12-09 ライダー

 部屋に戻った士郎は畳の上に座って机を見つめていた。足は正座、目は真剣そのものである。
「いっぱい・・・貰えてしまった・・・」
 視線の先に並べられているのは、色とりどりの包み達。その場で食べ尽くさざるを得なかったあんり達や佐々木のものを除く、本日の戦果達である。
 ―――言うまでも無いが、衛宮士郎の歴史においてこれほどに沢山のチョコを貰ったバレンタインなどありはしない。
「・・・・・・」
 ぱん、ぱんと。
 ずらり並んだチョコの森になんとなく神々しいものを感じ、拍手とか打ってみる。ありがたや、ありがたや。
 しばしチョコを拝んでから士郎はキョロキョロと辺りを見回した。
 我ながら恥ずかしい行為に、しかしどこからもツッコミはない。

『はぁ・・・何を馬鹿なことやってるのよ』

 耳に響くのは、聞きなれた呆れ声の幻聴。今日はまだ聞いていないその声。
「・・・ちょっと、行ってみるか」
 呟き、立ち上がる。
 一度行動を起してしまえばどうということでもない。さっさと廊下を渡って辿り着いたのは凛の部屋。すぅ、と息を吸ってからそのドアを手の甲で叩く。
「遠坂、居るか?」
 尋ねた声に返事はなかった。もう一度ノックをし、耳を澄ます。
「・・・居ない、か」
 声はおろか物音一つしない室内に軽く落胆しながら士郎は息をついた。自然下がった視界に入ったのはドアノブ。なんとなく掴み、回してみると。
 がちゃり、と。
 あっさりとそれは回ってしまう。数秒逡巡し、士郎は意を決してドアを開けてみた。
「遠坂ー、入るぞー・・・」
 思わず小声になりつつも一応声をかけてから中を覗く。
「・・・普通に留守だな」
 緊張したわりに、何も無い。別段トラップが仕掛けてあるわけでもなければベッドで凛が熟睡しているわけでもない。
「単なる鍵のかけ忘れか・・・?」
 やましい所は一応ないのだが一応足音を殺しながら中に入ってみるが、見た感じ昨日ここに来た時と変わりはない。
 あえて言うならば、コートがかかっていたのであろうハンガーが床に転がっているから外出しているのは確かだろうというくらいか。
「ここにはもう何も無いようだ・・・ってやつか。早く出たほうが無難だな」
 後ろめたさというよりも物理的な危機感を感じながら、士郎はさっさと退散を決め。
「・・・ゴミ箱はどうなってるんだ?」
 部屋を出ようとした所で不意に呟く。昼食の時にアーチャーはここを訪れたと言っていた。そして、ゴミ箱がどうのとも。
「・・・・・・」
 ある意味乙女の秘所を覗き込む行為にちょっと気がとがめながらも好奇心が押さえられない。
 おそるおそる赤いスチール製のゴミ箱に近づき、士郎は無意味に目を細めたりしながらソコを覗き込んだ。
 そこには―――
「空だな」
 何もない。ちり紙ひとつない空状態だ。
 部屋の整理が苦手な凛にしては士郎に促されずゴミ捨てをするのは珍しいので、その辺りにアーチャーも違和感を覚えたのだろうかなどと思いつつ、今度こそ部屋を出る。
「・・・ふぅ」
 ドアを閉めた瞬間、思わず息をついてしまった。やはり人の、しかも少女の、むしろ美少女の、よりにもよって遠坂凛の部屋に無断で入るというのは精神衛生上よくない。
 なんとなくだが、問答無用のジョフレアッパーで窓から外へ叩き出されそうだ。自分の短慮に少し反省。
「しかし、どうしたものかな・・・」
 なんとなく呟いてみるが、答えは最初からわかっている。
「気にしたら負け、だな」
 凛が居ないからと言って、別段どうするものでもない。本来この家に居ること自体イレギュラーなことだ。仮に出て行ったきり二度と戻らなかったとしても驚くことではない。
 少し気にしすぎだなと士郎は苦笑をもらした。自分でも予想外なレベルで三枝の煽りが効いているのかもしれないと
 気を取り直してみればやることはいくらでも思いつく。少し早いが夕飯の仕込みでもしてみようかと士郎は台所へと歩き出し。
 

 ガチャリ、と。

「ぅお」
 しばし歩いた所で唐突に開いたドアに視界を塞がれ立ち止まった。
「おや?」
 思わず出た声に、ドアの向こうからのぞいた顔が少し驚いた表情でこちらを向く。
「士郎でしたか。足音のテンションが低かったので、また桜が誰かにへこまされたのかと思って出てきたのですが」
 それは慰めの為か、それとも追い討ち為か。
「あなたにしては珍しいテンションですが、何かあったのですか? 性的な意味で」
 眼鏡をキラリと光らせるライダーに士郎はむむ、と反論を試みる。
「なんでさ。家の中で無闇にテンション上げて歩くのもおかしいだろ?」
「一般論ではそうなのですが、この家にそのような常識を求めても虚しいだけでしょう」
 台詞のバックに聞こえるのは遠くでドタドタと駆ける音二つ。そして金属同士の激突音。どうやらランサーとアーチャーの勝負はパズルゲーム程度では片付かなかったようだ。
「・・・まあ、確かに」
 苦笑する士郎にライダーは頷き、おお、と手を打った。
「すいません、士郎。今お時間はありますか?」
「ああ、すぐやらなくちゃいけないようなのはない」
 答えると眼鏡の向こうの瞳が緩む。未来永劫、直視することの叶わない美しい瞳に少し見惚れた。
「では、中へお願いします」
「ん。おじゃましま―――すごいな」
 招かれて入ったライダーの部屋は、そこら中に本が積み上げられた書海と化していた。
 こちらに「ハイペリオン」、あちらに「赤頭巾ちゃん気をつけて」、ラノベの下に「精神現象学」が挟まっていたり、「Linuxガイド」と「芙蓉流鍋入門〜空の章」が並んでいたりの大カオス状態である。
「・・・一応、本棚を買えばもう少しまともな状態になるとは思うのですが」
 絶句している士郎にライダーは恥ずかしげに呟いた。長身を少し猫背にしているのが少し可愛い。
「とりあえず・・・床だけ今度『強化』させてもらうよ」
 このままでは抜けかねない。
「すいません・・・あ、いえ、魔眼で床を石化すれば強度は大丈夫な気が」
「家の構造的にはダメージがあがるだけだからそれはやめてくれ」
 そうですか・・・としょんぼりする姿に士郎は桜の姿を重ねる。追い詰められると迷走を始めるこの性格は、主従よく似ている。
「で? どうしたんだ」
 尋ねるとライダーはつく絵モードから立ち直り、座卓―――座卓なのだろう。なにかベーコンとレタスの香りがしそうな本に埋め尽くされては居るが―――に置いてあった小箱を手に取った。
「もう予想はついていると思いますが、これをどうぞ」
 言いながら差し出された薄いスミレ色のリボンで飾られた小箱はおそらくチョコレートだろう。問題は、その上に何故か乗せられた封筒だ。
「・・・ありがとう、ライダー」
 頭をさげながら受け取った士郎は黙って持ち帰るべきかしばし迷った後に、意を決して封筒を手に取ってみる。軽い。何か入っているとしても紙だろう。
「えっと、あけていいか?」
「ええ。説明が必要と思われますから」
 尋ねると、何かよくわからないが自信ありげだな笑みで頷いてみせる。
「じゃあ、遠慮なく」
 シールをペリペリと外して開けてみると、中から蛇がウィンクしてる絵がかかれた長方形の紙が数枚滑り出てきた。
「? ・・・チケットか? これ。なんのチケット・・・っていうかどう見ても手作りなんだけど・・・」
「名付けて、ドリームチケットです。昨晩徹夜でデザインしました」
 ちょっと得意げだ。
 それでちょっと眠そうなのか。いっそちゃんと寝て、夢の中でデザイン作業した方が良かったのではないだろうかドリームマスター。
「・・・ご苦労様」
「恐縮です。5枚つづり、1枚で一晩分有効。寝る前に持参していただければどのような淫夢でも私がプロデュースします」
 どんとこいと胸を大きく張るライダーに士郎は思わず後ずさった。
「ど、どのような淫夢でもって言われても・・・」
「誰か一人に決めたとしても、それで満足できないのが男のサガ。他の子に目がくらむこともあるでしょう。そういう際には私がお好きな相手をご用意いたします。秘密厳守ですので安心してご利用ください。誰を指定しても中身は私ですが・・・まあ、小事でしょう」
 ぐっと親指を立てるマジカルナイトメア・メデュ子。無駄なやる気に溢れたその真剣な眼差しに士郎は気圧されながらもなんとか理性的な対話を試みる。
「いや、物凄く大事だと思うぞ、それ。第一、ライダーを指名したらどうな―――いや、ごめん。流して」
「わ、私ですか!?」
 無理だった。泥沼だった。底なしだった。
「いや! だからふと疑問に思っちゃっただけで! その―――」
「ご、ごほん・・・ま、まぁ、その・・・それがご希望でしたら、その・・・こんなデカ女でもよろしければお相手させていただきます・・・」
 ごほんごほんと誤魔化しを入れながら言い切ってライダーはチラチラと横目で士郎を見る。
「む・・・ぅ・・・」
 ぞくり、と来た。何かこう、他のメンバーの規制がCEROなら一人だけメディ倫な雰囲気をかもし出す視線に士郎はとりあえず真っ先に思いついて事を口にしてみる。
「ライダーはすらっとしててかっこいいと思うぞ。自信もっていいと思う」
「っ・・・!」
 ついさっき自分の短慮を反省したことは既に忘却の彼方にあるようだ。まあ、そうでなければ一度の聖杯戦争であれだけ死に掛けたりはすまい。

 どどどど・・・

 そして、油断を見逃すことなく猟犬は解き放たれる―――

「ん? 何だ?」
「この足音は・・・! 士郎、逃げてください!」
 青ざめたライダーの警句でようやく士郎のプチ心眼も警告を発する。急速に近づくこの魔力。凛の真っ赤に燃えるそれでもセイバーの白くたぎるそれでもないこの黒っぽいのは―――
「すぇんぱいっ!」
 バンッ! と襖を突き破りそうな勢いで飛び込んできたのは誰有ろう間桐の桜ちゃんであった。
「ど、どうしました? サクラ」
 眼鏡の奥できょどきょどと頼りなく視線を左右させるサーヴァントに、桜はじっとりと湿度の高い視線を向ける。
「いま、せんぱいとらぶらぶしてるにおいがした」
「・・・気のせいではないですか? そうそう、木の精といえば初代ディードリッドを演じていたプレイヤーは男だとか―――」
「くうきにせんぱいのぬくもりてぃがのこってる」
 ライダー渾身の誤魔化しを一撃で破砕し、桜は部屋のすみずみまでを眺め回す。
 座卓の下にひらべったくなって収納されたりしてないか? 本を迷彩として装着して潜伏してたりしてないか?
「・・・居ない?」


『・・・居ない?』
 きょとんとした声を士郎はじっとりと額に汗を滲ませて聞いていた。
『え、ええ。誤解です。ちなみにゴカイという蟲は近年の研究では三種に分類できるそうです』
『それ知ってる。ヤマトカワ、ヒメヤマトカワ、アリアケカワね―――でもそんなことはどうでもよくて・・・先輩はどこ行ったの?』
 ここです。
 士郎は心の中で呟いてみる。
 部屋の外、窓の下。怪力スキル持ちのライダーに猫の子のように襟首を掴まれて放り出され、逆さになって頭から着地したそのままのポーズで。
『さ、先ほどまでは居たのですが実に事務的に荷物の受け取りをすまし、極めて疾くスピーディーにこの部屋を立ち去りましたよ、はい』
『・・・ほんとに?』
 疑わしげな声に士郎の背筋にじっとりと汗が滲む。考えてみれば、見つかるとまずいのは封筒の中身の方だ。下手に逃げ隠れせず説明すれば笑い事で済んだのではないか?
(うぅむ、うっかりさんだぞライダー・・・)
(でも、うっかりさん萌えの大家さんにはその方がうれしいんだよねっ?)
(それは否定しないけど、この力技な逃がし方はゴシカァンって感じでいただけない)
(ヘビィな投げっぷりだったもんねっ)
 あははと笑いあってから士郎は唐突に真顔になった。
(で、何故ここに居るんだ? イスカちゃん・・・)
 視線の先には、士郎と同じグドンに捕食される海老味生物の如く首で倒立したポーズになって笑うイスカンダルが居た。
 ―――スカートが、全めくれしているのは、見て見ないふりでひとつ。
(うん、他の二人が牽制しあって動かなかったからこっそり抜けてきたんだねっ! ずっとボクのターンっ)
(他の二人?)
 小声で尋ねる士郎にイスカンダルはしっと唇に人差し指を立てる。

「今、先輩の声が聞こえなかった?」
「・・・気のせいだと思いますが?」
 じっとり汗の滲んだ額をさりげなく拭ってライダーはぎこちなく笑顔を浮かべてみせる。
「・・・ねえ、ライダー」
 あからさまに怪しい従者に桜はしばし疑わしげな目を向けていたが、やがてふぅと息をついた。
「わたしはね? 別にライダーが先輩と親しくする事に文句を言ってるわけじゃないのよ? ただ、できればわたしも混ぜて欲しかったなって・・・」
 目を丸くするライダーに、ちょっと恥ずかしそうに笑ってみせる。
「ライダーにとってはわたしは頼りないマスターってだけだろうけど、わたしにとってライダーは大事な友達で・・・その、もう一人の姉さんみたいに・・・思っているから・・・」
「・・・サクラ」


(・・・桜・・・)
(娘を見守る溺愛パパみたいな笑顔いただきましたっ。感慨深いところ恐縮だけど、とりあえずこの場を離れたほうがいいんじゃないかなっ?)
 イスカンダルは言いながらぐるんと無駄にでんぐりがえしをして逆立ちから四つんばいに移行し、近くに置いてあったダンボール箱をかぶった。
(・・・さあ! 大家さんもボクが持参した都市戦用最強迷彩を纏って脱出だよっ!)
(・・・了解した。大佐)
 士郎は苦笑交じりにダンボール箱をかぶり、這い這いの要領で窓の下から離れる。
 ごそごそ動く、愛○みかんのダンボール二つ。誰が見ても怪しい世界だ。


 窓の外から聞こえるかすかな物音に、ライダーは感激を振り払って顔をキリッと引き締める。
「わかりました。サクラ。もし私が士郎と事に及ぶようなことがあれば、ちゃんと3Pにして貰えるよう頼んでおきます」
「え、ええ。その前提条件がそもそもどうかと思うけど―――ファンディスクとかで出番があるかもしれないからよろしくね?」
 お任せくださいと手を差し出すライダーの手をがっちりと握る。
(逆説的に言えば、士郎が桜の淫夢を見るときに一緒に出演しても構わないということですね、うん)
「? どうしたの? ライダー。何か満ち足りた顔」
「・・・いえ。なんでもありません」
 すこしわざとらしいクールさに首をかしげながら桜はさてと息をついた。
「じゃあ、夕飯の買い物にいく途中だったからわたしもう行くね?」
「ああ、それならば少し待っていてくれますか。私も荷物持ちとしてついていきます」
 ライダーはそう言って座卓の傍に詰まれた本の山から買い物籠を掘り出した。はずみで崩れた本が近くにあったゴミ箱をなぎ倒し紙くずがそこらに散らばる。
「くすくす・・・ライダーったら」
「あ―――」
 そそっかしい従者に笑みを漏らしながら桜は足元に転がってきた紙くずを何気なく広い。
「・・・え」
 その表面を見て硬直した。
「い、いえ、その、サクラ、違うのです・・・」
 顔面を蒼白にして弁解するライダーをよそに、紙くずを一枚一枚広げていく。どれもこれも、絵や字が途中まで書かれている紙切れたち。『一枚一発』『真夜中のお菓子 めでゅーさ』『これで(性欲が)多い日も安心』などなどなど・・・


(ん? 部屋の方が静かになったな)
 士郎は潜入専門の兵士の如くダンボール箱に隠れながらふと周囲の静かさに首をかしげた。心なしか、さっきまで聞こえていた鳥や虫の声まで聞こえなくなったような。
 これは・・・殺気?
(大家さん、早く来ないと巻き込まれるんだねっ)
(巻き?)

『らぃだぁあああああああああああああああああああああああああっ!!!』
『ち、違うんですサクラ! これはその! きゃぁああああっ!!! そこ駄目ですっっっっ!』

 スネーク! どうしたんだスネェェェェィク!

