0/一夜の宴

「いきなりなんの用だよ言峰」
 穂群原学園の校庭に呼び出された衛宮士郎の第一声はやや刺々しいものであった。
 無理も無い。聖杯戦争なる魔術師同士の決闘に巻き込まれてはや数日。何度かの実戦を経てこの戦いが非情なものである事は身にしみて理解した矢先の呼び出してある。危惧していたような待ち伏せではなかったようだが、だからといって油断できるものではない。
なにしろ、彼を呼び出したのは言峰綺礼であり、彼が前回の聖杯戦争のマスターであったということを士郎は彼のサーヴァントであるセイバーから聞いているのだから。
「ふっ…そう緊張することは無い」
 警戒心に満ちた視線に綺礼はいつも通りの人を馬鹿にしたような笑いを浮かべた。士郎を護るべく自分を睨みつけてくる金髪のサーヴァントに視線を移して肩をすくめる。
「それにしても、君のサーヴァントがそのセイバーとは…正直な所意外だったという他無いな。媒介が遺産として引き継がれていたのならばむしろ自然ではあるがね」
「……」
 沈黙しこちらの出方を伺う二人に綺礼はもう一度笑ってから真顔に戻り顎に手を当てた。
「さて…呼び出した理由なのだが、聖杯戦争の長期化を私は憂いている」
「長期化…?」
 聞き返してきた士郎に重々しく頷き話を続ける。
「聖杯戦争は無期限に続けられるものではない。一定の期間を過ぎれば聖杯は出現し無くなるが故にな。だが…此度の戦争、サーヴァントが揃うのが遅すぎた。凛の引き伸ばしの結果でもあるしこの戦いのことを知らぬ君がマスターとして選ばれたのが原因とも言えるだろう」
「…悪かったな」
 ぼそっと呟く士郎にニヤリと笑い綺礼は大仰に手を広げた。
「このまま戦い続けたところで従来のゲリラ戦、情報戦的な戦いでは期限に間に合うまい! 故に私は、此度の聖杯戦争に機嫌をつけることにした!」
「短期間って…どのくらいだよ」
 眉をひそめて士郎が尋ねると綺礼はうむと頷いてみせる。
「一晩だが?」
「そうか、ひとば…一晩かよ!?」
 予想外の言葉に驚く姿を愉快そうに眺めて神父服の魔術師はニヤニヤと笑って話を続けた。
「もはや猶予が無いのでな。既に君の他のマスターとは話がついている。今宵、ここでの戦いに勝利したものに聖杯を授けることを約束しよう」
「…貴様の言葉を信じろと?」
 楽しげな綺礼をセイバーは冷たい声で牽制した。彼女にとって言峰綺礼は仇敵だ。前回の聖杯戦争の最終局面において、不完全な聖杯を手に立ちふさがってきたのがこの男なのだ。最も信用のならない男である事を、誰よりも知っている。
「信じるか信じぬかは自由だが…ここを去れば二度と聖杯を手にする事は無いと言っておこう。少なくともこの聖杯戦争でもたらされるものは、だがね」
 余裕に満ちたその表情に士郎は舌打ちを一つ挟んでセイバーの肩を叩いた。
「セイバー、落ち着いて気配を探ってみてくれ。サーヴァントは居るか?」
「…ええ。入り混じっていて正確な場所はわかりませんが、確かに複数のサーヴァントがこの敷地内に潜んでいるようです」
 視線を交差させ二人は同時に頷いた。経緯はどうあれ、ここで聖杯戦争が行われるのが確かならば、士郎にとってもセイバーにとっても戦う理由はある。逃げるわけにはいかない。
「わかった…場所は学園の中限定、期限は今夜一晩…でいいのか?」
「その通りだ、衛宮士郎。夜が明けた時点で敗北していないマスターとサーヴァントに聖杯は与えられる。探すも潜むも自由だが時間切れには気をつけたほうがいい」
 綺礼の告げるルールに耳を傾けながら士郎は己の魔力を確認した。共闘関係にある魔術師、遠坂凛とそのサーヴァントであるアーチャーの指導により彼の力はほぼ覚醒している。魔術回路も二十七本全てが使用可能になっているし余程のものに挑まなければ投影のバックファイアで変調をきたす事も無い。
「セイバー、調子は?」
「問題ありません」
 金髪の騎士王はこっくりと頷いて士郎の目を見つめる。
(ただ、魔力量はやはり十分とはいえませんので宝具の使用は一度きりと想定してください。ニ発目は撃てたとしても私自身の消滅を意味します)
(わかった。未熟ですまない)
目で伝え合い、士郎は大きく一度深呼吸をした。
「―――じゃあ、行こうか」
「はい」
 二人は頷きあって闘争の決意も新たに大きく一歩を踏み出し―――
「ああ、言い忘れていたが…」
「む?」
「なんです?」
 綺礼の言葉に不穏なものを感じてピタリと足を止めた。
「今宵の戦いについてだが、短期間で決着をつけるために少々ルールが変更されているので注意して欲しい」
「…変更って…どんなだよ」
 警戒心も露に聞いてくる士郎に綺礼はピッと真横を指差してみせる。
「うむ、まずはあれを見てみろ」
「?」
 士郎は唐突な台詞に顔をしかめながら指差された方に視線を向け…
「な…」
 思わず絶句してその場に立ち尽くした。
「……」
「……」
 そこに居たのは、彼には見慣れた二人組。赤い衣を纏った錬鉄の英霊と五代属性統一(アベレージ・ワン)の魔術師…即ち、アーチャーと凛だ。
「…遠坂」
「…何よ」
 呆然と名を呼ぶと不機嫌そうな声が返ってくる。表情は眉の間に亀裂の如きしわの寄った憤怒のそれ、平時であれば5メートル以内に近づくことすら躊躇われる凶相だ。
「一つ、質問してもいいか?」
「…いいわよ、何?」
 聞き返されて言葉に詰まる。聞きたいことは単純なのだが、気圧されてしまいなんとも言い難い。それでも意志の力を振り絞り士郎は口を開いた。
「その…なんだ。遠坂…なんで肩車されてるんだ?」
「っ…! ルールだからよ! 他になんだっての!?」
 そう、凛はアーチャーの首に跨っていた。ツンツンと逆立った白髪の頭に手を乗せ、肩からぶらりと伸びた太ももをアーチャーが押さえることでバランスをとっている。
「さてルールだが、あの体勢で戦い、乗っている者が地面に落ちたら負けだ」
「騎馬戦かよ!?」
 ズビシッ! と裏拳で突っ込まれた綺礼はふむと唸って頷いた。
「成程…そうとも言うかもしれんな」
「そうとしか言わない! 頭おかしいんじゃないのかおまえ!?」
「…何を今更」
 絶叫に凛は呟き、遠い空に視線を投げた。
 ―――お父様…貴方が散ったこの戦い、ただの馬鹿勝負になりつつあります…
「待てよ言峰! そんなわけのわかんないルール変更誰が認めるって―――」
「ふっ、浅はかだな」
 絶叫する士郎の声を遮ったのはアーチャーだった。
 …異常なまでに嬉しげな表情で腕組みなどしている。手を離された凛がバランスを取る為慌てて頭にしがみついてくるとその表情が更に一段緩む。
「…殺す」
 そのまま鉄の心エンドにたどり着きそうな眼で睨んでくる士郎に怯む様子も無くアーチャーはニヤリと笑う。
「おまえは、このルールを飲む」
「む。なんでだよ。そりゃあ普通に戦うより平和だし俺は戦いを止める為に参加してるけど…」
 眉をひそめる士郎を見据え、アーチャーはズビシッ! と己が頭上を指差した。
「おまえにはこれが見えないというのか!」
「え…?」
 遠坂凛。学園のアイドル(表面上)。鮮血の如き赤を纏ういじめっこ。あくま。暫定師匠。ベア・ナックル(容赦なしの拳)。姉妹で組んだときのタッグ名は2000魔力パワーズ。表情は相変わらず不機嫌そう。いつも通りのツインテールと黒リボン、服装は白い体操服と…
「ぶるま…」
「うむ。ルール上、女子参加者は体操服とブルマの着用を義務付ける。裾の中入れ、外出しは遺憾ながら自由だが私は中入れを推奨する」
 神の言葉を伝えるが如き荘厳な口調で告げられた最後のルールに士郎は愕然と立ち尽くす。中入れ推奨…この世はなんと芳醇なことか!
 眼を真円に見開きガタガタ震える士郎をビシッと指差してアーチャーは力強い咆哮を叩きつける!
「衛宮士郎ッ! おまえはこの機会を逃せるというのか!? セイバーに体操服とブルマを着用させられ、同じく体操服にブルマな凛と戯れることの出来るこのチャンスを!」
「こらアーチャー! なにわけわかんないこと言ってんのよ!」
「な…に…」
「し、士郎もたじろがないッ! ああもう! エロ魔人どもがッ!」
 凛は苛立たしげに髪をかきむしりながらアーチャーの首をその太ももでもってグイグイと締め上げた。頚動脈を完璧に塞がれながらも至福の表情を浮かべるサーヴァントに気付かず周囲に視線を投げる。
「まったく…セイバーも何か言ってやりなさい! ってセイバー? どこよセイバー?」
「ふむ、彼女ならばあちらのテントで着替え中だ」
 その問いに答えたのは綺礼だった。指差す先は、聖堂教会穂群原学園支部と書かれたテント。確か、駅前のホームセンターに3000円くらいで売っていた
「ちゃちい教会だな…」
「どこも予算不足でな」
 士郎の呟きに綺礼が肩をすくめている間にシャッとテントが開いた。
「おまたせしました…」
 声と金のアンテナ毛を先頭に出てきたのは騎士の模範と称えられる少女王。龍の血を引く最強のサーヴァント…体操服、青のブルマ着用済み(ランクA++)。
「さあ、シロウ。私の準備は既に整っています!」
「なんでやる気満々なのよ…」
 凛が何かに殴られたかのようにのけぞるのを見て綺礼はふっと笑みを漏らした。
「それが真理だからだ、凛。思えば切嗣やおまえの父とも日夜激論を交わしたものだ。女子の下穿きについて」
「……」
死んだ魚のような目で黙りこんだ凛に笑みを深くした綺礼は静かに士郎を見据える。
「確認しておこう。衛宮士郎…この戦い、乗るかね?」
「乗るさ!」
 即答。拳を握って吼えた士郎に綺礼は重々しく頷いた。
「そうか。おまえは切嗣の後を継ぐのだな」
「ああ…何故ならこの夢は、決して―――決して、間違いなんかじゃないんだから……!」
「ふっ…いい感触だ。凛」
 熱く燃え盛る駄目人間が、ここに三人。
「ぅう、わたし、もう帰りたい…」


