えるぞ! オレにはセイバーの頭の上に立派な犬耳が見える!」
「妙なものを見るな変態」
 容赦なく言い捨てたアーチャーはその望遠鏡並みの視力でもってセイバーを見つめ、顔をしかめて唸る。
「しかし、あの食欲は異常ではないか? 私の知っているセイバーはあそこまで強烈ではなかったぞ? 食事抜きと言って殺されかけたことはあるが」
「あるのかよ」
 呆れ顔のランサーにごほんと咳払いしてアーチャーはセイバー観察に戻った。難しい顔で首をひねる。
「そもそもあの握り飯に対するリアクション…奴も驚いていたがあそこまでありがたがるものでもあるまいに」
「あん? そんなもん、あれが少年の料理だからに決まってんだろ?」
 ランサーは呆れ顔で呟きセイバーの方に視線を投げた。
「元々食い意地も張ってんだろうけどよ、セイバーがうちの料理…特に少年の料理を欲しがるのはさ。ようするにそれが自分のために作られた料理、だからなんだよな」
「?」
 ピンとこない様子に軽く苦笑してランサーは傍らの相棒に眼を向ける。
「おまえにはそういう体験はねぇかもしんないけどよ…オレ達英雄って奴はな、民衆にとっちゃ人間じゃねぇんだよ。自分達には無い強大な力を持っていて、ど うにもなんねえ筈の問題を解決してくれる…そんな便利な道具だ。尊敬や恐怖、崇拝はされても理解されることはねぇ。いや、できちゃいけねぇんだよ。普通の 人間として生きてくためにはよ」
 いつに無く静かな声にアーチャーは戸惑いがちに耳を傾ける。
「そして、王様って奴も同じような性質を持つ。自分達の行き先を左右する権力を持った、どんな生活してるかよくわかんねぇ存在だ。セイバーの奴はその両方 を兼ねてるんだぜ? 英雄で、王で、しかもギルみてぇに自己主張もしねぇんじゃ完璧すぎて人間とはおもえねぇだろうよ。そんなのに出す食事が儀礼的なもん になっちまうのは無理もねぇ話だぜ。神様に捧げてるようなもんだ」
「…『キング・アルトリア』に捧げる食事、か。確かにそれは…味気なさそうだな」
 アーチャーは呟いて首を振った。英霊の座にありながら英雄ではない彼女には実感することの無かった孤独が、そこにある。
「それ考えるとよ、少年の料理ってのは家庭料理の極みだ。それを食うオレ達の事を意識して作ってくれてる…そういうのがさ、オレらみたいのには嬉しいんだよ。凄くな」
「…ふん」
 少し気まずそうな表情で目をそらしたアーチャーにランサーはニヤッと笑った。
「そういうわけなんで、裏切られた挙句孤独に死を迎えたケルトの英雄にも気合の入ったおつまみを作ってくれると嬉しいんだけどなー?」
「…結論はそこかよ」


 同時刻、三組目の追跡者はといえば。
「…おいしそう」
 大きな樹の背後に潜み、桜はぼそりと呟いた。双眼鏡を覗き込んだまま片手でおなかを押さえる。
「先輩の…ごはん…センパイノ…ゴハン…スイタ、オナカ。タベル…」
「さ、桜さまが空腹で退化しちゃってるですぅ!?」
 ただよう妖気にハサンは慌てて傍らのビニール袋を手に取った。
「桜さま、おひるごはんです! 人間に戻ってくださいですぅ!」
 差し出した袋の中身はコンビニで購入したおにぎりやらサンドイッチやらデザートやらだ。Lサイズのビニール袋がパンパンになるまで詰め込まれている。
「テアタリシダイ…あ…」
 桜は我に返ってビニール袋を受け取った。
「ありがとう、ハサンちゃん」
 その中からおにぎりを一つ手にとり、素早く包装紙を剥いてかぶりついてから満足げにため息をつく。
「シャケオニギリおいし…」
 衛宮家を代表する食欲魔人であり、かの焼肉戦争においても最後まで満腹になることは無かった彼女ではあるがその性質はもう一人の魔人、セイバーとは大きく異なる。
 その属性、アベレージワンならぬイーティングワン(一喰い)―――コンビニごはんだろうがランサーが夜食に作る適当チャーハンだろうが間桐家秘伝の栄養飲料『蟲汁』だろうが委細構わず暴飲暴食。それが彼女の食べ方だ。
 ―――間桐邸に住んでいた頃の孤独で味気ない食事と比べれば、みんなで食べる衛宮家の食事が、どれほど芳醇なことか。
「コンビニのサンドイッチってなんでこんなに具が少ないのかしら…」
 閃光のようにおにぎり5個を胃へと投げ込んだ桜は続けざまにサンドイッチをくわえて再度双眼鏡を覗きだす。
「ふははんほほひひ(ツナサンドおいし)」
「…よかったですね、サクラ」
 幸せそうな桜に小さく笑い、ライダーはひょいっとビニール袋を覗き込んだ。
「それにしても、私とサクラ達をこの公園に誘導しつつ昼食の買物まで済ますとは…中々の手際ですね、ハサン」
 感嘆の声にハサンはえへんと胸を張った。胸部装備の豊かな凶器をぷるんと揺らしながら笑う。
「士郎さま達が外でお食事するってわかった時に買い込んでおいたですよ。パシリは任せておいて欲しいですぅ!」
 その言葉に桜はふと疑問を思いついて首をかしげた。
「そう言えば、なんでハサンちゃんは先輩がこんなところでお食事してるってわかったんですか? わたしとライダーはどこかのレストランで食べ放題メニューを荒らしてるって思ってましたけど」
 双眼鏡から目を離さないまま尋ねてられてハサンはきょとんとした表情で首をかしげる。
「なんでって言われましても…   がアドバイスしてくれたからですけど?」
「…? 誰って言いました?」
 よく聞き取れなかった桜は双眼鏡から目を離して問いかけた。振り向いて見つめた暗殺者のサーヴァントの顔は大量の?マークを飛ばした不思議顔だ。
「えっと…誰でしょう? さっきまでは覚えてたですけど…」
「誰でしょうって…ハサンちゃんのことでしょ?」
 要領を得ない言葉に桜は首を傾げた。顔を見合わせる二人の少女を眺め、ライダーは一人苦笑する。
「…そういえば、アサシンには対魔力が備わっていませんね。士郎並みにガードが甘い」
「? 先輩がどうかしたの?」
 独り言に反応してきた桜になんでもありませんと首を振り、ライダーは再度コンビニのビニール袋を漁りだす。
「ハサン、ゼリーばかり買っていますが…プリンはないのですか?」
「プリンですか? 確か1個だけ買ってあったと思うですぅ」
 ハサンの間延びした言葉を聞き、ライダーはふむと頷いてビニール袋へ手を突っ込んだ。表情こそいつもの無表情なそれだが、その瞳は灼熱に燃え滾っている。
「ら、ライダーがCOOLからHOTに変わる…そんなにプリン食べたいの?」
「…別段そういうわけではありません。小事です」
 目を丸くする桜にライダーは冷静な声で答えるが―――
「…そのわりに手は止めないのね」
「…気のせいでしょう」
 言ってライダーは探し当てたプリンを素早く胸元に確保した。眼を僅かに細め、至福の声でぼそりと呟く。
「…生クリーム付き」
「…嬉しそうね、ライダー」
 クスリと微笑み、桜は7つ目のサンドイッチを口の中に押し込んで双眼鏡を覗いた。
「先輩遅いなぁ…どこかで寄り道でもしてるのかしら…」
 先ほどまでと変わらず一人待ちつづけるセイバーの姿に桜は呟く。
「リンやアーチャーもこの辺りに居る筈ですから、そちらと遭遇したのかもしれませんね」
 ライダーはどうでもよさげに答えてプリンの蓋を開けた。ハサンが差し出したプラスチックスプーンを受け取り、さっくりと生クリームごと口に運ぶ。
「……」
 そこはかとなく至福の表情を浮かべているライダーになごみながらハサンは自分も何か食べようとビニール袋の中を覗きこみ。
「あ!」
「ひっ!? ご、ごめんなさいですごめんなさいですごめんなさいですっ!」
 唐突な桜の叫び声にコテンとその場に転んだ。そのままおなかを空に向けた服従のポーズでプルプルと震える。
「…ハサンのことではなさそうですよ」
 ライダーはプリンのプルプル感に魅了されっぱなしの表情で呟く。
「は、はぅ」
 ハサンは一人取り乱していた自分に頬を染めながら立ち上がり、桜が双眼鏡を向けている方へと目を向けた。
「? あの方々、誰ですぅ?」
 弓手程ではないにせよ人間離れした視力を誇る彼女の眼に映ったのは、プルプルしながら待つセイバーに近づく三人組の男達だった。


「おい。ちょっとアレ見ろ、アレ。なんで震えてんの、あいつ?」
「お、いい女じゃん。なんでよだれ? やっべえコレ、きまってるんじゃねえのあの女」
「■■■■だな。多分、暇ついでにお相手してやらねぇ?」
 三人組はからからと笑いながらセイバーに近づいていく。そのうちの一人は鼻の辺りが赤くなっているが気にした様子も無い。
「おい! なに口拭いてるんだおまえ」
「待てっていってるだろ? あたまわるいかよ、こいつっ!」
「そりゃ悪いんじゃねえの?良かったらベンチで正座してねえって」
「ははははは! そうだよな、ってコトはなにか、俺たちで保護してやらねえとダメってコト?」
「さんせー! ボクたちはぁ、社会的に弱い人たちを守りたいと思いまーす!」


「…食べちゃおうかしら」
「おおおおお落ち着くですよ桜さまっ! 人間はタベモノじゃないですぅ!」
「…ええ、わかってます、ハサン」
 必死に袖を引くハサンに桜はにっこりと笑う。
「頭から一飲みですから」
「飲み物でもないですぅっ!」
 思わずいろんな液体を垂れ流しそうになるような殺気に耐えながらハサンは慣れぬつっこみを入れ、傍らのライダーに救援を求めた。
「ライダーさま、桜さまを止めて欲しいですぅ!」
「……」
 必死の視線を向けられ、ライダーは静かに口を開く。
「プリンさん…」
「使い物にならないですぅぅぅぅぅ!」
 援軍既に無く目前の脅威千里に轟く。鎮魂歌鳴り響き大山鳴動五里霧中。大きくなれよとハイリハイリホー。
「うう、殺人なんて罪を犯させるくらいでしたら…いっそ私の手で…」
 かなりテンパったハサンは混乱のままにダークを懐から抜き、何やら暗黒のオーラを纏って歩き出そうとしている桜を血走った目で見つめた、が。
「待ちなさい、サクラ、ハサン。こちらよりリアクションの早いグループが居たようです」
「ぇ?」
 至極冷静なライダーの言葉に二人とも我に返った。きょとんとした視線を受けてライダーはもにゅもにゅと口を動かしてプリンを味わいながらセイバーの居る方をプラスチックのスプーンで指す。
「……」
 沈黙があたりを包んだ。
「……」
 ハサンは一度眼を閉じ、まぶたを揉んでからもう一度セイバー達の方へ目を向ける。
「……」
 彼女の目に映ったのは、下品な表情で笑う三人組とその三人の存在にすら気付いていなさそうな極限状態のセイバー、そして…謎の鉄仮面を装着した怪人が二人だった。


「…おい」
「…ん?」
 仮面のせいでいつもより更に低く響く怪人Aの声に怪人Bは楽しげな声でもって答えた。言うまでも無く、とことん怪しげなマスクをかぶったこの二人の招待は正体はアーチャーとランサーである。
「…もう一度聞くが…本当に必要なのか? この仮面は…」
 不機嫌を隠そうともしないアーチャーの問いにランサーは顔全体を包み込む黒い鉄製の仮面をコツコツ叩いて肩をすくめる。
「素顔で出てったらセイバーにオレ達がついてきてんのバレちまうだろ? 魔力は抑えてるっていってもよ」
「それはわかってる! だからと言って何故変装がこんなものなのかという事を聞いているのだ私は! 帽子ではなく、マフラーでもなく、百歩譲ってマスクですら無く何故に鉄仮面なのだ! これではただの変態だろうが!」
 ガッと叫ぶアーチャーの顔面は青い鉄仮面に覆われている。投影で作ったそれは西洋鎧の兜のような意匠だ。分類するならばフルフェイス・ヘルム。僅かに開いた眼の部分の隙間からしか肌が見えない密閉っぷりだ。
「ふっふっふ…中途半端に変装してると『これは誰だろう』って思われるけど、ここまでやっちまえば『あれはなんなんだ』って思われるだけですむわけよ。中身にまで気がまわらねぇのさ」
 ランサーはクククと含み笑いをし、セイバーに群がる男たちをびしっと指差した。
「速攻で片付けるぞ! 行くぞケビン!」
「誰がケビンか!」
 言い置いて走り出し、つっこみを入れながらもアーチャーがついてくるのを確認してランサーは声を張り上げた。
「そこのタチわりぃナンパ野郎ども! ヤボなことしてんじゃねぇぞ!」
「ん…ってなんだおまえら!?」
 いくら声をかけても反応しないセイバーに飽きはじめていた男の一人は、いきなり怒鳴られて振り返り、こちらに向けて爆走してくる鉄仮面ズを見つけてのけぞった。
「へ、変態だ!」
「それがどうした!」
 こっちに向き直った男に狙いを定め、黒い仮面のランサーはぐっと地面を踏みしめた。そのままばんっと地を蹴り、宙を舞う。
「タクティクスNo.38!」
 叫びながらランサーは空中で体を伸ばし、水泳の飛び込みの如く水平でカッ飛んび、勢いのまま捻りを加えた強烈な両手パンチを男の顎へと叩き込む。
「マッハパルパライザー!?」
 男は悲鳴を上げながらふっとび、べしゃっと音を立てて落下した。
そのまま動かない。
「な、なんなんだよおまえら!?」
「つぅかなんだよ今の!? 空飛んだぞおい! 超人かよ!」
 残った男二人の当然といえば当然のつっこみを平然と受け流し、ランサーはパチンと指を鳴らす。
「…タクティクス」
 瞬間、ランサーのかぶっていた鉄仮面の口部分がカパッと開き、笑みの形を作った。
「The End! いけケビン!」
「ちっ…」
 ランサーの期待に満ちた声にアーチャーは舌打ちを一つ挟んで残った二人のうち片方の手を掴んだ。何をさせたいか理解できてしまった自分がちょっと嫌だったりする。
「ひっ!? 離…!」
「断る」
 後ずさろうとするところをぐっと引っ張られ前かがみになった男の腰の上に正面から跨るように飛び乗り、男の太股に両足を引っかけて固定。
「! こ、この体勢は…!」
 そして残った一人の驚愕を耳に、握りなおした男の両腕を上方に引っ張りあげる。鷲が翼を広げたかのような形で全身を締め上げられるその奇怪な関節技の名は―――
「OLAPッ!」
「ちょっ、おまえらまってくれ、なん、あぎぎぎぎ!?」
 悲鳴をあげながら男は身体を揺らして逃れようとするが、アーチャーの絶妙なウェイトコントロールでバランスをとられ、倒れることすら叶わない。
「ひ、ひや、おまえら逃げんなこら、助けてくれええええ!」


「……」
「……」
「……」
 遠くからその光景を覗いていた桜達は一斉に人差し指でアーチャーを指差した。
 シュートサイン―――それはその技が完全に極っており絶対に外れないという客観的判断…


「は、は、は、なんだよ、おまえら何処にいっ―――― ぎぃいいいいいいいいいい!」
 いい感じに全身を捻り上げられて目の前が真っ白になった者が一人と、顎に痛撃を喰らって白目を剥いたまま少し離れたところで気絶している者が一人。
「あ、あひ、ひ…」
 瞬殺された二人の仲間の無残な姿に残る一人は引きつった悲鳴を上げながらその場にぺたんと座り込んだ。
「よぅし、もういいぞ。とどめの一撃まで入れたら殺しちまいそうだしな」
「…そうか」
 アーチャーは呟き、ぴょんっと男から飛び降りた。ランサーは座り込んでいる無傷の男に近づき、鉄仮面を被ったまま顔を覗き込む。
「ナンパすんのはいいけど相手と態度を選べよ? 男は皆英国紳士たれ…わかったか!?」
「ヒッ!? す、すいませんしたあぁぁあっ!」
 ガクガクと頷くのを確認してびしっと残りの二人を指差す。
「わかったら、とっとと仲間連れて帰る!」
「は、はいいぃぃぃぃぃっ!」
 裏返った悲鳴とともに仲間の残骸を引きずって逃げていく男達を眺めてアーチャーはふんと鼻を鳴らした。蒸れる鉄仮面に辟易しながらセイバーの方へ眼を向ける。
「危ないところだっ―――」
「ここにあるのは見本…ここにあるのは見本…食べられない見本…残酷な天使の見本…魂の見本…」
 それはもはやセイバーではなかった。そこに居るのは切なげに悶えるハラペコ一体。周囲の喧騒に気づいた様子すらなくぶつぶつとなにやら呟いている。
「はっはっは、なんつーか、ヒトとしての機能のほとんどを食欲と戦うことに割り振ってるみたいだな。食狂化とでもいったとこか?」
 ランサーは愉快げに笑い、むっと公園の入り口の方へ眼を向ける。
「っと、少年が帰ってきたぞ! 撤収!」
「うむ…」
 私は何をしてるんだろうと頭を抱えるアーチャーの手を引いてランサーは素早くその場から姿を消し、十と数秒が経ったころ。
「ただいま、セイバー」
「■■■■■■…はっ!? シロウ!?」
 両手いっぱいにペットボトルを抱えて帰ってきた士郎の声にセイバーはガバッと顔を上げた。
「お、おかえりなさいシロウ。早かったですね」
 パタパタと尻尾を振っているようにすら見える嬉しそうな表情のセイバーにこれはちょっと待たせすぎたかなと反省しながら士郎はふと周囲を見渡した。
「なんか、どたばたしたような後が残ってるけど…なにかあったのか?」
「? …いえ、静かなものでしたが何か?」
 