 


 12-10 ライダー(2)


「脱出成功だねっ!」
 ライダーの部屋の外から中庭を経由して母屋へ回り込んだイスカンダルは縁側に腰掛けた。そのまま、泥のついた足をパタパタさせて元気よく叫び声をあげる。
「ミッションコンプリートだよ大家さんっ!」
「俺は逃げれたけど・・・ライダー、大丈夫かな・・・」
 いつも冷静な蛇姫のあられもない悲鳴を思い出して士郎は溜息をついた。
「大丈夫大丈夫っ! 桜ちゃんはライダーちゃん大好きだから、大家さんが介入しなければすぐ落ち着くと思うよ?」
 助けに戻ろうとはしたのだが、そこで乱入したら桜の性的な意味での暴走が拡大するだけだと諭されて挫折した士郎である。
「まあ、本当に酷い事はしないとは思ってるんだけどな―――」
 あれで色々とトラウマの多いライダーにこれ以上精神的外傷を増やすのは不憫だよなぁとため息をつき、士郎はふと目の前に居る方のライダーに首をかしげた。
「・・・っていうか、部屋から放り出された俺はともかくなんでイスカちゃんまで裸足なんだ?」
「もちろん、急に狂化っぽい表情で走り出した桜ちゃんに先回りして修羅場を覗くには外からショートカットするしかなかったからさっ!」
 あれは覗きに来てたんかい。
「・・・まあいいか。イスカちゃん、足こっち」
 士郎は首を振って気を取り直し、縁側の柱に引っ掛けてある布巾を手に取った。猫並みに唐突な行動を取る住人が多いので中庭に続くこの縁側には足拭き用の布が常備されているのだ。
 おねがいしますー、と差し出された足を掴み、ふきふき開始。
「あは、あははっ、ちょっとくすぐったいかなっ」
 くにくに悶える少女に大人しくしなさいと諭し、足の裏の汚れを綺麗にふき取る。
「―――はい終了」
「うん、さんきゅーだねっ!」
 なんだかんだ言っても女の子の足というのは小さいなと感慨深く頷くと、イスカはぱよこんっと立ち上がって士郎に向かって両手を広げた。
「ささ、今度は大家さんの番だよっ! 布巾と足をお寄越しなさいだねっ!」
「いや、俺は自分で―――」
 やる、と言い切る事はできなかった。満面の笑みと共に飛び掛ってきたイスカンダルにあっけなく縁側にひっくり返され、一瞬の遅延も無くスピーディーに足をわきに抱えられてしまう。これが総合格闘技のマットだったら即アキレス腱固めだ。
「ふきふきするんだねーっと」
「・・・うぅむ、わかっちゃいるが、人間とサーヴァントの身体能力の差は絶対だなぁ」
 ボクはサーヴァントの中では最低レベルの能力値しか出せなくなってるけどねー、と言いながらイスカンダルは丁寧に士郎の足の汚れをふき取った。
「うん、綺麗綺麗。舐めてもいいねっ」
「やめてくれ・・・」
「気持ちいいよ?」
「だろうと思うからやめてくれ・・・」
 それは残念と手をはなされ、士郎はよいしょと立ち上がる。
「ふぅ、とりあえず一段落か。お茶でも飲むか? イスカちゃん」
「そうだねっ! 入れてくれるなら願ったり叶ったりだよっ」
 何気ない提案にイスカンダルは指を鳴らそうしてパスンと失敗した。そのまま二度、三度とパスパス音を出し、四度目でパチンと鳴って満足げな顔で指を額に当てる。
「サーチ・・・うん、セイバー達も、もう居間には居ないねっ。ボクが消えたんで均衡が壊れたかなっ」
「?」
 そう言えば三枝さん達が尋ねてくる直前、セイバー達三人は変形型だるまさんが転んだのような事をやっていた。あれは一人欠けたら出来ない遊びだったのだろうか? そういえば以前、赤い洗面器を頭に載せた男が向こうから歩いてきたので何故洗面器なんて頭に載せてるのかと聞いたら―――いや、それはここで語る事ではないか。
「これはグッドタイミングだよっ。大家さん、早く早くっ! お茶お願いするんだねっ!」
「? ああ。すぐ入れるよ」
 ツヤツヤと生気に溢れた表情でスキップするイスカンダルの後を追って居間に入り、士郎はそのまま台所へ向かう。
「煎茶でいいよな?」
「おっけーだよっ。ちょっと濃い目でね!」
 了解と応えて士郎は手早くお茶を入れる。それにしてもこのお茶っ葉、減りが早すぎである。近いうちにもうちょっと大量に仕入れるべきか。
「よし、出来た。おまたせイスカちゃん」
「こっちも準備完了だよっ! さあ、貪るように食べつくすといいさっ」
 食卓についたイスカとその対面に置かれた皿には、手のひらより一回り小さいくらいの大きさの丸っこいものが二つずつ置かれている。もっちりとした茶色い表面にまぶしてあるのはココアパウダーだろうか。
「でかいトリュフ・・・いや、違うな。チョコ大福か?」
「ぴんぽーん! 西の方の名店からのお取り寄せ品っ! 昨日届いたばっかりだねっ」
 士郎から湯飲みを受け取り、イスカはにまっと笑って見せた。
「さあさあ、ボクからの親愛の証だよっ。ハッピーバレンタインと言う事でずずいっと食べて食べてっ」
「ああ。いただきます」
 食卓につき、士郎は皿に添えられていた竹串を手に取る。
「割って食べるのか? これ」
「男らしくかぶりついてほしいよっ」
 ふむと頷き士郎はずぶり、と竹串を刺して半分くらいを一気に噛み切った。
「どうだいっ。めがっさ美味しいと思わないかなっ?」
 こちらの様子を伺うように尋ねてくるイスカンダルに、士郎はぴたりと動きを止め。
「・・・とりあえず言える事がある」
「ん? なににょろ?」
 口の中に広がる和洋にまたがる上品な甘味をゆったりと味わい、湯飲みを傾けた。
「―――その台詞は、今後、絶対に、禁則事項」
 世知辛い世の中なのである。ルイジに厳しい業界なのである。
「・・・りょ、了解・・・今、大家さんすごく怖い顔だったよ・・・」
「ごめんごめん。まあそれはともかくとして、美味いなこれ」
 思わず口調が普通になったイスカンダルに苦笑しながら残った半分を齧る。大福生地のおかげか、甘すぎないのがいい。
「こう言っちゃなんだけど、この手の菓子は色物だと思ってたから意外だ。見識不足だった」
「ふっふっふ。自慢じゃないけど現代社会に適応しているって点ではサーヴァントトップクラスなのがボクなんだねっ! 入念なリサーチが物を言ってるよっ!」
 本の山になっているのがライダー部屋ならビデオと雑誌の山になってるのがイスカンダル部屋である。このクラスの隠し特性なのかもしれない。
「あ、イチゴ入ってる・・・」
「一個だけチョコイチゴ大福にしたんだよ。大家さん当たりだねっ」
 どこで買ったのかとかを話しながら大福を食べ終え、士郎は空になった湯飲みを掴んで立ち上がった。イスカにおかわりはいるかと尋ね、差し出された彼女の湯のみも持って台所へ向かう。
「ねえ、大家さん。一つ聞きたいんだけどいいかな」
 慣れた手つきで急須を傾ける背中を眺め、イスカンダルは何気ない調子を装って口を開いた。
「かまわないけど、どうした?」
「ん・・・大家さんから見て、ボクは何に見える?」
 唐突な質問に士郎は首をかしげた。お茶を淹れた湯のみを手に食卓へ戻る。
「何に見えるって言われてもな・・・」
 差し出したお茶を受け取る姿はもはや見慣れた黄色いポニーテール。体格で言うならやや小柄、スレンダーだが均整の取れたボディーの制服少女。
「そりゃイスカちゃんはイスカちゃん―――」
 見たままを答えながら座った士郎は、しかし言葉の途中でビクリと硬直した。
(まさか―――)
 唐突に訪れた天啓に思わず身震いする。可能性は低い。だが―――
「まさか、変身!? 実は中の人が違うのか!?」
 そう、以前アーチャーから聞いた事がある。とある魔法使いが残した所持者に変身能力を与えるアーティファクト―――いや、むしろカースドアイテムがあると。
 そして、当代におけるその継承者は。それを手にし使い手に選ばれてしまったのは・・・
「お、おまえ遠坂か!? アレ使ってしまったのか!? 魔法少女っぽい何かなのか!?」
 そう、遠坂凛その人である。コードネームはカレイドルビー。数度だけ垣間見たそれは、まさしく悪夢であったと弓兵は吐き捨てていた・・・!
「くっ、遠坂―――朝から姿が見えないと思えば―――」
 士郎は呟き、目頭を押さえた。あの自信と慢心とうっかりの化身である凛が人の姿を奪ってまでやりたい事など、一つしか思いつかないではないか。
「・・・そこまでして胸を大きく―――」
「いや、そうじゃなくてね?」
 彼女にしては珍しいジト目に士郎はしかしぶんぶんと頭を横に振る。
「でも駄目だ遠坂! 自分は自分にしかなれない・・・! 俺が切嗣の役割を受け継げても切嗣の代わりにはなれないように!」
「自分は、自分に―――」
 そして、目を見開き鸚鵡返しにその言葉を繰り返す少女に士郎はガァッと拳を握った。

                  ニューラ
「遠坂は誰の姿でもその儚げな乳気を隠せないんだ! だいたい何故イスカちゃんなんだ!? コンプレックス解消ならもっと上を狙えばいいのに・・・中途半端な・・・!」

「―――あはは、大家さん、いい感じに脳が沸いてるねっ! とりあえず、撲殺っ!」
 言いざま、イスカンダルはピンと指を伸ばした抜き手を馬鹿の喉へと突き刺した。ぐげっと呻いて吹き飛んだ士郎は仰向けに床に叩きつけられる。
「ごほっ・・・地獄突きとは…マニアックな…殴ってないし…」
「を、1ボケに2ツッコミとは円熟の境地に達してきたねっ」
 イスカンダルはうんうんと頷き、ふと真顔になった。
「…あと、胸のことは言うな」
「―――もうしわけありません」
 士郎はその場に平伏して許しを請う。確かにどうにかしていた。いや、ある意味いつもどうにかしているのだが、昨日イリヤに誓ったのだ。立派な紳士になると。こんな事ではドイツェン紳士にはなれっこないのだ。
「そもそもボクは本物だよっ! 哀れ乳で悪かったねっ!」
 言いざま制服がブレザーに代わる。話によれば例のステッキにも着せ替え機能が付いている―――というか着せ替え機能しかついてない―――らしいが、ノーアクションで服が変わったあたり、イスカンダル本人で間違いないようだ。
「錯乱してた。すまない・・・でも、あれだぞ? イスカちゃんのスタイルはバランスいいと思うぞ?」
「そんな山本選手みたいな属性はいらないんだねっ。良くも悪くも極端がいいよっ」
 イスカはお茶を一口すすってから土下座る士郎のつむじを眺めて頷いた。
「でも―――うん。許す。食事してなおこぼさず、セーター着てリボン外さぬ。それこそ真の制服だしねっ」
 意味不明だ。
「うん、ボクは…ボクらしくやっていくしかないんだもんねっ」
「どうしたんだ? なんか青春もののテンプレートみたいなモノローグ呟いて」
 きょとんとした顔をあげた士郎にむむっと顔をしかて立ち上がる。
「お約束は馬鹿にしちゃだめだよっ? たとえば―――」
 言い置き、イスカはくるりと後ろを向いてみせた。スカートがふわりとめくれ、下着がチラリと―――
「見えない!?」
 そう。その一瞬に見えたのは太ももから上へ続く肌色のラインだけ。
 つまり、それは―――
「履いてないッ!」
「アニメに始まり、いまや少年誌でもおなじみの技法にございます―――」
 驚愕の叫びにイスカは見返り美人―――というか、ややJOJO立ちなポーズで顔だけ振り向き不敵な笑みを浮かべる。ドーンという効果音が聞こえそうだ。
「下着を描写できないという規制を逆手に取り、お約束の域に達したテクニック・・・でも、どう!? どうだい大家さんっ! この破壊力は・・・ッ!」
「―――絶大、だ・・・」
 別段、もろに何かが見えたわけじゃない。だが見えるべきものが見えない事による想像力の発射は脳に100メガショックを叩き込む!
「すごく・・・卑猥です・・・」
 故に、士郎は呟いていた。今なら言える。理想郷は、確かにあった―――
「わかればよろしい」
 おののく少年に向き直り、イスカはすとんと腰を下ろした。
 スカートがめくれないように抑える仕草すら、それが何を隠す為なのかと考えると艶かしい。あの薄い布一枚隔てた所には―――
「・・・まあ、実際にはTバックを履いてるんだけどねっ?」
「・・・知ってたよ」
 ―――そして、幻想はあっさりと打ち殺された。一撃破砕のイマジンブレイカーだった。
「まあ、大家さんのエロスはともかく、ボク的には意味があるやりとりだったのさっ。ちょっといい言葉に感謝を込めて、これもあげるんだねっ」
 言いながらイスカは背後に手をやり、閃光と共にひょいっと大きな箱を食卓に置いた。サイズは縦1メートル、横50センチほど。明らかに隠し持つには大きすぎる。
「今・・・どこから?」
「女の子と英霊には秘密が一杯なんだよっ。まあ気にせずお納めください」
 ずずい、と寄越され士郎は慌てて頭を下げる。
「どうもご丁寧に―――」
 とりあえず受け取って持ち上げてみる。軽い。
「・・・っていうか、なんだ? これ」
「制服」
 士郎は、半眼で黙り込んだ。
「……」
「正確に言えば、セーラー服」
 イスカンダルは、自信満々に人差し指など立ててみせる。
「・・・これを、どうしろと?」
「可愛いよ?」
「いや、可愛いかもしれないけど…」
「きっと似合うよ?」
 会話になっているようでなっていないやり取りに士郎は頭を抱えた。
「だから! 貰ったからといってどうしろって言うんだ!?」
「??? ・・・制服は、着るものだよっ?」
「いや、だから・・・誰に着せる事を想定してのプレゼント―――」
 言葉が、止まった。目の前には無類の制服マニア。
「…あ…えっと、イスカちゃんで着せ替えしろってこと…?」
「ううん。自分で着てみてね」
 そして、時は止まった。
「……」
「……」
 互いに眉をひそめて向かい合う事10秒。
「どんな地獄絵図を作ろうって言うんだイスカちゃんっ!?」
「っていうか大家さんのえっちーだねっ!」
 指突きつけあって二人は同時に叫んだ。
「まあ、えっちと戦争と睡眠と食事を大いに楽しんでこその男の子だからしかたないかなっ。よしよし」
 温かな目と言葉で頭を撫でられ、士郎はがくっと手を落とす。目に悲哀、背に哀愁。
「…俺は…俺はこんなキャラじゃなかった筈なんだ…」
「んー、むしろ大家さんは自分がないから周りの色に染められてふらふらしているんじゃないかな。それはだめー普通にだめー。お、なんかこのフレーズ時代を先取りしてるかんじじゃないかなっ?」
 意外に鋭い分析に、しかし士郎はぐったりとしたままだ。
「感心するべきなのかなんなのかわからなくなってくる…」
 あははと笑い、イスカンダルはふと窓の外に目を向けた。しばしそのまま微笑み、士郎に向き直る。
「ねえ大家さん…なんでわざわざ制服をプレゼントしたかっていうとね? ボク、もうしばらくしたらこの家を出ようと思うんだよっ」
「え?」
 唐突な言葉に、士郎はきょとんとした。とりあえず、その行為と制服を贈ることに常人は接点を見つけられない。
「寂しくなったらそれをボクの代わりに愛でてね」
「多分その光景は何もしないより更に寂しい光景だけどそれはそれとして・・・どうしていきなり出てくなんて・・・」
 うんと頷きイスカンダルは答える。
「―――世界を見たいんだ。本当なら10年前の戦争が終わった時すぐそうするつもりだったと思うんだけど、なぜかずっとこの町に居ちゃったからねっ」
 穏やかな表情に、士郎は止められないなと息をついた。
「それで―――どこへ行く気なんだ?」
「ふっふっふ。思い出の品ー」
 言いながら取り出したのはちょっと古びた地図帳だ。社会の授業で使うような薄っぺらなそれには何故か、貸し出し用バーコードが張ってある。
「こっから」
 イスカンダルはぱらぱらと広げた世界地図の日本を指差し。
「こっちへ」
 そのままギリシャのあたりまで指をつつっと動かした。
 直線軌道で。
「…また大雑把な…」
「大丈夫だねっ。ヒッチハイクで大陸渡った人も居るってテレビで見たし、いざとなれば自前の乗り物だせるからっ! 白い雲のように流れてくのさっ」
 楽しげに笑い、イスカンダルは目の前の少年の目を覗き込む。
「なんなら…士郎くんも、来る?」
「え?」
 静かな言葉に、士郎は思わず言葉に詰まった。その声には、確かな本気がある。
「君はいずれ世界に出ることになるよ。きっと―――ボクなら、きっと君を大きい男に育ててあげられると思うんだけどね」
 どうかな? と見つめる少女に士郎は考えた。
 確かに、いずれそうなるのだろうなとは思っている。今でさえ、目に入る誰かが助けられるのなら助けずには居られない自分だ。
 それなりに力を持ち、助けられるかもしれないケースが増えた今・・・・遠い国に自分の力で助けられる相手が居るとわかったら、もはや思いとどまる事は出来まい。

 でも。

「今は行けない。ここで出来ることを学びきっていないし―――この家の管理もまだ他の人に任せられないからな。ほら、大家だし」
 アーチャーに言われた事を、忘れるわけにはいかなかった。いまや士郎とこの家は愛すべき英霊達と共にあるのだ。軽々しく出国などした日には確実に何人かはついてくるだろうし、残った何人かは確実に生活破綻するだろう。
 ここは、みんなの家なのだから。
「・・・そっか。帰る場所があるってのは―――ちょっといいかもしれないねっ」
 イスカンダルは頷きパチンとウィンクを投げた。
「ん。じゃあいつか一緒に世界を駆けられる事を祈ってるよっ! まあすぐ出てくってわけじゃないから、もうちょっとだけお世話になるけどねっ」
「もうちょっと、か・・・少し、寂しいな」
 感慨深く呟く士郎に、イスカンダルは重々しく頷くのだった。
「もうちょっとだけ続くと言って巻数が二倍近くまで伸びちゃった漫画がね―――?」


 


 12-11 アーチャー(2)

 本屋へ行くと言うイスカンダルと別れて自分の部屋に戻ってきた士郎は、何故だか開いている襖にはてなと首をかしげた。部屋を出るときは、確かに閉めていったと思ったのだが。
「誰か来てるのか?」
「・・・・・・」
 チョコと制服の箱を持ったまま部屋の中を覗くとそこには豪華な金髪をなびかせた小柄な少女がこちらに背を向けて立っていた。
 仁王立ちしていりるドリル的な縦ロールの持ち主は、言うまでもなく英雄王ギルガメッシュその人である。
「衛宮―――よもやここまで―――」
 机の上のチョコを睨んで呟くその言葉が、重い。なんだか断末魔の声っぽくすらある。
 緊張感溢れるその背中に声をかけそびれて士郎が廊下で立ちすくむのを他所に、ギルガメッシュは腕組みなどして唇を尖らせ。
「ボッシュート」

 呟きと共にチョコ達は空間の歪みへと消えさった。
 後には、塵一つ残らない。

「ちょっ!?」
「!? え、衛宮!? いつからそこに!?」
 あまりの事に思わず叫んだ声にギルガメッシュはずばっと振り返って後ずさった。
「さ、さっきから居たけど―――何やってるのさギルガメッシュさん!」
「――――――」
 糾弾の声にギルガメッシュはばつが悪そうな顔で手を後ろに隠す。ちらりと見えたのは、間違いなく鍵剣だ。『王の財宝』は宝物庫への通路を開く宝具である以上、出すだけではなく収納だってできるのだ。
 背後の机、チョコがあった空間と正面で困り顔の士郎をギルガメッシュは交互に見つめ―――
「我、ボッシュート・・・」
 足元に空間の歪みをつくってその中にすとんと落下する。

おうさま は にげだした!