1/VSライダー

「では、士郎」
 頭を抱えて呻いている凛をよそにセイバーは凛々しい表情で士郎の後ろに立った。
「足を開いてください」
 その指示に士郎はぎょっとして眼を見開く。
「え? ちょっと待った。セイバーが下なの?」
「当然です。たとえばあのアーチャーがぶつかってきた際、貴方はよけたり耐えたり出来ますか?」
 戸惑いの声にセイバーは何を言っているのですかと腰に手を当てた。当然とばかりに言われて士郎は眉をひそめて困惑する。
「む…でも、女の子に乗るなんて…」
 尚も言いつのる少年にアーチャーはふんと鼻を鳴らした。
「ふん…毎晩凛相手にやっていることではないのか?」
「°д°!?」
 唐突な台詞に凛はギョッとして声にならない悲鳴をあげ。
「〜〜〜! 黙れ! 黙れ! 黙れ!」
 そのまま絶叫と共に両の肘を何度も何度も目の前の白い頭に叩き込んだ。
「む、痛…さすがに痛い…まて凛、肘は反則だろう。ウォーズ○ンか君は…いや、だからその角度…ぐはっ!?」
「…今の発言は事実ですか?」
 今まさに惨劇の繰り広げられている一角から巧妙に目をそらしてセイバーは呟いた。ちなみにこの一件は血のバレンタイン事件として後世に伝えられる事になるがそれは別の種の話。
「毎晩毎晩、リンと…?」
「そ、そんなわけないだろ!?」
 疑惑の視線に士郎は慌てて首を振った。数秒間にわたりセイバーは己が主人を見つめていたが、やがて笑顔に戻って大きく頷く。
「…そうですね。考えてみれば同じ布団に寝ているのですから、抜け出しているのでしたら私が気づくはずでした」
「そうそう、でもその話、他の人にはしないようにね」
 冷や汗をドバドバ流しながら士郎は素早く凛の方を盗み見た。どうやら耳の穴に耳掻きを突っ込んで乱暴にかき混ぜる拷問に夢中でこちらの会話には気が回っていないようだ。
「…セーフ」
「何がです? …ともかく、覚悟を決めてください。戦争の場においては性別など気にするまでもありません。その事については既に理解してもらっていたと思うのですが?」
 その台詞に士郎の表情がすっと引き締まった。
「…ああ」
 頷く。そう、ずいぶんと和んでしまったがこれは聖杯戦争。基本的には殺し合いなのだ。既に何度か死に接しているというのに、忘れてしまっていた。
「わかった。セイバー、俺の下に」
「はい」
 言って足を広げた士郎に頷き、セイバーは肩幅に広げられた足の間に頭を入れて立ち上がった。途端。
 むに。
「あ」
「あ」
 頭に感じる柔らかい感触に、股間に感じる固い感触に二人して真っ赤になり、ゴホゴホと咳払いをして気を取り直す。
「さて…あそこで魂が出てるアーチャー達はどうしますか?」
 とりあえずと聞いてきたセイバーの言葉に士郎は凛の方へ目を向けた。
「……」
 ギロリと睨まれしたよ?
「…一応、同盟はまだ有効ということで」
「…では、とりあえず他の騎馬を探しに行くとしましょう」
 ため息と共にセイバーは走り出した。てけてけと走る眼下の少女に士郎はうむむと難しい顔をした。
「うーん、やっぱり気になるな…重くないか? セイバー」
「ええ。シロウの体重でしたら10人分は背負えます」
 言ってセイバーはぴょんっと飛び上がり滑らかに着地する。乗っている士郎にはほとんど衝撃が伝わらない見事な跳躍だ。
「流石だな、セイバー」
「私はシロウの剣となり、盾となり、今日はついでに馬にもなって貴方の敵から護ってみせましょう。いつも乗られているばかりではないのです」
 機嫌よくセイバーは暴走気味にそれに答え…
「む!?」
 瞬間、頭から伸びたアンテナがピクンッ! と反応した。
「シロウ、他のサーヴァントが接近中です!」
「ふふふ…ははは…あはははははは!」
 セイバーの警告の声にかぶさるように哄笑が響く。
「くっ…誰だ!?」
 慌てて周囲を見渡した士郎の動きが止まった。校庭の隅、弓道場の方から走ってくる長身の女性と少年の騎馬が目に入ったのだ。
「やあ、衛宮…」
 校庭の照明に照らされて姿を現したのはスミレ色の長い髪をなびかせた黒い仮面の女性サーヴァントと彼女にまたがってふんぞり返っている二枚目崩れの少年であった。
「し、しん。しん…なんだっけ…えっと、慎二!」
「忘れかけるなよ! 親友ポジションの僕を!」
「いや、ごめん。どんな頑張っても悪友かな」
 言葉の剣で正面から切り捨てられた慎二は一瞬目を虚ろにしながらもなんとか立ち直って嫌味な笑みを浮かべる。
「ま、まあいいさ。そんなことを言っていられるのもいまのうちだからな。おまえはすぐに『慎二様お恵みを! お慈悲を! 足舐めますから!』って叫んで跪くんだ! あははははははは!」
 馬鹿笑いという形容がこれほど似合う姿もあるまいという程にのけぞって笑う慎二の姿にセイバーはうむうと眉をひそめた。
「士郎…あれは、知り合いなのですか?」
 問われ、士郎は遠い眼で彼方の空を眺める。
「なあセイバー。どんなに悔やんでも…どんなに見つめたくない現実でも…それは自分の一部なんだ。俺は――置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事なんて、出来ない!」
「僕は信念に関わるレベルの嫌な過去か!?」
「…決まりきったことだと思いますが。マスター」
 涙目で叫ぶ慎二にライダーはボソリとつっこんだ。見るからにやる気なさげに髪を弄り枝毛を探している。
「オマエ…! 化物のくせに主人を馬鹿にする気か!?」
「誤解です、マスター。それより戦闘体勢の敵が目の前にいるのに私などを見ていて良いのですか?」
「誤魔化すなよ! くそ! どいつもこいつも僕を馬鹿にして…!」
 シギャー!と叫ぶ慎二に士郎はむむむと眉をひそめた。
「落ち着けよ慎二。カルシウム足りないのか? 小魚とか使った料理食べるといいぞ。明日にでも弁当に作っていってやろうか?」
「ああ、助かる。最近桜がおまえんちに寝泊りしてるから毎食爺さん達とカップラーメンなんで…って放っといてくれ!」
 一人ヒートアップし、慎二はビシッと士郎達を指差す。
「クソッ! 僕のことを馬鹿にできるのもこれまでだ! 遠坂なら少しは苦戦もするかもしれないけどおまえとなら魔術師じゃないマスター同士条件は同じ…名門出身の僕に敵うわけないだろう!?」
「いや、それが…」
「黙れ!」
 自分は魔術師だと告げようと士郎が口を開くと慎二は絶叫気味にそれを遮る。
「とにかく僕が一番上手くサーヴァントを使えるんだぁっ! 行けライダー!」
「…はい」
 懐から取り出した本をベチベチ叩きながら叫ぶ慎二の指示に従って無表情なままライダーは地を蹴った。ちなみに、その身体を包んでいるのは当然のように体操服。豊かな胸のふくらみにサイズが合わず、すそが引っ張られて小さなへそが見えてしまっている。
「っ! セイバー回避!」
「はい!」
 士郎の指示に従い横っ飛びに飛び退いたセイバーをかすってライダーは背後へと走りぬけた。腐っても鯛。糸をひいても納豆。魔力不足で実力が発揮できていなくても敏捷Bの攻撃はまさに烈風の如し。
「速い…!」
「この程度で驚くのですか?」
 歯を食いしばり姿勢を整えるセイバーにライダーはボソリと言い捨てた。
「何…!?」
 刹那、地面が抉れるほどの踏み込みと共にランサーの長身が翻り、強烈な飛び蹴りがセイバーを襲う。
「その程度!」
 僅かに身をそらせてそれを回避したセイバーにライダーはニ撃三撃と鋭い蹴撃を加えていく。だが。
「当らない…!?」
「貴方の攻撃程度、全て見えています…!」
 身体全体を振り回すようにして打ち込まれる全てが一撃必殺の蹴りをセイバーは最小限の動きで受け流しきった。
「シロウ、間合いを離します。しっかり捕まっていてください!」
「わかった!」
 攻撃の切れ目を見計らい、大きくバックジャンプして間合いを離す。ニ騎の主従は10メートルほどの距離をおいて対峙した。
「…シロウ、大丈夫ですか?」
「ああ。でも…」
 見上げてくるセイバーに力強く頷き、士郎はちらりと慎二の方を見た。
「ははははは! 防戦一方だなえみ…うぷっ…」
「あっちは駄目っぽいな…」
 上半身をなるべく動かさないようにしていたセイバーに対し、そんなことおかまいなしに戦っていたライダーに乗った慎二は落ちなかったことが不思議なほど振り回されている。顔は真っ青、片手は口を抑え目はうつろだ。
「…勝機だと思うけど…いいのかな、あの状態に攻撃して…」
「…確かに、なんというか死者に鞭打つ所業ですね」
 戸惑う二人に、しかしライダーは凄みのある笑みを浮かべた。
「余裕を見せるのは構いませんが…私は、いかほどのダメージも受けてはいません。貴方達に侮辱される理由は無い…!」
「ちょ、らいだ…挑発するな…う…おぇ」
 グロッキーの慎二をよそに、セイバーと士郎の目に闘気が漲った。
「…セイバー」
「ええ。私達が間違っていたようです…全力で、制圧しましょう」
「だからオマエたちも…うぷっ…」
 ビニール袋を心から欲している慎二をよそにセイバーとライダーは同時に前傾姿勢をとった。一瞬の間を置き、二人が地を蹴るドンッ!という音が校庭に響き渡る!
「行くぞ、セイバー!」
「来るか、ライダー!」
 先に攻撃を開始したのはライダーだった。素早く具現化させた釘剣で首筋を斬り裂くとパクリと開いた傷から迸った鮮血が行く手に血印を描いてゆく!
「騎英の(ベルレ)―――」
 真名の詠唱開始と共に小跳躍。僅かな滞空を経て着地したのは天翔ける彼女の愛馬、意に従い翻った手綱を口で受け止めると天馬は音速超過の衝撃波(ソニックブーム)を放ち一気に加速した。
「…シロウ! 宝具を!」
「…わかってる! 下手な細工が効く相手じゃなさそうだ!」
 ライダーが纏った強大な魔力を感じ取ったセイバーと士郎は短い言葉を交わして全力突破を決意した。
「約束された(エクス)―――」
 編み上げた真名は最強の聖剣。最高戦速で疾走するセイバーの周囲に金色の光が集結する。この体勢では腕は使えない。だが、剣の英霊たる身に…その程度の障害など考慮する必要は無い。
「手綱(フォーン)ッッッ!」
 詠唱完了と共にライダーとペガサスの身体が白光に包まれた。魔力の塊と化したその身体は閃光と共に破壊を纏ってセイバーに迫り―――
「勝利の剣(カリバー)ァァッ!」
 白光の鉄槌を見据えてセイバーは咆哮を放ち、出現した聖剣の柄を口でもって噛み留めた。そのまま身体全体を回転させることによって閃光を束ねた刃を横一文字に薙ぎ払う!

 一閃…!

 ジャッ!という異音と共に星の光が駆け抜けた。魔力と魔力の衝突が均衡したのも僅か一瞬、エクスカリバーの閃光刃はベルレフォーンの烈光鎧をその本体たるペガサスごと真っ二つに斬り裂いて魔力に戻し、そのまま背後の木々をなぎ倒しつつ空へと消えた。
「くっ…」
 空中で交差した二人のサーヴァントは同時に着地する。だが結果は歴然だ。宝具を打ち破られ魔力の余波を受けたライダーはその場に膝をつき、一方でセイバーは軍靴の音も軽やかに着地し、すっと敵の方へ向き直る。
「まだ、やりますか?」
 威厳に満ちた声で告げる騎士王にライダーは歯を食いしばって立ち上がった。魔力はかなり消費してしまったが肉体的なダメージは少ない。まだ、戦える。
 戦える、のだが。
「お、おい! おまえの宝具、負けたじゃないか! なにが最強の宝具だよこの役立たず! パワーもスピードもそこそこしかないし使えない奴だなまったく!」
 キーキーと頭上でわめく慎二の声に、ライダーのやる気は、一気にゼロを超えてマイナス領域に達した。だが、それでも彼女は誇り高きサーヴァント。かりそめの主とはいえ契約を違える気など無い。無い、が…
「な、何黙ってるんだ! ば、バケモノのくせに! 畜生畜生畜生! 図体だけでかい役立たずめ!」
 とどめの一言に、何かがプチンと切れる音がセイバーと士郎の耳にすら聞こえた。
「申し訳ありません、足がもつれました」
 至極冷静な声と共にライダーは大きく跳躍し、そのまま足を大きく振り上げた遠心力で頭を…肩車した慎二を地に向ける!
「な!? こんなもつれかたがあるかぁあっ!」
 悲鳴をきっぱりと無視してライダーは慎二の両太ももをがっちりと掴んだ。そのまま重力に身をゆだね、地面へと向けて垂直に落下する!

 めこっ。ぐちゃっ。

 鈍い音と共に慎二の後頭部は地面に激突した。同時にライダーの後頭部が慎二の股間を叩き潰す。
 …どちらも致命傷っぽいが、特に後者は生き延びても違う人生が待っていそうだ。
「九龍城落地(ガウロンセンドロップ)…」
 士郎はそう呟いて眼をそらした。慎二の『男の部分』の冥福を祈りながら。

 間桐慎二・・・局部的に再起不能(リタイア)!


幕間/静止

 一方、壮絶な戦いが繰り広げられている校庭から大きく離れた裏庭にて…
「……」
 一人のサーヴァントが時を待っていた。涼やかな顔立ち、余分な肉をそぎ落とした体躯。雅な着物に身を包んだ彼の名を佐々木小次郎という。
「…ふっ」
 小次郎は静かに笑った。地面に寝そべったまま、静かに眼を閉じる。
「動けぬ…」
 彼の背には、巨大な山門が乗せられていた―――

 佐々木小次郎、行動不能…


2/妄執と解放

「これで一人撃破か…」
 口から泡を吹いている慎二の足を無造作に掴んで引き摺りその場を後にするライダーの後姿を眺め、士郎は呟いた。
「ええ。しかし切り札をこんなに早く使ってしまいました」
「ああ…身体、大丈夫か?」
 問われセイバーはポッと頬を赤らめる。
「はい、活動に支障はありませんが…後で放出した分の魔力を補充したいです…」
「補充…あ、ああ…うん。あぶないもんな、減ったままだと」
 士郎も赤くなり、ごにょごにょと言葉を返した。若い二人が桃色絵図に思いを馳せた、その時。
「をを、をを。若いものはいいのう」
 笑いを含んだ低い声が不意に背後から聞こえた。
「!? セイバー!」
「気配はありません! …まさかこれは!」
「…その通りだ」
 声が聞こえると同時に黒い何かがブンッ…と何かが二人を襲う!
「ッ!」
「大丈夫です!」
 セイバーは視覚に頼らず大きく跳躍して見えない一撃を回避、騎乗している士郎も前傾してバランスを取り、身構える。
「ほうほうほう、やるもんだのう」
「魔術師殿、次策はいかに?」
 闇の中尚暗く淀んだ空気に包まれたそこに、敵が居た。
 長身痩躯のサーヴァントは髑髏を模した仮面の中から冷徹な瞳でもってセイバーを見つめ、その背に乗った小柄な老人はその矮躯からは想像もつかない禍々しい気配で持って士郎を威圧する。
「気配遮断…アサシンのサーヴァントか」
 セイバーの呟きに老人はニタリと笑った。
「その佇まい、セイバーのサーヴァントと見受ける。乗り手は衛宮の子倅じゃな。ふふ、親子二代に渡りセイバーを引き当てるとは、流石アインツベルンの眷属よ」
「親父を…知っているのか?」
 警戒しながら放った問いに老人はおうおうと手を打ってみせる。
「知っておるとも。そしておぬしの事も、の? ワシの名は間桐臓硯…今さっきおぬしに不甲斐なく敗れ去った慎二の祖父じゃよ」
「慎二の爺さん!? 居たのか!?」
 士郎が驚愕の声を漏らすと臓硯はカカと愉快気な笑い声を上げた。
「あやつは役立たずな奴じゃが、別段どこかから沸いたわけでもないぞ? 父もおれば祖父もおる」
「いや、そういう意味じゃなくて…」
「…シロウ、あの老人と喋るべきではない。あの気配…既に死者のものです」
 呆れたようにつっこみを入れる士郎をセイバーは鋭い声で制する。戦闘体制で身構えるセイバーにアサシンもまた油断なく姿勢を低くした。
「死者とは言ってくれる。確かにこの身は腐れた肉塊にすぎぬが…我が魂は不滅じゃよ。肉体など飾りにすぎんのじゃが…王様なぞというお偉方にはそれがわからんとみえるの」
「…魔術師殿は最近慎二殿所蔵のDVDにはまっておられてな」
 淡々と解説するアサシンをよそに臓硯の着物からブン…と羽音を立てて蟲達が這い出してくる。キチキチと顎を鳴らす蟲の一匹は小さいがその数があまりに多い。臓硯を取り囲み、その姿を隠すほどに密集した様子はまさに蟲雲とよべる密度であった。
「戦いは数じゃぞ衛宮の小倅。サーヴァントの性能の差が決定的な戦力差でないことを教えてやろう」
「……」
 くくくと笑い、臓硯はふと自らのサーヴァントに目を向ける。
「いや、別におぬしが弱いと言っているわけではないのじゃぞ?」
「…お気遣い、感謝します」
 どことなくしょんぼりした感じのアサシンにフォローをかけると、その長身に力が戻ってきた。髑髏の面の下で光る眼光にセイバーは警戒心を強め…
「では、往けいアサシン!」
「了解した。魔術師殿」
 刹那、黒衣のサーヴァントの姿がセイバーの目の前に現れた。敏捷A、最高峰に位置するその速度はまさに黒き疾風の如し!
「ッ!」
 セイバーは地面を蹴り、即座に真横へと離脱した。数メートルを跳躍して更にもう一度バックジャンプで間合いを開ける。
「ほう、良い判断じゃの」
「く…」
 一瞬前まで居た位置を臓硯の纏った蟲がギチリと噛み砕くのを見てセイバーは歯を食いしばった。
「軽量のマスターに俊敏なサーヴァント…このスピードはやっかいな…!」
「良いルールよな。サーヴァント同士の攻撃力にいかほどの差があろうとも、マスターを地に墜とせばそれで決着はつく。そして…」
 ぞわりと新たな蟲達が臓硯を包む。
「こやつらは、常に腹をすかしておるでのう?」
 ニヤリと笑う怪翁にセイバーは焦りの色も濃く間合いを広げた。あの蟲の雲が人肉を喰らう性質であるのは間違いあるまい。士郎がそれに包まれたらと思うとぞっとするが、かと言って彼女のスピードではアサシンに対しヒットアンドアウェイをかけることも叶わない。頼りの宝具も使用できない。
「どうすれば…」
 奥歯を噛み締めて呟いたセイバーに、士郎はしかし力強く首を振った。
「…セイバー。俺のことはかばわなくていい。相手に逃げられないことだけ考えて突撃してくれ」
「しかしあの蟲達は!」
 慌てて振り返る少女王に士郎は笑みと共に頷く。
「大丈夫。足を引っ張らない。俺はセイバーを信じて攻撃に専念するからセイバーは俺を信じて機動に専念して欲しい。分業だよ、これは」
「…わかりました」
 セイバーはしばし迷ってからアサシンの方へ向き直った。自分のマスターが無謀であることも未熟であることも彼女は知っている。だが、その熱意が、鋼鉄の意志が、不可能と思える勝利をもぎ取ることをも…彼女は知っているのだ。
「行きます!」
「ああ…投影開始(トレースオン)!」
 セイバーの軍靴が地を蹴ると同時に士郎は魔術回路に魔力を通した。見る見るうちに大きくなる敵影を見据え、作戦に必要な武器の設計図を空間に描く!
「魔術師殿…」
「ふん、自棄になりおったか。若いのう」
 突進してくるセイバーと士郎に臓硯はつまらなさげに鼻を鳴らした。
「指示は?」
「構わぬ、正面から受けてやろうではないか。あの小僧に年期の差を教えてやろうぞ」
 主の言葉にハサンもまた駆け出し、二騎の軌道は直線のまま正面から交差し―――
「投影完了(トレースアウト)!」
 接触の瞬間、士郎の魔術は完成した。空間に展開されたイメージに魔力が実体を与え、空の右手に銀色の輝きが生まれる!投影されたのは一本の缶。赤いスプレーノズルのついたそれは、ギリギリ蟲殺しの武器という扱いで投影成功した…
「殺虫剤だぁあああっ!」
「おのれ小僧!」
 憎憎しげな臓硯の声と共に襲い来る蟲の群れに士郎は容赦なく殺虫剤を噴霧した。肉を削ぎ骨髄を啜る恐るべき魔蟲が引きつるように足を羽を硬直させて地に落ちていく!
「間に合え…間に合え…! ラスト!」
 最後の一吹きと共に最後の蟲が地に屈した。ついに丸見えになった臓硯そのものへと士郎は容赦なく缶を向け…
「くっ! 魔術師殿!」
「逃がすとでも思っているのですか!」
 必死に離脱しようとするアサシンの鳩尾へとセイバーは鋭く前蹴りを叩き込んだ。体内に灼熱する焼き串を突き込まれたような鮮烈な痛みに一瞬だが動きが止まり…
「今です! シロウ!」
「ああ!」
 士郎は噴霧ボタンを全力で押し込んだ!

