Fate/トラグルイ  

出場英霊八組十五名
敗北による死者七名
不描写による死者三名
射殺一名
生還四名 中ニ名重症
奈須茸氏家伝 写本「笛夷斗征刃道記」より


 

第逸景 秘剣伝授

 冬木の街には、虎が潜むと云う。

「ま、目撃者には違いねぇからな。死んでくれや」
 そう言って打ち込まれた槍から命からがら逃げ延びた衛宮士郎が逃げ込んだのは、庭の片隅にひっそりとそびえる土蔵であった。物質化した死と対面するに至り、慣れ親しんだ場所へと回帰するは人の習いか。
「死んで、たまるか・・・!」
 火箸も素手で握れそうな程に己を無造作に扱う者とはいえ、無駄死にを避けるだけの分別が衛宮士郎にも存在した。闇の中、士郎は静かに抵抗の意思を固め。
「あれ? しろー?」
 響いたのはのんきな声。幼少より彼の傍にあった人の、いつも通りの言葉。
 輝いたのは土蔵の床に刻まれし召喚陣。父が残した形見の魔術。
 本来出会う筈の無い二つが交わりしとき、そこに―――
「・・・ようやく器が整いおったわ」
 虎が、虎が居た。
 右手には虎のストラップがついた竹刀。
 左手には間食中の鯛焼き。
 しましまシャツに長いスカートといういつもの格好だが、その気配はいつもの暢気な教師のそれでは無い。
「ほぅ、憑依型のサーヴァントたぁ珍しいもん呼び出すじゃねぇか。さっきの奴がアーチャーなら、残ってるのは・・・セイバーか? あんた」
 ランサーは問い掛けながら闘争の予感に笑みを浮かべ―――
 
「・・・やってくれた喃」

 それが、彼の浮かべた最後の笑顔になった。
「ふ、藤ねえ!?」
 声と共に吹き荒れた濃密な殺気に士郎はびくりと身体を振るわせる。思わず振り返れば、見たことも無いような凶相でもって、藤ねえが竹刀をかついだところであった。
「わたしのしろーに怪我をさせるなんて・・・許さない」
「てめぇ・・・出来るな・・・?」

 前方には、槍持つ凶人。
 後方には、憤怒の藤ねえ。

「駄目だ! 相手は人間じゃないんだ! いくら藤ねえが剣道五段だからって触れる事も出来ない!」

 虎の教師の竹刀は
 対手(あいて)に触れることが出来るのか?
 出来る。
 出来るのだ。

 愛する弟を護る為その身に虎を宿した藤ねえがゆらぁりと歩を進めるのに合わせ、ランサーは慎重に間合いを計った。
「で? このまま始めるか?」
 彼の役割は敵を打ち倒すことではない。不本意では有るが相手を確認して生還することこそが彼のマスターから与えられた任務である。
「他流のもの 丁重に扱うべし 斃すこと まかりならぬ」
(今夜はアーチャーとも戦ってるしな。場合によっちゃ仕切りなおしも有り、か)
 故に、仕事とあらばどんな事でも全力を尽くす主義のランサーがその言葉に退却を考えたのも、失策とは言えまい。
 たとえその先に―――
「はっ、よくわからねぇがこっちも今日は偵察だ。退散させてもら―――」
「伊達にして帰すべし」
 凶刃が待とうとも。
 待とうとも。
「へっ?」

 ―――

 間合いの伸びる奇妙な剣撃でランサーの心という器にひびを入れた藤ねえは入れ替わりに現れた凛達にも容赦が無かった。

「藤ねえ。もう少し こう 何というか手心というか…」
「しろー。痛くなければ覚えぬ」
「・・・何を?」
「上下関係」
「・・・・・・」

 駆けつけたアーチャーを一撃で切り伏せての台詞である。とりあえず士郎の身に危険が無くなったと見たのか大人しく鯛焼きなど食べ始めた藤ねえをよそに、凛は士郎と共闘を提案した。