「待った!」
 だが、まわりこまれた!
 士郎は床に身を投げ出し床に開いた穴に手を伸ばした。落ちていくギルガメッシュの手を片手で素早く掴み、もう片方の手で畳を掴んで身体を固定する。
 がっしりと掴まれたハンドtoハンド。絆の光が委譲されたりファイトが一発だったりするくらいのギリギリ感である。どちらかが手を離せば即アウトであろう。
「くっ・・・この我の道行きを邪魔するなど許される事ではないぞ衛宮っ!」
「ご、ごめん・・・でも、一つ質問していいですか・・・!?」
 腕一本出ぶら下げられた形になって吼えるギルガメッシュに取り敢えず謝り、士郎はそう伺いを立てた。
「む・・・よいぞ。言ってみろ」
 ぶらんぶらんしながら鷹揚に頷く王様に、うんと頷き尋ねてみる。
「鍵剣って、中からでも使えるのか? 鍵の閉じ込めになっちゃうんじゃ?」
「あ」
 ギルガメッシュは、目を丸くして呟いた。うっかり王、健在である。
「おぉおおおっ! まずいではないか!」
「まずいんですよっ! だから暴れないで!」
 わが身の危機を悟ったギルガメッシュは慌てて腕によじ登ろうとするが、例によって相手の事を考慮しない動きでは逆効果だ。
「うぁっ!」
 案の定バランスが崩れ、士郎の身体はずるりと腹まで穴に引き込まれてしまう。
「ぬぉぅ・・・我が出るまで踏みとどまれ衛宮!」
「うん、こんな時まで王様発言なのはさすがだ」
 少し感心したような口調にギルガメッシュはむっとした表情で眉をつりあげた。
「何を無礼なことを言っている! 我は王であり王とは我の事だ。いつでもどこでも何をしてても我は王に決まっておろうが!」
 怒りにまかせて全体的にも局部的にもぶるんぶるん揺れるギルガメッシュに士郎は目を奪われる。プールのときにも思ったが、流石のゴージャスさだなあ。
「まったくの事、貴様には敬いが足りん! そもそも仰ぎ見るべきこの我を見下してなお命を留めているというだけでも平伏して喜ぶべき寵愛だということを理解しておるのか!?」
「いや、ほら。現実なんて飾りです。どんな位置関係にあってもギルガメッシュさんが居る方向が上なんですよ。だから、今も概念的には俺の方が見上げているんです」
「む? う、うむ。そうか? そう、なのかな?」
 おー、誤魔化されてる誤魔化されてると士郎が少し感心した瞬間、繋ぎっぱなしで汗ばんだ手が滑った。一瞬抜けかけた手を慌てて握りなおす。
「ああ、ずるっと来たぞ今っ! もっとしっかりするのだ!」
「りょ、了解。とりあえず、腕に魔力通して強化してみる。もう少し体勢を変えられれば多分引っ張りあげられるからちょっと待っててください」
 足りなければどこかから持ってくるのが魔術師のやり方だ。回路を開くべく集中を始めた士郎を見上げてギルガメッシュは珍しく頼りない表情でため息をついた。
「うむ。手早くするのだぞ? ・・・どうもこう、落ちるのは駄目だ。なんというか、ガ―――という感じがして駄目だ・・・」
 何かトラウマでもあるのかギルガメッシュは忌々しげにそう言い。
「く・・・くらげ、くらげ・・・たっぷりくらげ・・・くらげ、くらげたっぷりくらげがやってくる―――!」
 そして、こみ上げる蟻走感にぶるっと身体を震わせて思わず頭を抱えた。

 ・・・両手で。

「あ」
「あ」
 交差する視線。見事な縦ロールの先端がふわりと優雅に天井を向く。
 ようは、自由落下の開始である。
「ギルガメッシュさんっ、よもや、そこまで―――」
 予想の真下を往くうっかり加減に思わずパクリくさい台詞を叫んでしまった士郎の声を合図に、二人は小さくなっていく互いの顔を見つめながら同時に動いた。

 トレースオン
「投影開始―――!」

 起動しかけていた魔術回路を開き直して士郎は空間にイメージを投影。
 瞬時に描かれたフレームを魔力が巡り、完全に実体化するまでの時間すらもどかしいとばかりに銀鎖が直下へと駆け抜ける。
「往けエルキドゥっ!」
 対し、ギルガメッシュは常とかわらぬ自信に溢れた声でそう告げただけであった。
 王命に従い眼下より空気を突き破らんばかりの速度で駆け上がるは同じく鎖。宝具名は天の鎖、所持者によって付けられた名は友の名を採りエルキドゥという。
 二本の鎖の先端は二人の間でガシャリと絡まりあい、もう一端は士郎の腕とギルガメッシュの身体をぐるぐる巻きにした。びん、と勢いよく鎖が張り二人の身体を繋ぎ合わせる。
「・・・うむ、よくやったぞ衛宮、エルキドゥ」
 ぶらーんと鎖に絡まってぶら下がりながらギルガメッシュは満足げに頷く。蓑虫っぽいポーズだが、鎖を身体に絡めるのは王様的お気に入りファッションなので平気なのだ。なんなら裸に鎖だけでもいいくらいである。
「しかし揺れる・・・よいか二人とも、離すなよ? 離すでないぞ?」
 ギルガメッシュが叫ぶと腕に巻きついた鎖がじゃらりと震えた。その動きに、何か戸惑いのようなものを感じる。
(なんだ? ―――同調、開始)
 天の鎖は自律的に動く宝具だ。意思に似たものがあるのだろうかと解析の要領で士郎は鎖に自分の意識を通し。
(? なにか・・・お約束的な何かをしなくてはと思ってる・・・? それと、熱いなにかに満たされた大きなガラスの容器?)
 うっすらと伝わってきたイメージに首をかしげた。
「ギルガメッシュさん―――」
 よくはわからないながらも何かろくでもない事にはなりそうだと判断した士郎は警告の声をあげたが。
「―――絶対に離すなよ!?」
 しかし、一瞬遅かった。

 しゃらん、と。

 ギルガメッシュが叫んだ瞬間、天の鎖は軽やかな音と共に彼女の体を虚空へと放り出した。重力=愛の公式に従い、愛しい者を抱きしめるが如き素早さでもって落下が開始される。
「ぇ? ―――あれ」
 きょとんとしたギルガメッシュの顔が小さくなっていくのを士郎はアドレナリンの働きでゆっくりになった視界の中でしばし呆然と眺め―――
「なんでさっっ!」
 今度こそ自身の決め台詞たる渾身のツッコミを叫んでから慌てて鎖に魔力を通した。
 回路が接続された瞬間に鮮明になった映像は熱湯風呂。そこの縁でふらふらする芸人。ネタ振り、合図、落下。訴えてやる! 

 ―――それにしてもこのエルキドゥ、芸人魂に満ちすぎである。

『え? あれ? 今のギャグとちゃうのっ?』(訳:衛宮)
 なるほどなーとやや納得しながら伝えた救助の意思に天の鎖は慌てたような魔力を振りまきながら伸び、素早くギルガメッシュの体を巻きなおす。
「!? ! !?」
「―――フィッシュ」
 もはや言葉も無く口をパクパクさせて縦ロールを振り乱す英雄王の少女じみた軽い体重を鎖越しに感じて士郎は安堵の息を漏らした。そのまま余計なイベントが起きないうちにと鎖を引き戻して引っ張りあげる。
『あは、あははは・・・さ、さあて、さっさと脱出せんとあかんねー・・・』
 体を張ったギャグではないと理解できた天の鎖の協力もあり、小柄な体はあっさりと空間の割れ目から飛び出してきた。
「だ、大丈夫ですか・・・?」
 ペタンと床にしりもちをついたまま目と口を大きく広げて硬直している姿に心配になった士郎はギルガメッシュにおそるおそる近づいた。
「あ・・・」
 ふらふらと虚空を撫でていた赤い瞳が徐々に焦点を結んで士郎の顔へと向けられ―――
「ぅ。ぅえええええええええんっっっ!」
「ぅおっ、と」
 そして、その小柄な体は強烈な勢いで士郎へと飛びついた。
「こ、こわ、こわか、怖かった・・・わりと本気で怖かった・・・!」
「あ、えっと、うん。ドンマイ・・・」
 号泣する背中をとんとんと平手で撫でてやるとギルガメッシュは士郎の腹に顔をこすり付けるように泣き続け、数分してようやく落ち着きを取り戻した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 下を向いたままそそくさと離れるギルガメッシュにも、やや困り顔でその姿を見つめる士郎にも言葉は無い。
「・・・・・・」
 思わぬ事態に士郎は頭をかきながらうぅむと悩んだ。 さて、キャラ崩壊の瞬間を見てしまったが、これからどう接したらいいのか―――
 所在なさげに天の鎖がしゃらしゃら鳴る音だけを耳に数分。
「・・・その」
「衛宮・・・」
 そして、なんとかフォローせねばとおそるおそる口を開いた士郎の声を、ギルガメッシュの声が制した。
 一度区切ってギルガメッシュはゆっくりと顔をあげる。ゆっくりとあらわになったその表情は―――
「うむ、この我の手助けをできるとは、果報者だな衛宮。感謝するが良い」
「・・・はい。ありがとうございます」
 いつもと寸分変わらぬ慢心王のそれであった。
(流石は自称世界3つ分にも比肩すると言われる自我。一度や二度幼児化した程度どうってことなかったか)
『こういう人なんよ。あんたも苦労しぃやねぇ?』
 呆れるより先にむしろ感心している士郎の肩を、天の鎖がぽんっと叩く。どうも剣と鎖ということで宝物属性的な好感を持たれたようだ。
「よし、その働きに免じて褒美をとらそう。おまえはこの時より我のメシ使い改め我の倉庫番を名乗るがよい」
「なんだか延々と荷物を押してそうな称号だなぁ・・・」
「あながち間違いえはないぞ。その受け取り方で」
 苦笑する士郎に鷹揚に頷き、ギルガメッシュはパチンと指を鳴らす。
「気分がよいから先ほどの貢物も返してやろうではないか感謝するがいい。うむ」
 言うが早いか空間の歪みが士郎の目の前に開き、そこからポイポイとチョコが放り出される。
 ぅおっと、と士郎は慌ててそれを受け止め、故に気付くことはなかった。
 一見するといつも通りなギルガメッシュが実は少し早口になっていることも、僅かに顔が赤い事も、眼が微妙に揺れている事も。
『・・・・・・』
 ただ、鎖だけが微妙な沈黙と共にしゃらりと揺れる。
「―――それで、本題なのだが」
 ひやかすような鎖の視線―――正確にはそれっぽい魔力の放射を黙殺し、ギルガメッシュは深呼吸を二三度挟んでから口を開いた。
「あ、そうですね。例によって宝物庫の整理ですか?」
 チョコを机に戻しながらの言葉にギルガメッシュは目を細め、こいこいと手招きをする。
「?」
 そして無防備に近づいてきた士郎の頭によいしょと手を伸ばし。
「―――少し、しゃがむのだ」
「あ、はい」
 手が届かなかったのでその場にしゃがませてから、ぺちっとチョップを振り下ろした。
「!? ・・・なんでさ?」
「なんでもパーフェクトもハーモニーもないわ! 少しは察っせぬか! このタイミングで来たならチョコレートを渡しに来たに決まっていようが!」
 腰に手を当て憤る小さな王様を士郎は驚きをこめて見つめる。
「ギルガメッシュさんが人に物をくれるなんて・・・」
 ゴルディオンチョップ
「『黄金王の制裁手刀』!」
 返答はさっきより強烈なチョップだった。まあ、仮にも英霊たるものの物理攻撃だ。真っ二つにされなかったということは本気ではないのだろうが。
「そも、貴様が生きている事そのものが我の慈悲の賜物であるということを改めて認識しなおすがいいわ!」
「ご、ごめん・・・確かにちょっと失礼すぎた・・・」
 頭頂部を抑えて謝る士郎にふんと鼻を鳴らし、ギルガメッシュはパチンと指を鳴らす。空間の割れ目から顔を覗かせたのは、あからさまに高級そうな包装の小箱だった。
「ふっ―――言っておくが、我のチョコの値段は6桁まであるぞ」
「高ぇええええええええっ!」
 観客席があれば2階席まで吹き飛びそうな勢いで驚く士郎にギルガメッシュはふふんと笑みを浮かべた。
「我はともかく、我の財は侮るなよ? マネーはパワーだ」
 言いながら、さりげなく隠した左手の指には小さな絆創膏。
「・・・ありがとう。ギルガメッシュさん。本当に嬉しいです」
「っ! ・・・ふん、あたりまえだ。平伏せよ。だが、あれだぞ。ただで貰えると思うなよ?」
 笑顔の素直さに思わず後ずさってしまったギルガメッシュは、ごほごほと空咳をしながら横目で士郎を見る。
「ただでって・・・お返しは来月ちゃんとしますよ―――さすがに、これの3倍返しは無理っぽいけど・・・」
「それはわかっている。そうではなく、今ここで我の出す試練を乗り越えて見せろと言っているのだ」
 どんっと胸を張る英雄王に、士郎は居住まいを正した。彼とて一流のヒーローマニアだ。試練とか特訓とか友情とか勝利とか大好きだ。毎週ギルガメッシュと同じ漫画雑誌だって読んでるのだ。
「わかった。何をすればいいんですか?」
「うむ。まずはこれを受け取るがいい」
 ギルガメッシュがパチンと指を鳴らすと、士郎の目の前に空間の歪みが開いた。そこからぽいぽいと何かが飛び出してきたので慌てて受け止める。
「っと、なんだこれ・・・?」
 腕の中に納まったのは、星条旗の模様がプリントされたシルクハットと手のひらにすっぽり収まるサイズの押しボタン。
 試しに押してみると、ぴぽーんという軽快な音と共にシルクハットの上に?マークが立ち上がる。
「・・・ウルトラ○イズの回答セット?」
「ああ。以前馴染みの雑貨屋に買いに行かせたものだ」
 買ってきたものだでないあたり王様炸裂である。
「よいか、我が3つの問いを出す。それら全て答えてなお無事であれば、おまえにこのチョコレートを下賜してやろう」
 菓子だけにね、という合いの手はぐっと飲み込み士郎は大人しく頷く。
「なんか、無事であればというあたりに凄く心眼が疼いてるけど、どんとこい、だ」
「その意気や良し。褒めて使わそう。生涯誇るがいい」
 腕組みで仁王立ちのギルガメッシュを見ながら士郎はシルクハットを被った。立膝で座り、膝の上にボタンを軽くにぎった状態で手を置く。
「よいか? 衛宮」
「ちょっと待って。テストしてみる」
 士郎は少し息を整え、すばやく膝の上の手を動かした。
 ぴぽーん。
「よし、大丈夫みたいだ。じゃあお願いします。ギルガメッシュさん」
「うむ。では始めるぞ。偉大なる我提供、おまえの見識を計るアミューズメントクイズ―――」
 両眼を閉じ、ギルガメッシュは息を吸った。存分にその力を溜め込み―――
「題して、『わくわくぴぽーん』だ!」
 くわっと瞳を見開き大音声で宣言する。空間の歪みから飛び出した鳩が窓から外へと飛び出してどこかへ去っていった。
「―――うん、実にギルガメッシュらしいネーミングだ」
 対照的に和み気味の士郎をすっぱりと無視してギルガメッシュはいつもの腕組みポーズをとった。余談ではあるが、小柄だがスタイルのメリハリが利いている彼女が腕組みをすると、二の腕でむにっと強調された胸が悩ましい。
「よし、では一問目―――」
 じゃじゃん、とどこからともなくジングルを響かせてからギルガメッシュは静かに告げる。
「最強のサーヴァントは、誰だ?」
「・・・えっと、身体能力って点ではやっぱりバーサーカーだよな。燃費の良さではランサーも凄いし、アーチャーの戦術バリエーションは脅威だ。もちろんセイバーも正面突破力と砲撃戦能力、粘りの点で最優の名に恥じないし剣技ってことなら佐々木さんに敵うものはないよな」
 うんうんと士郎は頷く。さりげなく天の鎖は部屋の隅に退避する。ギルガメッシュの額にびきびきと青筋が立つ。
 そして。
「で、宝具の面ではやっぱりギルガメッシュさんだよな」
「ぅ遅いわぁあああっ!」
 無駄ににこやかな調子で言った瞬間、空間の割れ目から飛び出してきた剣の柄が士郎の鳩尾に直撃した。
「ぷぽぉっ・・・!」
「その痛み、我の心の痛みと知れ・・・」
 肺の空気を搾り出されて悶える士郎を見下ろしてギルガメッシュが唸ると、彼女の周囲にぴょこんぴょこんといくつもの宝具が飛び出して待機する。
「それと、言い忘れていたが・・・我の問いに不正解をすると、その間違い具合に応じて宝具がセットされる。正解ならばその時点で配置した宝具は全て引っ込めてやるが、三問目が終わった時点で残ってた宝具は・・・そのまま撃つぞ」
「そ、それで、最後まで無事ならば、なんだ・・・」
 ルール的に見て、最後の問題さえ正解すれば問題ないんじゃないか? と士郎の脳のどこかで囁きが聞こえるが、あえてそこはつっこまない。いくら自殺的な特攻がパーソナルスキルであっても、意味なく死亡率をあげたりはしないのだ。
「と、とにかく・・・ルールはわかった。どんと、来い・・・」
 そことなく弱気になってはいるが勝算はある。最低限頭と胴体が残ってれば再生できるんじゃないかなあ・・・
「・・・衛宮、先に言っておいてやるが」
 ギルガメッシュは静かに囁いた。結構珍しい光景だ。
「これ、再生阻害の効果があるからな」
 指差したのはちょっとバールのようなものに似た宝具。確か、ハルペーとか言う名前だ。
「・・・さあ、では問題を望みます。一心不乱の問題を・・・」
「よし。ならば第二問だ―――この世で一番エレガントな王様は誰だ?」
 士郎は一瞬考えてから即答した。
「セイバーとギルガメッシュさんかな」
「一番を複数作るんじゃないっ!」
 瞬間、びんっと音を立てて士郎の股の間を掠めた槍が床に突き立つ。
「!? ちょ、ちょっとひんやり風が来た・・・!」
 本人どころか後世の子孫まで根絶やしにしてやらんとばかりの暴虐に士郎はおぞけだった。さりげにこの槍も軽度ではあるが傷が癒えないという概念を持っていたりするあたり、王様は本気だ!
「で、でもほら、ギルガメッシュさんもわりとセイバー萌えだろ!?」
「む・・・まあ、10年前は色々あったからな・・・もう一人の馬鹿王があまりに無礼だったこともあってギャップがなぁ・・・」
 なんだか回想モードに入ったのか遠い目をした自称エレガントにおいても頂点に立つ王様はしばらくしてから現代に帰還し、士郎を睨みつけた。
「それはそうとして・・・後がないぞ」
 親指で指し示された背後に待機している宝具は30を数えている。どれもが『なんか剣っぽいのが居るよ? 居るよ? かじっていい? かじっていい?』とばかりにやる気満々な面構え―――切っ先構え? をした奴らばかりだ。
「く・・・最後・・・最後さえ正解してしまえば勝ちでしょう・・・?」
「う、うむ。死に物狂いで正答を出してみよ・・・」
 追い詰められた士郎の台詞に、何故かギルガメッシュの顔が赤くなる。部屋の隅で傍観していた天の鎖がちゃりんと鳴った。
「で、では、最後の問題だ。心して答えるがいい」
「・・・りょ、了解」
 どもりがちな出題者にそんなに難しい問題が来るのかと士郎は身構えるが、ギルガメッシュは口を開けたり閉じたりするばかりで無言のままだ。
「――――――」
「・・・ギルガメッシュさん?」
 不審な状況に首をかしげて問うと、ギルガメッシュは咳払いをしてからゆっくりと言葉をつむぎ始める。
「その、だな・・・」
「は、はい」
 相槌にギルガメッシュは口をへの字にしてしばし躊躇い。

