13-15 Epilogue1 オワリ、ハジマリ
15-15-1 童女たちの挨拶

■大聖杯前

「・・・そういえば、遠坂」
 体当たりするように力いっぱい抱きつくサクラと片方しか無い腕でそれを受け止めるシロウを眺めて、ふと士郎は首をかしげた。
「さっきあいつ、何も無いとこから出てきたよな?」
「そうね。多分だけど、サクラの令呪じゃない? アンリ・マユのじゃなく、向こうのライダーと契約したときの奴。令呪はマスターと結びついてるものだから一度得てしまえばその時契約したのとは別のサーヴァントにも使えるのよ」
 片手の指を立てたいつもの解説ポーズでそう言った凛に、セイバーはむぅと顔をしかめた。
「それは、その・・・あちらのシロウも、サーヴァントであると?」
「そういう事になるわね。士郎がふっ飛ばした足と心臓のあたり、なんか模様があるでしょ? あいつ・・・負傷箇所をアンリ・マユでまるごと置き換えたの よ。聖杯に溜まっていたアンリ・マユは桜が契約解除して消し去ったけど、その解除に使われたマスター契約は桜の方。つまり―――」
「わたしたちが模倣した、偽物ですねえ」
 凛の言葉を継いだのは、黒いドレスを纏った二人の幼女。あんりとまゆであった。
「だから、向こうのますたぁにはまだ契約が残っているんだよね!」
「あ、無事だったんだ。ひょっとしたらアレと一緒に消えちゃったんじゃないかって心配してたのよ」
 顔を綻ばせる凛に、二人はくるくると回ってみせる。
「わたしたちはあんり・まゆ」
「ますたぁの涙を拭う」
「「二色のハンカチさ」」
 ぴしっとポーズを取る二人に凛は黒一色じゃないとつっこみ、士郎は時事ネタは風化するぞと心配する。
「ごほん・・・では、彼女は今、向こうのシロウの中に残ったアンリ・マユと契約した状態であると?」
 脱線を正すセイバーの言葉に凛は少し考え込んでから口を開き・・・かけ。
「先輩っ!?」
 突然響いたサクラの悲鳴にその口を閉じて振り返った。
「だ、大丈夫ですか!? 目を、目をあけてください!」
 そこには、ぐったりと倒れたシロウと、その身体を抱きとめて叫ぶサクラの姿がある。
「先輩! 先輩! お願いですから・・・!」
 慌てて駆け寄った一同の前で、シロウは何度か瞼を震わせてからゆっくり目を開けた。
「先輩!」
 ぱぁっと顔を輝かせるサクラにゆっくりと頷いて見せ。。
「あー、問題ねぇよ。ま、無理しすぎたからな。ガタもくるってもんだろ?」

 ・

 ・

 ・

「え?」
 その台詞に、一同は等しく眉をひそめた。
 ざわ・・・ざわ・・・と書き文字が浮かびそうな胡散臭げな視線をシロウに向ける全員の疑問を代表し、凛が慎重に口を開く。
「どうしたの? ・・・なんか、喋り方が捨て鉢で雑魚っぽいわよ? さっきまではまだしもラスボスっぽい雰囲気があったのに」
「む。なんか俺、ちょっとおかしかったか?」
 目をパチパチとしばたかせるシロウの喋り方はいつものものだが、一同の目は疑惑の篭ったジト目だ。
「っていうか、なんか変な模様が増えてないか。満遍なく」
「・・・ええ。サーヴァントの気配が増えています」
 士郎の指摘にセイバーが頷く。アーチャーはふむと呟いてシロウの身体を仔細に観察してみた。
「これは・・・移植したアンリマユの侵食が進んでるのではないか?」
 その言葉にサクラの顔がさっと青ざめ、シロウは唇の端を釣り上げて笑う。
「ああ、そうみたいだな。へっ、本体が無くなったせいで暴走してやが・・・ごほん、暴走しているみたいだ」
「・・・性格骨子が歪んできてるわね。このままだと魂が侵食されて何か士郎っぽいけど士郎じゃないものになるかもしれないわ」
 腕組みして唸る凛に、セイバーは恐る恐る尋ねてみた。
「具体的にはどうなるのですか? リン」
「ん・・・わたしが知っている限り一例しか参考症例がないんだけど聞く?」
 不吉な単語に、士郎が慎重に口を開く。
「参考症例って・・・何のことだよ。遠坂」
「アンリマユを体内に埋め込むことで生き延びた例のことよ」
 凛は、肩をすくめて静かに呟いた。
「―――はっきり言ってしまえば、綺礼がそうなのよね」
 瞬間、景色が色を失った。
 シロウがグゲと喉から奇妙な音を搾り出し、声も無く卒倒したサクラをライダー達が慌ててキャッチし、桜がパタパタと気の毒そうにその顔を手で扇ぐ。
「じゃ、じゃあ・・・こういうことか、遠坂」
 士郎は恐怖に身を浸しながら恐る恐る尋ねてみた。
 自分でなくてよかったなーと少しだけ思うが、正義の味方的にその想いを封印。
「あっちの俺も、その―――後ろ髪がモジャるのか?」
「―――ええ」
 凛はくしゃっと歪んだ顔を両手で隠し、震える声でそれを肯定した。
 声にならない悲鳴は誰だったのか。士郎は震えながら目頭を抑え・・・
「・・・そろそろ、真面目に考えても良いと思うのだがな」
 あきれ返ったアーチャーの声に、みんなでうんと頷いた。
「でも正直な話どうしたものかしらね・・・汚染されてるのが肉体の方だっていうんなら、イリヤを呼べば魂を抜いてもらえるだろうし適当な器に移し変えちゃえば治るかもしれないけど・・・」
「アンリ・マユの汚染は魂を犯す物だ。サーヴァントの黒化は構成する魔力のレベルでの物であるが故に戻る情報には無関係であったが、人間の魂がどれだけの純度を保っていられるか・・・」
 アーチャーの解説にうむむと悩み、凛はシロウの体を覆う幾何学模様を睨む。
「ようは人間の魂じゃサーヴァントの肉体を制御できないってことよね。なら、方法は二つ。なんとかサーヴァントとしての力を落として人間で制御できるレベルに近づけるか、逆になんかを付け足して制御力を上げるかよ」
「制御できる何かってなんだよ遠坂」
人造霊魂オートマトンとか,、そんな類の使い魔ね」
 凛の言葉に、桜は脳内の知識を漁り、首を傾げる。
「時間があればそれっぽい蟲とか作れるかもしれないですけど・・・材料が無いんですよねえ・・・」
「蟲?」
「・・・先輩には内緒のことです」
 唇に指一本。黙った桜に代わって再度凛が口を開く。
「時間無いし、とりあえず凍結しちゃう? っていうか、アーチャーの手とアンリマユの足が問題だって言うのなら一度切断しておくのも手じゃない? 言峰経由のコネだけど、いい人形師を知ってるから義手とかにしちゃうって手もあるし」
「残念ながら、真っ先に置き換わったのは心臓なんだ。これ抉られると流石に生きてられる自信がない」
 シロウのつっこみに、凛は目を閉じた。
「根性で―――」
「無茶言うねぇこの嬢ちゃんも・・・」
「たいへんです! また先輩のキャラがぶれてます!」
 真面目なんだか不真面目なんだかわからないやりとりは、しかし半分以上が打つ手が無いという事実を覆い隠す為の強がりである。
 性格が歪むなんて程度なら、今更怖れるものではない。
 だが、魂の侵食は肉体へ反映される。アンリ・マユの残滓がシロウの魂を塗りつぶした時、そこに残るものは受肉したアンリ・マユでしかないのだ。
 士郎はルールブレイカーで上手く解除できないかをアーチャーと検討し、桜はサクラの側から支配力を高めて押さえ込めないものかを考え、凛は今からでも言峰を呼んで心霊手術に踏み切るかを迷い―――

