11-12 『HOME』

「一成殿! ご在室ですかっ!」
 いい加減騒ぎ疲れ小休止とお茶をすすっていると、襖の向こうから慌てた声が響いた。
「珍念か? 居るが、どうした?」
「珍念?」
 奇妙なフレーズに士郎が眉をひそめると、一成はうちの修行僧の名だと答えて立ち上がった。襖を開けると、作務衣を着込んだ青年が肩膝をついてその禿頭を下げている。
「一成殿。お客人が参られております」
「客?」
 はて、誰か来る予定でもあっただろうかと首を捻る一成に修行僧は頭を下げたまま言葉を繋ぐ。
「正確には、衛宮殿を迎えに来たとのことで―――」
 区切り、僧はバッと顔をあげた。
「ぅお客人は幼女ッ! し、白くてちっちゃくて柔らかそうな萌えちびっこに候ッ! あの柔らかそうなほっぺたをぷ、プニプニしたく・・・嗚呼! 拗ねたような表情がた、たまりませぬ、ぬっ、ぬるぽっ!」
「喝゛ッ!」
 鼻血を垂らしながらずりずりと床を這いよってくる修行僧を一成は一喝した。パンパンと手を打ち鳴らすとどこからともなく禿頭に作務衣の集団が現れて珍念を引きずっていく。
「・・・騒がしくてすまないな、衛宮」
「・・・いや、気にしないでくれ一成」
 遠くから聞こえる何かを激しく打ち鳴らす音にそっと瞼を押さえて士郎は首を横に振った。うん、気持ちはわかるぜ珍念。
「・・・シロクテ、チチャイ」
 一方でバーサーカーは気になる単語を拾い上げて呟いていた。試しに意識を肉体の裏側に向ければ、魔力が流れ込むレイラインのもう一端が程近いところにあるのが感じられる。
 つまり、それは・・・
「・・・イリヤ」
「あ」
 呟く声に士郎は顔をほころばせた。確かに、ここに自分達が居る事を察知できるのはレイラインの繋がったセイバーかバーサーカーくらいであろう。
「よかったな、バーサーカー。イリヤ、来てくれたじゃないか」
「・・・ン」
 さぞ喜ぶだろうとほのぼのそう言った士郎は、予想外のローテンションに戸惑った。
「バーサーカー?」
「・・・ワタシ、ヒトリデ、カエッタホウガ、イイカモ」
 しょぼくれた顔でぼそぼそと呟く姿に士郎が何故にと首をかしげると、バーサーカーは自主正座で俯き畳を見つめる。
「イリヤノジャマ、シタクナイ」
 ぐ、と士郎は言葉に詰まった。イリヤが悪い子ではないということは確信しているが、一方でバーサーカーが邪険にされていたのもまた事実。個人的には照れ隠しか何かでないかと思ってはいるのだが何しろ人間関係に鈍いと常々言われている自分の判断がどれほど役に立つものか。
「ふむ・・・」
 黙り込んでしまった二人を見下ろした一成はちらりと廊下の奥へ眼をやって頷いた。修行僧の一人が玄関へ向かうのを見届けてから襖を閉め、バーサーカーへ声をかける。
「もし、バーサーカー殿。差し支えなければ教えていただきたいのですが、いらっしゃっているのはお身内ですか?」
「ミウチ・・・?」
「家族のことです」
 ぐるる、と唸りバーサーカーは首を横に振った。
「ドッチカッテイウト、ゴシュジンサマ?」
「ご、ご主人様・・・ですか」
 有名だが聞きなれぬ単語に戸惑う一成へうんと頷いて見せ、自分を指差してもう一言。
「デ、ドレイ」
「ぶっ・・・!」
 あんまりといえばあんまりにストレートな台詞に士郎は口に仕掛けていた制止の言葉を空気の塊にして噴出し、慌てて両手を振り回した。
「ノー! ノー! ノー! ノー! ビバノーレッジ! 違うだろバーサーカー!」
「うむ。ビバはイタリア語で、ノウレッジは英語だぞ。衛宮」
「どこぞの反逆者達みたいなつっこみいらないから!」
「? ・・・ァ、マチガッテタ」
 だいぶ錯乱している士郎にバーサーカーはきょとんとしてから納得の表情でこくこく頷く。大柄な体格にはやや似合わない仕草だが、指摘するのは泣いてしまうからやめて欲しい。
「そうだろ? そうだよなバーサーカー。バーサーカーはやれば出来る子だって、俺信じてたよ」
「ウン、ドレイチガウ。メスドレイ」
「もっと違うッ! それと後で誰にそんな単語吹き込まれたか教えるように!」
「? セイハイ」
 ユスティーツァさん。俺たちは貴女のシステムを信用してもいいのでしょうか?
「って言ってる場合じゃない! えっと、つまりだな一成。イリヤは俺の親戚で、バーサーカーはその縁で護衛みたいなことしてたんだよ、うん」
「ふむ、今は衛宮の家に居るという事はその仕事をやめてきたということになる。辞職後にに再会するのは気まずい・・・といったところですかな?」
 まず正解と言える答えに士郎は少し考えてから補足を加えることにした。
「正確に言うとちょっとアクシデントがあって断りなく俺の家に来ることになっちゃってさ、今まで連絡も取れなかったんだよ」
「・・・ソレデ、オコッテルッポイ」
 ぼそぼそ呟いて肩を落とすバーサーカーに一成は数秒考えてから深く頷いた。
「ふむ、諸処の事情は存じませんが、この場合問題はバーサーカー殿が何を望むかではありませんか?」
「・・・ワタシ?」
 首をかしげる姿を眺め、一成は言葉を繋げる。
「いかにも。バーサーカー殿がそのイリヤ嬢と共にありたいかが問題であって、怒っているかなど、気にする事も無いのではないですか?」
「デモ・・・」
「怒られたところで、嫌われたところで、それが不変の真実というわけでもないでしょう」
 軽く片手で拝むようなポーズは仏門の習慣か、ちらりと士郎の方を見やり咳払いを挟んで一成は続ける。
「先のやり取りからして、元々お二人の間には確かな絆があったように見受けられます。 あなたの目から見ればもはや死んだ絆に見えても、案外しかるべき人が見れば仮死状態か死んだふりかもしれませんよ?」
「シンダフリ・・・」
 奇妙な言い回しにバーサーカーはクスリと笑みを漏らした。真顔のまま一成は重々しく頷く。その仕草は、なんだか葛木教師のものと似ていた。
「諦めず、根気よくあたれば、案外簡単に直るものかもしれないという意味です」
 しばしの沈黙を経て、こくりと頷きバーサーカーは立ち上がった。
「・・・ナオシテ、ミル」
「それが良いと思います。さて、少し待っていただくよう伝えはしましたが少々喋りすぎました。急ぎましょう」
 うむうむと一成にぺこりと頭を下げ足早に玄関へ向かう背を見送り、黙って二人のやり取りを見守っていた士郎は感心したように息をついた。
「流石は寺の子だな。ありがとう一成」
「寺はあまり関係ないと思うがな。それに―――」
 言いかけてやめた友人に首をかしげる姿を横目に、一成は肩をすくめて歩き出した。
「いや、なんでもない。それよりもバーサーカー殿を追わなくてもよいのか?」
「ぅお、早ッ! バーサーカー、待ってくれ!」
 慌てて後を追う士郎の姿に笑みを漏らし、途切れた言葉を心の中でだけ続ける。

 ―――それに、これは衛宮の姿を見て学んだ事なのだからな。


 つっかけるようにしてサンダルを履く。カラカラと音を立てて引き戸を開ける。傾き始めた日の光に少し目を細めて外へと一歩。
「・・・イリヤ」
 そこに、白い少女が居た。拗ねたような表情を作って、白い日傘を傾けて。
「・・・・・・」
 イリヤは、ぷいっとそっぽを向いて言葉を捜した。ここへ来るまでの道のり、途中でめげかけた長い石段で考えていた台詞など既に雲散霧消していて何も思いつかない。
「・・・帰ろう?」
 だから、イリヤは精一杯の勇気でそう告げた。
 思い浮かべたのは、あの冷たい石の城では無かった。

 

11-13 『作戦名千代子冷凍(仮)その1』

「さて、これからチョコレート作りに取り掛かるわけだが・・・」
 修理と掃除が終わり生暖かい笑みを浮かべて凛達が出て行った台所でアーチャーはうむぅと唸った。
「どうしたのですか? アーチャー」
「いや・・・」
 問われ、曖昧に答える。目の前には白いエプロンをかけたセイバーが自分を見上げている。借り物なので少し大きすぎるのがまた・・・

  バッチリだ
「・・・Correct」

「は?」
 親指をたてて深く頷く姿にきょとんとする金髪少女へなんでもないと首を横に振り、心のアルバムにナイスショットを一枚加えた上で腕組みなどしてみせる。
「さて、実際に作る前にまずどんなチョコを作るかを選んでもらう。菓子作りの本を買ってきたからこの中から選んでくれ。 ・・・そこのエプロンと睨めっこしてるヤンキーもな」
 ぴしっと指差されてランサーは思いっきり顔をしかめた。槍男と書かれたエプロンを指先でつまみ上げてアーチャーにつきつける。
「おい・・・オレもエプロンしなくちゃいけねぇのか?」
「当たり前だ。溶かしたチョコが服にこびりつくと洗濯が面倒だからな。嫌なら脱げ」
 我は例外を許さぬ家政婦なりとばかりにきっぱりと言われたランサーはがくっと肩を落とし、渋々エプロンを身につける。
「ほら、つけたぞこん畜生ッ!」
「・・・ああ、うん」
 覚悟完了、馬鹿にするなら馬鹿にしやがれとばかりに顔をあげたランサーを迎えたのは、微妙に生暖かい笑顔を浮かべるアーチャーの顔であった。
「・・・なんだよ。言いたいことがあんならはっきり言えよ」
「なんというか・・・不恰好だな。だが心配するな。似合ってはいないが趣がある。そう、言うなればマニア向けの魅力だな。よかったではないか」
「うわ、なんかすんなり理解できるあたりがすっげえムカツク」
 ニアニヤと肩をすくめる赤エプロンの女にランサーはギリギリと奥歯をかみ締めて拳を握る。
「・・・覚えてろよ・・・いつかてめぇのパジャマを似合わねぇスケスケのネグリジェにすり替えてやる! もちろん色はピンクのヤツで下着は真ん中に切れ目が入ったヤツか前張りオンリー! 妥協しても紐な。紐パンじゃなくて紐そのものの一本絞り。これなら少年も一撃悩殺ッ! ・・・を? 本気でいけるんじゃねぇかこれ!? どうよ弓の字!」
「黙れエロール・エロスチャンスキー。そんなに気に入ったのなら自分で試すがいい」
 途中から本題を忘れて盛り上がり始めた青エプロンの女にアーチャーは顔をしかめて首を横に振って拒絶を示すが。
「おう、いいぜ。一緒にやっか! ひとつのエロは無視されるかもしれねぇけど二つのベクトルを示すエロなら大いなる力を呼ぶかもしれねぇしな。合体は・・・爆発だ!」
 ランサーはハイテンションのままで大きく頷き両の手のひらを胸の前で打ち鳴らした。
「ちょ、待―――」
 思わぬ切り替えしに顔をしかめるアーチャーを無視してセイバーの方へと向き直る。
「さぁて、そうと決めれば話を本筋に戻してサクサク進めるか。どうよセイバー、なんか気に入ったのあるか? さっきからこっちにリアクションしないでひたすらレシピ・・・っうか完成写真眺めてるけど」
「ええ、一口にチョコと言っても実に色々とあるものですね・・・どれも美味しそうではあるのですが、はたして私などに作れるものなのでしょうか」 
 名指しで呼ばれてようやく顔をあげたセイバーの言葉にランサーはカラカラと笑って肩をすくめた。
「なぁに、基本的にゃー溶かして固めるだけだろ? 適当にがーっとやっちまえばいいじゃ―――」

        なめ
「菓子作りを無礼るなッ!」

 ねえか、と言い終るより早く怒号が響き渡った。それを発したアーチャーは闘気を漲らせながらランサーに向き直る。
「ランサー・・・貴様はたしか肉を焼くのが得意と言っていたが・・・火で炙るのに上手い下手があるのか?」
「馬鹿おまえ回転させる速度とか火加減と・・・か」
 唯一の得意料理・・・?をけなされてむっとしたランサーはそこまで言ってからピキリと硬直した。
「そういうことだ。この場合気をつけるべきは温度だ。テンパリングというのだがきちんと温度調節をしてやらないと固まらなかったり固まっても脂肪分が分離して白い斑点が出来てしまったりする。惨めだぞ・・・カビが生えたかのようなあの様は」
「カビは食えるけどな」
「―――食うか?」
「食わね」
 きっぱり答えたランサーの台詞にお約束を解さぬやつめと舌打ちし、アーチャーは説明を続ける。
「温度調節は熟練すれば勘でなんとかなる分野だが、我々は無難に温度計を使用する。まあチョコレートは業務用の物を大量に買い込んできたから多少の失敗は問題ない。ちなみにカカオバターの含有量が多いクーベルチュールでな、国産品は品質にバラつきがあるから品質についての国際基準が適用される輸入品―――セイバー、とりあえず本を放して口元を拭え」
「にゅっ!?」
 慌ててじゅるりと口元を拭うセイバーとそれを眺めて微妙に目元を緩めるアーチャーに、ランサーはうむと頷いて心の中で呟いた。

 ―――気が逸れて忘れているようだがアーチャーよ、セクシーネグリジェは既に購入済みだからな。

「失礼しました。アーチャー、その・・・このことはシロウには内密に・・・」
「・・・まあ、言ったところで萌え狂うだけだろうがな」
 アーチャーはごほんと咳払いをして表情を引き締めてから腕を組む。
「とにかく、私の指示通りに温度調節すれば案外簡単に溶かして固めることは可能だ。後は好みの具やら洋酒やらを中に入れたりまぶしたりしつつ型に入れて固めれば完成だ」
「それなんだけどよ、どこにあるんだ? その型ってのは。 居ると思って売り場まで行ったのにおまえ、売り物見るだけ見て帰ってきちまったじゃねぇか」
 不審げに尋ねるランサーにアーチャーはうむと鷹揚に頷き、すっと片手を前に出した。
「あれでいいんだ。あまり時間は無かったが全て解析し終わったからな」
「・・・解析っておい」
 そういうことかよと半眼で見つめる視線を受けながら錬鉄の英霊はかちっと心の戟鉄をあげ、己の回路を起動する。

 トレースオン
「投影開始」

 呪文による自己暗示をきっかけに空間へと投射されたイメージは魔力により具現化され、ハートを象ったスチールの型となってカランと流しに放り出された。
「売り場中の型を片っ端から弄繰り回してたと思えばおまえは・・・違法コピーって言わねえか? こいつは」
「メディアコンバートと言ってもらおう。細かいことはいいのだ。不要な出費は抑えねばならんのだからな・・・命に関わるし」
 頭の両脇の髪をつまんでついんついんと振って見せるアーチャーにしばし沈黙し、ランサーは神妙な顔で深く頷いた。
「そだな、いのちはだいじにだ」
「それにしてもアーチャー、先程の修理の際も思ったのですが、貴女達の投影は武器専門と聞いていましたが?」
 さすがにこれで戦えはしませんよねと型を弄りながら尋ねるセイバーの興味深げな視線にアーチャーは肩をすくめて答えた。
「武器以外も投影できないわけでは無い。基本的には剣専門なのでそれから遠ざかれば遠ざかるほど精度も落ちるし魔力消費もあがるが・・・まあ、形だけ真似ればいいチョコ型程度ならいくらでも造れる」
「関係ないけど『遠ざかる』って言葉はなんか物凄く猛々しくも恐ろしいな」
 文字通りの横槍を完全無視してアーチャーはセイバーに向き直った。素材チョコの袋を開封して大まかに割った中身を三枚の小型まな板に分けて他の二人の前へ置く。
「後がつかえていることだしさっさと始めるぞ。まずはチョコレートを200グラムほど刻む。・・・ああ、一応言っておくが包丁を使え。剣じゃないぞ」
「!? も、もちろんですアーチャー。いくら私でも馬鹿にしてはいけませんニョ?」
「語尾おかしいぜセイバー。それとこっそり魔力拡散させても魔術師の俺たちにゃバレバレだし」
 ランサーはそうツッコミながら包丁を握り、軽く首を捻った。
「とはいえ・・・オレも槍でやった方が上手く出来そうな気はするな。やっぱ駄目か? なんつうか、消毒とかしても」
「物理的に存在しているわけではないからな。消毒の必要は無いだろうが・・・料理に携わる者として、人を刺したことのあるものを料理に使わせるのは許容できん」
 そう言って愛用の―――かつて愛用していた―――包丁を手に取りアーチャーは小さな苦笑を浮かべた。
「なに、刃物であることには変わりない。すぐに慣れるのは私自身で実証済みだ・・・私の場合は包丁の方が先だったがな」
「・・・包丁だけ、握っていたかったですか?」
 見上げてくるセイバーの瞳に映っている相手が自分ではなく同じ名を持つ少年であることを見て取り、苦笑を深くしながら首を横に振る。
「私はそんな事も考えたことはあるが・・・あいつは、どうだろうな? 私が生涯果たせなかった生活を楽しむということを自然にこなすあいつならば案外あっさり両立―――何をニヤニヤしているか槍バカ」