 

 


「その―――我と友達になってくれるか?」
「もちろん」
 早口で囁かれた言葉に士郎は一瞬の遅延もなく頷いた。
「あ、ぅ、そ、そぅか・・・」
 刹那のやり取りにギルガメッシュはどこぞのお土産の赤べこの如くぶんぶんと何度も何度も頷いた。表情はいつもと変わらない。でも、さっきまで浮いていた宝具は全て宝物庫へ帰り、天の鎖はかちゃかちゃ揺れている。笑っている、のだろうか?
「う、うむ。正解だ・・・ふ、ふん。やれば出来るではないか雑種」
 久しぶりに聞いた雑種発言が、妙にくすぐったい。不器用な照れ隠しに士郎もまた笑みを浮かべ。
「よし、ではこれでおまえは我の友だ」
 言葉と共に首へ巻かれた黒い首輪にその表情が硬直した。首元で、南京錠がカシャリと揺れる。
「・・・あの、ギルガメッシュさん? これは・・・」
「? 友情を結んだのだ。おまえのものは我のもの。おまえの身体も我のものだろう?」
 何を言っているのだこの物知らずめとばかりに反り返るギルガメッシュに、士郎はじっとりと背中に汗をかきながらおそるおそる声をかけてみた。
「そ、それはなんていうか―――友情とはちょっと違うもののような気がする」
「!? な、なんだと!? エルキドゥは嬉々として首輪をはめていたというのに!?」
「・・・それは、そういう性癖なだけじゃないかな・・・」
 本気で仰天しているギルガメッシュの後ろで、
『えへへ、うち、ちょぅマゾやねん・・・圧迫感が気持ちよぅてな?』
 とチャラチャラ悶える姿はもちろん鎖。何故なら彼女もまた、世界にとって特別な変態だからです。
「なんということだ・・・神や民に友が出来たと自慢するたびに笑われたのはその為か・・・」
 壮大な黒歴史誕生の瞬間であった。
「く・・・だが! 知らぬ! 懲りぬ! 準備せぬ! それが我の刻んできた道―――そう、我こそが『慢心の王』だ! 後悔などするものか!」
「自分で言っちゃった・・・!」
 ここまでくればもはや神々しくすらある堂々としたうっかり宣言に士郎は苦笑する。
「でも、まあそれでこそギルガメッシュさんか・・・綿密に計画を立てて隙無く行動するっていうのもらしくないですしね」
「どれだけ綿密に計画を立てていようが、我々慢心スキル持ちはイレギュラーを見落としてそれを台無しにされるように出来ているのだ。思えば我を召喚した魔術師もそうであったなぁ・・・」
 しみじみ語られ、士郎はおやと首をかしげた。
「ギルガメッシュさんの召喚者って言峰だよな? あいつ、ああ見えてうっかり属性なんですか?」
「む? いや、奴は現在の召喚者契約を結んでいる相手というだけだ。我がこの世界に来てやった時にも確かにそこには居たが、その時の契約対象はあれだ。赤雑種の親だぞ」
「へぇ・・・遠坂の父さんか・・・あの血筋はアーチャー引く運命なんだな」
 どうでもよさそうな台詞に士郎は何気なく相槌をうって眉をひそめる。何かこう、ひっかかる事を言われたような気もするのだが。
「ともあれ、これを受け取るがいい。我の気前良さに感謝せよ」
 ギルガメッシュは士郎の内心など気にしない。蔵から出した高そうな小箱をひょいっと突き出してくる。
「ありがとうございます」
 受け取ってははぁーっと頭をさげてみせると満足げな笑顔がそれに応える。
「うむ、味わって食べるがよい・・・では、我はもう行くぞ。見送りは無用だ」
「いや、部屋の外出るだけだし見送りくらいしますよ?」
 普段なら見送りどころか部屋まで薔薇を撒きながら先導せよとか言ってもおかしくないのにと尋ねてみるとギルガメッシュはふんっとそっぽをむいて部屋の外へと歩き出した。
「ありがとうございます」
 受け取ってははぁーっと頭をさげてみせると満足げな笑顔がそれに応える。
「うむ、味わって食べるがよい・・・では、我はもう行くぞ。見送りは無用だ」
「いや、部屋の外出るだけだし見送りくらいしますよ?」
 普段なら見送りどころか部屋まで薔薇を撒きながら先導せよとか言ってもおかしくないのにと尋ねてみるとギルガメッシュはふんっとそっぽをむいて部屋の外へと歩き出した。
「あ・・・ギルガメッシュさん?」
「我が無用だと言っているのだから無用なのだ」
 声をかけるが、振り向かずさっさと廊下に出てしまう。
「いや、でも・・・」
 それでも士郎が遠ざかる背中に声をかけると、その歩みがぴたりと止まった。
「ギルガ―――」
「呼び止めるでない! あんまりジロジロ見られたら照れて赤くなっているのがバレるであろうが!」
「あ、いや、うん。ごめん・・・でもこの首輪の鍵、外してってくれませんか・・・?」
 逆にきっちり締められました。
「・・・思いっきりベルトが食い込んだじゃないですか」
「・・・・・・」
 革の首輪に喉を圧迫されて咳き込む士郎に、ギルガメッシュはしばし沈黙してからぽつりと言葉を漏らした。
「・・・セクシー?」
「・・・セクシーではないと思います。少なくとも」
 留め金をガチャガチャと動かしてみるが、硬く固定されたそれは全くのこと外れる気配が無い。 完全にロックされているようである。
「この南京錠、飾りじゃないんですね」
「無論だ。我の辞書に中庸などない。ブレーキ即フルスロットル。最初から最後までクライマックスだからな」
 どこかの鬼だか桃太郎だかのような台詞を吐いたギルガメッシュはぶわさっと髪をかきあげながら踵を返した。
「では、そういうことなので我、退場」
 そしてそのまま歩き出す。少し、早足だ。
「あ、ちょっ、ギルガメッシュさん、だから鍵は?」
 慌てて呼び止める士郎の声に、ギルガメッシュはぴたり、と一瞬だけ立ち止まり。


「無論、鍵などない。外すならば壊して外すがよい」

 言い切ったポーズはもちろん背中見せ。
 何故なら我もまたアーチャーだからです。
「・・・なくしたんですね?」
 士郎は静かに確認する。
 一見して物持ちが良いこの王様が、しかし何でもかんでも宝物庫に放り込めば管理できるが故にバビロン入りしてないアイテムの管理をずさんにしているのはここしばらく倉庫の整理を手伝っていたので先刻承知であった。
 部屋のクロゼットの中などトランプからジャ●プのバックナンバー、士郎の投影した剣まで詰め込まれ結構凄いことになっているのだ。
「な、なくしてなど、ないぞ?」
 ギルガメッシュは士郎に視線どころか顔も向けず不明瞭な声で早口に告げる。
「なくしたのではなく―――そう、下賜してやったのだ! 我のうっかりにな!」
「・・・つまり、なくしたんですね」
 思わずつっこんだ士郎の声にギルガメッシュはうぅと唸り。
「―――す・・・す、ま・・・」
 もごもごと口の中で言葉を転がしながら髪を指に巻きつけたり解いたりしはじめた。
「すま・・・いや、ごめ・・・」
 口ごもってる。すっごいごもごもしてる。
「うむぅ・・・ご・・・め・・・」
 こちらをちらちら伺うが何も言えない王様に、士郎は思わず苦笑を漏らした。
「・・・別にいいですよ、これくらい」
「ぇん!?」
 台詞を先読み―――というか、補完されてギルガメッシュは思わず狐っぽい声をあげた。
 驚かれているが、実際のところ被虐の受け性質(たち)たる彼にとってはこの程度のトラブル春の淡雪のようなものである。
「い、いや、ち、違うぞ!? この我ともあろうものが謝り方がわからないとかそんな無様なことはないのだぞ!?」
「それでも一応。これもまあプレゼントなわけですし気にしないでください」
 乾坤一擲の空気読み(エアリード)機能発動にギルガメッシュは突きつけられた指の臭いを嗅ごうとしたら急にタバコを突き出された猫の如くに七転八倒し。
「我はただ、その、そ―――う、うわはははははははははっ!」
 結局どうすべきかわからなかったのか哄笑と共に走り去ってしまった。
 流石は英霊というべきかあっという間に見えなくなったその背中を見送り、士郎は深く頭をさげる。

「お大事に」

 空気は読めても、感情は読めないようだ。

 

 12-12 セイバー

 高速移動する金色のドリルの残像が残る両目をパチパチと瞬きしながら士郎は自室へ戻り机の前に座った。
「・・・さすがにちょっとくるしいな。物理的な意味で」
 気管を押さえる首輪の圧迫感は確かにつらいが、卓上のチョコを眺めるとそれもたいしたことではなく思えてくる。
 桜が一年中咲いているというとある島に住む魔術師は、知人の巫女さんが払い棒を振る姿になごみ効果を発見し『巫女さんを肌で感じる』という表現でそれを報告したものであるが、この状況もまた同じ事であった。
 疲労や負傷と喜びが交換されている限り、きっとやっていけるさ。少し交換レートがおかしいような気もするが気にしない気にしない。
 最近だんだんわかってきたのだが、世の中は前向きに生きるのが大事だ。
 諦めが肝心とも言う。
「・・・よし、回復」
 気を取り直した士郎は意識を集中させ、自分の首筋に触れた。正確に言えば、そこにしっかりとはめられた黒皮の首輪の南京錠にである。
「解析開始(トレースオン)っと―――なんだこりゃ。また無駄に頑丈な」
 別段魔力がこもっていたりするわけではないようだが、素材といい安易なピッキングを拒む複雑な内部構造といい、かなりの上物である。
「・・・なんでこんな特殊なプレイにしか使えないようなものにそんなにも金をかけるかな」
 本来はペットなりなんなりに使うものではないのかという常識はなくとも物を大事にする心はわりと豊富な士郎にとっては気は進まないが、壊す方向も視野に入れる必要はあるだろう。
「俺の技術で開錠できる範囲ならいいんだけど・・・」
 士郎は工具箱を取り出し、細い針金と精密ドライバーを取り出して鍵穴にそれを差し込む。
 南京錠の構造は、典型的なシリンダー錠だ。
 突き詰めてみれば内部のシリンダーを回転させられればそれでいいのであり、ピッキング防止の為に色々な対策が施されているこの鍵とて、適切な形の物体が大事なところに挿入されて激しく動かされてしまえば『悔しいっ! でも開いちゃう!』とならざるを得ないのだ。
「っ・・・よ・・・ぉ・・・む・・・」
 士郎は鍵穴の奥へ慎重に針金を進ませ、精密ドライバーで注意深く加工していく。窪みにあわせて曲げ、でっぱりに合わせて曲げ、傾斜をつけ―――先程読み取った構造と実際の手ごたえを元に針金を鍵の形にあわせた上で強化の魔術によって硬度を上げてやれば、簡易的な合鍵が完成するという寸法なのだが・・・
 カツ、と。
 試しに回してみた針金は硬い音を立てて回転の途中で止まってしまった。
「駄目か」
 流石は超一流の金持ちが買ってきた高級品。針金をドライバーで曲げた程度では厚みや微妙な曲がり具合の差を検出してシリンダーが上手く回ってくれないようだ。
「いっそ、この針金を変化の魔術で形を変えてやればいけるのか?」
 呟いてうぅむと唸る。連日連夜の特訓のおかげで投影はもうほとんど失敗はしない。強化も無茶をしなければ昔のように連戦連敗というわけではないが、その中途にあたる変化は使いどころを士郎自身が掴んでない事もあってまだ不得手であった。
 水か何かを流し込んだ上でそれの性質を変化させ硬くしてやれば『硬いのが、硬いのが中でゴリゴリするぅっ!』とばかりに開くかもしれないが、これもまた士郎の手には余るだろう。
 投影で直接鍵を作り出すという手もあるのだが、現在把握している構造はあくまで鍵穴であり鍵ではない。その状態から武器ならぬ鍵が作れるかは、正直未知数の範囲であった。
「結局現状では・・・壊すしかないのか」
 うむぅと唸る。開錠するのも至難の技ではあるが、壊すとなると心理的な抵抗感抜きでもそれはそれで難しい。
 ようは南京錠のアーチ部分か首輪の革ベルトを切断すればいいのだが、首そのものと密着しているので作業がしにくい上に、力加減を間違えたら大惨事だ。
 士郎はふぅと息をつき、それでもこの手段しか、残ってないのだから―――とばかりに工具箱の鋸に手を伸ばし。
 その時。