「はーい、解決法あるよー!」
「ありますねー」

 唯一、裏表なく脳天気な声がそう言った。
「あんりちゃん? まゆちゃん?」
「あ、そうか、あんた達も身体はアンリ・マユなんだから―――」
 ぽんっと手を打つ凛に、二人の幼女はいぇーいと両手を上げる。
「さっき本体にしてたみたいに合体してー」
「コントロールする事が可能なですねぇー」
 おおっとどよめく魔術師たちを、しかし悪魔は制止する。
「くすくす、ただし条件が一つあるんだよ」
「条件?」
 士郎が尋ねると、二人は揃って大きく頷き。
「コントロールには合体が必要。離れて伝わるほどあんりたちは強くない」
「そして、制御できるのは合体している間だけ、なんですねえ。離れたらまたこうなりますー」
 伝えられた条件に、桜はがくっと肩を落とす。
「それって、あんりちゃんとまゆちゃんが実質消えてしまうってことじゃないんですか?」
      当 然 で す
「いぇす。もちコース」
「妙な造語作ってないで・・・んなのダメに決まってるでしょうが」
 呆れたような凛に、しかしあんりとまゆはくすくす笑いで両手をかざす。
 四つの小さなモミジは―――透けて、その先の二人の顔が、見えていた。
「ちょ、あんたたち・・・!」
『待ってください姉さん』
 ぎょっとした顔であんりたちに詰め寄ろうとした凛をサクラの声が遮り。
『わたしから説明します』「・・・ってわたしの口が勝手に!?」
 一人二役で喋り始めたサクラに一同は生暖かい目を送った。
『あ、遠坂桜です。前の身体が限界だったのでこっちのサクラのソウルサイドに収まってます。担当メモリはサイクロン・ヒート・ルナです』
「桜。改めて言うが、時事ネタはすぐに風化するんだ」
 真摯な表情で忠告する士郎に、サクラはぶんぶんと首を横に振る。
「ボディサイドの間桐桜です―――って、ネタじゃないんです先輩! 本当にわたしの中にあのおん―――もう一人の桜が居るんです!」
「・・・自分の中に、もう一人のわたしが、か」
 凛は沈痛な表情で俯き、アーチャーは肩をすくめる。
「ふむ。これはまた、あまりにも典型的だな・・・そのうち夕飯を手づかみで食べ始めたりするのだろう」
「5年後くらいにベッドで羞恥に転げまわるパターンですね」
 ついさっき感動的な友愛を感じたライダーの裏切りにサクラは顔の左半分で泣きそうな表情をし、右半分でニヤリと笑う。たいそうきもちがわるい。
『くくく、春巻きだ。春巻きを食べさせるんだ・・・っと、言ってる場合でもなく。先輩には事前に言いましたよね? わたしはこの戦いに勝つためにあらゆるものを犠牲にするつもりだと』
 その言葉に士郎は頷き、凛に目を向ける。
「遠坂、確かに今日の夕方俺は遠坂桜からそういう事を聞いている。本人だ」
「・・・わたしに黙って逢引してた件はあとで落とし前付けるとして、出掛けに言っていた顔を出せる状態じゃないってのは・・・こういうことなの?」
 顔をしかめる凛にサクラの首が右に傾きながら縦に振られた。
『ええ。ぶっちゃけ致命傷でしたので。ですがまあ、それは本題ではなく。あんりとまゆについてです』
 遠坂桜は一度区切り、息をつく。
『この二人はアンリ・マユの一部です。人格をもたせて制御してますが、本質的な汚染力は変わりません。ですので、本体を消滅させる時に片方の身体が一緒に 消え、残った一つの身体に二つ分の魂が宿ることでもう片方の身体も負荷がかかって維持できなくなると、そういう仕組みで作ったんです』
 そうでなければ、大聖杯の内側に存在するこの世界が崩壊して魔力へ還った際に二人の身体から汚染が広がり、いずれ元通りのアンリ・マユが生まれる可能性があった。
 遠坂凛の完全な安全のみを目標とした遠坂桜にとって、それは真っ先に排除すべきことであったのだ。
 厳しい顔になった士郎と不快そうな凛にこの清純派さんめと苦笑し、遠坂桜は続ける。
『ですので、この子たちを生き延びさせるっていうのでしたら同質の身体を継ぎ足す必要があるんです。欠けた片方の分を。そして今この世界・・・いえ、この世界と外の世界に残っているアンリ・マユは先輩の身体に融合している分だけです』
「融合したら・・・どうなるんだ?」
 今まで黙っていたシロウが問う。
『肉体融合型の使い魔として、先輩の身体を維持する事に専念することになります。この子達独自の魂が失われるわけではないですけど、先輩から離れて今の姿になることはできないでしょう。そうしてしまえば、またすぐに侵食が始まってしまいますから』
「―――それならば」
『いらない、と言う権利はありませんよ、先輩。あなたを壊せば事態はすぐ解決ですが、それをしたくないと思った人たちばかりがここに残ったのですから。先輩の決定を尊重する義務が、わたしたちには全くもってありません』
 ぐむ、と黙ってしまったシロウにサクラの顔は左が気遣わしげな、右はニヤニヤとした表情を浮かべる。
『それにまあ・・・こういう状態のわたしが言うのもなんではありますけど、どういう形であれこの聖杯から脱出する事ができるのなら、それは先輩―――この世界の先輩の意にもそう形ではないですか?』
「士郎の? どういうこと?」
 首をかしげる凛に答えず、士郎は頷いた。
 数時間前に遠坂桜から告げられた事だ。
 この世界を脱出できるのは、外の世界の肉体を持つサクラとシロウ、ライダー、そして凛だけであると。
 あんりとまゆだけの話ではない。自分を含め全員が、この世界を維持する魔術の崩壊と共に消える運命なのだ。
 ならばシロウと同化するという形でこの世界から脱出できるのならば悪い話ではあるまい。
「すぐわかるよ、遠坂。確かにこの状況ではあんりちゃんたちはそっちの俺と同化してこの場をしのぐのが良策だ」
「・・・あんた、このわたしに隠し事してるんじゃないでしょうね?」
 空鍋かきまぜるわよと凄む凛に、士郎はだらだらと冷や汗をかく。
「なんか本人の意見が不在なような気がしてならないよまゆ!」
「くすくす、そうですねえあんりちゃん」
 そして、二人の言葉に凛は士郎を脅すのを中止して目を向けた。他の皆も小さな使い魔たちの方に向き直る。
「でも、わたしたちに意見があるわけでもないですし、いいんじゃないですか?」
「うーん、そりゃまあ、そうだけど。あ、でもせっかく練習した挨拶が無駄になったのはちょっと残念かも」
「あら、そうでもないですよあんりちゃん。『さよなら』が『またね』になっただけです」
「おお、そっか! じゃあ、やってみよっか!」
「挨拶?」
 士郎の問いに、二人の使い魔はいつものようにくすくすと笑う。
「役割は知ってたから、練習してたんだよ! ね、まゆ!」
「ええ、つまりこういうことなんですねえ・・・あ、少ししゃがんでもらえますか?」
 そして士郎をその場にしゃがませたあんりとまゆは、鏡に写した像のように一糸乱れぬ動きでお互いの手をパンっと鳴らしてから士郎の左右に回りこむ。
「あんりちゃん? まゆちゃん?」
「短い間だったけど、楽しかったよっ」
「故に終わりは華やかに。思い残さずお別れです」
 そしてくるりと回転し、二人は両側から士郎の頬にキスをした。
「!?」
 目を見開く士郎にくすくす笑い、あんりとまゆは踊るような足取りで離れる。
「だから『またね』兄ちゃん。大好きだよ!」
「ますたぁと仲良くしてくださいね〜。こっそりならつまみ食いしてもきっと大丈夫ですよ〜」
 一度ぎゅっと抱き合い、二人はくるりと回って並び立った。
 ひるがえったスカートの裾をちょこんとつまみ。

「「では、ごきげんよう」」

 まるでお姫様のように優雅な一礼をして、あんりとまゆは微笑んだ。

「決まった、かな」
「決まりましたねー」
 そして手をつないで身を翻す。
「イリヤによろしくね、兄ちゃん!」
「お礼を言っといてくださいねー」
「あんりちゃん! まゆちゃん!」
 呼び止める間もなく駆け抜けた二人は一歩ごとに形を無くしていき、黒いのっぺりとした人型を経てチューリップを逆さにしたような姿―――桜の使い魔としての本体になった。
 寝かされたままのシロウに飛びついた二つの影はパシャリと水のように広がり、感触すら残さずその身体に吸い込まれ、消滅する。

「――――――」

 誰もが沈黙する中、シロウは一度目を閉じ、開き。
「制御された、みたいだ」
 そして、ゆっくりと立ち上がった。
 両足から胴体に広がっていた幾何学的な模様もそれ以上増える様子はない。
 まだ残っている傷口がゆっくり塞がっていくが、それも泥に埋められるのではなく、人の形を保ったままの治癒である。
「・・・腕の方はどうだ?」
 しばらくしてそう問いかけたのは士郎だった。少し躊躇ってからシロウは頷いてみせる。
「アーチャーの腕の侵食も、一緒に止まった。回路も殆ど繋がったから、投影もできると思う。ただ、右手の事を言ってるんだったら、多分自然には生えてこないだろうな」
「これ以上アンリ・マユで身体を作ったら四肢全部がサーヴァントになってあの子たちでも抑えられないわよ。わたしの伝手に腕のいい人形師が居るから義手で我慢なさい、義手で」
 凛の言葉に頷き、心臓のあたりを撫でる。
「会話できるわけじゃないが、あの子達は心臓―――というか、アンリ・マユで作った心臓の代用品に宿ってるみたいだな。桜も俺も、そう簡単にこいつを止めるわけにはいかなくなったわけだ」
「わたしの方は、微妙にありがたみがないので早いところ出てってほしいんですけど・・・」
『悪いけど刻印蟲はあなたと完全に一体化してるんで無理です。姉さんの言ってる人形師なら生身と全く変わらない人形を作ってくれる筈ですから、それまで我慢してください。あと、多分馬鹿みたいに値が張りますんで、お金稼ぎファイト』
 ケラケラ笑う同居人にサクラはガックリとうつむき、頑張りますと呟いた。
「・・・・・・」
 神妙な表情のシロウをアーチャーはしばし眺めていたが、やがて一つ頷き口を開いた。
「ふん、もはや私は色々な意味でおまえに忠告するような立場ではないが・・・あえて言おう」
『カスであると?』
 アーチャーは、遠坂桜の混ぜっ返しを断固として無視した。
「いいか、衛宮士郎。いや、そっちのではなく、おまえだ。黒い方。おまえが今、サーヴァント二種との接続などという負荷に耐えられているのは、魔術回路による感染抵抗が体内に埋め込まれた聖剣の鞘で強化されているからだ」
「!? あ、『遥か遠き理想郷アヴァロン』が!? 私聞いてないですよ!?」
 失った筈の切り札ジョーカーの行方を暴露されてアワアワするセイバーに、アーチャーはあとで説明するからとぞんざいに手を振って黙らせる。
「私の腕とアンリ・マユが互いに干渉し合っており、鞘の加護がその余波からなんとか衛宮士郎の形質を保護している。それが今のおまえだ」
「確かに聖剣の鞘の効果はあらゆる干渉からの遮断ではありますが・・・アレは私と接続されてなければ効果がない筈なのですが・・・」
 セイバーの呟きに、アーチャーはその通りと頷く。
「ああ。だから、本来の性能の1%も引き出せてはいない。いいか、1%も引き出せていないのだ」
 妙に強調された数字に、凛はふふんと笑った。
「・・・ってことは、もっと引き出せば状況は変わるってわけね」
 そのままぴんっと立てた指で、シロウのみぞおちのあたりを指差す。
「セイバーの魔力で起動する前提の礼装だとしても、それをハッキングする事は不可能ではないわ。少しずつでもそれを解析して、起動していけば―――」
 シロウは左胸をもう一度撫でてから、大きく頷いた。
「悪魔とそれに反する聖剣・・・の鞘、そしてその両方に力を与える人間の魂が奇蹟的なバランスで均衡を取るかもしれない・・・ッ」
「わかってくれたか!」
 口笛と荒野を感じさせる力強い台詞と共にガシガシグッグと拳をぶつけ合って共通認識の成立を祝う馬鹿どもに額をおさえて凛はため息をつき。
「とにかく、なんとかなる目処はついたわね。さて、あとは外に出て念のためそっちの大聖杯も壊せばこの戦争も終わりか・・・」
 そう呟いた瞬間だった。
 ゴゥン、と。腹に響く音を皮切りに、地面が大きく揺れ始めた。


 魔力仕掛けの小世界。
 五度目の聖杯戦争を終わらせる為の戦場。
 二週間に満たない、短くも大事な時間を過ごした街。
 代理Alternativeの世界が、ついに決定的な崩壊を始めたのだった。