                          サムズアップ 
 ぎろりと睨まれランサーはニンマリ笑って親指を立てた。

「いやいやうんうん、そうだよなっていうかむしろ任せとけ。このオレが少年が人生を楽しめるよう手取り足取り三本目の足取り導いてやるからさ」
「三本目・・・ですか?」
「セイバー、君が想像しているような不思議な何かではないから気にするな。そしてあの頭の中がピンク色のカビでびっしり覆われているポンコツのことは無視だ」
「るんらら〜って誰がポンコツさんだよコラ・・・萌えるじゃねぇか」
 アーチャーは、心底げっそりした顔で包丁を握り、まな板にぶちまけたチョコレートにそれを叩きつける。
「喰らえ! っていうかむしろ死ね馬鹿槍! その性根が直るまで刻み続けてくれる!」
「おまえそれむなしくないか? 生産性がねぇ事を・・・そりゃっ! どうだむっつり弓っ子! その真面目顔が緩むまで! ボクは! やめないッ!」
「・・・本当に、貴女達は仲が良いですね」
 二人してうりゃうりゃとチョコを刻む赤いのと青いのを眺めてセイバーはやや呆れ顔で包丁を自分に割り当てられたチョコに当ててひと考え。
「えと・・・シ、シロウ! もっとしっかりしないと駄目ではないですか! その・・・あ、あ、あ、愛の鞭と思って心して受け止めなさいッ!」
「・・・セイバー、それはちょっとどうかと思うが」
「つぅか、オレ達は別段そういう意図でネタしこんでるわけじゃねぇんだけどな・・・」
 アーチャーとランサーは苦笑を浮かべて顔を見合わせ、今度は普通に包丁を振るう。
「あれだなしかし。平和な光景だよなぁ・・・オレら、本来は殺し合い前提で集められてんのにな」
「ふん、聖杯戦争か・・・受肉してしまっておいそれと座にも帰れん上に聖杯が手に入る可能性がゼロに等しい現状、やる気が出ないのは確かだな」
「つうか、オレやおまえがこの状態でも座に帰れるもんなのかは疑問だけどな・・・お、ちょっとコツつかめたかもしんねぇ」
 タンタンタン、とリズム良く響く包丁の音をバックにセイバーはくすりと笑みを漏らした。
「生きていた頃に一度厨房に忍び込んだことがあるのです。あちらの食事は、その・・・欠点が多めでしたので、これならいっそ自分でと。城の魔術師にすぐ見つかってしまったのでその時は断念したのですが・・・まさかこんな日が来るとは夢にも思っていませんでした」
 楽しげな声に自然表情も緩み、三人はそれぞれの音色でまな板を鳴らす。
「よし、こんなところだな。セイバーもそこまでやれば問題ない。ランサーのは・・・」
「おう、オレのはどうよ」
「・・・どうでもいい。適当にやれ」
 冷たく言い捨てられてランサーはうむと大きく頷いた。
「言うことなしか。まぁなぁ、オレってほら、何やってもバッチリだしな。なんつうか良妻賢母?」
「―――さてセイバー、次はこっちのボウルにチョコを入れてだな」
 ウィンクしながらポーズをとる姿をさくっと無視してアーチャーはどんっと小振りのステンレスボウルを取り出す。
「・・・つっこめよ」
 拗ね気味の声と共にわき腹をつっつかれてアーチャーはうぉっと小さな声を漏らしてからその指を振り払った。
「黙れ。貴様などせいぜいが総裁選挙だ」
「って音が似てるだけじゃねぇか。せめて要塞占拠とか言ってくれ。そっちならやったことある」
「あの、睦言も結構ですが授業を進めてもらえませんか?」
 うがーとかしゅがーとか威嚇しあっていた二人にセイバーはしゅたっと手をあげて要求する。久々の委員長スキル発動にアーチャーは咳払いを一つして気を取り直す。
「そうだな、時間は有限だ。先へ進もう。コンロに鍋をかけて水を張って50度くらいまで暖めてからこのボウルを入れる。幸いうちのコンロは二連が二つだ。三人同時にできる」
 火力強めで湯を沸かすそれぞれの鍋を見つめて三人は手持ちぶさたに並び立つ。
「・・・ところで、二人はどんなチョコレートを作るつもりだ? 物によってはもう一度買出しに行かなくてはならないが。ランサーが」
「そうそう、あんまり変わったのだともう一回商店街に行かなくちゃなんねーぜ? アーチャーが」
「だから貴女方は何故に意味も無くいがみ合うのですか・・・」
 セイバーはため息をひとつついて先程まで読んでいたレシピを開いてみせる。
「これなど良いと思うのですが、どうでしょう」
「ほう、マンディアンか。ナッツ類がざくざく入った食感が良く食べ応えがあるチョコレートだな」
 アーチャーはふむと頷き床下食料庫からナッツやアーモンドのパックを取り出す。今度クッキーでも焼こうかと買い込んでおいたものだ。
「どれどれ? なるほどなぁ、ボリュームありそうだ・・・っていうか、これセイバーが食いたいだけじゃないのか?」
「う゛? い、いえ、そんなことはありませんですよ?」
 セイバーは微妙に引きつった笑顔で首を傾げて見せた。自分ではそんなつもりは無かったのだが、そう指摘されると否定材料も無い。
「気にするなセイバー。そいつなど買出しの時にチョコに合うぞーとかほざきながらブランデーを買っていた位だからな。ただ自分が飲みたいだけだろうに」
「おうよ、少年から口移しでな」
 輝く笑顔でヴイサインなど出すランサーにアーチャーは冷ややかな一瞥を加えて肩をすくめる。
「だから言っただろう? このような阿呆の言うことをだな―――セイバー? セイバー?」
 返事が無いことに眉をひそめ、セイバーの顔を覗き込むと。
「・・・その手がありましたか」
 ごくりとつばを飲み込み、瞳に炎を燃やす少女が一人。拳握り締め煮え立つ湯を見つめて期待の笑みを浮かべている。
「―――沸かしている間に下ごしらえをするぞ。マンディアンならこのナッツ類をから煎りする。ちょうどコンロも一つ空いていることだしな」
 スルーという技を覚えたアーチャーは淡々と呟きながらフライパンを取り出し、コンロに載せて火をつける。強火でしばし待って熱くなってきたところでアーモンドとカシューナッツを放り込む。
「セイバー、後は自分でやれ。適当にかき混ぜているだけでいい」
「そんな、柔らか―――はいっ!?」
 何を妄想していたのかもじもじと自分の唇を撫でていたセイバーは急に声をかけられて急速に正気に戻った。アーチャーが憮然とした表情で差し出した菜箸を反射的に受け取り、あわあわとフライパンの中をかき回す。
「・・・いや、もう少しゆっくりで構わない。その代わり全体を満遍なく、な」
「は、はい・・・」
 赤くなってゴホゴホと空咳で誤魔化しているセイバーにやれやれと呟きアーチャーは自分の用意に取り掛かった。買って来ておいたチョコレートスポンジを取り出してザルにあけ、ボウルと重ねてからヘラでゴリゴリと押しつぶし始める。
「お、なんか料理っぽいことしてんな。おまえ何作るんだ?」
「まだ秘密だ・・・というかおまえこそ暇そうにぼぅっとしていていいのか? 下準備を後からすることは出来ないのだがな?」
 知っとるわいと半眼になってランサーは鍋を見つめる。
「凝ったのを作る気はねぇよ。手はぬかねぇけどな。ま、オレに秘策有りってヤツだ・・・っうか、温度、50度超えそうだぞ。 下ごしらえとやらは終わりそうなのか?」
「ああ、私は平行して作業できるからな・・・うむ、セイバーもそのくらいで問題ない。火を止めて皿にでもあけておけ」
「あ、はい、ええと・・・」
 さらっと指示されたセイバーは箸を止めてコンロのつまみを見つめ、そのまま困り顔で硬直した。はて、これは右に回すのだったか左に回すのだったか。いや、そもそも押すか引っ張るかしなければならないのではなかったか?
(・・・キュートだ)
 あたふたする姿を見つめてアーチャーは内心で満ち足りた呟きを漏らし、それを表情には出さずにいつも通り肩をすくめる。
「右だ。押し込んで捻るのは点ける時だけだからそのまま止まるまで捻っておけ」
「ええ・・・あ、消えました」
 フライパンから大皿へと炒った豆をあけるセイバーをよそに、アーチャーはチョコレートの入ったボウルを鍋の湯へと入れる。
「余計な水が入らないように温度計を拭いてからチョコへ入れ、まずは46℃になるまで溶かす。木ベラでかき混ぜながらな。ちなみに、その温度になったら今度は26℃にまでさます」
 率先して静かにボウルの中身を混ぜる姿を真似ながらセイバーはふと首をかしげた。
「それにしても何故46℃に26℃なのですか? 中途半端な数字ですが」
「うむ・・・説明しても構わんが、おそらくつまらんぞ?」
「つまり、知らないんだな?」
 微妙に濁された言葉に即座にランサーがつっこみを入れると、アーチャーは露骨にむっとした顔になって目を細める。
「チョコレートの中に含まれるカカオバターは5つの異なった脂肪分子で構成されていてな、常温ではそれぞれが結晶になっているのだがその状態だとチョコレートは光沢もでないし舌ざわりも悪いのだ。それを改善するにはチョコレートを一度溶かしてよく混ぜ合わせ、一つの安定した状態にすればよいのだが各分子は融点が26℃、28℃、29℃、30℃、31℃とバラバラなのでただ溶かして固めるだけでは分子の配列が崩れてしまうのだ。そこで融点の差を逆に利用し構造をβ型に―――」
「だぁああっ! てめぇこっちが理解しきれねぇのわかってて情報垂れ流してやがるな!?」
「うむ」
「普通に頷くな! くっ、このオレがナチュラルにツッコミへ回されてしまうとは・・・『厨房のアーチャー、雑木林の凛』か・・・恐るべし」
「適当な格言を作るな」
「もういい加減口を挟む気も失せてきましたが私のチョコは温度がそろそろ46℃なのですが」
 セイバーはふぅとため息をついて苦笑を浮かべた。仲良きことは、美しきかな。しかし、完成までにはずいぶんと時間がかかりそうだ―――

 