 カリカリカリと。

 廊下に続くふすまから乾いた音がした。
 カリカリカリ。
 断続的に続くその音に首をかしげ、士郎はふすまを開けてみる。
「あれ?」
 誰も居ない。左右を見渡して見るが、廊下に人影はない。代わりに。
「にゃー」
 足元から、馴染みの声がした。
「なんだ、猫か」
 先程ハサン―――もとい、自称チョコラータ嬢に襲われた時にも現れた猫さんがそこでにゃうっと片手を挙げている。
 どうやら、さっきのはふすまを引っかく音だったらしい。
「ふすまに爪立てちゃ駄目だぞ?」
「にゃ」
 一応注意するが猫は不本意そうな顔で―――いや、そんな気がするだけなのだが―――短く鳴いた。見れば、ふすまには傷一本付いていないようである。
 ―――戯れなれば、当身にて。
 家を傷つけぬよう気を使う優しさが、猫にもあった。
 のかもしれない。
「・・・濡れ衣だったか。すまん、猫」
「にゃう」
 素直に膝をついて謝罪する士郎に猫は鷹揚に頷いてみせた。こう見えて、近所の猫に一目置かれるお嬢猫でありお姉猫である。多少の事でいらついたりなどというはしたない事はしないのだ。
「それで、どうしたんだ? 俺に何か用か?」
「にゃー」
 尋ねると、猫は軽く鳴いて傍らの箱に前足をかけた。20センチ四方はあるだろうか。青い、結構大きな紙箱である。金色のリボンがアクセントとして映える。
「? ・・・これがどうかしたか?」
「にゃ」
 目をしばたかせる士郎に猫は箱から前足をどけ、鼻先でつんつんと押してみせる。
「・・・俺にくれる、のか?」
 こちらへ押しやろうとしているらしき仕草に士郎は首をかしげ、その箱を手にとって見る。
 見たところカードや署名はない。完全に、所属不明だ。
「中身は・・・?」
 呟き、士郎は箱を軽く揺さぶってみた。
「にゃっ!?」「―――っ!?」
 途端、足元で猫があわてたような鳴き声をあげる。なんだか声が二重に聞こえたような気がするのだが・・・
 猫は士郎の足をぺしぺしと叩いて部屋の中へ入った。外をよく出歩いている猫ではあるが、室内へ入るときはちゃんと足拭きタオルを使う賢いレディなので泥が多い日も安心である。
 中庭から裸足で駆け込んでくるあんり達や喧嘩しながら土足で室内へ突っ込んでくるランサー達にも是非見習って欲しい。
「?」
 座卓の横にちょこんと座った猫に首をかしげて士郎もまたその傍らに座る。
「えっと・・・この箱を開けろ、ってことでいいんだよな?」
 尋ねると猫は「よろしくってよ」とばかりに頷いた。
「ん。じゃあちょっと待っててくれ」
 猫からのプレゼントなのか、はたまた誰かから猫へのプレゼントで開けて欲しいだけなのかはわからないが、気になるのは中身だ。鰹節か、ミルクか、屋根裏で捕獲した鼠か。
 士郎はリボンを丁寧に解いて慎重に蓋を開け―――
「―――って林檎?」
 中にあったのはどれでもなかった。
 覗き込んだ箱の中に収められていたのは、プラスチック製とおぼしき林檎。掌に乗るくらいのサイズのそれをとりあえず丁重に取り出し、机の上に置く。
「・・・ますますわけがわからない」
 カードが添えてあったりするわけでもなく意図が読めないそれを良く見ようと士郎は顔を近づけ、瞬間。

「ハッピーバレンタインっ!」

 ぽんっと音がして目の前の林檎が上下に二分割された!
「ぬぁっ!?」
 驚愕する士郎の視線の先には、中空になった林檎の下半分に入って上林檎を持ち上げ、無表情に横振りで腰を振る身長15センチ強の手乗り少女が居る。
「サーザ○ーさんサザ○さーん・・・ゆっかいだーなー」
「にゃ」
 思わず口ずさんだ士郎は脳裏に浮かんだ一足飛びで迫り来る不老の一家をブンブンと首を振って追い払う。
「な、なにをやってるんだ? ちびせいばー」
「贈り物を届けに来ました。ちなみにこれはこの国の伝統的な作品に着想を得た演出です」
 手乗り従者さんことちびせいばーはそう言って両手に抱えるようにしてチョコを差し出してきた。彼女のサイズと比較すれば一抱えもある大きさだが、実サイズとしてはよくある土産物のマカデミヤナッツあたりくらいであろうか。
「さあ、私からです。受け取ってください」
「・・・あ、ありがとう・・・とりあえず、サプライズではあったよ・・・」
 受け取り、そのまま口に入れる。市販品らしきものではあったが、中々に美味い。
「うん、おいしい」
「そうでしょう。まろやかな口当たりが実にいい」
「・・・そうだな」
 嬉しげに小さな―――サイズも縮尺も小さな胸を張るちびせいばーを士郎は生暖かい目でじっと見つめた。
 容器がこのプラスチック林檎だとして、サイズからして内容物が一個というのはおかしくないだろうか。ちびせいばー自身が収納される為に数を減らしたにしても。
「・・・なあ、ちびせいばー。口の周り、ぬぐった方がいいと思うぞ」
「!?」
 その可愛らしい唇の周りについた茶色の汚れは、さて何だろうか。
「し、失礼しました。はしたないまねを・・・」
「にゃぁ・・・」
 慌ててスカートのポケットからハンカチ―――これもミニマムサイズ―――を出して口元をぬぐうセイバーとそれを見てため息のような鳴き声をだす猫の姿に士郎は推測を確信に変えた。

 食ったな。これは。

「・・・うう」
 苦笑交じりの視線に、ちびせいばーはがっくりとうなだれた。
「も、もうしわけありません・・・戦略レベルでは正しい策だったと自負していますが、戦術面では少々落とし穴があったようです・・・」
 ようは、驚かそうと隠れてたのだが、待ちくたびれて食欲に負けたのか。
「いや、ちゃんと俺の分を我慢してくれたから何も問題はないけど・・・ちびせいばーはノーマルセイバーより少し大人だと思ってたんで少し意外かもしれないな・・・」
「その少しの部分で一つ残せたとお考えください」
 少し恥ずかしそうに苦笑するちびせいばーである。開き直らないあたりが大人なのだろうか。
「ともかく、改めてありがとう。美味しかったよ」
「小さいなりに私もまたあなたの従者であると自負している。礼など無用です」
 口ではそう言いながらも胸に片手をあてたいつものえっへんポーズであるあたり、褒められてかなり嬉しいようだ。その傍らで猫も微笑ましげに目を細めている。
「と、それはそうとシロウ。先程から気になっていたのですが、その首輪は一体・・・だれかとスールの誓いでも交わしたのですが?」
「にゃ?」
「・・・いや、何故そういう発想にいくのかは知らないけど違う。ちょっと手違いで俺の首にはまっちゃったんだけど鍵がないんだ。仕方ないから、これで壊そうかと思ってる」
 机の上に出しっぱなしの鋸を指し示すとちびせいばーは小さく首をかしげた。
「自分の首というものは、目が届かないが故に触れづらい部分です。事故を防ぐ意味で、フルサイズの方の私に声をかけた方が良いのではないですか? たちどころに外してみせると思いますよ。ただし、真っ二つですが」
 パチンと指を鳴らすちびせいばーに士郎は首輪を撫でて考える。
「そう、かな・・・こんなのでセイバーに手間をかけさせるのもなにかなと思うんだけど」
「頼るべきでない時に頼るのは愚かですが、頼ってもよいときに頼らないのもまた賢いとはいえませんよ、シロウ。我を通して突き進むべき時はありますが、今は別段そういう場面でもないでしょう?」
 まあ、首輪なぞどこぞの犬神っ使いあたりは標準装備していることでもあるし気軽にということか。
「・・・わかった。とりあえずセイバーを探してみる」
「探さずとも、道場に居る筈ですよ。さっき気合を入れる為瞑想すると言っていましたから」
「気合?」
 疑問の声にちびせいばーは笑って応えず、そのまま猫にまたがる。
「いいですか、シロウ。道場に行ったら、真剣に臨んでください。いい加減だったり日和見だったりした場合、今夜の夕食の際にご飯に潜んで貴方の胃へ侵入します。いくら回復力が高くても内部からの破壊で無事とは思わない事です」
「―――よくわからないけど了解」
 でも、たぶんそれは実行する前に失敗すると思うぞ。戦術レベルで。

 

「お、居た」
 道場の中を覗き込んだ士郎はいつものように正座して瞑目するセイバーの姿を見つけて呟いた。
「セイバー、ちょっと頼みがあるんだけどいいか?」
 声をかけながらつっかけてきたサンダルを脱ぎ道場にあがるが、返事が無い。
「?」
 見れば、いつもなら道場に入ってきた瞬間にこちらに気づくセイバーが、今日に限って無言でうつむいたままである。
「・・・っ」
 ぴくりともしない少女の姿を見て士郎は反射的に息を止めていた。筋肉を弛緩させ、足と床の設置面を柔らかく捉え音を消す。
(―――スキル発動。【見よう見まね気配遮断】)
 いまさら言うまでも無いが、セイバーの鋭さは一級品だ。
 日常生活ではわりと隙が多いがそれでも気づかれないままセイバーに接近するのは専門職のハサンをして至難の技といえよう。
 こないだのお出かけに際しても英霊多数が尾行しながらも結局誰も近くには寄れなかったのもその為であり―――
(今の俺なら、どのくらいまで近づけるんだろう?)
 自己のスキルに対しての好奇心、そしてピラフに旗が刺してあったらそれを崩さないように食べたくなる果てなき冒険スピリッツに突き動かされた士郎はよしと頷き。
(―――アタック)
 無言のままに進軍指令を自分に出し、状況を開始した。
 ゆっくり一歩踏み出す。セイバー微動だにせず。
 さらに一歩。まだ気づかない。
 もう一歩。大丈夫。
 一歩。まだ。
 一。ま。
 い。
 っ。
 ・
 ・
 ・

(―――引っ込みがつかなくなった・・・)

 そして士郎は途方にくれた。
 目の前には正座したまま動かないセイバーの姿。瞼を閉じたその顔が立っている彼の股間の辺りに位置するのでなんとなく犯罪じみた構図だ。
「えっと、せいばー・・・」
 なんとなく小声になって呼びかけながらしゃがんでみる。
「――――――」
 ここにいたってもまだ無反応なその姿に、士郎はそこはかとなく不安になった。
「えっと・・・寝てるのか?」
 呟き、自分の答えを自分で打ち消す。セイバーなら寝ていても間合いの中に入られたら目を覚ます筈だ。
(っていうか、ちゃんと息してるか? セイバー)
 静か過ぎるその姿に士郎は美しい彫像を前にしているような気分になりセイバーに顔を近づけてみた。至近距離に迫った美貌に鼓動が早くなるのを自覚しながら表情を観察する。
(―――息はちゃんとしてる。何か難しい顔してるけど苦しげじゃない、か)
 僅かな呼吸音に安堵し、一息ついた。
 まあ、セイバーだって立派な不思議ちゃんだ。こういう事もあるのだろう。へんた―――もとい、サーヴァント多数と仲良くやってくコツは、あまり深く考えない事だ。
(っていうか、近いな)
 落ち着くと、顔が触れ合おうかというこの距離が気になってくる。今目を開けられたら気まずかろうてと士郎は後ろへ下がろうとし。

「今日こそ―――!」

 瞬間、くわっとセイバーは目を見開いた。
「明るい家族計画を! なんとしてもッ!」
「何ぃいいいいいっ!?」
 士郎、魂のつっこみであった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 視線が絡む。呼吸が重なる。空白の三秒ルール。
 状況確認―――是、至近距離お見合い。
「にゃあああああああああ」
「うわあああああああああ」
 二人は同時に叫んで飛びのいた。正座の姿勢から上体のそらしだけでジャンプしたセイバーは背後の壁に後頭部を強打し悶絶し、士郎はしゃがんだ姿勢から中腰で背後へ飛ぼうとして足を滑らせ、床に頭を叩きつけてごろごろと転がっていく。
「っ・・・ぉぉぉ・・・」
「ぅ・・・ぁぁぁ・・・」

 道場の 床で悶える 主従かな。

 実に、へたっている光景であった。
「っつ・・・まさかあれほどの接近を許すとは・・・なんという無様・・・」
 しばし痛みに悶えてから起き上がったセイバーの苦虫を噛み潰すような表情に士郎は苦笑しながら立ち上がる。
「いや、ほら。セイバーの直感って先の展開を読み取ってる感じなんだろ? 俺はセイバーに何かしようとしてたわけじゃないからたぶん読み取る先が無かったんだと思うぞ?」
 同じ後頭部強打、しかも落差と体重を考えればむしろセイバーより大きなダメージを受けてる筈の士郎だがそこはダメージ慣れの差。すでにけろっとしていた。毎度無闇に頑丈な男である。
「それはそうとして、セイバー。独り言にしても、アレの名称を大声で叫ぶのは倫理的に感心できないぞ・・・?」
「? ・・・アレ、とはなんのことですか?」
 ほえっと首をかしげるセイバーに士郎は眉をひそめる。
「いや、だからさっきの―――待った。セイバー、さっき何を考えてた?」
「え・・・あ、その・・・衛宮家の将来をどのように明るくしていくかについて―――わ、私はあなたに仕える騎士ですので、色々・・・」
 微妙だ。
 アレそのものについて言っているようにも思えるのだが、聖杯の与える知識に避妊については含まれたなかったようにも思える。
 結論。流そう。
「・・・ところでセイバー、頼みがあるんだけど今、時間はあるか?」
「頼みですか? なんでしょう」
 きょとんとしていた表情をきりっと引き締めるセイバーにそんなにまじめに取り組むような内容じゃないけどなと前置きし、士郎は自分の首を指差した。
「ちょっと事故でこれがはまっちゃってさ、鍵がないから外せないんだ。このベルト部分、斬って貰えないか?」
「拝見します」
 セイバーは士郎の首筋を覗き込み、首輪の幅と厚みを確認して軽く頷いた。
「これなら問題ありません。そこで直立してください」
「ん。わかった。頼む」
 士郎が指示通り気をつけの姿勢で立つと同時に、セイバーは右手をすっと伸ばした。
 握った手の中には既に愛剣の柄。約束された勝利の剣(エクスカリバー)―――今は風王結界を外され刀身が露になっているそれを、騎士王は気負いなく中段に構えた。
「では」
「ああ」
 交わされた言葉は互いに一言。その音が消えるよりも早く銀光が二人の間を結び、一瞬置いて真っ二つに切り裂かれた首輪のベルトが床へと落ちた。その下の肌には傷ひとつついていない。
「ブラボー、おお、ブラボー・・・」
「仮にも剣の英霊として召還された身です。この程度は賞賛に値しません」
 口ではそう言いながらちょっと嬉しそうに胸を張ったセイバーは、しかしふと気づいて首をかしげる。
「しかし、この手の技でしたら私よりもアサシンの方が得意だと思いますが?」
「あ・・・」
 何せアサシンこと佐々木小次郎は魔法の域に達した剣客だ。空中で大根の桂剥き完遂を達成するその驚異の魔技をもってすればこの程度赤子の手をひねるより簡単であろう。
 余談であるが、やってみると赤子の手をひねるのは結構難しい。暴れるし。
「そういえばそうだな。ちびせいばーに薦められたんで何も考えずにここへ来ちゃったけど・・・すまないセイバー。手間をかけた」
「いえ、私は貴方のものだ。用があるならば、遠慮なく言ってほしい」
 その言葉に、その笑顔に士郎は思わず赤くなった。主の表情にセイバーもまた自分の台詞の意味に気づき咳払いなどしてみせる。
「ご、ごほん。私の剣は、です・・・まあ、私自身が剣なのでその・・・おおむね間違いでもないのですが・・・」
「あ、うん・・・ありがとう・・・」
「いえ・・・」
 互いに何を言っていいものかわからなくなって見詰め合う。ストロベリーな空気の中セイバーは落ち着かなげに背後をちらりと見やり、こくりと頷いた。
「そ、そうですシロウ! せっかく道場に来たのですから私とひと勝負していきませんか!?」
 唐突な言葉に、士郎は昨日もここでランサーと勝負してたなあなどと一人ごちる。
「勝負ってなにでだ?」
「無論、剣です」
 セイバーは言い置いて隅に置いてある竹刀を手に取った。
「もちろん私はこの竹刀しか使いませんし、そもそも私を倒せとは言いません。貴方が今、どこまで出来るかを見せてほしいのです。なんでもありで来てください。持ちうる技術を全て叩きつけるつもりで」
 長い条件に士郎は表情を引き締める。
 対峙する、師であり従者である少女の表情は真剣だ。意図は読めずとも、それが彼女にとって大事な何かであることくらいはわかっている。
 故に。
「・・・ああ。わかった」
 士郎はしっかりと頷き、セイバーから数歩離れて向き合いって両手をすっと左右に伸ばした。
「投影開始(トレースオン)」
 呪文と共に回路を開く。世界へと映し出したそのフレームは、最も慣れ親しんだ二色の短刀。
 魔力を通し、虚構を実在へと変換し―――
「投影重層(トレースフラクタル)」
 そしてそこへ、もう一つの設計図を重ね合わせる。
 それは投影を歪める投影。この魔術における先達であるアーチャーが使う崩壊の奥義の為の技術なのだが。
「・・・よし、行くぞセイバー」
 今回士郎が使ったのは、それの更なるアレンジであった。アーチャーが見れば呆れて失笑するような類の。
「・・・士郎」
 セイバーは、英霊の宝具とはまた異なる神秘でもって出現したその剣を見て軽く眉をしかめた。注目するのは、その刀身。
「その剣には、刃が付いていないようですが?」
「刃なんて飾りだよ。この剣はこれで100%の性能が出せる・・・直撃させても重傷にならないっていう安心感で心理的なリミッターを外す意味でな」
 実際、相手に当てるという意味での戦力低下はない。本来なら鋭い刃が無い分風力性能的に扱いづらくなる筈の所を重心の微妙な変更で補うなど無意味に工夫の凝らされた匠の技であったりもする。
「確かに、いつもの鍛錬よりも剣気が鋭いですね・・・成る程、確かにこの状況では戦力が増強されているようです」
 士郎とて魔術師だ。討つべき相手に対して手加減などしないし、その結果として殺すことも殺されることも覚悟はしている。だが、このような模擬戦においてはどうか。
 セイバー自身は構わず当てるつもりで来いと言うが、やはりそういうわけにもいかず、かと言って実力という点で大きな隔たりがあるこの状況で寸止めの為の余力を残した攻撃など何の意味も持たないだろう。
 つまりこれは、それ故の刃止めである。士郎が本気でセイバーを打ち倒す気であるという証明の投影。
「・・・納得しました。では、はじめましょう」
 セイバーはすっと竹刀を構える。士郎は双刀を携えたまま、軽く半身になり息を整える。
 開始の号令など無い。こうして向かい合うだけで互いの意が容易に感じ取れる今、どちらかが戦意を見せた瞬間が始まりである事は暗黙のうちに了解されている。
 二人は神経をすり減らさぬよう無心で互いの間と息を読み取ってゆっくりと体勢を変え。
「・・・!」
 先に動いたのは士郎であった。呼気を止めると共に床を蹴り、上体を捻りながら一足飛びに間合いを詰める。
(モーションは左の胴薙ぎ―――)
 対し、セイバーは間合いに入り次第叩き伏せるべくその場に動かず、直感の閃きに握りをやや短く持ち替え。
(―――違う、投擲・・・!)
 士郎はセイバーの間合いへと足を踏み入れるより一瞬だけ早く左に握った干将を横薙ぎのモーションのまま投擲した。
「投影開始(トレースオン)・・・!」
 間髪居れず呪文を叫び、足らぬ一歩を踏み込みながら右の莫耶で斬りかかる。
 投擲の奇襲を予知されるのはわかっている。しかしそれを回避しようと打ち払おうとセイバーの選択肢は防御だ。ニ刃の右は士郎が主導権を握ることが出来る。
 ―――それが尋常な相手で、あれば。
「それでは駄目だ。シロウ・・・!」
 はたして、声と共にキンッと澄んだ音が響いた。
「っ・・・!」
 士郎の目の前に返し手が迫る。竹刀の切っ先ではなく、飛来する黒の刃―――先程投擲した、干将そのものが。セイバーは飛来する剣を避けるのでも打ち払うのでもなく・・・高速回転するその剣の峰を正確に強打することで、真逆へと打ち返して見せたのだ。
 飛来した方向の逆・・・士郎へと。
「っ!」
 士郎は右手の干将で目の前へ迫った刃を跳ね上げた。金属の悲鳴を残して莫耶は頭上へと弾かれて飛び。
「・・・くッ!?」
 目の端にちらりと映った映像が鳴らした警鐘を信じて士郎はその場に倒れ込んだ。
 一瞬前まで腹があったあたりを人間の目では捉えるのが難しい程の速度で竹刀が通過し、床に仰向けで倒れた士郎は風圧を感じて背筋を凍らせる。