13-15-2 帰り道

■聖杯洞 大聖杯前

「む。地震か?」
『いえ、ついに術式の綻びが最終段階に至ったようです。あと三十分くらいで―――この世界は消滅します』
 遠坂桜の言葉に士郎は桜と視線を交わし、小さく頷く。
『夜明けくらいまでは持つと思ってたんですけど・・・僅かに、間に合わないみたいですね』
「そっか。それで・・・あんた達はちゃんともとの世界にもどれるの?」
 すまなそうなサクラたち―――間桐サクラと、その心臓に宿る遠坂桜に、凛は尋ねてみる。
『問題ありません、姉さん。この子には肉体がありますから。もう結界もありませし、脱出用の術式も用意してあります』
「OK。じゃあ長居は無用ね。外で戦ってたみんなもさっさと呼んできましょ・・・あ、呼ばなくても大丈夫だったりするの?」
『―――まあ、ある意味大丈夫です』
 そもそも脱出できないのだからどこにいても大丈夫。
 そのニュアンスを理解し、士郎と桜は凛の前に立った。
「姉さん、聞いてください」
「ん? なによ。時間ないんだから手短にね」
「大丈夫。ただお別れを言うだけだから時間はかからない」
 唐突な言葉に凛はホヘ? と首をかしげて目をしばたかせる。
「黙ってたけど、この世界から出られるのはあっちのサクラたちと同じように外の世界の肉体を持っている遠坂だけだ。俺達は、出られない」
「えっ」
「ごめんなさい姉さん。決着つくまでは伏せとこうって先輩と話したんです」
 ぽかんとした顔の凛の肩に手を載せ、士郎はいい顔で微笑んで見せる。
「だから遠坂。とりあえずはお別れだ。おまえはサクラたちと一緒に外へ出てくれ。それで、俺達のこと―――」

「っらっしゃああああああああああああああああああっ!」

 そして、凛は士郎の言葉を聞き終えるより早くその鼻の下を拳で打ちぬいた。
「ぶばッ・・・!」
 人中。
 人体急所の一つを強打された士郎は3メートルも吹っ飛び、そのまま痛みにゴロゴロとのた打ち回る。
「あんたは! いつからそんなに偉くなった!」
「ご、ごめ・・・よくわからないけど、とりあえずすまない遠坂・・・!」
 があっと叫ぶ凛に士郎は土下座した。肉体的には痛みで転げまわっているので精神的に。
「ね、姉さん少し・・・ほんの少しですけど、性格変わりました?」
 戦闘中は気付かなかったその猛々しさにシロウの背に隠れてサクラがつぶやくと、凛は何かの波動に目覚めてそうな爛々るーと輝く目で振り返った。
「・・・この馬鹿達と一緒に居れば、性格の一つも歪むわよ」
 唸るような声に、ライダーオリジナルはふむと頷く。
「成程、つまり恋をすると女は変わるという奴ですね」
「!?」
 思わぬ総括に凛が怯んでいる間に士郎は復活し、這いながらこっちへ戻ってきた。
「と、遠坂・・・」
「士郎、言ったはずよね? 勝手に死のうとしたら顔面ぶち抜くって・・・」
「え!? あ、うん。そういやそんなこともあったな・・・」
「あったのよ」
 そして凛は、士郎の頭を自分の胸に押し付けるようにして抱きしめる。
「言っとくけどね、士郎。わたしはもう一生あなたと離れないわよ? なんたって、士郎のご褒美を欲しい一心でバーサーカーだって一人で倒しちゃったくらいベタボレなんだから」
「いや、私の存在を消去しないでほしいのだが」
 外野でごちゃごちゃ言ってる赤いのは春の淡雪の如く意識から消し去り、すりすりと士郎の頭に頬ずりする。
「あなたはどうなの? 士郎。一瞬でもわたしと離れたいの?」
「まさか。言っただろ? 俺にとって遠坂はずっと憧れの女の子だったんだぞ?」
「―――そうなんですか?」
 外野で冷たい目をしているサクラとガタガタと震えるシロウを二千円札のように意識から消し去り、士郎は一度凛の身体を抱きしめ返してから立ち上がる。
「でも、はっきり言って分の悪い賭けだぞ遠坂。この世界の術式は俺の固有結界の亜種だから、キャスターの手を借りればなんとか小規模な維持ならできるかもくらいは考えてるけど、根本的に立て直す手段は全く思いつかないんだから」
「大丈夫よ。ちゃんとわたしが考えたから。あなたの奥さんを信じなさいって」
「団地妻ッ!?」
 シロウ撃破後のやりとりを知らない桜の身体から闇っぽいオーラが吹き出すのをDVD&ブルーレイディスク版の湯気のように意識から消し去って士郎と凛は大聖杯を見上げた。
 ちなみにセイバーは、微笑ましげな表情でしきりに頷いて二人を見守っている。この辺り、なんだかんだと年の功というものかもしれない。結婚経験者の余裕とも言える。
「信じるよ。遠坂は出任せは言わないもんな? うっかり間違うことはあっても」
「う・・・意地悪」
 このぉ、あはは、うふふと周囲の面々に砂糖を噛み締めさせる波動を放つ二人に、サクラはなんとなくシロウの左腕を胸の谷間に埋めながら呟いた。
「姉さん、かなり・・・原型留めないくらいかなり、性格変わりました?」
「そう? ちょっと心の贅肉落として身軽になっただけだけど?」
 凛は軽く微笑んで士郎の手を握る。
「話を逸らしちゃって悪かったわね。サクラ、わたしはこっちに残るわ。ちょっと長いお別れになるかもしれないけど、絶対に永遠にはしないから心配しないでいいわよ」
 サクラは一瞬だけ目を伏せ、しかしすぐに真っ直ぐ顔をあげて頷いた。
「はい。いつかまた会えるって信じます―――そして、その時までにこれが自分だと、自信をもって言えるわたしに、なってみせます」
 凛を、士郎を、セイバーを、アーチャーを、ライダーを。普通であればもう二度と会えない筈の人々を見渡し、罪悪感と不安を全て飲み下して宣言する。
「先輩がわたしの・・・わたしだけの味方だっていうんでしたら・・・わたしは、世界中の苦しんでる人全ての味方になります!」
「え?」
 ぽかんと口を開いたシロウに僅かな笑みを見せ、サクラは続けた。
「世界中の全ての味方をするわたしの味方は・・・つまり、正義の味方ですよね?」
 それは、現実が見えてない戯言かもしれない。
 勢い任せの思いつきかもしれない。
 だが、彼女にはそれを口にする資格があるだろうと士郎は考える。
 アンリ・マユに。この世全ての悪に触れ、抗った少女だ。それは、人類の誰よりも多くの悪意に触れた魂であるとも言えるのだから。
 ゴゥン、と。また地面が鳴動した。終わりは近い。
「姉っぽく、頑張りなさいって言っておくわ、サクラ。もう一人の方もね。遠坂家の資産とか協会の特許とかはわたしがうっかり死んじゃった時の為に銀行の貸し金庫に遺言状入ってるからそれを使ってあなた達が相続しなさい」
 凛の言葉に、サクラと桜は同時にはびくっと震えた。
「姉さんが他人にお金をあげる話をするなんて!」
「き、気をしっかりもってください姉さん! 先輩と心中するつもりじゃないんですよね!?」
『ああ、いよいよ終わりなんだなって感じがしてきましたね・・・』
 遠坂桜まで混じってガタガタ震える妹たちに、凛はこめかみをひくひくさせながらもなんとか引きつった笑みを浮かべてみせる。
「だ、大丈夫よサクラ。わたしはわたしでちゃんと自分の利権を確保する見込みがあるから言ってるんだし・・・」
「あ、なら安心です」
「一時はどうなることかと・・・」
『でも証文とかちゃんと確認しとかないと、後で数十倍返しとかさせられるかも・・・』
 一転にこやかに頷き合う妹同盟に、凛のこめかみあたりでブチリと何かが切れる音がして額のあたりで意味もなくピキーンと光が走った。
「だぁああああっもうさっさと行けあんたたち! ほらさくら(とおさか)、転移! 転移! さっさと転っ移! 出て行け!」
 妙にリズム良い怒声にわーいと悲鳴をあげて遠坂桜がサクラの魔術回路を支配する。
「あ、ちょ、あん・・・!」
 スイッチを急に入れられてサクラが思わず声をあげ、大聖杯に光の文様が走る。
『じゃあ、あえてこう言いますね、姉さん。また会いましょう』
 遠坂桜の声と共に空間にヒビが入り、サクラの目の前に厚みのない穴が開いた。そこからの覗くのは、周囲と同じ聖杯洞。しかし、それはこことは違う世界だ。
 同じで違う二人の主を守るライダー達が抱き合って互いの決意に祝福を送る。
 桜は譲られたリボンに軽く触れ、今はもう直接視線も言葉も交わせないもう一人の自分に頭を下げる。
 そして凛は。
「GoodLuck。桜。大好きよ」
 桜の憧れた、華やかな笑顔でそう、別れを告げた。
「・・・はい、わたしもです・・・!」
 最後の最後で笑顔を残して、サクラは空間の穴へと飛び込んで消える。
 涙に濡れたものであっても、ぎこちなくても。不幸に抗うと決めたその証として。
 一つ頭をさげてその後をライダーオリジナルが追い。

「・・・・・・」
 最後に残ったシロウは、士郎に目を向けた。
 今はもう自分と同じ身体とは言えない少年に、士郎は無言で左手を差し出す。
 道を違えた以上、語る言葉はない。求めるものが違うから、手を取ることもない。
 だから、差し出したのは手のひらでなく拳。
 おまえはその道を往けという激励。自分はこの道を往くという誓い。
 相容れないと思うからこそ、自分はその道も選び得たのだという事が誇らしい。
 自分自身の意思だけを抱き、特別な一人の手をとって生きられたのかもしれない。
 幼い頃に憧れた理想を貫き、目に映る全ての人に手を伸ばして生きられたのかもしれない。
 諦めた、捨てたと思っていたものが目の前にあるのだ。
 今の自分を変えたくないという想いと同じだけ、世界を隔てた向こうの自分にそれを続けていて欲しいと想うのは贅沢だろうか。
 シロウもまた同じ感慨を胸に左拳を握り、ふと首を横に振った。そして右の肩を、腕のない肩をそちらに向ける。
 音もない、感触もない。眼に見えない。
 だが、士郎は確かにそれを感じた。
 差し出した拳に打ち合わされた、シロウの拳を。
 どれだけ傷つこうが、失われようが消えはしない借り物ではないその腕をだ。
 だから、士郎はその視線を受け止め、頷き返す。
 いつかまた、その道が交じあった時に。理想を、愛を掲げ続けられるように。