 ぷシッ…

 だが、ノズルから出てきたのは掠れた音と僅かな空気のみ。
「くっ…薬液が切れた!?」
「ふん、その程度の策が読めぬと思うたか! 一本では持たぬことなどお見通しじゃ!」
 勝ち誇った声と共に臓硯はニヤリと笑った。死に至らなかった魔蟲達がややふらつきながらも士郎の背後に集合し、回避不能の角度から攻撃が迫る…だが!
「その言葉をそっくり返しましょう。その程度の策が読めないとでも思いましたか?」
「―――凍結、解除(フリーズ・アウト)」
 セイバーが会心の笑みを浮かべると同時にシロウの左手に、もう一本の殺虫剤の缶が生まれた。
「二缶流だと!? ワシが油断することを読んで…」
「いくぞ怪翁! なんかよくわかんないがおまえだけは絶対に許しちゃいけない気がする! 喰らえッ! 『蟲葬る日本の夏(キ○チョール)』ッッ!」
 そして、勢いよく噴霧された薬液が臓硯の全身を満遍なく包み込んだ!
「ぐぎゃあああああああああああっ!」
 苦悶の声と共に小柄な身体が吹き飛び、とさっと乾いた音を立てて地面に叩きつけられる。蟲の魔術師は何度かバウンドして地面を転がり動かなくなった。
「魔術師殿!」
 慌ててハサンはマスターに駆け寄ってその矮躯を抱えあげる。
「…ぉお、アサシン」
「ご無事で…」
 臓硯は仮面の下で安堵に緩む目をぼんやり見やり…
「わし、もう夕飯は食べたかのう…」
 ぽつりとそう呟いた。
「腹が減ったのう。何か食べるものはもっとらんか? アサシン」
「くっ…」
 邪気の無い笑顔で呟く老人の姿に仮面の奥で涙を流し、そっと己が主の身体を抱き起こす。立ち上がった臓硯はきょろきょろと周囲を見渡して不思議そうに首を傾げた。
「おや、何故にわしはこんなところに?」
 ハサンは一瞬だけ迷い…
「…散歩です。さあ、そろそろ帰りましょう。夜風は身に障ります…」
 優しい声でそう囁き、臓硯の手を取った。
「うむ、うむ。なんだか疲れたのう」
「ええ、今夜はゆっくりとお休みください…」
ただの好々爺と化した老人の手を引いてハサンは士郎たちに背を向ける。
「少なくとも…もう、妄執にとらわれなくて済むことは…幸せかも知れぬ」
 最後にポツリとそう呟いて。

 間桐臓硯・・・魔術師としては再起不能(リタイヤ)


3/質と量

「少し…罪悪感があるな」
 校門から去っていく老人達を見送り、士郎はぽつりと呟いた。
「敗者には敗者の義務と権利があります。勝者が敗者を哀れむのは傲慢というものです、シロウ。我々は勝者として誇り高くあればいい…敗者が、いずれその立場を返上すべく戦いを挑んでくるときの為に」
「…そうだな」
 士郎が静かに頷き、辺りを見渡した瞬間だった。
「行くわよ…」
 声と風切り音が耳を打つ。
「もう次かよ!」
「回避します!」
 飛びのくと同時に士郎の居た場所を黒い魔力光が貫いた。地面を抉ったその一撃には、確かに見覚えがある!
「ガンド…遠坂か!」
「意外だったわ。あんたがマキリのマスターを二人も倒すなんてね…」
「ふん…相性が良かっただけだ。実力というわけでもないぞ、凛」
 ニヒルな笑みと共にあらわれたのは赤い外套の主従。アーチャーにまたがった凛はびしっと士郎を指差した。
「とはいえ、そろそろ貴方にも退場してもらうわ…っていうかこんな馬鹿馬鹿しい戦い終わりにしてさっさと寝たい!」
「ぶっちゃけた!」
 士郎はのけぞって叫びながら凛に向き直る。
「馬鹿馬鹿しいってさ…一応これも聖杯戦争なわけだし…」
「こんなのわたしの聖杯戦争じゃない! あーもう、とにかく行くわよアーチャー!」
「…まあ、いいが」
 凛の指示にアーチャーは地を蹴った。素早い足取りで距離を詰める。
「シロウ!」
「ああ、仕方ない。行こう!」
 一方、セイバーもまた士郎の指示の元アーチャー目指して走り出した。
「ふん…喰らいなさい士郎ッ!」
「!?」
 刹那、凛の腕から黒い光弾が迸る。咄嗟に再度ステップで回避するがそこへ撃ちこまれる連打、連打、連打。狙いは全て士郎一点!
「シロウは…私が守る!」
 セイバーは一声吼えるて強く地を蹴った。高く宙へと身を躍らしたその身体に、士郎めがけて放たれたガンドが襲い掛かる!
「セイバー!」
 盛大な着弾に士郎は思わず声をあげ…
「大丈夫、我が身に魔力は通じません!」
 一発一発が物理的な威力を持つまでに昇華されたガンドの数十発同時着弾を全てかき消し、セイバーはアーチャーにとびかかった。
「Iフィールド…もとい、対魔力Aは伊達ではないな…!」
 アーチャーは素早く飛びずさり、セイバーの踵落としを紙一重で回避した。頑丈な脚甲が鼻先をかすめる風圧にも表情一つ変えず、即座に攻守を入れ替えてセイバーの肩口へと頭突きを叩き込む。
「っ…血迷いましたか!? 貴方の筋力で力比べなどと!」
「ふん…たしかに魔力で際限なく強化されるおまえの力を正面から潰すことは出来ないが…受け流すことは、出来る」
 冷静極まる台詞にセイバーは顔をゆがめた。肩に押し当てられた頭を押し返そうにもアーチャーは押された分だけ引くことで巧妙にその力を退ける。かと言って引けば今度は押してくるので一向に体勢が変わらない。
「くっ…!」
「! 駄目だセイバー!」
 均衡した状況に焦れ、全身の力でアーチャーを突き飛ばそうとしたセイバーに士郎は弓兵の狙いを悟って慌てて制止をかけた。だが…
「ここだ…!」
 瞬間、アーチャーもまた全身の力でもってセイバーを押し返す。
 確かに単純な力で言えば2倍近くの差があるが、頭という身体の中心で押しているアーチャーに対しセイバーが力を込めているのは肩だ。どちらが力を込めやすいかは言うまでも無く…
「しまっ…」
「もらったわよ!」
 大きくよろけて体勢を崩したセイバーの声と凛の咆哮が交差した。勢いのままに、ガンドの光を纏わせた右腕を士郎目指して突き出し。だが!
「まだまだぁああっ!」
 顔面めがけて零距離射撃された魔力弾を士郎は身体を捻じって回避した。そのまま8の字を横にしたような動きでもって体勢を立て直し、右の掌底を凛の鳩尾めがけて叩き込む!
「デンプシーロール!?」
「くっ! よけろ凛!」
 士郎は飾りと見ていた凛とアーチャーは思わぬ反撃に目を見張りながら慌てて身をそらしてその一撃を回避しようと試みた。
 そして、交差!

 ぺたん。

 鳩尾から斜め上に少しずれた位置に、士郎の手のひらが当たった。
「……」
「……」
「……」
「……」
 あまりに悲しい擬音に時間すら眼をそらし、周囲に静寂が満ち溢れた。プルプル震えて俯いている凛に、いたたまれなくなった士郎はおそるおそる口を開く。
「…元気出せ、遠坂。ちっちゃくても柔らかかったぞ」
「ああ。そっちの方が好きという奴も多い。むしろ魅力ととらえていいだろう」
 二人がかりの慰めに凛のこめかみでブチリと破滅の音が鳴り響いた!
「死にさらせええええええええええええ! ブロブディングナックル!」
 闘気で巨大に見える拳に顔面強打されて士郎はのけぞった。慌ててセイバーがバランスをとり、大きく飛びのいて間合いを取る。
「…アーチャー、殺す、わたし、あいつ」
 抑揚無くロボットのように告げるマスターにアーチャーは表情を引きつらせ、おそるおそる口を開いた。
「…あ、あの。出来れば殺すのは私にやらせてほしいのだが」
「駄目、あいつは肉片一つ残さない」
 呟き、凛はギロリと眼下のサーヴァントを睨みつけた。
「そして…次はあんたよ…召還されたことを後悔するくらい…遊んであげるわ」
「!?」
 カーッカカッカッカと壊れたあくま笑いを響かせる凛にアーチャーが戦闘放棄と逃亡を本気で検討したその時。
「突き穿つ(ゲイ)ッッッ…!」
 周囲を圧するような大音声の真名が校庭に響き渡った…!


幕間/涙

 時間は3分ほど巻き戻る。
 校庭の隅に、一人の男が立ち尽くしていた。青い皮鎧に同色の髪、ランサーのサーヴァントことクーフーリンが彼の名である。
「あー…」
 普段、野性味にあふれた笑みを浮かべていることの多いその表情が、今は暗い。嫌そうな表情でランサーはゆっくりと頭上に眼をやった。
 そこには…
「どうした? さっさと働いてもらおう」
 彼の首にまたがり、令呪を見せて無表情に命ずる綺礼の姿がある。
「オレの…オレのマスターはこんなゴツイおっさんじゃねぇ! こう、ボーン、キュッ、バーン! いやっほう! って感じのいい女だった筈だぞおい!」
「選手交代だ。令呪もこの通り有る。『マスター交代に同意せよ』」
 ニヤリと笑って綺礼がそう言うと同時に彼の手から令呪が一画消滅した。ランサーは己が魂に拘束がかかったのを感じて表情を歪める。
「てめぇ…」
 歯軋りしながら睨んでくる槍の英霊に綺礼はふっと嫌味な笑みを見せつけた。
「さあ、行ってもらおうか。令呪はまだあるが、使うかね?」
「ッデム! 行きゃあいいんだろ!?」
 だーっと涙を流しながらランサーは駆け出した。速い。周囲の風景が滲むほどの高速でもって戦場へ向かう。
「ほう、既に2組がリタイアか。今は凛とキリツグの息子が交戦中のようだな」
 呟き、綺礼は目の前のツンツン頭を叩いた。
「まずは凛とアーチャーを潰すぞ。不意打ちはお前の得意とするところであろう?」
 己のマスターとなった男にペチペチと後頭部をはたかれて元から短気なランサーの堪忍袋は破裂して粉々に吹き飛んだ。
「どちくしょおぉおおおおおおおおおおっ! バゼットを返せええええええ!」
「返す、か? ふむ…彼女は私に惚れているがそれでもいいかな?」
 人の不幸は蜜の味。その蜜のみを生きがいに生きている言峰が即座に抉った傷にランサーの眼がギランッ! と怒りに輝いた。
「っざけんな! 毎回毎回おまえの思い通りになると思うなよこの変態神父!」
 ランサーは絶叫し、言峰を抱えたまま大きく飛翔した。空中でむんずと神父の足を掴み、天高くその巨体を掲げる。
「な…!?」
「突き穿つ(ゲイ)―――言峰の槍(ボルク)ぅぅぅぅぅぅ!」
 そして、ランサーはこの世で最も凶悪な槍を投擲した!


4/セイギノミカタ

「ボルクゥゥゥゥゥゥゥ!」
 うぅうぅうぅとエコーがかかって響き渡った絶叫に凛とアーチャーは同時に空を見上げた。
 見上げて、しまった。
「ちっ…ランサーの宝具か! …宝具…だよな?」
「…一応、そのような魔力は感じる。一応…」
「…き…綺礼…」
「綺麗!? リン、さすがにその感性は首肯しかねる!」
「そうじゃなくて! ああもう、説明してる暇無い!」
 一本の槍と化し、何故か笑顔ですっ飛んでくるマッチョ神父。魔術師として一流の高みにまで鍛え上げられた精神でなんとか持ちこたえて凛はギリっと奥歯を噛み締める。
「アーチャー! ええと…な、なんとかしなさい!」
「…む。そ、そうだな。なんとかしよう」
 あまりの事態に明確な対策を思いつけないままアーチャーは取りあえずその場を離脱しようと試みたが…
「!?」
 膨大な戦闘関連知識が、潜り抜けてきた戦場で培われた経験が鳴らした警告にもう一度空を見上げた。
「どうしたのよアーチャー! 逃げるわよ!?」
「一応あれもゲイボルクだというのなら…チッ! 逃げきれん!」
 そう叫び、魔術回路を全て開放した瞬間!
「くくくくく…はははははははははっははははははっ!」
 哄笑と共に落下してくる言峰が…50人に分裂した!
「…あぅ」
 50倍になった暑苦しいマッチョの雨を目の当たりにした凛は極めて健全な精神活動…すなわち気絶をしてアーチャーの肩から落下する。とすっという音をたてて地面に衝突したようだが、流石のアーチャーにも今は気遣う余裕が無い。
「投影開始(トレース・オン)…!」
 そう、今はこの大惨事から身を守ることが先決! 愛する少女を蹂躙されてなるものかとアーチャーは守護者として働いているときよりも気合を入れて右腕を突き出した。
「行くぞ…『熾天覆う七つの円冠(ロー・アイアス)』!」
 展開されるは花弁の如き七つの盾。投擲武器に対してならば無敵と称される最強の防御! だが!
「「「「「ははははははははははっ!」」」」」
「馬鹿な…持たないだと!?」
 次々と打ち付けられては四散していく言峰の雨を受け止めるにつれ、桜色の花弁にピシピシとヒビが入っていく!
 …ちなみに、飛び散ったといってもオリジナル以外は魔力で出来た複製らしく、肉片になったりはしていないので安心だ。
「く…5枚…4枚…3枚…」
 次々に砕け、魔力に帰っていく盾にアーチャーはギリッと歯を食いしばった。背後には凛が居る。いざとなればこの身に変えても彼女だけは…
「2枚…1枚…」
 ついに最後となった守りを見上げ、アーチャーは頷いた。このペースならば計算は合う。たとえ全ての防壁が突破されたとしてもこの身が最後の盾となる。残った攻撃の全てを受け止めれば、凛には被害が及ばない。
 そう。
 この身は剣で出来ている。
 そして、剣とは使い手無しには存在する価値のないものだ。
(俺はここまでみたいだ。達者でな、遠坂。まさかこんな頭のおかしい終末を迎えるとはおもわなかったが…)
 微笑すら浮かべ、アーチャーは大きく両手を広げて死の雨を待ち…
「投影(トレース)…開始(オン)ッ!」
 刹那、力強い声が周囲を制圧した。
「な…」
 驚愕し傍らに眼を向ければ、天に向かい視線を投げ上げる騎士王が居る。そして、彼女に騎乗し、力強く右の腕を振り上げた―――
「衛宮士郎ッ! まさか…!」
「熾天覆う七つの円冠(ロー・アイアス)ッ!」
 二つの声が…同じ祖を持つ声が交差すると同時に、天上を覆っていた最後の花弁が砕け散り、新たに展開された四枚の花弁がアーチャーの盾を貫通してきた攻撃を受け止めた!
「っく…!」
 投影された盾は己自身に等しい。己を削られ、砕かれる痛みにのたうちながら士郎はそれでも吼えた。
「失せろッ! ド変態ッ!」
「ははは…がふっ!」
 刹那。最後の一体―――どうやら本体の言峰―――が士郎の盾に激突した。他のものと違い、飛び散ったりせずにずるりと盾の表面をすべり、そのまま地面に落下する。
「っ…」
「シロウ!?」
 それを見届けた士郎ががくりと傾き、慌てた声でセイバーは彼を抱え直した。
「大丈夫ですかシロウ…」
「だ、大丈夫。アーチャーの奴は40人も言峰を受け止めたんだ。たった10人しか受け止めてない俺がへたばるわけにはいかない…!」
 どこかネジの緩んだ台詞だが、それでもセイバーは感動に眼を潤ませて熱い吐息を吐く。
「それでこそ我が主…」
「ああ、セイバーが恥ずかしくないようなマスターを目指してるからね」
 盛り上がっている二人を見やり、アーチャーはそっとため息をついた。
「凛の妨害の入らぬ今が望みを果たすチャンスなのだが…流石に今回は…諦めざるをえんか…」
 こう見えて、ちゃんと空気を読むということを知っている男であった。