10-9 幕間〜留守番

 同じ頃、衛宮邸の台所でも佐々木が食事の準備にいそしんでいた。その背中を眺めながらキャスターは腰に手を当てて唇を尖らせる。
「まったく…みんなしていなくなっちゃうんだもんね」
「ふふふ、旦那様がお出かけなさってますから…じっとしていられなかったのでしょうね、みなさまも」
 不満げな言葉に佐々木はそう言ってくすくすと笑った。
「追うも女、待つ身も女、慕い方は人それぞれということですよ。メディアさま」
 言いながらも手は止めない。沸かした鍋の中へ素麺を入れ、火加減を横目で確かめつつ包丁を握りあんかけの具を刻んでいく。
「……」
 くるくると身を翻して働く佐々木をの背をキャスターは眉の間にしわを寄せて眺めた。いつも通り軽やかな動きだが、今のそれはややせわしない。
(おにーちゃんもリンもサクラも居ないんだもんね…)
 住人の大半が外出中で作る量そのものは少なくなっているとはいえ、スキル『料理』を所持しているメンバーもまたほぼ全員が外出中で手が足りない。
 その上、佐々木の仕事は家事全般に及ぶ。各自の部屋は自分で掃除するというルールはあるものの、わりと広大な衛宮邸の掃除洗濯は彼女の細い両肩にかかっているのだ。食事の準備にばかり時間をかけてもいられない。
「はぁ…人数減っても大喰らいは三人も残ってるもんね」
 キャスターはため息をつき、台所の隅からずるずると踏み台を引っ張り出した。高さ30センチほどのそれをコンロの前に置く。
「メディアさま?」
 戸惑う佐々木を尻目にキャスターはフリルがたっぷりついたマイエプロンを身につけ、よいしょと踏み台に登った。
「…ちゃっちゃと作って食べちゃうもん」
「お手伝い…してくださるんですか?」
 意外な申し出に目を丸くする佐々木にぷーっと頬を膨らませ、キャスターはボウルに卵を割り入れた。片手に一つずつ、二つ同時だ。
「メディアの夢は二つあるけど…その一つはお嫁さんになることなんだもん」
 自分で言っておいて照れたのか踏み台からぴょんっと降りて冷蔵庫を覗きこむ小さな魔術師に佐々木はくすりと微笑んで問い掛ける。
「ちなみに、もう一つはなんでしょうか?」
「毒殺を極める」
 即答だ。
「大変な道だとは思いますが、頑張ってくださいね?」
「うん。どっちもがんばる」
 キャスターは真面目な顔で頷き、くいっと首を傾げる。
「それ、ニュウメンとかいう、あったかいずるずるだよね?」
 ずるずるはキャスター用語で麺類のことである。
「ええ。これだけですとあんりちゃん達もバーサーカーさまも満足できないと思いますので少し重めのおかずをお願いできますか?」
「うん…あ、オクラのフライ…えっと、テンプラとかいいかも。後は卵焼きと―――」
 士郎や桜が作った料理の数々を思い出し、自分の腕で再現可能なものを呟いた瞬間。
「たまごーーーっ!」
「にゃっ!?」
 絶叫と共に褐色の少女がキャスターに直撃した。猫っぽい悲鳴をあげて冷蔵庫に頭をぶつけたキャスターは涙目でその少女を睨みつける。
「あんり! 何するの!」
「たまごっ! たまごっ! あんり、炒り卵がいい!」
 怒鳴り声など聞こえたそぶりもなく、あんりはキャスターを抱き締めて頬擦りをはじめた。
「くすくす、あんりちゃんったら…」
「まゆも笑ってないでコレなんとかしてよっ! あんた達一身同体なんでしょ!?」
 叫び声にまゆはあらあらと首をかしげてあんりの顔を覗きこむ。
「そうですね〜…あんりちゃん? このままでは御飯がつくれませんよ〜?」
「むむ、それは困るもん! 離れるからさっさとタマゴ料理作ってよキャスター」 
 ぴょんっと飛び跳ねて離れたあんりの言葉にキャスターはちょっと機嫌を直してふふんと笑った。
「メディアの料理がそんなに食べたいの?」
「食べられるものは何でも好きだよ!」
「くすくす、どんなものでも食べますけどねー!」
 容赦ない言葉にキャスターのこめかみにピキリと青筋が立つ。
「…味、関係無いの?」
「おいしければうれしーけど無理しないでいいよ?」
「そうですね〜どんなでも食べれますから〜」
 あんりにもまゆにも悪意は一欠けらも無い。むしろフォローのつもりで言っているくらいだ。
「ふ、ふふ…」
 だが、残念なことに彼女達には言葉を選ぶだけの人生経験が無かった。具体的に言うと生後11日分しかなかった。
「ふふ…ふふふ…」
 キャスターは青筋を立てたまま野菜庫の中に眼を向ける。さっき見つけた、少し珍しいその野菜にターゲットロックしてきゅっと唇の端を吊り上げる。
「いいよ。卵料理、作ってあげるもん」
「やたーっ!」
「くすくす、よかったですねーあんりちゃん」
 飛び跳ねて喜ぶ二人にニヤリと邪悪な笑みを浮かべてその野菜を手に取った。

 サーヴァント・キャスター。その属性は中立・悪―――

「うふふ…メディアさま、楽しそうですね」
「…ちゃんとした料理を作るから心配いらないもん」
 優しい笑みを浮かべる佐々木にキャスターは妖しく笑い返し、野菜をたんっと二つに切る。豆腐、缶詰のハムも適当な大きさに切りそろえてフライパンに叩き込み、さっと炒めて卵を投入。良妻を目指すというだけあって中々の手つきだ。
「ををっ! なんか豪華だよまゆ!」
「そうですね〜あんりちゃん。お肉も入ってますよ〜」
 ぴょんぴょん飛び跳ねながらあんりとまゆはキャスターの手元を覗き込んで歓声をあげた。
「にくにくにくにくー!」
「おにく、おにく、おにくですー!」
「ああもう、邪魔! あっち行っててほしいもん!」
 キャスターの苦言を聞いた様子も無く双子のサーヴァントは手を組んでくるくる回りだす。
「にくにくにくにく肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉…くくく…」
「おにくおにくおにく肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉…ふふふ…」
「あんりさまもまゆさまもあんなにはしゃいで…ふふ、可愛いらしいですね」

 多分、それは違う。


 そして十数分が経ち。
「うん、準備できたよ。ちびっこいの二人はさっさと手洗って来る! バーサーカー、お皿運ぶの手伝うんだもん!」
「はーい! いこっ!まゆ!」
「うふふ、行きましょうかあんりちゃん」
 仲良く手を繋いで駆け去る二人を避けてやって来たバーサーカーも手伝い、料理の数々がテーブルに並べられた。
「たっまご! たっまご! 肉肉肉肉肉肉肉肉肉…」
「…それ、怖いからやめるんだもん」
 手から水滴を飛ばしながら戻ってきたあんりは先に座っているキャスターのぼやきを完全に無視してずざーっと食卓に滑り込む。少し遅れて戻ってきたまゆも食卓につき、5人はそろって手を合わせた。
「いっただきまーす!」
「いただきます〜」
 言うが早いかあんりとまゆは叫びざまスプーンを引っつかみ、取り皿をカチカチと打ち鳴らす。
「それ! それ取って! その卵料理! いい匂いがする〜!」
「まゆにもそれ取ってですー!」
「ガゥ、ギョウギワルイ…」
 苦笑するバーサーカーを隣に、佐々木は微笑みながら菜箸を手に取った。
「ふふ…わかりました。ちょっと待ってくださいね?」
 しきりにクスクスと笑いながら手早くあんり達の皿に野菜や肉を卵でとじたその料理を取り分けてキャスターの方へ目を向ける。
「……」
 そしらぬ顔で乳麺―――温かい素麺にあんかけをかけたもの―――を食べているキャスター。その眼だけが爛々と邪悪な光を放っていて。
「たっまご! とぅふ! 肉。やさ―――」
「? どうしました? あんりち―――」
 丸握りしたスプーンで勢い良く緑も鮮やかなその野菜をかきこんだあんりの動きがピキリと止まった。一瞬置いて野菜をかじったまゆの動きも止まる。
「……」
「……」
 目をまん丸にした二人の手からスローモーションでスプーンが落ち…
「に、にがーーーーーーーーっ!」
「にが、に、にがひへふっ!」
 わりと可愛らしい顔のデッサンを崩して二人はその場を転げまわった。
「あらあら、お水飲みますか?」
 苦笑しながら佐々木が差し出したコップを受け取って一気飲みし、あんりは涙がいっぱいたまった目でキャスターを睨みつける。
「な、な、なにこれ!? こ、この、この野菜苦い〜!」
「苦いにきまってるもん」
 してやったりと意地悪く笑ってキャスターは『その』野菜を自分の口に放り込む。
「だってこれ、最初からそういう味の料理だもん」
「これ…ゴーヤチャンプルーですよね」
 佐々木は興味深そうに自分の箸を伸ばし、肉…spamと呼ばれる缶詰のハムと野菜…ゴーヤをひとつまみ口に入れ、ふむと頷く。
「ふふ、わたくし、この味好きですわ」
「さっすが大人! おこちゃまにはわからない味なんだもん」
 キャスターは勝ち誇った表情でゴーヤを食べつづける。
「あー、苦くておいしっ!」
 基本的に今の形態では子供の思考、子供の体質になっている彼女ではあるが死ぬほどまずい魔術薬を多数飲んでいるので苦さへの耐性は誰よりも高い。コーヒーも問題なく飲めるしビールだって平気だ。
 コップ一杯もたずにアルコールが回って倒れるが。
「ひ、ひどいっ! あんまりだ!」
「あんまりです〜!」
 あんりとまゆは畳をペチペチと叩いて抗議の声をあげるがキャスターはきっぱりとそれを無視してそっぽを向いた。
「あ、バーサーカー、麦茶取って」
「が、がぅ…」
 ノーリアクションの怨敵にあんりはカッと目を見開いて立ち上がる。
「苛めっ子には死を! キャスターなんて丸呑みだもんっ!」
 ぐちぐちと粘質の音を立ててあんりの影が立ち上がるのを眺め、キャスターはふふんと鼻を鳴らして魔術回路を開いてこちらも立ち上がる、が。
「…そこまでです」
 ひゅんっ、と。
「え…?」
「あれ?」
 軽い風切音と共に喉に触れた冷たい感触に二人して動きを止める。
「ふふ、子供は元気な方がよろしいですけど…お食事時に暴れるのは行儀が悪いですよ? お二人とも」
 キャスターとあんりの喉に小振りのナイフを突きつけながら佐々木はにっこりと微笑む。怒っているようなそぶりがまったくないのが逆に怖い。ニッコリ笑ってバッサリいかれそうである。
「ご、ごめんなさいだもん…」
「だ、大丈夫だよ? おとなしくたべるよ?」
 喉をツンツク突っついてくる何かの感触に冷や汗をかきながら二人は両手を挙げて休戦の意を述べた。
「はい、よく出来ました」
 佐々木はにこっと微笑んで手を引っ込める。両の手に握られていた小振りのナイフはくるっと手の中で回ると同時に跡形も無く消えた。
「さぁ、冷めないうちに食べましょう? どれもあったかいうちに食べた方がおいしいものばかりですから」
 言われてあんりは改めて目の前のゴーヤチャンブルーを睨む。おいしそうだ。全体で見るとおいしそうなのだが、どうにもゴーヤが苦い。
「うー…あんり達が愛した炒りたまごは死んだ…何故だ!」
 悔しげに呟きながらゴーヤだけより分けるあんりをちらりと眺め、キャスターは肩をすくめる。
「…ゴーヤだからさ」
「ふふ、これはこれでおいしいですし…わたくしが甘い卵焼きを作って差し上げますからあんりちゃん達はそちらを食べてくださいね?」
 穏やかな笑みで立ち上がる佐々木の袖をキャスターは躊躇いがちに引きとめた。
「どうしました? メディアさま」
「…コジカがそこまですることないよ」
「むー、まだいうか根性曲がりー」
 スプーンをくわえてぺこぺこ揺らすあんりを一瞥して立ち上がる。
「メディアが作る。ちゃんと甘いやつ作るから黙って待ってなさい」
「を?」
 きょとんとした顔で見上げてくる視線を無視してメディアは台所へ向かった。
「あんた達の為じゃないもん。手伝うって決めたのにコジカに迷惑かけるのは…裏切りだと思うだけだもん」
「まあ」
 エプロンを付けて冷蔵庫を開ける小さな後姿に佐々木は口元を押さえ、嬉しげに座りなおした。
「ふふふ、みんな良い子で…わたくし、嬉しいです」
 眼を閉じてそっと自分の腹に触れる。
「わたくしの赤ちゃんも、皆のように良い子に育つといいのですが」
「コジカの子供だったらいい子にきまって…る…もん?」
 ボールに落とした卵を菜箸でシャカシャカやりながらキャスターは答えながらくくっと首をかしげた。その眼が一瞬置いてまん丸に見開かれる。
「……」
「……」
「……」
「……」
 台所と居間に重苦しい沈黙が満ちる中。
「あ…動きました」
「!?」
 ずささっと飛びのく一同を眺め回して佐々木はちろりと舌を出した。
「お約束の嘘ですが」
「…知ってたもん」
 キャスターは唇を尖らして塩コショウを振った溶き卵をフライパンに流し込んだ。あんりとまゆもジト目で乳麺をズビズバと啜り始める。
「…暇だね」
「…暇だもん」
「…暇ですねー」
 TVで流れる再放送ドラマをBGMに、留守番チームの気だるい午後1時半…
「…ゴーヤ、ニガイ」
「…大人だからって無理しなくていいよ、バーサーカー?」
「ふふふ、後でとっておきのお羊羹を切りますからね? 旦那様達には秘密です」
 とりあえず、平和だ。



10-10 王様の休日(3)

「ごちそうさまでした」
 セイバーは全て空になったプラスチックパックの群を前に手を合わせた。
「満足できた? セイバー」
「ええ。無論シロウが作ってくださるご飯程の満足感は得られませんが、外食であることを考慮すれば十二分に満足です」
 真っ直ぐ向けられる好意に照れくさくなり、士郎は曖昧な表情で空になったパックをビニール袋に詰め込んでなんとか誤魔化してみる。
(俺の料理の腕なんてプロと比べたらたいしたこと無いと思うんだけどなぁ…)
 内心で首を捻りながら片付けを続ける士郎にセイバーは慌てて手伝いをはじめ、二十以上に渡るプラスチックパックの群は全てゴミ箱へと投入された。
「さて、それじゃあ次の目的地に行こうか」
「はい。どこなりとお供いたします」
 満腹になって気合が入りなおしたのか、やる気満々の表情で頷くセイバーに苦笑しながら士郎はポケットの中をゴソゴソと漁り―――
「あれ?」
 呟きと共に首を傾げた。
「どうしました、シロウ」
「いや、ランサーさんから貰ったメモが…こっちだったかな」
 尻ポケットやバッグの中を覗いてみるがランサー作成の初心者向けデートコースのメモはどこにもない。


「……」
 その背後、十と数メートルの場所で、凛はじっと手の中を見つめていた。
「…リン、それは」
「にゃう」
 両の肩に乗ったちびせいばーと猫の声にゆっくりと頷く。
「…さっきあいつが走ってった後に落ちてたのよ」
 そこにあるのは、妙にハートマークの多いデートコースの指示メモ―――


「まいったな…さっき走った時に落としたのか財布を出した時に落としたのか…」
「そうですか。ですが、それならそれでいいのではないでしょうか」
 困り顔の士郎にセイバーはそう言ってうんうんと頷く。
「シロウの行きたい所へ行けばいい。そこがいかなる所であろうと私はついて行き、どんな困難があろうとそれを排除しましょう」
 そういう意図のお出かけではないのだが、目的が明確になったセイバーは朝のことが嘘のように元気だ。
 オナカがいっぱいで気が大きくなってるだけかもしれないが―――
(それはそれで成功、なのかなあ…)


「ふっ、オレの出番か!」
 悩んでいる士郎を遠目に眺め、ランサーはズバッと立ち上がった。その手にはさっき使ったばかりの鉄仮面が握られている。
「待て、何をする気…いや、言わなくていい。何でもいいからとにかくやめろ。おまえが動くと碌なことにならん」
 アーチャーは半ば諦めの表情でそう告げてランサーの腕を掴みとめた。
「…わかってるさ。確かにオレが絡むと話はややこしくなるかもしれない」
 ランサーは立ち止まり、静かに呟く。その落ち着いた態度にアーチャーは手を離して満足げに頷く。
「うむ、わかればいいんだ。ようや―――」
「でもその方がおもしれえからオレは行く!」
「わかってないではないか!」
 叫びざま走り出したその脚をアーチャーは素早く蹴り払った。加速し始めた所で支えを失ったランサーはズサーッと顔面から地面に突き刺さる。
「…これはあんまりだと思わないか?」
 顔からパラパラと土くれを落としながら体を起こすランサーにアーチャーはふんとそっぽを向いた。
「思わん。少しも、まったく、これっぽちも、思わない」
「そこまで言わんでも…」
 容赦ない言葉にランサーは唇を尖らせ、あぐらをかいて座り込む。
「ったく、だんだんつっこみに愛が無くなってきてるぞ。らんさー、かなしぃっ!」
 体を前後に揺らせて頬を膨らませる姿に肩をすくめてアーチャーは視線を士郎達の方へ戻す。
「阿呆なことを言ってないで立て。どうやら見切り発車するようだ―――」
 

「じゃあ、とりあえず思い出せる範囲で移動してみよう。確か昼食後は散歩がてら買物ってなってたと思うから」
「わかりました。では、それでいきましょう」
 ぶんっと力強く頷くセイバーに頷き返して士郎は歩き出した。半歩遅れてセイバーも後に続く。
(とりあえず…駅前まで行けば思い出すかな…)
(とりあえず…私はシロウの指示通りに動きます)
 二人して他人任せなことを考えながら。