 今はさらばだ。在り得たかもしれない衛宮士郎よ。
 



13-15-3 『ユメノオワリニラストファンタズム

■聖杯洞 大聖杯前

 断続的に小さな地震の続く聖杯洞。
 先の戦いで天井に開いた地表まで続く穴から名状しがたい色合いで蠢いている夜空が覗いているのを見て、士郎はもう時間がないと再確認する。
「遠坂。時間がない。さっき言ってた『この状況をなんとかする手段』ってのを教えてくれないか」
 士郎、桜、セイバー、アーチャー、ライダー。全員の視線を一身に浴び、凛はええと頷いてみせる。
「まずは士郎に頼みがあるの。宝石剣を投影して」
「え?」
 突然の依頼に士郎は戸惑う。
 宝石剣ゼルレッチ。それは遠坂家に設計書のみが伝わる限定礼装である。
 魔力を通すことで一定の機能を発揮する限定礼装と呼ばれるアイテムは魔術の世界に数多いが、宝石剣は他と一線を画する性能を秘めている。その剣が発動する機能は平行世界へ繋ぐ穴を空けるというもの。つまり、ほんの一端とはいえ正真正銘の第二魔法なのだ。
「宝石剣の効果って他の世界から魔力を持ってこれることですよね? 力尽くでなんとかできるってことですか?」
 ほんとかなあと首を傾げる桜に、凛は首を横に振る。
「確かに以前使った時はそういう使い方だったけど、本来宝石剣は平行世界を観測する為の礼装よ。あの時は観測用の穴から魔力を引き出してたってだけでね」
 一度言葉を区切り、背後で鳴動する大聖杯を見上げる。
「結論から言ってしまえば、手持ちのカードを組み合わせて出来る解決策は一つ。聖杯を使ってこの世界を持続させる事だけよ」
「待ってくれ遠坂。内面世界こ この聖杯は外から魔力を吸い上げる経路パスでしかないし、外の本物に願ったらその実現は全て―――」
「そう、殺戮って形でしか実現しない。でもそれはこの世界・・・っていうかわたしが元居た世界にあった聖杯の話でしょ?」
 いつもの指立てポーズでそう告げる凛に、アーチャーが成程と頷いた。
「そこで宝石剣か。確かに『聖杯が完全な願望機として機能する世界』は平行世界のどこかに存在し得るかもしれん」
「ええ。『殺戮でしか解決しない』っていう属性は第三次の際に汚染された結果であって最初からそうだったわけじゃないわ。元々は純正の願望機だったのなら、汚染という過去を持たない平行世界が存在するかもしれないの」
 宝石剣は平行世界の観測機であり、その機能の前提として平行世界の検索機でもある。
 かつて凛が大源(マナ)が使われていない世界に連続して接続することでサクラの無限供給に対抗したように、特定の条件に該当する世界を探す手助けもしてくれるのだ。
「しかし、宝石剣はあくまでも平行世界間に穴を開け、パスを通すだけのものだろう? その世界の大聖杯に接続し、願望機として使用するというのは君の手に余ると思うが」
 アーチャーの疑問はもっともである。冬木の聖杯は大聖杯という本体を小聖杯という端末で操るシステムだ。単に大聖杯に接触できるというだけでは使用できない。
「本当ならイリヤスフィールに仲介をしてもらいたい所だけど、自分を具現化するのに回路の大半を使ってる今のあの子に小聖杯としての機能を使わせるのは危険よ。だから―――」
 視線を向けられ、桜はそれに頷いて答える
「大丈夫です。設定は変わりましたけど、私はまだ小聖杯の機能が残ってます」
「OK。それなら、手札だけは揃ってるわね。士郎が剣を鍛つ。わたしがそれで聖杯へとパスを繋ぐ。最後に桜がこの世界の存続を大聖杯に願う。どの手順も成功率は嫌ってほど低いけど、ゼロじゃないわ。奇跡の一つもおこせばそれで大団円よ」
「起きて始めて奇跡は奇跡と呼ばれる、か。・・・遠坂。こういう場合はキャスター呼んだ方がいいんじゃないか?」
 魔術がらみの問題にはめっぽう強いサーヴァントの名に、しかし凛は首を振る。
「確かに頼りになるけど、今回ばかりはね。士郎の投影は固有結界の一端。わたしがやるのは第二魔法。桜はまあ、あれよね」
「なんですかアレって・・・確かに手伝ってもらうような要素ないですけど・・・」
 ジットリした視線を笑って受け流し、凛は大聖杯を見上げる。
「キャスターの魔術は神話の時代、まだ全ての魔術が魔法だった頃のものなのよね。だから現行の魔法のフォーマットとは相性が悪いのよ。固有結界を魔術で構 築するっていう技術もなかったしね。居てくれるにこしたことはないけど、ここまで呼ぶのにかかる時間を考えれば、彼女抜きで決行した方がいいと思うわ」
 キャスターは無理をすればここまで空間転移してくることも可能だが、そのキャスターを呼ぶ手段がここにはなかったりする。
 サーヴァントとマスターには念話という便利な機能があるが、残念なことにここに居る面々の通話対象は全員この場に集結済みであった。
「大丈夫。ここに居るのはトオサカ・マキリ・アインツベルンの系譜に連なる三人よ。何百年も前の先祖だって聖杯を作れたんだもの。そこから歩みを進めたわたしたちに世界ぐらい作れなくてどうするのよ」
 ふふんと腕組みする凛に、士郎は苦笑混じりの笑顔を向けた。
「相変わらず無茶を言うなあ遠坂は」
「無茶は承知、無理でもかまわない」
 凛は士郎の瞳を覗き込んで笑う。
「わたしは、無理だとわかっていても挑みつづける馬鹿が・・・大好きなんだから」
「遠坂・・・」
 てーぺーおーをかんがえやがれよおと凄む桜の視線を背中に士郎は手早くリンリウム(遠坂凛のデレが一定量を越えると分泌されるマジカル物質。吸うと多幸感、気力充実、色指定が赤に偏るなどの効能あり)を吸収してキリッと表情を引き締めた。
「よし、気合が入った。まずは俺が無理を通そう」
 士郎の心象世界の丘に、宝石剣は無い。
 外の世界のシロウから引き継いだ記憶にはそれを投影した場面があるのだが、心象世界までは引き継がれていないのか、はたまた遠坂邸から消えた設計書同様この世界の再現能力では魔法に関わるものは生み出せなかったのか。
「前回は士郎の投影がどういうものかわからなかったから材料からアプローチしたわけだけど、あれって結局無駄だったわけよね?」
 凛は自分がカスタマイズしたアゾット剣を変化させて作るよう指示をしていたのだが、実際のところ投影魔術は魔力のみで材質から経験までを再現するものである。
 故に外のシロウが宝石剣を投影した際も聖杯創造の際の記憶に潜ることで宝石剣のオリジナルを観測して作成しており。
「ああ、あのアゾット剣はあっちの俺が持ってるはずだぞ。投影の時には使わなかったし、結局戦闘でも使わずじまいだったから」
 こっくり頷いた士郎に、凛のこめかみにビキリと血管が浮かんだ。
「・・・わたしの宝石の残りを全て組み込んだスペシャルバージョンを持ち逃げ・・・」
「い、いや、そんなこと言ってる場合じゃないだろ?」
「そんなこと!?」
「ほ、ほら姉さん、時間がないですから押さえて、押さえて・・・」
 握った拳に魔力の陽炎まで漂わせる姿に桜が引きつった笑みを浮かべ、アーチャーが無意味に偉そうに腕組みなどする。
「凛。逆に考えるんだ。あげちゃってもいいわと考えるんだ―――結果、この世界には使った筈の宝石が復活していただろう?」
「ええ。ストックも含めて全部この戦いで使いきったけどね」
 そしてアーチャーは静かに頷いた。
「・・・後は、衛宮士郎が負債を返せば解決だ」
「うわ! こっちに投げたっ!」
 士郎は荒ぶる遠坂のポーズで威嚇する凛をどうどうと宥め、話を本筋に戻す。
「時間が無いから始めるけど・・・アーチャーも一緒にやったほうがいいんじゃないかこれ。俺より投影上手いだろ」
「この場合上手い下手が問題ではない」
 アーチャーが首を振り、凛が頷く。
「愛が大事なのよ」
「それも関係ない」
 そしてバッサリやられる。
「現物がここにあるのなら、それがどのようなものであっても模倣し尽くしてみせよう。だが、実際にそれを見たのはおまえだけだ。私のオリジナルは既に死んでいたからな」
 イリヤの助けで幻視をしたのも、その結果投影されたものを見たのも士郎だけである。いかな錬鉄の英霊と言えど、これでは手が出ない。
「なに、自分の記憶からの再現投影であれば、それ自体は簡単な部類だ。まあ対象物そのものの難易度はEXTRA-HARDだが」
「そうか・・・了解した、アーチャー。やってみる」
「大事なのは士郎がどこまで宝石剣を理解できるかよ。理解さえすれば後はそれを展開して魔力を流し込めばいいんでしょ?」
 凛は士郎の胸を人差し指でつつき、その指を自分の頭に当てる。
「なら、わたしの頭の中に設計書はあるわ。魔術で記憶共有するから、参考にしなさい」
「つまり、また何もできないわたしにらぶらぶを見せつける簡単なお仕事がはじまるわけですね」
「ま、まあまあ、いいではないですかサクラ。私など先程から喋ってすらいませんよ」
 ぶちぶち言ってる桜とライダーをよそに、セイバーはふむと頷いた。
「シロウ。抱きついてもいいですか?」
「いいですとも―――遠坂。ガンドはまだ早いと思うんだ」
 着弾の衝撃で90°曲がった首をグキリと直す士郎の首をさすりさすりしながら困り顔を凛に向ける。
「リン、別にそういう意図ではなくですね、シロウは難易度の高い投影に挑むと身体的なダメージを受ける事が多いので、私が接触して回復能力を上げた方がよいのではと・・・」
 成程と頷くのはセイバーに対してまだ幻想をもっているアーチャー。一方で現実を見た凛は疑わしそうな目になった。
「―――正直に答えなさい、セイバー。正妻であるわたし公認で堂々と抱きつけると、そういう考えはなかったというの?」
「っ・・・!」
 いえいえ滅相もないとでも誤魔化せばすむ話であった。だが。
「か・・・考えましたっ・・・申し訳在りません・・・っ・・・いっぱい戦いましたし、少しくらいご褒美があってもなどと大それた事を・・・!」
 彼女は潔癖さと公正さで知られた騎士王であった。王は人の心・・・っていうか誤魔化し方を知らぬ。円卓の騎士たちにピュアかわいいという概念を広めたという伝承も嘘ではないのかもしれない。
「・・・いいのよ、セイバー。正直に言ってくれればいいの。わたしたち、ルートによっては3(ピー)だってありなんだから」
「隠せてない! 隠れてないぞ遠坂!」
「っていうかさりげに正妻とか言いましたね姉さん・・・ふふ、入籍する時にうっかり名前を書き違えたりしないといいですねえ・・・」
「ふむ・・・平行世界のどこかには判子の偽造をしている私がいるかもしれんしな。捺印にも注意が必要だ」
 言いたい放題していた外野勢だったが、ゴゥンと一際大きく地面が揺れた事で遊んでいる場合ではないと思い出して口を閉じた。
「と、とにかく! やましい考えはありますが、シロウの身の安全を考えれば私が接触していることに意味はあるはずです!」
 慣れぬ羞恥に震えるセイバーに凛はカメラが欲しくなったがぐっと我慢して頷いてみせる。
「そうね・・・途中で神経断裂とかおこされてもいけないし。いいわよね? 士郎」
「ああ、どんとこいセイバー」
 士郎がそう言ってぽんっと自分の胸を叩いてみせると、セイバーの顔がぱぁっと明るくなった。
「え、ええ! では、失礼します・・・!」
 そして小柄な騎士王は両手を広げてタックルでもするように士郎の腰にむしゃぶりつく。
「正面から行った!」
「ちょ、セイバー! 投影しにくいでしょそれ! 後ろに回りなさい後ろに」
「む・・・仕方有りませんね・・・この腹筋がいいのですが・・・」
「セイバーさん、キャラ崩壊気味ですよ?」
 桜のぼそっと呟いた声にセイバーはうぐぐと呻き、立ち上がって士郎の背後にまわり、背中にぴとっと手を当てる。
「・・・かゆいところとかありますか、シロウ」
「床屋さんじゃないんだから・・・」
 凛は額を押さえてため息をつき、気を取り直す。
「さて、始めましょうか。本来記憶共有の魔術には色々準備が要るけど、士郎は極端に魔術抵抗力弱いから大丈夫でしょう」
「・・・認めたくないが、認めざるをえないっ」
 いいのかい。精神拘束とかされたらホイホイついてきちまうんだぜ・・・
 凛は士郎と向かい合い、左手で胸の宝石に触れて右手を差し出した。
 士郎もまた見よう見まねで胸の宝石に触れ、左手を差し出す。触れ合った指が絡み、視線がぶつかる。桜が舌打ちをする。お約束を外さない少女である。
 綺麗な目だなと見つめた凛の瞳がぼんやりと赤く輝いた。眼球は、代表的な魔術回路の一つである。