 遠坂凛・・・行動不能(リタイア)


5/再戦

 パチパチパチ…
「ん?」
 気絶したままの凛の顔にハンカチで風を送っていたアーチャーは不意に聞こえた拍手に手を休めて振り返った。
「…セイバー、衛宮士郎。どうやら休ませてはくれないようだ」
「敵か!?」
 肩車の体勢のまま見つめあうという器用なストロベリータイムを過ごしていた士郎はその警告に慌てて周囲を見渡した。拍手の音を頼りに向けた視線の先に…
「ライダー!?」
 すみれ色の髪をなびかせて、ライダーが立っていた。体操服の胸に『3ねん へびぐみ らいだー』とあるので間違いない。
「待ちなさいライダー! あなたは既に敗北したはずです。潔く―――」
 掟破りの所業にセイバー(学級委員スキル発動中)が叫びんだ言葉が、途中で途切れた。
「ふふふ…さすがですね、先輩。セイバーさん」
「さ、桜!?」
 聞き覚えの有る、慣れ親しんだ声に士郎は眼を見開いて絶句する。ライダーに肩車されているのは先程倒した臓硯の孫であり慎二の妹である間桐桜だったのだ。自らのサーヴァントにも劣らぬ豊かなものが体操服を突き上げているのが圧巻である。
「なんで桜が…」
 呟く士郎に、桜はそっと左の腕を掲げて見せる。二の腕に描かれているのは不可思議な文様、魔力の結晶たるそれは―――
「令呪です。先輩」
「じゃあ、桜もマスター…なのか?」
 ええと頷き桜はくすくす笑いながらアーチャーの傍で気絶している凛を見下ろした。
「ふふ、兄さんやお爺様、姉さんまで代わりに倒してくれるなんて…やっぱり先輩はわたしの味方なんですね」
「む。遠坂はいつも通り自爆しただけだからあれだけど…桜の味方っていうなら、桜の味方のつもりだよ、俺は」
 当たり前のように言われて桜は喜びを隠さぬ表情で豊かな胸を押さえて眼を閉じる。
「嬉しいです、先輩…」
 そして、こぼれるような笑顔で追加の一言。
「じゃあ、腕もぎますね?」
「腕!? いやいやいや!? 話繋がってないし!」
 明るい笑顔で言い放つ猟奇的な彼女に士郎は思わずのけぞった。慌ててバランスをとるセイバーにごめんと告げて桜に怯えた目を向ける。
「なんで俺の手なんか欲しいだ桜!?」
「? 足でもいいですよ? 先輩」
「だからもぐとか引っこ抜くとか無し! なんかおかしいぞ桜!」
 絶叫に桜はうーんと首を傾げた。
「なんでしょう…HF編っていうタイトルがいけないのかもしれませんね、先輩…運命を感じるでしょ? ライダー」
「いえ…別に」
 ぼそっと言ってくるライダーに頬を膨らませ、桜は改めて士郎のほうに向き直る。
「ふふ、ほんとはわたし、聖杯なんてどうでもいいんです。でも、先輩は…先輩だけは…わたしに希望を持たしてしちゃった責任、取ってもらいますよ…」
 くすくすと笑いながら電波を飛ばす桜にライダーはひとつ頷いて口を開いた。
「通訳します。『おまえがほしいいいいいいいいい』だそうです」
「…ご苦労様」
 士郎は頭を抱えて呟き、首を振った。凛と戦う可能性は考えたことがあるしその際には全力で戦い殺しも殺されもしないようにしようとも思っていたが…まさか桜と戦うというイベントが自分の行く手にあるとは思っても居なかった。
「なあ桜…どうしてもやるのか?」
「今更命乞いですか? 先輩」
「いや、そんな草薙八神なやりとりはいいから…」
 やるきなさげなつっこみを受けて桜はぷーっと頬を膨らませる。
「ノリが悪いです先輩。そんな人はやっぱりダルマですよね?」
「ちなみに四肢切断のことです」
 淡々と呟いてライダーは姿勢を低くした。数十分前にも見た戦闘体制にセイバーもグッと地を踏みしめて構える。
「仕方ない…セイバー?」
「ええ。怪我をさせないように勝つのが一番無難でしょう」
「うふふふふふ…いつまでも日陰者じゃありませんよ先輩!」
 ぴしっとGOサインを出す桜にさーいぇっさーとばかりに頷きライダーは地を蹴った。
「!」
 刹那、セイバーは直感の警告に従い飛び退く。瞬間、セイバー達の居た場所をライダーの鋭い回し蹴りがなぎ払った。
「な、速い!?」
 士郎は驚愕に目を見開き、着地した衝撃に耐えバランスを取り直す。
「サーヴァントの能力は魔力の供給により制限をうけます! 魔術師ですらない先程の男ではライダー本来の力を発揮できていなかったのでしょう!」
「そうか! 俺と契約しているセイバーが本来より能力ダウンしているのと同じか!」
 士郎は力強く叫び―――
「はは、はははははは…」
 目をそらし、寂しくひとり笑った。あれ? なんだろう。よくわからない暖かいものが目から出てるよセイバー…
「い、いえ! た、確かに本来より1ランクほど能力低下していますが…」
「…………ごめん」
「で、ですが! 魔力ならば濃いものを毎夜そそいでもらっていますし! その、私は現状でとても幸せですっ!」
 瞬間、静寂が辺りを支配した。
 士郎が赤面する。セイバーがはっと息を飲んでこれまた赤面する。ライダーが羨ましげに息をつく。気絶したままの凛を安全な場所まで避難させていたアーチャーが殺意の篭った舌打ちをし、そして。
「キシャァアアアアアアアアアアアッ! ピキキー!」
 奇声と共に桜が髪を掻き毟る!
「わ、わたしの棒をよこどりしましたねっ!?」
「サクラ、いくらなんでもその表現は下品です」
 イメージ低下を恐れて青ざめるライダーの声には耳を貸さずくききーと叫び、桜は眼を血走らせてセイバーを両の人差し指で指し示した。
「ライダーお願いっ! 全力攻撃!」
「は、はぁ…しっかり掴まっていて下さい…聞いてますか? サクラ?」
「先輩っ! 目を覚ましてください! わたしの方が先輩を気持ちよく出来ますっ! 年期が違いますから!」
 絶叫する桜にため息をついてライダーは地を蹴った。溢れるほど体中に漲った魔力に任せた敏捷Aの全力はスポーツカーの急発進に等しい。景色が滲んで見えるほどの速度に手を放していた桜の身体は首にまたがったふとももを支点に大きくのけぞった。
「覚悟…!」
「くっ!」
 間合いの全てを一跳びで詰めきったライダーはそのまま空中で踵落としを打ち込む。飛び退くことすら間に合わない超高速のそれにセイバーは軽く呻いて身をよじった。鼻先数センチの空間を鉄槌かと見紛う一撃が通過して地面を噛む。
「なんて、速さ…!」
 セイバーの驚愕にニヤリと笑い、ライダーは振り下ろした右足を支点に急制動をかけ。
「え?」
「あ…」

 慣性の法則。いきなり止まっても、スピードは落ちない。固定されていない荷物とかは特に。

「あ…」
 瞬間、士郎を掴もうと両をいっぱいに伸ばしていた桜は急停止したライダーの肩からカタパルトで打ちされたかのように宙へと吹っ飛んだ。
「と、飛んだーっ!」
 長い髪とスカートをはためかせ、びっくり顔の桜が宙を舞う。何故か気をつけの姿勢で、一直線に空へ―――!


幕間/桜28秒のうた        唄 冬木町男声合唱団

 ビルの街に桜 夜の校舎に桜
 ダダダダダーンとライダー来る
 バババババーンと立ち止まる
 ビューンと 飛んでく桜 28秒

 あるときは 序盤で退場
 あるときは ラスボス就任
 いいもわるいも 先輩次第
 さくら さくら どこへゆく
 ビューンと 飛んでく桜 28秒

 ○○○握れ エロいよ桜
 叩き潰せ 爺さんの本体
 凛に渡すな大事な先輩
 さくら さくら はやくゆけ
 ビューンと 飛んでく桜 28秒


6/最強の敵

 30秒近く滞空し、校庭の端まで吹っ飛んだ桜はボスッと音を立てて地に落ちた。ごろごろ転がっていき、そのまま動かなくなる。
「桜っ!?」
 最悪の事態を想像して叫んだ士郎にライダーは慌てて首を振った。
「いえ、ご心配なくセイバーのマスター。桜は頑丈にできていますからあの程度ではどうということもありません」
(ライダー! 余計なこと言わない!)
 倒れたままの桜は内心でがぁっと吼えて思念を凝らす。
(倒れてますよぐったりしてますよ抱きあげてくださいセクハラ可能むしろ推奨爛れた精神既にして芳醇未到達にしてサカシマに崩壊この身は劇場既に幕は開き観客消失脚本は焼失俳優は小室にて今君を待つ―――ぶっちゃけ準備オッケーです先輩ッ!)
 カマン、愛してるぜベイベとばかりに待ち受ける妹分の姿に士郎は苦笑交じりに頭をかいた。
「…桜、そこはかとなく物凄い闘気を感じるんだけど…なんか企んでるか?」
 倒れたままの身体がピクッと震えるのを確認し、士郎は深いため息をついた。
「えっと、ライダーだっけ? 桜のこと、お願いできるかな?」
「わかりました。まあ、桜は象が踏んでも壊れない頑丈な子ですから心配は無いでしょうが、気まずくなって立ち上がるまでせいぜい見守る―――」
 ライダーが親しみらしきものを込めてそう言いかけた瞬間だった。
「へぇ? 踏んでも壊れないんだ?」
「…え?」
 無邪気な声と共に、桜の上に巨大な足が降ってきた。
「きゃあああっ!」
「桜ッ!」
 ずどんっ…と、校庭全体を揺るがすような地響きと共に巨大な足が踏み抜かれた。
「まさか…」
 校舎のガラスが震動で砕け散るのを背後に、士郎は緊張の面持ちで呟いた。ずどんっと再度地響きがする。
「まさか…」
 セイバーもまた、静かに呟く。地面を陥没させ、闇夜に溶け込む暗色の巨体がゆっくりと、今静かに姿を現す―――!
「まさか…ジャイ○ントロボっ!」「まさか…鉄○28号っ!」
「ま"っ!」
 二人が叫ぶと同時に巨体は両手を掲げて吼えたが…
「違う〜! バーサーカーはそんな変な名前じゃないもん! バーサーカーも変な声出しちゃ駄目!」 
 肩にちょこんと乗った白い少女に怒られてがぅと肩を落とす。サービス精神が裏目に出ると、けっこうへこむものだ。
「インパクトが大きいのはわかりますが、出来れば踏まれたサクラの安否も気にしてあげてほしいのですが…」
「ん? ああ。大丈夫。桜は無事だよ。あそこに居る」
 マスク越しの困り顔を向けられた士郎はバーサーカーから目を離さないまま、すっと巨人の背後を指差した。
「あ…」
 よく見れば足跡のくぼみの中、水溜りのように広がった影から這い出してくる桜の姿がある。
「ライダー。シロウを馬鹿にしないでほしい。わたしのマスターは近しい人の危機にじっとしている人では無い」
 我が事のようにえっへんと胸を張るセイバーにライダーは軽く頷き、そのまま士郎に向けて微笑んでみせる。
「セイバーのマスター、略してセーター。失礼を許してくれますか?」
「その略し方はどうかと思うけど気にしないでいいよ」
 では今後も呼び方はセーターでとかそっちは気にして欲しいとか言い合う三人組をよそに、巨人の肩に乗った少女はふぁさっと銀の髪をかきあげた。
 紹介が遅れたが、少女の名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。サーヴァント・バーサーカーの主にして今回のユニフォームたる体操服&ぶるまを誰よりもナチュラルに着こなす存在である。その自然さたるやもはや普段着かというレベルだ。何故か死の気配が虎の気配が漂うが気にしてはならない。
 微妙に三角関係じみた空気の流れる三人のことはとりあえず置いておき、イリヤは遥かな高みから桜を見下ろしてふふんと笑った。
「あら、ホントに象が踏んでも壊れないんだ?」
「そんなわけないでしょ!? 咄嗟に影と同化したんです!」
 桜は叫びながら立ち上がり、そのままふらりとよろめいた。慣れぬ魔術行使で身体に負担がかかったようだ。
「え? でもサクラってはっきり言って魔術がヘタだったはずだよね? 初歩的な魔術も満足に使えない、魔術が出来ない魔術師はただの豚さ、って感じのヘタレじゃなかったかしら?」
「ぐ…」
 心臓に焼けた鉄杭を打ち込まれたような気分で士郎がよろめくのをよそに桜はぷーっと頬を膨らませる。
「知識も技術もちゃんとあります! ちょっと魔力が他に吸われちゃってただけで…さっきから何故かその制制約がとれてるからあれくらい楽勝なんです!」
 その裏には彼女に埋め込まれた封印蟲の本体が恍惚の人になったことが関係しているのだが、それはまた別の話。
「魔術刻印はもってませんけど、回路はあるんですから自分の属性の魔術くらい昔からちゃんと使えます! 子供じゃないんですから!」
「ぶはっ…!」
「シロウ!?」
 言葉の刺付き鉄球で粉砕された士郎が魂は抜けそうな表情でふらふらと揺れた。慌ててバランスを取り直したセイバーは肩に乗っている太ももを一生懸命さすって慰める。
「大丈夫ですシロウ! 今はちゃんと使えていますし、その、シロウのは立派ですから!」
「…何が?」
「…ナニが?」
 イリヤと桜は順番に呟き、顔を見合わせた。シモネタ担当になってしまった自分に先輩、わたし汚れちゃった…などと呟いてぐったりと倒れる桜をよそにイリヤはふぅと息をつく。
「…まあいいや。もう眠くなってきちゃったし、そろそろはじめよっか、お兄ちゃん?」
「っ…!」
 セイバーの献身的な介護で自分を取り戻した士郎は気を取り直してバーサーカーとそのマスターを睨みつけた。 
「セイバー…」
「ええ。言うまでもなく強敵です」
 相手は身体能力においては今回召喚されたサーヴァント中まさに最強を誇るバーサーカー。細かい技は無いがその筋力と質量そのものがこの際脅威だ。
「く…さすがにあれを転ばせるのって無理だよな…」
「ええ。かと言ってあそこまで高い位置にいるのではマスターに直接攻撃というのも容易ではありません」
 じりじりと間合いをとるセイバーと士郎をしばらく眺めていたイリヤはあくびをひとつしてぽんっとバーサーカーの頭を叩いた。
「バーサーカー、やっちゃえ」
「■■■■■■■ッ!」
 主の命に従いバーサーカーは咆哮を放った。ドンッ!と校庭を陥没させて地を蹴りセイバーの方へと走り出す。
「く…こいつも速い!」
 その巨体、その重量を感じさせぬスピードに士郎は鋭く舌打ちをした。
「というよりも、セイバーの敏捷性自体が今回召喚された中では低レベルというだけですが」
「な…ち、違いますシロウ! わたしの場合体格が少々小さいので移動距離が稼げないだけです!」
 ぼそっと毒を吐くライダーと必死に弁解するセイバーをよそに一瞬で間合いを詰めてきたバーサーカーは再度咆哮を放って腕を振り上げた。高く掲げられた右手の中に巨大な岩の塊が現れる!
「斧剣!? そうか、あっちは肩に座ってるだけだから手が自由に使えるんだ!」
 士郎の叫びを断ち切るようにバーサーカーは斧剣を振り下ろした。無造作だがまさに一撃必殺の豪斬に、セイバーは右、ライダーは左へと跳びのくべく素早く地を蹴り…
「きゃっ!?」
 可愛らしい声が響いた。飛び退きざま振り返ったセイバーと士郎の目に入ったのは左足に右足をひっかけて転んだライダーの姿。
「ドジっ子だ!」
「ドジっ子ですか!」
 二人同時に叫び、頭上を見上げる。既に振り下ろされている大質量の一撃。
「セイバー!」
「! …はい!」
 一瞬にも見たない空白を経て、セイバーと士郎は剣閃の下へと飛び込んだ。
「投影開始(トレースオン)ッ!」
 今の彼に出来うる最速でもって士郎は投影を完了した。両手で握り締めた刃は蒼と金で装飾された勇壮なる剣。星の光を集めて輝くその名を―――
「エクスカリバー!? 何故セイバーではなくマスターの方が!」
「…投影!?」
 頭上を振り仰ぎ驚愕の叫びをあげるライダーの声にイリヤは士郎の技を思い出して息を呑み、己がサーヴァントに慌てて指示を飛ばす。
「バーサーカー、防御っ!」
「■■■■■■ッ!」
 刹那、バーサーカーはその驚異的な筋力でもって半ばまで振り下ろしていた剣をとめて地を蹴った。巨体が唸って空を飛び、数メートルの間を空けて着地する。バーサーカー本人としては宝具の直撃を受けようと一撃消滅しない自信はあるが、肩に乗っている操縦者―――もといマスターはそうはいかないのだ。
「いくぞ! 『反故にされた勝利の剣(エクスカリパー)』!」
 防御体勢に構わず士郎は大音声で叫び、そのまま剣を振り切った。バーサーカーは素早く肩に乗ったイリヤをその大きな掌で包んで防御態勢を取って攻撃に備え、そして。
「……」
「……」
「……」
 