「あ…士郎さま、動き出したですよ!?」
 ハサンは二人が歩き出したのに気付いて小声で叫んだ。脳内で付近の地図を思い描き、移動方向と速度をふまえて目的地を割り出す。
「目的地は…駅の方ですぅ! 桜さま、こっちも移動しましょう!」
「ええ! 慌てず騒がず間に人の壁を挟んでこっそりと!」
 鋭い表情で頷きあって物陰から物陰へと移動していく二人を眺めてライダーはジト目になって首をかしげる。
「そんなに生き生きと尾行するのは正直どうでしょう、サクラ」
 小さく呟いて手にしたプリンのカップから最後のひとかけらをすくい上げ、名残惜しそうにそれを味わってからライダーは先行する二人を追いかけた。
「……(桜さま、風下に回るですぅ)」
「……(そうね。でも太陽の位置が悪いわ。反射光には気をつけないと)」
「…なんだかキャラクターが変質しすぎていませんか?」
 つっこみを入れながら追跡すること十と数分。士郎達が駅前広場で足を止めたのを見て桜達は足を止めた。
「……(ハサンちゃん、あっちへ)」
「……(はいですぅ!)」
視線で会話しながらそそくさと移動し、手近な店のショーウィンドウを覗き込むふりをしつつ、そこに映る士郎達の鏡像を観察する。
「あ、士郎さま困ってますぅ。ここまで来たはいいですけどそこから先が思いついてないみたいです」
「ええ。あせった表情がちょっとゾクゾクしますね、ハサンちゃん」
「…その感じ方は人としていかがなものかと思いますが」
 左右逆に映る士郎は駅前地図をチラチラ眺めながら必死にセイバーへと話しかけている。声は聞こえないが明らかに要領を得てないようだ。セイバーの表情はきょとんとしたものである。
「ひさしぶりに士郎らしい士郎を見た気分です。やはり士郎は困ったり血を吐いたりしていないとらしくありません。もう少し鬱ならば完璧なのですが」
「…士郎さまはわりと楽しげな人だと思うですけど? 桜さま、どう思うですぅ?」
「うーん、昔の先輩の楽しそうな顔は思い出せないですね。ちゃんとした笑顔を浮かべるようになったのもつい最近のことだと思います…昔って言っても一年くらいですけどね」
 口々に言い合いながらショーウィンドウを見つめて三人娘は首を捻る。
「とにかく、先輩を困らせるのはわたしの本意ではありません」
「え!?」
 反射的に声を漏らしたライダーに桜はにこっと微笑んだ。
「…ライダー、何か言いたいことがあるの?」
「いえ、特に。この国には言論の自由というものがあると聞いていますから」
「はわ…はわわ…と、とり、鳥肌立ってきたですぅ…!」
 静かに微笑みあう二人にびくっと震えながらハサンは勇気を振り絞って二人の間に割って入る。
「あ、あの! ハサン、士郎さまを助けてあげたいとおもうですけど! て、ててて手伝っていただけないものでしょうか!?」
「む…もうちょっと見ていたいですけど…」
「先程遭遇したランサー達に手柄を奪われるのも業腹ですね」
 目を潤ませて主張するハサンの姿に桜とライダーは顔を見合わせて頷きあう。
「華麗に恩を売って…」
「好感度をガッポリ! ですね? サクラ」
 ピキーンと目を光らせて二人が手を握り合った瞬間だった。
「よっしゃあっ! その案、オレも乗った!」
 握り合った手の上にぽんっともう一つの手が載せられる。
「む。ランサー…いつのまに…」
「ついさっきな。微動だにせずガラスを眺めてる妖しげな三人組をみつけたから近づいてみたら面白そうな話してるからよ。な、相棒?」
 ランサーはニヤニヤしながらそう言って背後に視線を向けた。憮然とした表情で立っていたアーチャーは不愉快そうにそっぽを向く。
「セイバーを、というのなら協力しないでもないが何故に奴を助ける手伝いなどせねばならん。お前達が馬鹿をやるのは勝手だが私を巻き込むな」
「大丈夫だって。むしろメインで活躍してもらうから」
「おまえは日本語が通じんのか?」
 苦々しく呟いてアーチャーはふと首をかしげてランサー達のほうに目を向けた。
「しかし、いいのか? ライダーはともかく、桜やランサーは奴のことが、その…好意を抱いているのだろう? 敵に塩を送るような真似をすることもなかろうに」
「は?」
「え?」
「はぇ?」
「・・・・・・?」
 それなりに真剣に聞いたつもりの言葉に返って来た心底不思議そうな顔にアーチャーは少したじろいだ。
「あ、いや、私の勘違いだというのならばそれに越したことはないのだが―――」
「いや、全然勘違いじゃねぇけど? むしろ、わたし寂しさのあまり身体が夜泣きするの〜って感じだよな?」
 ランサーはそう言ってポンッと桜の肩を叩く。 
「―――この手は、何を意味しているか聞いてもいいですか? それとライダー、何をそんなに頷いているの? 今まで見せたことのないような満面の笑みで」
「詳細かつ直接的に説明しましょうか?」
「…やめて」
 メガネをキラリンっと輝かせるライダーに桜は深くため息をつく。
「だが! この子は自分で夜泣きを止められる! 問題はむしろやり方を知らないおまえだアーチャー!」
「黙れエロ槍師! いい加減貴様の腐れた脳髄にはうんざりだ! ついでに同じネタを使いまわしすぎだ」
「あ、あの! あまり大声を出すと怪しまれるですぅ…!」
 突きつけられた指を払いのけて叫ぶアーチャーの絶叫にハサンは慌てて割って入った。
「む…すまない…」
 自分達が路上に居る事を思い出したアーチャーはゴホンと咳払いをして気を落ち着かせる。
「いえいえ、気にすることないです。ハサンもおかーさんに色々教えてもらって今は一人前ですぅ! 知らないことは悪くないです。罪悪なのは知ろうしないことだっておかーさん、言ってましたから」
「……」
 思いがけない方向からのとどめに憮然とした表情になったアーチャーにライダーは軽く肩をすくめてみせた。
「確かに、ハーレム上等のランサーやむしろ二番目以下が狙いのハサンはともかく逆転勝利を狙って虎視眈々とリンを追い落とす機会を狙っているサクラにとっ てはセイバーを助けることにメリットはありません。むしろトラウマが残るような妨害作戦を展開する方が似合っていると思います。手紙には剃刀を、トゥー シューズには画鋲を、プールの後には服を隠し教科書に落書きをし、トイレの壁にも卑猥な落書きを書き連ねた上で反撃されて掲示板に恥ずかしい写真を貼られ るのが自然な流れ―――」
「物凄く不自然ですっ!」
 桜は思わず叫んでから慌てて口をつぐみ周囲を見渡す。通行人は怒鳴りあう国際色豊かな集団に不審げな目を向けているが、離れたところでテンパっている士郎とセイバーにはまだ気付かれていないようだ。
「つまりだ、相棒」
「相棒言うな」
 無愛想につっこむ相方に軽く笑みを見せ、ランサーは人差し指をぴんっと立てる。
「セイバーの奴はさ、最初から少年に一番近い位置にいて…そのせいで少年のことをどう思ってるか、何がしたいのかわかってないんだと思うんだよな」
 区切り、ランサーはアーチャーの額を立てたままの人差し指でちょんっと突付いた。
「その辺、どっかの素直になれない誰かさんも一緒じゃねぇか? 最初から近い存在だからこそ、それ以上近づくには勇気ときっかけがいると思うんだけどな?」
「……」
 アーチャーはその指を払ってランサーから目をそらす。
「…『そいつ』のことはどうでもいい。セイバーの話を続けろ」
「OK。つまり、オレ達としてはセイバーにも同じ場所へ立って欲しいんだよ。無自覚なまま傍に居られたら追い落とせないだろ? 立派に利己的な行動だぜ、これは。別に敵に塩を送ってるわけじゃあないってこった」
 言い終えてうむうむと一人頷くランサーにライダーはくすりと微笑んだ。
「結局のところ、サーヴァントの半分は優しさでできているというオチですね」
「…残り半分は何ですぅ?」
 キョトントした表情のハサンにゆっくりと頷いてみせる。
「ハサン、世の中には真実だからこそ明かすべきではないことがたくさんあるのです。サクラの体重とか」
「…ライダーの身長とかね?」
 静寂に満ちた路上で桜とライダーは満面の笑みで見詰め合う。
「あの、ランサーさま…」
 再度始まったゴゴゴゴゴとかドドドドドドとか効果音のつきそうな睨み合いにハサンは怯えを隠し切れぬ表情でランサーの袖を引っ張った。
「ん、どうした?」
「ひょっとして桜さまとライダーさま、仲悪いですぅ? と、ととと、止めた方が…」
 心配げな顔に青い髪の槍兵は肩をすくめて笑う。
「忠義ものだなぁおまえ…心配すんな。あの二人は似たもんどうしだってだけだろ。外面を取り繕う必要がねぇってのはいいことだぞ?」
「なるほど。ランサーさまとアーチャーさまみたいなものですね?」
「いちいち私を引き合いに出すな―――ああ、もういいから話を進めろ。あそこで臨界点を超えようとしている馬鹿をどうする気だ?」
 顔をしかめて士郎達の方を親指で指すアーチャーにランサーはふむと頷いて視線をそちらへ向け。
「あー、そだな。とりあえず静観でいいんじゃねぇか?」
 苦笑交じりに肩をすくめた。先程とは一転したその意見にアーチャーは不審げな顔でその視線を辿り、そのままピキリと硬直する。
「……」
 視線の先、士郎とセイバーもまた困惑の顔で口を閉ざしている。二人の意識の全てを占めているのは、ふらふらと頼りない足取りで彼らに近づいてくる一体の着ぐるみだ。
「ぬい〜ぐるみ〜、らららぬい〜ぐるみ〜」
 それは猫だろうか、人だろうか。全体的には白いトレーナーとすみれ色のスカートを着た3頭身にディフォルメされた女性だろう。だが、頭のうえにはネコ耳がゆれ、眼や口元にもなんとなく猫が混じっている。
「……」
「……」
 どことなくぎこちない動きで迫ってくる謎の生物に士郎とセイバーは呆然と立ち尽くす。
「ぬ、ぬいぐるみ〜。女の子にはプレゼントのぬいぐるみ〜」
 着ぐるみがボイスチェンジャーを通したダミ声でやけっぱち気味に歌う内容に士郎の眉間にピキーンと閃光が走った。
「せ、セイバー!」
「はい!?」
 いきなり呼びかけられてぴくっと震えるセイバーに士郎はぐっと拳を握り締める。
「デパートに行こう。ちょっと歩くけどいいかな?」
「は、はい。構いませんが…あの、ひょっとして買うものは…」
 セイバーがちらりと視線を向けるとこちらを伺っていた着ぐるみはさっとそっぽを向いてかしゃかしゃと手足を動かす。妙に機敏なのが不気味だ。
「うん。さっきから色々考えてたけど凝ったことしようとしても俺には何も思いつかないのがわかったから。基本通りって感じで…」
 士郎は照れくさげに頬を掻いた。
「どうかな? 子供っぽいって思うかもしれないけど、取り敢えず見に行ってみないか?」
「む…」
 セイバーは少し困った顔で考え込む。
(わたしはこれでけっこうな年なのですが…ぬいぐるみ…しかしせっかくシロウがぬいぐるみ…そういえば以前入手したシロゥぐるみは素晴らしい出来でした… あれを抱いて寝るだけで疲労回復率が17%上昇、熟睡までの時間が2分35秒短縮、おまけに以前は眠る度に見ていたあの頃の夢もぴったり見なくなりまし た。そう考えればそんなに馬鹿にしたものでも…)
 ぴくりとも動かなくなったセイバーに士郎はきょとんとした表情で首をかしげた。
「駄目かな・・・」
「い、いいえっ! その、お、お手わらやかにお願いしますっ!」
 慌てて首を縦に振るセイバーの上下する毛先に幻惑されながら士郎は安堵に胸を撫で下ろした。
「よかった。じゃあ、行こうか」
「はい。お供します、シロウ」
 もう一度ぶんっと頷くセイバーと共に士郎は駅前のショッピングモールの方へと歩き出し。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 件の着ぐるみと正面から眼が合ってその脚を止めた。
「・・・っ! ぬ、ぬいぐるみ〜、ぬいぐるみ〜の海王堂〜サムワン、範に劉ぅ毛ぅ除ぅ〜み〜んなそろってかませ犬〜」
 途端に踵を返し歌いながら去って行く着ぐるみに士郎はしばし悩んだ後、声をかけた。
「あの、ちょっといいかな」
「・・・な、なによ」
 ぎしっと動きを止めて首だけぐるりと回転して振り返る着ぐるみに士郎はちょっと困った顔で告げる。
「もしかして・・・」
「き、気のせいじゃない?」
 士郎の台詞を遮って着ぐるみはそっぽを向いた。ひゅーひゅーと鳴ってない口笛らしい音がボイスチェンジャーを通して聞こえてくる。
「気のせいっていうか…なぁ、セイバー」
「ええ。見ればわかることですから…」
 気まずそうに顔を見合わせる士郎達に着ぐるみはがっくりと肩を落とした。
「…いつ、気づいたの?」
「いや、なんていうか…一目瞭然?」
 その台詞に着ぐるみは顔パーツをぺたぺたと触って首をかしげる。
「…どこかおかしかったかしら?」
「うん…着ぐるみの首のところ、髪の毛がはみ出てるよ」
 苦笑交じりに指差され、着ぐるみは慌てて自分の首…正確には頭パーツと胴体パーツの継ぎ目部分を手でまさぐる。
「!?」
 顔の真横、左右両方に感じるのは髪の房。ツインテールのその先がもっさりとはみ出ている。
「まあ、それだけなんだけどね。気になったから」
「子供達の夢を壊してしまいますので、早々に修正したほうがいいのではないかと思います」
 予想外の返答に硬直している着ぐるみを放っておいてセイバーは士郎に視線を向けた。
「シロウ、我々がここに居ては彼も着替えづらいでしょうしそろそろ行きませんか?」
「そうだな。でもこのキャラクターは女の子―――いや、猫ベースならメスか?―――だと思うぞ。彼じゃなく彼女だろう」
「…あの、あんた達、気づいてないの?」
 しばしの沈黙の後、着ぐるみはぼそりと聞いてきた。
「? いや、気づいたからこうやって指摘してるんだけど」
「そうじゃなくて…」
 がくっと肩を落とす気ぐるみに首をかしげて士郎は公園の時計をちらりと見た。
「結構時間かかっちゃったな…行こうか、セイバー」
「そうですね」
 うむと頷きあい二人して歩き出す。
「じゃあ、仕事頑張ってな」
「ごくろうさまです」
「え、ええ…」
 さわやかに去っていく二人の背が見えなくなってから、着ぐるみはその頭部をがぽっと脱いだ。
「……」
 猫のような人のようなディフォルメされた頭部パーツの下から現れたのはツインテールを揺らしてげっそりしている少女―――今更言うまでもないが、凛だった。
「……」
 脱力して士郎達が去ったほうを眺めていた凛の肩が、不意にぽんっと叩かれた。
「?」
 ゆっくりと振り向くと、何か優しげな笑みを浮かべたランサーがそこに居た。背後には桜やアーチャー、ライダー達の姿もある。
「…何よ。なんか言いたいわけ?」
 着ぐるみの胴体だけをつけた珍妙な格好のまま凄む凛にランサーはぐっと親指を立てて頷く。
「グッドうっかり」
「っ…」
 

 歩くこと十分と少し。デパートの一角に士郎達は足を踏み入れた。
「こっちだよ、セイバー」
ぬいぐるみを中心としたキャラクター商品の専門店というものは、セイバーにとって当然に未知の世界である。このあたり、藤ねえに何度か連れ込まれている士郎の方が余裕がある。
「こ、これは、なんとも―――」
 見渡す限りの大軍ならば経験があっても見渡す限りのぬいぐるみというのは未経験。冷や汗を流しながらついてくる彼女をよそに士郎は周囲を見渡し、これはと思った一品を手に取って振り返る。
「ほら、セイバー。これなんてどうだ?」
「あ、え、はい…」
 士郎の差し出した三頭身にデフォルメされたライオンのぬいぐるみをセイバーはおっかなびっくり受け取った。緊張のあまり頭を握りつぶしそうになりながらしげしげとそれを睨みつける。見返してくるつぶらな瞳がたいそうかわいらしい。
「む…むむむ…」
 難しい顔で唸り続けるセイバーを士郎はしばし観察し、ふぅと息をついた。
「気に入らなかったか。じゃあ次は…」
 言ってライオンぐるみを取り上げると―――
「あ…」
 セイバーは小さな声を漏らして微妙に眉毛をさげた。
(…がっかりしてる?)
 脳裏に蓄えられたセイバー表情集と照らし合わせてその微妙な表情を鑑定した士郎はとりあえずライオンぐるみを彼女の手の中に戻す。
「あ…」
 すると、形のいい口元が僅かに緩んだ。眼はぬいぐるみに釘付けである。
「えっと」
 もう一度離してみる。
「あ…」
 再度眉が下がり悲しげな表情になった。さっきよりも少しあからさまだ。
「……」
「……」
 手元に戻す・・・と見せかけてフェイントで回収!
「にゃっ!?」
 ふらふらと手を伸ばしたセイバーは掴もうとした手を空振りさせて猫っぽい声をあげた。一瞬眼をぱちくりさせた後キッと士郎を睨む。
「シロウ! これは侮辱と受け止めていいのですね!?」
「い、いや、その・・・可愛くてつい」
 苦笑気味に士郎が放った言葉の弾丸にセイバーはびくっと身体を震わせて硬直した。
「な、なにをいきなり、そ、そのような、その、なんと言うべきでしょうか・・・」
 途端に顔を赤くしてごもごもと勢いを無くすセイバーに士郎は自分が何を言ったのかに気付いてこちらも赤面する。背後で何かドタバタと暴れる音が聞こえる気がするが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「かわいいなどと・・・私にはもっとも縁遠い言葉です―――」
「ん? いや、普通に可愛いけど・・・」
 ナニヲイッテルノダロウコノヒトハとばかりに首をかしげて士郎は今度こそライオンぬいぐるみをセイバーに返した。
「これ、気にいってくれた?」
「・・・・・・」
 セイバーは照れと戸惑いを滲ませた表情でおずおずとぬいぐるみを受け取り、遠い昔の記憶のままにそれを抱き締めた。
「―――気に入りました」
 呟かれたのは聞き取れるか聞き取れないかの小さな声。嬉しげにぬいぐるみの頭を撫でているその眼は過去を見つめる優しいものだ。
(・・・こんなに穏やかに笑うセイバーなんてはじめて見たな)
 士郎は追憶の邪魔をする愚を犯さずうんと頷いた。
「店員さん、あれ、いくらかな?」
「2300円です…か、かわいらしいですね…あの方…」
幸せそうに笑うセイバーに激しく癒されているらしい店員とそそくさと会計をすませ、士郎は数分かけて追憶から帰ってきたセイバーと共に店を出た。
そして―――
「・・・あいつら、もう行ったわよ」
 この世界の全ての生き物よ、ちょっとずつオラに不機嫌をわけてくれとばかりに不機嫌全開の顔で凛は呟いた。
「ん? そだな」
 背後から聞こえたその声にランサーは振り返って頷く。士郎達の位置からは死角になっていた店の隅であるそこには、ライダーとアーチャーに両腕を掴まれて地面に押し付けられ、あまつさえその上に桜が乗っかっているという壮絶な拘束模様のツインテールが一人。
「そだなじゃなくて! いい加減こいつらをどかしなさいっ! っていうかなんでわたしがこんな目にあってるのよ!」
 がぁっ! と吼える凛にランサーはさわやかな笑顔で首をかしげる。
「いやあ、さすがにこんな所で人死に出したらまずいだろ」
「出さないわよ! っていうかセイバーが可愛いって言われてたくらいで暴れだしたりしない!」
 火を吐くような抗議の言葉に、凛の上にのしかかっていた桜は困ったように笑った。
「そんな姉さん…嘘は良くないですよ?」
「嘘じゃない―――っていうか桜! そのたゆんたゆんした物をわたしの頭からどけなさい! あと下着はつけないと形が崩れるわよ!」
 血を吐くような絶叫にライダーとランサーは顔を見合わせた。アイコンタクト・・・そのまま桜の胸を眺め、今は地面に押し付けられている凛のそれに視線を移す。
「―――みんな、立とう」
 数秒の後、ランサーは厳粛にそう宣言した。桜が、ライダーが、アーチャーが、それぞれ神妙な顔で立ち上がる。
「な、なによいきなり素直になって・・・」
 戸惑いがちに呟いて立ち上がり、凛はパンパンと服についた埃を払う。
「・・・凛、身体は痛くないか?」
「? 別にこれといって痛くないわよ?」
 眼をそらして問うたアーチャーの質問への返答にランサーとライダーは目頭を抑えた。くっ、と嗚咽を漏らして口々に呟く。
「やはり―――潰れるだけの量がないんだな」
「ええ。私達があの体勢で地面に押し付けられていたら大変なことになっていたでしょうから」
「…っ!」
 