    変   革   準   備、
「――Auftrag wird ersetzt.
   自         失        忘           我
 Das drette Element wird als das erste gekennzeichnet.
   接         続        開           始
 das Fleisch geht  einmal zum Teil des Sternes zuruck」

 囁くような呪文と共に、士郎の視界が黒に塗りつぶされる。闇の中、凛の瞳の光だけが浮かび上がり。

投影トレース・・・開始オン

 いつもの呪文を呟くとともに動かなくなった士郎を心配そうに見つめ、桜は落ち着かなく手のひらをすり合わせる。
「だ、大丈夫でしょうか。アーチャーさん」
「大丈夫ではないだろうな」
 その言葉通り、士郎のこめかみでパッと血の花が咲いた。吹き飛んだ血管は一瞬で復元し、しかし別の場所がまた弾ける。
「先輩っ・・・!」
「触れるな、桜。凛が誘導しているとはいえ、集中が乱れるとまずい」
 桜の肩を掴んで止め、アーチャーは焦燥を顔に出さぬよう奥歯を噛んで自重する。
 ビクリビクリと痙攣しながらも、回路の制御に全ての精神が割り振られている士郎の表情は変わらない。
 ライダーに手を握られ、ただひたすら見守ることしかできない時間は数分にも数十分にも思えたが、実際にはそう長くはなかったのだろう。

投影トレース・・・完了アウト
 
 落ち着いた声と共に士郎の目に光が戻った。
 視線を動かす。凛と握り合っていた手は今、二人で一つの柄を握る形になっていた。
 簡素な柄に、受けた光を虹色の光彩に変換して受け流す宝石の刀身。全体に棍棒じみたその形は、まごうこと無く宝石剣のそれであった。
「とりあえず・・・成功だ。ってなんだこりゃ!? なんで俺こんなに血塗れなんだ!?」
「名誉の負傷です。シロウ。よく頑張りましたね」
 セイバーは誇らしげに士郎の頬を手のひらで拭う。
「ストップですセイバーさん! わたしハンカチ持ってますから!」
 このチャンス逃してなるものかとハンカチをスカートから取り出す桜をよそに、凛は士郎から宝石剣を受け取って何度か振ってみた。とりあえず、刀身が取れたり砕けたりはしないようだ。
「前回より俺にかかった負荷は小さかったけど、それだけにどの程度の精度が出たかはわからないな」
 ぐしぐしと血を拭われている士郎の言葉に、凛は微笑んで頷く。
「大丈夫よ士郎。あなたが作ったのならこれがわたしの本物だもの」
「まあ、自己暗示は大切だからな・・・」
 肩をすくめるアーチャーに舌を出して返し、凛は魔術回路を開く。
「さて、次は私ね」
 手にした宝石剣に魔力を注ぐと、刀身がぼんやり光るとともに視界がぶれていく。
 第二魔法の第一段階、平行世界の認識である。魔法使いである師父ならば日常的にこの感覚を使いこなしているのだろうが、所詮はその一端を垣間見た程度の凛にとっては世界酔いとでもいうべき現象を伴う行為だ。
「大丈夫なのか、遠坂」
 そう声をかけてくる士郎を認識する。同時に、そこに居ない可能性を、そこに違う誰かが居る可能性を多重写しで認識する。
「っ・・・」
 奥歯を噛み締め、遠坂家伝来の魔術刻印を起動。
 元より遠坂家の魔術はこの宝石剣を作り、使いこなし、そしてその先へ行くことを課題としているのだ。歴代の当主はこの状態に備えた術式も開発している。
 まあ、誰も宝石剣を作れなかったのでこんなものが居るんじゃないかなあ的な当てずっぽうではあるが。
 脳が軋む。以前にこれを使った時は、大源(マナ)を使っていない―――つまりはまだ一度も観測していない世界に接続するという単純な検索だった。だが、今回の条件は複雑であり、しかも存在の可能性が極めて低いものだ。
「□□□  □□ □□□□□」
 士郎の口がぱくぱくと開いている。内容は理解出来ないが大丈夫だと笑みらしきものを作って凛は宝石剣を操作する。
 やってみてわかった。ここまで詳細な検索と接続は、宝石剣の機能の限界を越えている。かといって、魔術師にすぎない凛には自力で平行世界の観測などできない。
(6番から12番まで閉鎖、4番探針を8深めて停止、18は解析、21排除)
 だから、凛は模倣する。
 平行世界の検索と接続。それ自体はこの宝石剣が単独でこなせるのだ。ならばその理論を理解すれば、足りないものがわかるならば、それを為す為の回路を追加してやればいい。
 材料ならばある。この体に備わった魔術回路が。
 無作為に宝石剣で別の世界につなぎ、その時の動作を解析するのを繰り返す。
 言葉で表せば単純だが、たかだか経験10年の魔術師に出来るようなことではない。それをまがりなりにも形に出来ているのは、彼女の中に設計書があるからだ。
 理解できぬままに記憶だけしていた設計書。今はそこに、解析と模倣のスペシャリストによる注釈が加わっている。それを頼りに、凛は身の丈に余る術式に挑んでいた。
 おそらく、宝石剣の設計書が遠坂家に与えられたのはこの為なのだろう。
 第二魔法の初歩を行うブラックボックスであるこの限定礼装を理解することで、いずれ魔法に繋がる道を歩めと。
 だがそれは、もっと着実なものである筈だった。
 平行世界からの波の観測あたりから一つずつ一つずつ解決していくべきものだ。
 全ての階梯を飛ばして他世界へパスを通すところまで行うのは無茶を通り過ぎて無理と言える領域だ。
 だが、それでもと。凛は知識と意地と、左腕に込められた遠坂家の歴史でその無理を押し通す。
 ここでしくじれば、自分は死ぬ。それだけならば未熟のつけと割り切れるが、士郎も桜も、セイバー達も―――そしておそらくは冬木の住民全てが道連れになるのだ。
 それは嫌だと、凛は自己と認識できる全てをつぎ込み手探りの模倣を続ける。
 かつての凛には、明確な望みはなかった。
 幼い頃に父を物理的に、母を精神的に失ってからはやるべき事が山積みだったし、遠坂家の当主として完成したいという目標が常に存在したから個人的な望みを持とうという気がそもそも無かった。根源を目指す魔術師として、それでいいと思った。
 だが。今、凛は強く願っている。
 士郎たちは、多大な努力でここまで辿りついたのだ。それなのに、その先が無い。彼らに落ち度はないというのに。
 その不条理を覆せるものになりたい。
 努力が報われないのは嫌いなのだ。もはや家の悲願とか、魔術師としての常識だとかではない。自分の、遠坂凛自身の、個としての願いとして。

 わたしは、魔法使いになりたい。

「っ・・・この・・・!」
 僅かにでも制御を失うと、自分の居る世界を見失いそうになる。見えている世界がどれなのかわからなくなる。
 眼球という魔術回路の取り込む光景が目まぐるしく切り替わる。肉の身体を超越したその視覚にはまぶたがない。遮ることが出来ずそれを見つめ続けるしか無い凛は、人としての常識を秒単位で削ぎ落とす行為にひたすら耐え。
「これ・・・!」
 永遠とも思える世界の切り替えの果て。
 清浄な魔力に満ちた器とその前に立つ銀の少女を眼球に映し―――