「聖杯戦争のもたらすものは、つまるところこのようなもの。それとも衛宮君は…平凡な日常と引き替えにしてもこのようなものに参加したいと言うの?」
 恫喝ともとれるその台詞に、士郎は無言のままで頷いた。大切な人が、その、なんというかよくわからないやる気を出して曖昧になってる現状。何を言われたところで引くわけにはいかない。
 確固たる意思でもって己の忠告を排した士郎に対し、魔術師・遠坂凛は―――

「天稟がありおる」
 その意気や良しと満足げに頷いたという。


第煮景 童歌

 聖杯戦争に参加することとなった士郎と藤ねえの新しい生活が始まった。
 戦いの無い時の藤ねえは、ただ喰らい、士郎に絡み、叫ぶ。時には池の鯉を素手で捕まえ、生のままばぅりばぅりと喰らうこともある。
 まあ概ね、いつも通りの日々だった。

 しかし、戦闘が始まればそこに居るのは一匹の虎。サーヴァントが居ると聞きつければ、時には士郎の制止を振り切って戦いに赴くこともあった。
(異な掴み・・・早き上に伸びたる)
 柳洞寺の山門を守りしサーヴァント、アサシンは数合の打ち合いを経て構えを変えた。元より、アサシンは日本の剣術家である。相手も同じような殺人剣の使い手であることは容易に察することが出来た。
(出し惜しみ無く、我が秘奥を持って相手するか)
 厳流・燕返し―――アサシン必勝の構えに、藤ねえはニヤリと笑い。
「左様か」
 呟くと同時に虎竹刀を横に構えた。そのまま剣先に左手を添えた瞬間、アサシンに死相が浮かんだ。厳流の極意を悉く修めた大剣士・佐々木小次郎の全細胞が、戦闘を拒否している。
「―――ま、参・・・」
 全身にじっとりと汗をかいた佐々木が思わず口を開いた瞬間。

「引き分けにござる」

 ニヤリと笑って藤ねえは剣を収めた。
 数十メートル程後方に・・・慌てて追いかけてきた士郎を感じ取って。


 日夜続くサーヴァントとの戦い。士郎がどうあろうと敵はやって来る。
 戦いは避けられぬと知った士郎は藤ねえから剣を習い始め・・・結果。


「・・・野良犬相手に表道具は用いぬ」
 数日後、結界に包まれた校舎の中で士郎はライダーに言い放っていた。足元には、顎部を陥没させて悶絶する慎二が倒れ伏している。
 あのダメージは命に関わるんじゃないだろうかなどとライダーは思うが、とりあえずそっちはどうでもいい。問題は目の前の笑わない男だ。
「あなた・・・本当に人間ですか?」
 問われた言葉を完全に無視し、士郎は右手で存在しない剣を握った。
「不要だ。その黒い目隠し・・・剣術には不要だ」
「いえ、確かに剣術には要らないと思いますが・・・」

 どうやら、虎は伝染するらしい。すっかり戦闘時には話の通じない人と化した士郎に恐れをなしたライダーは一応生きてる慎二を抱えて撤退。士郎は藤ねえを呼び出してそれを追った。そして数時間後。


「ふふ、この子は優しすぎるのでこうして鞭をやらないと戦ってくれないのです―――」
 空を駆けるは純白の光弾。膨大な魔力を鎧とし、天馬を駆ってライダーは叫ぶ。
「行きます・・・『騎英の(ベルレ)―――手綱(フォーン)』ッ!」
 ビルの屋上へと誘い込まれたのはこれが目的か。ライダーの秘奥たる技を前に、藤ねえはギリリと奥歯を噛み鳴らした。
 思い起こししは、いつぞや食べ損ないし野菜庫のどら焼きのこと。
「あの折、常温に戻してからと食卓に置きしは桜が指図・・・」
 そして、数十分後に見つけた空になった包み紙のこと。
「はかった喃。はかってくれた喃・・・」
 カロリーの消費が蘇らせた忌まわしき記憶は鮮明であったが、上空から迫るライダーがその一件とは無関係である事は明確であろうか?