 仰向けに 寝ても たいら

「く・・・!」
 その秀麗なる貌を彩るのは羞恥とは明らかに違う赤・・・見よ、この凛の色こそ真の朱だ。
「・・・それとだ、嬢ちゃん」
 バーサーカーもかくやという怒気を纏うツインテールの魔人を生暖かく眺めてランサーはついでとばかりに口を開く。
「―――ブラはな、固い奴ばっかりじゃねぇんだ。あのな、固いのは補正下着ってな?」
「知っとるわあああああああああああっ!」
 遠坂凛。血涙を流して東の空に誓う。

 ―――寝る前に飲む牛乳は二本から三本にふやそう―――


 階下で大絶叫している人のことなど知る由もなく。
「……」
 数十分後、士郎は無言のままぼぅっと『それ』を眺めていた。
「……」
 セイバーもまた、緊張感のある無言でもって一点を見つめ続ける。
 ぬいぐるみを買った後、見るもの全てが目新しいセイバーの反応に気を良くして上の階へ上の階へと見物して回った末に辿り付いた屋上にさりげなく設置してあった、ライオン型の遊具を。
「……」
 士郎にとっては懐かしさが前面に出てくる一品だ。全長1メートルと少しのデフォルメされた三頭身のライオンにまたがり100円玉を入れると前後へとゆっくりと揺れ始めるという、幼児向けのそれ。
「って言っても自分で乗った記憶はないんだけどね―――」
 呟いて士郎はその遊具から眼をそらす。切嗣に救われるより前の記憶は失われているし、救われてからはこういうもので遊ぼうなどという気は起きなかった。
「・・・行こうかセイ―――」
 固く閉ざした筈の記憶の向こうから吹き付けてくる冷たい何かを振り払うべく士郎はセイバーの方へ眼を向け。
「・・・・・・」
 食い入るような眼で遊具を見つめるセイバーに言葉を失った。
「…あのさ、セイバー」
「ぬぁ!? なんでしょう!?」
 声をかけるとあからさまに狼狽した声と共にセイバーは振り返る。
「ひょっとしてなんだけど、乗りたいのか? あれに」
「な、なにゅを馬鹿なことを! 基礎知識の中にありますが、あれは小さな子供の為のものではないですか!」
 むっちゃ狼狽してる。そしてむっちゃ噛んでる。
「いや、まあ、基本的にはそうなんだけど」
 応用的にもそうだよなぁと自分につっこみながら士郎はもう一度その遊具を眺めた。最近はあまり見かけないアイテムであるにも関わらず、ちゃんと手入れはされているようで見た目には小奇麗だ。軽く手を触れて『解析』してみると内部構造もまだまだ現役であることがわかる。
「…って何をしてるんだ俺は」
 自分につっこみを入れながら手を離した士郎は、しかし一瞬だけ夢想してしまった。真剣な表情で遊具にまたがるその姿を。

 ああ。

 それは―――とても―――

「…ゥ? シロウ?」
「え…あ、ああ、どうしたセイバー」
「貴方こそどうしたのですか? 突然ぼぅっとして」
 不審気な表情に士郎は慌てて笑顔を作った。少しひきつっているが気にしない気にしない。もとより笑顔など浮かべた経験が殆ど無いのだし。
「な、なんでもない…そう、なんでもないんだよセイバー。でもね…」
 何処か禁断の実験を前に眼鏡を光らせるマッドサイエンティストのような気分で士郎は呟いた。
「でも、乗ってみたいんじゃないか? あのライオンに…」
「わ、私は…!」
 セイバーは思わずたじろいだ。知識は彼女にNOをつきつける。いい年をした大人が、しかも王たる者、騎士たる者が子供のおもちゃで楽しんでどうするのか。
 だが、だがしかし。
 彼女の人生には極端に娯楽が少なかったのも事実だ。数少ない娯楽といえば狩り、そして遠乗り―――そう。セイバーにとって何かに乗る、という記憶は娯楽に直結していたりするのだ。特にこの世界に召喚されてからは騎乗に餓えている。自転車は目下密かに練習中だし。
「……」
「……」
 セイバーは黙り込んだ。その隣で、士郎も黙り込む。ついでに隣のビルから凛の使い魔を通して覗いているその他大勢も口をつぐんで推移を見守る。
 そして数分の後。
「…その、シロウのサーヴァントともあろうものがそのような醜態をさらすわけにもいきませんから」
 セイバーの口から出たのは否定の台詞だった。
「そうか…ちょっと見てみたかったんだけどな…」
 ある意味予想通りの返答に士郎は軽く苦笑して肩をすくめた、瞬間。
「―――ご、ごほん…そ、それは命令ととってもよろしいのでしょうか?」
「え?」
 なんとなく呟いた言葉におずおずと口を挟んでくるセイバーに士郎はきょとんとした表情で目を向ける。
「あ…」
 緊張の面持ちでこちらを見上げるセイバーの目に期待の色を見つけて士郎は思わず声を上げていた。
(セイバーの欠点は『己はこうでなければならない』っていう思い込みが強すぎることだもんな…なるほど、それを逆手に取ればいろいろ自由なんじゃないか)
 何か心にちくりとくることを考えながら士郎はとりあえず頷いてみた。
「うん、乗ってみてくれ」
「御意!」
 即答だ。
「あ、これ。100円玉」
 差し出された硬貨を受け取り、セイバーは戦の前のようにキリリと引き締まった表情でゆっくりと遊具に近づいてゆく。
「……」
 暖かな日差しが降り注ぐ昼下がり。冬特有の澄んだ空気が肺に心地良い。何故か無人の屋上で、伝説の騎士王はゆっくりとそれにまたがった。
「で、では…」
 引き締めた表情の中に好奇心を滲ませて硬貨を投入する。それすらも殆どしたことのない経験で。

 うぃーん。

「ぉ」
 ゆっくりと動き出したライオン遊具にセイバーの口から声が漏れた。
「こ、これは、何かこう、新鮮な・・・」
 自動車を所持していない衛宮家に居候している彼女にとってはじめて味わう機械の駆動。ゆらゆらと揺れる体とそれを為す可愛らしいらいおんさん。
「・・・・・・」
 士郎は戦っていた。
「この震動が・・・」
 その場で転がりまわりたくなる衝動と。
「・・・・・・」
 それ程に、目の前で真剣に感動しているらしい少女の姿は破壊力があった。忘れがちではあるが、今日のセイバーが着ているのはいつもの服ではなく青いエプロンドレスである。フリルとリボンが揺れ、美しい金髪も揺れ、そしてつつましやかな胸も揺れる。
「ぉお、おお…」
「……」
「お…ぉお…」
「……」

 士郎は今日、大人への階段を一段上った。

 ちょっと、捻じ曲がった階段を。

 

10-11 ケーキと王様

「ふむ・・・」
 ギルガメッシュは満足げに頷いてフォークを口に運んだ。眼前には空っぽの皿が四枚、ショートケーキが載った皿が一枚。
「貴様にしてはよい趣味だ。悪くない」
「あったりまえなんだねっ! じょしこーせーの情報網を舐めたらセクハラだよっ!」
「舐めるの意味が違う。それと皿を舐めるな。はしたない」
 続けざまに突っ込まれたイスカンダルは、にゃんと笑ってスプーンをくわえる。
「それにしても、ギルっちもさりげなく健啖だねっ! お昼ごはんは軽かったとはいえ、これでもう5個だよ!」
「貴様も同じ個数食べているがな・・・」
 ギルガメッシュはぼやきながらショートケーキをはぐっと食べきり、にやりと笑った。
「ふん。王たるもの、食べ物にしろ女にしろ男にしろ望むままに喰らうのみだ」
「太るよ?」
 意地悪い笑みと共に囁かれた言葉にカチャリ、とフォークが止まる。
「あ、怒ったかなっ?」
 言いながらひょいっと覗き込んだその表情は余裕の笑み。
「侮るな。この程度のカロリーを消費できずして、何の英雄か。我を太らせたければこの3倍は持ってこいというのだ!」
 意味もなく胸を張ってくだらないことを言うギルガメッシュにイスカンダルはパチリと指を鳴らして立ち上がった。
「了解なんだねっ! 店員さん、ガトー・ショコラ、ガトー・モカ、ガトー・オランジュ、ガトー・アナベル、ガトー・フレーズ、シトロンミエル、ミルフィー ユとミルクレープ、タルトでチェリーとチョコレートとイチゴ! 後ザッハトルテとティラミスとラズベリームース、それとショートケーキもう一個追加! イ チゴ少なめのクリームだくでお願いするんだねっ!」
「牛丼屋かここは! というか、何やら妙に侍魂を感じるメニューが混じっていたような気がするが・・・」
「気にしないのが吉なんだねっ!」
 例によって無闇に元気なイスカンダルがグッと親指を立てて笑っている間に厨房を大騒ぎさせながらウェイトレスがケーキを運んでくる。
「ご、ご注文の品ですが・・・あの、本当にお二人でこれを? お持ち帰りではなく?」
「黙って置いて去るが良い。貴様の偏狭な常識で王たる我を測るなど不敬に過ぎるぞ」
 戸惑いがちに尋ねてくるウェイトレスにふんと鼻を鳴らしてギルガメッシュが言い捨てると、すかさずイスカンダルが声を張り上げた。
「通訳するんだねっ! ボク達の胃袋は宇宙だから気にしないで欲しいんだよっ。心配してくれて、ありがとだねっ!」
「あ、はぁ・・・ごゆっくりどうぞ・・・」
 戸惑いの表情で去っていくウェイトレスに胸を撫で下ろし、イスカンダルはぷぅっと頬を膨らませる。
「ギルっちは高圧的過ぎるよ。性格を変えろなんて言わないけど、少しくらい猫をかぶったって損はしないんだにゃん?」
「雑種の分際でこの我に意見するなど即座に斬刑ものだ。命があるだけ我の慈悲に感謝するがいい」
 ギルガメッシュは取り合わずフォークをとり、テーブル上にびっしりと並べられたケーキの群れを切り崩しにかかる。実は和菓子の方が好きだったりするのだが洋菓子だって嫌いではない。
「またそんなに強がっちゃって・・・大家さんがここに居ても同じこと言える?」
「え、衛宮は関係無いであろうが!」
 ギョッとした顔で言い返す英雄王にイスカンダルはニヤニヤしながらケーキを口にする。
「ふふふ、そんな事言っても顔は真っ赤・・・って、ありゃん?」
 フォークふりふりからかいの言葉を口に仕掛けたイスカンダルは、しかしカランカランというベルの音と共にきょとんと目を見開いた。
「む? どうした?」
「・・・なんでもないんだねっ!」
 不審げな声にバタバタと手を振り、イスカンダルはさりげなく視線をギルガメッシュの背後に向けなおす。そこには・・・


「いらっしゃいませ。お二人でしょうか?」
「はい」
 ウェイトレスに案内されて窓際の席に座ったのは、赤みのかかった髪の少年と、金の髪の少女であった。
「そういえば、おやつの時間に毎日和菓子は食べていますが・・・洋菓子を食べた経験はあまりないですね」
「あれ? セイバーってイギリス出身だろ?」
 メニューとにらめっこをしながら呟かれて士郎はきょとんと首をかしげる。
「もっさりとした食感のものなら色々とあるようですが、正直な所口にしたことはほとんどありませんね。王になる前は菓子というものがあるような家ではありませんでしたし、王になってからはいわゆる嗜好品の類は口にしなかったので」
「そっか・・・親父が和風好みだったから、ついついお茶菓子っていうとどら焼き買ってきちゃうんだよな。遠坂が好きだって話だけどね。英国風」
 紅茶片手にまったりしている姿を一瞬だけ思い浮かべてから士郎は目の前のメニューに集中する。その凛から教わったこの店は豊富なと手ごろな価格で人気と聞いていた。
「なるほど、これなら俺たちくらいの年でも気軽に食べにこれるな。店の雰囲気も悪く奈い・・・って、あれ?」
 呟きながら店内を見渡した士郎は思わず硬直した。真剣極まりない表情でメニューとにらめっこをしているセイバーの向こう側に―――

「イ―――」
「っ!」
 眼が合った途端ポカンと口を開いた士郎にイスカンダルはプルプルと小刻みに頭を揺らした。
(ストップなんだねっ! 待つんだねっ! 気づかない振りするんだねっ!)
 一心に念じていると士郎は不審そうな表情をしながらも口を閉じ、首をかしげる。
「・・・さっきから一体何をやっているのだ?」
「首周りの余分なお肉を落とす運動なんだねっ! ギルっちもやる?」
 グッと親指を立てるとギルガメッシュはまた阿呆なことをとブツブツ言いながらケーキの群れに戻って行った。
「・・・・・・」
 これでよしと眼を戻すと、あからさまになんでさという顔で士郎がこちらを見ている。対照的に、その向かい側に座るセイバーの後頭部は微動だにしない。
(デートのときに他の女の子に気を取られるのは駄目男のすることだよっ! ここは華麗にスルーなんだねっ!)
 じっと見つめながら念じると、士郎はガクガクと首を振って視線をそらした。イスカンダルは苦笑交じりに肩をすくめる。
「本当に伝わるとは思わなかったんだけどね・・・」
「何がだ?」


 メニューに再び眼を落とし、士郎はうむと頷く。
(イスカちゃんだってデートくらいするよな。そっとしておこう・・・)
 まったく伝わっていないながらもイスカンダルやギルガメッシュの方はそれ以上見ようとせずに士郎が動きを止めると、落ち着いたと見たのかウェイトレスがちょこちょこと近づいてきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 ウェイトレスの声に士郎はちょっと待ってと告げ、セイバーの方へ目を向けた。
「セイバー、どうする?」
「む、むむ・・・ではこの・・・ザッハトルテというものを」
 散々悩んだ末にセイバーが指差したそれを見て士郎はうんと一つ頷く
「ああ、いいね。じゃあ俺も。飲み物は紅茶、ダージリンのストレートで」
「私も同じです」
「ザッハトルテがお二つと紅茶のストレートがお二つでよろしいでしょうか?」
 復唱するウェイトレスにいいよと頷くと、由緒正しきメイドスタイルのそのウェイトレスは、落ちつかなげにチラリとセイバーの顔を覗く。
「・・・何か?」
「あ、いえ、その・・・ケーキ、おひとつでよろしいのでしょうか・・・?」
 恐る恐るといった様子で尋ねてくるウェイトレスの言葉に士郎は思わず苦笑した。セイバーの背後、小柄なギルガメッシュの頭ごしに見えるのは既に空になった10枚を超える皿と、同数のケーキが乗った皿だ。
「私を―――」
「1つずつで大丈夫ですよ」
 食いしん坊疑惑を向けられて思わず顔をしかめたセイバーを遮り、士郎はあっさりそう告げる。
「そ、そうですよね。失礼いたしました・・・」
 ウェイトレスは顔を赤らめてそそくさと去っていった。
「・・・士郎、今のは私に対する侮辱だと思うのですが」
「いやいやいや、ゆっくり、口を手で塞いで振り向いてみて」
 苦笑交じりの言葉にセイバーは、む?と眉をしかめながら従う。
 口を片手で塞いで振り返ってみれば、テンションも高く喋りつづける見慣れた顔と言葉の乱射を受け流しながらスピードの中に気品を忘れずケーキを食す見慣れた金髪の後頭部。
 つむじが、なんだか可愛らしい。押してみたい。
「ね? セイバーも容姿が外国人だし、弾みで聞いちゃっただけだよ多分」
「む・・・まあ一々怒るのも大人げありませんが・・・先ほどから何故小声なのですか?」
 ちらりと背後を眺めるセイバーに士郎は重々しく頷いた。
「イスカちゃん達もせっかくのデートなんだから邪魔したら悪いだろ?」
「ああ、成程・・・」
 セイバーはふむふむ頷いてからふと首を傾げた。
「イスカンダル達・・・『も』?」
「どうした、セイバー?」
 無意識に漏れた呟きに返事されてセイバーは慌てて首を左右に振り回した。頭のてっぺんの毛が勢い良くぴぴるぴると揺れる。
「そ、そう?」
 あまりの勢いに少し引きながら士郎が愛想笑いを浮かべていると、カチャカチャと食器を触れ合わせる音と共にウェイトレスが戻ってきた。
「ザッハトルテとダージリンティーでございます」
 声と共に二人の前に置かれたのはチョコレートでコーティングされた落ち着いた佇まいのケーキと淡いオレンジ色の紅茶だ。
「ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
 と、今度こそちゃんとした笑顔で告げて定位置へ帰るウェイトレスを見送り、士郎とセイバーは同時にフォークを取った。
「「いただきます」」
 声を合わせてケーキをひとかけ口に運ぶと、サクッとしたチョコレートの歯ざわりの後にふわりとスポンジが口の中で溶けていく。
「これは・・・中々・・・」
「ん。いい仕事してるなぁ」
 二人はしばし食べるのに集中し、半分ほどを平らげてからふぅと一息ついた。紅茶を飲みながら表情を緩める。
「とても美味しいです。ここの職人殿と、連れてきて頂いた士郎に感謝を」
「いやいや、ケーキ選んだのはセイバーだし・・・そういえば、どうしてザッハトルテに?」
 問われたセイバーは目を閉じ、片手を胸にあてて少し誇らしげに笑う。
「―――名前が、強そうだったからです」