 パリン、と。

「しまっ・・・!」
 凛の握った宝石剣が、粉々に砕け散った。
「失敗ですか!?」
「俺の投影が甘かったか・・・!?」
「いや、確かに完全な出来とは言えなかったが我々の投影では十分に及第点だ。今のは凛の集中が緩んだ結果だな」
 アーチャーの言葉を耳に、士郎はうずくまった凛を抱き起こす。
「大丈夫か遠坂! 痛いなら大丈夫だけど痛みも感じない部分があるとやばいぞ!」
「て、手馴れた負傷チェックテクね・・・と、とりあえず使えない部分はなさそう、よ」
 凛は酷い世界酔いで多次元的に揺れる脳と視界に吐き気をおぼえながら立ち上がる。
「ごめん、士郎。無茶言ってるのはわかるけど―――」
「問題ない。時間切れまで何本だって鍛ちあげてみせる」
 皆まで言わせず頷く士郎に凛は僅かに微笑み。

「いや、その必要はないぞ?」

 知らぬ声が、全員の動きを一度に止めた。

「ワシの魔法へ到達するにはあまりにも拙いが・・・おまえの魔術は確かに基盤へと届いたぞ。トオサカの」

 凛の目が驚愕に見開かれた。声を聞いたことはない。姿を見たこともない。だが、その言葉が表す意味は、遠坂の一族として当然に理解している。
 慌てて振り返ったそこに、一人の老人が居た。
 深いシワの刻まれたその顔は確かに長い時間を感じさせるものではあるが、がっしりとしたその長身は衰えを感じさせない。
「あ、あんた、何者だ?」
 先程までは気配すらなかったその老人に士郎は半ば気圧されながら誰何の声をかけ。
「うむ。名はキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。第二の魔法を預かる、魔法使いだよ」
 遠坂家の師父たる魔法使いは、そう言ってニヤリと笑ってみせた。
「まあ、人によっては魔道元帥だの平行世界を旅する無敵爺いとか呼ぶヤツもおるな」
 わりとフランクな爺いである。
「は、はあ・・・」
 凛にとっては小さい頃にお伽話のようなノリで聞かされた話の主人公がひょっこり現実にこんにちわ!したようなものであった。目をしぱしぱさせて戸惑う姿に、ゼルレッチはカカカと笑う。
「いやはや、度々言っている事ではあるが、弟子達の中では一番芽が出ぬと思っていたトオサカからこうも多くの可能性がワシのところに至るとはな。これだから、世界は楽しい」
「多くの可能性・・・えっ、他のわたしも届いてるんですか!?」
 呆然としていても聞き流せない言葉に凛は慌てて思考能力を再起動した。
「うむ。わしのバラ撒いた宿題はわりと数多いのだがな、実際にそれを解いて基盤まで届いたのは一握りだ。そしてその中には、トオサカ・リンが幾通りもおるよ」
 魔法使いとは、森羅万象全ての中心である根源にたどり着き、そこで己の望みを形にした者のことだ。そうやって作られたものが魔法の基盤となり、現世からそれに回路を繋ぐことで力を行使できるのである。
 凛の握っている宝石剣も魔法使いでなくとも基盤に接続できるというツールであり、極論してしまえばアサシンの燕返しも技という形で基盤に接続し、効果を出力していると言える。
 魔法の基盤はただ一人の使い手が管理しているのだから、そこに誰かがアクセスすれば、たちどころに魔法使いはそれを知ることができるのだ。
 それは凛も理解していることではあるが・・・
「あの、師父―――」
 片膝をつき頭を垂れ、徒弟としての礼を示しながら凛は問う。
 ついでに猫を被っていない凛が礼儀正しくしているのを初めて見る士郎たちが驚愕に大きく目と口を見開いているのを意識から締め出す。特にライダー、口を閉じろキャラに似合わない。
「御用の程を、伺ってもよろしいでしょうか。やはり、わたしを罰しに?」
「遠坂!?」
 思いがけない言葉に士郎は反射的に回路を開く。
 魔術は秘するもの。使い手が多ければ多いほど一人頭の力は薄れる。その一端たりとも掠め取ったのならば、管理者たる魔法使いがそれを排除しに来ても何ら不思議はないのだが・・・
「ワシはもう隠居だ。後継者を探しておるのにやっと出た芽を摘もうとはせんよ」
 肩を揺らして当の魔法使いは笑った。
「だってさ、遠坂。爺さん怒ってないぞ」
「士郎、一応その人すごく偉い人なのよ?」
 苦笑を交えて凛は立ち上がる。自分の家に宿題を残すくらいだから、次代の魔法使いを必要としているのだろうということはわかっていた。だが、世界のバランスを壊しかねない『英霊の群』を解き放とうとしている自分が魔法使いの目にどう映るかは、未知数であったのだ。
 なにせ、気に食わんというだけで月の最強生物に喧嘩を売ったと噂される無敵じじ―――腕のたつご老体である。何をしでかすか正直わからない。なんか巨乳の吸血姫の後見人パパやってるという噂も聞いたし。胸か。その年でやっぱり胸がでかいのがいいか。
「まあそう固くなるなトオサカの。ワシはな、宿題を解いた褒美をもってきただけだ」
「ご褒美、ですか?」
 よくわかっていない桜の言葉にうむと言ってゼルレッチはマントを広げた。腰に吊るしてあった鞘から顔を出している柄を握り頷いてみせる。
「まずは解いた本人に、これだ」
 引き抜いたのは、金属の柄に宝石をそのまま切り出したような刀身の付いた短剣―――
「宝石剣!」
 まさしく、宝石剣であった。もっとも先程砕け散ったものとは、見る者に与える印象は段違いに荘厳ではある。無限に色を変える光を宿す刀身に使い込まれた光沢が年月を感じさせる装丁。これを見て棍棒と思うものはおるまい。
「―――ああ、俺・・・半分も再現できてなかったんだな」
 士郎は目の周囲に青い光の回路を浮かばせて苦笑する。幻視に設計書の提示。二回に渡るサポートを受けていても、やはり自分の魔術はこの程度かと。
「これは武器というより魔術そのものだから相性が悪いんでしょ。諦めの悪さが士郎の―――うん、わたしたちの・・・取り柄なんだから、気を落とさないの」
「む。気なんか落としてないぞ。未熟なのは元からだ。今必要な分だけ結果が出せるのなら、それでいい。いずれは遠坂に見合うのを投影してみせるさ」
 立ち上がって士郎の腕に自分のそれを絡める凛にゼルレッチはほうと片方だけ眉をあげ、うむと頷く。
「ではトオサカの。よく見ておくのだぞ。褒美は―――次の宿題だ」
「っ!?」
 その言葉と共に、ゼルレッチの表情が変わった。飄々としたものから、向き合うことすら躊躇われる程の覇気に満ちたものへと。
 魔道元帥。その二つ名の意味を士郎は理解した。
 元帥とは、軍人の最高位である。魔法使いという、魔術研究者の極みでありながらその称号で呼ばれるのは、この老人が幾多の戦いを駆け抜けてきた魔術使いとしての側面をも持つからなのだと。
 宝石剣が凛が使用した時とは比較できない、鋭くも美しい虹を纏ってその手から浮かび上がった。
 両の手のひら、そしてマントに覆われた首筋から頬にかけてに光の回路が浮かび上がり、魔力光の照り返しで年経たその顔が一瞬だけシワのない若き顔立ちに見え。

  事象、錬成
「Welt, Bohrung」

 僅か二節の呪文と共に、パンッ! と両手が打ち合わされた。
「っ・・・!」
 瞬間、凛がふらっとよろけて士郎の腕に捕まる。
「どうした遠坂!?」
 尋ねる声にも、まったく反応を見せない。
 凛の目には。その一端とはいえ平行世界を見通す魔法と接続された経験のあるその魔術回路には、ゼルレッチの周囲に展開されたものが見えたのだ。
 巨大で精緻な魔術の構成。凛が使用する魔術を紙一面に書いた絵だとすれば、これは立体の彫刻であった。
(これが・・・魔法・・・?)
 文字通り次元の違うそれを、凛はそのまま頭の中へと叩き込んだ。今度は設計書などという親切なものはない。さりとてこの場で理解できるようなものではない。
 だが、それでも手がかりだ。かつてこの老人が成し遂げたように無から構築するのと比べれば、遥かに容易い。
 だから、凛はこの『宿題』の意味を悟る。
 現行の魔法などで苦労せず、さっさと学び取れという激励を。
 遠坂家の、シュバインオーグの名を維持するのではない。その歴史の先に、自らの魔法を生み出せた時にこそ。
 遠坂凛は、魔法使いとなるのだろう。
(まあ、わたしの子とか、孫とかがかもしれないけどね)
 視界の外まで広がった第二魔法の干渉波が見えなくなるのを見送り、凛はひとりごちる。
 なあに、出来るところまで走り続ければいい。次代を作るあてもできたわけだし。
「と、遠坂? なんで猫みたいな顔で笑ってるんだ?」
「なんでもないわよっと。あーこほん。師父、今のは・・・」
 真面目な顔を取り繕って尋ねた言葉に、ゼルレッチはうむと頷く。
「この街が根こそぎ消滅した世界が存在したのでな。そちらにこの小世界を捻じ込んで整調した。安定するまでは色々と妙な現象が起きるかもしれんが・・・まあその程度は自分でなんとかするのじゃな」
 さらりと言われた言葉に凛は目を見張り、他はキョトンと首をかしげた。
「じ、事象の多重を任意に反転させていった、という事でしょうか。現象の有無は等価な筈ですから―――」
「うむ。境界を破壊してから世界間で多重化した存在を取捨選択して固定化しただけじゃよ。規模こそ違え、マーブルの応用じゃ。この程度はたいしたことではない」
「しかしわたし以外は魔力で構成された擬似体ですが・・・」
「自分で言っておったではないか。有無は等価だ」
「! そうか、因果という観点からすれば、境界がなくなった時点で反転可能に・・・成程・・・」
 早口で交わされる魔法談義に、士郎はしばし沈黙してから頷いた。
「全く、わからない」
「わたしもです先輩・・・」
「へぼまじゅつし。とにかく、この世界はもう大丈夫なのっ!」
 やーいやーいと悪どく笑って士郎に抱きつく凛とそれを引き剥がそうと鋭角に飛びかかる桜、割ってはいろうとするセイバーとそれをグーパンチで撃ち落そうとするライダーを眺め、アーチャーは肩をすくめる。
(私にもさっぱりだったが・・・黙っておこう。この赤い背中は万能だ)
 じゃれあう魔術師たちにカカカと笑い、ゼルレッチは宝石剣をしまう。その表情は好々爺のそれに戻っていた。
「さて、ではそっちのお嬢ちゃんにも褒美をやらんとな」
「え!? あ、いえ、わたしは別に何も・・・」
 思いがけない台詞に桜はぶんぶんと手を振り回してノーを告げる。少しセクハラを迫られているっぽい光景だ。
「遠慮することはないぞ。全ての事象は無関係ではない。トオサカのがここに辿りつく為には周囲の全てが相応の振る舞いをせねばならぬのだ。特に魔術師であるお嬢ちゃんの影響は大きいのだよ」
 優しげな笑みと共に頭を撫でられてはにかむ桜にうむうむと頷き、ゼルレッチはマントの中をごそごそとまさぐった。
「というわけで、お嬢ちゃんにはこの『新鮮万華杖フレッシュカレイドステッキ』を進呈しよう」
「ありがとうござ―――」
「駄目ッ! それ受け取っちゃ駄目ぇー!」
 そしてマントの隙間からちらりと見えたピンク色の何かに、凛は喉も裂けよと絶叫した。悪夢じゃ! 悪夢のしわざじゃ!
「なに、最初に作った奴と比べれば性格もマシになったぞ? ちょっと洗脳されかけたがな。ぐるぐると」
「駄目でしょそれ!? っていうか悪化してるじゃない!」
 両手広げてガーッと叫ぶ凛にゼルレッチは片方のまゆを上げて首を傾げる。
「ではこの、『臓腑掴万華杖ハートキャッチカレイドステッキ』を」
「それはもういいっってんでしょうが爺ィッ!」
「ね、姉さん一応偉い方なんですから・・・」
 猛り狂う姉をどうどうと宥めて桜は困った笑みを魔法使いに向けた。
「あ、あの。わたしは本当になにもしてませんし・・・ご褒美でしたら、直接的に姉さんを手伝った先輩にわたしの分も」
 桜の言葉にゼルレッチは『む?』と首を傾げた。
 静止したまま、数秒し。