 降り注ぐ光の奔流。給水等が、アンテナが、鉄扉が、屋上の全てが砕け散り、藤ねえの身体を包む胴着が引きちぎれ、竹刀から虎のストラップが吹き飛ぶ、その刹那。
 剣虎は、無念の涙を流し―――その怒りの全てを込めて剣を放った。


 むーざんむーざん

 らいだーのさーばんと びゅーんびゅん

 とらにとつげきかましたら

 ラフレシア・アンブレラ
 あーかいはな さーいた

 


第惨景 涎小豆

 ライダーを葬った藤ねえだったが、勝利の代償は大きかった。人外の力を振るいすぎた事により精気が足りず倒れてしまったのだ。
 不調よりも勝利を喜べと言う藤ねえに士郎は無表情なまま砕けるほど奥歯を噛み締める。鼻血が一筋たれるが、気にする様子も無い。

「今宵は、めでたき日にござる…めでたき日にござる…」

 姉を守れぬ弱き自分に失意を隠せぬ士郎は看病を凛とアーチャーに任せ、折からの雪の中街を彷徨う。そんな彼を新たなマスターであり彼とも縁深いイリヤは自城へと攫うのだった。
 自分のものにならないかと誘うイリヤに否と回答をつきつけた士郎は救出に訪れたのは凛とアーチャー、そして精気が足りず杯を齧りながらやって来た藤ねえ。
 三人に連れられて士郎は隙を伺って脱出を試みるが、それはイリヤの罠であった。玄関ホールへ辿りついた一同を呼び止めたのは、白い少女と黒い巨人。

「くっ・・・あいつは、バーサーカー・・・!」
「■■■■■■■■(バーサーカーではござらぬ。我らアインツベルンの鎌鼬)」

 すらりと斧剣を構えるバーサーカーと真似してスプーンを構えるイリヤの圧力は凄まじく、曖昧極まりない状態の藤ねえとアーチャーでは抑えきれるとは思えない。
 全滅か、それとも。
「・・・アーチャー」
 現実を直視した凛は、苦渋の選択を下した。
「私達が脱出するまでの時間稼ぎをして」
「時間稼ぎと申したか」

 繰り返すが、虎は伝染するらしい。


 ぱぁんぱぁんと手ぬぐいを振り回すアーチャーの背中に見送られてイリヤの城を脱出した士郎達は、打開策を求めて廃屋に潜んだ。圧倒的なバーサーカーという脅威。だが、脅威と言うならばこちらにも。


「種ぇ・・・種ぇ・・・!」
「!? ちょ、藤ねえ!? うぉ、身体動かないし!」
「士郎、大人しく喰われちゃいなさい。藤村先生が復活すれば戦いようはあるんだから」
「しろー、準備は出来ておる喃♪」
「この勃ち様なら、よろしいでしょう」

 
 そう、こちらにだって危険極まりない虎が居る。ちゅっぱちゅっぱと時は過ぎ、気付けば夜は明け白々と陽光廃屋に降り注ぎぬ。程なく来襲せしバーサーカーを迎え撃ちしは、精気五臓六腑に満ち渡った藤ねえの竹刀。
 身体的には回復した筈だが何故か本調子でない藤ねえが正面から迎え撃つ間に凛は樹木の上から奇襲を敢行。バーサーカーの巨大な腕に掴まれながらも、必殺の一撃をその頭へと叩きつけた。
 水あめがとろりと絡まった、小さな小豆が一粒―――


「・・・そろそろにござる」
 逆手に竹刀を構える藤ねえだが、その動きにはもう一つ切れが無い。
「まだ駄目だ! 藤ねえッ! ええと、お座りッ!」
 突進しかけた藤ねえがびっくり顔でその場にしゃがむ。瞬間、髪の一房を断ち切ってバーサーカーの斧剣が頭のあった位置を通過した。
「決めたんだ―――」