 『ザッハァアアアアッ! トルテェエエエエエエエエエエッ!』

 士郎は思わずカップを取り落としそうになりながらも何とか耐え切り、ややひきつった笑みを浮かべた。
「ら、ラブラドール・レトリバーとかも必殺パンチっぽいよね・・・犬の種類なんだけど」
 セイバーはええと頷き、ちろりと小さく舌を出して上目遣いに士郎へ笑いかける。
「―――冗談です。サクラが雑誌にのっていたこのケーキを眺めて唸っていたのを思い出しまして」
 すいませんと微笑むその表情に、常に無い少女らしさを見つけてしまい士郎は火照る耳たぶを無意味にひねくり回しながらカップを口に当てて表情を誤魔化した。
「と、ともかく、おいしいな。これ」
「ええ」
 言葉少なにしばし向かい合い、ふとセイバーは首をかしげる。
「・・・そう言えば、その雑誌を読みながら何やらヴァンアレン帯、ヴァンアレン帯と言っていましたが・・・なんのことでしょうか?」
「・・・エネルギーの高い粒子が地球をドーナッツ状にとりまいている領域のこと、だったと思うけど・・・」
 二人は?と首をかしげた。


「ねえ、ギルっち」 
「なんだ?」
 残りのケーキが少なくなった頃、イスカンダルは何気ない調子で声をかけた。6杯目のコーヒーをすするギルガメッシュに眼を細めて問いかける。
「大家さんのこと、好き?」
「ブッ…!」
 瞬間、ギルガメッシュはコーヒーをカップの中に吹き戻した。背後でも連鎖的に紅茶を吹く音が続くが気付く余裕が無いようだ。
「な、何をいきなり言い出すのだエロ魔人・・・!」
「おやおや? ボクはエロいこと言ってないけど? 好きってのもいろいろあると思うけどなあ」
 ニヤニヤと言ってくるイスカンダルにギルガメッシュは縦ロールの髪をばさっと揺らして顔をしかめる。
「紛らわしいことを―――」
「もちろん、僕が言ってるのはLOVEだよ?」
 グッとサムズアップ。イスカンダルはにまっと笑みを浮かべた。
「ちなみにボクは大家さん大好きさ!」
「ぬ・・・べ、別にそんな事宣言せんでも良い!」
 背後でなにやら剣を握るような音がしているような気がするが、そんなことはどうでも良い。ギルガメッシュは軽く汗をにじませながら鼻を鳴らす。
「ふん、仮にも王たる者があのような雑種に懸想するとはなんたる堕落よ」
「そっかな? 今はもうボク達の国は無いんだし固く考えなくてもいいと思うけどなー」
 イスカンダルは紅茶をスプーンで意味無くかき混ぜて肩をすくめた。
「ま、ボクは記憶があんまり無いからそう思うだけかもだけどねっ」
「・・・そうなのか?」
 意外そうな声にうんと頷く。ちらりと視線を遠くすれば、驚きの色が浮かんだ二組の瞳が慌ててそらされる。
(聞かせているんだから、気にしないでいいのにね)
 己が眼を弓にして、イスカンダルは続けた。
「ギルっち、ボクはね? ボク達自身がもっと自由でいいと思うんだよ。どこまで行ってもボク達は人間にはなれない。そして、英霊にもなれないんだから」
「・・・どういう意味でそれを語っている?」
 ギルガメッシュは静かに顔をあげた。己が誇りを汚すものであらば自らの民をも滅ぼして歯牙にもかけぬ。その激情は今も失われたわけではない。
「ん・・・ねえ、ギルっち。ボクはみんなから話を色々聞いてみてるんだよ。人間の皆からも、ギルっち達家族からも。ボクみたいに脳みそ無さそうな奴にはみんなよく喋るからね」
「・・・貴様」
 確かに、ギルガメッシュ自身同じ王、同じ英霊と思い必要以上に喋ってしまったことはある。目の前の少女の姿をした者に、気を許してしまった事実がある。
「だから、色々気付いたこともあって・・・ランサー、アーチャー、バーサーカー、ギルっち、佐々木さん、それとハサンちゃん。この6人にはね、共通点があるってわかる?」
「・・・何が共通だというのだ?」
 警戒の表情もあらわに聞いてくるギルガメッシュにイスカンダルは重々しく頷いた。
「全員巨乳なんだねっ!」
「死ね変態め!」
 ウィンクと共に自分の胸をぽよぽよと揉んで見せる姿にギルガメッシュは間髪入れずに罵声を放った。ガタガタと背後で転ぶような音がするが別段どうでもいい。
「ふふふ、別段不真面目に言ってるわけじゃないんだけどねー」
 イスカンダルはクスクス笑って紅茶を一口飲む。
(そもそも、受肉した英霊なんて生き物はその存在自体がとっても不自然なんだよね。歴史上にも稀なそれがこれだけたくさん一度に現れて、そこに誰かの意が 絡まないって方がおかしいんだよ、ギルガメッシュ。デザインパターンに偏りがあるなら、それは何らかの意図があると見たほうが自然なんだけどね)
 しばし考え、肩をすくめる。
「ま、冗談はさておき・・・受肉した時点でボク達はもう自由だよ。今のキミが意地を張っても仕方ないと思うんだけどね?」
「・・・人の内面を勝手に捏造するな。我が偽物を嫌いと知ってのことか?」
「でも贋作者は好きなんでしょ?」
 直接的な物言いにギルガメッシュは思いっきり顔をしかめた。イスカンダルは眼を細め、猫のように笑い続ける。
「らしくないっていうなら、誤魔化すほうがらしくないよ? 常に自分の心に忠実に、欲望のままに振舞うのが我流じゃないのかなっ?」
 あからさまにからかう視線にかっと頬が熱くなった。ギルガメッシュは意識的に顔をしかめてバンっと机を叩いた。
「だから! 我は衛宮の事など路傍の石程度にしか思っておらん! 我に傷一つ付けることも出来ぬようなひ弱な存在など視野にも入らぬわ!」
「人間的魅力と戦闘能力は別だし、そもそも今の大家さんって低級の死徒くらいなら瞬殺できるくらい強いよ? 傷一つくらいつけられると思うけど」
 即座に言い返されてギルガメッシュはぐむ、と口ごもる。もとより彼女は弁舌に長けているわけではない。天性のカリスマを持つが故に、上から下へと意思を伝えることしかしてこなかったのだから当然である。
「ん〜? 黙っちゃってどうしたのかなっ?」
「く、どうもしておらん! 確かに人間の魔術師としては未熟だが強力かもしれん! それは特別に認めてやろう」
 だから、ギルガメッシュは本心を隠そうと思考の表面のみをただひたすらに羅列した。
「だとしても、あれではないか! 顔は中の上、身長も低い。運動能力は高いかもしれんが人間のレベルに過ぎん。機械いじりの技術は上手いがそれも素人レベルであろう? 性格面では穏やかだが面白みは無くそしてややエロ。そんな奴を相手に我にどうしろというのだ!?」
「ちょ、ストッ―――」
 勢いのみで思いついたことを羅列するギルガメッシュに、からかい過ぎたとイスカンダルは慌てて制止するが、遅い。
「・・・ギルガメッシュッ!」
「!?」
 背後から聞こえたガタンという音と聞きなれた怒声にギルガメッシュは慌てて振り返った。
 そこには、倒れた椅子と瞳にたぎる怒りを隠さずこちらを睨むセイバーと。
「な! え、衛宮!?」
「あ、あはは・・・こんにちは。ギルガメッシュさん」
 困ったような笑みで頭をかく士郎の姿があった。
 あって、しまった。
「シロウへの侮辱は私に対する侮辱に等しい。ギルガメッシュ、撤回を要求します」
「・・・我に意を曲げよと言うかのか」
 揉め事の気配に駆けつけるべき店員達が二の足を踏むほど明確な敵意にギルガメッシュは反射的に叫び返そうと身構え・・・
「セイバー、よしなって」
「ギルっち、ストップ!」
 士郎とイスカンダルが素早くそれぞれの連れを制止する。
「シロウ、止めないで欲しい。貴方がそのような態度だから侮られるのです! 貴方は殿方としてもマスターとしても誇れる人だ! それをあのように罵倒されるなど・・・!」
 歯を食いしばって睨みつけてくるセイバーの眼に光るものを見つけてギルガメッシュは怯んだ。
 他者に何を言われようと歯牙にもかけない彼女だが・・・いかな強固な自我を持っていようと、己の罪悪感にだけは、勝てはしないのだ。
「セイバー」
 黙りこんだ二人に苦笑して士郎はセイバーの頭にぽんっと手を載せた。
「俺が大したことないのは本当のことだからさ。セイバーに怒ってもらうほどのことじゃないよ。でも、ありがとう。セイバー」
「い、いや、衛宮、そのだな・・・」
 セイバーを宥める士郎にギルガメッシュは眉を下げて口ごもる。彼女にして、初めてといって良い弱気な表情だ。
「・・・セイバーっち、ボクと一緒にクールダウンしようね」
 その表情にイスカンダルは小さく頷き、セイバーの肩をさりげなく抱き寄せた。
「イスカンダル! 邪魔を―――」
「大家さんを困らすのは本位ではないよね? ほら、こっちこっち」
 振りほどこうと暴れるセイバーを穏やかな声と共に引っ張り、イスカンダルはちらりと士郎に眼を向ける。
「ギルっちをお願いね」
「え・・・」
 聞き返すより早く店の外へ出て行ってしまった二人を呆然と見送り、士郎はふぅと息をついた。
「・・・とりあえず座りましょうか?」
「・・・・・・」
 促すと、ギルガメッシュは無言で椅子に座った。小柄な身体が、今は特に小さく見える。
「ごめんギルガメッシュさん。騒がしくなっちゃって」
「・・・ごめん、と来たか」
 頭を下げる士郎に、ギルガメッシュは呟いた。
「ギルガメッシュさん?」
「貴様は何も悪くないだろう。それなのに、何故謝る」
 ぶっきらぼうに言われて士郎は苦笑する。
「さっきも言いましたけど、俺は本当に凡人だから。ギルガメッシュさんが言ってたこと、全部本当だし。こんな騒ぎになるようなネタじゃないですよ」
 穏やかな声に、ギルガメッシュは顔を歪めた。士郎の顔を正面から睨みつけ。
「・・・違う」
 搾り出すように、呟く。
「ギルガメッシュさん?」
「衛宮士郎。一度しか言わんぞ・・・」
 そして、ギルガメッシュはテーブルの下でぐっと拳を握り大きく息を吸った。キッと士郎の眼を覗き込み、
「顔は中の上だ。しかし我には好感が持てる。身長も低いが我と並べば高い方だ。我が無茶しても死なぬ程の身体能力が有り、我の部屋の機械を直してくれたりもする。変える気はないが問題あることは自覚している我を受け止められる性格も誇ることを許すぞ」
 さっき言ったばかりの台詞を・・・そこから意図的に削った部分を隠さず、まくしたてる。
「そしてエロは・・・まあ、エロだな・・・うむ・・・」
「そこはフォローしてくれないんですか・・・」
 半眼で呟く士郎にギルガメッシュは慌てて首を振った。
「いや、それは・・・わ、我も色は好むからな! その気が有るなら・・・って何を言わせるのだ雑種! 貴様、その、ザッシュ1号!」
「1号!?」
「ぬ、く、その・・・ともかく! 我は、その・・・貴様は、わりと良いと、思っているのだ! ・・・さっきのは弾みで言っただけで本意では、ない! だから・・・だから、ゆ、ゆ、許せ・・・」
 言うだけ言って眼をそらし顔を赤くするギルガメッシュの姿に士郎はガツン、と頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 何しろ普段が傲岸不遜な彼女だ。謝る姿など、想像もしたことも無い。ましてや、こんな表情が、自分に向けられるなど。
「は、はい・・・」
 処理能力を遥かに超える現状に士郎はとりあえずそれだけ言い、しばし迷ってから最初に思い浮かんだ言葉を口にする。
「その、ありがとうございます」
「な、何故に礼を言うのだ!? 我は謝っているのだぞ?」
 予想外のリアクションにぎょっとしている目の前の少女に、士郎は苦笑した。
「何故と言われると困りますけど・・・元々謝られるようなことされたつもりないし、褒められると嬉しいから。分不相応だな、とは思いますけどね」
「・・・難儀な奴め」
 ギルガメッシュはため息をつき、念の為もう一度問い直す。
「怒っていたりは、しないのだな?」
「あ、当たり前ですよ!」
 何を言い出すんですかと驚きの声をあげる士郎にギルガメッシュは息を吐き出した。体中が軽くなるような感覚が、むずがゆい。
「そうか・・・」
 呟くと、綺麗に気持ちが切り替わった。
「くく・・・ははははは! そうか、そうでなくてはな! それでこそ衛宮だ!」
「は? はぁ、どうも」
 士郎はきょとんとしながらも元気を取り戻したギルガメッシュに胸を撫で下ろす。
「とりあえず・・・のど、渇かないですか? 紅茶でも追加注文しましょうか」
「うむ。特にさし許す」
 店の外で巧妙に足止めされているセイバーがイスカンダルを振り切って突入してくるまでの数分間。士郎はギルガメッシュとしばしの時を共有した。


 そして、イスカンダルとギルガメッシュが去った後。喫茶店前の路上には士郎とセイバーだけが残されていた。
「あのさ・・・」
「―――はい、なんでしょう? シロウ」
 士郎がおそるおそる声をかけると、セイバーは『にっこり』と擬音が見えそうな笑顔で首を傾げた。
「えっと・・・ごめん」
 士郎はひきつった表情で手を合わせた。
「ちょっと油断したっていうか何というか、誓ってセイバーをないがしろにしたわけじゃないんだ」
「ええ、理解しています」
 セイバーはうんうんと頷いて微笑む。生真面目で普段は笑うことの少ないセイバーの笑顔は、見とれるほどに美しい。
・・・額に青筋が浮いてなければ、だが。
「ただ、私のことなど忘れていただけですよね?」
「そ、それは、その・・・ごめん・・・」
 士郎は背筋をだらだらと流れる冷や汗を感じながらひたすら謝り続ける。


 その二人から離れること数十メートル。自動販売機の陰にあまりにもあやしげな集団があった。言うまでも無く衛宮さんちの住人である。
「何かもめてるけど・・・中で何があったのかしら?」
「ふっ・・・駄目だな、少年」
 凛の疑問に真っ先に答えたのはランサーだった。何故か満ち足りた表情で腕組みなどしている。
「・・・一応聞いてやるが、何がだ?」
 嫌そうな顔で問うアーチャーにランサーはふっと笑って指を一本立てた。
「はぢめてなのに外で押し倒すのは減点だぞっ?」
「ワンパターン。おまえが減点だ」
 間髪入れず吐き捨てるように言われ、ランサーは楽しげに笑ってから士郎の方へ眼を戻す。
「まぁそれは冗談として・・・なんか中で揉めた挙句、イスカと一緒にセイバーが出てきて、中にギルと少年だろ? 何があったかはさっぱりわからねぇけど結果としてセイバーが焼き餅焼いてんのは間違いないんじゃないか?」
「・・・ギルガメッシュ、か・・・まさかとは思うが、奴まであの朴念仁を?」
 ペコペコ謝っている士郎の姿を眺めて呟いたアーチャーの言葉にランサーはニヤッと笑みを浮かべた。隣に立っているライダーの耳元にわざとらしく口をよせ、顔を見合わせる。
「おやおやおや? アーチャーさんが少年のこと気にしてますよ先生?」
「ええ、今の呟きからは確かな苛立ちを感じました。今夜あたり士郎の姿で淫夢を見せてみる価値はあるかもしれません」
「こ、こいつら・・・」
 アーチャーは、こめかみにセイバーのものと同じような青筋を浮かべた。


「本当にごめん」
 外野のことなど気付く余裕があるわけもない士郎はただひたすらに頭も下げる。
小柄な金髪の外国人少女に謝り続ける姿はなんとも目立つが、この際人目など気にしていられない。
「今は反省してる。もうほったらかしにしたりしない。約束する」
 必死の表情で訴える士郎にセイバーはそっぽを向き、横目でじろりと睨んでくる。
「では、もし次に同じ状況になったとしたら…ギルガメッシュを放置して私の方へ来てくれると言うのですか?」
「む・・・」
 士郎は思わぬ言葉に一瞬口を閉じ。
「ごめん、それはできない」
 きっぱりと即答した。
「・・・・・・」
 対するセイバーは静かに眼を閉じて士郎の方へと振り返り、しばし沈黙してからゆっくりと眼を開き。
「それでは、仕方ありませんね」
 セイバーはひどくあっさりとそう言ってくすりと笑った。
「え? セイバー・・・?」
戸惑い顔の少年に、先ほどまでとは違う心からの笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「そんな顔をしないでほしい。私はシロウのサーヴァントだ。貴方の生き方が不器用なことなどとうに理解しています」
「お、俺ってそんなに不器用かな」
 きょとんと聞いてくる士郎に頷きを一つ。
「ええ、とても」
 似た者である自分の事は棚に上げてセイバーはくすくすと笑った。


「ほんと、言い訳の一つもすればいいのに不器用な奴」
 どうやら機嫌が直ったらしい二人を眺めて凛はそう呟く。
 何があったのかはわからないが、士郎のことだ。きっと誰かを助けていたに決まっている。セイバーだってそれはわかってる筈なのだから堂々としてればよいのだ。
 それなのに、わざわざ謝る彼の性格は凛にとって理解できない。できないが。
「・・・そういうとこが好きなんだろ?」
「っ!」
 ランサーがぼそりといってきた言葉に凛は口をへの字にして振り返る。返ってきたのは、優しい笑顔。
「オレは、好きだぞ? ああいうとこ」
「・・・知らないわよ、そんなこと」
 凛はため息と共に視線を士郎達の方へ戻す。
「・・・嫌いじゃ、ないけど」