11-14 『記憶の闇、記憶の光』

「・・・えっと」
 柳洞寺境内、長い石段に続く参道の端に嬉しげな表情でしゃがみこんだバーサーカーに、イリヤは少し引きつった笑みを浮かべて見せた。
「その、なにしてるの? バーサーカー」
「オンブ」
 簡潔な一言と輝く笑顔にやはりそういうことかと心の中で滑舌悪く呟きながらちらりと伺えば、一成となにやら話している士郎の微笑ましげな視線とばっちり遭遇。
「う・・・」
 まずいまずいそれはまずい。姉的にみて、弟にそんな目でみられるのはめーな感じだ。
「は、恥ずかしいからやめとくわ。わたし、レディだし」
「がぅ・・・」
 反射的に口にした言葉にあからさまにがっかりした様子で立ち上がるバーサーカーにイリヤはわるいことしたかなーと眉を下げて少し後悔。あちらを立てればこちらが立たず。人間関係というやつは本当に難しい。
「やれやれ…じゃあ、俺達は帰るよ。壁の事、ほんとすまん」
黙ってしまった二人の姿に軽く苦笑を浮かべて士郎は振り返って一成に頭を下げた。
「なに、衛宮には世話になっているからな。あの程度のことどうということでもない」
 気をつけて帰れよ、と笑みを浮かべる一成にもう一度じゃあなと挨拶をして士郎達は石段を降りはじめた。日傘を揺らしながらちょこちょこと歩くイリヤに歩幅をあわせるためにゆっくりゆっくりと歩を進める。
「うぅ、なんでこのお寺はこんな高いとこにあるのかしら」
 ぺったんぺったんと石段を踏みしめるのにも飽き、体面とか考えずにおんぶしてもらえばよかったかなぁなどとイリヤが思い始めた頃。
「・・・衛宮、帰るのか?」
 不意にかけられた抑揚の無い声は、葛木教師のものだった。作務衣を着込み、機械のような正確さで枯葉をかき集めている。
「ええ、屋根の修理が途中でしたし」
 士郎は会釈と共にそう言って通り過ぎかけ、ふと疑問を得て立ち止まった。
「あの、先生。さっきはジャージ着てませんでした?」
「先程まではプライベートだったからな。今は寺の仕事をしているのだから、それ相応の服を着るのは当然の事だ」
 さすが誤字一つでテストを中止した男。生真面目オブザイヤーです、などとどこかで聞いたことのある言い回しで思いながら士郎が頷いていると、不意にイリヤが手を打ち鳴らした。
「知ってる! そういうの、日本ではオイロナオシっていうのよね?」
「イリヤ、それは結婚式の―――」
「その通りだ」
「冗談でしょう!?」
「冗談だ」
 反射的につっこんだ台詞に真顔で頷かれ、士郎はうぅと悲しく唸る。わかっていたことだ。この街に、まともな人間なんて存在しない。
「・・・じゃあ、さようなら」
「待て、衛宮」
 ぐったりしながら一段降りたところで呼び止められた。振り返れば、先程と変わらぬ巌のような無表情。だがその真面目な表情がこの世界ではいまいち信じられない。
「えっと・・・なんですか? 先生」
「衛宮の家に泊まっている、キャスターという少女の事だが」
 また何か狂った台詞が飛び出すかと身構えていた士郎は、思いも寄らない名前にきょとんと目を見開いた。
「・・・メディ・・・キャスターちゃんがどうかしましたか?」
「彼女は―――本当に子供だっただろうか」
 次いで放たれた言葉に、士郎は動きを止めた。確かにキャスターは子供の姿と大人の姿を使い分けているが、それは人間としてはあまりに不自然であるが故に秘している情報だ。彼が知っている筈はないのだが。
「ぁあ、えっと・・・」
一瞬の戸惑いを隠す為に一度呼吸を挟んでから言葉を返す。
「キャスターちゃんは子供ですよ。一目でわかるでしょう?」
「ああ、その通りだ。衛宮」
 返答が鈍い。士郎は、葛木宗一郎という男が迷っている姿を初めて見た。
「だが・・・何故か、気になる。私の記憶にそんなものは無い筈なのに」
 表情を作れぬその顔に僅かな困惑を込めて、葛木は首を振って呟く。
「私の知っているメディアは、あの姿ではなかったのではないかと考えることを、止めることが出来ない」
 答えるべきことを見つけられず口を閉ざす士郎に葛木は静かに言葉を続ける。
「最近、夢を見ない。2週間ほど前から見続けていた彼女の夢を。そして、最後に見た夢は―――」
 振り向いた葛木の視線は頭上。石段の上に静かに佇む柳堂寺の本堂。
「私が解体される夢だ。何かに引きちぎられた私から噴き出す血に塗れて呆然と立ち尽くす彼女の姿を最後に、記憶とそぐわない夢は見ていない」
「―――く」
 抑揚の無い台詞は、しかし鮮烈な痛みを士郎の中に打ち込んだ。闇と血、そこに沈む死体と立ち尽くす女。そしてその夜―――
「―――シロウ?」
「あ・・・」
 労わるようなイリヤの声に士郎は我に返った。心配げに顔を覗き込むバーサーカーに大丈夫と手を振ってみせ、額に浮いた汗を拭う。荒い息を収めようと深呼吸をする姿に、葛木は常の無表情を取り戻して首を横に振った。
「・・・夢だ。衛宮。所詮、夢に過ぎない。くだらない話につきあわせてすまなかったな」
 それだけ言って、話は終わりとばかりに再度箒を動かし始める。
「い、いえ。じゃあこんどこそ俺達は帰りますので・・・」
 もはや視線を向けることも泣く黙々と働く背中に軽く頭を下げ、心の奥底から這い上がろうとする冷え冷えとした記憶を振り払いながら士郎はぎくしゃくと石段を下り始める。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 無言のまま下山を終えて振り返ると、掃除も終わったのか葛木が山門に消えるところであった。その背中が見えなくなると、意味も無く肩が軽くなったような気がする。
「シロウ、ダイジョウブ? オナカイタイ?」
「いや、そんな子供が元気ないみたいな目で見られても」
 苦笑して士郎は深呼吸し、体の中に芯を通すようなイメージで背筋を伸ばして気を取り直す。腐っても魔術師、糸を引いても納豆。自分の身体のコントロールは得意分野だ。
「あー、やっと落ち着いた・・・それにしてもさっきの話、どう思う?」
 さっきの緊張でこわばったままの筋肉をほぐしつつ歩き出した士郎の言葉にバーサーカーはがぅと首をかしげる。
「センセイノ、コト?」
「ああ。メディアちゃんのは葛木先生がマスターだった気がするって言ってたけど、遠坂が調べても先生は魔術師じゃないって結論だったし・・・魔術師じゃないマスターってありえるのかな」
 聖杯戦争のルールに疎いランクは文句なしのA+++、これより後は令呪の存在すら知らないEXくらいしかないという士郎の問いにバーサカーは大きく頷き。
「ドウナノ? カイセツノイリヤサン」
 さらっとスルーをしてみせた。自慢ではないが普段は狂化しているぼんやりさんだ。ルールとか気にしたことはあまりなかったり。
「んー、召還手順そのものは限定礼装とか召還陣とかで代行できるけどそれを起動するにもサーヴァントを維持するにも回路と魔力が必要となるから基本的にはありえないかな、実況のバーサーカーさん。って、バーサーカーからそんなネタを振られる日が来るなんて思ってもいなかったな・・・」
 うーむと線目で唸るイリヤをよそに、士郎はふむと頷いてみせる。
「俺自身が手順を代行したケースだけど回路はあるもんな。今になって考えれば、あれは親父が前回使った召還陣だったんだろうなぁ・・・」
 感慨深げな様子にイリヤは一瞬だけ顔を空に向け、首を振ってからまた口を開いた。
「だから、魔術師以外のマスターってのは普通ならありえないの。でも、召還されたサーヴァントがマスターを失った後に現世との接触点を一般人に求めるのはありかも。魔力の供給は受けられないけどそれは別の方法で補充できるし。えっちとか」
「エ、えっち・・・」
 さらりと言われて士郎は赤くなってバーサーカーに助けを求めるが、そっちはそっちでぽっと頬を染めてなにやら妄想にふけっていらっしゃる。そのまま放置しておくとまた絶叫しながらどこかへ走り出しかねないので話題転換。
「ま、まあ現状で先生が何かすることは考えにくいしこっちは放置しとこう。それより屋根の修理を早くやっとかないとな。屋根瓦をはがしたままなんで今日中に済ませないと雨とか降ったらやばい」
 うむと修復スケジュールを頭の中で組み立てなおす姿にバーサーカーはこっちの世界に帰還して士郎の顔を覗き込み。
「イソグナラ、ノッテク?」
 そのまま前に回りこんでしゃがみこみ、背中を見せてひょいひょいと手を動かす。
「お、おんぶ?」
「ヒトットビ」
 どんとこいと待機する姿に屋根を跳び跳び帰宅した夜を思い出して冷や汗を流す。それは小脇に抱えられて夜空を舞った素敵なスターライトセレナーデ。
「い、いや、気持ちはありがたいんだけど昼日中にそこまで人間離れしたところ見せるわけにもいかないだろ? 一応魔術とかサーヴァントとかの話は秘密だからさ」
「がぅ、ゴメンナサイ・・・」
 それもそうかとがっかり顔で俯く姿に士郎は悪いこと言っちゃったかなと視線でイリヤに助けを求めたが。
「わぁ、シロウったらひどーい。純真なバーサーカーの気持ちを裏切るなんて正義の味方のすることじゃないよねー?」
「ぐ・・・た、確かに・・・」
 当のイリヤは小悪魔っ娘スマイルを全開にして追い討ちをかけてきた。背後からの強烈な一撃に騎乗もやむなしかと覚悟を決めかけた士郎だったが。
「・・・ナラ、イリヤ、ノル?」
 バーサーカー本人は、あっさりとターゲットを切り替える。
「え゛・・・わたし?」
「うん、純真なバーサーカーの気持ちを裏切るなんて素敵なレディのすることじゃないよな?」
 思わずたじろいだ幼女に士郎は反射的に爽やかな笑みで追い討ちを入れた。なにやら赤いオーラ漂うその佇まいにイリヤはぺちぺちとその二の腕を叩いて叱責する。
「しっかりしてシロウ! その意地悪、リンのが伝染ってるよ! 目を覚まして!」
「むぅ、ついさっきも聞いたような台詞を・・・俺、そんなに染まっちゃってるかなぁ」
「なんでちょっと嬉しそうなの?」
 文字通り朱に交わればなんとやらというヤツかと困るような嬉しいようなむずがゆい青春の何かを感じているらしい士郎にイリヤはやれやれと肩をすくめてバーサーカーの方に視線を戻した。
「・・・ノル?」
 期待に満ちた眼で待機中のサーヴァントを眺めて脳内で断った時の反応をシミュレート。結果は涙目で我慢するバーサーカーの姿。家へつくまでずっとそれではさすがに気まずすぎる。
「うぅ・・・仕方ない、お願いするね。バーサーカー」
「ガッテン」
 っていうか、なんでわたし自分のサーヴァントに命令じゃなくてお願いしてるんだかと憮然としているとバーサーカーはおもむろに立ち上がり、イリヤの背後へ回り込んだ。
「って何してるの?」
「イリヤナラ、コッチ」
 楽しげにそう言って少女の両脇を掴んで『たかいたかい』をするようにひょいっとその身体を持ち上げ、自分の首に座らせる。いわゆる肩車である。
「わ、わたしスカートなのに・・・」
「とりあえず、見えてないぞ」
 呻いた言葉にあっさりと答えられてイリヤはため息をついて諦めた。はしたないが、この高さは幼女的にはココロオドル。
「じゃ、帰ろっか?」
「がぅ!」
「・・・うん」
 そして、士郎の号令を合図に三人は歩き出した。今日も今日とて天気のよい昼下がり、口下手なバーサーカーと共とあって言葉は少ないが、家族的な空気は悪くない。
「・・・んー」
 いつもと全く違う高い視点。魔術を使えばそれこそ鳥瞰図でもって町を眺めることも可能だろうが、それとはまた違う生身でしか味わえない高揚もある。
(何やってるのかしらわたしも。すっかりこのムードにのまれちゃって)
 リミットの近さと予想される崩壊についてわかっていながら一向にわかぬ焦燥に苦笑を漏らし、イリヤは眼下の士郎に目を向けた。
「・・・?」
 眼が合えば、士郎は穏やかな笑みでこちらに視線を返してくれる。向こうでは結局見ることのなかった彼の笑顔は、冬木へ来る前に見た古い写真に写っていたものによく似ていた。
(ううん、アレよりも楽しそう?)
 ぶらぶら足をふって過去を想い、そういえば最初はこの人達を殺そうと思って来たんだっけと更に苦笑。ん? と首をかしげる士郎にちょっと考えてから声をかける。
「シロウ、今・・・楽しい?」
「むしろイリヤの方が楽しげに見える」
 軽く切り返して士郎は視線を前へ戻した。己の内面へ目を向ければ、そこには依然としてあの赤い町と怨嗟の声がある。だが、今は己を責めるその全てが自ら作り出したものであることを理解している。
 救えなかった自分を許すことはできない。だが、それを理由に己の枠を狭めるような事はもうやめたのだ。だからこそ。
「・・・ん、楽しいよ」
 その言葉を、素直に口にすることが出来る。心の歪みは、生涯消えることはないとしても。
「・・・そっか」
 イリヤは、小さな笑みを浮かべて頷いた。それが代償行為に過ぎないと知っていても、存在の上では弟にあたるこの少年が救われつつあり、そしてそれ以上に誰かを救えるかもしれないという事実が不思議なほどに嬉しい。
「それを大事にして、シロウ。きっとそれが・・・切り札になる。あなた自身のことにも、あの娘達のことについても」
 見下ろす少女の視線から感じる暖かな親愛に士郎は既視感を覚えた。凛やサーヴァント達から向けられるそれとはまた違うそれは―――
「切嗣?」
「え?」
 思わず漏れた言葉に今度はイリヤが眼を丸くする。
「あ、や、ごめん。なんでもない」
慌てて首を振る士郎にしばしきょとんとしていたがその言葉の意味が己の中へ溶け込んでいくに従い表情は笑みになり、目を細めて空を見上げる。
「そっか、わたしもなんだかんだいってもエミヤなんだ―――」
「は?」
 今度は士郎がきょとんとする番だ。なんでもなーいと少女を取り戻してイリヤは悪戯っぽく笑い、口を挟まず黙々と歩いていてくれたバーサーカーが太ももを軽く叩いてよかったねと告げるのにありがとうと頭を撫でて返しながらパタパタと足を動かす。
「・・・・・・」
 その穏やかな光景に士郎は細かいことを考えることをやめた。小さいながらも女の子だ。理解不能も当然だろう。それでも、彼女が嬉しそうなことくらいはわかる。今はそれで十分だろう。
 三人で歩く、冬の午後。
 穏やかな時間は、近所の冬木マダムに隠し子疑惑の集中砲火を喰らうまで十数分続いた。

「娘じゃないーーーー!」

 

11-15 作戦名「チョコレート工場の秘密(仮)その2」

「お、32度」
「私もです。湯から外していいですか?」
「ああ。布巾で水滴を拭ってテーブルに置いてくれ」
 口々に報告する二人に頷き、アーチャーは温度をチェックしてから自分のボウルもお湯から外した。
「後は好きな型に流し込んでからトッピングを施して冷蔵庫へ入れれば調理完了(クッキングアウト)だ」
 淡々と説明を続けるアーチャーにセイバーはわかりましたと頷いてから質問を投げる。
「何か気をつけることはありますか? 難しい手順とかは・・・」
「なに、難しい筈はない。不可能な事でもない。もとよりその金属型は、ただそれだけに特化した調理用具――――!」
 変なスイッチでも入ったのかぐっと拳を握って力強く告げる姿にきょとんとしながらセイバーは金属型にそろそろと溶かしたチョコレートを型の中ほどまで流し込んだ。炒ったアーモンドを適当に載せてからもう一度流し込み、表面にスライスアーモンドをパラパラと落とせば一個完成だ。
「ああ、確かに・・・少々苦手分野だと気を回しすぎましたか」
「そうだな、だが気を抜いていいわけでもない。少し勢いが良すぎたので表面に波紋が出来ている。ゆっくりと回して表面を滑らかにするといい」
 了解ですと真剣な表情で金属型を揺らすセイバーに細かいチェックを入れながらアーチャーは自分の作業を進めた。裏ごししたスポンジの入ったボウルに溶かしたチョコレートを流し込み、ラムレーズンと生クリームを加えてさくさくと混ぜ合わせる。
「しっかしそりゃ何をやってんだ? オレらの作業とはかけ離れてるけどよ」
 ランサーの問いに答えず、アーチャーは床下貯蔵庫を空けて一本の瓶を取り出した。
「ん? この臭い、酒か?」
「未開封を嗅ぎわけるな、犬か」
「うるせぇよ、で? なんだそりゃ」
 唸る槍兵にふんと鼻を鳴らしてだばっとボウルに瓶の中身を開け、更に混ぜ合わせながら肩をすくめる。
「大したものではない。これは、ラムボムというものだ」
「「―――ラムボム?」」
 異口同音にそう言ったセイバーが思い浮かべたのは腐った羊肉の塊をカタパルトで城壁の中へと撃ち込む恐るべき攻城兵器であり、ランサーが思い浮かべたのは虎ビキニを着た少女が上下さかさまにした男を頭の上まで高々と持ち上げた後マットへと叩きつける姿だっちゃ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 思いっきり微妙な顔になった二人に眉をひそめ、アーチャーは首を横に振る。
「なんとなく表情で何を考えているかは想像がつくが・・・そういう名称のチョコ菓子だ。ライディーンの新しい武器とかではない」
「いえ、そんなこと全く考えていませんが」
「ああ、つぅかラ・ムー・ボムってことか? わかり辛いぞ」
 何言ってんだろこの人と言いたげな視線に、アーチャーは少し悲しげな顔をした。
「・・・とにかく、そういう菓子だ。ラムボールというものの変形でな」
 気を取り直してから頃合い良しと混ぜるのをやめ、数センチ刻みで切ったタコ糸を中心にに団子状に丸める。出来上がった姿は、たしかに爆弾を思わせる。
「・・・爆発すんのか?」
「流石にそれはない。だが、飛び切り度数の高いラムを使ったからな。さぞ良く燃えるだろう。ヤツの、目の前でな。く、くく、くくく・・・」
 暗い喜びに浸る赤の英霊の姿に何をやっているのだかとため息をつき、セイバーは二個目の製作にかかった。
何しろ失敗は許されない。あらかじめ複数個を作って出来のよいものだけを渡すのが良いだろうと考えたところで、ふとセイバーは手を止めた。
「・・・たくさん作るという事は、いくつか余るという事ですね」
 呟き、ボウルの中でどろりと揺れる暖かなチョコレートを眺める。これだけあれば5つかそこらは作れるだろう。食べ物を無駄にするのは主義的に許せないことだし、余った分は自分で食べてしまっても問題あるまい。なにせ自分の手で作り上げたものだ。何の遠慮も呵責もなく―――
「!? おい、セイバー! なんで物欲しげな眼で・・・いや、それまだ固まってねぇからな!?」
 うつろな眼で机の上を眺め回すセイバーに不吉なものを感じてランサーは慌てて自分のボウルを抱きかかえて確保した。早い動きに反応したのか、表情が変わらないまま竜の目がすいっとその手を追う。
「―――大丈夫、こんなにいっぱいあるのですから」
「オレのを見ながら言うな! おいアーチャー暴走してるぞ! このはらぺこ竜!」
「まあ、おやつの一つも欲しくなる時間だろうからな」
 うむうむと微笑ましげな顔で頷くアーチャーをランサーはなるべくセイバーを刺激しないように気をつけながら睨み付けた。
「楽しげに言ってるけどなぁ・・・こいつが余った分だけ食うなんて器用な真似できると思うか? 勢いで全部食い尽くした後、へこむぞ? 絶対」
 明確にイメージできるその未来予想図にアーチャーはありそうな話だと軽く唸る。
「ふむ、正座が見えるな・・・」
呟きながら伺えば、セイバーはボウルの方ではなくまだ固まっていない型に入ったものにふらふらと手を伸ばしたところだった。確かに、見境がついていない。こうなっては三時の惨事は避けられないだろう。
「・・・仕方ない。奥の手というものを使うしか無さそうだな」
「あん? どんな手だよ」
 首をかしげる槍の人を完全無視し、アーチャーはコホンと咳払いをする。喉に手を当ててアーアーと数度声を出して準備完了。
 息を一つ吸い込み・・・
「―――セイバー、おいしそうだね」
「少年の声だ!」
 その喉から放たれた声は、明確に衛宮士郎のそれであった。
「セイバーが作ったものなら期待できるかな。楽しみにしてるよ」
「は、はい! おまかせくださいシロウ! 文字通りお菓子の王様を―――え?」
 至近距離で囁かれた望み通りの言葉にセイバーは急速に覚醒してえっへんと胸を張り、そのままきょとんとした顔で辺りを見渡した。
 眼に入るのは、そっぽを向いて口笛吹いてる青い人と黙々と作業を続ける赤い人。
「あ・・・あの、今・・・シロウが居ませんでしたか?」
「気のせいだろう。それよりも、早く残りも型に入れてしまうべきだ。中途半端に固まっては全てが台無しだ」
 そっけなく言われて首をかしげながら作業を続けることしばし。
「・・・ひょっとして、完成でしょうか?」
「あー、えっと、これで終わりでいいのか? アチャ子」
「誰がアチャ子か・・・」
 三人の前に置かれたボウルは、全てが空になっていた。問われたアーチャーは無体な呼び名に軽く顔をしかめてから気を取り直して頷く。
「まあ、それはそれとして、完成だ。さっさと冷蔵庫に隠してしまうといい」
 仏頂面のまま言われてセイバーとランサーは顔を見合わせる。脳裏に浮かぶのは戦勝の丘。脳内兵士達の脳内英雄を称える脳内歓声に答え、二人の英霊はバッと拳を突き上げた。
「シロウ・・・この勝利を、あなたに・・・!」
「いや、一体何に勝ったというのだ? セイバー・・・」
 無粋なツッコミなど聞こえない。これは勝利だ。ベテラン兵の援護を得ていたとは言え、まったくの新兵二人が菓子造りという強大な敵に打ち勝つという奇跡を成し遂げたのだ。その偉業はきっと英霊の座にも届き、彼らの新たな力となることだろう。なんとなく。喫茶店でバイトしたりするなら役立つようなスキルっぽい感じで。
「・・・感動しているところすまんが、この際砂時計の砂一粒はキャビアよりも貴重だ。さっさと片付けに入るとしよう」
 アーチャーは勝利に酔っている二人に苦笑をもらし、ライダーがこの間買い込んできた長編小説から引用した警告を投げた。
 ―――セイバー達は半ば忘れているような気もするが、一応これは士郎には秘密の作戦であった筈なのだ。悠長にしている場合ではない。
「む、そうですね。考えてみればシロウがバーサーカーに連れ出されてからかなりの時間が経っていますし」
「ああ。いくらトラブル誘発体質の少年でもいい加減帰って―――」
 現実を提示された二人がこっちの世界に帰って来た時だった。
「ただいまー」
 遠く聞こえた気の抜けた声に、セイバーはビクリと身を震わせた。聞き違える事のある筈も無い、それは彼女の主たる少年の声である。
「奴め、相変わらずタイミングの悪い・・・!」
 チッと舌打ちしたアーチャーの一言で硬直が解けたセイバーは慌てて空になったボウルを両手で掴む。
「こ、ここで見つかってはシロウを驚かせて褒めてもらう計画が台無しに・・・」
「そんな計画だったのか・・・」
 とりあえず手近な物を掴んでみたものの何をどうしたらいいのかわからずオロオロするばかりのセイバーを前にランサーはううむと唸る。
「まずいな、いつものパターンなら必ず少年は居間に顔を出すぜ? 接敵までは適当に見積もって5分弱ってとこだな」
「わかっているならば片づけを手伝ったらどうだ?」
 ツッコミも鮮やかに流しへと鍋やら何やらを叩き込み証拠隠滅を図るアーチャーの言葉に、ランサーは重々しく頷いて見せた。
「いや、ここでバレるのも、それはそれで面白いかもしれねぇからな」
「斬りますよランサー、真っ二つですよ!?」
 言い放つ姿に涙目で吼えながらセイバーは愛娘とも言えるチョコを冷蔵庫の中へと避難させ、素材チョコやら具材の残りやらの散らかりぶりを目にして深く絶望した。
「む、無理です・・・く、最後の戦ですらこんな絶望的な気持ちにはならなかったのですが・・・」
「まあ、英雄の最後ってのは大概こんなもんだよな」
「しんみりしている暇があれば手伝え馬鹿槍」
 ジト目で睨んでくるセイバーびいきの視線にま、しゃーねーなと肩をすくめたランサーを加えて三人は人外のスピードで急ぐが、スキル『片付け』を持たない二人の作業効率は悲しいまでに低い。
「あれ? 誰も居ないのか?」
「がぅ?」
「サーヴァントの気配はあちこちからするし、留守じゃないと思うけど」
 士郎とバーサーカー、それと今朝尋ねてきた白い少女の声は容赦なくこちらに近づき、一方で彼らが目指すこの台所にはいまだそこらに甘い匂いが漂い、チョコの染みがついたエプロンやら卵の殻やらが飛び散ったままだ。
「・・・時間が足りん。あとちょっとだけ足りん」
「お、なんか勇者っぽいなその台詞」
「口ではなく手を動かしてくださいランサーッ! くっ、援軍は、援軍はないのですか!」
 終わりの見えぬ絶望的な戦況にセイバーが思わず小声で叫んだ、瞬間―――