「作戦はよかった。しかし貴方は剣士ではない・・・!」

 複数の攻撃の重ね当てはアーチャーが得意とする技であり、攻防一体のその手は今のように自分よりも基本性能の高い相手と戦うに際しては極めて有効な手段だ。
 しかし、それは一撃一撃に相手を押し込める威力を乗せられるからこその有効性。士郎の身体能力では二つの斬撃が共に軽すぎる。
 囮にも本命にもなるからこその選択を迫れる重ね当てなのであり、容易に突破されてしまう攻撃を重ねたところで、それはただの連撃にすぎない。

「―――ああ。それはわかっている。セイバー」

 そう、己の非力はわかっている。
 どれだけ鍛錬したところで、どれだけ技術を模倣したところで衛宮士郎はセイバーやバゼットのような戦う者には特化されない。
 だから、士郎は倒れたまま左手をかざした。空の、左手を。
「―――!」
 その映像に、床に倒れた士郎に追い討ちをしようとしていたセイバーの意識へ警告が走る。
 数瞬前の事。士郎は干将を投擲した後に投影の呪文を口にしていた筈。その時は投擲したそれを再装填しているのだと思っていたが、今になっても手は空―――

フリーズアウト ソードバレルフルオープン
「停止解凍、全投影連続層写」

 答えは瞬時に得られた。
 落ち着いた声と共にセイバーの頭上に現れたのは魔力なき短剣、手のひらの長さをわずかに越える刃渡りしか持たない投擲用のそれはハサンの所持するダーク。
 ―――しかしてその数、二十と七本!
 絶対の精度を誇る直感には全ての先手があらゆるフェイントが無効となり、生半可な攻撃も防御も魔力放出でブーストされたその力の前には意味が無い。
 だが、それでもセイバーの手足は4本しかないのだ。
 その閃光の如き斬撃も、神懸かった防御も、行うのは同じ腕、同じ脚。故にその数を遥かに越える攻撃によって対応を飽和させれば、付け入る隙は自ずと生じる筈。
 それこそが、これまで幾度と無く叩き伏せられた経験から士郎が判断した結論。
 足りぬなら、他から補う。
 届かぬなら、別の方向から掴み取る。
 その戦い方は、剣士のものではなく―――

「そうだ。剣士じゃない・・・俺は魔術師だ。セイバー!」
 切っ先を下に落下する無数のダークをもはや見ず、士郎は跳ね起きざまに右手に握ったままの干将で切り上げの斬撃で追撃する。
(・・・考えましたね、シロウ)
 頭上と眼下に刃を感じつつセイバーは心中で呟いた。
 そこに含まれるのは感心と―――微量の疑惑。
(しかし、これだけでは先程と同じ事)
 落下してくる無数の刃は確かに無傷で済ますには難しい。しかし、ただそれだけの事。振るうのでも投擲するでもなくただ落ちてくるダークによる傷など、セイバーの肉体にとっては無いに等しい。
 ―――事実、セイバーの直感は落下する刃から何の危険も感じとっては居ない。
(安易に過ぎる。これが今のあなたの限界なのですか? それとも―――)
 故に、セイバーは落ちてくるダークを無視した、タイミングを合わせて切りかかってくる士郎のみを標的と認識した。
 斬り上げの斬撃を正面から押し潰すべく大きく踏み込んで竹刀を振り上げ―――

(――――――!?)

 しかし唐突に働いた直感に目を見開く。
 閃きは強烈な斬線。方向は上から下。数は無数、
 それは身体を穿つ剣雨の展開!
「っ!」
 急ぎ振り仰ぐ。そこに舞うは変わらず落下する無数の短剣と。

 

「―――我が骨子は、捩れ、狂う(I am the bone of my Sword)」


 力有る言葉を受けてその身を捩じらせる。無数のヒビに包まれた―――

 ―――最初の交差にて、士郎が天井近くまで弾き上げていた陰剣莫耶の姿!


「壊れた幻想(ブロークンファンタズム)・・・!」

 声と共に刃を形作る幻想は捩じ切れて崩壊した。カッと閃光を発して生じた爆発は込められた魔力があまり大きくなかったのか規模が小さい。これがセイバーを巻き込むような大きさのものであれば直感で感知できた筈だが、爆発はあくまでも天井近くの空間で完結し―――しかし、その爆風が落下中の無数のダークを下へと、セイバーへと叩きつける!
「これは・・・!」
 吹き飛ばされる事で推力を得、軌道と速度を大きく変えたダークの群れはただの落下からランダムな刃の飛散へと変わり、直下のセイバーへと襲い掛かる。
 威力、速度共に先程とは比べ物にならないその斬雨に直感が危険性とその先の展開を告げる。既に攻撃の為に踏み出していた足はいまさら回避に切り替えることが出来ず、無視すれば無防備な背中へ刃が降り注ぎそのダメージが次の攻撃を回避できぬものにするだろう。
「くっ・・・」
 セイバーは踏み出した足にぐっと力を入れて反動で上半身をそらした。左手を離し片手持ちに代えた竹刀を遠心力で振り回して頭上を薙ぎ払い、降り注いだダークを破砕する。

 そして、下方からは振り上げられる白の刃。片手持ちに変えた事で開いた左腕を軌道に差し込むが、セイバーの肉体強度ではこの一撃は耐え切れない。折れた腕では戦闘続行は叶うまい。

 今、ここに。
 重ね当ては為った―――

 

 頑(ガン)、と。

 硬質の音が響く。静止。しばしの静寂。
 そして。
「・・・え?」
 干将を振りぬいた士郎の目が、驚きに見開かれた。
 手に伝わるのは肉を打ったそれでも骨を損ねたものでもなく、金属に阻まれた衝撃。

 直撃したはずの刃は、いつのまにかセイバーの左腕に服を引き裂いて装着(プットオン)されていた銀の篭手の表面を僅かに削り、止められている。
 英霊の装備は、いわば霊体(からだ)の一部だ。それは瞬間(ゼロセコンド)で自由に装着しうるもの。そして、セイバーの最優たる所以は最強の聖剣や予知じみた直感だけではない。その巨大な魔力の大半を注ぎ込んで創られる鎧もまた―――
「しまっ―――」
 己が一撃を必殺と思ってしまえば、その後は無くなる。
 全力で放った攻撃を止められた士郎にはもはや回避も反撃も叶わない。
 セイバーは頭上を薙いだ右腕、切り上げる剣閃を防いだ左腕をそのままに―――


「はあああっッ!」

 至近へ迫った士郎の額に、自分の額を全力で叩き付けた。

「ずっ、頭突き!?」

 ごっ。

 

 脳内で、虎の人が手招きする。ブルマの人が大笑いしている。

「星が―――星がデススターっ!」

 士郎は、シリアスを突き通す事すら禁止されて気絶した。

 

 


「―――ウ、―――ロウ?」
「む・・・」
 呼びかける声に、士郎はぼんやりとする意識を振り払って目をあけた。
「セイ、バー? ・・・あ」
 まだ曖昧な視界に、それでもはっきりとわかる金の輪郭。近い。
「俺、また気絶か・・・」
 呟いてようやく記憶と意識がはっきりとした。
 さかさまになったセイバーの顔と、まだ少し痛む頭を支える柔らかな感触には覚えがある。数日前にも味わった膝枕、そしてもちろん縦膝枕。セイバーのサーヴァントたるもの、一度受けた指示は忘れないのだ。
「シロウ、意識が戻って早々でなんはありますが、少しお説教があります」
「む。確かに負けたけど今回は結構いい線いってたと思うんだけどな」
 苦笑する士郎にセイバーはにっこりと微笑んだ。
「ええ。もはや私の戦い方などどこにも感じ取れないくらいにいい線をイッテイマシタネ?」
「・・・い、いや。ほら、根本的な心構えとかの面でそれは刻み込まれてるんだよ。なんていうか・・・大事なのは間合いと引かぬ心だとかそんな感じに・・・」
 ピシピシと青筋を立てる姿に冷や汗をかきながら弁解する士郎へため息ひとつ。
「まあいいでしょう。それはそれとして・・・シロウ、あなたの戦い方はやはり無謀に過ぎる」
 そう言って指先で撫でたのは士郎の肩とわき腹に出来た大きな裂傷。どちらも先程のダークによる散弾攻撃の際に流れ弾に当たって切り裂かれたものである。
「再生能力があるとはいえ、それは何に由来するのかもわからない不確かなものなのです。あまり頼りにし過ぎるのも危険ですよ?」
「ん・・・それはわかってるんだけどな。俺に出来る事を全部注ぎ込まないとセイバーに迫るなんて無謀、できっこないと思ったから―――まあ、そもそも手加減して貰ってる上に、負けてしまったけどな」
 再度苦笑して傷の痛みに顔をしかめる己が主に、セイバーは神妙な表情で首を横に振った。
「いえ、あれは貴方の勝ちですよ。シロウ」
「・・・え?」
 唐突な言葉に士郎は目を丸くする。
「あの状況は、鎧を纏うか風王結界を使用するかしないと回避できませんでした。しかし、それは竹刀しか使わないという宣言に反する。事前に自分へと課したルールを私は破ってしまった」
 まあ、実戦だったら自分の負傷を覚悟して相手を両断していたところなのだが、それはそれでルール違反というものだろう。
「だから、貴方の勝ちだ」
 自然に表情が緩む。賞賛と、親心にも似た誇らしさを胸に、知らずセイバーは優しく微笑んでいた。
「本当に・・・強くなりましたね・・・シロウ」
「・・・そ、そうかな・・・」
 その笑顔の美しさに。
 かつて人の心がわからぬと言われた少女の感情の煌きに。
 士郎はまぶしくなって曖昧に目をそらす。

 セイバーは、こんなにも可愛かっただろうか?

「ええ、そうですとも」
 主の不審な行動に気づかず、セイバーはきゅっと表情を引き締めた。
「しかし、慢心してはなりませんよシロウ。強くなったとはいえ、あくまでもそれは人の身でのレベルです。私たちを出し抜く事が出来るというだけでも十二分に賞賛に値することではありますが、正面から戦えば確実に死を迎えるのだということも、忘れてはなりません」
「ああ。その辺りはいつも感じてる。大丈夫だよセイバー」
 いつも通りのお説教モードに士郎は落ち着きを取り戻した。膝枕のままなのがアレだが。
「ならば一つ問題です。人間とサーヴァント・・・いえ、吸血種やこの国に多数居ると聞く混血を含めた『人外』が戦う際、最も問題になる要素はなんだと思いますか?」
「・・・単純に力が強い事?」
 防御の上から人体を挽肉にできる人外は無数に居る。
「確かに、それもまた気をつけるべき要素です。ですがそれ以前に―――速度が、違うのです。たとえば先程の立会い、あの間合いでの遭遇で、かつ制限無しというのであれば私は呪文を口にさせるより早く貴方を両断していたでしょう」
 全速のサーヴァントというものは、そういうレベルだ。
 凛もかつてアーチャーとランサーが戦う様を目撃し、その攻防の速度に魔術師として強化された目が付いていかないという感想を得ている。
「シロウの場合、驚くべき事に先読みによって我々の全速行動にすら意識の上では反応できているようではあるのですが、防御手段、攻撃手段共に魔術に依存する関係上それが具体的な行動に直結できていません」
「呪文が必要になるからな・・・だからこそ、遠坂やイリヤは切り札になる魔術の他にガンドとか魔眼みたいな一工程(シングルアクション)の魔術をサポートに習得してるわけか・・・」
 しかし、士郎にはそれが望めない。彼の才能は複数種類の魔術を習得させてくれるほど便利なものではないのだ。
「ですから、シロウ。あなたは奇襲に弱いという事を、よく認識し・・・」
 うむむと太ももに頭をのせたまま悩む士郎を見下ろし、セイバーは厳しい顔を作った。
 なんだか、赤くなりながら。
「出かける時は常に盾を手放さないように心がけてください。いいですね!?」
「た、盾!? いや、そう言われても日常生活できないしな、それじゃ・・・職質される」
 ぎょっとした表情でそう言った士郎に、セイバーはおずおずと自分の鼻を指差してみせた。
「・・・えっと」
 士郎はきょとんとした表情で呟く。
「・・・セイバーのことなのか・・・盾?」
「ええ。頑丈さと直感には少々自信があります」
 まあ、確かに。直感感知と防御力の高さはガードには最適だろうが・・・
「でも、そのプランには少し問題があるな」
「!? ど、どこにですか!? ふ、不出来な点があればなんなりと・・・」
 がごーんとショックを受けるセイバーに、士郎は思わず苦笑した。
「いや、そうじゃなくて・・・なんかあったとき、俺の方がセイバーを庇っちゃいそうだから」
 リバースカードオープン! 『衛宮シールド』発動! 敵の攻撃は士郎がグロく受け止める!
「だからそれを控えてくださいといってるんです! はぁ・・・」
 ひゅるひゅれとため息をつく姿に苦笑すると、セイバーも苦笑を返す。
「まあ、突撃癖はお互いさまですし、徐々にまあ、なんとか・・・」
「・・・そうだな。うん、出来るとこからこつこつと治そう・・・」
 お互い守れそうも無い目標だなあとひとしきり笑いあい、セイバーは再度士郎の傷を覗き込む。
「傷の具合はどうですか?」
「ん。だいたいは再生した」
 皮膚は完全に再生されたし、その下の脂肪層、筋肉もほぼ元通り復元している。痛みも無い。
「もうですか? 何か、いつもより早いように思えますが・・・」
「確かに・・・なんかセイバーが傍に居ると治りが早いような気がするんだよな」
 特に、今のように直接接触していると実に治りが早い。
「? ・・・やはり、私の再生能力がシロウの方にも働いているという事なのでしょうか?」
「わからないけどそういうことかもな」
 以前体内まで弄り回した凛もお手上げと諦めた謎機能に二人して首をかしげる。
「・・・実は、その」
 セイバーは士郎の頬にさりげなく手をあてながらぽそりと囁いた。
「ん?」
「具体的に再生能力が上がるとかそういう事はありませんが・・・私も、あなたが傍に居てくれる時が一番、その・・・居心地がいいと感じています・・・」
 頬に触れる指先が温かい。
「その、私を剣と喩えるならば・・・私にとってのシロウはそれを収めてくれる・・・そう、鞘のような人です」
 そのまま飲み込んでとか余計な事が脳裏をよぎるけどカット。
 しばし見詰め合い、セイバーはほぅと息をつき、きりっと―――たぶん、自分ではきりっとしてるつもりなのであろう表情になった。
 どう見ても、照れでテンパッてるが。
「と、ともあれ、勝った以上はご褒美が必要だと思います」
「褒美?」
 ああ、成る程と士郎は内心で納得した。
 流石のにぶちんバカスパナでも一応学習はする。この流れ、チョコレートだなと士郎は喜びが爆発しないよう心の中でぐっと力を込めて身構え―――
「ご褒美は、私自身です。受け取ってください」
「ありがたく頂うぇええええええっ!?」
 構えごと爆破されて絶叫した。
「はい。その・・・か、家事は出来ませんが護衛とかは得意ですし、殿方の悦ばせ方については少々造詣もありますので・・・ぎりぎり妻も勤まるかと・・・その・・・駄目でしょうか・・・」
「いや、家事は俺が出来るから別にそれは構わなって妻ぁっ!?」
 クマー!
 と無意味に脳内で叫びながら士郎は跳ね起きた。
 後ずさる士郎に色々な表情が入り混じりすぎてむしろ無表情にすら見えるセイバーはこくこくこくこくと連続して頷き、吐息と共に思いを告げる。