Unaware of loss.  Nor aware of gain
―――失うことから、全ては始まる。
 

 親父・・・衛宮切嗣が死んだその朝に。家族はここに居るよと笑ったその人を護ろうと。泣きながら笑ったこの人に、もう二度とそんな顔をさせない為に。

 トレースオン
「投影開始ッ・・・」

 言葉は己の中から紡がれた。体内を掻き分けて道を作り、そこへ呼気と共に作り出した魔力を通す。肉の身体がそうでないものに変わる不快感を無視してそこへ限界以上の力をただひたすらに通す。


I have no regrets.This is the only path
―――正気にては大業為らず。
 

 使うのは、毎夜試みていた強化ではない。かじかんだかのように上手く働かない頭で必死に手繰り寄せた力は、自殺行為とも言える鍛錬により魂の底に溜まっていたもの。
 力が、必要だ。自分で勝つ為のもののではなく、藤ねえを勝たせる為の力が。彼女の拘りを、今の彼女に足りない最後の一片を生み出す、その為の力が必要だ。

 難しい筈はない。

 不可能な事でもない。

 もとよりこの身は、

 ただそれだけに特化した魔術回路――――!


My whole life was ―――“Shi-Gu-Ru-I”
魔術師とは―――シグルイなり
 

 手の中に創りあげられたイメージのフレームに魔力が溢れ、具現化する。現れたのは、あの屋上で消し飛んだ―――
 虎の、ストラップ!

トレースアウト オールバレットリローデッド 
「投影完了ッ! 虎装飾装填開始!」
 
 魔術は・・・まだ士郎を見捨てては居なかった。


「藤ねえッ!」
「士郎ぉっ!」

 ―――交差!

 ストラップごと虎竹刀の柄を握った士郎と藤ねえの手は揺らめくような一瞬のきらめきを凛とイリヤの網膜に焼き込み。
「■■■■■■・・・」
 一瞬だけ静止したバーサーカーの巨体が、ぐらりとよろめいた。
「お美事!」
「お美事にござりまする!」
 凛と士郎の声が響く中、ごとりと斧剣が落ち一瞬置いてそれを追うが如く頭部が8つのパーツに分割されて崩れ落ちる。飛び散った頭蓋はどろりとした薄桃色の内容物を森の土と、樹と、傍に立っていたイリヤにぶちまけた。
「ば、バーサーカー・・・うぇ・・・」
「・・・イリヤ」
 あまりのことに蹲り、その場に吐瀉物をぶち撒けたイリヤに士郎はそっと竹筒に入った水を差し出した。
「ゆすげ」
 以降、イリヤは士郎に懐く事になるが・・・それはまた、違う無惨。

 


第死景 夜這い

 ランサー・アーチャー・ライダー・アサシン・バーサーカー。既に5人のサーヴァントが斃れ、残るはキャスターのみ。士郎の精を啜り絶好調の虎にもはや敵は無く、程なく訪れたキャスター来襲に際しても衛宮の者どもに動揺は無かった。
 だが。

「いた、痛いッ! いた―――」

 雨の如く降り注ぎしは無数の剣。唐突に現れた前聖杯戦争のアーチャーことギルガメッシュは、キャスターを瞬殺してのけてから高みより藤ねえ達を睥睨して高らかに嗤った。

「セイバー、迎えに来―――って誰だ貴様は! セイバーはどうしたセイバーは! 貴様は、終盤になったら出番が無いキャラであろうが!」
「おまえは・・・それをわかっていながら・・・!」