「お呼びとあらば、参上しますよ?」

 涼やかな声と共に、天井板がグルンと円形に切り抜かれて落ちてきた。
「何だ!?」
 いきなり降ってきた丸板をぎょっとした表情でランサーが受け止めると、一瞬遅れて降って来た白い脚がそれを蹴り、地に脚をつけぬまま廊下へと飛び出して行く。
 長い黒髪をポニーテールに後ろへ流し、和服のすそを軽く手で押さえて着地するその姿は―――
「アサシン!?」
 アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎であった。
「ここはわたくしにおまかせくださいね?」
驚きの声に片目を閉じて答え、そのまま前ダッシュへと移行。居間まで後10歩というところへ来ていた士郎へと音も無く肉薄し。
「ふふ、おかえりなさいませ旦那さま」
 蛇が絡みつくかのような艶かしさでもって彼に飛びついた。思わずのけぞった少年の首を支点にくるりと背後に回り、ジャンバーの下の胸を人差し指でくりくりつつく。
「ふふ、お勤めご苦労様でした。ごはん、おふろ? それとも―――」
 本来なら大人キャスターしか発動できない筈のスキル『若奥様』を惜しみなく発揮しながら佐々木は士郎の耳元に妖艶な囁きを落とし・・・
「こ・の・娘?」
 掃除中にいきなり消えた佐々木を探しに天井裏から降りてきたハサンの襟をひょいっと掴んで引き寄せた。
「って自分じゃないんですか!?」
 反射的にツッコミを入れる士郎に佐々木はまぁとわざとらしい驚き顔を浮かべる。
「親子丼希望ですか? ふふ、旦那様もなかなかに雅というものをわかっているようですね」
「いや、雅とか関係ないと思うんですけど!?」
「っていうか、ハサンは食べられちゃうの確定ですか!?」
 そ、それはそれでいいですけどーと密かに乗り気な娘に優しげな笑みを浮かべ、
「先輩なにやって―――」
「もしくは他人丼でも。顔同じですし」
 不穏な気配に部屋から飛んできた桜のスカートをひょいっと掴んで引き寄せる。
「ささ、召し上がれ」
「いや、わけわかりませんよ!? っていうかなんなんですかこの混沌は!」
 両手に押し付けられた同じ顔の少女達を抱えて叫ぶ士郎に佐々木は一歩下がってうんうん頷いて見せた。
「ではごゆっくりー」
「そして自分は去りますか! ちょ、桜! ハサン! 両脇から押し付けるのはうぉおおっ!?」
「・・・肉欲獣」
 悲鳴とも歓声ともつかぬ声をあげる少年の甘酸っぱい情動と心底軽蔑しきったようなちびっこの声を背に佐々木は涼やかな―――そして明らかに面白がっている笑顔で一礼してその場を離れた。
「・・・・・・(GJ)」
「・・・・・・(感謝します)」
「・・・・・・(この天井の穴は、やはり私が直すのか?)」
 そそくさと廊下を駆け抜けながら見れば、証拠隠滅が完了した台所から送られる三者三様の謝意にお気になさらずと返して廊下の果てへとひょいっと消える。
 後には。
「降って湧いたこのチャンス、逃しませんよ先輩ッ! フィーッシュ!」
「あ、駄目ッ! 桜そんなとこ引っ張るのは禁止ーッ!」
「は、ハサンもやるときはやるですぅ・・・!」
「・・・肉欲獣?」
 廊下に響く鳴き声だけが残された。

 

11-16 逆さるかにがっせん

「違う。俺はそういうキャラじゃないんだ・・・受けキャラじゃない・・・受けキャラじゃない・・・受けキャラじゃない・・・よな?」
 梯子を上りながらブツブツ呟く男一人。誰あろう、衛宮士郎の煤けた背中である。
「よっこいせ・・・」
 疲れた声で呟き、屋根に座り込む。傍らには瓦の剥がれたスペースがどんっと広がっているが、柳洞寺に強制連行されるまでに半分以上済ませていたのでのんびりやっても日没までには余裕で終わる筈。少し休憩しても構うまい。
「はぁ・・・学校が休みになってからは静かな時間0だからな・・・少し疲れたよクールト・・・もといパト○ッシュ」
 失われし生徒会室よ、せめて思い出の中で永遠なれなどと呟きながらしばしぼぅっと空を見上げる。ああ、あの雲ちょっと海老天に似てるなあ・・・今夜はあれにするか・・・
「・・・水菜があったよな。それメインでサラダ作って、煮物・・・筑前煮あたり・・・あ、こないだジャガイモ大量に買い込んできたし、肉じゃがもいいかもしれない・・・」
 今晩の献立を考えている内に体中に力が漲ってきた。弄ばれるくらいなんだってんだ。こちとら体は包丁で出来ている。磨耗しきる未来が待ってようが主夫を張り続けられるさと拳を握り、士郎は工具箱を開いた。
「よし、休憩終わり。やるか」
 そして、ごそごそと中を漁ってワイヤーブラシとコンクリメントを取り出し、屋根の破損箇所に向き直る。
「・・・こっちは直せる・・・これは無理だな、交換」
 普段は執事だ家政夫だ受け顔だと言われていても衛宮士郎は魔術師の端くれだ。いざ作業を始めてしまえばその集中力は余人のそれとは比較も出来ないレベルだ。頭から一切の雑念をカットして黙々と新しい瓦を補充し、割れたものは断面を磨いてコンクリメントで接着する。その作業効率たるや、意地になってないかあいつという位早い。
 そのまま機械的に働き続けることしばし。
「・・・ん? なんだ?」
 時を忘れて没頭していた士郎は、玄関から出てきた人物の不審な動きにふと手を止めた。

「・・・・・・」
 まずは音を立てないようにそろそろと引き戸が開けられ、すきまからぴょこんと飛び出した頭が左右にひゅんひゅんと振り立てられた。
「クリア」
 ※クリアとはチェック完了のことです。 俺によーし、おまえによーし、みんなによーし等とお考えください。
 人影が無い事を確認して満足したのかポソッと呟いてその人影は静かに外へ出てくる。すり足で慎重に門へと進み、背後を振り返って目撃者がいないかチェック。
「クリア」
 そのまま門柱にぺったりと背中をつけ、コートのポケットから取り出した手鏡を門の外に出して道路に誰か居ないかを確認。
「クリア」
 呟き、門柱から離れて門の外へ―――出るとみせかけてフェイント。首だけ振り返って背後をもう一度索敵。しばし物音に耳を澄ました後。
「うん、オールクリア」
 視界に敵影無しと判断し颯爽と―――
「何してるんだ遠坂?」
「にゃっ!?」
 ダッシュしかけた所で声をかけられ、凛はその場で綺麗に一回転して転んだ。

 世界が回る。

「うわ、ゴチン、っていったぞ!? 大丈夫か遠坂!?」
「っ、たぁ・・・し、士郎!?」
 地面に大の字になった凛の見上げる視線と屋根から見下ろす士郎の呆然とした視線がぶつかった。
「あ・・・」
「う・・・」
 互いに思考回路はショート寸前。辺りを包む静寂がなんとも痛々しい。
「・・・あの、遠坂」
「・・・なによ」
 数十秒に渡る沈黙を破ったのは士郎だった。対する凛は敢えてここに寝ているのだとばかりに腕組みなどして士郎を睨みつけ。
「大丈夫か? 地面に打ち付けた尻―――」
「『死んで』償え!」
 デリカシーを10年前に公園に置き忘れてきた士郎の言葉を聴き終わるより早く凛は頭上にガンドを撃ち込んだ。

      トレースアウト
「どわっ、投影完了ッ!」

 不意打ちで飛んできた呪弾の一撃に士郎は全速力で干将を投影し、一瞬だけ網膜に映った閃光を脳内で補完して軌道を割り出す。予想ルートへ刃を立てると、ガンといい手ごたえを残して黒い弾丸があさっての方向にすっ飛ぶのが見えた。
「あ、危ないじゃないか遠坂」
 頚骨くらい軽くへし折れるダメージを秘めた強烈な一撃に士郎は冷や汗をかきながら抗議の言葉を吐き。
「ええ、そうね。そしてまだ危ないわよ?」
 凛は、魔力で強化した脚力でもって屋根の上へと一気に跳躍して鋭すぎる飛び膝蹴りを士郎の無防備な顎へと叩き込んだ。ぱぐんっと鈍い音と共に頭が跳ね上がる。
「白が! 白が見えたホワイット!」
「何故もナニもあるか」
 いらん事言って倒れる愚か者の鳩尾にトドメの踵を叩き込んで悶絶させ、ふぅとため息を一つ。
「まったく、余計な魔力使わせないでよね」
「いや、そう思うならもう少しこう、手心をというか」
 ふんだと髪を揺らしてご託宣をくださる赤い人にため息をつきながら士郎はさくっと復活した。またステキナセカイを覗いては嬉しいが身が持たないのでさっさと起き上がる。
「それはともかく、どこか行くのか?」
「ええ。ちょっと遠坂の方の家に行ってくるわ。掃除とかしときたいし」
 何故か少し早口で答える凛に首を傾げ、士郎はふむと頷く。
「なら、俺も行こうか? そういう目的なら手が多い方がいいだろ?」
「ありがと。でも、簡単に様子を見るだけのつもりだからいいわ。士郎には士郎のやることがあるでしょ?」
 コレコレと屋根を指差されてそれもそうかと頷く姿に『セーフ・・・』と小さく呟き、凛は屋根から地上へと飛び降りた。シュタッ、と軽い音だけたてて着地し、何事も無かったかのように頭上を見上げる。
「・・・遠坂、重力緩和の魔術とか使ったか?」
「? この位の高さならそんなもの必要ないでしょ? ・・・じゃ、夕飯の支度までには帰るから」
 ばいばいと手を振って去っていく颯爽とした背中に士郎はううむと唸り、頭をかく。
「掃除とか整頓とか苦手なのに大丈夫なのかな・・・?」
 まあ、うちに来るまで一人暮らしだったわけだし大丈夫かと気を取り直した士郎は、ふとさっき見た光景を思い出して呟いた。
「・・・遠坂のスカートって、ちゃんとめくれるように出来てたんだな・・・」
 独り言への返答は、長距離狙撃のガンド直撃だった。

 ・・・余談ではあるが、その後士郎は確かに見た筈の光景が思い出せずに首を捻ったと言う。
 
 こうして、神秘は隠匿される。

 

11-17 スイートドリーム(バッド?)


 ゴトンと重いものが倒れる音が屋根から響き、台所で作業中だった桜はなんだろうと首を捻った。
「アーチャーさん、大丈夫ですか?」
「私ではない。屋根の上の未熟者が脚でも滑らせたのだろう」
 何故か綺麗に丸く穴が開いている天井を修理すべく屋根裏に上っているアーチャーにそっけなく言われてそうですかと納得し、腕まくりなどして気合を入れる。
「さて、お夕飯の支度もありますし、手早く済ましちゃいましょう。ライダー、ハサンちゃん」
 第一陣であるセイバーチームが去った後、台所を占拠したのは桜とライダーであった。佐々木のトリッキーなパスで合流したハサンも交えてのスリーマンセルな菓子作りは身体の相性の良さ故か、中々にスムーズである。
「でも、佐々木さんはいいのかしら」
 冷蔵庫から卵のパックを出しながら問う桜にハサンは素材チョコの入った鍋をかき回しながらこっくり頷く。
「いいんですぅ、お部屋の掃除を手伝ってくれる筈が床を繰り抜いて逃げちゃうような人はいいんですぅ」
 珍しく拗ね気味なハサンにライダーは温度計を横目に天井を見上げる。
「まあ、風通しが良くなったと思えばそれなりに」
「・・・ぅう、フォロー有り難うですぅ」
「まったくフォローになっていないがな。まあ、すぐに継ぎ目もわからん位に補修してやるから待つがいい」
 天井の穴の向こうから聞こえるアーチャーの声にハサンはありがとうですぅともう一度感謝の言葉を口にする。
「はぅ・・・それでは、天井の事は匠の方にお任せして、気を取り直すです」
 小さくガッツポーズで気合を入れなおし、鍋をかき回す。ナイフで臓物をかき回すのは得意だが、こういう経験はない。中々に神経を使う。
「ぅぅ、目がしょぼしょぼするですぅ・・・明るすぎるですぅ・・・」
 温度計に集中しすぎて寄り目になっているハサンをこれも一つの萌えかと眺めていたライダーはふと己が主に目を向けて眉をひそめた。
「サクラ、何故タマゴの透明な部分だけ選り分けているのですか? 偏食は良くないと士郎が言っていましたが・・・」
「す、好き嫌いなんてないし卵白の味はアレの味に似ているからす―――」
 言いかけてやめる、床競技のエキスパート。確かにと頷くライダーもまた、寝技のスペシャリスト。
「コホン、これはねライダー。メレンゲっていうのを作っているの。わたしはチョコレートケーキを作るつもりだから―――と、ハサンちゃん。向こうにある砂糖取って貰えますか?」
「あ、はいですぅ」
 卵黄は卵黄で生地のベースにするのよ等とライダーに講釈を続けている桜に請われ、ハサンは少し離れたところにある調味料棚に目を向ける。
 砂糖はわかる。白くて甘いやつだ。この身体になる前はまったく気にしたことがなかったが摂取しすぎると余分な肉がつくやつだ。しかし、いったいどれが・・・
「おっきなプラスチックのケースに入ってる奴です」
「は、はいですぅ」
 急かされて素早く見渡せば、指定どおりのケースが棚の上に二つ。さすが大食の都衛宮家です、普通の家の二倍、二倍と感心しながらハサンは右腕を解放。
「よいしょ、ですぅ」
 気の抜けた掛け声と共にびろんと2倍に伸びた手を放り投げるように動かして手前にあった方のケースを掴んで引き寄せ、左手でキャッチ。
「おまたせですぅ」
「ありがとう、ハサンちゃん」
 卵白を片手でガシガシ混ぜていた桜は笑顔で礼を言い、渡されたケースを熟練の手つきで流しに置いた。そのまま計量スプーンを突っ込んで山盛り一杯掬い出す。
「あれ・・・?」
 手ごたえとスプーンからこぼれる粒の粗さに首を傾げるが、動き出したら手は止まらない。桜は勢いのまま計量スプーンの中身をボウルに投入した。
「え・・・」
 柔らかく広がる筈の白い粒がぱらぱらと弾けるようにボウルの中へ吸い込まれていく。その光景は、ある意味とても見慣れたものだが今望んだモノとは明らかに違う。
「こ、この粒の粗さは・・・まさか・・・」
 直感的に閃いた、ただ一文字の漢字を思い浮かべながら桜はおそるおそるケースを凝視した。その蓋に・・・ハサンの身長では棚においてあるときには見えなかったと思しきそこに書いてある漢字は、桜の脳裏に太字で刻印されたそれとまったくのこと同一。つまり。