「―――はい。私は・・・あなたの元へ、嫁ぎたい・・・」
 士郎は、しばし呆然とし。
「セイバー。それは―――本気で言っているのか?」
 真剣な表情になって静かに問うた。
「本気、です」
 士郎の視線が語る意味は、理解している。もう幾度も自問し、自答したのだから。

 セイバー、アルトリア・ペンドラゴンの存在は後悔の上に成り立っていた。
 あの時、剣を抜いたのが別の者であればあのような結末にはならなかったのではないか?
 多くのものを切り捨て、最後には国に討たれる事になったあの結末を覆せたのではないか?
 自分を恨み、苦しみ、失われた多くの者が、よき結末に眠れたのではないかと。
 それを望み彼女は聖杯と契約したのだ。
 未来に、そして自分に返る望みを持てない。それがセイバーと士郎に共通する歪みであった。

「ですが・・・ここで暮らし、あなたの過去と生き方に触れ―――私は知る事ができました。王として、私は誰に恥じる事のない生涯を生きたと。その結果は苦しみを伴ったものでしたが、それでも私が望んだものです。聖杯など、出る幕はない」
 顔を上げたセイバーの目に、迷いはなかった。
 確かに、結末は報われたと言えるものではなかっただろう。
 しかしそれは最初から、あの剣を抜くその時からわかっていた事。その過程で救えたものがあった。掴めたものがあった。
 ―――そして今も、国の名前は変われどあの地に人々は生きている。
 だから、それで良いのだ。もはや、聖杯を求めてさ迷う必要はない。
「故に、私がすべき事は己が命の最後を迎えることのみです。あの丘に戻り、王の死に伴ういくつかの決着をつける事が、アルトリア・ペンドラゴンの最後の仕事になるでしょう」
 世界と契約し、死の寸前の時間を無限に引き延ばして彷徨ってきた魂の旅路も今となってしまえば刹那の夢。
 彼女の最後の騎士は、目を覚ますまで傍に居てくれるだろうか? 時にもどかしげにこちらを見ていた彼にこそ、頼みたい事があるのだが。
 セイバーは自分の決断を黙って聞いてくれる士郎を真っ直ぐ見据え、結論を口にした。
「だからこそ、私は少し欲張ってみることにしました」
 終わりを定めたからこそ、決める事ができた。
「王の願いを果たした今―――最後にもう一人、少女の願いを叶えてみようと」
「・・・少女?」
 問われ、遠い記憶を呼び起こす。
 地に突きつけられた剣、その傍らに座った老人。そこで選ばれた願いと、そこで捨てた願い。
「聖剣を抜き王になる前、ただの少女だった頃に望んだ、ありきたりで・・・しかし大切だった願い」
 それは。
「朴訥で、地味で、料理が上手くて、心の温かい・・・そんな人に嫁ぎたいという、あの鞘の如く失われた筈の願いです」

 やり直しになど意味が無い。誓った願いに間違いは無い。
 またあの場所へ戻ったとしても、彼女はもう一つの願いを捨てて王となるだろう。
 たとえこの記憶があったとしても。いや、この想いがあるからこそ、きっとやり直さず同じ道を辿る事だろう。
 その道行きで成し遂げた事は、無駄ではないのだから。
 その道の果てに出会えた人に、こうして惹かれたのだから。

 だが。
 叶え、辿り着いた願いの果て。
 その先を、続けてはならないのだろうか。

「受肉したこの身体が滅びた後、魂はあの丘に還ります。そして、今の私ならば、もうその最後を汚す事はないと確信しています」
 欲張っているだけかもしれない。間違えているのかもしれない。
「だから」
 それでも、この願いもまた、汚れなく真っ直ぐなものであると信じて。
「今、この命が続いている限りは、あなたと居たい。ずっと、ずっと、あなたと一緒にいたい。私は―――」

 

 


「シロウ、あなたを愛している」

 

 


「・・・セイバー」
 士郎は、知らず呟いていた。
 胸が、その奥の心臓が・・・魂が熱くなる。
 離すなと。この人を手放すなと記憶が、魂が、身体が叫ぶ。
 彼女と共にある生涯が、歓びに満ちたものであることが確信できる。
 二人は一対であると、半身を失う心残りを作るなと全身が訴える。

(あ―――)
 
 セイバーは、常に無い不安げな目で、こちらを見つめている。
 どこまでも真っ直ぐで、不器用で。だからこそはっきりとわかる愛情に士郎は溢れる感情を抑えきれない。

 だから。

 

「ごめん―――」

 だからこそ。

「―――俺はその想いに応えてやることはできない」

 士郎ははっきりとそう応えていた。
 誓いを、願いを、想いを共有する彼女にだけは、何一つとして偽ってはならないのだから。
 そして、この胸の歪みに態度も悪く居座っている少女は―――彼女ではないのだから。
 誤魔化す事だけは、絶対に、出来ない。

 


 静かに、二人は向かい合う。

「そう、ですか・・・」
 共に語らぬまま、共に目をそらさぬまま、ただ見つめあっていたその時間を、セイバーは静かな笑みで終わりにした。
「・・・では、これを」
 言って差し出した手には、彼女の愛剣が握られている。
「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』? これで俺にどうしろって・・・」
 刃の方を持ち、柄を差し出された士郎はそれを受け取って首をかしげ。
「! は、早まるなセイバー! 自殺なんて罪悪だぞ!?」
 脳裏をよぎった光景に慌ててセイバーの肩を掴んだ。
「そう! こんなふられてしょぼくれてる私なんて、いっそそれで焼き尽くし、とかちつくちてってそんなわけがないでしょうシロウ!」

 史書に曰く―――乗り突っ込みは。 どんな時代でも、ある

「・・・せ、セイバーがツッコミに回るなんて・・・」
「この国のコトワザで言うならば、門前の小僧習わぬ経を読むというものです」
 えっへんと胸を張りかけ、セイバーはそんな場面ではなかったと咳払いをする。
「そうではなく・・・その剣を、わたしの肩に当ててください。斬れない程度でお願いします」
 言って片膝をつきしゃがんだその細い肩に、士郎は聖剣の刀身を軽く当てた。
「こう、か?」
 尋ねる声にはいと頷き、セイバーは静かに微笑んで顔をあげた。
 その表情に、陰りは無い。
「・・・我が主、エミヤシロウ」
 発した言葉は、新たな誓い。
 かつて召還の際に告げたそれの、再契約。
「私、セイバーは貴方の剣となり、盾となり―――病める時も、健やかなる時もエミヤの名と共に生き、この身の朽ちるまでありとあらゆる災厄と運命から貴方と一族を守護し続けることを、我が誇りと・・・愛に誓います」
「セイバー・・・」
 士郎は覚悟を決め、ぐっと頷く。
「衛宮の名の元に、その誓い、確かに受け取った。我が剣よ―――」
 それは己の願いに、己の誓いに彼女を巻き込む覚悟。
 それ故に、もはや自分の意思ではこの道を外れる事が許されぬという覚悟。
 士郎はその重さと誓いの言葉を噛み締め―――
「・・・一族?」
 その中に紛れ込んでいた不審な単語に眉をしかめた。
「知りませんでしたか? 私は不老の身です」
 それ故、色々と成長が止まってマニアックな肉体になっているのだが。
 セイバーは不敵な笑みを浮かべ、ぐっと親指を突き立てる(サムズアップ)。
「ふふふふふ・・・士郎の子供は私が立派な騎士に育て上げて見せましょう」
「こ、子供!?」
 誰の!? 俺の!? 誰との!?
 混乱し後ずさる士郎にセイバーはくっくっと喉で笑い素早く寄り添う。
「名前は衛宮カリバーンでいいですか?」
「何故に剣の名前!?」
「二人の共同作業で出来たとひと目でわかるようにですよ」
「いやいやいや! あれ? セイバーが産むって話じゃない・・・よね?」
「違いますが・・・ふむ、寝ている間にこっそり精を搾り取ればなんとでもなるような気がしてきましたね・・・」
「ちょ、駄目! 駄目だそれは!」
「ええ、もちろん駄目です。直接注いで貰わねば・・・」
「誰か! 誰か来てくれ! セイバーがエロキャラになっちゃうよぅ!」
「し、失礼な! しかし・・・」
「迷わないで!」
「え、ええ・・・でも少しくらいなら・・・?」
「誰に聞いてるんだ!? メディーック、メディーック!」


 それもまあ、新たな主従の一幕。

 

12-13 間桐桜

「お、落ち着いたか? セイバー」
「どろり濃厚」
「駄目だ! セイバーが止まらない・・・!」
 頭を抱える士郎に冗談ですと笑い、セイバーはふと首をかしげた。
「おや? 電話が鳴っているようですね」
「誰かでるかな・・・まあいいや、ちょっと行ってくる」
 何しろ真面目に電話に出てくれるのが魔術師3人にアーチャーくらいのものだ。バーサーカーはやる気はあるのだが会話が成立しない。
「あ、ちょっと待ってくださいシロウ」
「ん?」
 サンダルをつっかける士郎に、セイバーはすっと白い包装紙の小箱を差し出した。
「ハッピーバレンタインです。シロウ」
「・・・ありがとう。セイバー」
 考えてみれば、あのセイバーから食べ物を貰うというのはちょっと凄いことなのではないだろうか。ややもすれば神々しさすら感じる手の中の重みに士郎は深く頭を下げる。
「本当に、ありがとう・・・」
「い、いえ。そんな涙ぐむような事では・・・ほ、ほら、電話が鳴っていますよシロウ。早く出ないと・・・」
 あ、ああと士郎は感涙を拭い、サンダルを鳴らしてリビングへ向かった。
 足取りが、軽い。
 負傷の回復をした後は魔力か生命力が消費されてるのかだるいことが多いのだが、魔術師という生命体は肉体よりもむしろ魂と意思で身体を制御するものなのだ。
「はいはい、ちょっと待ってくれ・・・」
 聞こえる筈もないのに電話に話かけてしまうのは何でだろうなぁなどと他愛の無いことを思いながら縁側にあがる。
「―――はい、もしもし」
「あ、先輩ですか?」
 リンリンと鳴り続ける電話にたどり着き受話器を耳に当てると、そこからは桜の声が飛び出してきた。
「どうした桜? 夕飯の材料を買いすぎて持てなくなったのか?」
「それはライダーに過積載すれば大丈夫ですけど・・・よくわかりましたね、私たちが夕飯の買出しに出てるって」
 しまった。その会話をしている時にはもう居ない設定だった!
「い、いや、時間帯的にな・・・」
「? まあそれはいいんですけど、あの・・・先輩、今お時間はいいですか?」
 問われ、脳内でスケジュール帳をめくる。
 まあ、人生レベルでは結構なものを背負いもしたが、早急にしなくてはいけないことは思い当たらない。
「大丈夫だ。空いてる」
「よかった。じゃあすいませんけど学校まで来てもらえませんか?」
 唐突な呼び出しに士郎は何故と聞き返しそうになって自重した。
「・・・わかった。すぐ行くよ」
「ありがとうございます。あ、でも少しゆっくりでお願いしますね」
 何かはわからないが、準備が必要という事だろう。
「ん。じゃあ学校で」
「はい、学校で」
 受話器を電話機に戻し士郎は一度息を吸い、吐いた。
 自意識過剰ならそれで問題はない。そうでないにせよ、曖昧にはしない。
 セイバーがそうであるように、桜もまたかけがえの無い人だ。騙す事も、誤魔化す事も無しにする。相手の為でなく自分の為にだが、それ以外に出来る事は無いのだから。
「ちょっと出かけてくる」
 居間に向かって声をかけると、ランサーのものと思しき手がにゅっと出てきてふらふらと上下に揺れた。いってらっしゃいの意味らしい。
(アーチャーとの決着はついたのか?)
 士郎は一人ごちながら部屋へ戻る。セイバーが居るかと思ったのだが、まだ戻ってきてはいないようだ。
 お出かけには必ず盾をと薦められてはいるが、予想通りの用件だとさすがにセイバーをつれてくわけにもいかず、まあ学校は近くだしなと肩をすくめてジャンバーを羽織る。
「・・・よし、行くか」
 一応財布をポケットに突っ込んで士郎は玄関へ移動。靴を履き、外へ出た。
 背後、家の中は静かだ。もう夕方と言っていい時間なので騒ぐのに皆疲れているのかもしれない。
(いや・・・それはないな)
 あの連中は、基本的に疲労とかとは無縁の無敵人ぞろいなのだし。
 学校へ向かう。通いなれた道、通いなれた目的地。
 そこで、彼女は待っている。


「あ、先輩」
 学校と言う曖昧な呼び出しにどこへ行ったらいいものかと考えていたのだが、悩みは簡単に開放された。
 校舎と校門を繋ぐその場所、鮮やかな夕日の赤の中で何ごとか考え込んでいた遠坂凛に声をかけたあの場所に、桜は笑顔で立っていた。
「おまたせ。時間はこんなもんでよかったのか?」
「はい、グッドタイミングですよ先輩」
 桜は微笑み、すっと小さな紙袋を差し出した。
「チョコレートです。先輩。一度に食べ過ぎないでくださいね?」
「ありがとう、桜。でも子供じゃないんだからチョコ食べ過ぎたくらいで鼻血とか出したりはしないぞ?」
 苦笑まじりに受け取った士郎に、桜は静かな笑みで首を横に振る。
「―――元気になりすぎて破裂しちゃいますから」
「・・・破裂ってどこ―――いや、なんでもない」
 逆に縮こまりそうな恐ろしい想像を士郎は慌てて振り払った。
 本当に大丈夫か? これ食べて。特に言峰あたりが居る時に食べると破滅的なアッー!
「慎重に、いただくよ」
「はい。ふふ・・・」
 微妙な表情の士郎に桜はひとしきりくすくすと笑い、やがて俯いた。
「・・・桜?」
 どうしたかと問う声に顔をあげた、その表情は穏やかなもの。
「先輩―――」
 呟くようにそう切り出した桜は静かに首を振り、そっと大事に言い直した
「―――士郎さん」
「え?」
 眼を丸くする士郎に精一杯の笑みを向ける。一度だけ大きく息を吸い、吐いて。


「わたしは、士郎さんが大好きです」


「桜―――」
「でも」
 そして、答えが返るよりも早く続ける。
「士郎さんは、姉さんが好きなんですよね・・・?」
「――――――」
 士郎は、桜を見つめる。
 いつも見上げるようだったその眼差しが、今は真っ直ぐに士郎を見据えていた。

 いつからだろう。いつの間にそうなっていたのだろう。
 俯きがちに訪れ、笑顔すらあまりみせなかった彼女は。
 しかし今、彼女の姉にも負けない強さで士郎の視線を受け止めてその答えを見届けようとしている。
 