「ひょっとして、許してくれるのか? セイバー」
 眼をしばたかせて確認してくる士郎にセイバーは勿論と頷いた。
「私もこんな容姿ではありますが大人です。少し放っておかれた程度で・・・程度・・・」
「お、怒ってる!?」
 プルプルと震えだした姿に士郎は反射的に身構えた。いつ吹き飛ばされてもいいように心の中で防御体制をとる。
「あ、いえ! 怒っていません! 怒っていませんが・・・」
 セイバーはふぅと深呼吸して士郎から眼をそらした。微妙に頬が赤い。
「少々寂しかったような気がすることは否定できないような気がしないでもないところではあります・・・」
「ぐ・・・」
 いかに鈍い士郎でも容易に察知できる程の『かまってサイン』に士郎は改めて頭を下げる。
「ほんと、ごめん。これから埋め合わせするから…」
「い、いえっ! そんな別にそういう意図では! 今日は朝からよくして貰っていますし!」
 慌ててまくしたててからセイバーはごほんと咳払いをして気を落ち着けた。改めて士郎を正面から見据え、明らかに気にしている様子の顔に頷いてみせる。
「それと、気を病んでるようですからはっきりと言いますが・・・助けられるかもしれない人を放っておくようなシロウなど、私はシロウと認めない」
 当たり前のように放たれたその声から感じる信頼に、士郎の思考が停止した。
 とても、嬉しく思う。 らを  てた日からずっと、士郎は全ての人を助けることを己に誓ったのだ。それを他者から認められれば、やはり嬉しい。
 だが、記憶の底に淀む何かが、酷く痛む。   は助けられなかったのにと記憶が軋む。
「―――俺は、あの人達も・・・」
 士郎は無意識のうちに呟き。
「? シロウ、何か言っただろうか?」
 不思議そうな声で我に返った。急速にはっきりとした視界の中心に、金髪の少女のドアップがある。
「っ! び、びっくりした!」
「呆然としたかと思えばいきなり大声を出されては、私の方がびっくりです」
 少し不満げな表情に士郎は苦笑しながらごめんと謝った。
「それにしても・・・俺、何か喋ってた?」
「はい。『俺は・・・』とだけしか聞こえませんでしたが」
 きっぱり言われても記憶には無い。
「・・・なんだろ?」
「・・・なんでしょう?」
 二人は、しばしぽやんと首を傾げあった。
「っていうか、セイバーは悩んでも意味がないぞ」
「あ」


「おや、何か悩んでるようですね」
 周囲の微妙な空気など我関せずといった落ち着き様で士郎を観察していたライダーは、ぼそっと呟いてから公園の屋台で買ったチョコバナナを舐めた。
 下から上へツツツと舌先で舐めあげ、そのままかぽっと全体を口に含みゆっくりと顔全体を上下させるように頬の裏側で撫で上げる。
 あ、もちろんチョコバナナをですよ?
「・・・おい、ライダーさんよ」
 その光景を眺めてランサーは半眼になって唸った。
「? なんです、ランサー」
 チョコバナナを口から放して問う眼鏡の淫夢使いに槍兵はうむと頷き。
「オレにも食わせろ、それ」
「ええ、どうぞ」
 ひょいっとライダーが差し出したチョコバナナにしゃぶりついた。
「あむ・・・ん・・・」
「はむ・・・ちゅぴ・・・」
 ランサーが片側から裏す・・・もとい、『 )←こっちがわ 』に唇を当てて撫であげれば、ライダーも負けじとてっぺんに吸い付き舌先で先端をほじりたてる。
「・・・何がしたいんだおまえらは」
「おやつですが?」
「おやつだぜ?」
 額に青筋を立てたアーチャーは出来うる限り抑えた口調子で二人に問うが、二人は息もぴったりにそう答えて二人でチョコバナナを舐めつづける。
「「レロレロレロレロレロレロレロレロ・・・」」
「・・・凛、この二人はそこらに埋めても許されるだろうか?」
 半ば本気でアーチャーが唸ると、凛はさっきまでセイバーが浮かべていたものとそっくりな笑みを顔に貼り付けて可愛らしく小首をかしげる。
「なんのことかしら? わたしには何も見えないけど」
「!・・・ああ、すまない凛。わたしとしたことが白昼夢を見ていたようだ」
 護身開眼。アーチャーは聞こえよがしにピチャピチャ音を立てている二人に背を向けてニヒルに笑う。ようは見ないふりだ。
「あの、何の解決にもなってない気がするですぅ・・・」
 ハサンは困ったような笑みでつっこみを入れるが誰も聞いていない。少しアーチャーの気持ちがわかった。
「それにしても、人目も気になるしなにより寒い。そろそろ移動したい所だが・・・あいつは何をぐずぐずしている」
 少し冷えてきた手先をこすってアーチャーが呟くと、凛は顎に軽く手をそえて考える。
「ん・・・どうやらセイバーはもう怒ってないみたいだし、そうなるとやっぱり次何処行くか考えてるんじゃない?」
「ふむ、喫茶店の中で考えればいいものを・・・いや、出ざるを得ないのだったか」
 アーチャーは呟き、隠れるのに使っていた自動販売機へ素早く五百円玉を投入してホットのお茶を購入する。
「凛、奢るが君はホットのミルクティーでよかったか?」
「ええ、わかってるじゃない・・・って言うか早くしなさいよ! 見つかるでしょ?」
「流石にそれくらいは気をつけている。む」
 冷静に缶二本とお釣りを回収したアーチャーは素早く自動販売機の陰に滑り込んだ。
「・・・?」
 一瞬遅れて振り返ったセイバーの視線が自動販売機を撫でて通過した。
「―――造作も無い」
「・・・能力の無駄遣いだけどね」
 差し出された缶の紅茶に口をつけて凛は肩をすくめる。身体があったまった二人がなんとなくまったりとしたところに。
「よし、オレの出番がきたようだな」
 ランサーはパンッと手を打ち鳴らしてそう宣言した。その口の端には二人がかりで完食したチョコバナナのチョコレートがぺたっとついている。
「一応聞いておいてやる。何をする気だ? それと口くらい拭け」
 面倒くさそうに言ってくるアーチャーにちちちと指を振りランサーは腕組みなどしてみせた。
「決ってんだろ? 次の目的地を指示すんだよ。ちなみにゲーセンな。ゲーセン。あと口のチョコは舐めてくれってメッセージだ」
「路上での痴女行為はやめろ」
「チョコレート・・・」
「ハサンも物欲しげな目で見ない」
 立て続けにつっこみを入れてアーチャーは息をつく。
「もはや止めもしないが・・・どうやって伝える気だ?」
 尋ねられ、ランサーは口を閉ざした。静かな時が5秒、10秒と過ぎ・・・
「・・・諦めたらそこで試合終了ですよ?」
「本気で考えなしか貴様はッ!」
 笑顔でランサーが言い放った台詞にアーチャーは全力でつっこんだ。
「声! 声大きいですぅ!」
「貴女もですね、ハサン」
 慌ててアーチャーの口を塞ぐハサンにライダーが肩をすくめる。たちまちへこむ暗殺者を横目にランサーはふんと鼻を鳴らした。
「つーか、そんなつっこみ一辺倒ならいっそおまえやってみろよ」
「何故私が貴様の馬鹿に付き合わねばならん」
 いきなりな攻撃にアーチャーは呆れ顔で両手を広げて見せた。が。
「あら、いいじゃないアーチャー。私もあなたの実力、見てみたいし」
「凛、何を言ってるのだ君は!?」
 脇腹を抉る凛の不意打ちに慌てて振り返る。軽く笑みを浮かべたその目は、明確に『わたしは恥かいた、おまえもかけ』と叫んでいる。
「あら、なんかわたしの左手に妙な模様が―――」
「こんなことで令呪をちらつかせるな!」
「大変、何故かアーチャーに命令したい気分で一杯なの・・・」
「乙女チックな目をするな!」
 ガッ! と叫んでアーチャーはため息をついた。何しろ相手は遠坂凛だ。面白がってる彼女の意思を曲げることは出来ない。
(出来るとすれば、衛宮士郎くらいだな。私ではない方の、な)
 内心で呟き、笑う。自分と衛宮士郎を同一でないと、冗談で言えることに。
 そして、それが思いの他馴染むことに。
「わかった。やってみよう」
 アーチャーは軽く笑みを浮かべながら一歩を踏み出し。
「・・・ってもう二人とも居なくなっているではないか!」
 振り返って思いっきり怒鳴りつけた。
 


10-12 王様の休日(4)

「これが、ゲームセンターというものですか・・・」
 セイバーは感心したように呟いた。
「ああ、多分ここいらでは一番大きいゲームセンターだと思うよ。ランサーさんもよく来るらしいね」
 請われるままに案内してきたが、士郎自身はあまりゲームセンターという場所には足を向けない。
 もともと家庭環境的に余計な出費は切り詰める必要があったし、そもそも娯楽というものに興味が無かったのがおもな理由だが・・・実はもう一つ理由がある。
 それは。
「おい、あれ見ろよ!」
「うわ! ひょっとしてアイツが伝説の?」
「ああ。その眼は最高速落下を容易く見切り、その腕は精密機械のような緻密さでブロックを隙間へ差し込む。先行入力・・・否! 閃光入力のその男は、ランクGM到達時間6分6秒6であったことからこう呼ばれる・・・」
「賢明なる者は数字の意味を考えるが良い。数字は人間である!」
「マスターテトリスオン!」
「マスターテトリスオン!」
「マスターテトリスオン!」
「マスターテトリスオン!」
「マスターテトリスオン!」
 これであった。
 パズルゲームコーナーを中心にわらわれと集まり歓声をあげるゲーマーの一個中隊が、近くでゲームをしている一般人が怯えるのもお構いなしで士郎を取り囲む。
「期末試験の打ち上げ以来だからもう2ヶ月近くたってるのに・・・」
 過去の再現に士郎は深々とため息をついた。自らの見通しの甘さをやるせなく悔やむ。
「し、シロウ? 一体何が起きているのですかこれは・・・」
 異常な空気に戸惑うセイバーをよそに士郎は頭を抱えた。
「・・・気にしないでくれると助かる」
 ため息と共に言葉を吐き出し顔をしかめる。やはり少し無理をしてでも違うゲームセンターを選んだ方がよかっただろうか。
 ゲームセンターという所に行ってみたいですと言われ、何も考えずに知ってる所へ連れてきてしまった自分が恨めしい。
「なにやら憧憬の篭った目で見られているようですが?」
「・・・去年の末に上の階のカラオケに来てさ、部屋が空くまでの暇つぶしにここでパズルもののゲームをやってたんだ。で、ふと思いついて魔術の要領で集中してみたんだよ。弓道の時みたいに」
 士郎が弓を射る際には先んじて中るイメージを創りあげ、それをなぞるように体を動かす。既に中っているのだから、外れる筈が無い。武術の枠から外れたそれは士郎特有の解析、イメージの空間展開能力故に可能な反則技なのだが、この場合も同じこと。
 完成したブロックの配置を先にイメージし、後はその通りに手を動かすだけ。最初こそ回転ボタンの操作に手間取ったが元より機械には強い。数十秒で全てのブロックを思うように操れるようになった。
「そしたら、よくわからないうちになんだか凄いスコアになったらしい」
 驚いたのは一緒にきていた友人連中だ。唐突に披露された絶技に驚いたクラスメート達は本人がぼぅっとしている間に暴走を始め、士郎が気付いた時には噂が一人歩きして妙なキャラクターが誕生してしまったというわけである。
「成程・・・幻想が結実しているあたり、英霊の成り立ちと同じですね」
「それは少し違うと思う」
 胸に手を当てた『私はわかりましたよ』のポーズのセイバーに士郎は苦笑交じりのつっこみをいれ、そのまま周囲を取り囲む異様な集団に目を向ける。
 月単位の時が経ちいい加減ほとぼりも冷めているかと思っていたのだが、表面上平和な一地方都市の学生達は予想以上に暇をもてあましているらしい。
「あー、ごめんセイバー。気になるんだったら他の場所に移動しようか?」
「いえ。問題ありません。むしろシロウこそ、こうやって騒がれるのは本意ではないのでは?」
 私は平気ですよえっへんとばかりに妙に誇らしげなセイバーに頷くと、ではと言い置いて金髪の少女はこちらを見て騒いでる群衆に向けてささやかな胸を張った。
「静聴せよ! 興味本位で他者をジロジロと見るのは人として恥ずべき行為だ! その上で徒党を組み往来を妨害するなど言語道断、第三者に迷惑をかけぬよう解散するがいい!」
「は、はひっ!」
「失礼しましたッ!」
 喝ッ! と放たれた獅子の咆哮にゲーマー達はびくっと飛び上がり、夢から覚めたかのようにきょとんとした顔のまま散り散りになる。騒いでいた者が居なくなれば後は普通の喧騒しか残らない。
「どうです? 何も問題はありません」
 冷静に見えてどこか得意げな顔で振り返ったセイバーに士郎は素直に感心しながら頷く。
「さすが。プールの時といい凄いなセイバーは」
「いえ、それほどでも」
 そっけなく答えるが、そのお尻にパタパタと揺れる尻尾が見える気がする。可愛いなあと和みながら士郎は店の奥に目を向けた。
「じゃあ、落ち着いたところでざっと奥まで見て回ろうか」
「はい、お願いします」
 セイバーは機嫌よさげにぶんぶんと頷き、興味深げにあたりを眺めながら士郎の背に続く。
「それにしても何でゲームセンターに来たかったんだ? やりたいゲームでもあったのか?」
 問われ、セイバーはいいえと首を振った。
「ゲームセンターといえば薄暗くタバコの臭いに満ち、ドロップアウト学生達がひしめく昼なお暗い魔性の施設と聞いていたのですが、先日その話をアーチャーにしたところ、いつの話をしているかと笑われましたので実態を見ておこうと」
 言いながら二人して眺めるのは嫌というほどばら撒かれた弾幕に機体を掠らせながら気が狂ったように弾を吐き出しているシューティングゲーム。この手のゲームもしくじる気がしないなあ等と頭の隅で考えながら士郎は肩をすくめる。
「誰に聞いたんだそれ。ひょっとして前に召還された時に親父から?」
「いえ、タイガです。シロウが行ったことがあるとサクラから聞いて不良になっちゃうと心配していましたよ」
 くすくすと笑うセイバーに士郎はあの過保護虎は・・・とむずがゆいような表情をする。
「そういえば藤ねえ、いつまで研修なんだっけな・・・」
 もう長く聞いていない『タイガーっていうなー!』の声を思いつつ士郎は首を振って追憶から復帰した。喫茶店での愚を再び冒すことは無い。今はセイバーのことだけを考えよう。
「今のゲームセンターは女の子も来るからね。プリクラとかUF○キャッチャーとか・・・大型店舗はみんなこんな感じの小奇麗なイメージだよ」
「成程・・・む?」
 ゆっくり歩きながら相槌を打っていたセイバーは、とあるゲームの前でふと立ち止まった。きょとんとした表情が見る見るうちに憮然とした顔に変わっていく。
「どうした? セイバー」
 士郎は立ち止まって動かないセイバーの隣で視線を追った。オールドゲームコーナーの一角に置かれたそれは・・・
「あ」
 横スクロールのアクションゲームだ。三人同時プレイまで可能らしく今は二人のゲーマーが見事な操作を見せている。
 画面狭しと駆け回っている片方のキャラクターは青い衣と片手剣の騎士。素早い動きで敵にサマーソルトキックなど決めている。もう一人のキャラクターは髭 面のおっさん。スタンダードキャラらしくぶんぶんと両手剣を振り回している。画面上部の表示を見ると、青いキャラクターの名前はランスロット。そして。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 髭の方のキャラクターの名はアーサーであった。もはや言うまでも無いが、円卓騎士がモチーフのゲームだったのだ。
「・・・ま、世間のイメージってそんなもんだよ」
「・・・男なのは敢えてそう装っていたので仕方ないでしょう」
 セイバーはプルプル震えて呻く。しばしの溜め時間を経て、その感情がガッと燃え盛った。
「ですが、これは少々年をとりすぎてませんか!? 実年齢の方に合わせたらこの位なのかもしれませんが、それにしたってこのヒゲはあんまりでしょう!」
「あー、気持ちはわかるけど・・・普通、アーサー王が女の子だってのは想像もつかないよ。俺だって今も実感ないし」
 苦笑交じりに士郎がそう言うとセイバーは、ガンと頭を殴られたかのように後ずさった。
「シロウまで!?」
 憤りのままにセイバーは士郎の手を取り自分の頬に押し当てる。
「どうですか!? ひ、ヒゲなどありません!」
「わ、ちょっ、待っ、無い! はえてないのはわかってるから!」
 ぷにぷにと柔らかい感触を手のひらに感じて士郎は慌てて手を振りほどこうとするが、セイバーは興奮状態のままより強く手を握る。
「そうです! ヒゲどころか髪以外身体のどこにもはえ―――」
「え?」
 瞬間、反射的に下がった士郎の視線にセイバーは自分が何を口走ったか気付いた。なんとなく内股になってぼひゅんと耳まで赤くなる。
「い、いえ! 今のはあれです、虚偽ではありませんが、その!」
「あ、いや、うん。ナイス」
 湯気が出そうな程慌てふためく姿に士郎は思考停止したまま脳の表面に滲み出た台詞をそのまま口に出した。途端、二人の周りだけがモノクロになったかのように時が止まる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 しばし硬直した二人はやがてどちらからともなく目をそらした。
「さ、さあ! 向こうのほう行ってみようかセイバー!」
「え、ええ! そうですね! あっちの方に行ってみましょう!」
 そして、わざとらしい元気さで言いあってとりあえずその場を後にする。すぐに離してしまうのも気にしているようで成り行き上握ったままの手が、照れくさい。
「え、えっと・・・あ、あれは何ですかシロウ!」
「あれかい!? あれは・・・脱衣マージャン・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