 ぺき。

 しーんと静まり返った中、士郎の握った剣は中途からぽっきりと折れた。一瞬置いて粉々に砕けて消滅する。
「…いや、さすがにさ…A++の宝具を瞬間投影なんて出来ないし」
 苦笑交じりに士郎は肩をすくめ、呆然とこちらを見上げるライダーに笑いかけた。
「ちょうどいい台詞を叫んでくれたんで助かったよ。大丈夫かライダー?」
「え、ええ。助けられてしまったようですね」
 ちょっと驚いた顔でライダーは立ち上がった。尻餅をついて汚れたスカートをパンパンと払う。務めて平静を装っているがマスクの下の頬が赤らんでるのをセイバーは見逃さなかった。
(…くっ、また敵が増えましたか)
 騎士王の心の中でちょこっとヘイト値が上昇するその一方で。
「騙した…」
 こちらのヘイト値は既にマックスだ。もはや挑発程度ではタゲ変できまい。
「騙した! お兄ちゃんがわたしのこと騙した! 弟の癖に生意気〜っ!」
「だ、騙したって…人聞きの悪い」
「それ以前に貴方達の関係はなんなのですか? 妹プレイ実行中の姉ですか? 姉と呼んで妹に甘える変質兄ですか?」
 どちらにしたって不名誉極まる質問を士郎はダイナミックに無視してシリアス顔を続けた。なにせイリヤは姉属性と妹属性を切り替える斑鳩ライクな機体性能を持つ幼女なのだから深く考えるとややこしくてしょうがない。
「騙すも騙さないも…そんなでっかい岩の塊で殴られたら死んじゃうぞ? 危ないじゃないかイリヤ」
「…あの、一応これは殺し合いという設定なのですが。シロウ…」
 セイバーは一応つっこむが声に力が無い。そも、筆者を含めて全員勢いだけで突っ走っている状態だ。まともな話をしていいのか判断に迷う。
「知らないもんそんなの! バーサーカー、叩き潰しちゃえ!」
「■■■ッ!」
 がおーっと叫んで突っ込んできたバーサーカーの一撃をライダーとセイバーは今度こそ華麗に飛び退いて回避した。
「ライダー、桜を連れて逃げてくれ!」
「わかりました。お気をつけて」
 こっくり頷いてライダーはバーサーカーを大きく回避、そのまま出番無く立ち尽くしていた桜を担ぎ上げて校庭の隅へと駆け出した。
「ちょっと待って、ライダー! わたしはまだ…!」
 肩の上で誰か叫んでるが気にしない。今は士郎の命令の方が大事だし。
「■■■■■■■■■!」
 高速離脱していく二人に目もくれず、バーサーカーは斧剣を振り下ろした。
「その程度…!」
 セイバーは大きく飛び退いて斧剣の間合いから飛び出した。普段ならば不用意に下がったりはしないのだが今は士郎を肩車した状態だ。一撃も受けられない上に剣も振るえない以上うかつに近づくわけにもいかない。
「…あの剣を何とかしなければ」
 歯噛みしながら呟いたセイバーの言葉に、士郎はカッと目を見開いた。
「セイバー、あっちだ! 全力で逃げてくれ!」
「! シロウ、私は敵に背を向けたりは―――」
 剣士としての自尊心を傷つけられたセイバーは叫びかけてもう一度大きく飛び退いた。一瞬前まで居た場所が小さなクレーターに変わるのを見て悔しげに顔を歪める。
「頼む、俺を信じてくれないか?」
 士郎は叫び、セイバーの頭を撫でた。心地よい感触にセイバーは一瞬だけ表情を緩め、ぐっと奥歯を噛み締めて頷いた。
「わかりました! あちら…校舎の方へ行けば良いのですね!?」
「ああ!」
 士郎の声を合図にセイバーは身を翻した。油断なく斧剣を構えるバーサーカーに背を向け、疾風の如く駆けて行く。
「へぇ? 逃げちゃうんだ?」
 イリヤはふふんと嘲笑を浮かべ、遠ざかるセイバーと士郎の背をびしっと指差す。
「バーサーカー、おっかけて! 構わないから潰しちゃえ!」
「……」
 だが、バーサーカーはすぐには答えず一瞬だけ逡巡する。神の仔として生まれ持った危機感知能力が警鐘を鳴らすのを感じて。
「何やってるのバーサーカー! わたしが行けって言ったら行くの!」
 イリヤは動かぬ巨体に業を煮やして体中に張り巡らされた魔術回路を起動した。瞬間、バーサーカーの理性がごっそりと削り取られ同時に全身へと力が漲る。
 …スキル『狂化』。それは膨大な魔力消費と暴走の危険性引き換えに能力の上昇を行う諸刃の剣。
「■■■■■■!」
 バーサーカーは咆哮と共に地を蹴った。洞察や判断を全て捨て、動くものを…遠ざかっていくちっぽけな肉塊を目指して褐色の暴風が駆ける。
「来たぞセイバー! 狂化してる!」
「ええ。気配でわかります…!」
 叫び返してくるセイバーに頷き、士郎は目の前に迫った目的地を指差した。
「よし、セイバー! 校舎の中に逃げこむぞ!」
「校舎…成程!」
 指示にセイバーの眼が輝く。
「あの巨体に斧剣、密閉空間では自由に振るうスペースが無い!」
「壁とか天井とかを叩き壊しながら突っ込んで来ると思うけど、いくら奴でも剣を振るスピードは落ちる筈だ!」
 士郎の答えを耳にセイバーは脚を早めた。一歩で稼げる距離が絶望的に違う。全力でも追いつかれずに済むかどうか。
「動きが鈍った所で肉薄し、直接俺がイリヤを奪う! 床に降ろしちゃえばそれで勝ちだ!」
 士郎が叫ぶと同時ににセイバーは昇降口のガラスに突っ込んだ。顔が映るほど近くに迫った引き戸に、緊張気味の自分と両手を突き出した士郎の姿が映る。
「投影開始(トレースオン)!」
 士郎は最高速度で投影した双剣を振るい、ガラス扉を粉々に吹き飛ばした。遮るものの無くなった昇降口に駆け込み、セイバーはハッと息を飲んで脚を止める。
「セイバー!? どうした!」
「シロウ、私には上履きが無い!」
「そういうときは外来用のスリッパで…っていいんだよこの際土足で!」
 スキル『委員長気質』を炸裂させている騎士王さまに士郎は鋭くつっこんで背後へ振り返り。
「■■■■■■■■ッ!」
 バーサーカーは僅か数メートルの先でこちらを振り返った肉塊に咆哮を放つ。燃え盛る闘志と狂気の赴くまま、最強の巨人はガラスの砕け散った昇降口へ突入した。髪を天井にかすらせるように身をかがめ、最小の動きで昇降口の中へと…

 べちんっ!

「きゃっ…!」
 駆け込んだ瞬間、頭上で悲鳴が響いた。
「…がぅ?」
 バーサーカーは戸惑いの声をあげて足を止める。何故か狂化が解けた彼の目に映るのは、引きつった表情で自分を見上げるセイバーとそのマスター。
 否、その視線は身をかがめた自分より少しだけ上を捉えていて。
「■■■…■■■■!?」
 瞬間、全てを理解したバーサーカーは自分の肩に視線を向けた。そこに…
「……」
 顔面を強打して硬直しているイリヤが、居た。昇降口の扉はバーサーカーが身をかがめてギリギリくぐれる高さだ。肩に座っていた彼女の顔の位置は、きっちり扉の縁だったのである。
「…ふぇ」
「■■■■っ!?」
 しばし経って不意にイリヤの口から発せられた音にバーサーカーはビクッと震えた。
「ふぇええええええええええええええん!」
 一度声が出てしまえばもう止まらない。バーサーカーは号泣する少女を慌てて肩から降ろし、あわあわとその巨大な指でイリヤの手をつまんだり頭を撫でたりし始める。
「■■■■…」
「ひっ、ぐすっ…」
 すまなそうな顔にイリヤはぐしぐしと涙を拭って首を振った。
「ううん、バーサーカーはわるくないよ…」
 バーサーカーは抱きついてくるイリヤをもう一度撫で、肩車で抱え上げる。
「■■■■?」
「うん。帰ろっか、バーサーカー」
 ずしんずしんと地響きをたてて去っていく二人を呆然と見送り、士郎はゆっくり首を振った。
「…キャラ、変わってるぞ。イリヤ」
「ですが、幸せそうですね…」

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン 帰宅(リタイア)