 だから。


「・・・ああ」


 最初に決めていた通り、士郎は即答した。
 思ったよりも、はっきりと。
 戸惑いも躊躇も無く。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 口を閉ざし、二人は視線だけを互いに預けて立ち尽くした。
 陽が傾くのに従い長く伸びていく影だけが時の経過を示す中、次の言葉を探り合う。
 手の中の小さな紙袋がとてつもなく重いが、それをしっかりと握ったままで士郎は視線をそらさない。
 躊躇わず、偽らず、後ろめたく思わない。
 それが、彼女に対して出来る事の全て。
 はっきりと断る事だけが、今の士郎に出来る全てだった。
「・・・そっか」
 そして、桜は肩の荷がおりたさっぱりとした表情で―――少なくとも、そう見せられるくらいの表情で、頷いた。頷いて、みせた。
「やっぱり、そうですよね・・・告白とか、しないんですか?」
「ん。つもりはあるけど当人が行方不明だ」
 士郎が真顔で答えた台詞に、桜は一瞬きょとんとして、すぐにくすくすと笑い出す。
「その答えはちょっと予想外でした。もっと時間かかるかなって。・・・何か、あったんですか?」
「今まさにあったばかりだと思うけど・・・まあ、一人で生きるのは無理だって実感したから。出来ることは出来るうちにやっておきたい」
 よくわからない答えに桜はあまり考えをめぐらさず、大きなアクションで頷いてみせる。
「なるほど・・・それでその遠坂凛さんですが・・・実は会場に来ていただいております!」
「会場って・・・あ、ここか・・・ぅええっ!?」
 急展開についていけない士郎が二段つっこみと共に浮かべたぎょっとした表情とは対照的に桜はニコニコと笑顔を崩さずお辞儀などしてみせる。
「というわけで、ここでしばらく待っててくださいね―――先輩」
「さく―――」
「じゃあ後はごゆっくり! 夕飯までには帰ってきてくださいねー!」
 そして桜は小走りに校門の方へと去っていった。
「・・・桜」
 士郎も、それを追いかけるほど鈍くは無い。背中を見送り、一度だけ頷く。
「ありがとう」
 覚悟はした。お膳立てまでしてもらった。引き返す理由も、引き返せる道理もない。
 後は、ただ突っ走るのみだ。ある意味、いつもどおりではないか。
「で、遠坂はどこだ・・・?」
 呟いて見渡す。ここで待てという事はとりあえず向こうはこちらを見てるということだろう。校庭から校舎へ視線を移し、一階から順に確認していくと。
「・・・ああ」
 はたして、3階の教室にやや呆然とこちらを眺める見慣れた―――しかし見飽きる事のない少女が、立っていた。
 その姿は今も、夕焼けの鮮やかな赤に染まっている。
「そんなところに居たのか」
 この一日の落ち着かない気分が氷解するのを感じながら士郎は凛に声をかけるべく大きく息を吸い込み。
「士郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 それを放つより早く響いた怒鳴り声に思わず立ちすくんだ。
「今行くから待ってなさぁあああああああああああああいっ!」
 そして、続いて叫ばれた声が消えるより早くツインテールが窓から消える。
 早い。さすがの赤さ。3倍速だ。叫び声のエコーが消えるより早く見えなくなるのは人類の肉体が叩き出す速度として間違ってないか。霊長類遠坂科ツインテール目の新種生物だったりするのだろうか。気性は荒く、胸部が薄いのが特徴。撫でると威嚇音を出しながら擦り寄ってきます。
「あー・・・えっと」
 あまりの展開に混乱していた思考を魔術回路を背筋に通すイメージで強制リセットし、士郎は一人頷いた。
 どうやら、呼ぶまでも無く向こうから来てくれるらしい。どうせ遠坂の事だ。全速力で降りてきて、こっちのことを振り回すのだろう。
 だから、時間はあまり無い。

「・・・さっさと考えないとな」

 

 一世一代の、くどき文句を。

 

12-14 遠坂凛

「しぃろぉおおおおおおおおおっ!」
 わずか数分で校舎を駆け抜け校庭へと飛び出した凛の絶叫に、士郎は考えるのやめて顔をあげ。
「とおさ―――」
「うぅうけぇえとぉおおれぇえええええっ!」
 ちょっと女の子としてはどうよと言いたくなる鬼気迫る表情で迫る美少女にそのまま三歩ほど後ずさった。
 怖ぇ。なんか山も震えそうなくらい怖ぇ。
「にげぇるぅなぁ・・・!」
「に、逃げない! 逃げないからまずは落ち着け遠坂!」
 両手で制止された凛はようやく疾走をやめ、ぐっと唾を飲み込んだ。
(くっ、まずいわ。この空気はギャグの味がする―――)
 呼吸三つで乱れていた息を整える鍛えっぷりで態勢を立て直し、ずいっと赤い包装に黒いリボンの小箱を差し出す。
「これ、チョコレート・・・ファースト手作りの・・・う、受け取りなさいっ・・・!」
「あ、はい。善処します」
 鋭い眼光に微妙に言動をおかしくしながら士郎は受け取ったチョコを眺めた。

 チョコレート
  遠坂凛の
   はぢめての

 うわ、じわりと来た。じわりと来たぞ喜びが!
「―――ありがとう、遠坂」
(・・・っ! 士郎が笑ってる!? 普通に!?)
 それはずるい。それは反則だろう。
 なんでまた、そんな嬉しそうに笑うのか貴様。そんな、うぉっ、まぶしっ! って感じの微笑返したくなるような笑顔これまで見たことないぞ!?
 不測の事態に脳内に用意しておいたプランが春の淡雪の如く消え去っていくのを感じ、凛は慌ててぷいっとそっぽを向いた。あの表情をずっと見ていると乙女ゲージが溜まり過ぎで吹っ飛んでMAXを越えたFINALとか表示されそうだ。
「か、勘違いしないでよね―――」
「ん。しない」
 即答に凛は早い、早いよと心の中で力いっぱいつっこむ。
(そもそもわたしはまだどっちとも言ってない。義理だって勘違いしないでよ、かもしれないじゃないの。いや、あれ? そういう事? ばれてる? ばれてるのか!? く、おのれちょこざいな衛宮め・・・!)
 混乱する思考を取り繕い、凛はこほんと咳払いなどして士郎に目を向けたが。
「・・・し、しロウ?」
「それじゃ死蝋だ」
 反射的に応えた士郎に出鼻を折られ、凛は再度沈黙した。落ち着け、落ち着くんだ凛。勇気の鈴も凛凛凛だ。
「ごほん・・・士郎、その、ね・・・」
 言葉がうまく出ない。
(とりあえず当初の目標は達成したんだしこの場は適当に切り上げるべきかも・・・)
 一瞬だけ弱気が胸をよぎるが、すぐにカット。こんなチャンス・・・というか勢いが二度あるとは思えない。何せ200X年、ラブの炎に包まれた衛宮家はキャラの濃さが正義という無法地帯と化しているのだ。
(それに・・・)
 深呼吸を挟み気合を入れる。
 昔から、思ってたのだ。自分がもし誰かを好きになったら、絶対にこっちから告白するんだと。何かにつけ先手をとらないと気が済ま無い性分だし、そもそも受けに回るとからきし弱い自分が先に告白なんてされたら、どんなしどろもどろになってしまうかわからない。なにせ今まで大量に撃沈してきたどーでもいい奴らの告白とはわけが違うのだ。宇宙凄いのだ―――
「だ、大丈夫か遠坂? なんかもう、目がかつてない斬新な充血具合を見せてるぞ?」
「どんなのよそれ・・・しょうがないでしょ。昨日は徹夜だったんだから・・・あ、違うわよ? チョコはその前に準備してあったから手は抜いてないからね!?」
「そ、そうか・・・」
 勢いに負けて曖昧に頷く士郎の表情に、凛は脳内で苦悶の舞を天に捧げた。
(くっ・・・今の言い方じゃなんか緊張して眠れなかったみたいに聞こえる・・・! かといって謎解きパートに入ってたとか教えたらエミヤゲージ急上昇でムード台無しだし・・・!)
 ぎぎぎとかラララとか呻きながら凛はしばし感情の制御に全力をそそぎ、たっぷり1分かけてなんとか予定していた台詞を搾り出す。
「・・・衛宮君、聞いてほしいことがあるんだけど」
「ん。どうした、遠坂」
 久々の呼び方に、士郎の表情はやや緊張したそれになった。
 基本、この呼び方をする時は怒りの一撃を叩き込む時か真面目な話をする時であり―――
(―――二人だけのサイン)
 思わず浮かんだ乙女チックルネッサンスに凛はガッと赤面した。
 この際、センスの古さがなお恥ずかしい。
「と、遠坂?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。こういうとき、焦った方が負けなのよね」
「―――俺はバチカンには行かないぞ?」
 別に紫電の人の台詞じゃないわよと突っ込みたいところを我慢して凛は深呼吸する。
 大切なのはインパクト、それとわかりやすさ。
 こいつの朴念仁ぶりはランクで言えばA++くらいだ。ただでさえ鈍いのに、シチュエーションによってはそれが4倍くらいまで増加します。
(あなたが好きなの・・・! ああ、俺も好きだよみんながとかなるかもしれない・・・ボツ。わたしとつきあいなさい! ・・・どこへ?で終了、ボツ。毎朝私のために紅茶を入れなさい・・・もうやってるぞ、で終了、ボツ。こ・づ・く・り・しましょ―――言えるかっ!)
 思いつく限りの選択肢が全てボツになっていく破滅的な思考実験にため息一つ。
 なんというか、こいつ自身も問題だけどわたしのこういうのに対するボキャブラリーの少なさもなんたることか。
「遠坂? 本気でどうかしたのか? なんか瞳孔が開いてるように見えるんだが・・・」
「あ、うん。だいじょぶなのだ」
「大丈夫じゃなさそうだ・・・」
 やばい、宇宙やばい。ムードは加速度的に減退、士郎の正義の味方ゲージ急上昇。
 このまま放置したら結婚しようって素直に―――ちがったダメージ重視で言っても流される空気になりかねない。どうする? どうするわたし!?
(こ、ここはなんでもいいからとにかく間を繋ぐターン・・・!)
 凛は焦りのままにとりあえずで口を開いた。
「士郎―――わたしと」
 これまでの経験によれば、ありきたりな台詞では士郎に理解させる事はできない。
(ってことは、逆説的には適当な言葉でも場は悪化しない筈!)
 そんな事を考えながら凛は真っ先に思いついた台詞を検討無しに口にし―――

 

「やらないか!?」

 

「なぁんでさッ!?」
 士郎の全力ツッコミを受けて顔面を蒼白に脱色した。
「まった! ごめん! ストップ! 今の無し! 今のは―――そう、フィブロスティベロニカよ!」
「フィブ・・・!? な、なんだそれ?」
「フィブスリルペロピアを知らないのあんた」
「いや、知らないっていうかさっきと違ってきてないか?」
「違わないわよ。フィプロステゥポロニア」
「もう一回言ってもらえるか?」
「フィリルレルエロリア」
「・・・まあ、いいけど。で、なんだそれ」
「知らないならいいわ。説明するのが面倒だから」
 つんとそっぽを向いて凛は密かに息をついた。
(―――なんとか誤魔化せたわ・・・)
 そして士郎はその横顔を眺めて笑いをかみ殺す。
(―――誤魔化してるんだろうなぁ一応・・・)
 まあ、話題を変えるのに成功しているのだから、あながち誤魔化せていないとも言えない。(とりあえず、俺のターンってやつか? これは)
 改めて深呼吸などはじめた凛を見つめ、士郎は軽く頷いた。
 何がどうなってこんなにテンパってるのかはわからないが、どうせ自分にはエアリード機能などついてない。こっちはこっちで進めてしまおう。
「とりあえず、遠坂に聞いて欲しいことがある」
「わ、わたふぃに!?」
 噛んだ。
「ん」
 流された。
「言いたいことが、沢山あるんだ」
「な、なによ・・・」
 真剣な表情に思わず言葉を失った凛に、士郎は今日一日で貰った多くの言葉を思い出す。
 それらは、しかし引鉄だ。放つべき言葉は、もっと前から用意されていた。
「勝手な事を言わせて貰う」
 だから穏やかな声で、ただその想いを告げる。
「別段報われたいとかってわけじゃないんだ。見返りが欲しいからとかって事じゃない」
 元より、そんなのは自分にはもったいなさ過ぎる。
「ただ、知っていて欲しい」
 そう、言いたい事はただ一つ。シンプルな言葉―――

「俺、遠坂が好きだ」

「わたし―――」
 だから、凛は微笑んだ。
 にっこりと笑顔を浮かべてシンプルな言葉で、気持ちを告げる。

「わたしは、大嫌いよ」

 

 

 

 

 

                                                Fate/Alternative 完

 

 

「そ、そうか・・・」
 ひょっとしてと予想してた台詞を三段跳びで飛び越された士郎がなんとかそれだけの言葉を口から搾り出すと、凛は一瞬きょとんとした後慌ててバタバタと手を振った。
「あ、待った! 違うわよ!? 違う違う! 士郎は嫌いじゃないっ絶対嫌いじゃないから! 嫌いだったらもう殺してると思うし・・・!」
「・・・そう、なんだ」
 殺されてますかとやや引き気味な表情にごほんと咳払いをして続ける。
「わたしが嫌いなのはね、愛に見返りを求めないっていうフレーズの方」
 腕組みして指を一本立てたいつものポーズで―――いつもの自分を全力で装いながら凛はうむと頷く。
「見返りなし、無償の愛って言えば言葉は綺麗だけど・・・一方通行の想いなんてのはいつか破綻するわ。それって、ようは相手を無視してるだけじゃない。わたしが迷惑してようが嫌がろうが自分は好きなんだから問題ないなんてのは最悪よ。優しくするのも支えるのも相手の為じゃなくて自分の気持ちの為だけ。そんなのが愛なんて、認めたくないわね」
 遠坂凛を動かすのは魔術師の理、等価交換だ。貰うだけなど許容できない。ましてや、彼女がうっかり好きになってしまったこの男から貰いっぱなしなどできるものか。
 いつか見た夢。自分の真意を告げず、まさしく正義に見返りを求めなかったが故に誰にも理解されず、裏切られ続けた男の末路。
 あんなのは間違っていると、凛は思ったのだから。その悔しさを、覚えているのだから。
 だから、思う。
 見返り目当ての好意は叶うべきではない。
 見返りを無視した好意は押し付けが過ぎる。
 等価交換がいい。等価交換であるくらいが、きっと丁度いい。
「士郎。わたしは士郎が好きよ」
 だから凛は出来る限りの笑顔でそう告げた。
 士郎の反応が怖くて少し顔がこわばるのを必死で押し殺して瞳を覗き込む。
 少しでも、このわかり辛い男の心を読みたくて。
 このひねくれた女の言葉が届いているかを知りたくて。
「士郎が好き。だから、士郎に愛されたい。これから先ずっと、わたしは士郎が好きにならずにはいられないような、いい女になるよう努力するわ」
 真っ直ぐ自分を見てくれるその目を手放さないように。
「だから、士郎もわたしが好きで居続けられるような、いい男になりなさい。等価交換よ」
「・・・ん。自信はないけど努力はするよ」
 そして、頷く苦笑気味な笑顔。少し前ならば考えられなかったその顔に凛も表情が緩み―――
「まぁ、現状維持すればいいんだから楽なものでしょ?」
 だから、思わず付け加えてしまったその言葉はいつものうっかりだ。


 でも、今回ばかりはそのうっかりにも感謝できると凛は思った。
 


12-15 ふたり

「・・・へぷちっ」
 しばし見詰め合って二人の世界(固有結界UttoriBakappleWorld)を堪能していた二人は、凛が小さなくしゃみをした事で我に返った。
「っと、いつの間にか陽も落ちて寒くなってきてたな。そろそろ帰ろうか」
「そ、そうね」
 鼻が出てないかとか唾が散ってないかとかの少女的に致命傷になりかねないポイントを素早く確認しながら凛はがくがくと頷き、上目遣いに士郎を見つめる。
「その・・・士郎?」
「な、なんだ? 遠坂」
 睨むような視線にたじろがれた凛は、すーはーと息を吸ってぐっと拳を握った。
「・・・えっと、わたしと士郎は恋人どうしとなりました」
「うん、なったな」
 何故敬語。
「ということは・・・恋人の恋人といえば恋人も同然」
「うろたえるな遠坂。同然と言うかそれは恋人本人だ」
 そうか、そうよねとぶつぶつ呟く凛に、士郎は苦笑する。
「・・・微妙に緊張してるか?」
「き、ききき緊張なんて―――してるわよ!」
 ガッと叫んで凛はうーっと猫のように唸る。
「っていうかなんで士郎はそうも平常心保ってるのよ! わた、わたしとか見なさいっ! 手とか震えてるわよ!?」
「いや、これでも一応うわついてはいるんだけどな。ここに来るまで遠坂が居なくて落ち着かなかった反動でちょっと和んでる」
 うむ、と頷かれて凛は視線を外した。くっそう、ときめくなぁ。
「と、とにかく・・・恋人らしく・・・以後正々堂々とつきあうように!」
 半ばやけっぱちのような叫びに、士郎は頷いて答えた。
「ん。大丈夫だよ遠坂。恋人らしくってのがどういうのか俺にはよくわからないけど、どこまででもつきあうからさ」
 気負いの無い答えに、凛はようやく自分を支配していた落ち着かない感覚の正体を自覚した。
(・・・らしくもない。ちょっと焦ってたわ)
 ふぅと息をつき、相も変わらずこちらの内心は掴めていなさそうな士郎の顔を眺める。
 衛宮士郎は、独り占めできない相手だ。1秒先には人助けに走り、1分先には死地に突っ込んでいて、1時間先には誰かにフラグを立てているような男である。
 だから、一分一秒も無駄には出来ないと張り切りすぎていたのだろう。
 実際には何をしたらいいか思いつかないままに何かしなくてはと空回りしているのに。
「・・・よし」
 気付いてさえしまえば、落ち着くのはすぐだ。
「―――なら覚悟しなさいよ? 士郎」
 声は自然に笑みを含む。
 そう、自分で言ったことではないか。全ては等価交換、してやりたい事とされたい事は一セットだ。何も難しいことはない。今はこのドキドキを、お返ししてやるだけでいい。
「知ってるでしょうけどわたし、中途半端は大っ嫌いだから。人類が編み出したいちゃつき方、全部実行するわよ。この世全てのラブね」
「・・・人類って・・・さすがにスケールでかいな、遠坂は」
 まともに感心しているらしき顔を眺め、凛は密かに気合を入れなおす。
「そうよ。士郎みたいなのとまともに幸せになるにはそれくらいの気合が必要なんだから」
 言って、ん、と手を差し出す。
「握手?」
「ばか。恋人がする事そのいち、よ」
 ついてきてるなら手を引いて、どっかへ突っ走ってるなら、その手に引かれて。

 
 まずは手を繋いで帰るところから。