「・・・何やってんのよ、アレは」
 手を繋いだまま立ちすくむ二人を憮然とした表情で睨みながら凛は呟いた。プリクラを撮っているふりをしつつの観察だが、カーテンの隙間から覗く殺気だった眼というのは非道く怖い。それが三組もあれば、もはや兵器だ。
「そうですね、リン。客観的に見て良い雰囲気と言うべきでしょうね」
「・・・ねえ、ライダー」
 苛立たしげな声に答えてふむふむと頷くライダーに桜は眉をひそめて問いかけた。
「さっきからずいぶんと落ち着いてるけど・・・ああいうの見ても平気なの? ライダーだって先輩のこと嫌いじゃないでしょ?」
「成程、いい質問です」
 ライダーは頬を軽く染めて頷いてみせる。
「確かにあのような清純属性の者に士郎を取られるのは腹立たしい。時には『騎英の手綱』をつけて調教してやろうかなどとも考えます」
「考えるんだ・・・」
 桜の引き気味の声に頷き、凛も眉をひそめる。
「『騎英の手綱』って竜にも通用するものなの?」
「そっちが引っかかるんですか姉さん・・・」
「一応、ありとあらゆる魔獣・幻想種に対応済みというスペックなのですが・・・正直試してみないとわかりません。騎乗スキルに竜乗りが出来ないと明記されている以上、説明書に駄目と書いていない『騎英の手綱』は通じると思うのですが」
「説明書あるんだ・・・」
 不慣れでローテンションな桜のつっこみに首をかしげてライダーは顎に手をあてて考えるポーズをとった。どこか遠くでドカンドカンという音と歓声が聞こえる。
「話がそれましたね。確かに、サクラならともかくセイバーというのは不愉快ですが・・・所詮は昼の間のこと。私には独自のフィールドがありますので、サクラやリンのようにがっつく必要がないのです」
 さりげなく頬に赤みがさしたライダーの台詞に桜は成る程と手を打ち。
「ああ、ライダーは夢を操れるから・・・ってずるい!」
 そのままガッ! と吼えた。猛る妹をよそに凛はあからさまにむっとした顔でライダーを睨む。
「・・・というより、誰が何をがっついてるってのよ!」
「士郎の初物です」
 直接的な台詞に硬直した姉妹を前にポンと手を打ち合わせる。
「そういえば、以前にリンの姿で淫夢を見せた時には士郎も大ハッスルでした」
「なっ! しょ、肖像権の侵害よそれはっ!」
「そうです、なんで姉さんなのライダー! せめて夢でも先輩と初夜を!」
 詰め寄ってくる姉妹をどうどうと受け流しライダーはふと首を傾げた。
「おかしいですね。こういう時には必ずランサーが下品な混ぜっ返しをしてアーチャーがそれにつっこむ筈なのですが」
「話をそらさない!」
「ライダー聞いてる!? キャストを変えての再演を要求します!」


 遡ること、5分。
「はちょぉおおおおっ!」
 ランサーは、奇声をあげていた。
 目の前にはクッションつきの棒、その向こうにはシンプルな画面。表示されているのは『00.0pt』『テッカンコーやネリチャギはやめてください』の文字。
 ようは、パンチングマシーンである。
「ほわたっ!」
 踏み込み、腰の回転に一瞬遅れるようなイメージでもって真直ぐ拳を突き出すとばんっ!という小気味良い音と共にパンチングマットは筐体に沈み、カララララララと効果音を発して画面の数字が回転した。停止した表示には『273』とある。
「ん〜、まあまあだな」
 ファンファーレと共に表示されたランク1の文字を眺めてランサーがまんざらでもなさそうな顔で腕をぐるぐる廻して呟いた、瞬間。
 パンッ・・・!
 ランサーのそれよりも高く、鋭い打撃音がすぐ傍で響いた。
「!?」
 慌てて振り向いた彼女の目に入ったのは、ニヤリと笑う赤いコートの女と―――
「285か。まあまあといったところだな」
 ランサーのものよりも高いスコアを表示する、同型のパンチングマシーンであった。通りすがりの脚がおおっと歓声をあげて脚を止める。
「ん? 居たのかランサー。どうしたそんな顔をして?」
 今気付いたかのような顔で言ってくるアーチャーに、ランサーはこめかみをひくりと痙攣させた。無理矢理笑顔をつくってハハハと笑い。
「ようアーチャー、奇遇だ・・・なッ!」
 言うが早いか閃光のような左ストレートをパンチングマットに叩き込んだ。周囲を圧するようなズドンッ・・・という音と共に筐体そのものを揺らしながら測定が開始される。数秒して表示された数字は−−−『315』
「で? 何の話だっけ?」
「・・・・・・」
 あからさまにニヤニヤとこっちを見下ろすランサーにアーチャーは無表情のままパンチングマットの方へ向き直った。極力表に出さないようにはしているが、眉間のしわがいつもより濃い。あからさまにむっとしている。
「何、たいしたことではないが・・・」
 言いながら放ったのは冗談のようなゆっくりとした拳。スローモーションのような一打にランサーは眉をひそめ。
 ミットと接触した瞬間、バズンッ! と、轟音が響いた。周囲の目を一身に集めつつ、アーチャーは突き出した拳を戻して肩をすくめる。
「力んでばかりでは獣と変わらん。弛緩と緊張の振り幅が打力の要、私では完全な脱力には程遠いが―――」
 すっと指差した画面には『345』の数字が並んでいた。
「山犬が突っかかる程度の代物よりは随分とましだな」
「ほ、ほーぅ」
 ランサーはあからさまに引きつった笑顔で頷く。
「成程、確かにすげぇ技だが」
 言ってパンチングマシーンに向き直り、上着をその場に投げ捨てた。
「ちまちま技術を語るのはオレの性にあわねぇんでな」
 言って深呼吸をし、ランサーは上半身が半回転するほど大きく捻りこむ。シャツを内側から突き上げる双丘がぶるんっと揺れてギャラリーから歓声が巻き起こった。
「2倍の捻り、2倍の力み、3倍の回転でおまえを超える1200万パワーだ!」
「いや、いつ私の超人硬度が測定されたのだ?」
 アーチャーのつっこみも耳に入らず、ランサーは限界まで引き絞った筋肉を解き放った。全身の力を突き出した拳に乗せ、インパクトの瞬間内側へと捻りこむように拳を回す!
「喰らいやがれ・・・ハートブレイクショットだ!」
「心臓狙ってないからただのコークスクリューだろう」
 アーチャーの声とドッッッッ!という鈍い打撃音が重なる。筐体そのものを少し後退させたその一撃を機械は冷静に測定し。
『398』
 アーチャーの一撃を大きく上回るスコアを、画面に表示した。
「うぉおおおおお! あんなスコア出るのかよ!」
「人間じゃねぇ・・・オンドゥルルラギッタンディスカー!?」
 ギャラリーの歓声を受け、ランサーは満面の笑みを浮かべて片手を掲げる。
「みんなありがとーっ! 愛してるぞー! 嘘だけど!」
「「「うそなのかよ!」」」
 野次馬のつっこみに満足げに笑い、ランサーはアーチャーの方へと向き直る。
「さて・・・何か言いたい事でもあるかね? ミスレッド」
「・・・ふん」
 得意げな笑顔から目をそらし、アーチャーは再度パンチングマシーンに向き直った。しばし迷ってからチラリとランサーの方を伺い。
「・・・・・ン」
 ぼそっと何かを呟きながらグローブをつけていない左拳を握り締めた。
「今、魔力が・・・?」
「さて・・・な!」
 ランサーが疑問の声をあげるのも一瞬、その言葉すら打ち破るかのように素早くアーチャーは右の拳を放った。フックとアッパーの中間の軌道を描いた打撃がパンチングマットに突き刺さり。
「浮いたッ・・・!」
 ゴッ・・・! という鈍い音と共に筐体が小さく吹き飛んだ。ガタゴトと床にぶつかって揺れながらもとりあえず壊れなかったらしく、画面に『398』の数字が表示される。
「互角ッッ!」
「っていうかカンストなんじゃね? 筐体もボドボドだ!」
「どっちにしろ二人ともすげぇよ! 感動だよ! マスラオだよ!」
「いや、女だし、二人とも」
 ヒートアップするギャラリーをバックにランサーは眉をひそめた。そっぽを向いているアーチャーを眺めながら軽く息を吸い込み・・・
「ちょっとその手を見せやがれ!」
 そのまま、全速力でアーチャーの左手首を掴んだ。
「む・・・! な、何をする!」
「手を開けって言ってんだよ! あけねぇとキスするぞ!?」
「おまえは相変わらず阿呆だ!」
 慌てた様子で抵抗するアーチャーを慣れた様子で抱きしめてランサーはふふんと笑う。
「ほどけねぇよーだ。自慢じゃないが衛宮士郎にセクハラすんのに関しては熟練者でな」
「本気で自慢にならん!」
 アーチャーは身の危険を感じてもがくが、悲しいかな筋力の差は歴然だ。こと力比べではどうにもならない。
「ほぅれ、ぺろぺろっと」
「舐めるな! そんなところを揉むな! いや違う場所なら良いというわけでも・・・うひゃぁっ!?」
「す、凄い・・・人間じゃねぇ・・・」
「百合だよ! 感動だよ! マリア様も見てるよ!」
 公衆の面前での公開百合調教ショーに暴走ぎみにヒートアップするギャラリーをよそにアーチャーは全力でランサーの手を振り払って身体を引き剥がした。途端。
 キンッ。
 と、左手に握りこんでいたが床に落ちる。
「ゲッチュ!」
 ランサーはすかさずそれを拾い上げて目の前にかざした。長さ3センチほどの・・・ミニチュア化された釘剣を。
「・・・確かライダーの奴には『怪力』スキルがあったよなぁ?」
「・・・あるが、どうした」
 ふん、と眼をそらすアーチャーにランサーはむっとした表情で声を荒げる。
「こういう勝負に魔術使うのは反則だろおい!?」
「だれがそんなことを決めた! ルールが変わったんだよ!」
「胡散臭い台詞を吐くな!」
 怒鳴りあってから、静かにパンチングマシーンに向き直る。
「・・・もう一回勝負だ」
「・・・ふん、望む所だ」
 ポケットから取り出した100円玉を筐体にセットイン。互いにひきつった笑みを浮かべ・・・


「ん?」
「なんでしょう?」
 士郎とセイバーはどこかから聞こえた轟音と悲鳴に振り向いた。店員がバタバタと走り回っているが、彼らの居る位置からは何が起こっているのかわからない。
「どうやら何かが爆発したようですね・・・火薬の類の臭いはありませんから、機械が壊れたのかと」
「流石にそういうのは直せないな・・・行こうか」
 爆発慣れした士郎の言葉にセイバーはそうですねと頷きふと視線を横に向けた。
「階段・・・2階もあるのですね」
「ああ、2階は大型筐体コーナーで3階がバッティングセンター。4階以上がカラオケ」
 士郎は説明しながらそちらに脚を向けた。二階へ上がると、ドンドンと脚を踏み鳴らす音と幾種類もの音楽が耳を圧する。階下とはあきらかに異なる世界にセイバーはきょとんとして首を傾げた。
「シロウ、先程までのものは家にあるものと系統が似ているので理解できたのですが・・・これは何をしているのでしょうか・・・?」
「これは音ゲーっていうジャンル。DJとかダンスとか楽器の演奏とかを手軽に味わおうっていうコンセプトだよ」
 士郎は説明を入れながらあたりを見渡す。動体視力も運動性能も十二分に高い彼にとってはわりと得意なジャンルだ。
 いいところを見せられるかななどとも思うが、考えてみれば隣できょろきょろしているこの少女は彼とは比べ物にならない高スペックである。やはり無理かと首を振って士郎はセイバーに視線を戻した。
「音ゲーのいいところはルールが単純明快なとこだよ。まあ、元祖音ゲーはバージョンアップと共にどっか遠くへ旅立っていっちゃってるけど」
 とはいいつつ、8鍵の方でもそこそここなせる士郎である。
「どう? なんかやってみる?」
「そうですね・・・」
 セイバーは猫のように好奇心に満ちた表情であたりを見渡した。幾種類ものゲームを視線で通過し、そして。
「あれが、やってみたいです」
 指差したのはダンスタイプのゲームであった。床部分に書かれた8方向の矢印を画面の指示通りに踏んでいくというルールだ。
「OK・・・ほら200円」
「あ、大丈夫です。わたしも財布なら」
 硬貨を差し出されたセイバーは慌ててポケットを探すが、今着ているワンピースはポケットの位置がいつものスカートとは違うのですぐには取り出せない。逆に力を入れたせいでスカート部分がめくりあがりかけて慌てて裾を抑える始末だ。
「と、とにかく遊戯代くらいは自分で・・・」
「いや、男としてそういうわけにもいかないし」
 二人はやや困り顔で見詰め合う。お互いに頑固なのはよく理解している。このまま押し問答をしていても意味は無いだろう。
「・・・では」
 セイバーは己の直感に従い口を開いた。
「この機械、足で踏む所が二組ついています。ひょっとしたら、二人同時に遊べるのではありませんか?」
「え? ああ、そうだけど?」
 予想外の方向から攻められて頷く士郎にセイバーはやはりそうですかと笑顔で頷く。
「では、シロウも一緒に遊びましょう。貴方の分は私が払いますので」
「む・・・」
 士郎は一瞬迷ったが、素直に頷くことにした。ここで断るのはあまりに失礼だし、第一セイバーと一緒に遊ぼうというのが今日のコンセプトだ。
「わかった。じゃあ一緒に踊ろうか?」
「ええ。任せてください」
 何を任せるのだろうなどと思いつつ士郎はセイバーから受け取ったものも含めて4枚の100円玉を筐体に投入した。
「よし、曲とかは・・・わかんないだろうから俺が適当に選ぶよ」
「お願いします」
 いきなりHARDの曲というわけにもいかないだろうしEASYではセイバーには軽すぎる。NORMALレベルのやや難しめの曲を設定して士郎はダンシングボードの上に立った。
「始まるぞ」
「え、ええ」
 多少緊張しているのかぎこちなく頷いたセイバーはやや前傾姿勢で画面を見つめた。
「! 来ましたよシロウ!」
「ああ、来たなー」
 軽快な音楽と共に画面の上から矢印が降りてくる。
『↑ → ↑ ← ↑ → → → → ←→・・・』
「ぬ、ぬ・・・りょ、両方!?」
「ジャンプだセイバー。ジャンプして両足で着地!」
 画面と足元どちらを見たらいいのか混乱気味のセイバーに士郎は時々そちらに口を出しながらペチペチとステップを踏む。堅実だが無駄の無い足運びだ。
「く、こ、この程度の動きが出来ぬ筈が・・・」
「あまり深くは考えない方がいいんじゃないか?」
 たどたどしく踊るセイバーだったが、そこは英霊。
「ぬ、は、と・・・ふふふふふふ」
 一曲目が終わる頃には何かを掴んだようだ。軽い跳躍の後、勝利の笑みを浮かべてすたんっ、と華麗に着地した。
「シロウ、これは・・・中々に楽しい」
 さりげなく負けず嫌いなセイバーである。弟子に運動で劣るのは悔しかったらしい。いい笑顔でこちらを見る姿に士郎は軽く頷き。
「そうだな」
 穏やかに、微笑んだ。
「あ・・・」
 苦笑でも愛想笑いでもない、笑顔。これまで見たことの無い子供のような笑い顔にセイバーは意識せず言葉を漏らした。
「ん?」
 それが、心を強く揺さぶることが。何故かひどく恥ずかしく。
「い、いえ! なんでもありませんっ! ほらシロウ! 次の曲を選びましょう! これなんてどうですか!?」
 セイバーは慌てて画面に顔を向け、声を張り上げながら適当にボタンを押した。
「あ、ああ。どの曲・・・って」
 士郎もまた戸惑いながら画面に目を向け。
「げ」
 そこに表示された曲名に顔を引きつらせた。ずらりと星のマークが並んだその曲は、収録されている最高難易度のものだったのだ。
「シロウ? どうしました?」
「・・・セイバー、頑張ろう」
「? え、ええ。頑張ります?」
 悲壮な表情で拳を握る士郎にセイバーは戸惑いながら頷き、まだ赤い頬をぺちぺちと叩いて首をぶんぶんと振る。
(落ち着きなさいアルトリア。確かに今のは意表をつかれました。自分の主が素敵であるのはわかってはいるつもりでしたが士郎の笑顔はまた格別に・・・って何を考えているのですか私は! 今は目の前の敵に集中しなくては!)
 煩悩退散煩悩退散と士郎がたまに呟いている言葉を真似しながらセイバーは新たな曲のリズムに合わせて矢印を踏んだ。
「ふむ、さっきの曲よりもかなり落ちてくる速度が速いですね」
 コツは既に掴んでいる。軽快なリズムでセイバーと士郎はステップを踏み続ける、が。
『→ ↑ ↓ ← ↑ ↓ → ↓ ←→ ↑↓ ← ↓↓↓・・・』
「し、シロウ! なんてことだ! 矢印が三つ重なっています!」
「タタタンって感じですばやく踏んで! っ! 俺の方が失敗した!」
 唐突に増えた矢印の量に二人の余裕は一発で吹き飛んだ。共有しているライフゲージが見る見るうちに減っていく。
「ああ、右左右右!? あ、う、はっ!」
「頑張れセイバー! 俺の方でサポートするから!」
 そして、必死で踊る二人の背後に・・・もう一つの敵が、静かに忍び寄る。

「おい、あれ! あれ!」
「あん?」
「あっちですっげーかわいー子が踊ってるってよ!」
「どれどれ・・・うぉ! スカート短ぇ!」
「ワンピースだぜ? 裾だよ、裾!」
「ああ惜しい! もうちっとで見えるのに・・・」
「っていうかさ、あんだけめくれてて見えねえのはおかしくね?」
「ひょっとして」
「ひょっとする?」

 二人組みの若者達はさりげなさを装いながらセイバーが踊っている筐体の後ろに陣取った。必死に踊る金髪の少女は集中のあまり普段なら容易に気付く接近にも気付いていない。
「もうちと、もうちと」
「ジャンプしろ・・・もうちょっと高くジャンプ・・・」
 見えるようでギリギリ見えない寸止め状態に少年達は知らず前かがみになった。
「! この高さなら!」
「ああ、理想郷(ジャキョニーナ)が! 理想郷(エデン)が!」
 低くなった視界はまさにベストポジション。少年達は一塊になってセイバーがジャンプするのを待った。
 そして、曲も終盤になり少年達の期待が頂点に達した、瞬間―――!
「おきゃくさーん、なーにやってんですかねー?」
 ドスの効いた声と共に、少年達の頭がわしっと掴まれた。
「な、何もしてね・・・ひっ!?」
「なんか焦げてる人が、ぎゃっ!?」


「あー、なんとか踊りきったー!」
「ええ。何かこう、達成感がありますね」
 士郎とセイバーは2曲目を踊り終えて満足げな笑みを交わした。
「そういえば・・・」
「どうした? セイバー」
 今度は難しすぎない曲を選択している間に背後を不審げに見渡すセイバーに士郎は首をかしげた。
「いえ、何か先ほど気配を感じたのですが。親しみのある」
「?」
 言われ、自分でもきょろきょろとあたりを見てみるが、周囲には誰もいない。
あるものといえば。
「・・・なんでブリーフが落ちてるんだ? しかも2枚」
「・・・さあ? あ、3曲目が始まりますね」
 惨劇の痕跡のみであった。