 ずぶぶ、ずぶぶ。ぎしぃぎしぃ。

 それは、ギルガメッシュが聞いた事の無い異音であった。


 意中の人が居ない衛宮邸にがっくりと肩を落としギルガメッシュが去りしあと、侵入者を五体満足で帰したその屈辱に、無双衛宮の看板を汚されたと藤ねえは猛った。
「首級じゃ遠坂さん! 金ぴかの英霊の首級をこれへ」
 今にも暴れだしそうな姿に、まごまごしていてはならぬと士郎は意を決し口を開いた。
「バビロニアが英霊、根絶やしにぐるるるる・・・」
「藤ねえっ! その、明日デートしよう!」
「ぐる・・・んにゃ?」
 途端虎から猫へと変貌した藤ねえを眺め凛は―――

「でかした!」

 満面の笑みでもってそれを承認したと云う。


 その夜。夜食用のパンケーキが見当たらぬと凛は廊下を歩いていた。
 衛宮邸内で食べ物が消え失せた場合、その犯人として最初に疑うべきは外部の者ではない

 ぴちゃ、ぷちゃ―――

 はたして、凛が訪れた藤ねえ部屋(虎娘の間)からは、何かを咀嚼するような音が聞こえるではないか。
「せ、先生・・・御免仕る」
 やはりと慌てて襖を開けてみれば。
「あ」
 そこに居たのは、しゃぶりつかれて硬直する士郎と、にたぁりと笑う藤ねえであった。
「・・・ごゆるりと」
 凛は、そっと襖を閉じる。
 見て見ぬ振りをする情けが、赤いあくまにもあった。

 明けて翌日。
「しろ〜、しろ〜・・・」
「士郎ではございませぬ。これなるは当家の門を叩きし言峰」
 士郎とのデートに、藤ねえは曖昧なまま参加した。
 その間に、言峰が凛を打ち倒してイリヤを攫うとも知らず。


 帰宅した士郎は血に塗れて倒れ伏す凛に憤り、藤ねえから貰った妙薬を飲ませて治療しつつ仕手人は誰ぞと問いかける。
 痛みなど春の淡雪の如く消え去った凛は綺礼の凶行とイリヤが攫われた旨を伝えた上で、隠し持っていたアゾット剣(銘は七丁呪文)を士郎に渡してこう締めくくった。
「いい? 絶対に、勝つのよ・・・?」
「・・・ああ、わかってるよ。遠坂」


「若先生と呼べ」

 

第悟景 虎姉弟

 そうとわかれば愚図愚図している猶予は無い。昏倒した凛はなにやらぶつぶつと寝言が激しいので見舞い代わりのスイカと共に遠坂邸に移し、士郎はその足で商店街へと向かった。
「〜〜〜〜♪ 〜〜〜〜♪」
 士郎の布団でごろごろしながら待つ藤ねえの為に買い求めたのは勝栗、打鮑、昆布。これに杯を合わせることで四方膳と呼ばれ、合戦に出陣する際に武将が食するものである。
 決戦は夜と定めた士郎はやんごとない所に指を突っ込んだのをきっかけに一時的に正気へ戻った藤ねえと湯浴み、夜伽を済ませて英気を養い、時を待つ。


 そして、せんりつの、よるがおとずれた。


 出立の準備を終え、藤ねえと共に門を開けた士郎は場合によっては二度と帰れぬかもしれぬ我が家を振り返った。
 この数日、なんだかんだ言って楽しかった。遠坂が居て、短い間だがイリヤも居て。そして、いつもと変わらず寄り添ってくれた人も・・・居る。
 今、全ての明かりが消えた衛宮邸からは物音一つしない。
 かつては当たり前であった無人の家が・・・今は、無性に寂しかった。
「・・・衛宮邸・・・まこと広くなり申した」
「ん?」
 思わず呟いたその台詞を耳にし、藤ねえは首をかしげて問い掛ける。
「子供いっぱいの家にしよっか?」
「卒業してからだけどな」
「そだね」
 その間、実に3秒きっちりであったという。


 その3秒で、二人は絶対に負けられぬ理由を背負った。

 