「なんで男なんぞに褒美をやらんとならんのだ! 変態か!」

 くわっと目を見開いて怒声を放った。
「・・・魔法使いまで・・・こんなノリなの・・・」
 この人くらいはまともなんじゃないかという最後の幻想ラストファンタズムさえ打ち崩されてすみっこでうずくまる凛をよそに、士郎は額にじっとりと浮かんだ汗を拭う。
「確かに―――」
「肯定するんかいっ!」
 顔をがばっとあげてつっこむ凛にゼルレッチは意地悪く笑い、肩をすくめる。
「冗談はさておき、そやつにはこれ以上の褒美などいらんだろうよ」
?」
 含みのある言葉に士郎が首をかしげると、魔法使いは思いの外真面目に頷いた。
「ワシの後継者候補を手中に収めておいて、他に何を望むというんだ? ん?」
「なッ! わ、わたし!?」
 素っ頓狂な声をあげて頭から湯気を吹き出す凛をよそに、士郎は頬にじっとりと浮かんだ汗を拭う。
「確かに―――」
「ちょっ! 肯定するのそれも!?」
「そうですよ先輩ッ! 姉さんごときで満腹になっちゃ駄目です! 男なら、犯ってやれです!」
「あんた今、『ごとき』とか言った?」
 凛はゆらりと立ち上がった。
「き、気のせいじゃないですか?」
 引きつった笑みでひゅーひゅーと鳴らない口笛を吹く桜の肩に手が置かれ、めこりという人体で奏でるにはちょっと無理の有りそうな音が響く。
「後で家族会議ね」
「い、いえす・・・」
 脅し脅され遊んでられるのも、また危機がさった証拠。通常営業モードの魔術師たちを眺めて魔法使いはまた笑みを漏らし。
「まあ、ワシの見立てではこの街、あと百回くらいは世界滅びそうなレベルの災害起こすけど、ガンバ」
 実に気楽にそう言って消えた。
「えっ、なにそれこわい」
 ぽつりと呟いた桜の言葉と共に、全員動きを止めてゼルレッチを・・・否、ゼルレッチの居た場所を眺めて硬直する。
 沈黙。
「とお、さか?」
「あ、うん。ちょっと今この街因果おかしくなってるし・・・いや、わたしも5〜6回は世界滅びそうになるかなあとは思ってたけど、あはは、三桁かあ」
「ちょ、聞いてないですよ姉さん!?」
「だ、大丈夫ですシロウ、サクラ。私達英霊はだいたいみんな世界救えますし」
「一人あたま八回というのは少々規格外ではあるがな・・・」
「ギルガメッシュをうまくおだてて丸投げしたらいいんじゃないですか?」


■???

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てる少女たち(男一名含有)を、世界の枠を越えて眺めて魔法使いは笑う。
 本来ならばアフターケアとして事象の歪みを補正して回ってもいいのだが。
「さすがにそれだけの英霊が集まっていては抑止がかかりかねんし、頭の固い爺いどもも五月蝿いからな。それだけ歪んでいればいい口実になるだろうよ」
 実際には大半が彼よりも年下な魔術協会の重鎮たちの顔を思考から消し、既に遠く離れたその世界にもう一度『視線』を向ける。
 ぞろぞろと連れ立って家へ、彼らの帰りを待つ人達の元へと向かう少女たちを。
 無辜の人々に危機を被せる芽を残して去るのは本意ではないが、自分も老いた。かつて月を砕いたようにはもういかない。
 だからこそ、期待したい。彼がかつてそうであったように、あの魔術使いは理不尽な破滅を見過ごしたりはできないだろう。直接教えることがないであろう弟子もまた。
 そうして彼女たちは戦いと日常を続け、力と望みを育てていく。それが花開いた時こそ、自分もまた長い旅を終える事が出来るはずだ。

「いつかまた、世界の果てで会おう。魔術師達よ―――」

 遥かな後輩を見守る温かい視線と共に、魔法使いは果ての無い旅へと戻っていった。




13-15-4 1month later 『さくら』

■衛宮邸 士郎私室

 そして。一ヶ月が経ち。
「む・・・」
 士郎は布団の中で軽く唸った。
 意識の覚醒と共に、胸のあたりになにやら圧迫感がある。布団の上になにか―――
「ってまたか!」
「おはよ。士郎」
 慌てて開いた目に映ったのは、士郎の胸に顔を乗せて寝そべっていた凛が、悪戯っぽい目で微笑む姿。
「ぇ・・・」
 士郎はあまりの不意打ちに脳機能を停止させ、口からぽろりと最後に感じた印象がこぼれ出る。

「ひらべったい」

「・・・・・・」
 士郎は、ビキリと音を立てて凛のこめかみに血管が浮かぶのを見た。 
「あ、いや、俺じゃないッ! ほら窓の外にランサーさん・・・居ない! 床下にあんり・・・ちゃんたちは行っちゃったし、天井裏に桜とかライダーとか・・・」
 慌てて周囲を見渡すも、今日に限って誰もいない。ああ畜生いつもは日替わりでだれかしっか寝込みを襲ってくるくせに!
「居ないわね」
 ちなみに、士郎の寝込みを襲うスケジュールは凛に優先権を認めることを条件に住民全員の承認のもと日程表が組まれている。
 一人そのあたりを知らぬ士郎は白々とした視線を受けて
「・・・ごめんなさい」
 素直に土下座した。
「・・・・・・」
 やっぱでかいほうがいいのかよう。シリコンでも埋めたほうがいいのかようと無言で自分の胸をむにむにする凛に、士郎は土下座を中止して頬を掻く。
「でも、この際だから言っておくけどさ、遠坂の胸、自分で言うほど小さくないと思うぞ?」
 そもそも揉んだ時の擬音がむにむにである。挟んだり出来るほどではないが、あることはあるのだ。何を挟むかって? 色々さ。
「・・・そ、そっかな?」
 なんだかんだ言ってやはり希望は持ちたい凛は頬などそめてもじもじと俯く。そっかぁ、わたし巨乳かあ。そこまでは言ってない。
 宣言通り一ヶ月でバカップルっぽいイベントを根こそぎ引き起こし、学内はおろか町内でも最早何をやってもああ衛宮と遠坂かですまされるような状態になってなおリミッターが外れるまでは初々しい恋人の振る舞いに士郎はたいそう和みながら口を開き。

「ああ。昨晩イリヤのを味わって比較した結論だぞ」

「あン!?」
 凛の目が、修羅とかあくまとかが可愛らしく見える角度で吊り上がった。
「いや、今度こそ俺じゃ―――ほら、外! 外にランサーさぎゃああああああああっ!」
「問答ゥッ! 無用ぉおおおおおおおおおおっ!」
 熱光線と拳で焦がして砕くの残虐シーンを繰り広げる二人を窓枠に肘をかけて眺め、ランサーはニヤリと笑う。
「今日も、いつも通りだなあ少年」