 後日のこと、このゲームセンターには赤鬼と青鬼が出るという伝説がまことしやかに語られるようになったという。



10-13 ボーイミーツガール・アゲイン


「ご、ごめんセイバー、ちょっと休憩」
 士郎が情けない声でそう言いだしたのはゲームセンターを出て駅へ戻る途中、昼食を食べた公園の前に来たときであった。
「ええ、構いませんよ」
 ややぐったりしている士郎とは対照的にセイバーの足取りは軽い。つやつやした頬に楽しげな笑みなど浮かべ、とてもではないがノンストップで50曲を踊りきったとは思えない好調ぶりである。
「中のベンチでちょっと休めば復活するから・・・」
 士郎はそう言ってだるだるの脚を公園の中へ向けた。疲労の極みにあるのは確かだが乳酸の蓄積も筋繊維の断裂も毎日の鍛錬で慣れっこだ。安静にしていればすぐに全快するのは経験でわかっている。
 高速回復能力の恩恵によるこの現象こそが士郎の身体能力が異常なまでの短期間で向上している秘密なのだが、まあそれは別の話。
「ベンチ、ベン―――」
 落ち着けるベンチを求めて彷徨った士郎の視線が凍りついた。
「どうしましたシロ―――」
 その視線を追ったセイバーもまた凍りつく。
 そこには―――
「なぁ〜いいだろ?」
「やめんか馬鹿者ッ!」
「いいじゃん別に減ったりするわけでもなし」
「貴様に触られると減るんだ! たわけ!」
「またまた。付き合ってからの1年で5.2センチ大きくなったっしょ?」
「何故そんな細かい数値まで知ってるのだ変態ッ!?」
「揉めばわかるに決まってるだろそれくらいッ! あとさらしもやめやがれッ!」
「何故逆切れておるのだエロキュレイターッ!」
「そう、俺はメットでプロフェッサーと呼ばれた男・・・そして今は贋作専門の乳商人・・・」
「わ、私の胸は贋作じゃないッ!」
 先客が居た。
 エロかった。
 見てられなかった。
「・・・GOセイバー」
「・・・YESマスター」
 混乱で妙な口調になりながら二人は踵を返す。そのままお互いの顔を見ないようにしながら別のベンチを探すが。
「・・・何故にこんなに」
「・・・満員なんでしょうか」
 公園のあちこちに配置されたベンチの数々。昼過ぎに訪れた時には空席が目立ったそれが、今はほとんど占拠されている。
 占拠者はきまって二人組。当然に、男女の組み合わせばかりだ。座っている者など誰もおらず、手を握るなど子供の間合いだ。ある者は抱き合いある者は膝枕。舐めるは揉むは差し込むはともはや無法地帯である。
「い、行こうかセイバー! 俺、なんかものすごく元気だぞう!?」
 日常の中に巧妙に隠されていた秘境へ足を踏み入れた衝撃に士郎はわざとらしい笑顔で歩き出し。
「・・・待ってください、シロウ」
 セイバーの思いつめた声でピキリと足を止めた。
「な、なにかな? せいばー」
「見てください。あちらに、空席のベンチが」
 少し震える指先でセイバーが指したのは少し離れたところにあるベンチだ。確かに、誰も座っていない。
「休憩―――しましょう」
「疲れはとれた! 大丈夫だよセイバー! オレも、これから頑張っていくから! 何をどう頑張るのかよくわかんないけど!」
 自身もよくエロ旋風に巻き込まれているが、他人の睦言となるとまた別の恥ずかしさがある。一刻も早くこの場を去ろうとする士郎にセイバーはむむ、と唇を尖らせ。
「・・・・・・」
 そのままきゅっと士郎の袖を掴んだ。
「ちょ、セイバー、どうした?」
 その仕草は可愛らしいが、そこに込められた力たるや絶大だ。悲しいかな、ただの人間である士郎に抗う術は無い。
「・・・こほん」
 セイバーは顔をそむけたまま空いているベンチまで士郎を引き摺り、ちょこなんとそれに腰掛けた。
「・・・まさか」
 士郎が顔を赤くしたり青くしたりしているのを見ず、ぽんっと自分の膝を叩く。
「どうぞ、士郎」
「う・・・」
 頬が、火照る。緊張のあまり怒っているような顔になっているセイバーもまた、透き通る白い肌を朱に染めている。
「どうぞ、士郎」
 二度繰り返す。
「どうぞ」
 ついでにもう一度。そんなに膝枕したいのかとおののきながら士郎はぐむむと喉で唸る。
 その昔藤ねえに無理矢理膝枕をされたことがあるから、鍛えた女性の脚がかもし出す柔らかく、それでいて筋肉がしっかりと頭の重みを受け止めてくれる絶妙な気持ちよさは熟知している。はっきり言って魅惑的だ。
「く・・・だが・・・」
 じっとこっちを見上げる瞳に射すくめられながら士郎は迷う。いいのか? 男として。ここで安易に膝枕を許容してしまっていいのか?
 なんていうか、それは堕落のような意気地の無いだけのような。
「・・・わかりました」
 躊躇している士郎にセイバーはふぅとため息をついた。
「シロウは中々に欲張りだ」
「は?」
 仕方ないですねぇという顔を装いながらわざとらしく咳払いなどしてセイバーはベンチに横向きで正座する。
「・・・せ、セイバー? 何を・・・」
「横膝枕では無く、縦膝枕が好みとは・・・」
 説明しよう! 太ももに対し横から頭を乗せる横膝枕に対し、正座をした太ももの隙間へ正面から後頭部を乗せるのが縦膝枕である。楯より横島、縦四方固めより横四方固めの方がエロ度数の高いこの業界において、縦が横を遥かに凌駕する脅威の大技なのだ!
「・・・シロウ? 何をぶつぶつ言っているのですか?」
「い、いや、なんでも無い! なんでもないぞ!?」
 思わず地の文に侵食されていたらしい口を抑えて士郎は後ずさった。
「あのな、セイバー・・・やっぱり膝枕というのはその、どうだろう?」
「む。つまり・・・私には頭を任せられないと?」
 そう言って見上げるセイバーの瞳にしょんぼりとした影を見つけ、士郎はついに陥落した。まあ、最初から決まっていた結論をもったいぶっただけともいえるのだが。
「いや、その・・・おじゃまします・・・」
「い・・・いらっしゃいませ」
 珍妙なやりとりをしつつ士郎はベンチに横たわった。今か今かと待つセイバーの顔が視界の中で逆さに映り、やがて。
 ぽふ。
「おぅ」
 柔らかい感触に後頭部を受け止められた士郎と、
「あっ」
 確かな重みを太ももに感じたセイバーの声が交差した。期せずして合った視線に二人ともなんとなく動けず見詰め合う。
「ど、どうでしょう? その、私は筋肉が付きすぎていますし、固くないですか?」
「いや、なんていうか、その、結構なお手前で・・・」
 真上から質問された士郎は思考よりも本能に近いところから言葉を捻り出した。実際、確かな質感が心地よい。
「ぎ、技術的なものではないと思いますが・・・ありがとうございます」
 こちらも思考能力が働いていない状態でセイバーは頭をさげる。しゃちほこばったやりとりに、二人ともなんとなく表情が緩んだ。
 空には夕方に程近い暖かな太陽。肌で感じる相手の体温の心地よさ。
「・・・いい天気だな」
「・・・ええ、とても」
 当初の緊張が融け去れば、後に残るのは穏やかな時間。互いの存在を共有しているかのような安らぎだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 言葉無く、必要も無く、ただ視線を交わしそこに居る。そんなふうに過ごすうち、士郎は視界がぼやけるのを感じた。思考に霞がかかり、考えることがおっくうになる。
「・・・眠いのですか? シロウ」
「・・・ん」
 返答は短い。普段あまり睡眠を欲しない性質なのだが、王を枕にするという究極に近い贅沢の前には体質如きは屈せざるを得ないようだ。
「しばらく経ったら起こします。寝てくださって結構ですよ」
「・・・む・・・ごめん・・・ちょっとだけ・・・」
 セイバーを元気付ける為のお出かけなんだけどなぁとかでもセイバー楽しそうだしなぁとか切れ切れに想い、士郎は静かに眠りの淵へと落ちた。




 夢を見た。
 動くもの一つ無い、戦いの終わった戦場を見つめる少女の夢を。
 
 否、それを少女の夢と称するのは過ちであると士郎は呟く。
 己の為した破壊と殺戮を見据えるその少女は確かにアルトリアだが、それは士郎の傍に居る筈のセイバーでは無く、召喚された時の彼女ですらなく、一人の王であった。
 王は、青と金の豪奢な装飾が施され黄金の光を蓄えた彼女の剣を地に突き立て、真直ぐに前だけを見詰めている。その瞳は、微塵も揺るがない。
 視線を辿り、士郎は静かに息をつく。
王が見つめているものは、王自身の死であった。
 戦場の中心で、愛馬にもたれた己の姿。その身体にはもはや手遅れとわかる傷が刻まれ、周囲に味方の姿も無い。
 護ろうとした国に裏切られ、滅ぼされる。
 それが、王の未来であった。
『それでも、戦うと決めた。避けえない、孤独な破滅が待っていても。それまでに救えるものがあるのならば』
 剣を担い王が呟くのが聞こえる。
それは、誓い。何者にも汚す事叶わぬ誓い。
 死の眠りに伏し、王が呟くのが聞こえる。
『だが、私は間違えたのだろうか。あの時、剣を抜いたのが私でなければ、この結末にはならなかったのではないのか。憎しみ合い、穿ちあう必要など―――』
 それは、迷い。願いの果てに見つけてしまった迷い。

 呟きと共に、世界の全てが消えていく。
混ざり合い、薄れていく夢の中で士郎は静かに眼を閉じ。



 そして、頬を伝う涙が己の物でないことを知って士郎は眼をあけた。
「・・・セイバー」
「・・・はい」
 呼びかけると、赤に染まった空を背景に目を閉じていたセイバーがゆっくりとその眼をあける。
 その瞳は泣いていない。王は、泣かない。泣く機能を持たされてはいない。
「夢を、見たよ」
 士郎は起き上がりながらそう言った。どれだけ寝ていたものか、赤から黒へと姿を変えようとする風景の中に二人以外の姿は見えない。
「・・・セイバーの、夢だった」
「・・・私も、同じ夢を見ていたようです」
 士郎の言葉にセイバーはベンチに座りなおして頷く。サーヴァントとマスターは時に夢を共有する。それは互いに理解していた。
 だから、セイバーは士郎の見た光景に己が言葉を添える。
「多分、あれは警告です」
「警告?」
 問われ、眼を合わせぬままセイバーは頷いた。
「思い上がっている私を、裏切っている私を戒めるべく蘇った過去だと思います」
 区切り、セイバーは無表情に言葉を紡いだ。
「私は踏み潰し、見捨ててきた多くの命を無かったことにしたい。もう一度あの選定をやり直し、本当に王に相応しい誰かに国を委ねる為に英霊になったのです。こんな・・・」
 己の今を見据え、セイバーは叫ぶ。
「こんな、楽しいなどと! 幸せなどと! そんな人間じみた感情を得る必要も権利も私には無かったのに・・・!」


「・・・・・・」
 彼女らから程近い茂みの中、凛は視線を鋭くした。
「あいつ・・・」
 ランサーの苛立たしげな呟きにアーチャー達もまたさっきまでの軽薄な雰囲気など微塵も無くそれぞれの表情で黙り込む。
 幸せな死を経て英霊になったものなど居はしない。幻想と化すような激しい人生を送った者に平穏な最後など期待できるわけが無い。少なくとも、彼女達の中にそんな者は居なかった。
 だが、それを知っていても尚、凛はセイバーの発言に怒りを隠せない。
「そんなの、心の贅肉じゃない・・・」
 呟くが、こんなところで覗き見ている自分には声をかける資格があるわけでもない。
 想いと立場に板ばさみとなり、凛は苛々と茂みにうずくまり続ける。

「許されないのは、俺も同じだよ」
 士郎はセイバーの横顔を眺めてそう言った。
「意識しなければ忘れてしまいそうになる。俺はたくさんの人を見殺しにして生き延びたんだってのに・・・記憶が、それを閉ざそうとする」
 それでも、忘れない。忘れられない。焦土と化した街。数え切れぬ死体といまだ死体とはなっていない人々。それを振り切った自分。
「そう。助けられたかもしれないんだ。あの時、駄目だろうとあきらめなければ。殆ど死んでいた身体でも、一人くらいは助けられたかもしれない。俺が殺した人が、居るかもしれないんだよ。セイバー」
 士郎は静かにセイバーを見据えた。その時のことは、今も時折夢に見る。当然セイバーもその夢を共有した事はある筈だ。
「そんな俺が・・・あの街の全ての人の分まで何かをしなくちゃいけない俺が、楽しむなんて・・・そんなこと許されるわけがない」
 そして、士郎はセイバーを正面から見据えて強い意志と共に口を開き。
「そう、思っていたんだ。少し前までは―――」「あんた達、いい加減にしなさいって、あれ?」
 力を込めて口にした言葉と、聞き覚えのある怒号が重なった。

(嬢ちゃん、出を間違えやがった!)
(出を間違えたな、凛)
(出を間違えましたね、リン)
(出を間違えちゃ駄目ですよ姉さん)
(うっかりすぎだと思うですぅ)
(おなかがすきました)
(にゃ)

 サーヴァントと妹が茂みの中から呆れまじりの目で見つめてくるのを感じて凛は冷や汗を流し、その優秀な頭脳をフル回転させて次の台詞を探した。砂場から砂金を探すが如き無謀な探索を続けながら呆然とした表情で固まっている士郎とセイバーに引きつった笑みを向け。
「い、いいところだったみたいね。じゃ、何事も無かったかのように続けて、続けて・・・」
 ずるずると茂みの中に沈み直した。
「え、えっとだな・・・つまり、おれたちがどれだけくるしもうがけっかはかわらないわけで・・・」
「は、はぁ・・・」
 士郎は表情がぐちゃぐちゃになったままとりあえず言おうと思っていた台詞を口にしてみるが、棒読みだ。セイバーもなんとなく頷いてみるがまったく頭には入らない。

 台無しだった。
 これ以上なく完膚なく、徹底殲滅状態で台無しであった。
 二人の周囲を、なんだかやるせない冷たさの風が舞う。

「・・・嬢ちゃん、これは責任取る必要あるんじゃねぇかなぁ」
「・・・うむ。いくらなんでもあのタイミングはないだろう」
 赤青コンビの直接的な台詞とライダー&桜の冷たい視線にさらされて凛はだらだらと汗を流した。
「わ、わかったわ。頑張ってみる」
 流石に責任を感じたのか言い置いてしゅばっと立ち上がり。
「士郎が楽しみを放棄したって死んだ人たちが楽しいわけじゃない。そんなのはただの自己満足。セイバーが楽しみを放棄したって国の人たちが豊かになるわけじゃない。どっちも心の贅肉よ!」
 そして早口でそれだけ言ってばしゅっと茂みの中へ戻る。
「「・・・・・・」」
 茂みに注がれる士郎とセイバーの視線が、痛い。
「早い、早いって嬢ちゃん」
「すいません、聞き取れなかったですぅ・・・」
「限界! あれが限界だってば! いくらわたしでもこの空気で口挟めないわよ! なら最初から口を出すなって言われると返す言葉もないけど!」
 

「・・・あー」
「・・・ど、どうしたものでしょうか」
 士郎とセイバーはガタガタ騒ぐ茂みに、呆然と顔を見合わせる。
 しばし見つめあった後、先に笑みを浮かべたのはシロウの方だ。
「と・・・取り合えず、だ」
 呟き、うんと頷く。
「最後まで言わしてもらうと・・・俺達が我慢しても、何も起きないんだよ。この世界はそんなに都合よく出来ていない。本当はセイバーもわかってるんじゃないか? 自分を締め付ける行為が、本当は罪の意識から逃げる為だけのものだって」
「・・・・・・」
 セイバーは答えない。
「遠坂の言った通りだよ。どれだけ苦しんでも、俺が見捨ててしまった人達が生き返るわけじゃない。でも、俺が楽しむことで・・・一緒に楽しい思いをしてくれる人たちが居るのは、事実だから」
 士郎は笑い、視線を茂みの向こうへ・・・愛すべき、家族とも呼べる人外が息を殺して潜んでいるそこに目を向ける。
「セイバーが笑ってくれれば、それだけで俺は嬉しいよ。多分、あそこで一塊になってるメンバーも。それだけでも、ゼロじゃない」
 その言葉が合図だったかのように凛が立ち上がった。続いてアーチャーが、ランサーが、桜が、次々に立ち上がる。
「・・・そうですね」
 励ますように見つめる仲間と呼べる人達に、セイバーは微笑んだ。
「いつか、私のしてきたことに結論を出せるまで・・・ここで、笑っていたいと思います。私も、私なりに」
  胸に手を当て、にっこりと笑う。サーヴァント達もそれぞれの笑顔、それぞれの仕草で祝福を送り、そして―――

「ところで、貴女達は今日一日・・・ずっと覗いてたということですか?」
「え…?」

 笑顔、ときどき青筋。
 凛達は、面白いくらい青くなった。
「まあ待てセイバー。別段覗き趣味というわけではないのだ・・・」
「そうそう、みんなセイバーの事が心配でだな・・・」
「ああ、そうだったのですか」
 セイバーはうんうんと頷いて首を傾げる。
「それで・・・楽しかったですか? 私とシロウがドタバタするのを見て」
「ま、待ちなさいセイバー! 話せばわかるわ!」
 凛の静止がむなしく響き、セイバーが高く掲げた両腕の間に風が渦巻いて金色の光が生まれた。
「問答無用! 覗きなど英霊にも魔術師にもあるまじああもうそんなのどうでもいいですッ! とにかく『約束された勝利の剣』ぁぁぁぁぁっ!」


「わ、わたしは人間なんだから死んじゃうって・・・きゃぁああっ!」
「あははは、まあオレとしては十二分に楽しんだし―――熱ぃ!」
「ロウ・アイア・・・間に合わん!」
「ライダー、逃げっきゃああ!」
「いえ、まあ、無理ですよね。これだけ連発されては」
「熱、痛、かゆいですぅ!?」
「猫さん、脱出です!」
「にゃっ!」

「カリバー! カリバー! カリバー! カリバー! カリバー!」
 クレーターが出来る。樹木が吹き飛ぶ。英霊が宙を舞う。
 あまりの大惨事に士郎は思わず青ざめてセイバーの肩を揺さぶった。
「ま、待てセイバー! いくらなんでもこれはやりす―――っわっ! エクスカリバー撃ちかけで振り向いちゃ駄目ーっ!」
「あ」
 時刻は既に夜。今宵も士郎は宙を舞う。
「ああ───気がつかなかった。 こんやはこんなにも ほしが、きれい────だスター!」