 ―――塩。ハードコアで有名な、お塩。

「ハサン! Cooking stop! chocolate making stop!」
 それを認識した途端、桜は吼えていた。もはや取り返しの付かない物体と化したボウルの中身を流しにぶちまけて、ロックな台詞じゃない。むしろ俺がロックだとばかりにハサンにシャウトを叩きつける。
「違うでしょ? ナニも違うでしょ? 味が第一違うでしょ? ・・・これが砂糖。これが塩。味が違うから当然名前も違うでしょ?」
 妙な訛りのある発音でまくしたてられ、ハサンは思わずその場に転がった。エプロンをした腹を晒して無抵抗を主張し、せめてもの免罪を訴える。
「ひっ!? ご、ごめんなさいですぅ! ころ、ころ、殺してもいいですけど死体が汚いのは嫌ですぅ!」
「落ち着いてくださいハサン。・・・サクラもすりこぎをフルスイングで素振りするのはやめましょう。煮て良し、焼いて良し、でもたたきはワサビがしみるからイヤという言葉もあります」
 やれやれといった表情のライダーに袖を引かれ、桜はNONONOと首を振る。
「怒ってないわよ? ワタシ全然怒ってないわよ?」
「・・・ほんとですぅ?」
 予想外の無罪判決にハサンが半信半疑で尋ねると、桜はにっこり微笑んで頷いて見せた。
「smile smile againミキコ。・・・GOOD!!!」
 引きつった笑みを浮かべて立ち上がったハサンは、うぅむと眉をひそめてライダーの耳元に口を寄せる。
「み、ミキコって誰ですぅ?」
「・・・昨夜寝る前に聞いたCDにだいぶ汚染されてますね。気にしない方が良いと思います」
「・・・心の舌で味わってくれマセーン」
 天井裏でぽそっと呟く弓の人をよそに、三人は再度チョコ作りを開始した。まだ少し怯えが見えるハサンに桜は怒りすぎたかなあと反省して口を開く。
「こほん、ごめんなさい。ちょっと取り乱しちゃったけど・・・ちゃんとワビを入れてくれればいいんです。つまみ食いとかされたらちょっと腹も立ちますけど」
 自分の大人気ないリアクションを恥じているのか、ごまかし笑いでパタパタ手を振る桜に、ライダーはふと眉をひそめた。その額に、何故かじっとりと汗が浮かんでいる。
「あの、サクラ。仮に、現実の話ではなく仮定として、試しに、たとえ話というか友人の友人から聞いた話くらいに聞いて欲しいのですが・・・」
「? どうしたの、そんな遠まわしに」
 眼鏡がずり落ち気味の激しい動揺に首をかしげて促すと、ライダーはごくりと唾を飲み込んで恐る恐る質問を口にした。
「・・・もし、サクラの大切なひt・・・ものをこっそりつまみのm・・・食いしてしまった場合、どうなるのでしょうか?」
「・・・?」
 桜はきょとんとした顔で数度瞬きをし、そのままニッコリと微笑んだ。
「さ、サクラ?」
 そして、両手を前にのばして何かをキュッと締め上げる仕草をする。
 そう、なんというか、蛇の頚骨をへし折っているような仕草を。
「・・・!?」
「くすくすくす・・・どうしたの? ライダー。なにか顔色が悪いけど。仮で、現実の話ではなく仮定で、試しで、たとえ話というか友人の友人から聞いた話なんでしょ?」
 ライダーはカタカタと震え続けている。
 ハサンは再度その場にひっくり返り、辞世の句を読み始めた。
 桜はただくすくすと笑い続けている。

「・・・見なかったことにしよう」
 だから、天井裏のアーチャーは静かに呟いて階下へ続く穴を閉じた。

 

11-18 王様の舌はうっかりな舌

「よし、バッチリだ」
 台所に吹き荒れている冷気のことなどつゆ知らず、士郎は完璧に補修された屋根を見下ろして満足げに頷いた。労働意欲の充足とか、いいね!
「これで雨が降っても大丈夫だな。普通の雨ならだけど」
 宝具の雨とか降らせる人居るからなーと余人には計り知れぬ悩みを抱きながら梯子を降りて地上へと帰還した士郎を待っていたのは。
「あ、大家さんだねっ!」
「な、ナニッ!?」
 今日はセーラー服な制服王と、異常なまでにわかり易く狼狽する英雄王が連れ立って門をくぐる光景であった。
「ん? ああ、おかえり二人とも」
 士郎はさりげなく投影品だった梯子をさっくりと消滅させてイスカンダル達に向き直り、この二人が食事の後ハヤテのように去っていったのを思い出して首をかしげた。
「そういえば、あんなに急いで何処行ってたんだ?」
 何気なく口にした問い、しかし返ってきたのはあまりにもわかり易い動揺の表情であった。
「な、何もしておらんぞ衛宮! 我はか、買い物になど行っておらん!」
「自分でばらしてどうするのかなっ! 10Ukゲットだねっ!」

 ※Uk=うっかり。事象単位であり、衛宮家においては特に凛とギルガメッシュ周りで使用される。
  散歩中に靴紐が解けた程度のものを1Ukとして換算し、醤油とソースを間違えるで100Uk、
  タンスに足の小指をぶつけるで500Uk、学校で士郎と名前呼びして1KUk(キロうっかり)。
  死亡確認しようとしての泥ダイブに至っては530KUkという脅威の数値を記録し、、測定班の
  間で『私のうっかりは530KUkです。ですが、もちろんフルパワーでうっかりする気はありませんから
  ご心配なく』という冗句が流行るほどであった。
  人類種の限界と思われた530KUkの壁だったが、半年後、同地方にてウォシュレット(略)事件が
  発生、150GUk(ギガうっかり)という数値は他に類を見ないものであり『馬鹿な! 測定器の故障
  か!?』とこの事実を疑問視する学派もある。

               〜アトラス院史料編纂学部著 『萌えキャラまでは何マイル?』より抜粋〜

 それはさておき。
「買い物?」
 士郎の呟きにギルガメッシュはさぁっと青くなり、一瞬置いて一気に赤くなった。ついでに、イスカンダルの髪は黄色い。
「違う! 違うぞ馬鹿者! 何故にこの我が洋菓子屋などにいかねばならんのだ! そんな所には断じて行っておらん! 行っておらんとゆうに何故そんな微笑ましげな眼で見るのだ!」
「ん〜、現在コンボボーナス込みで280Ukくらいかなっ。傷口が広がるばかりだからお口チャックした方が無難なんだねっ!」
 イスカンダルは苦笑混じりにギルガメッシュの肩をぽんと叩き、抱えていた袋からキャンディーを取り出して士郎に放った。
「こっそりお菓子を買いに行ってたんだね。みんなにバレるとたかられるから、これで内緒にしてほしいんだよ」
「っと、別に何も貰わなくても秘密にしろって言われたら秘密にするけどね」
 キャンディーを受け取ってそう言う士郎にイスカンダルはちちちと指を振ってみせる。
「素の状態の大家さんでは凛ちゃんと桜ちゃんの拷問には耐えられないんだねっ! でも、約束とか借りとか背負っていれば、どんな状況でもBGMにエミヤがかけられるよっ!」

 士郎は想像してみた。

『ほぅら士郎ぅ? あなた一体なにを知っているのかしら?』
『や、やめろ遠坂っ! そんな、剥くな・・・!』
『あら先輩。剥くのはこれから・・・あ、必要ないみたいですね』
『!? 桜! 女の子がそんな下ネタ言っちゃ駄目だ!』
『ふふ、つっこみなんかしてる暇ないわよ? 今は士郎がつっこまれる方なんだから』
『遠坂までそんな下ネタでしかもベタな駄洒落を・・・正直親父ギャグだし』
『お、おや―――桜! やぁぁっておしまいっ!』
『はい姉さん。ほうら先輩? 全裸にニーソックスを履かせちゃいますよー?』
『や、やめるんだ桜! そんな抑止力が働きそうな所業は!』
『ふふふ、先輩がこのすべすべ感に魅了されているのは調査済みです。部屋でこっそりうぉーあいにーそとか呟いているんですよね?』
『よそ様のネタだからそれ! っていうか何故それを!?』
『そうだ、凛のニーソが綺麗だったから憧れた!』
『アーチャー!? おまえかぁああっ!』
『故に、人格へ向けられた気持ちなどない。これを変態と言わずなんという!』
『・・・何故かしら。わたしの心も何か痛いわね』
『と、とおさか!? べ、別に俺はニーソだけに魅力を感じてるわけじゃ・・・』
『じゃあ、姉さんに裸ニーソして欲しくないんですか?』
『欲しい』
『・・・・・・』
『・・・・・・』
『・・・・・・』
『……信じられない。男の子に、泣かされた』
『さらばだ。ニーソを抱いて溺死しろ』
『くすくすごーごぼー・・・助けて欲しいですか? 先輩。助けて欲しければイスカちゃんとギルガメッシュさんがどこへ行っていたか―――』
『・・・だから』(ここでBGMエミヤスタート)
『先輩?』
『・・・いんだから』
『士郎?』
『・・・じゃないんだから』
『貴様・・・!』

『裸にニーソだけ履いてほしいと。
 その感情は、きっと誰もが願う理想だ。 だから引き返すことなんてしない。
 何故ならこの夢は、決して。
 ―――決して、間違いなんかじゃないんだから……!』
 ・
 ・
 ・
「いや、駄目じゃないかな。それ」
「大家さん?」
 何故だか酷く磨耗した目で呟かれてイスカンダルはきょとんとした顔で声をかけた。なんでもないと答えて士郎は思考をリセットして二人に向き直る。
「とにかく、二人が出かけてた事を内緒にしておけばいいんだよな? ・・・えっと、全員に?」
「最終的には一人に秘密に出来ればいいんだけど、その為には全員に黙っておくよう大家さんに頼む必要があるんだねっ」
 策士イスカンダルは、そう言ってウィンクなどしてみせるのだった。

 

11-19 続・王様の舌はうっかり舌

「よくわからないけど了解。お茶を入れるから中に入って居間にでも行こうか」
「・・・その辺は、ちょっと状況次第にした方がいいかもしれないんだね。ご家庭内抑止力に阻まれるかもしれないよっ」
 悪戯っぽく言われて士郎はむぅと首をかしげた。そう言えばさっきも佐々木に文字通り絡まれたが、なんだったのか。
 ―――毎年、藤ねえ辺りからしか貰っていなかった男に、真相は悟れない。
「そんな事はどうでもよい。我は荷物を部屋に置きたいのだ。早急に戸を開けることを許してやろう」
「あ、はい」
 微妙に焦り気味なギルガメッシュの命令に答え、士郎は考えるのをやめて玄関の戸を開けた。ぞろぞろと三人が中に入り靴を脱いでいると、居間の方からパタパタと足音が近づいてくる。
「シロウ?」
「ん? どうかしたかイリヤ」
 やって来たのは白い少女と褐色の女。言うまでもなくイリヤとバーサーカーだ。だいぶ打ち解けた様子ではあるが、二人の間の数歩分の距離がまだ完全には絆が戻ってきていない事を無言で語る。
「どうしたじゃなーいっ! お茶の時間だってのにシロウってばいつまでたっても・・・あら?」
 両手振り上げがぉーっと怒ろうとしたイリヤは、士郎の向こう側の二人にきょとんと目を見開いた。
「あなた・・・」
 イリヤの目が向けられたのは、紙袋を背中に隠そうと四苦八苦する縦ロール…ではなく、無意味にやたらと無尽蔵に元気なポニーテールの方だった。
「イリヤちゃん、バーサちゃん。ただいまなんだねっ!」
 眼が合った途端ぴしっと敬礼っぽい挨拶を送ってくるイスカンダルにイリヤはきゅっと眉をしかめた。そのままじろじろと全身を眺め回す。
「ん? どうしたのかなっ? おねーさんの魅力にくらくらかなっ?」
 ニコニコと笑顔でかがみ、こちらと目の位置を合わせるその姿を人外の力を秘めたその瞳で見据え、冬の少女は表情を緩めず口を開いた。
「・・・あなた、なにもの?」
 その言葉にイスカンダルはシュバッと両手を挙げた。そのままくるくると数回転してからスカートの端をちょんと摘んで優雅に一礼。
「問われて名乗るもおこがましいけどイスカンダルと申しますっ」
「イリヤスフィールと申します」
 反射的に同じように一礼してからイリヤはむぅっと頬を膨らませた。
「そうじゃなくて! 人間じゃないでしょ貴女!?」
「てへへ・・・」
「何故に照れる」
 ギルガメッシュのツッコミを聞き流しながら士郎はイリヤに向き直る。
「イスカちゃんは英霊だよ。ライダーのサーヴァント」
「前回から現界しっぱなしなんだねっ! 韻を踏んでて、いいねっ」
 ぶぃっとピースサインの少女に、イリヤの眉間のしわが更に濃くなった。戻らなくなったらどうしようとバーサーカーが落ち着かなげに身じろぎする。
「嘘。貴女は英霊じゃないわ。でも―――」
 むーっと悩む人型聖杯。その素性を知らずとも、ここまできっぱりと言われては戯言とも切り捨てられない。イスカンダルは困った顔でコリコリと頭を掻いた。
「ん〜、英霊じゃないとか言われると困るね・・・それなら、ボクは何者なのかな?」
 問う声に、腕組みなぞしてふんぞり返り状況を見極めていたギルガメッシュもふんと鼻を鳴らして口を開く。
「人形。特別に言い置いてやるが、返答には留意するがいい。こいつは愚か者だが愚か者なりに王だ。我が侮辱を耳にして尚、その首を残しておくなどと思うでないぞ」
「お、愚か者は酷いと思うんだねっ・・・たしかにこんなボクだけど、イスカはかしこいねとか言って貰える展開があるかもしれないんだよっ?」
 仮定なのか。
「・・・英霊以外であるとも判断しにくいけど・・・なにかおかしい」
 相変わらずネジが締まってるのか緩んでるのかわからない会話を繰り広げる衛宮家の面々を完全無視して呟くイリヤの言葉に、ギルガメッシュはふむと頷いた。
「うむ。まぁ、おかしいのは確かだ。主に頭の中身が」
「ひ、ひどいんだねっ! そういう事言う意地悪なギルっちなんて嫌いだよっ!」
「? 意地悪じゃないギルガメッシュさんはどうなんだ? イスカちゃん」
 傍観していた士郎にはいせんせーとばかりに尋ねられて、イスカンダルは深く頷いてみせる。
「―――愛でたい」
「抉られたいという意味だな?」
 ちゅぱっと投げキッスなど贈られたギルガメッシュは真顔のままで己が愛剣を呼び出した。三段ドリルな乖離剣がドリュリュリュリュと渦巻きパニッシャーな擬音を立てて威嚇する。
「違う違う。ボクは攻めに回りたいんだねっ! イスカ×ギルであってギル×イスカはNO!」
「そうか」
 うむとギルガメッシュは頷いた。
「よし、3秒の間逃げる事を許す。死に物狂いで避けてみせよ」
 うはー、ギルっちおとなげなーいなどと叫びながら外へ猛ダッシュを始めたイスカンダルの背に2秒で乖離剣をぶっ放そうとするギルガメッシュにため息をつき、士郎はぽんっとその肩を叩いた。
「ギルガメッシュさん、話ずれてますよ」
「・・・我ながら珍しく常識的なつっこみなるものをしてやるが・・・ずらしたのは貴様だ雑種」
 久しぶりの雑種呼ばわりと共に睨まれて士郎はぅっと言葉に詰まる。
「・・・つい」
「・・・そろそろ、わたしの質問に答えてくれる?」
 しばしの放置にバーサーカーとしりとりなどして圧勝していたイリヤは、ようやく場が落ち着いたのを見て取り呆れ果てた表情で首を振る。
・・・ちなみに、バーサーカーは自分の語彙の少なさにそっと涙していたり。
「あ、うん。どうぞ」
 膨れっ面でそっぽを向いてるギルガメッシュと姿の見えなくなったイスカンダルを気にしながら士郎が頷くと、イリヤは腰に手をあてたイライラしてるんだからねポーズで問いかけた。
「それで、本当にアレは英霊なの?」
「まあ、宝具らしきものも使ってるし・・・ねえ、ギルガメッシュさん」
「うむ。そもそも真実を見通すこの我が見間違いなど起こすなどありえんな。何しろ10年前に奴と戦っているのだぞ?手づからトドメ刺した相手を・・・ん?」
 わかりきった問い。わかりきった答え。故にギルガメッシュは頭を使うことなくそれに答え。
だが。
「どうしたんです? ギルガメッシュさん」
 ギルガメッシュは何故か口を閉ざしていた。
何か今、自分は妙な事を言わなかったか?
「む・・・いや・・・」
 口ごもった英雄王は、違和感にしばし悩み。
「まあ、どうでもよいか。ちまちま悩むなど、性に合わぬわ」
 ぽーんっとそのひっかかりを思考の廃棄物投棄場へと投げ捨てた。うっかり故に口にした台詞を、大雑把故に放棄する。ある意味で、ギルガメッシュここに有りと宣言するが如き展開であった。
「ともかく、我の目は絶対であるぞ人形。奴はイスカンダル、昔と変わった部分もあるが、奴が奴である事に間違いはない。もはや異論など許さぬ。我がそう決めたのだからな」
 胸を張り宣言する、自分と大差ない身長の英雄王にイリヤはしばし悩んだが。
「・・・ま、いいか」
 こちらも取りあえず思考を放棄した。どうせたいせーにえいきょーなしだからと頭の中のゴミ箱へ疑問を放り投げる。端に当たってうまく入らなかったがそのうち士郎が拾ってくれるだろう。放置。
「それはそうとしてギルガメッシュ。そのおっきな紙袋は何かしら?」
 そして、新たなる問いを放つ少女の顔は、明確に小悪魔の笑顔を浮かべていた!
「き、貴様には関係あるまい! お、お、王たるものに疑問を差し挟むとは無礼な・・・!」
「ふふん、私も貴族だもん。それでおーさま? 後ろ手に持ってるその紙袋は何なのかってきいてるんだけどなー?」
 ゆやん、ゆよん、ゆやゆよんと身体を揺らして問いを放つイリヤにギルガメッシュはぐぐっと喉を詰まらせた。
「・・・い、言わぬ。二度も同じ手に引っかかる我ではないわ! そこを退け!」
 だが、ギルガメッシュとて学習機能が付いていないわけではない。先程晒した醜態を挽回すべく、しっしっとイリヤに移動を促す。
「ふふ、まあいいわ。どうぞ」
 ニヤリと笑って脇に退くイリヤに警戒の目を向けながらギルガメッシュは玄関に入り。
「ところで、手作りじゃないの?」
「うむ。我の場合無理をするより財力という持ち味を生かしたほう―――っ!」
 少し角度を変えた尋問にあっさりと答えてしまった(321Uk)。柔らかいわき腹を突かれるとは、思いませなんだなぁ。
「き、きさ―――」
 激昂寸前の英雄王にこわーいと両手をあげ、イリヤはニヤリと子あくま笑い。まったくのこと、魔術師にまともな奴は居ないのか。居ないのだ。
「その袋、駅前のケルンテンのよね?」
「うむ。今の我は和菓子党なのだがイスカンダルの奴が薦め・・・話題の洋菓子店になど行っておらんとさっきから!」
「あら、そのわりには詳しいみたいね?」
 天真爛漫な笑みでさっくり要点を突かれ、ワンマンフォースと恐れられし英雄王がぅうと後ずさる。
「ん〜、そろそろ核心とかついちゃおっかな?」
「く・・・」
 目の前で笑う不敬な人形を消し飛ばしてやろうかとも思うが、それでは口で負けたかのような気がしてなんとなく気分が悪い。かと言ってこのままでは何をばらされる事か。
「ぐぐぐ・・・」
「お、おいイリヤ。ギルガメッシュさんが物凄い顔色になってるし、よくわかんないけど意地悪はよしたほうが・・・」
 気遣うような士郎の態度も腹が立つ。っていうか、こやつの鈍さも少し異常ではないだろうか。なにか妙な宝具でも飲んでいるのではないのか。
(飲む・・・?)
 と。そこまで考えたときだった。ギルガメッシュの英雄脳にぴきーんと閃光が走った。