7/レザー・エッジ

「ライダー、アサシン、ランサー、アーチャー、バーサーカー…これまで倒したサーヴァントは5人。残るは…一人だけか」
「ええ。今回のメンバーが標準的な構成だとすれば、最後の一人はキャスターということになります」
 答えるセイバーの声には自信の色が濃い。なにしろ彼女は魔術が一切通用しないという反則級の能力を持っている関係上、『魔術師』というカテゴリーに居る存在ならば完勝できる存在なのだ。
例外は物理戦闘専門の魔術師だが、一人は既に脱落、もう一人は彼女のマスターだ。無問題。
「じゃあ、取りあえず気配を感知してみてくれるか?」
 士郎の要請に頷いたセイバーは目を閉じて気配を探り…
「これは…!? 気をつけてくださいシロウ!」
 すぐに目を開き士郎に警告する。
「サーヴァントが近くに居るのか!?」
「いえ! サーヴァントの気配はありません! ですが―――」
 セイバーが言い終わるよりも早く、士郎は状況を理解した。
「ギギ…ギ…」
 廊下の果て、闇の中にぼんやりと浮かび上がる白い影の群れ。ガチャリガチャリと鎧を揺らし、剣を握って迫るそれは白骨。眼窩に赤い光を浮かべ、ゆっくりとこちらへやって来る。
「確定ですね。おそらくあれはキャスターの使い魔です」
 数メートル先で立ち止まり、ガチャリと武器を構えた骸骨の戦士を見据え、セイバーは呟いた。士郎はそれに頷き顔をしかめる。
「ドラゴントゥースウォーリアーって奴か…相性が悪いな…」
「何故ですか?」
 数は多いがセイバーにとっては話にならないほどの格下だ。ぞろぞろと階段を降りてくるのはやっかいだが、所詮数だけである。不思議そうな声に士郎は苦笑をもらした。
「刃のついた武器ではクリティカルがおきないんだ。俺、剣しか造れないから」
「くりてぃかる?」
 初めて聞く単語に首を傾げるセイバーにもう一度笑い、双剣を握りなおした。
「冗談だから気にしないでくれ…」
 手によく馴染むそれを一度振って握りを確認し、続々と数を増す竜牙兵達に目を向ける。
「とりあえず…あいつらが来る方向に行けばいいのかな」
「ええ。この増加速度から見て、どこかにキャスターが潜んで召還し続けていると見ていいでしょう」
 ジリジリと迫ってきた先頭の兵士が剣を振り上げると共にセイバーは動き出した。
「ハッ…!」
 一息で間合いを詰め、竜牙兵の胸鎧に鋭い前蹴りを叩き込む!
「ギ!?」
 魔力で強化されたセイバーの足は破城槌の如き勢いで持って胸鎧を貫通し、竜牙兵の胸骨そのものを粉砕しながら吹き飛ばした。激突した背後の兵士達がよろめく間にその間を潜り抜けて疾走する。
「ギギッ!」
 廊下を埋め尽くすように溢れかえる骸骨の群れは同士討ちの危険性など気にもせず錆びた剣を叩きつけてくる不死の兵士達。四方八方から迫るそれに、しかしセイバーも士郎も全く怯むことは無かった。
「この程度っ!」
 舞うが如き華麗なステップでセイバーは剣雨をくぐる。時に暴風の如き勢い蹴りを打ち込んで立ちふさがる敵を粉砕し、士郎もまた、背後から飛び掛る骸骨達を二刀でもって叩き落していく。傍らに人無きが如し。当たるを幸い薙ぎ倒して突き進みながら、セイバーは直感がチリチリと警戒を促すのを感じた。
(…なにか…おかしい)
 周囲に視線を回す。昇降口からスタートし、既に廊下の3分の2が過ぎた。竜牙兵達はその先、突き当りの階段からわらわらと降りてくる。
(なんだ? どこからこの嫌な感じが来る…?)
 考えている間にも蹴散らされ、吹き飛んでいく骸骨兵士の破片が天井の蛍光灯に、床のリノリウムに、壁の校内新聞に、教室の扉に、校庭の見える窓にぶつかって粉々になっていき。
「…セイバー、こいつら弱すぎないか?」
「!」
 背後から追いすがる竜牙兵二匹をまとめて薙ぎ倒した士郎の不審気な呟き、それで全てが繋がった。
「しまった! これは囮…!」
 叫んだ瞬間、真横の扉がこちらへと吹き飛んでくる。砲弾の如き勢いで叩きつけられた長方形の板にセイバーは思わずよろめき。
「……」
 ヒュッ…という呼気の音のみを響かせて扉の中心を突き破った何かが、セイバーの鎧を強打した。魔力で編んだ鎧にヒビが入る鈍い音と共に鮮烈な痛みが走り、思わず呼気が漏れ膝が落ちる。
「セイバー! くそっ!」
 がくっと下がった視界に士郎は叫び、右手の刀を横一文字に薙ぎ払った。扉が両断されて吹き飛ぶが手ごたえは無い。
「く…不覚」
 だがその数秒でセイバーは呼吸を止め、魔力を循環させて生命力を賦活することが出来た。素早く立ち上がり、士郎と共に正面を見つめる。そして。
「な…」
「え…?」
 二人の口から同時に驚きの声が漏れた。
「……」
 視線の先に、一人の男が居る。眼鏡越しに感情のうかがえない視線をこちらに向けたその男の背には、フードつきの体操服というもはやツッコミどころを見失いそうな格好の女性がしがみついている。二人とも、武器のようなものもバールのようなものも持っていない。
「素手…? まさかキャスターではなくグラップラーとかファイターとかそのようなクラスが召喚されたのですか!?」
「いや、違うぞセイバー。あの人は…うちの学校の教師だ」
 葛木宗一郎。穂群原学園2−A担任である。聖杯戦争の前から居るということは、当然にサーヴァントではない。
「確かに…後ろの女から物凄い魔力を感じます…あちらが、キャスター!?」
「マスターが騎馬、サーヴァントが騎手…この二人、役割が逆転しているのか!」
 緊張感もあらわに叫ぶ二人にキャスターは妖しい笑みを浮かべた。
「ふふふ…たった一人倒すだけで聖杯が手に入る。宗一郎様、もう少しです」
「……」
 葛木は無表情に頷き、キャスターを背負い直した。首からぶら下がってぶらぶら揺れているキャスターの姿にセイバーは敵の戦略の全貌を理解した。
「お、おんぶ…!」
 驚愕の声に士郎は重々しく頷く。
「バーサーカーと同じで…あれなら両手両足を自由に使えるってわけだ」
「それならばこちらも…!」
 言いざま肩車状態をやめようとするセイバーに、しかし士郎は首を振った。
「いや、無理だ。あれはキャスターより先生の方が大きいから出来るんであって、セイバーが俺をおんぶしたら脚がついてしまう」
「そういうことよ、セイバーのサーヴァント。いくら貴方のマスターがちびっこいからって更にちびっこい貴方じゃ無理ね」
「…ちびっこい」
 キャスターのストレートな物言いに士郎は傷ついた表情でがくっとうなだれる。聖杯戦争がらみの男性陣で一番、そしてぶっちぎりに小さいのをこれで結構気にしてるのだ。
「! いえ、その! シロウは小さくなどありません! ちゃんと大きくて立派です!」
 ずれまくった台詞に、キャスターはふふんと嘲笑を浮かべる。
「立派? 宗一郎様と比べれば貧相極まりないわね。まあ毛も生え揃っていないようなお子様なあなたにはちょうどいいサイズかもしれないけど」
「なななんなんなんなんでそれを知って―――」
 瞬間、全員の視線がセイバーの股間に集中した。
「ど、どこを見ているのですか! 無礼な!」
 セイバーは視線の圧力に後ずさり、視線から逃れようとしているのかもじもじと太ももを擦り合わせる。
「…衛宮」
 しばし経って、葛木はボソリと呟いた。
「…なんですか? 先生」
 頭を抱えながら士郎が尋ねると、実直で知られるその教師は…
「…いいパートナーを見つけたな」
 見たことが無いほどの爽やかな笑みと共に無言でグッと親指を立てた。
「…はぁ、恐縮です」
 もはやなんと言っていいのかわからず、士郎は引きつった笑顔で適当に礼を返す。
「あ、あの! 宗一郎さま!」
 一方で慌てたのはキャスターだ。愛する人の意外なリアクションに、誇りとか倫理とかいろんなものを大釜にぶちこんで煮溶かしながら叫ぶ。
「わ、私! 宗一郎様がお望みでしたら剃るどころかライターで燃やすのもOKですっ!」
 フードの下で顔を真っ赤にしているキャスターに葛木はその巌のようにいかめしい顔を向け、力強く頷いた。
「…それは優しくか? それとも手荒くか?」
「は!? …あの、出来れば優しく」
 常に無くやる気―――犯ル気か?―――に満ち溢れた視線にキャスターは冷や汗を流しながら囁いた。初めての時に手荒くの方でやられたのを思い出してポッと頬が熱くなる。
「その後の本番は手荒くでお願いします…」
「いいだろう」
 消え入りそうな声で言ってくる己がサーヴァントに答え、葛木は構えを取った。数々の人外を葬り去ってきた拳を金髪の英霊に向け、ふと思いついたことを口に出す。
「…剃るための見本が居るな」
「!?」
 セイバーはビクッと震えた。今まで感じた事の無い種類の悪寒に冷や汗がにじみ出る。
「シロウ…」
「大丈夫。そんなことはさせない…絶対に! ここだけは譲れないッ!」
 士郎はやる気に満ち溢れた顔で不安げな声に答えて双剣を構え直した。異様な気配を漲らせながら二組の主従は互いを見据え―――
「行くぞセイバー!」
「ええ!」
「宗一郎様!」
「…ああ」
 二組同時に、己が敵へと走り出す!
「たぁあああああっ!」
「……」
 先手は士郎。またがったセイバーとまさに一心同体となり鋭い剣戟を二連で放つ!
「良い剣筋だ」
 だが葛木は鋭くターンして二条の光芒を回避した。続けて繰り出されたセイバーの回し蹴りを左手一本で受け流し、右の腕が蛇のように複雑な軌跡を描いて繰り出される。
「くっ…!」
 肩口に一撃を受けて声を漏らすが、セイバーは構わず間合いを詰めた。葛木の攻撃が自分に集中すればその分士郎が攻撃するチャンスが増えるのだ。相手は防具も何も無い人間。耐久力は無い筈。
「っりゃあああっ!」
 士郎は己が身体能力の許す限りのスピードで剣を振るった。剣そのものから流れ込んでくる技術を模倣し、ありとあらゆる種類の攻撃を叩き込む。
 だが。
「悪くは無い。だが、貧弱だ」
 葛木はぼそりと呟いて軽く身をそらした。士郎が横薙ぎに振るった黒い刀身が鼻先を通過し―――
「……」
 シュッ…と鋭い呼気を放って葛木は突き上げと打ち下ろし、二つの拳をその刀身へと叩き込んだ。上下から挟み込む一撃にギンッ!と鈍い音が響き。
「折れた!?」
 投影したものとはいえ、宝具たるその一刀が中途からへし折れて吹き飛んだ。イメージを維持できなくなった黒刀は魔力に戻って消滅する。
「く…まさかただの人間がここまでの動きをするとは…」
「問うが、おまえの力は英霊というものになってから身につけたものか?」
 セイバーの驚愕に葛木は表情一つ変えずに問う。キャスターの持つ宝具『破戒すべき全ての符』のように後世のイメージが具現化した力が付与されたりすることはあるが、サーヴァントの能力は基本的に彼女達自身のものだ。セイバーの剣技もキャスターの魔術も生前から何ら変わることも無い。
「先生の拳技は英霊となるに足るレベルである…そういうことか」
「…人の世に知られることなき生涯ゆえ、あり得ぬ事だがな」
 低い声で答えて葛木が動いた。肘から先を軽く曲げた左腕を振り子のように動かし、死角をついて鋭い一撃を打ち込む。
「甘いッ!」
 だが、セイバーに不意打ちは通用しない。脳裏に描かれた一瞬先の光景を逆に辿って身をそらすとチッ…と頬を掠めて葛木の拳が通り過ぎた。同時に士郎が健在な左の刀を縦一文字に叩き込むが、葛木は半身になってその斬撃をあっさり回避した。あまつさえ振り下ろされた刃が引き戻されるよりも速く片手でその峰を叩いてみせる。
「なっ!」
 予想外の『後押し』に士郎の姿勢が崩れた。前のめりに倒れそうになる主の落下をセイバーは慌てて太ももを掴んで止める。重心は前、やや前傾。
「…シッ!」
 そして、呼気の音のみを発して葛木の両腕が閃いた。魔力で強化され人外の硬度を持った両の手が為した型は親指を握りこんだ中指一本拳。鉄杭と化した一撃は正確にセイバーの左胸と士郎の右手を同時に打ち抜く!
「かふっ…!」
「がっ…!」
「……」
 宙に咲いた血花を無表情に眺め、葛木は再度構えを取り直した。視線の先には数メートルも飛びずさったセイバーと士郎の姿がある。騎士の鎧は心臓の直上がひび割れ、その背に乗った魔術師も手の甲から血を流し剣も吹き飛ばされてはいるが、どちらも戦闘に支障が出るほどの損害ではない。
「自ら背後へ跳ぶことで衝撃を逃がしたか。先程の回避といい、何らかの感知能力があるということか?」
 葛木は呟き、ふと背後のキャスターに目を向ける。
「腕は、疲れていないか?」
「ええ。10分でも20分でもぶらさがっていられます」
 返答に頷いてこちらを向く葛木を睨み、セイバーは歯軋りした。屈辱だ。不覚を取り鎧を砕かれたことはともかく、それによって士郎が…護るべき人が傷を負い、しかも打開策が掴めない。無力感に剣のサーヴァントは身を震わせたが、その震えはすぐに止まった。
「…大丈夫だ、セイバー」
 穏やかな声と共に頭を撫でる、士郎の手のひらを感じて。
「し、シロウ?」
「あのフォーメーションは破る方法、とりあえず二つ思いついたよ。俺だけならともかく、セイバーと一緒なら勝てる」
 敵と対峙している今、士郎の姿を見上げることは出来ない。だが、十分だ。言葉さえ聞くことが出来るなら、十分だ。
「…行きましょう、シロウ」
 彼がこんなとき、真っ直ぐ前を見据えていることを、誰よりもセイバーがよく知っている。そして、そういうときの彼が決して敗北しないことも。
「私は貴方の剣となり、盾となり、御身を守り通して見せます。指示を、シロウ!」
 士郎はああと頷き、笑う。
「ありがとう。でも、今回に限って言えば…セイバーは盾だけでいいかな」
 言葉と共に、魔術回路を起動。その数二十七本。全てに魔力滾らせ言い放つ。
「…この身は、剣で出来ている。セイバーが護ってくれるなら、俺があいつを倒してみせるよ」
 葛木は教え子とそのサーヴァントが交わした言葉にふむと頷き、姿勢を落とす。彼の知っている限り衛宮士郎という男は自分の実力を過小評価することこそあれ、自惚れとは無縁の性質をしている。警戒しておくに越したことは無い。
「大丈夫です宗一郎様。所詮子供が二人、宗一郎様の敵ではありません」
 背後から囁かれる声に含まれる信頼と愛情に朽ち果てた筈の心が僅かに動くのを感じながら、葛木は呼気を整える。
「行こうセイバー! 突撃!」
「了解しました、シロウ!」
 刹那、剣のサーヴァントが駆け出した。今までを上回る速度で距離を詰めてくる。
「投影開始(トレースオン)!」
「……」
 士郎が呪文を叫んだ。先ほどのやりとりからも、切り札を握っているのはそちらと判断。葛木はどのような攻撃がきても良いようにつま先に重心を移し、出方を伺う。
「――――投影、重装(トレース フラクタル)!」
 新たな呪文に警戒心が強まる。やはり注意すべきは衛宮士郎だ。彼の攻撃は何らかの武器を作り出しての物理攻撃とわかっている。問題は、何をどの間合いから打ち込んでくるか、だが…
「……」
 待つ。間合いは七歩。拳銃を命中させることが可能な間合い。士郎は動かない。
 待つ。間合いは五歩。投擲ならば致命を与えうる距離。士郎は動かない。
 待つ。間合いは三歩。棍や槍なら既に間合いの内。士郎は動かない。
 待つ。間合いはニ歩。長剣の切っ先がかする距離。士郎は動かない。
 待つ。間合いは一歩。士郎の得意とする剣の間合い。それでも士郎は動かない。
 その先に待つのは、葛木の距離だ。
(む…)
 何をするでもなく近接戦闘距離(クロスレンジ)に踏み込んでくるセイバーと士郎に葛木はほんの一瞬だけ戸惑ってから全ての迷いを消し去った。自動機械のように正確極まる動きで最後の一歩を踏み出したセイバーの無防備な喉目掛けて拳を―――
「セイバー! 下がれ!」
 瞬間、士郎が叫んだ。
「了解しました!」
 セイバーは全ての魔力を注ぎ込んで強化した脚力でもって制動をかけ、フィルムを撒き戻すかのようにドンッと背後へと跳びずさる。飛翔とも呼べる大きな跳躍で開いた間合いは五歩と少し。
そして。
「投影完了(トレースアウト)、全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)!」
 声が響いた瞬間、葛木は背筋を貫く悪寒に眼を細めた。頭上に何かがある。致命的な何かがひしめいているのがはっきりと感じ取れる。
「……」
 故に、葛木はそれを見上げたりはしない。危機を危機と認識した所で時間の無駄である。今為すべき事は…
 ガッ…!
 廊下のリノリウムが剥がれる程の足動。葛木は吹き飛ぶような勢いでセイバーを追った。開いていた間合いが一瞬でゼロになり。
「なんて、速さ…!」
 大きく見開かれたセイバーの瞳の中に、葛木は見た。
 ズガガガガガガガガガガガガガガッ!
 一瞬前まで葛木達が居た場所に降り注ぐ15本の黒い短刀。銘を陽剣干将といい、アーチャーが、そして士郎が最も得意とする投影剣。墓標の群の如く床に突き立ったそれは、しかし葛木にもキャスターにも全く傷を負わせてはいない。
「ふふ…ははははは…あははははは! その程度なの!? 今世の魔術師は!」
 キャスターの嘲笑をBGMに葛木はセイバーの顎を叩き割らんと拳を放った。セイバーは全力で足を振り上げ、頑丈な脚甲(グリーブ)でもって、拳撃の鉄槌を蹴り落とす。
「フットブロック…?」
 葛木は呟き、弾かれた勢いをそのまま回転運動にのせて逆の拳を放つ。足での受けという技術は珍しいものではないが、大きくバランスを崩し次に繋がらないそれは相手の大技…出来れば蹴りに対して使うものだ。隙の無い拳撃に使うなどありえない。そもそも今のを防ぐならば衛宮士郎が…
「!」
「凍結解除(フリーズアウト)」
 その士郎の手に、一本の剣が出現した。白い刀身のそれは陰剣莫耶。喩えようも無い危機感が葛木の身体を走る。先程のものなど遊びだと言えるほどの鮮烈な焦燥。
「そ、宗一郎さま!? 後ろ、後ろ!」
 悲鳴に一瞬だけ思考する。振り返らねば背なのキャスターが怪我をするかもしれない。かといって振り返れば無防備な彼女を引き剥がされて負けが決まる。左右、上下に逃げるという手もあるが、士郎達が同じ方向に逃げればそれで終わりだ。自分達の体が盾となり彼らだけが無傷で残ってしまう。
「選択の必要は無い」
 だから、葛木は呟いて素早く振り返り…迫り来る剣の群れに自ら突進した。
「く…」
「宗一郎さま!?」
 キャスターめがけて伸ばした手を空振りさせた士郎とキャスター自身の声が交差する。葛木はほぼ同時に襲い来る15の刀身を見据えて息を吸い。
 キンッ…! と、士郎の耳に聞こえた音は一つきり。
「……」
 しかし、葛木が拳を下ろすと同時に、全ての短刀が吹き飛んだ。あるものは刀身にヒビを走らせ、あるものは中途から折れ、粉々に砕けているものすらある。それを為したのは破砕音が全て重なって聞こえる程の超高速の連撃。限界を越えた動きに腕の筋肉が破裂せんばかりに痛むが、それは無視して士郎達の方に向き直る。
「ふむ…冷静さを失っていたようだ。初めての経験だが」
 どうということもなさそうにキャスターは我に返り、その美貌を怒りに歪めた。
「よくも…よくも宗一郎さまを…! 命までは奪うことはないかと思っていたのが間違いだったようね…!」
「…キャスター」
 学校ごと吹き飛ばしてやろうとばかりに魔力を滾らせるキャスターに葛木は首を振った。
「大丈夫です。あの二人だけを因果崩壊まで叩き落すだけですから…!」
「別段、したいというのならば止めないが…」
「いや、止めてくださいよ先生…」
 士郎のぼやきを完全無視して葛木は肩をすくめる。
「今の短刀、全て刃が落としてあった。負傷は、私が張り切りすぎただけだ」
「で、ですが…いえ、そうですね」
 彼女にとっての絶対者の言葉にキャスターは気を取り直した。確かに辺りに散らばり魔力に還ろうとしている剣達はどれも刃がついていない。
「ただ…」
 キャスターは士郎を睨みつけて出来うる限り馬鹿にした顔で笑った。自分をここまで狼狽させたのだ。少しは嫌味くらい言っておこう。
「刃をつけていないというよりも、外見と形質だけなんとか再現するのがやっとで殺傷力のある状態のもの15本も投影できなかっただけです。あの未熟な魔術師では」
「ぐ…」
 あっさり見抜かれて士郎は呻いた。投影という特殊なジャンルの魔術師であるが故にあまり感じないですんでいるが、総合的な実力としては入門したての見習いにも劣る彼だ。魔術師としての頂点とも言えるキャスターとは比べるのもおこがましい。
「宗一郎さま、ここは私に任せてはいただけませんか?」
「わかった」
 キャスターの提案に葛木は即答した。背後で驚いている気配がするが、元より彼に『何かをしたい』というほぼ皆無だ。仮にも連れ添っている相手に望みがあるならば、かなえてやりたい。
「では宗一郎さま、出来うる限りあの二人から離れてください」
 キャスターはフードの奥でニタリと笑った。
「この時代には便利な魔術があるとアーチャーのマスターから学びましたから」
「! セイバー、距離を…!」
「詰めます!」
 瞬間、士郎は舌打ちと共に指示を出しセイバーも最後まで聞かずに走り出す。
「ふふふ…遅すぎるわね」
 だが、それよりも早くキャスターは右手を離し、ほっそりとした人差し指を士郎に向けていた。ずり落ちる身体を無言のままに葛木が抱えあげる。
「…ガンド」
 声と共に、指先から黒い何かが発射された。士郎は反射的に右手で構えていた莫耶の刀身を顔の前に出す。
「く…!」
 刹那、ばんっと衝撃が腕に走った。健康を失わせ病を招く呪いであるガンドだが、キャスターのそれは凛のものと同じく物理的なダメージを与えうるレベルにまで昇華されているようだ。対魔力に劣る自分が受ければ一撃で昏倒だろう。
「士郎狙いで…!」
 セイバーは歯噛みした。彼女自身にはたとえキャスターのものといえど魔術は通用しない。元から備わっている龍の血による抗魔はクラスそのものが持つ対魔力に上乗せされ、事実上ほぼ完全に魔力を遮断する。だが、その効果はあくまでも彼女本人にしか及ばず。
「ふふふふふ…」
 キャスターの指から立て続けに放たれる魔力弾は全て士郎の上半身、庇いようの無い位置を狙撃してくる。セイバーに出来ることは一刻も早く間合いを詰め、攻撃の機会を得ることのみ…だが。
「距離を、離すのだったな?」
「!」
 葛木は音も無く背後へと跳躍した。ひと跳びで数メートルを越え、そのまま後ろ向きに走り始める。
「な、なんだそりゃ!?」
 士郎は驚愕にポカンと口をあけた。
「あ、あの、追いつけないのですが…」
 セイバーも顔を引きつらせながら必死に走るが、シュタタタタタタとこちらを向いたまま遠ざかる葛木との距離は一向に縮まらない。
「実は昔アメフトをやっていてな。嘘だが」
「嘘かよ!」
 淡々とわけのわからないことを言い出す葛木に士郎はつっこみを入れ、ガンガン撃ち込まれるガンドを莫耶で斬り払う。アーチャーが魔術強化したものを投影した為、なんとか折れもせずしのいでいるが、肉体的には衛宮士郎のままなのだ。腕の痺れはどうにもならない。握りが甘くなってきているのを自分でも感じる。
「くそ、なんとか追いつかないと勝負にならない! 何か…何かないか!?」
 士郎は打開策を求めて辺りを見渡し…
「これだ!」
 進路上に見えた一枚の張り紙を指差して大声をあげた。
「先生ッ! 『廊下は走るな』って書いてありますよ!」
「む…!」
 瞬間、葛木は全身の筋肉を捩じらせて制動をかけていた。靴の踵を廊下に食い込ませるようにしながら何とか制止する。
「宗一郎様!?」
「キャスター。廊下を走ってはいけない」
 キャスターの困惑もなんのその。彼は葛木宗一郎。誤字ひとつでテストを中止させた男。
「よし、今のうちに距離を取るぞセイバー…ってセイバーも止まってるし!」
「シロウ、廊下を走るのは良くない」
 再度スキル『委員長』を炸裂させるセイバーに士郎は綺麗なノリつっこみを披露して頭をかきむしり、次策を考える。一度立ち止まってしまった為、互いに動き出すタイミングを見出せないのがとりあえずは幸いか。
(さっきの反応からして狙いは間違ってない。でも向こうは遠近両方こなせるのにこっちは近距離戦しかできない…俺も遠坂からガンド習っとけば良かったかな…)
 多分なかなか習得できないで怒られるんだろうなと続けて考え、士郎は少し落ち込み。
「シロウ」
 セイバーの小さな声で我に返った。切れ間なく撃ち込まれるガンドを切り払う。
「シロウ、アーチャーが以前使っていた技が使えませんか?」
 聞こえるか聞こえないかの声を聞くが速いか士郎は莫耶を振りかぶっていた。打ち込まれたガンドを身をよじってかわしながら白の短刀を投擲する。
「そんなものが対策なの?」
 キャスターは嘲笑を浮かべて右手をぱっと広げた。
「柳堂くんの持ってたマンガにこんな技があったわね」
 呟いた瞬間、五指の全てから一度にガンドが放たれる。そのうち一発が莫耶を撃ち落とし、残り四発が士郎を襲う。
「まさかシロウと私を相手にこの程度で見切ったつもりなのか?」
 だが、着弾よりも早くセイバーは大きく跳躍していた。士郎に当たる筈だったガンドを全て受け止めて消滅させる。
「く、やっかいな…でも、これでもうかわせないのではないかしら?」
 キャスターは余裕の表情のままもう一度右の五指を空中の士郎へ向け、瞬間。
「投影開始(トレースオン)」
 士郎は残り少ない魔力を振り絞って呪文を唱えた。心の中の剣の群れから一本を選び出しその構造を、歴史を、想いを現実の中に顕現する。
「喰らえ…!」
 現れたのは一本の短剣。先程交戦したアサシンのマントに仕込んであったものを魔力で再現したそれを士郎は全力で投擲する。
「ワンパターンね…せめてこちらが撃つ数より多く投影すればいいのに」
 キャスターは呟いてガンド五発を放つ。ブン…と唸りをあげて作り出された災いの弾丸は先程と同じように一発が短剣を、残りの四発が士郎を…空中にあり、もはやよけること叶わぬその頭を狙い撃つが…
「…ワンパターンだな。せめてこちらが撃つものが何かぐらい解析すりゃいいのに―――I am the bone of my sword(我が骨子は、捻じれ、狂う)!」
 空気を引き裂いて飛ぶ短剣、その刀身が力ある言葉に応えてメキリと捻じれた。
「え…」
「む」
 キャスターと葛木の声を制し、士郎は三番目の…そして切り札である呪文を放ち―――
「『偽・螺旋投剣(ダーク)』!」
 刹那、捻じれた刃は限界を超えた構造改変に耐えかねて捻じ切れた。
 ドンッ…! という腹に響く爆発音と共に炎と風が荒れ狂った。士郎の投影技術では本家アーチャーのように宝具を材料にできなかった為爆発の規模は小さかったが、それで十分だ。
 ただの、足止めとしてなら。
「む…」
「行くぞ…!」
 爆煙を突き破って飛び込んできた金髪の少女に葛木は構えをとった。太ももを支えてくれていた手を放されたキャスターはあわてて目の前の首に抱きつき直す。
「相手をしてもらうぞ格闘家!」
「…私はただの朽ち果てた殺人鬼に過ぎない」
 瞬間、葛木は鮮烈な危機感を感じて本能のままに両の手を目の前で合わせた。すると何もない筈のそこに金属の感触が生まれる。
「剣…大剣だと…?」
 目には見えないながらも確かに存在するその刀身を白羽取りに抑えたまま葛木は呟き、不可視であるということ以上の違和感に捉われて天井を振り仰いだ。
 肩車のまま走り回るという体勢上、士郎が振り落とされてしまわないよう彼の足を固定していなければいけないのだ。ならばこの剣は士郎が振るったのか?
 否!
「投影開始(トレースオン)!」
 士郎は跳んでいた。セイバーの肩を蹴り、天井ギリギリまで跳躍して新たな武器を投影する。現れたのは釘のような刀身と輪の付いた鎖で構成された短剣。ライダーの釘剣だ。
「これで…!」
 士郎は叫びざまその短剣を天井に突き立てた。一度刺されば使い手の意思無くば抜けないその刀身からジャラリと垂れた鎖、その先端のリングに片足を引っ掛けてそのまま制止。
「終わりだ!」
 そして、もう片方の足を呆然とこちらを見上げるキャスターのフードにひっかけて振り上げる!
「そ、そんな…!」
 跳躍の勢いのまま蹴り上げられたキャスターは慌ててしがみつく力を強めようとするが、遅い。予想だにしない状況にその軽い身体が宙を舞い、とさっと床に落ちた。
「…おんぶという戦略は見事でした」
 生真面目な口調で呟いたセイバーの言葉を、士郎は空中で引き継いだ。
「でも、足をセイバーがしっかりとホールドしてくれていたこっちに比べて腕力に欠けるキャスターのしがみつく力だけってのは、防御が甘すぎた」
 セイバーは風王結界を消し、無言で立つ葛木の隣を通って士郎の下にしゃがんだ。釘剣から離れた身体をかつぎあげ、顔を見合わせて微笑みあう。
「…もう少しで」
 その時、小さな声が聞こえた。振り返ると、倒れたままのキャスターが悔しげな表情でペチペチと床を叩いている。
「もう少しで聖杯を手に入れて…私の、願いを…!」
「…キャスター」
 セイバーは複雑な表情で呟く。聖杯を渇望していたのは彼女も同じだ。少し辛そうに目をそらしかけ―――
「キャスター、おまえは聖杯に何を望むのだ?」
 静かな声に目を見張った。声の主は葛木だ。ゆっくりとキャスターに歩み寄り、その身体を抱きあげる。
「そ、宗一郎さま?」
「私には望むことは無い。何かをする力はあるが、何もすべきことがない。おまえに望むことがあるというのならば私がそれを叶えてやろう」
 自らを朽ちたものと称した男は静かに、そしてごくごく僅かに微笑んだ。初めて見るその表情に、キャスターは呆然と目を見開き続ける。
「願うがいい。私が、おまえの聖杯だ」
 想像したことすらなかった言葉に、キャスターは微笑んだ。心と表情を隠すフードを脱ぎさり、葛木の胸に顔をうずめる。
「願います…私は…宗一郎さまと、ずっと暮らしていきたい…」
「…叶えよう」
 葛木は重々しく頷き、踵を返した。
「帰るぞ。もう朝も近い」
「はい…!」
 幸せ絶頂というような表情のキャスターを見送り、セイバーは口元をほころばせる。
「…よかったですね、あの二人」
「ああ。あの二人ならうまくやっていけそうだな」
 欲望に満ちたものと欲望の無いもの。バランスは抜群の筈なのだから。
「それにしても…長い夜だったな」
 士郎は呟いて伸びをする。
「もう魔力がほとんど空だ。もう一人居たらやばかったな」
「ふふ、結局六人全員と戦ってしまいましたからね。ですがサーヴァントは全部で7人、これ以上は―――」
 これ以上は居ない。そう言いかけた言葉が途中で途切れた。あり得ないと思う心と直感が入り混じり、一瞬反応が遅れる。
「し…シロウ! 敵です!」
 瞬間、大気を切り裂いて飛来した数十本の剣が士郎達へと襲い掛かった…! 