 柳洞寺。その境内で二つの決戦が同時に始まる。
 泉の辺で一足早く始めしは、衛宮士郎と言峰綺礼。本堂前にて、四方膳を食しながらギルガメッシュを迎え撃つは藤ねえ。


「その程度か?」
 数度に渡り殴り倒され黒い泥に沈みつつある士郎を見下ろし綺礼は言い捨てる。
 肉体への打撃には耐えられても、この世に存在する全ての悪意を凝縮したこの泥土による精神への打撃はとてもではないが人に耐えられるものではない。綺礼が耐えられるのは、その心が常人とはかけ離れたものだからであり、そして衛宮士郎の心はそうではないのだ。
「ふむ・・・」
 再度吹き飛ばされる姿にこんなものか、と一人ごち綺礼は呪詛を更に叩きつけた。聖杯から溢れ出す穢れた土が士郎の全身をくまなく覆いつくす。
 だが。
「終わりだ。衛宮士郎」
「いや・・・これからだ」
 綺礼の言葉に平然と答え、士郎は平然と立ち上がった。
「なん・・・だと?」
 この男にしては珍しい、きょとんとした表情に構わず士郎はアゾット剣を構えなおす。
 耐え切ったわけではない。ただ、届かなかっただけだ。
 士郎の命は士郎の命ならず。藤ねえのものなれば―――この場に無い魂に、どのような呪いであろうと届くものではない。
「ふむ。恐怖は無いようだな」
 綺礼は眉をひそめて呟いた。この世全ての悪を内包する呪いに身体を犯されながらも変わらぬ士郎の表情が、奇異なものに思えたのだ。
「・・・・・・」
 しかし、この時綺礼が注視するべき部位はその顔ではなかった。片手に握りし、凛より託されたアゾット剣・・・その柄を握る士郎の握りが、密かに変化していたのだ。
 猫科動物が爪を立てるが如き異様な掴みにて剣を執る士郎の脳裏に浮かびしは、愛する人が倒れし屈辱の日か。

 

 同刻。
「ふん、貴様の如き雑種に興味は無いが・・・聖杯でこのくだらん世界を滅ぼすのも一興か」
 石階段を登り現れた黄金の鎧を纏いし英霊が嘯くのを聞き、藤ねえはゆらりと立ち上がった。
「―――やってくれた喃」
 その口から放たれた言葉はいつぞやの槍兵に告げたのと同じものである。
「しろーと切嗣さんの・・・そしてわたしの家に土足で踏み入って、庭に大穴まで開けるなんて・・・やってくれた喃・・・やってくれた喃ッ!」
 憤怒の表情を見せる藤ねえの掴みは士郎と同じ異様なもの。ただ一つ、刀身を掴んだ『左手』の存在を除いては。


         狂ほしく
              血のごとき
                    月はのぼれり
                            秘めおきし 
                                   魔剣
                                     いずこぞや―――

 


「ふむ・・・衛宮士郎。10年前、君が遭遇した火事が何故起きたか知っているかね?」
 父切嗣を思わせる無表情さでゆっくりと迫る士郎に綺礼は彼の過去を切開するのも一興かと口を開き。

「剣術か。よかろう、この我にそれを披露することを許す―――ここまで辿り着ければだがな」
 ギルガメッシュは十数メートルを隔てた場所に立つ女剣士にそう告げて鍵剣を召喚し。
 


 ―――、と。
 二箇所で同時に振るわれた剣撃が、二人を同時に襲った。
 

「ぬ・・・」
 顎先を掠めただけの士郎のアゾット剣は、それゆえに綺礼の脳を十分に震撼せしめた。不動と思われたその足が、脳震盪に折れ、膝をつく。
「く・・・やるではないかえみ―――」
 言峰の声は唐突に途切れた。目に映るのは、倒れた自分を蹴倒す士郎の無表情な貌。
「あ、おい・・・」
 圧倒的なまでのノーリアクションに戸惑う言峰に。
「・・・・・・」
 士郎は無言で馬乗りになって拳を振り下ろした。