                              オーラ
「くくく・・・所詮人の創り出した偽りの杯よ! この王気溢れる我が追い詰められるなど有り得ん! はーっはっはっはっ!」

「?」
「?」
「?」
 いきなり笑い出したギルガメッシュに士郎達は首をかしげる。普通の人か英霊が突如高笑いを始めたら頭の中身を心配するところだが、この人は常時こんなものだから大丈夫。
「王の財に驚愕することを許すぞ! 存分に見るがよい!」
 周囲の生暖かい目に気付かずギルガメッシュは手の中に鍵剣を呼び出した。即座に己が宝物庫へ続く空間を作り出し、一瞬置いて中空から落ちてきたものを掴み取る。片手で包み紙を剥がして素早く口に放り込むと。
「うわっ!?」
 ぼんっと白煙をあげてギルガメッシュの姿が消えた。
「エンマク・・・?」
 バーサーカーは万が一に備えてイリヤの身体を抱き寄せてガードの姿勢に入るが、とりたてて何もないままに煙はあっさり拡散した。
そして、煙のはれたそこに。
「・・・あら」
 小さく呟くギルガメッシュの姿があった。
 小柄な身体が更に小さく、縦ロールだった髪も素直なストレートに戻り、体格のわりに豊かだった胸も腰もすとんとなだらかなものへとひっこんで。
「ちっちゃーーーーーーーーーーっ!」
 幼女ぎるたん、爆誕であった。
「あ、お兄様。はじめましてですの」
「しかも礼儀正しい!? っていうか何故にはじめまして!?」
 引きまくりの士郎に幼ギルはだいぶ余っている袖で口元をおさえ上品に笑う。
「ふふ、おおきかったときの記録はありますけど、出会うのはこれがはじめてですからはじめましてですの。それと、わらわの方が年下なので敬語なんて必要ないですのよ?」
「と、年下・・・?」
「そうよ」
 あらあらだぶだぶですのと服やスカートのあちこちをつまんで困るギルガメッシュ(?)の姿に士郎が呆然としていると、イリヤが納得いかねぇといった顔で口を開く。
「さっきその子が飲み込んだの、ちらっと見えたけど赤いあめ玉だったわ」
「赤いあめ玉!? あれか!」
 かつて偉大なる創造神が創り出し、最近になって萌え神が復活させたその宝具のことは士郎も知っていた。インスパイアされた新型は青いあめ玉で若返ると聞いていたが、ギルガメッシュが持っていたのは例によって原型だったのだろう。
「はいですの。未来のわらわはこれなら口を滑らしたりしないからって引っ込んでしまって・・・困ったものですの。自分の言動には自分で責任を持つべきですのに」
「・・・な、なんだかしっかりしたお子様だ」
 普段とあまりに違うその言葉にきょとんとすると、ちびギルは照れくさそうに頬を染めて笑う。
「うふふ、ありがとうございますですの。おにいさまに褒められると、なんだかとても嬉しいですのよ?」
「う・・・どういたしまして」
 むーっと睨んでくるイリヤの眼を気にしながら士郎は頬をかいた。このお子様がギルガメッシュかと思うと、なんだかとても珍しいことを言われている気がする。
「おにいさま、表情がわかりやすいですの。でも、大人のわらわも普段からおにいさまに感謝してるんですのよ? 素直に言えないだけですの」
「え!? そうなのか?」
 問い返され、やんわりと幼女が微笑む。
「はいです。どうしてあんなに強情なのか自分のことですけど不思議ですの。こうやって手を握るだけで、こんなに幸せですのに」
「うぉっ!?」
 きゅっと手を握られ士郎は思わず声を上げた士郎にイリヤはぷーっと頬を膨らませた。自分以外の幼女が愛でられているのが気に食わないのか、じとーっとその緩んだ顔を睨みつける眼が怖い。
「・・・シロウ、嬉しそうね。ぺどふぃりあだったの?」
「!?」
 文字通り白い眼で見られて言葉も無くたじろぐ士郎にギルガメッシュ(小)まあまあと割って入った。
「イリヤスフィールさん、おにいさまを苛めちゃ駄目ですのよ? 大丈夫、おにいさまは貴方をとても大事に思ってますの。わらわにはお見通してですもの」
「べ、別にそんなことで怒ってるんじゃないけど・・・」
 毒気を抜かれたのかイリヤはごもごもと口を閉ざしてしまった。衛宮家の裏チャンプになり得るポテンシャルを持つ彼女をしてこの体たらく。
なんというか、大人ヴァージョンとは別の意味でギルガメッシュは手に負えなかった。
「さて、いつまでもお話していたいところですけど、そろそろわらわは部屋に戻りますの。この辺で失礼させていただきますね?」
「そっか。荷物とか持とうか?」
 即座の申し出に、幼女はいいえと首を振って紙袋を抱えあげる。
「大丈夫ですの。そんな距離じゃないですし、いざとなったら元に戻ればいいだけですの」
「・・・戻れるんだ」
 声に含まれる微量の残念にイリヤの眼がまた冷たくなる。じとっと冷や汗をかく士郎にくすくす笑ってミニガメッシュは頷いた。
「はいです。青いあめ玉の方を食べるだけですの・・・では、ばいばいですの」
「あ、うん。バイバイだ」
 士郎とイリヤ&バーサーカーに二度頭を下げて去っていく背中を見送り一同はううむと唸る。
「あれが成長すると、ああなるのか・・・」
「・・・わたし、ちょっと自分の未来に不安感じてきたかな」
「がう」
 複雑そうな表情のイリヤに苦笑し、ふと士郎は足元に目を向けた。
「あ」
 そこに落ちてた、豪奢なフリルがついたシルクでテカテカした布。
 サイズが合わなかったのでストンと落ちてた英雄王様のアレ。
 口を開くべきか口を開かぬべきか、拾うべきか拾わぬべきか、ポケットに入れるべきか入れないべきか。持ち帰るべきか持ち帰らぬべきか。
 どの選択を士郎がしたのかは語るべくもない。
 ただ、バーサーカーはイリヤの命令で士郎を勢いよく振り回した。
 

11-20 すぃーとどりーむ(グッド)

 ぉおぅおおぉおぉおぉ・・・・

「? ライダー、なにか変な声が聞こえない?」
 どこかから響くドップラー効果のかかった声に桜は軽く首を傾げて傍らのライダーを見た。
「はい。私には士郎が高速で飛行しながら奇声を発しているように聞こえますが」
「ふふ、先輩には羽根とか生えてないわよ?」
 それもそうですねと返してもう一度耳をすますが、もう声らしき何かは聞こえない。
「もう聞こえませんか」
「案外メディアちゃんが中庭の仮定菜園(レギュラー植栽保留中)からマンドラゴラでも抜いたのかも」
 言いながら桜は洗っていた鍋を水切りしてライダーに渡した。腕力が強すぎて何枚もの皿を割った彼女だが、金属製品ならば問題ない。
「それにしてもサクラ、意外な事になんの邪魔も入りませんでしたね」
「うん。イリヤちゃんがお茶の時間だから先輩を出せって言ってきたときはどうなるかと思ったけど、居ないとわかったらさっさとどこかに行っちゃいましたし」
 答え、台所を見渡す。既に三人組のチョコ制作は終わっておりハサンは屋根裏経由でゴミ捨てへ。桜とライダーが担当した洗い物もそろそろ終わりそうである。
「・・・ねえ、ライダー」
「なんですか? サクラ」
 水音だけが響くその場所で、桜は手の中のスポンジを意味無く揉みながら唇を歪めた。苦笑にも至らない、笑みとかろうじて呼べる形に。
「・・・わたし、あなたを誰かに貸し出していなかった?」
 返答まで、数秒かかった。ライダーは布巾で鍋の水気をふき取り、静かに桜へと視線を向ける。
「何故、そんなことを?」
「色々、夢に見るの。学校に張られた結界の事とか、偽臣の書とか・・・でも、結界を誰が張ったのかとか令呪を誰に譲ったのかとかは覚えてないの」
 洗剤をスポンジにかけ、ガラスのボウルを丁寧に磨く。
「・・・ねえ、ライダー。わたし、間桐の家で何かされた筈・・・だよね?」
「・・・・・・」
 ライダーは、答えない。
「・・・回路の質を変えるために蟲を使われた筈なの。でも、誰がそれをしたのかがよくわからない。具体的に何があったのかも、覚えてないの」
 桜は、スポンジに視線を落とし淡々と言葉を紡ぎ続ける。
「この家に来る前はちゃんと覚えていた筈なのにね。忘れる事なんて出来ないことの筈なのにね」
 自分は、養子だ。それはわかる。それは、マキリの魔術を継ぐ為には体質調整をしなくてはならないという事であり、蟲遣いたるあの家に於いてそれがどのような形で行われるのかは知識として桜の中にあった。
「ここに、その証が刻まれている筈なのに・・・ね」
 片手でスポンジを弄び、もう片方の手で下腹部を押さえる。ライダーは表情を作らず、そっと首を横に振った。
「・・・それはきっと、必要の無い記憶だからでしょう。忘れてしまったのならば、それでいいと思います。必要ならばいつか思い出すのではありませんか?」
 問われ、桜はきゅっと眉をよせる。不安げに俯き、掠れるような声で呟いた。
「・・・そうかな」
「そうです」
 矛盾は是正される。破綻をきたさぬように、彼女自身の手で。ライダーはひとつ頷いてから桜の頬へ手を伸ばした。そっとこちらへと顔を向けさせ、正面からその瞳を見つめる。
「サクラ。座に囚われた私達と違い、人間であるあなたは変化を許されています。あなたが不安に思っていることのどれだけが真実なのかはわかりませんが・・・いかに酷い事実がそこにあっても、今のサクラはとても健やかに笑う事ができます。その強ささえあれば、何一つとして恐れる必要など無いと、私は思っています。それに―――」
 淡々と告げ、ライダーは表情を緩めた。さっきはああ言ったが、今の自分達は座の拘束とは関係ないのかもしれない。
 こんなにも、自然に笑みを浮かべられるなど考えたことも無かったのだから。
「―――それに、サクラ。あなたは決して一人ではありません」
「あ・・・」
 桜は小さく呟いた。眼鏡越しに見つめてくるすみれ色の瞳は親愛の色。それは、全ての記憶に共通するものだ。
「・・・うん。ライダーが居てくれるものね?」
「私だけではありません。士郎も、リンも、他のサーヴァント達もあなたを見捨てたりはしないと断言できます・・・まあ、士郎を最初に釣り上げたが故の友釣り効果とでも言うべきなにかのおかげで」
 暖かい言葉から急転直下でぶっちゃけられて、桜はがくっと肩を落とし―――かけ。
「あ、あれ?」
 微動だにしない己の身体にきょとんと目を見開いた。
 視線の先には、どうしたのですかと不審げなライダーさん。

 めがね、ずれてる。

「ら、ライダー! 魔眼、魔眼! グラン・マガン!」
「は?」
 唐突に叫ばれた謎の単語にライダーはぽかんと口を開けた。
「さ、最後のはどうでもいいから、め、めがね・・・めが・・・」
 中途半端にボケてしまったことを悔やみながら自由の失われていく舌でなんとか告げると、ライダーは不思議そうに首を傾げてくださったりする。
「眼鏡・・・? 眼鏡がどうかしましたか?」
 そして、あっさりとその眼鏡を外し、曇ってるのかな? 汚れてるのかな? 傷とかかな? とひっくり返したりナナメから見たりで確認し。
「別段異常はないようですが」
 眼鏡片手に桜の方に不思議そうな目を向けた。
 裸眼で。
「ピ・・・」
「サクラ!? ああ、サクラの一部がこんなにも固く!」
 


 そして5分後。
「死んじゃうかと思った・・・」
「す、すいませんサクラ。決して、決してわざとでは・・・!」
 げっそりした表情の桜にライダーは平謝りしていた。
「ええ、わかってるわライダー。またちょっとドジ娘属性を出して人気を伸ばそうとしていただけよね?」
「ち、ちが・・・」
 両の手を組み、かつてあの最果ての島で日常的にそうしていたようにガクブルと謝り続ける女神メデューサに桜は腕組みなどしてじろりと視線を送る。
「ワビがね、必要だと思うの」
「ワ、ワビ・・・ですか?」
 知っている限り最も高圧的な存在、すなわち凛の真似をしてばさっと髪を翻す桜にライダーは恐る恐る伺いを立てる。
「ええ、ワビ。どんなワビを入れればいいかはわかってるわね?」
「それは・・・わかりました」
 く、と呻きライダーはがっくりと肩を落とした。逃亡や証拠隠滅を含めた数種の手段を候補にいれつつ数秒の間悩み、搾り出すような声で己が主に詫びを入れる。