8/その名、誰も知ることなく

「く…!」
 この夜の戦いで受けることの無かった本気の殺意を纏った攻撃にセイバーはよりにもよってこんなものを警告し損ねるとはと発狂せんばかりに悔やみ、自らの身体を盾にせんと跳びかけたが。
「大丈夫だセイバー…投影完了(トレースアウト)!」
 士郎の力強い声に動きを止めた。具現化されたのは花弁の如き四つの盾。投擲武器に対してならば無敵と称される最強の防御。
「『熾天覆う七つの円冠(ロー・アイアス)』!」
 残った全ての魔力をつぎ込んだそれは襲い来る剣の雨を全て受け止めてから消滅する。一本たりとも貫通はしなかったが、今度こそ士郎の魔力は底をついてしまった。
「今のは低位のものとはいえ全て宝具…そんな馬鹿な! あれだけの数の宝具を所持する英霊など一人しか…」
 動揺したセイバーの声にカツカツという靴音が重なる。
「ふふふ…ははは…ははははははははははっ!」
 哄笑と共に、廊下の果てから誰かが歩いてきた。昇降口から差し込む月光に照らされてその男の纏った金の鎧がきらびやかに輝く。
「これが最後の戦いだ。衛宮士郎」
 そして、その男にまたがった神父服の男が嗤った。分厚い筋肉に鎧われたその男の名は…
「言峰ッ!? リタイアしたんじゃなかったのかよ!」
「ランサーのマスターとしてはな。だが、聞いているのだろう? 私は前回の聖杯戦争においてもマスターだったのだよ」
「思い出した…! シロウ、あいつは前回のアーチャー…最後まで私と戦ったサーヴァントです!」
 セイバーの声に士郎は戦慄した。セイバーのように再召喚されたのでなければ…そして綺礼の言葉を信じるのならば…
「前回から生き残ったサーヴァント…!」
 押しつぶされそうな威圧感に士郎は呻き、知らず唾を飲み込んだ。セイバーもまた厳しい表情で身構える。金の鎧のサーヴァントは廊下の中途、昇降口前で立ち止まったままニヤリと笑い。
「10年越しの決着だ、楽しませてみせよ! 我の名はギルガ―――」
 瞬間、壊れたままの昇降口から押し寄せた黒い奔流が綺礼とそのサーヴァントを飲み込んだ。ばしゃっと水音をたてて黒い何かが引いた後には、もはや何も残っていない。