■衛宮邸 居間

「ああ、今朝も酷い目にあった・・・」
 士郎は炊飯器から茶碗へと御飯をよそいながら呟いた。肘や肩の一部がまだ剣と化して飛び出ているあたり、今朝のダメージの大きさが伺える。
「たいへんですね、先輩・・・毎朝毎朝死にそうになって・・・」
「ああ、シロウ。少し手を止めてください。手を繋いで回復しますから」
 いかにも気遣わしげに言っているが、昨日は桜が触手プレイを敢行しようとしたところでタコ足へのトラウマを刺激されたセイバーが士郎ごと焼き払っている し、その前の日はシロウが私の鞘ですから、さあ、さあ! などとセイバーが意味不明に迫った結果アーチャーが涙目で殴りこんできた結果として士郎だけが池 に沈められている。
「いいんだけどね。慣れたし」
「慣れたこと自体が問題ではありませんか?」
 淫魔属性があるライダーがあまりの状況にひいてしまう辺り、深刻であった。
「深く考えると人生そのものに疑問をもちそうだからやめたんだ・・・さ、出来たぞみんな。食べよう」
 今朝の朝食当番は士郎と凛。名目上、寝込みを襲うのは朝食を作ろうと誘っている形なのだ。料理スキルがない者の場合また別の理由がつけられるが。
「そういえば、今朝は珍しく全員そろってるわね」
 二度寝したりなんだりで揃わないこともある食卓だが、今朝は住人全てがそこに居た。
 士郎、凛、桜の魔術師三人。
 セイバー、アーチャー、ライダー、ランサー、バーサーカー、キャスター、アサシンこと佐々木の基本クラス7人。
 そしてギルガメッシュにイスカンダルに猫にちびセイバー。ハサンも一ヶ月前の戦いで何かがふっきれたのか、今は同じ食卓―――のすみっこで食事が取れる程度には人見知りが治っていた。
 かつてバーサーカーのとなりで騒いでいたあんりとまゆの姿はなく、代わりにイリヤスフィールが加わったこれが、今の衛宮邸の全容であった。
 いただきますと全員で手を合わせ、一斉に箸を取る。白菜の漬物をすっかり慣れた箸さばきで掴みながらランサーはまあなあと口を開いた。
「そろそろ少年たちも新学期で学校始まるだろ? オレらも暇だし、ライダーを見習ってバイトでもしようかって話になってな」
「言うまでもないが、我は労働などしない。だがまあ、おんらいんとれーどなるものを教わったのでな。この国の金融の歪み、ひとつ我が叩き直してやらんでもない」
「し、シロウ? 私も働こうとはしているのですよ? ちょっと上手く行ってませんが、ほんとですよ? 勤労意欲はありますからね?」
 必死のアピールに苦笑しながら士郎は味噌汁をすする。
 決戦の日に一度消滅し、イスカンダルの宝具で帰ってきた市民たちは街と一緒に世界へと定着し、受肉したサーヴァントとなっていた。もっとも、元が元なので普通の人間と何が違うのかという程度の存在ではあるが。
 あの一晩の記憶はキャスターが中心になって操作を行ない、ほとんどの住民は覚えていない。霊的素質が高い一部の人々は記憶をとどめていたりもするようだ が、そう数も多くなくたいした問題にはなってない。士郎の周りでもせいぜい陸上部のとある少女がほにゃほにゃと笑いながら頷いてきた程度であった。
 それでも色々と混乱はあった。魔術協会も聖堂教会もゼルレッチが何かをしたことは掴んでおり、代理世界alternativeが塗りつぶす前の冬木市―――聖杯戦争が最悪の終わり方をして町ごと全てが消し飛んだ―――の記憶を留めているものも居た。
 教会の方は言峰綺礼が結局聖杯が偽物と確定したと報告したことで一応は静観しているし、協会の方は総力戦も辞さない構えで遠坂家及び聖杯戦争関連事物の接収を叫んでいたが、バゼットを連れてイスカンダルが倫敦塔に赴いた途端、ピタリと干渉が止まった。
 数日して戻ってきたイスカンダルはコネがあるんだよとしか言わなかった。いずれ、話すよと。
 街の各所に発生した時間が飛んだり戻ったりするスポットや都市伝説が具現化した化物も放っておけず忙しい一ヶ月ではあったが、なんとかそれも落ち着いた。忙しいのに慣れたともいう。
「そっか。そうだよな。そろそろ新学期だし―――新学期、学校・・・何か、何か忘れてるような気がするんだが・・・」
 士郎の呟きに凛は首を傾げた。
「春休みだから宿題とかはないわよ? 校舎も治ったし。学校の怪談は7×7×7で343くらいまで増えたけど」
「増えすぎですよ・・・弓道場だけで5つくらいあったんですよ? お茶を運ぶ謎の人形とか夜中に弦がないって泣いてる女の人とかハハッて喋るネズミとか。全部滅っしちゃいましたけど」
 こちらも生徒会関係者としてあちこちの怪談を潰して回っている士郎はごくろうさまと苦笑してふと思いつき。
「ああ、そうだ。学校が始まる前に―――」

「しろー! たっだいまー!」

 言いかけた言葉を、底抜けに明るい声とスパーンと小気味いい扉を開ける音が遮った。
 たんたんたんたんと足音を立てて廊下を走ってきた足音は居間の前で止まり。
「おなかすいたー! ごっはーん!」
 これまたスパーンと勢い良くふすまを開き、黄色に縞縞の服とショートカットの女性が姿を現した。もはや言うまでもないが、藤村大河その人である。
「あー、藤ねえが帰ってくるの今日だっけ・・・」
 士郎がぽんっと手を打つ。町の住民同様決戦の日にサーヴァントとして出現した彼女だが、そもそも遠坂桜の策としてこの街に具現化されてなかった為、イスカンダルと知り合う機会がなかった筈の彼女が何故に出てこれたのかは誰にもわからなかった。
 実はどこかでモブをしてたんじゃないかとか道場あたりを媒介に自力出現したんじゃないかとか10年前に商店街あたりで征服活動中の誰かさんと知り合って たんじゃないかとか色々と意見はでたが、士郎の『まあ藤ねえだから』の一言で総括され、とりあえず設定通り研修旅行に行ってた記憶を植えつけて海外を巡ら してたのである。
「ほら、あんたたち席あけなさい」
 凛の指示と共にライダー達がぞろぞろと移動して食卓にひとり分のスペースをあける。
「おかえりなさい藤村先生。お茶碗とお箸です」
 ありがとーと脳天気に笑ってそこに座った藤ねえは桜からマイ茶碗とマイ箸を受け取りいただきますもそこそこに猛烈な勢いでごはんをかきこみだす。
「あーもう、なんだか6年間くらい旅行してたような気がするよぅ〜士郎のご飯おいしー!」
 カッカッカッとごはんを食べて、一瞬の遅延もなくアジの干物を解体する。おかわり用の一尾が失われたことにセイバーが涙し、士郎に耳元でドラ焼き三つと囁かれて立ち直る。
 ごはんはすごいよなんでもあうよとばかりに猛烈に口を動かしていた藤ねえだったが、メニューの八割ほどを平らげたところでようやく胃だけでなく脳も働きはじめたのか、ピコン、と頭上に?マークが浮かんだ。
「?」
 右を見た。6人居る。美少女ばかりが。
「?」
 左を見た。5人居る。美少女どころか美幼女まで。
「?」
 前を見た。頬を掻く士郎を挟んで凛とセイバー。
「・・・・・・」
 藤ねえは箸と茶碗を持ったままだらだらと汗をかき、士郎の方にのったりと目を向けた。
「えっと・・・誰? このがいじんさんたち」
「・・・遠坂と桜は知ってるよな。イリヤとセイバーとランサーとアーチャーとギルガメッシュとライダーと佐々木さんとハサンちゃん、イスカンダルとメディアちゃん。後猫とちびせいばー。全員うちの住人になったからよろしく」
 はじめましてとかよきにはからえとか口々に言ってくる1ダースの美少女軍団に反射的にカクカクと頭をさげて応える日本人藤ねえ。
「はぁ、知らない間に賑やかに―――ってなにソレぇぇぇぇぇぇ!?」
 そして、茶碗が食卓に叩きつけられると共にがおぅっ! と虎型のオーラが居間を駆け抜ける幻視を英霊達は見た。
「ちょ、ちょ、どういうことよ士郎! お姉ちゃんそんなの認めないわよ!?」
「まあまあ、落ち着いてくださいお姉さま」
「なんで遠坂さんに姉呼ばわり!?」
「だって、士郎のお姉さんなわけだし、ね? しろぅ?」
「姉さん! まだ入籍してないのを忘れないでくださいっ!」
「そうだぞ凛。まだ第一ラウンドが終わったばかりだ」
「!? よ、よりにもよってアーチャーがそんな台詞を」
 発端である藤ねえの手をすぐに離れて盛り上がる完成された痴話喧嘩に藤ねえは居場所喪失の危機を覚えてビシッと箸を突き出し。
「そ、そうだ! 私より弱いやつなんかにこの家の敷居―――」
 ガチャリ、と。
 言い終わる事すら出来なかった。突きつけられたのは剣、槍、弓、鞭、下着、斧剣、出刃包丁、不思議剣、ドリル、投擲短剣。
「ぁ・・・ぅ・・・」
 なまじ人間としてはハイスペックだからこそわかってしまう。

 駄目だ。こいつら人間じゃねぇ。

「ぅ・・・ぅう・・・」
 藤ねえの目に、ぶわっと涙が盛り上がり。
「ぅええええええん、へんなやつらに士郎ごとおうちとられちゃったー!」
 号泣しながら藤ねえは居間を飛び出した。
「ここは藤ねえの家じゃないだろ!? この際別にここに住んでもいいけど!」
「士郎・・・あんたそこまでストライクゾーンが広かったの・・・?」
 思わずつっこんだ士郎に凛がおののく。
「衛宮士郎・・・私の、最後の聖域まで汚さないでくれ・・・」
「お、どうした弓の字。久しぶりにいい感じのへこみっぷりじゃねぇか」
 orzとばかりに崩れるアーチャーをよそに、足音はべちべちべちと去っていき。
「しろうのばかー! またたびち○○ー!」
 遠い叫びと共に玄関から出ていってしまった。
「ま、またたび○ん○って・・・」
「繰り返すな馬鹿者!」
 苦笑する士郎とガァッと吠えるアーチャーに額を押さえてため息をつき、凛は視線を士郎に向けた。
「はぁ・・・なんかため息増えたわねわたし・・・それで? 最初、何を言いかけてたのよ。先生が帰ってくる前」
「ああ」
 士郎は頷いて笑った。心から、笑うことが出来た。
「桜の花を見に行こう。みんなで。ここに居ない人たちの分も―――」



Epilogue1 fin.











■????

 がちゃり、と。金属が擦れる音がする。
「・・・腕の調子、どうですか?」
 一夜で住民全てが消え去った冬木市の唯一の生存者、つまりは第一の容疑者として世界中の魔術組織から追われる身となった男女がそこに居た。
 公式には有毒性のガスの噴出で死に絶えたとされている無人の街にも、変わらず季節は巡り来る。二人が眺めているのは、女と同じ名を持つ花であった。
「遠坂も、どこかでこの花を見ているのかな・・・」
 男は金属製の義手を掲げ、舞い降りた花びらを手のひらに載せる。
 呟かれた言葉に女は振り返り。

「はい、きっと」

 今はまだぎこちない笑みを、愛する人へと向けたのだった。