「―――来月のコミック新刊は、全て私の方で買ってきますので・・・」

 定職の無いライダーの手元にある少ないお小遣いの大半を費やすその決死の提案に桜は目を細め、吟味した。ふむふむと頷き、記憶の中にある新刊刊行表をチェックし。

「り○んと花○めも?」
「は、はい・・・」

 さらにずっしりと重荷を背負わせる。既に泣きそうな・・・否、ちょっと泣いてるライダーを見つめ、桜はふむと頷いた。
「ライダー」
「な、なんでしょうサクラ・・・これ以上レートをあげられてしまいますと、私は消費者金融へ行かざるをえないのですが・・・」
「その前に質屋ね」
 悲壮な声に非情に答え、魔眼返しされたかのように硬直したライダーに桜は―――
「ごめん、嘘よライダー」
 ぺろりと舌を出して笑って見せた。
「え・・・?」
 ライダーは目をぱちくりさせ、ほう・・・と息をつく。
「サクラ・・・」
「ええ、新刊全部買いだけで勘弁してあげる」
「そ、そこは譲ってくれないのですね・・・」
 がくっと肩を落としライダーは電話機の隣に置いてあるタウ○ページに目をやった。バイトしようかなあ。骨董店とか、いいかもなあ。
「ふふふ・・・強く! したたかに! むしりとるだけむしりとる! 姉さんに勝つつもりなら普段からこれ位の覚悟でいかないと!」
 わたしファイトと気合を入れる桜に苦笑を漏らし、ライダーはふうと息をついた。
「楽しそうですね、サクラ」
「もちろん!」
 微笑みを・・・かつては士郎の前でしかみせなかった表情を浮かべて、桜は大きく頷く。
「わからなくなってしまったことや覚えていない方がいいことはいっぱいあるけど・・・でも、これだけは覚えてるの。わたしは、間桐桜はずっとこんな場所で暮らす自分を望んでいたわ。もし聖杯が手に入ったとしたら、わたしはきっとこんな世界を望むんじゃないかしら」
 謳うように、懐かしむように、少女は言葉を紡ぎ続ける。
「ここは、わたしにとっての夢の世界。先輩が居て、姉さんが居て、ライダーが居て・・・友達になってくれる人達が居て・・・喧嘩したりへこんだり怒ったり、大好きな人のことを大好きと言える場所」
 一言区切り、台所の窓から視線を空へ。
「ずっと見ていたいな・・・こんな、甘い夢を」
 最後の言葉は、願い。士郎と同じく、自身に返る望みを持たない筈であった少女が己を再定義する言葉。
「ふふ・・・激甘な夢ですね、サクラ。ドリームマスターな私としては途中辛口であるほうがアクセントになると思いますが? どんなに楽しい夢も日常となれば飽きてしまうものです」
「あら、女の子ですから、甘い夢ならどんなに見ても別腹よ?」
 ライダーは、頷いた。
 いつかあの島を出て三人で暮らしていけると願っていた姉達の夢を想い、頷いた。
「・・・そうですね」
 過去は変わらない。彼女が座に存在している以上あの夢は叶わない。だからこそ、この少女の為の聖杯であろうとライダーは決めた。
「・・・そうでいてください。あなたは」

 その願いは、私が必ず護るから。
 今度こそ、私のままで護ってみせるから。

11-21 SONG

「だからね? えっちなのはこの際目をつぶるにしても、シロウには紳士としてもっとちゃんとして貰いたいと思うの」
「・・・面目ない」
 台所でライダーが決死のワビを入れている頃、士郎は縁側で幼女に叱られていた。
「ちっちゃな子に劣情を感じるのは悪くないけど」
 悪くないのか。
「その場合、ちゃんとおおきくなるまで育てなくちゃ駄目なの。条例的に」
「・・・まったくの事、その通りだ」
 正座した士郎が落ち込んだ面持ちで頭を下げるのを仁王立ちで見下ろし、イリヤはふぅと息をついた。こちらを向いているつむじの辺りをしばらく眺め。
「反省した?」
「ああ。俺、強くなるよ・・・」
 床に着いた拳を強く握りしめて誓う士郎の頭を、そっと撫でる。
「まあ、そんなに落ち込まなくてもいいと思うわ。シロウ」
「いや、考えてみれば一成のところでも調子乗ってたし、屋根修理してるときも余計な事言ってダウンしたし、直後にアレだ。気を引き締めなくちゃ何をしでかすかわからない奴なんだ俺は・・・」
 自虐的な台詞にイリヤは苦笑した。やっぱり士郎はこうでなくてはと内心でちょっと萌える。
「ふふ、ごめんねシロウ。ちょっと苛めすぎちゃったね」
「イリヤ?」
 さわさわと頭を撫でるイリヤの声に含まれる笑いに士郎はきょとんと顔をあげる。
「大丈夫よ。シロウに、その、ちょっと歪んだ嗜好があるのは事実としても」
「いや、そんなもの無い・・・と思いたかった・・・」
 がくっとうな垂れる頭をさらによしよしと撫で、角砂糖を渡してからイリヤはにこっと笑う。
「欲情しっぱなしなのは薬のせいだし、そんなに気にすることないわ」
「・・・は?」
 よくわかっていないのかぽかんとした表情にくすくすと笑いながらイリヤは種明かしを続けた。
「台所が爆発してたでしょ? あの時の煙は媚薬が大量に混ざってたの。他のみんなほどじゃないけどシロウも吸い込んでたからそれに影響されちゃってたんだと思うわ」
「あ、あのピンク色の・・・って、じゃあ遠坂とかもおかしくなってるのか!? あいつ出かけちゃったぞ!? その・・・いきなり外で脱ぎだしたりしたらどうすんだ!」
 路上、欲情、痴情で手錠とNTR属性の無い者にとっては許容しがたい想像が頭をよぎり、士郎は勢いよく立ち上がった。
「ちょっと行って来る! せめてお盆くらいは渡さなくちゃいけない!」
「ジャパニーズ・トレイで何をさせる気よシロウ・・・」
 今にも走り出しそうな士郎の袖を引っ張って止め、ひょっとしたらこれがシロウの素なのかなあとため息をつく。
「大丈夫。他のみんなはあの後解毒したからおかしいのはシロウだけよ」
「そ、そうか・・・ってバーサーカーは? 俺と一緒に飛び出しちゃったぞ」
「バーサーカーにはあの程度の毒なんて効かないわ。あれ、失敗作だからCランクくらいだったし」
 えへんと無い胸張ってイリヤは士郎の肩を押した。促されて縁側に座りなおしたその隣に、ちょこなんとこちらも座る。
「とにかく、今更だけど解毒するから。ちょっとじっとしててね?」
「あ、ああ・・・」
 腹の辺りに指を突きつけられて士郎は少し青ざめた。
 なんだろう。この体勢には覚えがある。むずむずするような危機感がこみあげるこれは・・・
「い、イリヤ、まさ―――」
「えい」
 刹那、ずぷん、と士郎の腹に指が埋まる
「ぅわっ! やっぱりこれか!」
「動いちゃ駄目よシロウ。小腸とかが絡まっちゃうわよ?」
「んなこと言ったってこ、この違和感が、ぅお!?」
 柔らかい内臓をひんやりしてすべすべした指先が撫で回す新感覚いやらし系アクションに士郎はひとしきりもだえ続け。
「うん、これで終わりね」
「・・・ありがとう・・・ございました・・・」
 イリヤが指をきゅぽんっと引き抜いたが早いか、その場に崩れ落ちた。ぜひー、ぜひーと荒い息で倒れ伏し、息を整える。
「あら、シロウもうダウン? はやぁい」
「痛みならいくらでも無視できるんだけどな・・・こう、微妙にくすぐったいのが体内でのたうち回られるとちょっと。あと、最後の一言はやめてくれ。二度と立ち上がれなくなりそうだ」
 苦笑混じりに唸って士郎は立ち上がり、ふぅともう一度深呼吸をした。なんだかんだ言っても男の子。そして魔術師。ちょっと新しい何かに目覚めかけたがもう平気。
「よし、落ち着いた。で、解毒ってのは成功したのか?」
「うん。完璧。副作用とかそういうのも無い筈よ?」
 まかせてと頷く少女にそうかと答え、士郎はぺこりと頭を下げた。
「俺は自分じゃこういうの出来ないし・・・ありがとな、イリヤ。助かったよ」
「どういたしまして、シロウ。でもおなかの中触られて嫌じゃなかった? わたしのこと嫌いになってたりしない?」
 んー、と眉を寄せて尋ねる少女に苦笑で首を横に振る。
「それは、できれば避けたいところだけど・・・薬抜いてもらう為なら仕方ないからな」
「そう? よかったぁ」
 優しい言葉にイリヤはほっとした笑顔を浮かべた。そして、笑顔のままで士郎の体内につっこまれていた人差し指をちゅ、としゃぶり。
「まあ、別に指を入れなくてもできたけどね」
 にたり、と黒い笑いをしてくださった。こあくまじゃ。こあくまがおる。はて、イリヤによく似たこあくまじゃ。
「・・・それはその・・・何故指を?」
「うん、リンがやってたからわたしもやってみようかなーって」
 イリヤは愕然とした表情の士郎を見つめ、んーと首を傾げた。
「・・・駄目?」
「あがん!」
 何故か濁った関西弁で叫び、士郎はがっくりと肩を落とした。
「なんていうか・・・イリヤ、自分は解毒したか? 俺と同じ薬が残ってたりしないか?」
「もちろん。わたしには低いランクの薬では効果がないし、念の為浄化もしてるもの」
 くすくすと笑い、白い魔術師はちょっと真面目な顔をする。
「あのねシロウ、魔術師をやっている限り毒と薬からは離れられないんだからああいう時は気をつけなくちゃ駄目よ? リンだって体質を調整する為に普段から色々薬を飲んでるし、弟子になったのならそれの管理とか任されることもあるの。その時に好奇心で舐めてみて酷い目にあったって知らないんだから」
「う・・・なんだかありそうな未来を・・・わかった。気をつける」
 士郎は苦笑混じりに頷き、イリヤもまたわかればよろしいとばかりに足をパタパタ揺らして空を見上げる。
 ゴタついたところでそれもまた文字通りのスキンシップ。まぁいいかと空を見上げて二人はゆったりと時間を過ごす。
「がぅ」
 しばしまったりとしていると、廊下をたんたん踏み鳴らしてバーサーカーがやって来た。その手には、三人分のお茶とどら焼きが乗ったお盆がある。
「ありがとう、バーサーカー。お茶入れ代わってもらって」
「キニシナイデ」
 バーサーカーはうむっと頷き二人にお茶をくばる。午後は士郎を台所に近づけるべからずという乙女協定に従っての行動なのだが、そこは秘密だ。
「・・・スワッテモイイ?」
「・・・好きにしていいわよ」
 躊躇いがちな問いにイリヤは湯飲みで顔をかくすようにして答える。バーサーカーはしばし迷い、士郎の隣に腰掛けた。士郎を中心にして左にイリヤ、右にバーサーカーという構図だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 それきり黙りこんでしまった二人に士郎は眉をひそめた。人の心の機微には疎い彼だが、この状況が間違っているのはわかる。姉妹が仲違いするとえらいことになるのだ。きっとマスターとサーヴァントだってそうだ。
「・・・よし」
 だから、士郎は素早く立ち上がった。両脇の二人が口を開くよりも速く左へと数歩進み、イリヤの両脇に手を入れて抱き上げ、数十センチ移動させてからよいしょと降ろす。
「え? ちょ、シロウ! レディを荷物扱い―――」
「チェンジ」
 抗議の声を一声で断ち切り、さっきまでイリヤの居た場所に士郎は座った。二人の位置が入れ替わり、士郎、イリヤ、バーサーカーの順になる。
「が、がぅ・・・」
「ぁ・・・シロウ?」
 突然の密着に困惑の声をあげるバーサーカーにイリヤもまた困惑の目で士郎を見上げるが。
「サーヴァントとマスターは仲良くしなきゃ嘘だ」
 しかし、士郎はきっぱりとそう告げて異論や反論を認めない。視線をシャットアウトしてずずっとお茶などすすり始める。
「・・・シロウはサーヴァントシステムをなにか勘違いしてると思うわ」
「・・・カンキョウノセイ」
 イリヤとバーサーカーはため息混じりに二人で肩をすくめて笑った。
「違和感は消えないけど・・・改めて契約したと思えば、あなたは悪くない相手かもね」
 照れ隠しかしきりにお茶を飲みながら言ってくるイリヤにバーサーカーはこくりと頷いて自分の胸をぽんと叩く。
「ドントコイ」
「それ、レディーの台詞じゃないわよ?」
 これは教育の必要があるわねと呟くマスターに表情を緩めたバーサーカーだったが、ふと聞こえた声に落ち着かなげな表情になった。そわそわと何度か立ち上がろうとするが、その度にイリヤをみてやめてしまう。
「? どうしたのバーサーカー」
「・・・ナンデモナイ」
「どうみてもなんでもなくないぞ」
 士郎は呟き、バーサーカーの視線を追ってみる。
「あんりキック・・・とぅ! そしてあんりミテッド・ぱーんちっ!」
「くすくす・・・正気じゃないですね、あんりちゃん」
 そこにあるのは、中庭の外れに池の淵でバタバタと暴れるアヴェンジャー達であった。雑魚っぽく捨て鉢なアクションで飛び回るあんりをまゆが生暖かく見守っている。
「・・・がぅ」
 池の淵からあんりが転落しそうになる度にぴくっ、ぴくっと震えるバーサーカーにイリヤは肩をすくめて湯飲みを傾けた。
「アレは頑丈だから池に落ちたって平気でしょ。怪我もしないし病気にもなる筈ないわ」
「デモ、センタクモノガフエル」
「意外にシビアだなバーサーカー」
 士郎のつっこみにショックを受けているらしいバーサーカーにイリヤはくすりと笑って頷いた。
「行っていいわよバーサーカー」
「デモ・・・」
 何故だかスピンをかけて宙を舞い、池の中に直ダイブを敢行しそうになったところをまゆに蹴り戻されている姿をちらちら見て迷う己が従者に、ぴっと指をつきつける。
「わたしは逃げも隠れも帰りもしないから満足するまで世話をやいてきちゃえ!」
「■■■■■■■■■■ッ!」
 久しぶりのオーダーに気合の声をあげ、バーサーカーは立ち上がった。サンダルをつっかけるが早いか一跳びで中庭の向こう側まですっ飛んでいく。
「・・・ていうか帰らないんだ」
「帰ってほしいの?」
 何気なく呟いた声に頬を膨らまされ、士郎はいやいやと首を振って部屋割りを考える。
「ま、バーサーカーと同じ部屋でいいよな」
「そ、そうね。安全を考えればそれ以外の選択肢はないわ。リズもいないし」
 うん、仕方ない仕方ないと繰り返すイリヤにふと士郎は首をかしげた。そう、何か足りない足りないとは思っていたのだ。
「そういえば、リズとセラ・・・だっけ? あのお付きの白服達はどうしたんだ?」
 そう、乳が足りない。もとい、メイドが足りないではないか。
「ああ・・・」
 問われたイリヤは少し物憂げに湯飲みを床に置き、息をついた。
「あの二人は動かなくなっちゃったからお城においてきたわ」
「う、動かなく!?」
 予想外の言葉に今にも飛び出して助けに行きそうな士郎を両手で制止し、首を横に振る。
「色々無理して連れてきちゃったから回路が歪んじゃっただけ。今は寝てるみたいなものだから時間をかければ直せるわ」
「直せるわって・・・」
 納得いっていない様子にため息をついてイリヤは士郎の鼻先に指をつきつけた。
「大丈夫なの! キャスターとかリンに手伝ってもらえば直す時間も短縮できるしシロウが気にしても無駄だから考えるの禁止!」
「う・・・あれか? 心の贅肉って奴か?」
「リン風に言えばね」
 ふん、だ。他の人の事ばっかりとすっかりご機嫌斜めになってしまったらしいお姫様に士郎は苦笑いを浮かべてドラ焼きを差し出す。
「食べ物で釣るのもなんだけど、どうだ一つ。日本が世界に誇れる物のひとつだと思うんだけどな」
「・・・・・・」
 イリヤはちょっと躊躇ってからそれに手を伸ばしかけ、しかし途中でその手を引っ込めた。
「イリヤ?」
 そしてその代わりに口を開け、こあくまの表情で士郎を見上げる。
「あーん」
「ぐ、それは・・・」
 士郎は頬を引きつらせてこちらに向けられた可愛らしい口と挑発する瞳を見つめた。やらなければ、イリヤのことだから魂を抜くくらいはやってくるかもしれない。かといってそんなラヴい行為を凛や桜やセイバーに見つかった日には。
(今度こそ命が無いかもしれない・・・)
「あーん」
 だが衛宮士郎よ。君にこれを見過ごす事ができるのかね? 少女におねだりされるなどという状況がこれまでの人生であったとでも言うのかね?
 何故か言峰の声で再生されるそんな台詞を脳裏に描き、士郎はゆっくりとドラ焼きの包みを開けた。そろそろとそれを小さな唇へと近づけ。
「あむっ」
 イリヤは上品にドラ焼きへとかぶりついた。もぐもぐと咀嚼し、ぱぁっと顔を輝かす。
「うん、おいしい!」
「そっか、気に入ってもらえたようで嬉しいよ」
ミッションコンプリート
 任務完遂と士郎は汗を拭い、ドラ焼きをイリヤに差し出そうとし。
「次ね。あーん」
 再度口を開けて待機するイリヤの姿にピシリと硬直した。
「あーん」
「あの、イリヤ?」
「あーん」
「さすがに恥ずかしいんだけど・・・」
「あーん」
「どうぞ・・・」
 そうやって苦闘の5分が過ぎた頃。
「ごちそうさまでした。おいしかったわシロウ」
「・・・お粗末さまでした」
 その場には、緊張から解き放たれてぐったりとした士郎と何故か顔の色ツヤがよくなったイリヤの姿があった。
「お礼に今度はシロウに食べさせてあげようか?」
「・・・遠慮しておきます」
 勘弁してくだせえとばかりに自分のドラ焼きを齧りはじめる士郎にくすくすと笑い、イリヤは鼻歌を歌い始めた。しばしハミングしたりやめたりを繰り返してから、うんと頷く。
「ん? やめちゃうのか?」
「ううん。ちょっと作曲してたの」
 士郎の問いに答えてイリヤは軽く息を吸い込んだ。今しがた考えたメロディーと記憶にある言葉を組み合わせて即席の歌とし、縁側から降ろした足でゆらゆらとリズムを取って謳いだす。