 
 金の鎧のサーヴァント 登場時間5分で退場(リタイア)…


9/この世全ての悪

「そんな…あれだけの魔力を纏ったギルガが一撃で…」
 士郎は呆然と呟いた。
「ええ、名前は中途半端な感じですがあれだけ強かったギルガが…」
「ギルガ…どんな奴だったんだろう…」
 セイバーと士郎は戦慄と共に言葉を交わし、そして。
「うふふ…」
 低くかすれる笑い声が外から聞こえてきた。
「…シロウ、気をつけてください」
「わかっている」
 さっきのギルガ(仮称)ならばまだサーヴァントと理解できる。だが、それを飲み込んだ黒いあれはなんだったのか。なんらかの宝具なのか、それとも…
「セイバー…」
「ええ、行きます」
 セイバーは低い声で答えてゆっくりと昇降口に向かった。先程の愚を再び犯さぬよう感覚を研ぎ澄まして校庭へ出る。
 そして、そこにそれが居た。
「…桜?」
 理解できたのは、その名前。黒く、輪郭のはっきりしない人型をした何かにのった少女は、確かに間桐桜である。黒いドレスのようなものを身に着け、顎から頬にかけて刺青のような何かが見えるが、間違いない。
「ふふ、ふふふ…また会いましたね、先輩」
 妖艶に微笑み、桜は黒いそれをひと撫でする。
「桜…おまえ、もう負けた筈だろ?」
「それに、貴女が乗っているそれは何ですか、サクラ」
 士郎とセイバーの問いに答えず桜はくすくすと笑う。キャラクターが変わったような、そうでもないような微妙な姿に士郎達は戸惑い…
「士郎!」
「ふん、まだ生きていたか」
 不意に聞こえた馴染みの有る声に顔をあげた。
「遠坂! ついでにアーチャー!」
「…言ってくれるじゃないか素人魔術師」
 憮然とした表情で毒づいたアーチャーはどうでもよさげな凛と共にセイバー達に駆け寄り、黒い桜を眺めて顔をしかめる。
「桜…それは、アンリ・マユだな?」
 その言葉に士郎は目を見開いた。
「知っているのか雷電!」
「誰が雷電か!」
 一応つっこんでからアーチャーは一つ舌打ちをする。
「あれは、前回の(省略)で桜の身体には(省略)、汚染(省略)したものだ。つまり、あれが聖杯の中身だったんだよ!」
「ナンダッテー!? って何だよ『かっこしょうりゃく』って。ちゃんと説明してくれないとわかんないぞ」
「都合だ、察しろ。それよりもどうする気だ? あれを。奴はサーヴァントを喰うものだ。セイバーには頼れんぞ。まともにやれば魔力切れのおまえなど相手にもならんだろうな」
 冷静な声に、凛は軽く首を傾げた。
「なんなら加勢しましょうか? ちょうど良くここに家宝の宝石剣があったりするけど」
「いや、何であるんだよそんなもん。俺、投影したっけ?」
 ご都合主義にため息をつき、しかし士郎はきっぱりを首を横に振った。
「大丈夫。ここまで来たんだし、優勝してみせるよ」
「ふふ、可愛いですね先輩…わたしに、勝てる気ですか?」
 クスクス笑っている桜に士郎はふむと頷く。
「勝てる。簡単だよ」
「……」
 自信に溢れた言葉に桜は表情を変えた。憎憎しげな顔で足元のサーヴァント達に目を向ける。
「そこまで言うんです、手や足の一本くらい覚悟してますよね、先輩!」
「あんた手とか足とか?ぎ取るの好きねえ」
 あきれたような凛の声を無視して桜がなにかをしようとした瞬間、士郎は大きく息を吸ってその言葉を叫んだ。
「桜! 今すぐ降りるならおやつのどら焼きの配分を考え直してもいいぞ」
「降ります先輩ッ!」
 即答。
 ひょいっと桜が飛び降りると、アンリマユはずももももと揺らめき、地面に吸い込まれるようにして消えた。残ったのは気を失った綺礼とギルガ(仮称)の二人。
「あ…」
 桜は、反射的にやってしまった行動に呆然とし…
「やっちゃいました。てへ?」
 頭をコツンと叩いて舌を出した。
「…終わった、みたいね」
 凛は呟いた。さりげなく桜の首を握り締めながらため息をつく。10年間ずっと待ち望んできたイベントがこんな風に幕を閉じるなど想像もしていなかったがまあいい。今はとにかく帰ってお風呂に入りたい。
「…シロウ、おつかれさまでした」
「…ああ。おつかれさま、セイバー」
 そして、士郎は万感の想いを込めて頷きあい、ついにセイバーの背を降りた。数時間ぶりに踏む土の感触に目を細め、瞬間。
「決着がついたようだな」
 バンッ! と綺礼が飛び起きた。くく、と喉で笑い高々と手を空に掲げる。
「今宵、聖杯戦争の勝者が決定した! 勝者は…佐々木小次郎と山門!」
「え?」
「は!?」
「何よそれ! 冗談は麻婆だけにしときなさいよ綺礼!」
「っていうか誰だそれは!」
 口ぐちに叫んでくる一同にニヤリと笑い、綺礼は歩き出した。士郎達は顔をしかめながらその背を追い。
「…彼が、佐々木小次郎だ」
 綺礼はそれを手で示した。
「……」
 涼しげな表情のまま仰向けに寝転び、その背に巨大な山門を背負った男。何故か地蔵が山門の屋根に載せられているが、そんなことはもはやどうでも良い。
「サーヴァント、佐々木小次郎は己がマスターにあたる山門を背負ったままだ。地面につけていない以上、勝者であることに間違いあるまい?」
「…あ、阿呆らしい」
 脱力してうずくまる士郎にアーチャーはふんと鼻を鳴らした。
「そもそも今夜のこれ自体が阿呆らしいのだ。今更だろう」
「もういいわよどうだって…さっさと帰らない?」
「そうですね。わたし、お腹すいてきました。くうくうです」
「ああ、サクラ。意見が合いますね」
 凛の提案に桜が、セイバーが頷く。一様に疲れた顔で踵を返す仲間達をチラリと見て、士郎はふと思いついたことを口に出してみた。
「えっと、佐々木小次郎…だっけ。聖杯が手に入ったとして、何を願うつもりなんだ?」
 問われ、佐々木はすっと目を開けた。今まで必死に保っていた涼しげな表情を崩し、だーっと目の幅に涙を流す。
「後生だ…普通に戦わせて欲しい…それと…」
「それと?」
「乗っかっているこれを、どけて―――」
 最後の台詞を言い終わることすらなく気絶した佐々木を眺めて士郎はため息をついた。
「結局なんだったんだよこれ…」
「言うまでもあるまい?」
 綺礼は厳粛な表情で士郎の問いに答える。
「これは、騎馬戦だ」


                             Fate/Horse Fight    


Epilogue/NEXT

「おーい、うどん茹で上がったぞ。取りに来てくれ!」
「! はい、シロウ!」
 台所から聞こえた声にセイバーは飛び上がるように立ち上がった。
「お、待ってたぜ。運ぶのくらい手伝うか。行くぞアーチャー」
「…俺もか」
「サクラ、それを運べばいいのですか?」
 パタパタと走るセイバーを追ってランサーとアーチャー、そしてライダーが台所に向かった。ドンブリの並べられたトレイを持って帰ってくる。
「七味と具は適当にとって載せてくれ」
「有り合わせで作ったから具っぽくないのも混じってるけど気にしちゃだめよ」
 士郎と凛は大皿を両手にもって居間に戻り、食卓にそれを載せる。桜もコップと水を携えて座れば準備完了だ。
「…それにしても」
 士郎は食卓にぞろりと揃った面々を眺めてため息をついた。
「なんでみんなしてうちにご飯食べに来るのさ。いつもいつも…」
 
 あの夜から既に三ヶ月が過ぎていた。聖杯戦争は有耶無耶のうちに終了し、結局誰も聖杯を手にしていないがもはやその程度のことはどうでもよくなってきている。
「ははは、なんかしんねぇけど英霊の座に帰れないからな。宿無しなんだからしょーがねぇだろ? 少年。まあ大目に見てくれよ」
 ランサーは快活に笑い、バシバシと士郎の肩を叩く。
「なんならオレ達女って扱いでどうだ? 少しは夢がもてるだろ?」
「持てないよっ!」
「十二人の女の子とワクワク同居だぞ? どうよ?」
「……」
「なんで黙ってるのよあんた。あたしとセイバーだけじゃ不満だっての?」
 凛は不機嫌そうに言ってキュウリの漬物をかじる。
「あの、わたしもここに住んでるんですけど姉さん…」
「そういえば、慎二達はどうなんだ? 桜」
 士郎は上手い具合に凛をスルーして桜に話をふった。
「ええ。お爺様も兄さんも人が変わったみたいに穏やかになって…お爺様は毎日ニコニコしながらアサシンさんとお散歩してますし、兄さんはお裁縫の趣味ができたみたいで毎日洋服を作ってます。女物なんですけどわたしにくれるのかもしれませんね」
 強制ロボトミーと強制性転換をくらった二人の哀れな末路に士郎は心の中で涙した。今度なにか差し入れでも持っていこう。
「キャスター、引っ越したと聞きましたが?」
「え、ええ。いつまでも柳堂くんのところにお世話になっているわけにもいかないし二人で住むかって宗一郎さまが」
 セイバーがうどんをするするとすすりながら尋ねた言葉に、キャスターはぽっと頬を染めた。最近は例のあやしげな格好はやめ、セーターにスカートという素敵な若奥様ルックである。燃えないごみの日もやっと覚えた。
「キャスター、天かすを取ってくれ」
「はい、宗一郎さま」
 嬉しげなキャスターから大皿を受け取ってうどんに天かすを入れている葛木に士郎はうむと頷き中庭に目を向けた。
「イリヤ、バーサーカー、寒くないか?」
「大丈夫だよお兄ちゃん。わたし達の故郷はこんなものじゃなかったから慣れてるもの」
「■■■■■■」
 イリヤは家の中に入れるサイズではないバーサーカーの膝に乗り、イリヤは嬉しげにドンブリを抱えている。最近は近所の人たちもすっかりこの巨人に慣れたらしく誰も騒がなくなった。
「まあ、にぎやかなのはいいことだよ士郎〜 うわ、これおいしい! わたしもう普通のえびさん食べられないよ〜」
 それ以上にこの環境に適応している虎もいるが、とりあえず無視。
「まあ食費がかさむけど協会から補助も出始めたしなあ…」
 士郎が一人ごちながらうどんをすすった時だった。
「衛宮殿、来客です」
「ん?」
 もののついでで柳堂寺から山門ごと衛宮邸にやって来て門番とかしている佐々木小次郎が居間へやってきた。
「佐々木さん、うどん伸びちゃいますよ?」
「ふっ、申し訳ない。少々地蔵を磨いていたら時が経つのを忘れていた」
 佐々木は苦笑し、背後に居た人物を前に出した。
「久しいな、衛宮士郎」
「セイバー! 今日こそ我の名を覚えてもらうぞ!」
 現れたのは綺礼とギルガ(仮)。露骨に嫌な顔をする士郎を見て嬉しそうに笑う。
「何のようだよ言峰…」
「くく…新たな戦いが始まるぞ、衛宮士郎」
 その一言で、平和な居間に衝撃が走った。
「ま、また何かくだらないこと考え付いたのかおまえ!?」
 思わず顔を引きつらせて叫ぶ士郎に綺礼は笑いを濃くする。
「此度の聖杯戦争、ルールはバトルロワイヤル、期間は一週間! ただし武器は自分の手で焼いたパンのみとする」
「そうか、パンで…ってなんでパンなんだよ! むしろパンは武器じゃない!」
 もはや義務感だけでつっこむ士郎の言葉は完全無視して綺礼は説明を続けた。他の面々はギルガ(仮)を含めて全員うどんに意識を戻している。
「パンであるならば形や質は問わないがちゃんと食べれるものを使うこと。勝者には聖杯と全員が焼いたパンを食す権利が与えられる」
「! やりましょうシロウ!」
 途端に目の色を変えるセイバーが聖杯よりパンに反応していることに苦笑して士郎は肩をすくめた。
「まあ…暇つぶしにはいいんだけどね…」

 こうして、次の戦いが始まった。
 第二十三回聖杯戦争、なんとなく開幕…


                  To Be Continued "Fate/Unlimited Bread Wars"

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
〜後書き、もしくは言い訳〜

『夢はな、呪いなんだよ。叶えない限りずっと呪われたままだ 〜海堂直也』

 この作品は、タイトル部分から思いついた一発ネタでした。本来なら六法倉庫に封印してもいいようなシケギャグだったのですが、なんとなく書き始めてしまったのが運のつき、結末まで書かねばどうしても落ち着かない状態になってしまいました。しかも短いネタのつもりでプロットを書かなかったらいつのまにか全サーヴァントと戦いっぱなしという謎のストーリーに。っていうか、なんでこんな長いか。長編だよこれ。これだよ長編。
 おかげで本編(Alternative)の続きにも手がつかず、書いても書いても終わりが見えないという壮絶なことになってしまいました。
 せっかくなのでAltでは制御しているシリアスとギャグの配分を行わず、その場の勢いだけで書いてみましたが、こういうノリって読者の皆さんはどうでしょうか?
 私は、楽しかったです(笑)
 全エネルギーを使い果たすくらい消耗しましたけど…

2004/08/01朝 六法氷樹