 ドォン、ドォン、ドォン・・・


 そして。
「・・・・・・」
 ギルガメッシュは悶絶しながら藤ねえを見上げていた。千の材を持つ英霊王と共に消滅していくのは握り締められた鍵剣のみ。彼をアーチャーたらしめる宝具の魔弾は、いまだ召喚されぬままである。
 宝具による弾雨は一度連射を始めてしまえば純剣士である藤ねえには太刀打ちのしようが無い攻撃だ。しかし、鍵剣を召喚し、それに魔力を通し、宝物庫から宝具を呼び出し、その上でようやく発射に至るという射撃という攻撃そのものが内包する手順の多さは、十二分に弱点と言えうるもの。
 その程度のこと、当然使い手たるギルガメッシュ自身それは自覚しており、卓越した眼力で見抜いた相手が攻撃不可能な間合いから技を発動させたのだが。
「は、早き上に伸びたる・・・」
 刀身を引き絞る左手を弦と例えるならば、人差し指と中指のニ指のみで掴まれたその剣は正しく剣矢と言える長大な伸びを見せて宝具の召喚より早くギルガメッシュのこめかみを痛打してのけたのだ。

 磐石であった筈の英雄王の敗北は、相手が間合いを変化させることを骨子とする術の使い手であることを見落としたことに有るだろう。


 彼奴は、うっかりものにござる。

 

第録景 英霊凡て斃る


「藤ねえ、無事か?」
 しこたま殴りつけてぐったりした言峰を引き摺りながら本堂にやってきた士郎が見たものは、待ちくたびれたのかそこらに立っていた柿の木からもぎ取ってきた実をカリカリ食べている藤ねえの姿だった。
「あ、しろーおかえり」
 嬉しそうに振り返った藤ねえであったが、柿を大きく齧った途端に泣きそうな顔になって唸りだす。
「たねェ・・・たねェ・・・」
「・・・うっかり噛み砕いたか」
 種って噛み潰すとなんかザラザラした感じで嫌だよなあと頷きながら士郎は言峰をそこらに捨てて藤ねえの傍に駆け寄った。
「ほら、出してやるから口閉じるの禁止」
 口を開けたままであうーあうーとジタバタするのを掴まえて、グロいなあなどと思いながら咀嚼中の種を摘み出してやる。
「あ、こら指舐めるの禁止! 吸うのも駄目! 甘噛みも・・・ってどこでそんな技覚えたんだ藤ねえ!」
「ん? しろーが昨日してくれたでしょ」
 自爆であった。
「そ、それはともかく・・・藤ねえ、そんな薄着で寒くないか?」
 ごほんごほんと咳払いしながら士郎が話をそらした言葉に、藤ねえはきょとんと首を傾げてからがばっと抱きついてきた。
「ん? だいじょうぶだって。しろー抱っこしてたらあったかいもん」
 ―――寒い筈がない。強く抱き締めたその胸の内に、衛宮士郎が燃えている。
「う、うぁ、ちょ、藤ねえ! 見てるから! 気絶した言峰がなんか眼が半開きだけどこっち向いてるから!」
「気絶してる人は物見えないもんねー」
「藤ねえが普通のこと言った!」
 ジタバタする士郎のことは全く気にせずごろごろと喉を鳴らして抱き締め、藤ねえはふと空を見上げた。いつの間にか時は過ぎ、空は冬の早い日の出に薄青い色を山並みに散らし始めている。
「あ、そうだ」
 徐々に白む空を眺め、ふと藤ねえは気付いた。まだ、言ってない言葉があるではないかと。
「最初に、伝えておかないと」
 この日から、弟では無くなった彼に―――
「ああ、どんな?」
「士郎―――あなたが、大好きっ!」


                                                                               完