 ―――I am the bone of my sword
      Steelismybody,and fireismyblood

「・・・え?」
 その澄んだ声を耳にした瞬間。士郎は思わず自分の左胸を掴んでいた。
 鼓動が、激しい。

―――I have created over athousand blades.
      Unknown to Death.Nor known to Life

士郎はあまり英語の成績が良い方ではない。父であり師である切嗣は英語が堪能であり呪文も英語であった為に彼の呪文も英語で構成されているが本人の語学力はあくまでも学生レベルのものだ。
だが、確かに英語の筈のその歌詞は、何故だか士郎の理解できる言葉に置き換えられて脳へと染み込んで行く。時にそれは違うと歌詞に違和感すら感じる程に。

―――彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う
       故に、生涯に意味はなく 
          その体は、きっと剣で出来ていた

UnlimitedBladeWorks
「無限の、剣製・・・?」
 イリヤの声が消えると共に、士郎は思わず呟いていた。その言葉は初めて聞いたにもかかわらず、ずっと前から知っていたかのように心に馴染む。
 決して忘れてはならぬと心が囁き、そして既に忘れられぬと魂が答える。
「今のは・・・何の歌なんだ?」
「シロウの歌・・・ううん、シロウに近かったシロウの歌」
 問いに微笑みを返し、イリヤは士郎の頭を抱き寄せた。あるかないかのわずかな柔らかさを額に感じ、反射的に凛のそれとサイズを比べかけて思考停止。何もかもが悲しすぎる。
「ちょ、うぉ、イ、イリヤ!?」
「感じて」
 叫び声に帰ってきたのは短い言葉。
「いや、感じてるけどこういうのはまずいんじゃないかな!? イリヤも言ってたと思うけど青少年育成条例的に危険だから!」
「それは後にとっといて、思考を澄ませるの。解析するときみたいに。あっちにあげちゃったから殆ど残ってないけど、それを覗いた時の記録は残ってるから」
 静かな声に士郎は反射的に従って魔術回路を開いた。イリヤに触れた部分に集中して魔力をそこへと通そうと試み。
「あ・・・」
 そして、士郎は見た。それは複雑極まる魔術理論。それは世界卵による心象世界の具現。それは魂に刻まれた『世界図』をめくり返す、魔法に手のかかる大呪法。
 その魔術の名を―――
「固有結界・・・?」
「そう、固有結界。強化でも投影でもないの。シロウの使える魔術はそれ一つだけ」
 イリヤは囁くようにそう言って士郎の頭を撫でる。
「自分では気付けないと思うけど、今のシロウは魔術師としてかなり発達してるわ。優秀なお手本と、師匠と、本来はありえなかったサポートが付いてるから。本来ならここまで来れないくらいの進歩をしているの」
「・・・俺が?」
 ぴんと来ないのか半信半疑の声に抱きしめる手を強くし、イリヤは断言した。
「そう。魔力不足は回路の問題だからすぐには解決できないけどそれもリンとキャスターに相談すればなんとかなるわ。シロウ、あなたはあなたの魔術を見定めて。いつか必要になる日の為に」
 その声に含まれた僅かな硬さに、士郎は眼を閉じた。心の中に、今は言葉がある。イリヤが歌ったものとは似て非なるものが。
「・・・ああ。大丈夫だイリヤ。一度見えた道だ。きっと辿り着いてみせる」
「うん。頑張って、シロウ」
 イリヤは笑顔を浮かべてもう一度シロウの頭をぎゅっと抱き、そのまま静かに呟いてみせる。
「―――とりあえず、この場を生き延びれたらだけど」
「!?」
 心眼(真)発動! 全身に突き刺さるような危機感に突き動かされ士郎はイリヤの胸から顔をあげた。そこに・・・
「・・・マンゾクシマシタ? センパイ」
 お茶のおかわりを持ってきたとおぼしき、桜が立っていた。
 笑っている。ただただ笑っている。笑うという行為は肉食獣が牙を剥く動作が元であるとかなんとかそういう言葉が士郎の脳裏を駆け巡る。
「まあ、待ってくれ桜。これは大いなる誤解だと思うんだ」
「ええ、先輩。幼女の胸に顔をおしつける行為にどのような誤解が生じるのか教えてもらえますか?」
 にこーっと笑顔を向けてくる死刑執行人に士郎は必死で言い訳を考えた。今こそ働け心眼よ。窮地において、その場で残された活路を導き出すスキルの筈だ。
 筈だが。
「・・・ちょっとつまづいて?」
 デスペナルティ
「お仕置きです」
 活路が残っていなかったら、何か出来るわけも無い。

 惨事のおやつは、黒い泥だった。


 11-22 前夜 Level1

 ひたすら牽制し合いながらの夕食も入浴も済み、それぞれが自室に引っ込み日付も変わってしばし経ったころ。
 凛は自室の机に置いた箱を四方八方から眺めていた。
「・・・チェック」
 厚めの文庫本くらいのサイズのそれに収められているのは言うまでもなく少女の夢とチョコレートである。こっそり遠坂邸で作ったのを持ち込む途中、うっかり遭遇した士郎の顔に叩きつけかけたのも今となっては良い思い出だ。つい数時間前だが。
「リボンよし。包み紙良し、メッセージカード・・・やっぱりこれはやめ」
 凛は呟くが早いか30分悩んで書いたメッセージカードを容赦なく握り潰して火をつける。乙女心は良く燃えた。
「やっぱり直接言わないと気が済まないもんね」
 精神ポイントを25ほど使って直撃を決意し、最終確認。
「・・・赤い包み紙に黒いリボンってのは・・・ちょっとやり過ぎたかしら」
 鏡に目をやれば、それと全く同じカラーリングの自分の姿。
「さ、誘ってるとか思われないかしらね・・・『そうか! 遠坂もプレゼントなんだな!』 とか言い出したら・・・殴るけど。ま、まあその、ちょっと位触るとかキ、キスくらいならあれかな・・・いやいやいや、自分を安売りするな、常に優雅にストップ高ってお父様も言ってたし!」
 ぶつぶつ言いながら立ち上がり、凛はぐっと拳を握った。鏡の向こうから睨み返してくる自分の姿を上から下まで眺め回し。
「こぉら、士郎! がっついちゃ駄・目・堕・憎?」
 くるりと回って人差し指をばきゅーんと伸ばし、ウィンクなどしてみる。

「・・・・・・」

 風が、締め切った上に盗聴透視対策も万全な筈の1200個のうちの一つになれるほど完全な密室に冷たい風が吹きぬけた。

「何やってるかわたし・・・」
 凛は呟きと魂を吐いてがっくりとうなだれる。それは、甲子園の決勝で逆転満塁サヨナラスクイズを喰らってもこうはならないだろうという見事なorzっぷりであった。
「こ、こんな姿・・・桜か士郎にでも見られた日には、首を吊ってくるくる回りながら口から宝石を滝のように垂れ流す羽目になるわね・・・」
 しかも桜はともかく士郎はそういうタイミングの悪いときに限ってノックしないで入室してくる運命を持っているので性質が悪い。悪気が無いのが最悪だ。
「・・・うん、さっきのは気の迷い。気の迷い」
 なんとなく、小さい頃にあんな感じの事をして友達を無くしたような気がするが、PTSDゾーンには一万二千枚の特殊装甲とAD(AKAI-DEVIL)フィールドが張ってあるので平気。
「とにかく、いざという時の為に宝石は吹き飛ばし効果が高い奴を中心に持って行こう。使用基準は・・・」
 ぶつぶつ呟きながら凛は眉を寄せて考え、ぼんっと服より赤くなった。
「だ、駄目に決まってるでしょ!? し、舌、舌なんて・・・でも・・・むぅ・・・氷室さんあたりに言わせればその位普通らしいし・・・」
 数分考えてはバタバタと頭上で手を振り回しまた考える。ライダー辺りが居合わせれば満腹間違い無しのドリームタイムを過ごした末に。
「・・・出たとこ勝負ということで」
 最終的な結論は、曖昧きわまりないものであった。
「っていうか、それよりまず考えなくちゃいけないのはこの状況下でいかに邪魔を入れられずに渡すかよね」
 どうせ士郎のことだから明日も何も考えずにうろつくのだろうし、それを馬鹿正直に追跡してはどんな妨害で台無しにされるかわかったものではない。渡すタイミングが被って争奪戦ならまだいいが、2月2日の悪夢を再現されては全てが台無しだ。
「タイミングを見て外に誘うしかないか。それも、他の皆の目が無い・・・電話とか?」
 考えてみれば無意識のうちに伏線は張ってある。遠坂邸の片付けを手伝えと言えば士郎ならほいほいやって来るだろう。後はセイバーとかアーチャーが付いてこないよう工作するのみだ。
「よし、OK。後はこの子に全てを託すのみ、か」
 もう一度深呼吸。少しテンションが落ち着いたところで凛は机の上のチョコへと目を向ける。
 我ながら、改心の出来だった。トリュフを作るのはこれが初めてだが、少なくとも今まで貰ったどれより美味しかったと自負できる。比較できるほど大量に毎年貰っている自分もなんだかなあだがその辺りは心の贅肉ということで考えない。
「見てなさいよ士郎・・・ふふ、ふふふ・・・」
 凛はにやける顔を意志力で押し込め、大事にチョコを引き出しにしまった。しばし眠れMyスィート。君の出番はまだ後だ。
「さて、と」
 赤い包み紙が見えなくなって落ち着いた凛は、ふぅと息をついてから椅子に座りなおした。目を閉じて己の内面へと埋没し、意識を集中してレイラインへと思考を載せる。
『アーチャー、聞こえる?』
『む? 凛か。どうした?』
 念話で呼びかけると、数秒とたたずに返答が返って来た。いろいろと問題のある奴だが、こういうマメさは好感が持てる。用向きを伝えようと凛は頭の中で台詞を纏め。
『あのね―――』
『馬鹿を言うな。私はまだ酔ってなどいない。酔っているのはむしろそちらの方だろう。ああいや、すまんな。失言をした。その間抜けぶりは天然か。ならばたしかにおまえは酔っていない。認めてやるから安心するがいい』
 いきなり伝わってきた大量のメッセージにびきりっと青筋を立てた。頭上に<!?>とか太字で浮いてそうな"見事"な"キれ"っぷりだぜ!?
『・・・へぇ』
 わぁ、わたしってここまで冷たい声出せたんだー、と心の中の冷静な部分が告げるのを聞き流して凛は笑った。いやはや、愉快愉快不快。本音が出た。
『!? い、いや、違うのだ凛!』
『へんな語尾つけなくてもいいわよ』
『そんなことしてないりん・・・って何故私が計算がちな天然キャラを演じねばならんのだ!』
 反射的につっこみを返してくるアーチャーの姿を思い浮かべ、凛は容赦なくその首を捻じ切った。
『待て! な、なんだ今の不吉なイメージは!』
『未来予想図U』
『ドリカムだと!?』
『きっとー 何年たってもー こうーしてぇ 惨殺死体をー 晒してゆけるのねー あぱ〜らぱらぱら〜・・・』
『不気味な替え歌を歌うな! それと最後まで思いつかなかったのならそこで止めろ!』
 レイラインの向こうのアーチャーがぜぇぜぇと息をつくのを感じ取り、凛はふふふと笑う。
『呼吸は出来るうちにしたほうがいいわよね?』
『だから誤解だ! 今ランサーの部屋で飲んでいてこの馬鹿が馬鹿っぽい馬鹿台詞を馬鹿面で・・・こら! 脱がすんじゃない撃つぞ!』
 しばし念話が途切れた。その代わりにどこかでズドンッ! と爆発音がする。
『・・・はぁ、は、はぁ・・・り、理解してもらえたか、凛・・・』
『ええ。壊した部分は責任をもって修理しといてね?』
『・・・了解した、マスター・・・』
 伝わる声のぐったりした様子に少し気が晴れた。まあ、誤爆だとわかったのなら笑顔でスルーだ。さっきの台詞は一言一句忘れたりはしないが。
『それで用件だけど、あなた今ランサーの部屋に居るのよね? 士郎どこ行ったか知らない?』
『奴か? 土蔵へ鍛錬しに行ったぞ。あれは・・・ふん、誰かが要らぬ口出しをしたな。まだ奴の未熟な回路では必要な魔力を作れまいに』
 届く言葉は口調こそいつもの皮肉気なそれだが、声音はいつになく優しい。こいつ、ツン→デレ移行した! 器が整いおったか! と警戒心を強めながら凛はイメージの中で頷いて見せた。
『OK、しばらく戻ってこないならいいにょよ』
『何故台詞を噛む』
『別になんでもない! ただのうっかりよ!』
『うっかりか。うっかりなら仕方がないな』
 あっさり納得されても少し傷つくが、ここは我慢のしどころと凛は荒ぶる魂を抑えて念話を送る。
『用事はそれだけ。ありがとう、助かったわ』
『気にするな。ああ、台所は今佐々木と幼年組が使っている。もう少し待った方が賢明だろうな』
 それっきり聞こえなくなった声に凛は苦笑した。成程、その為の偵察と予想したか。残念ながら外れ。チョコは既に問題無しだ。
「ま、気付かれなくてよかったわ。そろそろ2時だし」
 凛はそう呟いて立ち上がる。壁の時計を眺め、念の為机においてある目覚まし時計も確認してから静かに頷き。
「・・・いい加減、この状況にも白黒付けないとね」
 そして―――その表情が能面の如き無表情へくるりと変わった。洋服タンスから宝石ポケットをいくつも付けた皮ベルトを取り出し、袖をまくった左腕に巻きつける。
 そのまま鏡に向かった凛は人差し指を伸ばした左腕を前に差し出し、宝石を右手で引き抜いた。何度か同じ動作を繰り返して具合を試し、少し引っかかるような気がするので皮ベルトの位置を直す。今度はスムーズに抜き撃ちが出来た。
 袖を下ろせば準備完了。今装弾している宝石は目立たぬ程度のサイズばかりだ。相手が相手だけに無駄かもしれないが、そちら側に重心が偏らないように気をつければ存在をごまかせるかもしれない。
 何度か腕を振ってバランスを見てからちろりと唇を舐め、凛は部屋の電気を消した。暗闇の中深呼吸をしてから廊下に出る。
 遠くから聞こえる騒ぎ声は台所のものか。この喧騒は利用できるか邪魔になるか微妙なところだ。取りあえず今は気にしないでおくことにする。
 凛はしばし周囲の音に耳を澄ましてから歩き出した。目的地まではそう遠くも無い。音を立てないように廊下を踏みしめ、とある扉の前に立つ。
「・・・・・・」
 周囲と屋根の上を確認して誰も居ないことを確認し、凛は軽く頷いて口を開いた。
「よし、それじゃあひとつ、気合入れて行きますか・・・!」
 そして、呟きと共にドアをノックし―――


                                                     to be continued

 

 

 

 

 

 そして夜が明けた頃。
 ゴミ箱の中に、赤い包み紙の小さな箱があった。